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Friday, November 15, 2024 2週間ぶりのブログ更新です。ペンを取らなかったのは、多忙が半分、その気にならなかったのが半分です。今回はそのあれこれを纏めました。(11月4日月曜日・祭日) 午前6時前起床。5kmの早朝散歩でした。午前、玉葱を植える場所に苦土石灰を鋤き込みました。父が渋抜きした柿を食べたい、TELがありました。柿穫りの時間が無いと返しました。「寿命がない、今生の柿になるから穫れ。ましてや今年のような不作の年にもったいないことをするな」仕方がありません。髙枝切鋏で20個ほどを穫りました。ホワイトリカー30度を塗し、ビニール袋に密封。10日ほどで渋が抜けます。この日は薪ストーブの掃除も。薪ストーブは2台目ですが、煙突は一度も取り替えていません。そろそろかな。夕方、Rさんと散歩を小一時間。バタンキュー。(11月5日火曜日) 午前5時起床。早朝散歩を40分。暗い中でした。木立川の鴨が杣夫の足音に驚き、一斉に舞い立ちました。こちらもその羽ばたきにビックリ。大げさですが、平家富士川の戦いを連想。散歩中はSTB、HBCを聞きながらです。1ヶ月前に訪ねた札幌が懐かしい。その折は半袖で過ごしましたが、今日のラジオは初雪だったとのこと。遙かです。 終日、デスクワークと報連相、内部の会議。(11月6日水曜日) 午前4時起床。散歩の前、依頼されていた原稿を仕上げました。同窓会の案内文です。頼まれていたのですが、失念していました。幹事からの注文は、6月のそれに不参加の同窓へ、忘年会を兼ねた地元在住だけのミニ同窓会をするから参加しませんか、水を向け促す意を込めて、とのこと。難しいなぁ。 それを仕上げ、メールを送付。その後、散歩30分。午前7時半、家を出ました。秘書のS君が社用車で大分駅に送ってくれました。関西向け出張でした。日豊本線、ソニックを乗り継いで新幹線内に弁当を広げました。 同業他社の副社長10人あまりと一緒、同業某社を訪問。弊社業界の人材確保問題、社員の早期退職対策などについて、話を聞きました。全国的に有名なS社です。会社規模は弊社より若干小さめですが、人事労務担当の課長説明が素晴らしかった。真似をしよう。必死、メモを取り、質問攻め。勉強になりました。(11月7日木曜日) 大阪駅の近くに一泊。翌日、もう一社を訪問。企業誘致、残置、企業間コラボで新製品の開発…、それらに取り組む企業担当部門の話を聴きました。杣夫の得意分野でなく、また弊社の何倍も大きな会社だけに、実際、弊社で役立つ話か否か少し考えるところがありました。ただ、説明をしてくれるその会社の担当課長さん、若い女性ですが、とても明るく、遊び心のあるような印象でした。部下の男性社員、彼等の顔つきを見てそれがわかりました。研修の内容はともかく、職場は上司のマネジメントが大切だな、改めてそんなことを思った次第です。写真は途中、乗り換えた駅の看板です。ここは焼き肉のまち。エスケープ、ホルモンをつつきたかったです。 大阪駅に戻り、新幹線に乗り、とんぼ返り。乗り継ぎの時刻待ちにこれを求めました。妻の好物なのです。 岡山、広島を通過。小倉で在来線・日豊本線に乗り換えました。乗ったソニックは大分が終点。一緒した他社の皆さんとはバイバイ。杣夫は佐伯まで更に1時間の道中。次の電車を待たなければなりません。もう午後5時を過ぎた、飲んでもいいだろう。待合の時間にアルコールを仕入れました。宮崎向けの特急に乗り込んで一人、さあ乾杯だ。 これを摘まみました。鯖寿司、大好物なんです。佐伯駅まで1時間あまり。酒の全部を干すことはできませんでした。駅でタクシーを拾い、自宅に戻ったのは午後8時過ぎ。バタンキュー。(11月8日金曜日) 早朝散歩。木立川、門の鼻橋付近を歩いていて、川の中が騒々しい。バシャバシャ、何者かが川の中を走ってくる気配でした。懐中電灯を向けると、大猪が2頭、全速力で川上に向かっていきました。迫力満点でした。帰りの道中、熊野神社横の畑に穴熊がいました。目が合いました。すっとぼけた顔つきが可愛い。 朝食の間、父の我儘に閉口するとは妻の弁。毎日、それの続く彼女に頭が下がります。会社はあれこれの仕分け、捌きに終始。新年度予算編成、担当者も頭が痛いだろうな、そんなことを思う一日でした。 今日は金曜日。夕食は自己完結の日でした。いつもは魚だけど、今日は牛しゃぶにしよう。帰りにいつものスーパーへ寄り、その食材を求めました。帰宅していざ。ところがやっ!間違えて豚肉を買っていたのでした。仕方がありません、豚しゃぶにしました。前者を想定、生酒の甘露を用意しましたが、それをやめ、芋焼酎に。 父を覗きました。来週からデーサービスに通うこととなりましたが、それを嫌がっています。これから毎晩のよう、説得です。写真は大阪出張、自分用にと求めた水茄子の漬物です。いい感じでした。(11月9日土曜日) やっと休みが来ました。午前5時起床。バッハを聴きながら珈琲を楽しみました。 午前、玉葱を植えることにしました。穴の空いたマルチシートを菜園に広げました。妻が買って戻った苗を230本植え付けました。屈んでの作業は腰と膝にきます。ビニール手袋をしなかったので、爪の中が真っ黒になりました。植え付けは昼を挟みました。シャワーを浴び、少し午睡。 目の覚めて、ホテルKへ向かいました。午後3時半の待ち合わせです。今日は酔散の同級生Y(静岡在住)が私のまちをわざわざ訪ねてくることになっていました。しばらくの間、同室に暮らした仲です。学生の頃は大学の交響楽団に所属、楽器はホルンです。卒業後、暮らすまちにアマオケを立ち上げ数十年、そのまちのクラシック音楽界をリードする人物です。半可通の杣夫と違い、楽理もさることながら古今東西の作曲家、作品、オーケストラ、指揮者、演奏家に深く通じ、半端の解説者顔負けです。本を出すレベルかと。加えてレコード・CDの類いを数万枚所蔵。毎日、ブログに「音盤中毒日記」と題した盤解説を載せています。それが深いのです。 閑話休題、歴史にも興味有りと言うことで、西南戦争官軍兵士の埋葬墓地、臨済宗の修行寺・養賢寺、歴史資料館、佐伯市のランドマーク・城山などを案内しました。写真は丁度特別展を開催、そのパンフです。これを見ると、江戸時代、隣町・津久見市の半分以上が佐伯藩の所領であったことが判ります。 午後5時を回りました。贔屓の店「はし本」に案内しました。先ずは44年ぶりの再開を祝い乾杯。写真は付け出しです。手の込んで妙味ありです。 こちらは刺し盛り。楽しんでもらったかなぁ。 久闊を叙していて、おっ、datelineが店に入ってきました。ここは彼の河岸です。週に数度、突っ込むそうです。彼に「朋遠方より来たるありだから、何がいいかなぁ」問うてみました。「そりゃー茶碗蒸しとフグでしょう」ならば大将、それをやって頂戴。写真は後者です。美味しいといって食べてくれました。 河岸を変えよう。ワインの店・玉井に向かいました。グラスワインですが、メドックの年代物です。いい熟成感でした。 夜が更けました。名残惜しいのですが、彼をタクシーに乗せました。今度は僕が君のまちを訪ねるよ、それじゃーな、元気で互い身体に気をつけよう。見送って井伏鱒二のサヨナラダケガジンセイダを思い起こしました。(11月10日日曜日) 少し二日酔い気味。午前、午後とも私のまちに開催のイベント関連行事。 それの終わって帰宅。午後、雨の降り出した中を野良仕事。チェーンソーを使い、茶株を根元から刎ねました。延長距離10m。枝の広がる茶はその始末に難儀します。汗をかきました。野良着を脱いでシャワー。その時、父からTELあり「(不機嫌そうに)夕飯はまだか」待つことを知りません。その時刻、妻はすき焼きを拵えていました。出来上がって届けると「これは美味い」ムシャムシャ。なんだかなぁ・・・ではあります。(11月11日月曜日) 新しい週です。締まっていこう。出勤して、最初の報連相はチョンボの報告。出鼻をくじかれました。終日、ミーティング。事故報告などもありました。真っ直ぐ帰宅。会社にも困りごとですが、帰宅しても難儀。デーサービスを嫌がる父の説得に終始。彼のリハビリと惚け防止が目的ですが、妻にも自由時間が必要です。四六時中、父に縛られては堪らない、そのことを話すのですが、理解しません。いっそのこと、妻に逃げられた、杣夫は仕事があるから、父ちゃんの世話をすること能わず、施設に入る?と水を向けてみようか。(11月12日火曜日) 早朝散歩、小一時間。 ニュースで選挙制度改革に取り組む某社のことを知りました。弊社も岐路に立たされています。その関連で報連相あり。終日、デスクワーク。 帰り、I酒店に立ち寄りました。先週末にやって来た友人Y、彼に重い土産を持たせ手はいけない。ということで酒を送りました。ついでに自分用の生酒も。それを父に飲ませたら、大層喜びました。ペロリ2合、干しました。(11月13日水曜日) 早朝散歩小一時間。今日は、鯉の餌を持ちました。というのも、コースの途中にある湧き水の池(水田を灌漑、広さ100平米ほど)に鯉が10匹ほど泳いでいます。餌がないのでしょう、骨川筋右衛門の体型。ということで、先日,DYYに寄り、鯉の餌なるものを買ったのでした。 水面に向かって投げると、最初は波風立たずだったものが、それとわかると養殖鰤の投餌風景が如くとなりました。たんとお食べ。 今日は父のデーサービス初日でした。昨日までの説得が奏効、昨晩までその気になっていたのですが、今朝になって行かないの一点張り。それを妻がなんとか言いくるめ、送り出しました。日中、受け入れ先ですったもんだあったようですが、なんとか一日をそこで過ごしたようでした。やれやれ。 杣夫は気になって、半分仕事が手に付かない気分でした。このようなことではいけません。シャキッといこう。 一度帰宅、父に今日の様子を聞いて、次も頑張ろう、そう伝えました。うんうんと頷きましたが、どうなることやら。 今日は夜、ミニパーティを予定していました。再び外出。お客様を迎えての歓談でした。週末にある音楽会関連の方々です。話に花が咲きました。オケの中でのコンマスの役割と重要度、欧州と米で異なるピッチの話、ベースとなるのは各地教会のオルガンの音、作曲家の本質に迫ろうとするためには原本の写譜が大いに参考となる…、杣夫の質問に丁寧、応えてくれました。嬉しかったです。写真は囲んだ鍋です。土手鍋ですが、牡蠣の身は沈んで見えません。 こちらは刺し盛り。素敵な夜が更けました。 (11月14日木曜日) 午前5時半起床。早朝散歩途中、今日も鯉に餌を与えました。池に近づくと、彼等がなんだか待っていたような雰囲気を感じました。 終日報連相、判子押しが仕事でした。来客あり。墓埋法に関連するものでした。近々,UNIONとの交渉も予定。そのレクもありました。 夕刻、妻は不在。土曜日の第九演奏会を控え、今日明日と指揮者を迎えての練習だそうです。父を覗き、明日はデーサービスを確認、納得させ、一人、焼酎を乾き物で流しました。(11月15日金曜日) 午前5時、ぱらつく中を散歩小一時間。途中、鯉に餌やり。 出勤途中、妻からTELあり。父がごねているとのこと。とって返し、説得するも能わず。「あんなところに行くと心臓に悪い、死んでしまう」頑として動こうとしません。書くこと能わずですが、妻は無体な言葉を浴びせられたようです。施設にTEL、今日休むことを妻が伝えました。困ったなぁ。 午前8時半前、会社に滑り込みました。 今日も終日、仕事が手に付きませんでした。帰宅して、今日の様子を妻から聞きました。頭が痛い。日の暮れて、妻は第九指揮者練習2日目。杣夫も仕事中そうでしたが、彼女も、この状況では歓喜の歌を楽しむどころではありません。今週末、父と対峙です。 写真は先日来佐のYが土産、唐墨です。 スライスし、出羽桜で流しました。甘露と絶品の当て、独り酒にはもってこいです。Y、ありがとうね。美味しい味わいです。楽しませてもらいます。
2024年11月15日
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Sunday, November 3, 2024 午前4時起床。珈琲を楽しみながらぼんやりの時間を過ごしました。 午前6時半、久しぶりの晴れなので散歩するか。小一時間、ぶらり、いつもの散歩コースを歩きました。写真は栴檀の実です。これは枝先の一部です。大きな木の全部にこの態です。千弾と間違えるような実の付け様です。 椿の実が落ちていました。空気感の変化にもですが、この割れ様に秋を感じました。 木立川に憩う鴨です。冬の使者です。彼等の飛来は先月中旬だったかと。 このところの長雨で、季節外れの苔生しが生じていました。 おっ、ウルップ、元気だったか。 家に戻り朝食。それを終え、黒服に着替えました。昨日は黒ネクタイ、今日は白ネクタイを首に巻きました。文化の日です。弊社もそれに関する行事を行います。杣夫もそれに出席しました。写真はその会場に飾られた花です。この季節です、芒も誂えてありました。 正午前帰宅。昼をして野良着に着替えました。ゴーヤやオクラ、ピーマン、パプリカの始末をしよう。写真は胡瓜やゴーヤの支柱に使った女竹を抜き、マルチだけになったところです。茄子もう少し頑張らせることにしました。 マルチを剥いで耕耘した後です。作業中、同僚Yが来たり、親方がひょっこりだったり。午後の野良仕事はこれだけで終わりました。 義弟が妻の実家に帰省。夕食を一緒することになりました。はし本に義母、義弟、妻、それに杣夫の4人、突っ込みました。日曜日でしたが、店を開けてくれました。感謝です。写真は付け出しです。3点盛りの真ん中はスマガツオの血合いをごま油で和えたもの。絶品でした。 造りです。これもいい感じ。 こちらは鯥の塩焼き。丁寧の仕事です。 生中2杯、300mlの日本酒を1本で切り上げました。この日は、別に約束がありました。朋遠方より来たるありということで、Oさんとつね三の大将、それに部下のTが卓を囲んでいるところに合流。久闊を叙しました。帰宅は午後10時頃だったかな。バタンキュー。 今日の写真は始末のゴーヤになっていた実です。近所のTやんはこれを半分に割り、種をはずし、オーブンで焼くのだそう。醤油を掛けて焼酎の当てにするというんです。あげました。
2024年11月03日
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Saturday, November 2, 2024 雨のち晴れ。温帯低気圧から伸びる前線が通過。午前中は吹き降り、飛沫(しぶき)ました。 朝のうち、傘をさし、朝餉を抱え父の家に。スープの冷めない距離(50m)にありますが、土砂降りのせいで足下が濡れました。父の友人、その奥さんが亡くなったことを伝えたら「弔電を打ってくれ」といいながら、悔やみの文章を杣夫に口伝。アイアイサー。そうしました。 家に戻り、今日は映画三昧の日にしよう。邦画を2本。「最後の忠臣蔵」と「碁盤切り」を視ました。前者「最後の忠臣蔵」のヒロイン・桜庭ななみさんがはまり役でした。武家の息女が京言葉、得も言えぬ上品さを醸して素敵。ストーリーはフィクション、池宮彰一郎の創作です。あり得ない結末につき少々興ざめ。しかし、桜庭さんの美しさ故、10点満点中8点。後者は10点満点中6点かな。(杣夫の映画点数は6点がボーダー、合格点としています。視て損のないと杣夫は考えます) 午後3時過ぎ、喪服に着替えました。父の友人は、杣夫も仕事柄故、交誼を頂いています。通夜に向かいました。リアス式の日豊海岸を走る国道388号、入り江と岬を辿りながら、でした。写真は畑野浦の下り松、東に開けた海です。右の島が沖黒島、中央の小さな凸が千畳敷、さらに左は地黒島、横島です。陽の当たる一番向こう岬は鶴見半島の先端。頂部に微か、白い点のあるのが灯台です。この辺りは、2週間前にあったツール・ド・佐伯のコースです。S,A,B、それぞれのエントリー種目は、その灯台までの道もコースの一部。シャッターを切るこの場所に到り、更に遙かの眺めをして、その距離感に心の折れるか、よし、頑張るぞ、闘争心に火の付くか。人それぞれでしょう。も一つ、余談です。千畳敷は映画釣りバカ日誌19のロケ地になりました。 388号には其処此処にトンネルがあります。杣夫は、出口の向こうに海の見えるのが好きです。写真は高山トンネルの出口です。この通り、海が見えるのです。いい感じでしょう。 抜けると、目の前に高山海岸が広がります。ここは浜木綿の自生地です。今は咲いていませんが。海は日向灘です。水平線は太平洋。今日はハワイの島影を見ること能わずでした。エヘヘ。 この海岸からは深島を望めます。有人離島です。十数人が暮らしています。定期航路があり、本土との間に1日3便が往復。30分あまりの航海ですが、島近くに至ると、失礼かも知れませんが、絶海の孤島感を覚えます。島には民宿あり、暮らす人々が味噌を製造。「深島味噌」のブランドで佐伯地域に流通。乙な味です。ちなみにこの島には猫が何十匹もいます。猫好きの人たちには、猫島として名が通っているようです。 車を走らせ30分、会場に着きました。喪主に悔やみを述べました。故人は70代前半。今時です、若くして、ではあります。斎場を後に。自宅にとんぼ返り。家に戻ると、義弟が帰省するとのこと。車を貸して欲しいというので、杣夫のそれにロードバイクを積みこみ、妻の実家へ。カギと車を乗り捨て、自宅まで10kmをサイクリング。とっぷり、日が暮れました。 シャワーを浴び、夜のお勤めです。久しぶり、日本酒の一升瓶を開栓。 やっぱり杣夫は生酒が好きです。 純米の原酒です。この色合い。うーむ、甘露甘露。 当ては昨日拵えた煮付け。身離れがよく、酒によく合いました。いい気色になって映画をもう1本。「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期 - マリオ・プーゾ原作」です。パート3を改編。途中で沈没。明日以降になります。
