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2012.10.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類










出丸からの道

『出丸』から下へ下る道。

 右側から続く道は『大手門』跡へ、続いてんだ。


 緩やかにみえるけど、ちょっと角度もあってな。

 気をつけないと、こけそうだっぺ。





 さてと。『茂木氏』の話さ、してみっか。


 戦国時代。

 天正18年(1590)の『小田原攻め』の話。





 佐竹義宣(さたけ よしのぶ)に従い、豊臣秀吉側についたんだ。


 だもんで。戦の後も領地を安堵されてな。

 領地を維持できたんだと。




 だども。

 文禄3年(1594)。

 佐竹氏領内で行われた、太閤検地でな。

 佐竹氏は、知行替えがおこなわれてな。


 佐竹氏の家臣だった治良は、

『常陸国の小川城(茨城県小美玉市)』へ、移されちゃったんだと。




 ちょっと調べてみたら、この人。すごい人みたい。




 さっと紹介すると。

 最初は『陸奥国(福島県辺り)の二階堂氏』に、仕えてたんだ。

『須賀川城』の城代を勤めてたんだけど。

 伊達政宗に攻められて、落城。





 そんで、

 文禄4年(1595)に『茂木城』を預かり、城主になるんだけど。


 こんときに、な。

 二階堂家の旧家臣・須賀川衆を含め、百騎を預かる。

 これがのちに『茂木百騎』と呼ばれる、軍団になるんだ。




『関ヶ原の戦い』の後はな。

 まず、慶長7年(1602)に、佐竹義宣が出羽国(秋田県)に移封される。


 茂木治良も須田盛秀も、家臣や『茂木百騎』を引き連れて、

 出羽国へ移っていったらしいべ。



 その後は、細川興元がやってきて、『茂木藩』が誕生すんだど。

(細川興元の話は、 こっち に書いてあるど)







 上の写真の道を、さらに下っていくと、

『彼岸花の群生地』さ、いけんだけんどな。


 途中に、古い石祠さあった。 

古い神社

 いつの時代のもんだべな。



 何の神様がおられるんか、わかんなかったけんど。

『茂木城』の守り神なんかな。


 須田盛秀が城主だったときも、あったんかな?





 さてさて、この須田盛秀は、この後も、

 下野国に関係するちょっとした事件に、出てくんだ。



 それは、寛永元年(1624)の『本多正純改易事件』。

『釣り天井事件』の元ネタっていわれてるやつだけど。

 (『釣り天井事件』の話は、 こっち だど)




 こんとき正純がお預けになった場所が、秋田の佐竹義宣でな。

『久保田藩』で、預かることになったらしいんだけど。


『久保田藩』の藩主が、須田盛秀だったんだと。





 なんだか、いきなり、いろんな人が繋がってきたな。


 みんなが面識さ、あるわけじゃ~ないだろうけど、

 変なつながりさ、あんだな~。 




 歴史にはまる人ってのは、こういう繋がりが面白くて、

 はまっちゃうんだべな~。



 ちょこっと、歴史好きの気持ちさ、わかってきたような気がすっと。





《参考》







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最終更新日  2012.10.17 00:41:46
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