2024年11月02日
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Friday,November 1,2024 毎度のことですが,1週間経つのが早いです。写真は10月28日の朝刊各紙です。全紙とも見出しがぶち抜きになっていました。紙面の至る所「政治と金」の字句を見てとれましたが、選挙期間中をふり返って、どの政党もウクライナ、ガザ・レバノン、イラン・イスラエル等、戦渦を止める主張が記事はなかったような。私はトランプ氏を支持しませんが、彼だけが「私が大統領になったらウクライナの戦争を24時間で止めてみせる」と言っています。ほんとかいな?そう思っていたら、某放送局のラジオ解説者が「トランプはウクライナ全土をロシア領土として認める」と喝破。なーんだ。 さて、その先週日曜日は従姉妹が亡くなっての通夜でした。杣夫より20近く年上です。太平洋戦争開戦の年に生を受けた計算になります。父の名で生花を送りました。 葬儀は週半ばの水曜日。会社を昼前に抜け、斎場に向かいました。寺は臨済宗妙心寺派。和尚4名がこれまで聴いたことのない大声でした。觀音経もここまで怒鳴るよう読まれると、利益のあるかも。 大和尚の喝が入って会葬者が順番に焼香。それの終わると、引き続いて初七日の読経。40分ほどで全てが終了しました。 この日は、精進揚げがありませんでした。葬儀場の玄関口で折を受け取りました。それが代わりでした。受け取り帰宅。写真を撮り忘れましたが、3〜4人前の量、豪華なものでした。美味しいところ、父の好みを妻が皿に取り分け、父に届けました。 写真は拙宅庭に咲いた梅花一花(バイカイチゲ)です。 こちらは瑠璃雛菊(ルリヒナギク)。杣夫からの供えです。安息あれ。さて、今日から11月です。早く寒くならないかな。霜月の声を聞くと,そんな気持ちになります。というのも,拙宅唯一の自慢である薪ストーブに火入れする日が近づいたな、金木犀の香りを嗅ぐとなおさらです。無音の炎がゆらゆら、鋳物のそれからじわり伝わる暖かみは,石油や電気ストーブのそれ,エアコンの暖気とは違う,ほのぼのとした癒しを醸します。 薪の手当てはできています。しかし、杣夫の勤務する会社にはまだ半袖男がちらほら。寒くありません。ということで、ストーブへの火入れは早すぎる、逸る気持ちを抑えました。そんなことを考えていて勃然、ハッとなりました。そうだ、季節の移ろいが遅いのは、ストーブの番人がいないからだな。 嗚呼、突然トラの姿がフラッシュバック。帰宅して勝手口を開けた時も、そこにトラの座る幻影を見たり,玄関を開ける時,思わず脱走に気を遣ってしまったり。写真は在りし日のトラです。まさに火の番人でした。ストーブを焚き始めた時、またお前を思い出すんだろうな。寂しいな。 湿っぽい話になりました。話題を変え,今週末から来週にかけ,行われる杣夫のクラスまちのイベントをいくつか紹介します。写真一枚目は11月9~10日に行われる全国豊かな海作り大会のポスターです。先日、東京出張の折、大分空港のロビーに懸かってありました。式典会場は大分市と別府市ですが、私のまちもサテライト会場になっています。放流行事等があります。皇室も来県します。この大会43回を数えますが、第1回大会は大分県佐伯市が会場となりました。 もう一枚は明後日、11月3日日曜日に号砲、九州実業団毎日駅伝競走大会です。佐伯市中央病院陸上競技場をスタート・フィニッシュします。上位8チームは来年元旦のニューイヤー駅伝の切符を手にします。観戦に行きたいですが、杣夫は会社関連の仕事あり、能わずです。 つらつら勝手なことを書いていて、腹が減りました。今日は金曜日。花金ですが、父の夕餉を世話、加えて妻がコーラス。独り飲みの夜です。会社を午後5時過ぎ退社。真っ直ぐ帰宅。家に着いたら妻曰く「今日、知り合いから海老の斡旋があり、買ったのよ。冷凍したわ。そしてね、おまけに魚を貰ったの。料理して頂戴」底曳で漁獲なのでしょう、弱っていましたが、もったいない。全て始末することに。 ということでアイアイサー。チャチャッ、鰓と腹を出し、味噌汁と煮付けを拵えました。正味30分の作業です。何事も鈍間の杣夫ですが、魚料理だけは手早いんです。 完成品は明日以降に回しました。今夜は徒然草、最明寺入道を真似て味噌を当て、甲類のアルコールを流しました。 こちらは数日前から毎夜続くポテサラです。大衆酒場の付け出しとして定番。妻が拵えてくれたのでした。これ、手間のかかるそうです。 はい、茄子も続いていますよ。秋めいて実の細くなってきました。焼き茄子もこの通り痩せています。剥くのが大変だろうな。 最後は今日の写真です。同僚のカナダ旅行土産です。メイプルシロップとクッキー。娘さんがその国にワーキングホリデー中とのこと。同僚は夫婦してトロントを楽しんだようでした。杣夫も行きたいなー。
2024年11月01日
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Saturday, October 26, 2024 折角の週末なのに曇天でした。ウィークデー、父のおさんどんは妻がしてくれます。週末は杣夫が担当。といっても拵えるのは彼女、杣夫は運ぶだけですが。 ということで朝昼晩、それを届け、折々の筆談をしました。昨日届いた介護認定は要介護1であったこと、今後、各種サービスを選ぶからそのつもりでいるよう、話しました。「俺は家で死ぬ」と豪語していましたから、入浴など通所サービスを素直、受け入れてくれるか心配です。 午前はその合間を縫って、届いた郵便物の開封や書斎、机回りの整理をしました。なかなか片付きません。午後は久しぶり,Rさんを誘い散歩しました。小中尾集落の手前、Nさんの山が全伐でした。親方と一緒、山に入り、チェーンソーを回していた頃が懐かしい。少しですが、この光景を見て、腕の疼く感じもありました。 ったくもう、この切り口を見ると、情けない気持ちになります。高いところに刃を入れていますし、棘を残しています。ビジネスライクですし、他人の山なのでそれこそ「かんまんごし」なのでしょうが、これはいけません。夜、山の神が様子見に来て、この切り株に腰掛けたら、尻に刺さります。 家に戻ると、妻は未だ台所に立っていました。午前からです。茄子料理でしょうか。 こちらはできあがりの図。 おっ、焼き茄子だ。なんとも食欲をそそる色合いです。冷や酒を舐めながら、秋の夕刻を緩り参ろうぞ、そんな気持ちになりました。 しかし、そうはいきません。今夕は杣夫のまちの盛り場「うまいもん通り」の秋祭りです。弊社にも案内があり、社長の代理、来賓祝辞をしなければなりません。 午後5時前、其処を訪ねました。杣夫は挨拶が苦手、ヘタクソです。短いのだけが取り柄。それを済ませたら、お菓子撒き。 杣夫もステージに立って、ちびっ子たちにそらいくぞ。 ぶらり、通りを歩きました。曇天ですが、雨の心配は無いようでした。生ビールの販売あり。お寿司や焼き鳥を中心、通りの左右に店を構える居酒屋さんが軒先に屋台を構え、美味しいものを売っていました。 顔見知り多く、散財。写真は求めた品の一つ、締め鯵のお寿司です。500円。 おっ、射的をやっているぞ。ガキンチョに人気のようでした。 屋台物を下げて帰宅。風呂に入りプシュッ。日本酒が底を突いたので、焼酎のお湯割りで求めた当てを流しました。バタンキュー。
2024年10月26日
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Friday, October 25, 2024 10月も下旬というのに、未だ半袖Yシャツ姿の杣夫です。 先週の日曜日、ツール・ド・佐伯の日でしたが、その日だけ晴天。その後は水曜日のみ晴れ間の覗いただけ。今秋は、鬱陶しい日の連続でした。仕事の方もバタバタしました。報連相を受けたり判子を押したり。とんぼ返りの東京出張もあり、疲れ気味です。 プライベートでは司法書士事務所を訪ねたり、N医療センターを訪ねたり。天井の張り替えもしました。 あっという間の1週間でした。そのあれこれを以下に。 茄子が勢力を盛り返しています。根切りと施肥をしたせいでしょうか。幾分小ぶりですがこの通り。 味噌汁に入れたり、焼き茄子だったり。パクパク食べています。ふり返ると、この夏、茄子攻勢のブログアップは少なかったかと。勲章「日本一茄子を食べる男」は今年に限り、返上です。写真は塩で揉んだだけの茄子。これ、絶品なんです。朝ご飯のお供。 茄子のことを書いたので、菜園のことを少し。 平日は仕事。日の短くなり、帰宅して野良に出ること能わず。父の家周り、周囲の草刈りや旧西瓜畑の耕耘を週末に。ということでこのところ、菜園のほうはほとんど手つかず(偉そうに書きましたが、自転車遊び(ツール・ド・佐伯)に参加する暇の杣夫ではあります)。妻も父の世話に感け、植わっている青物を摘むのが関の山。小松菜やキャベツ、菠薐草までが虫の野郎にやられています。写真は妻がそれらを間引いて拵えたナムルです。ごま油の香りが堪りません。冷酒で流しました。 戻ります。木・金と東京に行ってきました。霞ヶ関に要望。九州内同業他社の社長副社長数名に交じって親会社の某所を訪問。杣夫も弊社の懸案を伝え、特段の配慮をお願いしました。意見交換は午後6時を回りました。お偉方に混ざってのやり取りは疲れます。 腹が減りました。ビールを飲むか。午後7時、銀座に出ました。写真は目に付いたショーウインドウです。珊瑚、貝、海星、蟹、シーホース・・・。酔散の烙印がある杣夫です。惹かれたのでした。それにしてもです、うーむ・・・、この服、値段のタグが付いていないな。いくらするんだろうか。杣夫の給料1ヶ月分で買えるかな。妻に、いや娘に似合うかな。足を止め、そんなことを考えました。 いやいや、杣夫の家族は花より団子です。魔の差して購入したら叱られる。止めておこう。 喉の渇きが増しました。ライオンで晩ご飯。この雑多な雰囲気が仕事の凝りを解いてくれます。 ホテルに戻りバタンキュー。 明けての朝は金曜日、今日でした。飛行機は午前の早い便でした。午前6時、朝食会場は混み合っていました。この態です。長い行列でした。外国人の多いこと。 午後1時過ぎ、会社に戻りました。決裁の棚に書類が溜まっていました。羽田で買った茶菓子を秘書課に置いた後、判子押し。それを済ませ、その後の予定無しを確認、1時間ポカ休をとりました。 いつものスーパーへ突っ込みました。鮮度のいい潤目があり、梭子魚、鯵ととも、それを買いました。写真はそれを煮付けるの図。妻が拵える父のおさんどん、その一品として役立ちます。 こちらは鯵の塩焼き。 勿論鯵刺しも。冷酒で流し、バタンキュー。
2024年10月25日
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Sunday, October 20, 2024 曇りのち晴れ。 夜来の大風、日中も吹き通しました。 午前4時起床。キャノンデールシナプスのタイヤに空気を入れたり、チョコバーやタオルをリュックに詰めたり。ヘルメットにナンバーを張り、軽トラにそれらを積み込みました。そうなんです、今日はツール・ド・佐伯当日でした。 一枚目の写真は、ゲストの飯島誠氏です。彼は知る人ぞ知る有名人。過去、シドニー、アテネ、北京、各オリンピックの自転車競技に出場、プロ選手としても輝かしい競技歴を誇る方です。ブリジストン社員の傍ら、ツール・ド・フランスなどJsportsのサイクルロードレース解説をなさっています。昨晩(土曜の夜、戦没者追悼式の日)、有志参加による歓迎パーティーの席上で一緒しました。 彼とは昨年5月、皇居を一周した際、面識を得ました。懐かしい再会です。写真はその折のツーショットです。 戻ります。午後7時半、会場に到着。この大会は190km、163km、102km、75km、40kmの5コース設定です。午前8時にスタート予定、190kmを走る選手の皆さん、既に陸上競技場に整列していました。彼等、その距離をして鉄人ではあります。 おっ、ゲストの飯島さんだ。彼も190kmを走ります。その向こう、青いユニホームは、工藤友美さんです。私のまちの自転車PR大使【SAIKI CYCLE Ambassador】です。本業はJCOM大分ケーブルテレコムのアナウンサーです。彼女、プロ顔負けの体力とスピードです。機会ある毎、当地のサイクルイベントを応援、支えて頂いています。ちなみ、マイクを持つのは弊社社長です。 杣夫は75kmコースに参戦。これまで102kmを走っていましたが、練習不足に加え、60代後半の年齢。年寄りの冷や水になってはいけません。控えました。次の写真は二つ目の激坂を終えた私です。場所は空の公園。眺めは絶佳でした。 さても自転車のロードの大敵は風です。今日はそれに悩まされました。コースの大半はリアス式の海岸線です。岬を回る度、向かい風と追い風の繰り返しでした。打ち寄せる波が岩に砕けるの図。 消波ブロックの無いところはこの通り、道路に飛沫を打ち上げていました。運の悪い選手は潮を被ったかと。 これが完走証です。氏名と時間は参加者記入でした。 ところでこの大会、1,300人あまりが参加しました。写真は駐車場ですが、ナンバーを見たら、九州各県からの車が多かったです。サイクルスポーツを嗜む方はリッチなのか、高級車が目立ちました。写真の中程、軽トラで自転車を持ち込んだのは杣夫一人でした。 も一つ、この大会の特徴を。コースの風光明媚とは別、その人気はエイドです。写真は米水津特産の丸寿司。これ、美味しいんです。杣夫の好物。赤紫蘇の風味絶佳。空の公園でそれを食べ放題。 こちらはシラス弁当。釜揚げのそれをオカカの載ったご飯に掛けて食べると、格別です。 ゴールの会場にはこれがありました。 次から次、戻ってくるチャリダーに温かいものをということで、その場で実演。 はいどうぞ。これ、最高でした。 今日の写真はマドちゃんです。彼女、私のまちの自転車活用推進事業を担当しています。イエローネイルが素敵、頑張り屋さん、明るい性格、皆に愛されています。
2024年10月20日
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Saturday, October 19, 2024 昨日、弊社の決算認定を受ける株主代表の会議が終了しました。水曜日から昨日まで2日半、缶詰でした。営業成績の有無を指摘されることを予想、各営業部は準備に怠り無しが求められます。 ところで、株主を迎えての会議には、ジンクスのようなものがあります。緻密にチェック、備え十分だと質問がありません。鷹揚に構えていたら質疑に立ち往生。そうなると目も当てられません。弊社、地方にある会社ですが、株主や取引先に対するサービスとして、会議をネット配信していますから、面目丸つぶれになります。 ということで、それの終わるとやれやれ、一段落の気持ちになります。昨日がそうでした。よし、花金だし、折角なので魚喜家に突っ込んで一杯やるとするか。しかし、そういうわけにはいきません。一昨日から妻不在。父の世話と杣夫の非協力的態度を立腹、逃げられました。家に戻り、父の面倒をみないといけません。エヘヘ。赤嘘です。 妻は、劇団四季のチケットと東京の滞在を娘にプレゼントされました。半年前からの予定でした。2泊3日、親爺のおさんどんと洗濯掃除から離れての小旅行。楽しんでくれたらいいな。昨夜は娘と息子、3人で会食したようでした。 ということで杣夫はその間、父の食事を誂えました。といってもほとんど全て、3日分を妻が作りおいてくれました。杣夫はチンして運ぶだけ。頭が下がるというか、上がりません。写真はその彼女が拵えた栗の渋皮煮です。甘さ控えめ、一昨日の朝食後、ペロリやってしまいました。 さて木曜日、午後5時を過ぎ、Y新聞のH記者が杣夫の話を聞きたい、やって来ました。俳優・西田敏行氏の訃報に関連して、でした。もう何年も前、杣夫のまちに「釣りバカ日誌」のロケ隊がやって来ました。まちを挙げての歓待をしました。弊社にロケの支援室ができました。杣夫は短期間、その組織の係長を拝命。名刺の肩書きは「釣りバカ係長」懐かしい思い出です。あれこれ西田氏のエピソードを話しました。明けての金曜、その新聞の社会面に杣夫の懐述が小さく載り、嬉しかったです。次の写真は当時、部屋の前に掛けていた看板です。杣夫が鉋を掛け、字を書いて提供しました。ロケ隊離佐の折り、その看板に俳優の皆さんがサインをしてくれました。「バカ」の文字横、右のそれが浜ちゃんのサインです。その下が竹内力氏、さらに下が常盤貴子さん、左は三國連太郎さん。山本太郎氏はこの日不在でした。余談です。監督や映画を支えた方々のサインも裏にあります。 ネタ切れです。写真は昨日金曜日の夕刻、会社に来客あり。その方々が持ってきたノンアルの甘酒です。 ここで説明を以下に。 杣夫の暮らすまちは、少子高齢化、人口減少、過疎の波に洗われる地方都市です。今後、集落にあって各世帯は隣近所の関係が希薄となり、暮らしにくい社会になる恐れがあります。現にその傾向です。それを防ぐ為、共助の役割を帯びた組織、概ね中学校区単位、合併前の旧町村を単位としてコミュニティ組織を立ち上げる取組を進めています。しかし、それは弊社の押しつけであってはなりません。弊社が、自ら考え、必要と考える株主の皆さんの取組に対し、人とお金をもって支援するというフレームです。 説明が長くなりました。お見えになったのは、その取組に関し、先行するA地区の皆さんでした。自主財源を確保するため、その地域に栽培の無農薬米を使い、甘酒を拵えたとのことでした。一口頂きましたが、とても柔らかい舌触りでした。これ、ふるさと納税の返礼品として使えそうです。なにせ無農薬米を使っていますから。 戻ります。花金も家飲みでした。酒保が底を突き、いつものスーパーでこの手を買いました。刺身もパックもの。これまで妻不在の折もトラがいて、一緒してくれていました。二日間、夜を一人で過ごし、改めて彼の死んだのを実感。寂しさが身に沁みました。オビが帰ってこないかな。 明けての今日は、杣夫のまちの戦没者追悼式。喪服を着、雨の中を出かけました。佐伯市の戦没者は4,178人です。社長、来賓、遺族代表がそれぞれ哀悼の言葉を述べました。それぞれの中に反戦平和と昨今の焦臭い、いや既に生じている戦渦への憂いが含まれていました。皆さんに続き、杣夫も献花しました。祭壇に白菊を手向けるとき、サイパン島で戦死した伯父のことが頭を過りました。私も、遺族と言えば遺族なのです。
2024年10月19日
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Wednesday, October 16, 2024 昨日は終日デスクワーク。今日は年に1度、この時期に連続3日間開催、弊社の決算会議のあって、その初日でした。週末、野良仕事に身体を痛めつけられたので、デスクワークはその意味では休養となりました。加えて今日は、午後7時からUNIONもありました。帰宅は午後10時前。何だかなぁ。プシュッとやってバタンキュー。写真は出勤前の拙宅庭先です。早くも金木犀が散り始めました。 次の写真は来る11月16日(土)、杣夫のまちに開催のプロレスパンフです。覆面レスラーのスカルリーバーさんが昼休み、弊社を訪ねてきました。なんでも「プロレスで地域活性化!プロレスで青少年育成!」なのだそうです。「ジモプロ(OITA JIMOTO PROーWRESTLIMG)が主催。入場料無料とのこと。 頂いた名刺によると、スカルリーバーさんは、なんと県都大分市の市議会議員だそうです。そんな方が大分にいたとは知りませんでした。 立ち話に杣夫が若い頃のレスラー名を挙げたところ、嬉しそうに頷いてくれました。ルーテーズ、力道山、鉄の爪E・H・エリック、ドリーテリーファンクジュニア兄弟、モンスターロシモフ、ビル・ロビンソン、ミスター珍、豊登、ストロング小林、サンダー杉山、グレート草津・・・。まだまだ覚えていますよ。中でも贔屓はタイガー・ジェットシン。セコンド若松のファンと言うと、彼曰く「若松さんは北海道で議員をしているよ」 そう返されました。へーっ、そうなんだ。次の写真は杣夫とのツーショット。胸板が厚いなぁ。
2024年10月17日
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Monday, October 14, 2024 スポーツの日、晴れのち曇り。 午前7時前、ピンポーン。 玄関に大きな声で「SのYっちゃんですが」 中学の同級生でした。その彼に、先日、いつものスーパーで遇いました。彼は、天下の清流番匠川の堤防に蔓延る草を処理運搬する仕事に就いています。春から秋にかけ、長い距離を草刈り。その草如何、声をかけてくれたのでした。有り難い、二つ返事でした。今朝、ダンプに積んで、持ってきてくれたのでした。畑の隅に降ろしてもらいました。一年経つと発酵、いい堆肥になるのです。 余談です。彼の奥さんはいつも突っ込むスーパーに働いています。其処の巻寿司や稲荷は絶品。彼女が拵えています。花金の夕食、自己完結の日、杣夫は彼女の惣菜を買うこと多し。 朝ご飯の後、昨日不如意だったトラクターに取り付きました。KのS君にTEL。彼は近所に暮らす農機具の専門家。杣夫の一学年年下です。高校卒業後、定年まで有名農機具メーカーに働きました。今も嘱託、農家回りをしています。彼にエンジン始動のアドバイスを貰いました。コツを教わり、事なきを得ました。午前、草茫々だった旧西瓜畑を耕耘。今夜から雨です。その前に終え、一安心です。写真はその図。右にYっちゃんが運んでくれた枯れ草が写っています。 午後は、西瓜畑の中央に敷き込んであったカーペットの除去。通路に草を繁茂させぬよう、20年ほど前に父が敷きめぐらしたのです。今はその役を果たさぬどころか、トラクターで耕耘する折、爪がそれを巻き込んで始末に負えません。草刈り機を回す折も、刃にそれが絡まり、作業を中断することしばしば。思い立って、全部剥がすことにしました。この作業、難儀を極めました。鍬と熊手で掘り出しました。土と草の付着しています。とても重いので、長いものは鎌で切断。 これだけの量を始末。汗びっしょりになりました。 折角なので、その部分を合わせ、もう一度畑全体を耕耘。地下足袋を脱いだのは午後5時を廻りました。 トラクターの燃料が底を突きそう。ガソリンスタンドに回り、軽油を補給。其処のお兄ちゃんが「軽油は腐りやすいから、早く使ってね。目安は半年ですよ」 へーっ、そうなんだ。写真は20リットルを補給、猶タンクに余裕がありました。 折角なので、久しぶり、Rさんを誘い、散歩しよう。彼とは1ヶ月ぶりでした。彼はホークスファンです。カープの失速や大相撲、来年は大の里が横綱、そんな話をしました。彼は数日前、蜂蜜をくれました。雑蜜ですが、絶品なんです。彼の趣味は養蜂。散歩の終わりに茄子をあげました。海老で鯛の杣夫です。エヘヘ。 シャワーを浴び、取るものも取り敢えずプシュッ。 当てはトコブシです。 妻の漬けたピクルス。自慢話ですが、何れの野菜も拙宅菜園に穫れたもの。 メインは豆腐入りのハンバーグ。「洋食を嫌うお父さんも、これなら父も食べることができるわ」 妻手製です。バタンキュー。 今日の写真は近所、FのS兄に貰った薩摩芋です。今日収穫したとのこと。嬉しいな。
2024年10月14日
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Sunday, October 13, 2024 3連休2日目、快晴が続きます。午前4時起床。Direct Radio Classiqueを流しっぱなしがいい感じです。こういうのがあると、杣夫としては、レコードやCDコレクション、全く用を為しません。スマホ或いはタブレットとアンプを接続、タンノイで聴く音にも遜色なしです。以下をクリックすると、フランスのそのサイトが開きます。 Direct Radio Classique 朝餉を済ませ、運動公園へ向かいました。昨夜に続き、今日の午前も仕事の一環でした。少年相撲大会に社長代理、開会式の挨拶をしに、でした。杣夫はその手が苦手です。しどろもどろにならないよう、気をつけないといけません。スピーチをした後、高学年の団体戦を1時間ほど観戦。大相撲本場所さながらの熱戦が展開されました。各チーム大勝同士の取組には水の入りそうなものもありました。目立ったのは女子の活躍でした。小兵ながら前に前に、ガッツのある少女に拍手喝采。別に敗れて涙する少女もあり、子どもの相撲は真剣勝負です。いいものを見せてもらいました。 こちらは土俵を後にしてのラグビー場です。少しの時間、高台から覗きました。少年たちのゲームですが、様になっていました。ラグビー人口も増えたのかな。 次の写真は帰り道、南中学前の水田です。普通作の刈り取りが終わり、藁を干す作業をしていました。藁は畜産の必需品。それが近年、農家が肉牛を飼うことを止めたせいで、この光景は見なくなって久しいです。 木立の沖田に飼料米のロールが転がっていました。これは恐らくN牧場のものです。N牧場は近所にあります。酪農、牛乳の生産と肉牛の繁殖・肥育、両方を営んでいます。3代目が頑張り、4代目は私の通った大学に在学中です。農学部なのかな、後を継ぐのかな。そうなるといいな。 家に戻り昼食。父のおさんどんは妻が拵えますが、休日に届けるのは杣夫です。朝餉の食器が食卓の上にそのままとなっていました。流しに置いて水をかけておくよう幾度も言っているのですが、そうしてありません。今日、繰り返しそれを促したら「そげなよだきいことはしぇん!(そんな面倒くさいことはしない)」 虫の居所が悪い折りは万事この態です。仕方ありません。妻にそのことを話すと「私、洗濯物持ち帰るときも掃除のときも、万事そんな返えされ方をされるわ。今頃気づいたの、あなた?わかってないわ!」 父に言われ、妻に言われ、青菜に塩の杣夫でした。鈍感の杣夫が儘ではいけません。妻の苦労、きちんとわかるようにならないといけません。 午後は野良着を着ました。旧西瓜畑の刈草、その残りを始末しました。トラクターで其所を耕耘しよう。ん?トラクターの横に草が伸び放題だ。先にそれを始末しよう。 草刈り機でやっつけました。 次はトラクターです。しかし、今度はエンジンがかかりません。ジャンプスターターの接続をあれこれ試しました。小一時間格闘しましたが、うんともすんとも。諦めて、茄子の根切りをしたり、野菜畑の周囲に蔓延る草を刈ったり。日の傾いて地下足袋を脱ぎました。振り仰ぐと金木犀が満開でした。 いい香りです。拙宅敷地内に7~8本、植わってあります。釧路のMOOに1本寄付しようかな。でも軽トラで運ぶのは面倒だし。止めておこう。 シャワーの前、水道組合総会の案内を各世帯に配布しました。30分ほどかけ集落内をとぼとぼ。嗚呼、今日も疲れたな。 風呂で汗を流しさっぱり。プシュッ。その後は冷酒の300ml瓶を2本。当ては出来合いの刺身でした。いつものスーパーが特売日。これだけが1ラーしません。別にシロサバフグの刺身も。 これは妻が拵えてくれたちりめんじゃこ入りの卵焼き。色合いが悪いので写真はダメよ、といわれました。しかし味は絶品、日本酒にいいマッチングの当てです。バタンキュー。 今日の写真は作業小屋にできたスズメバチの巣です。突いたり触ったり、こちらが悪さをしなければ、向こうも特段、こちらに向かっては来ません。小屋の中に入っても、杣夫の身体近くをブーン、すり抜けて出入りしています。彼奴等、これから咲く茶の花蜜を採取するようです。寒くなり、それの終わると、杣夫がこの巣を壊します。
2024年10月13日
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Saturday, October 12, 2024 晴れ、午前6時起床。疲れていたのか、床を離れる時刻が下がりました。 朝餉をして午前8時過ぎ、野良に出ました。草の蔓延り始めた菜園を耕耘。溝を拵え、牛糞と化成肥料を投入。土を被せたところにキャベツ、ブロッコリー、白菜を植えました。屈んで穴を掘る際、腹がつかえ、苦しかったです。写真は植え終わるの図。向こう側の黒土です。 父に朝餉を届けた妻も手伝ってくれました。写真は彼女が間引いた小松菜です。虫に食べられていますが、それは無農薬の証。丁寧に水洗いしたら、彼奴等の食べ残しでも構いません。 次いで、旧西瓜畑に刈り置いた草を軽トラに積みました。除いておかないと、トラクターの爪に巻き込んでそれを解くのに往生しますから。汗びっしょりになりました。 シャワーを浴びました。プシュッといきたいところでしたが、今日は午後仕事というか、隣まちから招待を受け、能楽鑑賞の予定が入っていました。写真はそのプログラムです。 車を走らせ、午後4時、会場に着きました。ホール前には幟が林立。まちを挙げ、能の公演を続ける心意気のようなものを感じました。 開演に先立ち、膳に直りました。今日の為に誂えた弁当でした。 蓋を開けたらその通り、このまちの名物がてんこ盛り。地酒やクラフトビールなども饗されましたが、杣夫は控えました。運転がありますから。 これは開演前の舞台です。よく幽玄と表現されますが、今日のプログラムはその色合いが薄い、むしろ万民受けの内容だったかと。それにしても言葉がわかりにくい。 帰宅は午後10時前になりました。土佐鶴の300ml瓶をやっつけ、バタンキュー。明日も午前に仕事があります。野良の続きは戻って午後に、だな。
2024年10月12日
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Friday, October 11, 2024 晴れ。明日からの3連休も、秋の風情、爽やかな青空となりそうです。 それにしてもの金曜日、一週間経つのが速いです。あっという間でした。某日夕刻、大分市で開かれたパーティに代理出席、いつもの名刺交換が有り難い。面識の広がり、交わす会話が知見を広げてくれます。そんな日は帰宅が午後9時前後。県都に出かけ、夜の部があると、どうしてもその時刻になります。写真は一昨日、遅い帰宅が妻の夜鍋に出くわすの図。何を拵えるんだろう。 やっ、ゴーヤをスライスしてあるぞ。また酢漬けにするのかな。 そして今日はその花金。途中、いつものスーパーへ寄り、塩焼き用と刺身用、鯵を買いました。今晩の当ては妻が拵えてくれていたので、魚は明日に回します。久しぶりにブランデーを舐めてバタンキュー。 今日の写真は、神奈川近代文学館特別展のパンフです。月一、横浜在住のHさんが銀座百点他を恵送してくれます。今月便の中に混じっていました。安部公房展です。キャッチコピーは「21世紀文学の基軸」三島由紀夫と同様、生きていたらノーベル文学賞受賞間違いなしと言われた作家です。彼の作品、新潮近代文学に掲載「砂の女」他短編を幾つかしか読んでいません。杣夫にとってはその文学性よりも、山口果林との愛人関係にあったことのほうが強い印象です。彼女、素敵だったな。それとは別、ウィキで作家の人となりを調べ、交友、世界の広さに驚きました。 さて、10月も半ばに差しかかろうとしています。札幌から戻って10日あまりが経ちました。あまり引きずってはいけません。以下に札幌編の最後を。 大学キャンパス内のセコマでアイス棒を購入、それを食べて、うーん、足が棒になりつつありました。この辺りで堪えてやろう。写真は銀杏並木です。ポプラ並木の人気を押さえ、有名になりました。そこを北12条駅に向かいました。 地下鉄に乗って、日の傾きかけた時刻でした。もう一度、大通公園のオータムフェストを冷やかしてみよう。そのイベント、今日が最終日だし。札幌最後の一日を締めるにはいいかも。会場は賑わっていました。 先ずはビールだな。牛串と生ハム、チーズが当てです。 ジャズ演奏の始まるという会場のテーブルに座り、ゆるり、泡を流しました。上を見上げると、緑を通しての青空がいい感じでした。嗚呼、この空気感、この頃合いが長く続くといいな。 会場にはクラフトビールの看板がありました。へーっ、北海道にはこんなに沢山あるのか。 こちらはワインのそれです。何れこの会場で飲めるそう。 皆さん、夏を惜しむよう、いや行く秋を楽しむよう、でした。 この手のお店はなんだか寂しそう。大通公園、50年近く前はこれが定番でした。街がオシャレになっていくにつれ、焼き玉蜀黍は時代遅れ、ダサくなっていくのでしょうか。 おっ、公園の中にホップが植わっているぞ。 手に取るのは初めてです。香りを嗅ぎましたが、匂いませんでした。 フェスト会場を後にしました。折角だから狸小路にサヨナラしよう。7丁目の方に向かいました。ここまでくると、少し昭和の名残を感じます。写真は名曲喫茶ウィーンのあった場所です。閉店し、跡形無しでした。 近くのショーウィンドウにビクター犬を認めました。これも懐かしい。 さてと、いい時刻になりました。ススキノを練り歩いてみるとするか。髭の交差点に足を向けました。 この場所に佇み、勃然、もう面倒だな、梯子酒は。その思いが頭を過ると、いけません。荷造りをしないといけないし、ホテルに戻ろうか。最後の晩は部屋に小旅行のメモを整理をしながら、一人酒盛りがいい。明日、二日酔いの道中は辛いしな。そうしました。道新のチェックとA先生への葉書下書き。 ビールの当ては三越の地下で求めた牛すじ煮込みとローストビーフ、胡瓜の焼酎漬けも1本。おにぎりと泡は近くのコンビニで仕入れました。バタンキュー。 明けての30日は月曜日。リーマンの行き交う札幌駅から新千歳空港駅へ。其処で土産を買いすぎて失態となったことは既に書きました。写真は空港ラウンジから見た東方向です。中に認めること能わずですが、夕張の向こう、かすかに日髙山脈を見てとれました。あの向こうは十勝、その向こうは釧路だな。嗚呼、遙かです。 羽田について、小腹が空きました。鮨とビールはいけません。大分空港からの運転があります。ラーメンを啜りました。 新千歳で求めたハスカップ水がいい感じ、ラーメンの脂を消してくれました。 次の写真は大分向けの機内からです。雲海を見ると、どうしてもゼロ戦に乗った特攻兵のことが頭を過ります。阿川弘之「雲の墓標」が頭に染みついているからです。 やっ、富士山だ。写真ではそれと気づきにくい、半分が雲に隠れています。 こちらは霞む明石大橋。今年1月、飲み仲間と小旅行、この橋を渡ったな。 ん?翼の向こうに虻?ピーチの機体でした。 ということでお終い。どうということの無い、小さな旅のレポでした。
2024年10月11日
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Thursday, October 10, 2024 晴れ 火、水、木、この数日、バタバタしました。連日、大分向けの仕事あり、帰宅時刻が遅くなりもしました。プライベートの方では、父の介護認定あり。おさんどんの妻が立ち会ってくれました。以下は妻に聞いた話です。 担当の方が見えると、驚くよう、父が元気を出し、ビックリした。普段は覚束ない歩行、屋外には滅多と出ない。それが「歩いていますか?」の問いに「はい、絵が趣味で、小学校(1kmほどの距離あり)の方に出かけ、スケッチをしています。アハハ」どの口が言っているのか、あれこれの質問に万事この態だったそうです。 ということで、ブログネタはこんなことしか思いつきません。写真は茄子です。朝晩、めっきり涼しくなり、この野菜、そろそろ終わりだな。形が小さくなっています。 その茄子攻勢、今年は、例年より少なかったな。今夜に出た焼き茄子です。 もう一品がこれ。ピーマンとオクラは自家製です。後者は終わりました。伸びて硬くなった茎を今週末始末予定です。 これはゴーヤの甘酢漬け。苦みもこうすれば漬物代わりとなります。 食後、妻はピーマンの肉詰めを拵え始めました。渡しはバタンキュー。 今日の写真は父に届いた歴史資料館特別展のパンフです。「絵図でめぐる佐伯藩の村と浦」と題し、所蔵の品を公開。画像では判りにくいですが「木立村」の文字も。 こちらは裏面です。毎日、展示解説を2回するそうです。私のまちには、その業界で有名の学芸員K君がいます。彼の説明を聴いてみたいな。 それでは間延びしましたが、札幌小旅行の続きを以下に。 札幌3日目。未明に目が覚めました。昨日、A先生の見舞いと同窓会、訪札の用事を済ませました。明日は帰省、現実に戻るための飛行機を予約してありました。今日一日フリープラン、札幌の空気を満喫しよう、夜の白んで、朝食前に散歩をしました。午前6時前、ホテルのロビーに下りました。その時刻、そこは閑散でした。 この扉を押して外に出ました。スズランがトレードマーク。 ああ、この空の青さと澄んだ空気、これこそ札幌だ。HBCビルの横を急道庁レンガ向けにぶらり。 構内を歩こうと思いましたが、まだ開門の時刻になっていません。塀の外から眺めたら、少し色づき始めていました。 外構に沿って歩くと、やっ!エゾリスだ。小道にこちらを向いて佇んでいました。カメラを向けた瞬間、走り去っていきました。うーむ、中心部、官庁街にリスの棲む街、何が流石か分かりませんが流石札幌です。 歩を進め、植物園に至りました。折角だから此処を一周してみよう。碁盤の目状に走る道路には、日曜日のこの時刻、車の通りがありません。時折、ジョギングやインバウンドと思しき大きなスーツケースを転がす人を見かけるだけでした。昇ってきた太陽に輝くビルを見ながら澄んだ空気を胸いっぱいがいい感じでした。 園は低い鉄柵で囲まれていますが、中を窺がうのに問題なし。高さ1m程ですし、柵自体が視界を遮らないように出来ています。デルフィニウム・エラツム、マルハフジバカマ、アコニタム・バリエガタム・・・、ハーブやトリカブトの仲間でした。写真はその中にあってひと際のオオムラサキツユクサです。ホソヒラタアブが蜜を求めての図。なんとも可愛く健気です。 や、キツネがいるぞ。何かを狙っているようでした。 遠目なので今一つのショットになりました。 そろり、位置を変えてパチリ。うーん、素晴らしい、これも街中にある植物園、原生林の残り、中にキタキツネの暮らすとは。やっぱり流石です。 早起きは三文の得と言いますが、図らずもエゾリスとキタキツネを見ることができ、得をした気分になりました。次の写真は帰り道に見つけた北方4島返還の看板です。ほかにも「重ねる対話つなげる熱意で四島返還」というのもありました。なんだか悲しいものを見たような気分になりました。昨今の国際情勢、とりわけロシアの横暴です、返還の空気醸成どころか、悪い方悪い方に向かっているような。 ホテルへ戻る道、その時刻には旧道庁の門が開いて、中に足を踏み入れました。最前の池に朝日の射して、銀杏の葉が得も言えぬ色合いになっていました。これも札幌カラーと言えば言えなくもありません。少なくとも大分・佐伯には無いな。 午前7時を過ぎての朝食。昨日とは異なる朝食会場をチョイス。食べ放題にオカワリを繰り返し、腹がパンパンになりました。欲張りの杣夫です、これでもう昼食は食べなくて済むな。エヘヘ。部屋に戻り、AIR・Gを聴いていてウトウト。寝入ってしまいました。気が付くと正午前。やっ!折角の午前を潰してしまった。シャワーを浴び、さっぱりしました。さあ今日が最後、SAPPOROの空気を感じよう、仕切り直しです。再びホテルを後に。北海道博物館を冷かそうか、それともモエレ沼公園に足を延ばそうか。いや、午後のひと時、大学構内をぶらりするだけで充分だな。てくてく、北向きに歩きました。写真は札幌駅です。建物が素晴らしいだけに、JR北海道の厳しい経営環境、各路線の廃止が進む状況下、光と影というと大袈裟ですが、光の当たっているのは札幌市だけだな、そう感じました。 駅構内を抜け、樽川通りに出ました。おっ、南陽堂書店だ。これ、杣夫の入学した時も確かあったな。50年近く前の話です。懐かしいな。 少し北に進むと、大学の正門があります。そこで記念の写真を撮り、構内へ。緑一色でした。嗚呼、堪りません、この色合い。目に沁みます。 勃然(杣夫のブログは「余談」と「勃然」が多いです)と1960年代だったか、森有正が学生会館に逗留、キャンパス内にあるクラーク会館のパイプオルガンを演奏、ひと夏を過ごしたと彼の全集にあります。それを勃然、思い起しました。哲学者とバッハ、そして北国の透き透る青空と緑、70年ほど前のことですが、いい話じゃないですか。それらのことをして強引に過ぎますが、パリと札幌、街の風情になんだか共通点があるような。ビール党はミュンヘン、札幌、ミルウォーキーと括ります。杣夫は秋のパリを訪ねたことありですが、その2都市は訪問したことがない。それもそう思う理由の一つです。 戻ります。歩を進めました。白い建物が見えてきました。在学の折は古河記念堂と呼ばれ、環境科学の大学院がおかれていました。函館の酔散を卒業後、再び札幌に戻り、ここに学ぶ同窓もいたっけ。それにしてもいい感じの建物です。木造。 農学部前の広場にこんな看板の建物がありました。ワイン教育研究センターとありました。 ワインティスティング・ラボ、オープンとありました。ラボとはlaboratoryの略語です。実験や研究が行われる場所、大学では研究室の意。なんだかアカデミックの風情です。企業なんぞから協賛を得て、北海道産のブドウやリンゴを材料、新商品の開発を手掛けているような説明でした。 が、中をのぞくと、タダのワイン試飲会場でした。折角なのでシードルと白、赤、3杯を試してみました。山ブドウの赤は、熟成に向いているような感じでした。 農学部から旧理学部にかけての広場は楡の大木が林立する、これまた木漏れ陽の射す憩いの空間です。50年近く前に比べ、木々の幹が一回り太くなったような。余談です、この広場奥にテニスコートがあったような記憶があるのですが、今日はそれを見つけることができませんでした。というのも、宇宙飛行士毛利衛氏が工学部の教官だったころ、ここでテニスに興じていたことを本で読んだことがあるからです。ちなみに氏のここで研究は札幌市の粉塵対策。当時、冬場の自動車タイヤはスパイクが主流。そのビスがアスファルトを削り、粉塵の生じることを解明、のちのスタッドレスタイヤ開発のきっかけとなったというようなことを思い出しました。 構内のメインストリートです。ここは3年前、東京オリンピックのマラソンコースになりました。テレビ中継を見ていて、懐かしかったことを思い出しました。あれからもう3年か。 さてそのメインストリート、旧理学部の角を左に曲がると、楡の高木と芝の風情が急、薮に代わります。そこをまっすぐ行くと200m程で、この大学のランドマーク・ポプラ並木の入り口に至ります。写真をパチリ。先ず九州にはない景観です。ただし、この並木の延長はごく短く100mもありましょうか。それでもクラーク先生とこの並木を見に、観光客がやってくるのです。それにしても、午後の柔らかい日差し、透き通るような風に揺れる風情、色合いには揺籃を覚え、心地よい気持ちにしてくれました。嗚呼、来てよかった。 ぼんやり佇んでいたら、犬を連れた男性がやってきました。よく肥えたラブラドルでした。歳を訊くと8歳。脂の乗った成犬でした。慣れて「W」、名を呼ぶと私の足元に座りました。 男性は40代。世間話、接ぎ穂に最高の散歩コースですね、そう声を掛けました。彼の問わず語りは以下の通りです。 文系某学部の教官、ラボを離れることの出来ない理系の連中と違い、夏冬、大学が休みになる間は、拘束されない。私は他大学出身、住居も関東だ。年に数回、首都圏と札幌間をマイカーで行き来。この犬を連れてだよ。個々のキャンパスは最高だね。全国一と思う。妻も札幌の街を気に入っている。いっそのこと、引っ越してきたいな。 うーん、いい生活を送っています。羨ましいな。彼を見送って、メインストリートに戻りました。嗚呼、ナナカマドの実が赤い。 銀杏並木に差し掛かる前、セイコーマートがありました。うーん、キャンパスの中にコンビニとは。隔世の感ありです。折角なので、アイスバーを1本購入。歩きながらパクつきました。 続き、夜の部はまたの機会に。
2024年10月10日
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Monday, October 7, 2024 土、日、月、このところ雨模様が続きます。スッキリしない天気です。 昨日、日曜日は、その前日土曜日の野良がせいで疲れ、午前は宅内に過ごしました。ブログと読書、それに音楽。父の髭を剃りました。彼、このところ、日常生活は日毎面倒が増し、その分、あれこれの要求要望が増えてきました。髭剃りもその一つです。床屋の手順、熱いタオルをしばらく顔に当てたあと、シャボンを引き、T字剃刀で。些細なことですが、親の顔、初めて髭をあたり、感慨深かったです。明日月曜日が検診なので、その前に小綺麗さっぱりしたかったのでしょう。 この日は日曜日でしたが、午後、仕事が入っていました。大分向け。社長代理、某ホテルの大広間へ。雛壇の端に席がありました。パーティではありません。顔を見せ、1時間、先生方の話を聞くだけの内容でした。帰宅は午後8時前。往復の運転をしてくれたN君、日曜日のこの時間を拘束、申し訳なかったです。 営業車からマイカーに乗り換え帰宅。途中、いつものスーパーを覗きました。水産物の棚はこの時刻です、品薄。トコブシの煮付けを買いました。 帰宅したら、妻が夜鍋。栗を割っていました。 横の鍋に解した実が一杯。これ、きんとんにするとのこと。 杣夫はシャワーを浴び、午後9時スタート、夜のお勤めをしました。最前のトコブシと千葉・山武市に寒菊銘醸のMonochromeという無濾過生原酒。少し刺す極上の甘露で流しました。これ、頂き物です。この日、妻の友人、ピアノ教師のW子が栗拾いに来たそうで、彼女の旦那が私の高校同級生、日本酒マニア。ということで彼から私に、だそうでした。ありがとうございました。 翌月曜日、今日ですが、また新たな週の始まりです。雨模様、霧の中を出勤。 午前7時半過ぎ、会社に着いて新聞をチェック。ガザの戦闘1年や自民党の混乱が紙面を占有でした。 日中は報連相、合間に判子押し。30分早退。今日、妻が父を病院へ連れて行ってくれました。薬の処方に時間を要すということで、某薬局に処方箋を置いて帰宅。ブツを持ち帰るよう、杣夫にLINE連絡があったのです。其処を終え、プライベート案件依頼の司法書士事務所へ。次いで缶ビール一箱をディスカウントストアで求め、父が世話になるMさんのところにお礼。彼女は杣夫の従姉です。父にとっては姪。彼女の主人ととも、父の頼み、その面倒を快く、なのです。 帰宅して父を覗いたら、病院に疲れたのか、眠っていました。 風呂を浴び、一杯のスタートは午後7時前でした。父のおさんどんと通院付き添い、杣夫の夕餉まで、有り難いことです。妻に感謝です。 さて、訪札の続きです。 3日目を書こう、そう思いましたが、2日目、同窓会に関連してのエピソードあり。それを付け加えておきます。 9月28日土曜日の午前、札幌駅構内をぶらりした後、一度ホテルに戻りました。部屋にラジオを聴くとも無しに聴いて、HBCが「美香と香菜子のおさんぽ土曜日」という番組をやっていました。リスナーからの投稿を募集「あなたは週に何回なにを」がテーマでした。折角なので投稿なるものをしてみました。「昨日、九州・大分から札幌に来ました。大学の同窓会が目的です。久方ぶりの北都訪問、胸が高鳴っています。さて私の週に何回はSAPPOROビールを毎日です」 土日に昼ビーをするので、本当は週9回と書きたかったのですが(笑い)。 投稿後、しばらくしたら、なんと、それが読まれたのです。話はそれだけに止まりません。夕刻、同窓会の会場で「T君(渡しのこと)、ラジオ聞いたわよ」と、言われました。同級生、道北K市在住、ヨガインストラクターが札幌市に向かう車中に流れたとのこと。「ラジオの人が今、私の前にいる、不思議だわ」 他にも2人からそう言われました。へーっ、こんなこともあるもんだ。 写真は、その会場で配られた写真です。同学年、昭和56年3月の集合写真です。卒業直前なのに未だ白衣の輩あり。卒論が間に合わないのか、それとも院に進む為、引き続いてなのか。あっ、杣夫は最前列左から5人目。長靴作業ズボンの男です。
2024年10月07日
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Saturday, October 5, 2024 曇時々雨。 田舎暮らしは草木との戦いです。家の周囲にそれらが繁茂。始末しても始末しても、なのです。朝餉を父に届けた後、午前8時過ぎ、襤褸に着替えました。先週末、札幌に遊んだので、野良は2週間ぶり。雑事が溜まっていました。先ずは父に頼まれていた庭先、池袂の木を倒しました。伸びて樋に葉を落とし、困るのだそうでした。 倒したそれは蒸散、乾いて軽くなるのを待ちます。一部は薪にいいかも。次いで、道路に伸びた栗と柿の枝を切りました。何れもハンディエンジンチェーンソーで、でした。けっこうな量がありました。軽トラ2杯分。それを父の山に捨てました。 次の写真は杣夫の作業中、栗畑で栗を拾う妻の図。数日おき、この程度の量を収穫なのです。夜に落下のそれは、猪に食べられますが、仕方ありません。棍棒を持って番をするわけにはいきませんから。これらは彼女が渋皮煮、或いは生のまま、友人知人にあげるのです。それが彼女の楽しみなんです。 午前の作業はそれで終わりました。昼はプシュッとやった後、カレー。食後、包丁を研ぎました。2週間に一度のルーチンです。左の菜切りは有次です。妻の手にはこれが馴染んでいるようです。 午後も野良に出ました。西瓜畑だったところに草が繁茂。先日、刈ったばかりなのに、です。畜生め。草刈り機を背負い、やっつけました。ついでということで、妻の花壇回りも始末。地下足袋を脱いだのは午後5時前でした。グロッキー。草刈り機の回しすぎが腰に応えました。写真は始末の旧西瓜畑です。 シャワーを浴び、再びプシュッ。父から酒はないか、TELがありました。酒保が底を突いていました。白鶴のパック酒を届けました。彼の夕餉最中、土地贈与のことを話しました。午後6時を過ぎて水道組合の監査を受けに。幹事は隣家です。200万円足らずの予算規模。直ぐに終わりました。家に戻ったら杣夫の夕餉が食卓に。有り難いことです。カヴァを抜栓。シャンパングラスの一つを割ってしまったので、もう一つのそれは妻用。杣夫は焼酎用のコップにて。興醒めですね。 はい、その後のウイちゃんを舐める時も、でした。 さて、以下は札幌2日目のことです。 9月28日(土) 未明に目が覚めました。折角この街に来たのです、HBCとSTVラジオを交互、聴きました。道新に目を通して朝食。ビュッフェタイプ、食べ放題です。この手は何処のホテルも変わり映えしませんが、そこは北海道、ホッケの塩焼き、鮭のルイベ、烏賊の塩辛、松前漬け、鱈子に帆立・・・。豚丼やスープカレーなんぞも。勿論スイーツも幾種類か。海産物の種類が多かったです。欲の杣夫は幾度もおかわり、詰め込みました。よし、これで昼を抜いても大丈夫だな。 さてと、あれこれの先に土産を購入、自宅に送っておくか。地下道を札幌駅方面に向かいました。途中に写真撮影用のベンチがありました。道行くお兄さんにシャッターを頼み、パチリ。 駅の構内を徘徊しましたが、新千歳空港の土産物店に比べ品揃えの劣る店構えばかりでした。荷物になるけど仕方ない、帰りに空港売店で求め、持って帰ることにしました。少し時間があったので、大丸の食品売り場を冷やかしました。おっ、燻製帆立のつかみ取りがあるぞ。試してみました。30個近くをゲット。しきり役のおばちゃんに、お得だよ、そう言われました。 ホテルに戻り、訪札の主目的、A先生への土産を持ちました。地下鉄東西線に乗り、円山公園駅で下車。 先生の入院する西円山病院は、この駅への無料送迎バスを出しているとHPにありました。しかし土日は運休とのこと。タクシーを拾いました。目的地は大通り公園から西を見て円山の向こう側になります。車は山を右に迂回、直ぐに森の中へ。しばらく進むと動物園が見えてきました。その先に円山球場。勃然、嗚呼、懐かしい。学生時代、野球部でした。先生がその監督、可愛がられました。ちなみ、本業は教育学部の教授でした。 戻ります。円山球場で試合をしたことがあります。嘗て、札幌ドームのできるまでは、ここでプロ野球の公式戦が行われていました。サウスポー(人はぎっちょと言いますが)、ピッチャーだった杣夫は、ここのマウンドに立って、プレイボール前の投球練習。投げてキャッチャーミットに収まるときの音、パーン!を未だに覚えています。その響き、この球場独特の音響効果と言いましょうか、凄いのです。軟投の杣夫であっても今日は球が走っていると感じました。 戻ります。思い出が込み上げ、その辺りの写真を撮るのを失念。公園内を抜け、藻岩山麓通りという坂道を車は進みました。この付近は、比較的リッチの世帯なのでしょう、小洒落、素敵な家並みが続きました。渡辺淳一の小説「北都物語」や「リラ冷えの街」に出てくる綺麗な夫人が暮らしていそう、そのシーンが頭を過りました。 感傷に浸っていて、あっというまに病院へ到着。 山裾に張り付くよう、5~7階建て、細長いビルが幾つも、でした。予め調べていたのですが、ここは介護医療のサービスが主のようでした。土曜なので、玄関は閉まっていました。通用口を入ると、受付にはカーテンが引かれ閑散。なすすべ無し。用務員と思しき、見た目、杣夫よりかなり年上の男性に入院患者の問い合わせ場所如何?訊くと、長い廊下の先にどうぞ。指を指してくれました。突き当たりは薬剤部でした。其処の若い男性に親切応対を受け、先生の入院する階にエレベーターで。 その階に足を踏み入れたら、プーン、ある種独特、ほんの僅かですが臭いました。何だろう。そうだ、嘗て、岳父が入院していたホスピスのそれに近い。介護医療の病棟だけに、そうなんでしょう。午後1時半、先生の部屋へ。そろり、顔を見せました。「おー、Tか、わざわざ九州くんだりからよくも来てくれたな。俺は元気にやっとるぞ。先般はMとS(二人とも杣夫と同学年、野球部)が来よった。いつも葉書をありがとうね。これからも是非続けてほしいぞ。楽しみにしているよ。俺はもう歩くこと能わずだ。心臓にペースメーカーを入れている。酒も煙草も厳禁となって久しい。ばあさん(先生の奥さん)は2日に一度、見舞いにやってくる。彼女も俺と同い年、94だ。札幌の街中からここまでの通いは辛かろうが、仕方が無い。ここには娘婿の関係で入った。定年を迎えた医者だ。今さら個人病院に勤務しても、患者は高齢医師に見向きもしない。介護医療か終末医療担当が関の山だ。その彼が口をきいてくれて此処に入院を決めた。そのうち、彼の世話で別のところに移されるだろう。だから便りはこの病院宛ではなく、自宅の方に頼むぞ。ばあさんが持ってくる。えっ?家族のことか?息子二人は出来が悪く、長男は3浪、次男は大学院を2浪。何れもおまえと一緒の大学だが、兄弟合わせて5浪。俺のサラリーを食い潰した豚息だ。畜生め。ただな、孫は可愛いぞ。其処の写真を見ろ。美人だろ。ひ孫と一緒に写っている。ところでおまえの両親は元気か。そうか、母親は亡くなったのか。父上は幾つになる?95か。俺より一つ上だな。面倒を見ているのか、そうかそうか。奥さんも大変だな。一度おまえの家に泊まったことがあるが、おまえの嫁さん、いい女だったもんな」 先生は助平なのです。写真は嘗て先生を知覧に案内した折、鹿児島のホテルに一緒、宿泊したときのものです。妙なヘッドライトをした姿に苦笑しました。 続けます。「えっ、一緒に写真と撮るのか? オー、まずまずだな。ところで昨今、学生は文章を書くことができない。なにやってんだっということだ。俺はな、未だ、こうしてことあるごと、紙切れにメモをしている。その点、お前の葉書はよくできているぞ。しっかりした文章だ。(赤面し、その後、94歳の先生が褒め言葉、図らずも涙腺が潤みました)(何を書いているのか、覗き込みました。うーん、意味不明でした。先生のベッド横に、過去、杣夫の認めた葉書が無造作、置いてあり、嬉しかったです) しかし、俺も歳をとったもんだ。人間、85まで生きたらそれでいい。後は余分だな。若くして倒れる場合は、それはそれで仕方が無い。如何ともし難いからな。そう、『万事仕方が無い』が俺のモットーなんだ。おまえは、身体を大切にしろ。85までは頑張れよ。おっ、土産があるのか?柿か、嬉しいぞ。ん?臼杵煎餅?煎餅も俺の好物だ。ありがとう。人には分けてやるもんか。俺一人で喰うぞ。おまえの土産だからな。えっ、もう帰るのか。そうか、それじゃー握手しよう」 小一時間、病室に過ごしました。4人部屋でした。話をしていて、同室、向かいのベッドに横たわる老人が、五月蠅そうにこちらを見ました。幾度も目が合いました。顔色の悪く、そう長くない感じを受けました。嗚呼、ここはそんな病院だったんだ。 再びエレベーターで1階に戻り、通用口を出ました。細長い駐車場の隅にナナカマドの実が赤かったです。涙が出そうでした。今生の別れと思い定めました。仕方が無いんです。彼への便り、三月に一度程度でしたが、戻ったら毎月にしようかな。 土曜は運休とあったバスが玄関に横付け。今日は動いているんだな。運転手に問うて、円山公園駅行きと知りました。それに乗りました。来た道をゆっくり下っていきました。次第、街並が賑やか、オシャレの佇まいに変わるにつれ、先生の入院する病院は別世界、異次元から戻り、我に還りつつある心持ちがしました。先生と私は学生時代に野球部監督と選手という出会いで始まりました。その意味では、異次元とは過去のこと、タイムマシンに乗ってその時代を行き来したような見舞いの時間でした。大通り公園駅に戻った時、自身、見舞う前の自分とは違うような感じを覚えました。なんだか、けじめのようなものがついたな、そう独りごちました。 ぶらり、ホテルまでの地下通路を歩いていて「くしろ最接近」という幟が目に飛び込んできました。 おっ、釧路?、道東自動車道阿寒ICと釧路西ICが2024年度中に開通するとのこと。亮さん、札幌出撃が一層便利になるな。道の職員がチラシを配り、釧路周辺の特産、乳製品中心の販売が行われていました。 折角なのでこれを購入。 標茶町の発酵乳です。杣夫は牛乳を飲むと腹を下します。気をつけないといけませんが、これなら大丈夫かと。午後4時、ホテルに戻り、シャワーを浴びて干しました。ドロリとした食感でした。 午後5時過ぎ、訪札もう一つの目的は、札幌在住の有志から届いた酔散学部学年同窓会会への出席でした。写真は会場の案内板です。奇しくも宿泊先が会場でした。 集まった者は40人ほど。同学年は220名ほどだったから、2割弱の出席率でしょう。幹事は最年長、3浪して入学のIさん(一応先輩なので「さん」付け)、司会は某大学の現役講師、正味2時間をきちんと管理してくれました。各自1分間スピーチは時間厳守、60秒経つとチン、ベルが鳴り、強制的に終了させられました。いい措置です。ちょっとした抽選会があり、偶然ですが最遠来の杣夫に、大学マーク入りのステンレス製タンブラーが当たりました。 久闊を叙した同窓、うち、親しく会話した者のことを少し。 北海道南部の中心都市に奉職、部長を最後、リタイアし再雇用のT君。 道庁を退職、親の介護後、見送り、遺品整理中のI君。 卒業後も交誼の続くT、商事会社を退職し実家の大阪へ戻り、化粧品販売会社へ。先年、其処を退職、自適とのこと。奥さんが難病を患い大変らしい。 卒業後、一緒、東京築地の魚河岸に働いたS、先年退職。市場時代はずっと雲丹担当、スピーチもインバウンドのせいで雲丹高騰を嘆く内容。 道北K市で未だ現役ヨガインストラクターとして働くKさん。 卒業後、定年まで道都の中学理科教師、今は自適のAさん。 定年まで化学メーカーの分析部門で働き、今は自適のIさん。 JAL勤務後結婚退職、神戸、後に横浜暮らしのKさん。 道水産金融団体を定年退職、腹の出たO君。 道庁マン、後に幹部を経て退職、魚礁メーカーで働いたS君。 スキーがプロ級だったO君、札幌女子高に勤務した後、定年退職。バドミントンに嵌まっているとのこと。 その他、沖縄の自転車レースに老後を燃やす男、大学の教官をしながら東京と札幌暮らしを楽しむ才女、食品メーカーに勤め、定年後も再雇用、やっとローンを終えた男・・・。 皆、それぞれの人生を生きてきたな、感慨深かったです。 全体として、北海道在住の者、道と東北各県の水産系職員として働いた者の出席が大半でした。女性はほぼ全員かな。リタイア組が半数以上。目立ったのは、退職し厨房に立ち始めた男が多いこと。いいことです。 欠席者からも多数メッセージが寄せられ、幹事はそれをペーパーにしてくれました。近況を伺うことができ、よかったです。物故者多数、黙祷もありました。そんな中、死亡の同窓、その奥さんから本会宛て、長文のメッセージあり、万感でした。その内容も含め感じることですが、真面目に生き、或いは学生時代、賢かった者に限り短命の印象を持ちました。 杯盤狼藉。皆、2次会に流れました。杣夫は学生時代、お世話になった方と会う約束を午後8時過ぎ、でした。2次会の終わった後、有志で会おう、そう約して会場を後に。山鼻に暮らすTさん(杣夫の学生時代の保証人、物故)の家族に杣夫の今現在の顔を見せ、九州の片田舎に元気、やっていますと挨拶。喜んでくれました。とって返し、有志の一人TからのTELを待ちました。しかし間に合いません。ひっかけながら待つとするか。 ホテル近く、鮨角打ち裏・小樽酒商たかの札幌駅前店というところに突っ込みました。階段を降りると、壁に日本酒のラベルがべったり。期待が高まります。 この店にはルールあり。詳細は写真を見てください。 禁止事項もありました。 先ずはビールから。赤星です。付け出しはセルフ。どれだけ装っても無料が嬉しいです。 冷酒を注いで貰いました。 当ては鰊の切り込み。いい感じでした。 無言のまま、熱燗をグビグビ。あー飲んだ飲んだ。 いつの間にか日付変更線近くになっていました。ホテルに戻り、ベッドへ横になったとき、Tの野郎がTELしてきました。悪いけど、もう限界。飲み直す元気のないことを告げました。電話での別れとなり、ちょっぴり寂しかったです。
2024年10月05日
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Friday, October 4, 2024 曇時々雨。午前7時半過ぎ出社。報連相多数、途中、ズーム会議あり。お客様もあってバタバタの金曜日。夕刻になって目がショボショボ。歳だなぁ。 帰宅途中、いつものスーパーへ寄りました。刺身用にと小鯵、塩焼き用にと梭子魚を買いました。おっ、銀紙鯵(ギンガメアジ)が格安だ、よし、煮付けにしよう。 帰宅して妻不在。義母の通院に付き添っているようでした。待ち時間3時間とのLINEあり、この時刻になっても、でした。包丁を握る前、父の顔を覗きました。尿瓶を始末、ゴミ箱を空にしました。洗濯物はなし。戸締まりをして戻りました。 さて、その銀紙鯵には、硬い稜鱗があります。包丁で削ぎ、鰓と腹を出しました。煮付けている最中、チャチャッ。鯵刺しを拵えました。 こちらは煮ること10分、いい感じに仕上がりました。梭子魚を焼いて今日は魚三昧。妻の戻って2人、熱燗で流しました。 締めにアイラのブラックボトル。2ショット舐めてバタンキュー。以下は3泊4日、札幌の小旅行記です。とりとめ無しの内容につき、面白くありません。 旅の始まりは絵画からでした。大分空港に月ごと、県立美術館の入れ替え展示のコーナーがあります。今月の展示はノルマンディーの海岸でした。これを見て、仕事の鎧が落ち離れていくのを感じました。日常から非日常へ。気持ちが昂ぶります。 もう一枚はヴェニス。嗚呼、行ってみたいな。 保安検査を済ませ、ラウンジへ。空港規模に応じた広さ、小さなスペースです。出張の時も時々利用しますが、その際は珈琲。 エヘヘ、今日はプライベートです。 プシュッ。カウンターの女性がおつまみにと煎餅をくれました。 いい気色になって搭乗。飛び立って直ぐ、雲の隙間に久住山が見えました。九州の主峰です。山岳に限らず、海岸や島嶼を鳥瞰が飛行機の醍醐味です。 が、今日はその直後から雲海続き。羽田に着いたときは雨でした。小腹の空いて、少し摘まもうか。JALのウィング中間点にある立ち喰いの寿司を覗きました。「生とセットね」 乗り換えにもう少し時間がありました。折角なのでラウンジに。大分空港のそれと違い、広々。ほとんどの客はパソコンに向かうかスマホを覗くか、でした。賑わう空港内にあって、ここは静かでした。 羽田新千歳間は幹線です。大型機が就航。300人以上を運びます。乗ったのは新型、座席の背にモニターがあり、映画や音楽、機外カメラの映像などぞチョイスできます。国際線では当たり前ですが、普段、ローカル空港しか利用しない杣夫です。国内線では始めて目にします。写真がそれ。新千歳空港着陸直前の図です。嗚呼、遂に来ちゃった、北海道。余談です、JALの機内サービスにWifiがあるのですが、全く動かず。残念でした。 直ぐさま札幌向けのエアライナーに乗りました。千歳から30分足らずでした。窓外を流れ去る恵庭、北広島の街並は白が基調。青空と白樺や小楢の緑。しかし、テンションが上がりません。列車の窓が汚れ放題、くすんでいました。ナントカナランノカ、でした。 札幌駅について、構内にSAPPOROビール、SORACHI専用のカウンターバーを発見。一杯やっていくか、そそられましたが、そこはぐっと我慢。夕食までお預けだ。3日間逗留のホテルはここにしました。 3泊です。衣類をスーツケースから出し、クローゼットと引き出しにそれを収めました。このホテル、老舗です。シティホテルに無い趣があるものの、設備や内装に劣化した古さを感じました。これも時の移ろいがなせる業ではあります。 よし、陽の傾いたことだし、繰り出すか。先ずは腹ごしらえです。ラーメンにしました。50年近く前、このまちの大学に入学した時、ラーメンと言えば「味の三平」でした。学生の折、一度その店の前に行ったことがありますが、店頭に行列。諦めたことを覚えています。卒業後も幾度か札幌を訪ねましたが、その折は、この店のことを思い出せませんでした。今度こそということで、足が向いたのでした。その店はビルの4階にありました。 味噌ラーメンやってください。ボリュームたっぷりでした。期待に違わず、奇を衒うこと無し、正統派のサッポロラーメンでした。満足。 腹一杯になり、居酒屋はもういいや。ぶらり狸小路を歩いてみよう。 様変わりに驚きました。免税のドラッグストアや土産店、寿司やラーメンもインバウンド仕様。古き良き昭和を見つけることができませんでした。 そうだ、亮さんに紹介して貰ったジャズバーを覗いてみよう。ジャマイカという名の店です。三平といい、この店といい、スマホを使うと直ぐに見つけることができました。便利になりました。扉を開くと、いい感じの音が耳に飛び込んできました。なにせこのオーディオですから。 パラゴンもですが、マークレビンソン、マッキントッシュ、トーレンス・・・。素晴らしい。 篠ひろ子似の美人ママさんが迎えてくれました。亮さんに案内された時にいたその人でした。綺麗な方ですが、杣夫と一緒、歳を重ねていました。亮さんの名を出し、以前に一度訪ねたことがあると言いました。写真はソルティドッグです。これを飲んでいる間、硬いやり取りでした。 スマホの亮さん写真を見せて「ああ、釧路の方ね、マラソンをするんでしょう、覚えていますよ」それで氷解。打ち解けて一時間。ラフロイグ頂戴。店を出る折はジョークを交わす間柄になりました。 いい気色になりました。酔い覚まし、オータムフェストを冷やかそうか。会場は、大通り公園の4丁目から11丁目までずらり、ビールと北海道の食を楽しめます。 ツブ貝と生をやってみました。この貝、身をくり抜いた後の汁が香ばしく、美味しいんです。 明日はA先生を見舞わなければならないし、同窓会もある。今夜はこの位で堪えてやろうか。賑わう会場を後に、ホテルへ戻りました。 でも、それで済ますことにはなりませんでした。コンビニに引っかかっちゃった。小樽ビールと国稀。折角なので地酒にクラフトビール、当ても氷下魚、全部土地のものです。北海道に敬意を表すにはこれが一番。やっつけ終えてバタンキュー。
2024年10月04日
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Thursday,October 3, 2024 先週金曜日(27日)から土日を挟んで火曜日まで会社を休みました。いえ、煮詰まっていた訳ではありません。大学の同窓から卒業以来の同窓会案内が届いたことに託け、94歳、入院中の恩師A先生を見舞おう、勃然の出立になったのでした。 ということで札幌向け。しかし見舞いと同窓会だけの2泊3日はもったいない、折角なのでもう1泊し、そのまちの空気を胸いっぱい吸おう。3泊することにしたのでした。30日に帰佐。翌10月1日(火)は兼ねてから予約、別府にある専門病院へ。術後の検診でした。通院は1ヶ月に1度が3ヶ月の間隔に開きました。採血してのPSA、値は0.005でした。前回から増減無し。A医師に問題ないと言われました。一安心です。写真は病院帰り、国道10号、野津付近の曼珠沙華です。この花は秋の実り、稲の黄金色とのマッチングがよいです。 こちらは杣夫の暮らす木立集落、門の鼻橋上流の左岸です。散歩道沿いに植わったそれがいい感じです。しかしこの花、美しい期間はあっという間。直ぐに色あせ無残の態となります。その名の通り、彼岸の一週間だけが見頃なのです。 杣夫が家を空けた間、父のことは全て妻任せ。お世話になりました。彼の汚れ物洗濯と掃除、それにおさんどん、話し相手もでした。感謝感謝です。帰りの千歳空港で彼女への土産を買いすぎ、スーツケースに入らなくなってしまいました。待合室で包装紙を開いたり箱をバラしたり。なんとか収めることができました。向かいの椅子に座った親子の視線が気になりましたが、仕方ありません。 10月2日(水)、午前7時半過ぎ出社。決裁の棚が書類で埋まっていました。同僚に土産を渡して判子押し。報連相も30分刻み。3日間、会社を空けたせいです。写真はやれやれ、帰宅して抜栓のカヴァです。妻の拵えた青椒肉絲とのマッチング、悪くありません。 バタバタは今日も続きました。帰宅して父の顔を覗き、家に戻ったら妻不在。第九の練習会でした。作り置き、豚肉のソテーを当て、白霧のお湯割りで流しました。1週間ぶり、日常に戻った気分でした。 旅のことは時系列に記すのも手ですが、今回はそれを止め、後日、テーマ別、随筆じみたものにしてアップすることにします。
2024年10月03日
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Thursday, September 26, 2024 午前3時起床。晴れ。 夜の白む前、珈琲と南瓜プリンを食べながら読書。 ブログを書いていて外が明るくなりました。茄子、ゴーヤ、オクラ、ピーマン、パプリカ等に施肥。といっても茄子の他は数本に、です。次いで散水。何れも未だ鈴生りが続きます。有り難いことです。 勝手口に戻った時「オビが戻ったわよ」 見ると、得も言えぬグリーンの瞳。オーよしよし、おまえが一番だ。猫カリを与え、チュールの口を切りました。トラ亡き後、2度目の帰宅です。嬉しいな。 午前8時前出社。午前はボード会議とそれに続き別の内部協議。午後はあれこれ報連相あり。午後3時から2時間、ネット配信のセミナーを聴講。帰宅は午後6時前になりました。父の顔を見た後、水道組合の会計を閉めました。やれやれです。 疲れました。シャワーを浴び、プシュッ。缶ビールを2本半飲んでバタンキュー。ネタ切れです、書くことがありません。 ということで過去の写真から。8年前、居間に敷いたタオルケットに杣夫がゴロリ、その横にトラの図。こんな時があったのです。
2024年09月27日
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Wednesday, September 25, 2024 明け方、パラッとありましたが、日中は雲が切れました。 本日、午前の大会議を経、長丁場、8月下旬に始まった株主代表会議が終了。弊社社員もですが、株主の皆さんもお疲れ様でした。 余談です。弊社、社員は定年まで勤めることができます。株主の方々は4年に1度、外部評価を受けます。つまり、その期間が任期なのです。彼等の今期任期末は来年の春まで。社長も同時に解任となり、株主同様、評価を受けることになります。たまたまですが、かく言う杣夫もほぼ同じ時期に解職となります。 4年近く前、某事件のあってピンチヒッター。杣夫は来春、67歳になります。昨日、同窓会写真をアップしましたが、一緒に映る仲間はほぼ全員リタイアし、自適の生活を送っています。羨ましかったです。加えて、会社にあっては、定年を迎え退職する部下たちを年上の杣夫が見送る構図。なんとも妙な、複雑の気持ちです。自身の体力に衰えを感じますし、積年の疲労も溜まっているような。弊社の厳しい経営環境をして、疲れました。でもあと半年です。弱音は吐きませんよ。締まっていこう。 ということで疲労回復のため、近々ポカ休を採る予定です。オーバーホール、リセットです。蒸発しよう。この本を持って。 戻ります。午後、一人を残し、人事評価面接を終えました。真っ直ぐ帰宅。父の顔を覗き、ゴミの始末など小取りの仕事をしました。水道料金のクレームあり、その家の水道メーターを再チェック。夜、懐中電灯を持って草むらの中を歩くのは嫌です。蝮がいそうで。家に戻ったら玄関のガラスに守宮が張り付いていました。 シャワーを浴びプシュッ。相変わらず茄子攻勢が続いています。 こちらは箸をつけた厚揚げ。今夜はこれらに加え、鯖の塩焼きがおかずでした。白霧島のお湯割りで流してバタンキュー。 今日の写真はブロ友nkucchanが関心、石臼です。父の玄関に本人が手摺りを拵えました。もう何年も前、母の生前が頃に制作。石臼もこんな使い道があったんだ。 上は玄関に向かい左側。こちらは右側です。ちなみ、こんなに大きな石段だと、車椅子の通行能わずです。父が歩行困難になってからスロープを拵えるのは面倒だし、その時は、玄関の内側から外の車椅子までは、杣夫が抱えればいい。今の父は42kg。大丈夫です。あっ、そうか、車椅子のレンタル、近く予定の介護認定を受けたらそれを申し込もう。
2024年09月25日
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Tuesday, September 24, 2024 曇り 午前7時半過ぎ出社。3連休の後、一週間が始まりました。締まっていこう。 ということで今日は株主代表へ昨今の営業業績を説明、終日でした。不祥事のお詫びなどもあり、午前9時半に始まって午後5時過ぎまでかかりました。明日の大会議で打ち止めとなります。 真っ直ぐ帰宅、父の顔を覗いたあと、薄暗い中を少しだけ散歩。TBS、荻上チキの声を聴きながらでした。 シャワーを浴びて晩酌。午後9時前、バタンキュー。 ネタ切れです。書くことがありません。ということで今日はMOLESKINEのcahiersを。写真がそれです。何のことはない、メモ帳です。ただし紙質がよく、表が硬いビニール製。田舎者の杣夫、慌ただしい出張を除くと、旅には滅多と出ません。プライベート、泊を伴う折にはこれを持参します。 上の写真中、使用感のある向こう側は、5年前、訪札の折のものです。中は例えば訪ね先のあれこれ、出会った人の印象、食べものの感想、使ったお金などです。名所旧跡や駅、空港等に置いてあるスタンプも、折に触れ、です。これは地下鉄・宮の沢駅のスタンプです。 杣夫、当時は保阪正康に入れ込んでいました。北海道上陸は、これが主目的でした。ということで、入場券等も貼り付けてあります。いわば旅手帳。薄く、且つ丈夫。いい感じのメモ帳なんです。余談です、その折はこよなくさんや陛下(皇室ではありません、こよなくさんの奥さん、美しい方です)、亮さんともあったなぁ。深酒が懐かしい。 今日の写真は、大分合同新聞に掲載の写真を拝借。22日(土)の朝刊に掲載、高校同窓会の集合写真です。この地方紙、各種集まりを自慢、或いは関係者に周知したいグループの写真を掲載してくれます。依頼が多そうで、載るまで3ヶ月待ちとのこと。 この日は320人中100人あまりの出席でした。欠席した人、これを見て懐かしんでくれるかなぁ。あっ、私、その日は仕事のあって、そこから会場へ直行。ネクタイをしたままでした。それをして、フルタイム勤務が自分だけを知りました。なんだかなぁ。
2024年09月24日
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Monday, September 23, 2024 朝のうちは曇りでしたが、次第に晴れました。北寄りの風が涼しく、爽やかな秋を感じる一日でした。家の窓を全開。蒲団を干しました。 午前、栗を拾いました。栗林で剥くと、土が軟らかく、長靴で毬を踏むと、土中に半分めり込みます。上手くいかない。ということで実の入った毬を拾い、自宅まで持ち帰りました。コンクリートの上が剥きやすいのです。 今日の収穫はこれだけ。父から親戚、Hに届けるよう言われたので、夕刻それを持参しました。HのMさん、80歳位かな、脳梗塞を2回、不自由の生活を送っているとの弁。家族が難儀しているようでした。何処も同じだな。 戻ります。栗の始末を終え、水道料金の回収と施設管理料の支払い。それで午前が終了。昼はトマトソースのパスタ。自作なんですが、写真を忘れました。妻に好評でした。 午後は心の中に鉢巻きを締め、妻と父の家の水回りを中心、大掃除をしました。妻は洗濯と風呂、私はトイレと洗面台。父がその場凌ぎをちょこちょこやっていたようですが、そこは95歳、覚束ない足取りの老人、汚さは察するべしの状態でした。用意した強力洗剤が奏功。妻は大きなユニットバスの足下、滑り止めに刻まれた溝や椅子に付いた黒カビのようなものと格闘。歯ブラシを使い、隅々までやっつけたよう。二人、汗びっしょりになりました。書斎の周りはゴミだらけ。配達新聞を包んであった薄いビニール袋は椅子の後ろに何十日分も突っ込んでありました。机下にあったゴミ箱を覗いたら、そこに何やら食べ残しのものが黒カビになってべっとり。勘弁して頂戴、ではあります。風呂掃除を終えた妻は、洋服等を収納の部屋で父のこれからの服を見繕ったようです。 と、その時でした。「ねぇ、トラが戻ってきたわ」 父の家、玄関先、靴脱ぎ石の上にキジトラがちょこん。メスでした。うーん、飼いたいのはやまやまですが・・・。 午後5時、作業終了。疲れました。父の夕食を食卓に置き、帰宅。 シャワーを浴びて、親戚Hに栗を届けたのでした。今日の大掃除、妻にお礼をという意味もあり、夕餉は外食にしました。その足でいつもの魚喜家に突っ込みました。お疲れ様。 この泡目盛りをしてお店のレベルが判ります。夫婦二人の小さい店舗ですが、いい感じです。 大将、それじゃーやってもらおうか。 まにあわんからいっぺんに2杯次いで頂戴。 もう2杯貰おうか。 よし、締めにもう一杯。 あー飲んだ飲んだ。ピッチの速い杣夫です。 以下は妻の頼んだ料理です。1枚目は蛤の酒蒸し。 次は太刀魚の塩焼き。骨の多い腹身は杣夫がパクリ。 定番の刺し盛り。これが1人前なんです。 チキン南蛮。 白鯖河豚の唐揚げ。 帰宅してバタンキュー。この3連休は、草刈り、墓掃除、父の家の大掃除で潰れました。でも達成感ありではあります。 今日の写真は父のアトリエを掃除していて見つけたトンボの死体です。紛れ込んで、外に出られなかったんでしょう。可哀想に。既にカラカラでした。 もう一枚は昨日の蹲が続き。nkucchan、こんな感じで築山を一周しています。30個位、あるのかも。妙な趣味ではあります。
2024年09月23日
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Sunday, September 22, 2024 雨の日曜日でした。昨日、妻が実家の芝刈り草刈りと墓掃除をしておいてよかったです。 父の朝昼晩、今日のおさんどんは私でした。鯵の刺身、そのアラで味噌汁を中心、妻が作り置きのあれこれあって助かりました。父に「今日は大雨、今も雷が鳴っているよ」そう言うと、不思議そうな顔をして窓外に目をやりました。雷鳴どころか雨脚も聞こえないようです。 戻ります。午前、濡れ鼠になって栗拾い。といっても収穫は僅か。8~9割方が猪に食べられました。 午後、昼ビーをした後トマトソース作り。父はこれを食べません。私たち夫婦の夕食です。この手(カレーやパスタの類)を嫌います。午後、妻は第九の練習でした。息抜きが必要です。不在の午後、料理を終え、これを食べました。先日、妻の夜鍋、南瓜プリンです。然程甘くないのがいい感じでした。 それを終え、久しぶりに叔母と電話で長話。父の妹です。有名温泉のまちに嫁して何十年、主人も健在の85歳。500坪の敷地に住んで、鍬のみで野菜を沢山作っているとのこと。以前、栽培の白菜で拵えたキムチが美味しかったなぁ。最近の父が様子を伝えると「早く施設に入るようになるといいのにね、あなたの奥さん(杣夫の妻)は大変ねぇ、大切にしないと」そう返してくれました。 さてもネタ切れです。写真は彼岸花。雨には似合いません。青空の下がよいです。 花ネタをもう一枚。ゴーヤです。未だ青々していますが、実は其程太りません。 最後の一枚は父の庭の築山を囲う蹲踞です。これが土留めの役割。溜まった水に虷(ボウフラ)が湧いて困ります。時折、大きな柄杓でこれを汲み出す必要あり。
2024年09月22日
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Saturday, September, 2024 午前3時起床。 早寝早起きの杣夫です。昨日は午後9時頃、水平飛行に、でした。妻がコーラスから戻った際の気配を気づかず。 午前7時まで日記、本、新聞、ブログ、それぞれをルーチンで。写真は、大分・日出町にある鈴木養鶏場のファミリー玉子ラベルです。妻がコーラス仲間に貰ったとか。 現物はこれです。お薦めは玉子かけご飯とありました。早速そうしました。 さて、今日は晴れ予報。湿りのないのは数日ぶり。明日、また雨なので今日できることをやっておこう。午前8時半、作業着に着替えました。造園用具一式を軽トラに積みました。草刈り機、小型チェーンソー、ヘッジトリマー(バリカン)、ブロアー、電動剪定ハサミなどです。妻の実家に向かいました。庭に伸びた草と裏庭のドクダミなどを始末。築山の中を刎ね、生け垣(一つ葉)の天井を揃えました。ついでに重いもの(長い簾や古い棚)を移動。よっこらしょと抱えたとき、やっ!しまった、まずい。ちびってしまいました。前立腺摘出の後遺症、尿漏れは収まっていますが、こんな折は注意しないといけません。幸い、小さな尿取りパットを着けていたので作業ズボンへの浸み出しはありませんでした。 そこを終え、妻実家の墓掃除。佐伯のランドマーク・城山の端っこにあります。そこへ廻りました。草刈り機の刃をビニール紐に取り替え、苔や固まった土などを削りました。ついでブロアーでブーン、吹き飛ばし終了。樒と線香は妻が役目です。写真はそこへ向かう途中にパチリ。城山の櫓門です。往時から残る建造物はこれのみ。江戸初期に築かれた山頂の城は消失。この門の内側にあった三の丸も残っていません。写真では判りませんが、瓦の隙間に草が伸びていました。 拙宅近くに戻りました。正午前でしたが、杣夫方の墓掃除もしないといけません。妻が実家の墓は1基、広さ二坪程度でしょうか。城山を取り囲むよう広がる墓地の中にあります。その意味では賑やか。妻が実家の故人は皆、その中に入ります。翻ってこちらは一人に1基。田舎の竹藪にあります。昔ながらの地縁墓地。掃除に時間を要しました。何れも時間に追われ集中、庭の手当と合わせ、写真を撮ること能わず。 午後1時、地下足袋を脱ぎました。汗びっしょり、疲れました。シャワー。父のおさんどん、昼の部(今日は雑煮でした)を届けた妻の戻って、ラーメンを啜りました。マルちゃんの塩ラーメン。炒めたニラとモヤシ、それにメンマをトッピング。 食後は父の携帯電話解約の手続き。NTTdocomoのHPで委任状を印刷。父の保険証、それにガラケー現物を持って家を出ました。ドコモショップN店での手続き、数分で終わりました。 帰り道、いつものスーパーに寄りました。チダイと小鯵を購入。家に戻り、チャチャッ。前者は吸い物と塩焼きに。後者は刺身に。何れもその一部は父の夕食に。届けたら、久しぶりの刺身を喜んでくれました。写真はいい形のチダイです。2尾で1ラー弱。 ついでに枝豆も購入。その袋を冷凍庫に入れよう。とその時でした。「ねぇあなた、何度言ったら解るの?台湾産のそれは豆の粒が不揃いなのよ。欲しいんだったら言ってよね。生協で国産、しっかり詰まったものを買うから」私「へい、どうもしーましぇん(心の中で『ニッスイのこれ、中国産なんだけどな』)」 父に刺身を届け、戻ったら、妻が菜園に出ていました。IのK兄(会社の大先輩、退職して農業、茄子作りの名人)に貰ったブロッコリーを植え始めたのです。夕食はまだだな。それなら水道料金の集金をして廻ろう。懐中電灯をもって集落を一回り。遅い時刻になっては失礼です。5軒で止めました。 シャワーを浴びてプシュッ。ついで焼酎。鯵刺しを当てに流しました。バタンキュー。 大相撲は大の里が優勝。贔屓のカープは金満に勝ったものの、このところの連敗が響き、Aクラスさえ覚束ない状況。イライラが募ります。 今日の写真はツール・ド・佐伯のプログラムです。10月20日(日)開催です。このところ、父のあれこれもあって練習不足。75kmにエントリーしていますが、大丈夫だろうか。 余談です。このところ、父のあれこれをよく書きます。理由があるのです。 今月初め、父と同じ棟の離れに暮らしていた兄夫婦が、突然、父に1枚の書き置きを残し、家を出たのです。父と兄の関係はもう何年も最悪の状態でした。父の食事は朝昼兼用を兄嫁が拵え、夕食は配達の弁当。炊事洗濯掃除はノータッチ。私たち夫婦が手を出そうとするのも、兄にかたく止められていました。書くこと能わずですが、兄の父に対する態度というか仕打ちは、目に余ることしばしば。思いあまって口を出すと、矛先はこちらに、でした。杣夫の妻も汚い言葉を浴びせられました。 家庭内のゴタゴタ、どこにでもある話です。一言で言うと、我が儘な父と我慢の足りぬ狭量の兄、とでも言いましょうか。仕方のないことです。 ただ、言えることは、父も、私たち夫婦にとってもですが、兄夫婦が家を出て、気分的には随分と楽になりました。父の家に自由、出入りすることができるようになりましたし、父の顔つきも随分和らぎました。掃除洗濯、おさんどんを届ける妻、尿瓶の中を替える杣夫です。時として妻に無体なことを口走ることあり。それを聞いて、嗚呼これが兄の癇癪、引き金を引くきっかけになったんだな、そう思うこともあります。言われる妻には申し訳ないけれど、我慢して貰うしかありません。兄夫婦の出た後、妻は汚れた父の家の広い室内を日毎順番に掃除、感謝感謝です。父との暮らし、楽しく平気前進がコツと思い定めて、ではあります。
2024年09月21日
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Friday, September 20, 2024 早くも週末です。 このところ、降ったり照ったりの日が続いています。九州の南を西進の台風がせいで、湿った南風の吹きよせているせいか、蒸し暑い。瘴気とはこんな感じなのかもしれません。写真は一昨日の仕事帰り、元越山の稜線です。その向こうは豊後水道。湿り気を帯びた海風が山にぶつかり、水蒸気となって木立側を下るのです。嫌な感じです。 さて、連日の株主代表関連会議は昨日で終了。週明けに最後の大会議を残すのみとなりました。ただし、提案案件とは異なる報告事項があり、締めの大会議の前、それにもう一日費やす予定です。 ということで今日は、この時期に決まってする人事評価。途中、いくつか会議の入って虫食い間隔となりました。もう2日間、必要です。写真は今日食べた妻手製野菜弁当です。 これは昨日のそれ。米を食べないので、午後4時頃になると空腹感を覚えます。それがいいのかも知れません。 今日の帰りしな、いつもの千円カットに突っ込みました。天井の張り替えです。さっぱりしました。 帰り道、ホームセンターに寄りました。牛糞3袋、化成肥料1袋、リッチソイル1袋を買いました。妻に頼まれていたのです。牛糞は一袋1/2ラー程度、化成肥料は一袋4ラー、リッチソイルは1ラー弱。都合7ラー程の買物になりました。何れも野菜畑につかうものです。牛糞を積んだので、帰りの車中はいい匂いが充満。堪らずエアコンのスイッチを切り、窓を全開しました。 帰宅して父を覗いたら、彼も髪を切ったとのこと。床屋さんに出張をお願いしたようでした。偶然ですが、今日は妻も美容院に行ったとのこと。 戻ります。父と筆談(父は口頭、私が父に伝えるときだけホワイトボードを使います)を始めて、うつらうつら。曰く「散髪が疲れた」 ベッドサイドの携帯電話を解約するすることの了解を貰い、それを持ってバイバイ、またね。 今日はイトヨリの煮付けを当て、焼酎を流しました。一昨日ですか、いつものスーパーで5尾求め、作りおいていたのです。妻が用意してくれる父の食事、もう1品になればよいとの考えです。 折角なので昨日の夕食もアップ。焼き茄子です。少し細いかな。これは妻が焼いてくれました。勿論、拙宅菜園に収穫。 この酒で流しました。 私はそのままバタンキューでしたが、妻は夜鍋を。この夏も野菜畑の隅に1株植えた南瓜が、幾つも実をつけました。その一つを使い、南瓜プリンを作ったようでした。写真は着工前。既にカラメルを流し込んでありました。 これが竣工図。1玉でこの倍、この日は30カップ近くを拵えたようです。素朴な味ですが、結構いけます。 今日の写真は出光興産のカレンダーから。出光は美術館を2館所有。その一つは門司にあります。収蔵は仙崖和尚の書画が中心。それらを暦のデザインに使っているのです。9月は夏富士を描いた作品。 富士画賛 田子の浦に帆かけて 走る船とめは 富士のたか根に 雪の気もなし
2024年09月20日
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Tuesday, September 17, 2024 相変わらず、蒸し暑い日が続きます。 今日は、午前午後とも株主代表の小会議でした。明日も明後日も、です。午後5時前になって難儀の報告あり。鳩首しましたが、展望が開けません。頑張るしかない。写真は続く野菜弁当です。ご飯を食べません。マヨネーズはドレッシングが底を突き、替えを失念。コンビニで購入でした。 帰宅したら、先ずは父の顔を覗くのが日課。毎日、寝起きが億劫、食欲不振を口にします。自身、今さらですが老衰を自覚しているようです。 夏場はシャワーを浴びているようです。風呂を勧めると、滑って転ぶのが怖いと返されました。介護認定を受けると、入浴サービスがあるよと言うと、他人に自身の身体を見られるのが嫌なのでしょう、首を振るばかり。一緒に入ろうかと水を向けたら、心臓に触るから怖いと返されました。妻にそのことを話すと、歳をとればとるほど入浴を頑な、嫌がるそう。帰りしな、妻にお礼をと言われました。おさんどんと洗濯に感謝なのでしょう。私も妻に感謝。 余談です。その彼女、今日は自身の母親に付き添い、病院へ。白内障の手術だそうでした。義母は80台後半です。杣夫の父親と彼女の母親、二人の面倒に、頭が下がります。 戻ります。今朝早起きをし、昨日検針した値を水道料金に換算。請求書を作りました。 夕刻、父の家を後にし、懐中電灯をもって、それを各世帯に配布。昇った満月が美しかったです。 配り歩く途中、AのKちゃん所有の栗畑にさしかかりました。ガサガサ、音がしました。光をそちらに向けると、親猪1頭、瓜坊2頭がいました。距離10mほどかな。落ちた栗をたべていたようです。カメラを持たなかったのが悔やまれます。 帰宅してシャワー。夜のお勤めは午後8時過ぎから。焼酎を飲んでバタンキュー。 ネタ切れです。連休中に捲った「世界の文学」中の一冊です。「失われた時を求めて」は既読。主人公のベネチア旅行が下りは、マンの「ヴェニスに死す」に重なります。プルーストのこの作品、仏文学の金字塔と言われています。何が対極かは判りませんが「百年の孤独」の対極に位置する作品化と。読み易い、読み難しという意味でも。 今日の写真は、会社に配られた赤い羽根のバッジです。大分県の共同募金会が製作です。デザインは鶴崎工業高校の工業デザインコースに通う生徒に依頼したそう。この時期、未だクールビズ。上っ張りを着ません。付ける機会がないな。
2024年09月17日
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Monday, September 16, 2024 敬老の日でした。終日、降ったり止んだり照ったり。妙な天気でした。湿度が高く、蒸し暑かったです。 午前6時半に朝食。野良着を着ました。伸びて背の高くなった茶を根元近くから切ることにしました。写真がそれです。切り株からまた新しい芽が出てくるのです。この後、20mほどを始末。汗がしたたり落ちました。 チェーンソーを回して倒した後、鎌で絡みついた細い蔓を切っては退ける作業を小一時間。息は上がりませんが、心臓のドクドク感が少しありました。熱中症になってはいけません。小休止の後、草刈り機を肩に提げ、父の庭の築山を始末。午前9時前、地下足袋を脱ぎました。シャワー。プシュッ。一仕事の後、エアコンの効いた部屋に寛ぐのは至福です。 美味しい豚まんを恵送してくれた在福岡の友人にTEL、お礼が長話になりました。遺言を書いたとか年金が少ないとか、ブツブツ言っていました。 遺言か、金融資産、杣夫にはないです。あるのは田舎の土地建物です。売れるどころか、お金を付けてやっても貰ってくれません。ということで言い残すことはあっても法的保全の必要はありません。 えっ?言い残すこと? うーん、墓は要らず、骨をほんの少し、ひとつまみを卒業した大学のキャンパスに撒いてほしいなぁ。後は父の山に。本は死ぬまでに処分するので大丈夫。その他ガラクタは業者にお願いしたらいい。その分のお金は残しておきます。私が先か、妻が先か、それは判りません。私が先に逝ったら、妻は娘の暮らすまちにアパートを借りるといいかも。 昼、久しぶりにラーメンを食べました。サッポロ一番味噌ラーメン。玉子を落とし、キムチを載せました。あっ、汁は残しましたよ。写真無しです。 午後は2時間かけ、水道組合の組合員世帯を廻りました。メーターは全部で43あります。これがまた難儀なんです。それぞれの家、敷地内の目につかないところにあります。メーターボックスは地面に埋まっています。鉄の蓋を開け、覗くのですが、草に覆われていたり、ボックスの中が土で一杯になっていたり。それらを除き、細かい数字を拾います。蚊に刺されないため、蚊取り線香を腰に下げました。妻がバインダーを手、私の読み上げる水量を記録してくれました。助かりました。誰か代わりの人がいるといいのですが、私が最年少。次がいません。 この簡易水道には歴史があります。50年ほど前、この地区に市の上水道は整備されていませんでした。住民が出資、井戸をつき、小山の上に配水池を設けたのです。その後、各世帯の前道、市道に市の上水道水道管が通りました。でも簡易水道の料金が安く(約1/3)、今以てって稼働しているのです。 私が面倒を見ること能わずとなった時、同時に廃止だな。みんな、市のそれに接続すればいい。 そんなことを考えながら、各世帯を廻ったのでした。写真はその途中に見つけた彼岸花です。今年は暑かったせいか、咲くのが遅いような気がします。 こちらは背戸合いに這う鴉蛇です。水道メーターはこの先にあります。嫌な場所です。 ほとんどの世帯が高齢者です。その中にあって1軒だけ酪農を営むところがあります。N牧場です。私が生まれる前から乳牛を飼育。搾乳で生計を立てています。今は3代目が頑張っています。4代目は杣夫の母校に通っているとか。農学部なんだろうか。写真はその家の玄関に積んであった岩塩です。牛に舐めさせるんだろうな。でも何故舐めさせるんだろう。nkucchanなら知っているはずだ。 家に戻り一息ついてシャワー。プシュッ。父の栗畑に妻と栗拾い。落ちた早生は小猪に食べられていました。畜生め。 再び汗をかいたのでシャワー、プシュッ。今日も缶ビールを4本飲みました。 夜は冷酒。これを開けました。 当ては梭子魚(カマス)。一昨日に塩を打っていました。いい感じに水分が染み出ていました。写真は、3尾焼いた後の残りです。明日以降、父に焼いてあげます。余談です。これ、鰓や内臓はそのままです。わざわざ除く必要はありません。 今日の写真は茄子の花です。台風に傾いたものの、完全復活。秋茄子、嬉しいな。
2024年09月16日
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Sunday, September 15, 2024 終日雨模様の一日でした。 夜の明け、午前6時、地区内に向けた放送がありました。本日、午前8時からの堤防草刈りは、予定通り実施とのこと。湿りの中、作業ズボンを履き、合羽を着ました。 杣夫の暮らす木立の中野河内地区は、大分県佐伯土木事務所から木立川堤防一部の草刈りを委託されています。年2回、春と秋にそれを行います。委託料は地区の活動費に充当します。 草刈り機を積んだ軽トラを現地に乗り付けました。南の方向に目をやると、元越山の稜線方向からスコールがやって来ていました。 雨中の作業でした。杣夫は集まった中、若い方です。厳しい斜面を担当しました。 皆さん、折角なので、ついでに市道脇の草も始末。 軽トラ軍団、いい感じでしょう。 90分の作業にびしょ濡れ。しかし、最後に褒美がありました。通り雨の去った後、虹が懸かったのです。 午前10時、家に戻りました。濡れついで、伸びた梅林下を草刈り。 ずぶ濡れの衣類を脱いでシャワー。昼前、いつものスーパーへ魚を見繕いに。午後は仕事でした。市民大学のシンポジウムに顔を出したものの、途中で会場を後に。家に戻り、魚料理。父の夕食です。それを届け、食べる最中、介護保険認定の話をしました。曰く「俺は施設なんかに入らんぞ、この家で死ぬ」。 動けるうちはそれでいいのですが、寝たきりになっての介護は、杣夫夫婦には無理です。そのうち、折り合いをつけねばなりません。 父の家から戻り、簡易水道組合の会計を整理しました。水道メーターの検針もしないといけないな。それを終えたら40戸ほどある加入者から年1回の集金です。各世帯、多い少ないはありますが、平均2万円程度の水道料金です。安いでしょう。 焼酎を飲んでバタンキュー。 今日の写真は野菜畑に顔を出した茸です。雨が多いと、顔を出すようです。 もう一枚は杣夫の腿です。昨日、茶の剪定もしたのですが、覿面、茶毒蛾の幼虫に刺されました。毛虫です。仕方ありません、野良仕事の副産物です。
2024年09月15日
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Saturday, September 14, 2024 曇時々晴れ、一時小雨。夜、本降りになりました。 先ずは昨日(13日金曜日)のことを。 火曜日から続いた株主代表の会議は、今日で終わりました。長かったなぁ。いくつか出番のありましたが、上手くできたかどうか・・・。写真はそれの終わって自室からの眺めです。9月も半ばというのに、未だ色合いは夏模様。厳しい残暑が続きます。 次の写真は昼に食べたカツカレーです。夏中、妻の野菜弁当が続きましたが、昨日は仕出し弁当、今日も外注。ホカ弁に配達を頼みました。これ、1.6ラー近く。1,000円出して30円のお釣りでした。 さてと、午後5時を過ぎて今日は花金。しかし、そうはなりませんでした。午後7時から社外の方々を招き、弊社の仕事について意見を頂きました。これにも出番がありましたが、これも上手く説明できたかどうか、自信がありません。長年続いた飲酒がせいで、脳がフニャケかけているようです。 午後9時を過ぎて終了。よし、花金モードに戻すぞ。魚喜家へ突っ込みました。 このお店は午後10時までの営業です。看板を少し過ぎるのはいいとして、何が一本勝負か判りませんが60分一本勝負。大将、生頂戴。 あっ、一人では寂しいので、ずっと大会議に同席、疲れた顔をした第3営業部長を誘いました。お疲れさん、乾杯。 一息ついたところで冷蔵庫を見ました。ウッシッシ、色々あるぞ。それじゃー大将、いいところからやってちょうだい。 グビッ、運甘露甘露。次ぎ頂戴。 当てが欲しいなぁ。よし、鮟肝だ。これ、鮃を地元に水揚げの鮟鱇が肝で和えたもの。絶品でした。 次、やってちょ。嗚呼、美味いなぁ。 あっ、刺身もね。どうですか、これで一人前。ここの造りはたまらんのです。 外飲みは久しぶりです。樽が乾いていて、なかなか湿りません。次ぎ頂戴。 部長は何やらウイちゃん系を試しているようでした。てやんでぃ、魚には日本酒と決まっていたぁ。 大将、次を。 歯止めがききません。大将、次を。 締めは甘露中の甘露を出してくれました。 あー飲んだ飲んだ。代行運転を頼みました。帰宅は午後11時前。バタンキュー。 ということで今朝は少し二日酔い。でも今日は今日でしなければならないことが。午前8時、襤褸に着替えました。先ずは種蒔きです。菠薐草、青梗菜、小松菜をそれぞれの畝に。杣夫は面倒くさがりなので、この手、ちまちま作業は疎か、いい加減、雑になりがちです。今日もそうでした。一所から10株の芽が出るかも知れません。 それを終え、キャベツとブロッコリーの苗を植えました。爪の隙間が真っ黒になりました。でも作業を終えるわけにはいきません。妻が朝から父の家の大掃除をしています。杣夫もそちらに廻りました。納屋のガラクタを軽トラに乗せてエコセンター番匠(佐伯市の清掃工場)へ。その写真はありません。荷台に山盛りのゴタク、恥ずかしくて。 90kg、処分費は450円でした。 次の写真はエコセンター番匠。列の尻に映る軽トラは杣夫運転のものではありません。 ふり返ると、佐伯湾が広がっていました。嗚呼、まだ夏色だな。 帰宅して昼食。妻が素麺を茹でてくれました。杣夫の食事を用意して、同じものを父の家に。感謝感謝です。私は昼ビーをして午睡。目の覚め、夕刻、父の話し相手。拙宅と父の家は50mなのです。 雨模様となりました。家に戻り、午後6時過ぎ、録画の大相撲を見ながらプシュッ。今日はカンを4本空けました。冷酒とワインをちょっとだけ舐め、ウイちゃん1ショットで打ち止め。午後9時、バタンキュー。 今日の写真はエコセンター番匠からの帰り、大きな冷凍倉庫の前を通過。養殖鰤の餌に使う冷凍鰯が届いていました。写真にはあまり写っていませんが、荷役中のおこぼれに預かろうと、鴉と鳶が沢山。
2024年09月14日
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Thursday, September 12, 2024 日毎、夜の明ける時刻が遅くなってきました。拙宅への新聞配達は午前5時です。その頃、未だ暗いですが、バイクの音でそれと判ります。杣夫は本とブログ書き。 夜の白んで外の空気を吸おう、勝手口を開けた途端「ニャー」。オビでした。 おっ、久しぶり。トラの墓参りに来てくれたのか? おー、よしよし。おまえが一番だ。そら、トラの残していったチュールをやろう。 なんとも激しい食べ方です。ペロペロなめるのではなく、チューブごとガブリ。丸々肥えているので、何処ぞの食客なのでしょうけど、振る舞いは野良です。ニャロメは衣食足りて礼節を知らず。 頭の後ろを掻いたり揉んであげました。そうか、気持ちいいか。 午前7時半出社。株主代表の大会議3日目。缶詰は明日まで続きます。 午後5時半、会社を後に。帰り道、いつものスーパーへ寄りました。鯵もあったのですが、刺身を好まぬ父を念頭、真鯛と花笛鯛を買いました。何か一品のあると、妻の賄い、父おさんどんに役立ちますから。 帰宅したら、妻が今日は第九の練習とのこと。食卓に私のご飯を作り置いていてくれました。父のところを覗き、介護保険の認定を受けようよ、勧めました。頷いてくれました。 家に戻り夕食。焼酎で流しました。いい気色になって、さてと、魚を始末するか。 2枚に下ろし、塩を打ちました。極薄塩。半分に割った頭と腹身は汁にします。 花笛鯛は、着工前の写真を失念。鍋に入るよう前後ろ、二つに切り、煮付けました。これも塩分控えめ。酒の当てにもいいですが、父のおかずです。 今日の写真は娘息子が送って寄こした桃です。敬老の日が近づいたからでしょう。嬉しい事ではあります。父も義母も喜びます。 もう一枚は福山ゴムの農作業用地下足袋「親方寅さん」です。二股に分かれていません。山仕事は二股のスパイク足袋に限りますが、野良はゴム底のこれに限るのです。 そういえば山仕事、親方のところに行かなくなって、もう何年になるかな。4年近くだな。時の経つのが速いです。
2024年09月12日
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Thursday, September 11, 2024 雨のち晴れ 相変わらずの蒸し暑さです。 66歳の杣夫、ウィークデーは毎日仕事です。今朝も午前7時半過ぎ、出社しました。杣夫の部屋は東向きです。朝日が差し込みます。私より早く出勤のChief Secretary、新聞を揃え、部屋のエアコンスイッチをオンにしてくれます。今日もそうでした。感謝感謝です。 本日株主代表会議の大会議2日目。終日、缶詰でした。 帰宅し、先ずは父の家に部屋を覗き声かけ。次いで野菜の水遣り。台風に傾いた茄子は、支柱を追加、元の姿勢に戻して復活。追肥の効果もあり、実を付け始めました。いいぞいいぞ。でもなんだか細い感じもします。 先週末に蒔いた大根も目を出しました。2ヶ月ほどで収穫できると、種の入った袋に書いてありました。楽しみです。 午後7時を過ぎ夕食。缶ビール1缶と少しの焼酎を流しました。雨に中断だった食後散歩。上弦の月がいい感じでした。 シャワーを浴び、ワインとチーズで飲み直しました。バタンキュー。 ということでネタ切れ。新聞に助勢してもらいました。 今朝、新聞を捲っていて訃報欄に目が留まりました。宇能鴻一郎氏が心不全で死亡、90歳。死亡記事の経歴を読むまで、杣夫は彼を官能小説作家とばかり思っていました。氏は札幌市生まれ、高校は福岡修猷館、東大卒の芥川賞作家。知らなかったなぁ。魚市場時代、日刊ゲンダイだったか、夕刊フジだったかに連載、楽しませてもらいました。遙かです。 今日の写真は貉(アナグマ)です。夕刻、父の家回り、栗畑のところに蚯蚓(ミミズ)でしょうか、漁っていました。なんとも惚けた顔をしています。
2024年09月11日
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Tuesday, September 10, 2024 朝から雨になりました。先月末に台風通過以来10日ぶりの湿りです。蒔いた野菜には慈雨ですが、刈った草は一度濡れると乾きが遅くなります。今週末、焼いてしまおうという段取りなので、心配です。焼いたあとはトラクターの爪を入れ耕耘、草の繁茂を防ごうという算段。ということで今日も帰宅後は、昨日の刈り残しをやっつけました。首筋を蚊に幾度も刺されました。蚊取り線香を携帯しなかったためです。30℃を超える暑い日中、彼等は飛ばないのですが、この時刻(午後7時前)になると、活動し始めます。参りました。シャワーを浴びた後缶ビール2本、焼酎白波ロックを1杯。バタンキュー。途中で目の覚めたら、カープが金満にやられていました。 前後します。今日、株主代表会の大会議が始まりました。午前午後とも大会議室に缶詰です。午後5時を過ぎて真っ直ぐ帰宅。上の汗を流したのでした。 ネタ切れです。甘いものの写真で繋ぎます。1枚目は外郎です。会社同僚が先週末を利用し、名古屋に旅行。その土産です。好物です。嬉しいな。 2枚目は同じく同僚が出張しての台湾土産です。左上の袋は檸檬珈琲とのこと。どんな味がするんだろうか。 次は上の2枚に関連無し、大分特産の椎茸です。どんこの上物です。干し椎茸は料理が面倒ですが、出汁としても上等、味は格別です。なにせ日本三大旨み成分の一つに挙げられていますから。その三つとは鰹節(イノシン酸)、昆布(グルタミン酸)とこの椎茸(グアニル酸)です。 ということで今日の写真は同じ茸の仲間です。何か判りますか?霊芝です。梅林庵の梅切り株に出ていました。10本ばかりある梅の古木の其処此処にも、です。煎じて飲むと癌に効くと言われています。この現物、その色合いをして採ってそうしようとは思いませんが、杣夫は40台前半から霊芝を購入、煎じて毎朝飲んでいます。健康のためです。が、前立腺癌に罹患。思うようにはいきませんでした。笑い
2024年09月10日
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Monday, September 9, 2024 晴れ 一週間の始まりです。株主代表会議、その大会議は明日からです。今日は終日デスクワーク。判子押しの書類は少なく、懸案の作業が進みました。 午前5時を過ぎ、会社を後に。真っ直ぐ帰宅。草刈り機を肩にかけました。写真は西瓜畑の跡です。草茫々。 秋は釣瓶落とし、日の暮れるのが早いです。蒔いた種に散水も控えています。急がねばなりません。次の写真は今日の竣工図。1/5程、刈り残しました。明日、仕上げます。 汗びっしょりになりました。その足で父の顔を見に。戸締まりは妻がしてくれていました。水遣りを終えシャワ-を浴びたのは午後7時半。真っ暗でした。写真は地下足袋を脱ぐ折りの西空です。この夕焼けをして明日も晴れを約束? 録画の大相撲中継を観戦しながら缶ビール2缶。プシュッ、クワワワァ~、もちぇん。鯛の塩焼きと豚しゃぶサラダを当て、焼酎ロックを1ショット、アイラモルトをストレートで1ショット。バタンキューでした。 今日の一句 馬追が其処退け危な草刈り機 今日の写真は、杣夫の左足脹ら脛です。痒くありません。悪い病気かな。それとも昨日、栗の下をやっつけた折りに毛虫か何かに刺されたのかな。
2024年09月09日
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Sunday, September 8, 2024 午前4時起床。休日は早くに目が覚めます。ブログを書いて新聞を読んで。午前7時前、朝食を食べて野良着に着替えました。栗が弾け始めたのです。 栗畑の下草を刈らないと、落下してもどこに落ちたのか判りません。その木、8本ばかりあるのです。草刈り機を背負い、始末を始めました。写真は着工前。 こちらは竣工図。ついでに父のアトリエ回りも刈りました。 父が西瓜を作っていたところは明日以降、会社から戻っての作業です。 次の写真は茶の生け垣。その右が西瓜畑だったところです。向こうの木が栗。今日、草刈りの後、エンジンバリカンで整えました。茶の下草は草刈り機で跳ねました。先日、10枚購入のチップソー、石の多いところだったので、忽ちチップが飛び、この日1日で1枚が使い物にならなくなりました。安物だったからだろうか。 父に朝餉を届けた妻が、手伝いに出てくれました。刈った栗畑の後に散らばった去年までの毬を拾い、台風で折れた枝なんぞも合わせ、燃やしてくれました。助かりました。それを拾わないと、今年落下の毬と見分けがつかないからです。面倒は避けた方がいい。 作業中、缶ビールを1本。午前11時過ぎ、地下足袋を脱ぎました。シャワーを浴びて缶ビール2本。汗びっしょりになった後です、美味い。 午後、妻の友人が帰省し、家にやって来ました。私も彼女の若い頃から面識があります。拙宅に寛いで3時間、お茶をしました。私も珈琲を楽しみました。途中、昨日蒔いた野菜の種に水遣り。 妻は友人と話しながら、父の晩ご飯を拵えてくれました。友人来宅、積もる話があるようなので、私がそれを届けました。前後しますが、今日は日曜日なので、昼も私がそうしました。父の食べあげるまで隣に座り、彼の積もる話を聞き、こちらはホワイトボードに筆談です。 妻たちは今夜、もう一人共通の友人を誘い、夕食会でした。女3人、盛り上がるんだろうな。 午後6時を過ぎ、父の家の戸締まりをして戻りました。 録画した大相撲を観戦しながら、これまた妻の拵えたカラスカレイの煮付けを食べました。1缶プシュッとやった後は、これを流しました。さつま小鶴です。これは白麹。黄麹のほうを私は好きです。 今日の写真は横浜在住のHさん恵送の銀座百点、それに掲載のビュッフェが一枚です。彼の展覧会パンフも同封してくれていました。ありがとうございます。 さて、彼の作品は画集や現物、多数見ていますが、船は初めてです。 それをして画家とは別、この画、船の形状と長い煙突をして、恐らくタービンエンジンを積んでいるかと。ディーゼルエンジンに比べ、とても静かと、学生時代、漁船工学の先生に聞いたことを思い出しました。私、重心トリム計算の公式、未だ覚えています。 余談です、その先生、Tさんというのですが、当時、既に70歳を超えていたと思います。函館ドックの顧問をしていたということを聞きました。若い時分、三菱重工長崎造船所で戦艦武蔵の建造に携わったとも。お近づきになり、当時の話を訊いておけばよかったです。吉村昭の「戦艦武蔵」、再読してみようかな。
2024年09月08日
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Saturday, September 7, 2024 昨日、株主代表の会議準備が終わりました。来週に始まる大会議を控え、週末はゆっくり休もう。しかし、そうはなりません。 味噌汁と塩昆布を載せたご飯で朝食を済ませました。午前5時半、背広を着、家を出ました。県北、福岡県境にあるまち中津へ向かいました。秘書のS君運転の社用車です。台風の残した爪痕がせいで東九州自動車道臼杵・津久見間が通行止め。国道10号を北上。米良インターで高速道路に乗りました。 向かった先はダイハツ九州アリーナです。この大会の開会式に社長代理、出席する為でした。 余談です。そこは広い敷地にアリーナの他、野球場が数面、公園や多目的広場があります。昭和の時代、公営競馬場があったのですが経営不振。閉鎖してスポーツ施設の整備をしたのこと。それを控え室に同席、そのまちの社長が教えてくれました。 開会式の後、アトラクションがありました。今秋に市民ミュージカル「福沢諭吉翁物語」の公演があるそうで、出演者の皆さんが、その触りを演じてくれました。ストーリーは演題の通り諭吉の生涯60年とのこと。そうなんです、一万円札の諭吉は大分県中津市の出身なのです。写真は触りの一場面です。 次の写真はチキンカレーです。1.5ラー強の値段でした。高速道路の帰り道、別府湾SAに立ち寄っての昼食す。カレーとは関係ありませんが、今日の天気、水蒸気のせいか、晴れているものの見通し、視界が悪く、別府湾も半分から向こうは霞んで見えませんでした。 午後1時前、佐伯に戻りました。会社の駐車場に止めたマイカーに乗り換え帰宅。途中、いつものスーパーにより真鯛と小鰯を購入。前者は塩焼き用、2枚に降ろしました。頭は味噌汁か吸い物にします。後者は薄味に煮付けました。刻み生姜は勿論、酢を入れるのがコツです。写真は完成の図。一晩冷蔵庫に寝かせると味の染み、酒のいい当てになります。 午後2時、襤褸に着替えました。暑の中を野菜の種蒔きです。耕運機と鍬を使い、牛麩を畝の中に。その後、大根と蕪は点蒔き、春菊は筋蒔き。汗びっしょり。義母の通院付添から戻った妻に「熱中症になるわ、作業は夕方にしてよね」 冷たい氷菓子・白熊を食べながら小休止しました。でも多動の杣夫です。直ぐさま作業に戻りました。地下足袋を脱いだのは午後5時を過ぎてでした。写真は種の袋です。下の3枚は明日以降に播種です。 シャワーを浴びてプシュッ。喉がカラカラ、沁みました。折角なので先の鰯煮をつまんでみました。うん、いい味だ。これで流しました。 メインはアヒージョでした。少し泡の混じったランブルスコの赤がいい感じでした。バタンキュー。 今日の写真は早生蜜柑です。スーパーに並び始めました。秋です。 ところで写真のそれをして前後します。家に帰り着いた途端、TELあり。父からでした。足を摩って欲しいとのこと。50mの距離、別宅に暮らしています。そこへ行き、そうしてあげました。10分ほど揉んで「もういい」何かいるものはないか訊くと「蜜柑を食べたい」 出かけている妻にTELし、買って戻るよう、お願いしたのでした。
2024年09月07日
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Thursday, September 5, 2024 台風の後、ずっと晴天続きです。9月も今日が5日ですが、残暑が続きます。写真は庭に咲き始めた虎の尾です。 もう一枚は、夏中咲き続けている桔梗。どちらも紫です。 さてもネタ切れです。午前8時前、会社の部屋に新聞を捲っていて、惹かれる記事がありました。「絶対文庫化されない本『百年の孤独』に続け」という見出しです。先に当ブログで紹介した「百年の孤独」は、ノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの金字塔です。単行本が出て52年、文庫化されないまま今日に至っていたとのこと。「百年の孤独」に限らず、名著の文庫化されない理由を西日本新聞は、単行本のまま売れ続けている、文庫化しても売れる見込みがない、文庫レーベルを持たない出版社から出た、版元がなくなった、という理由を挙げています。 それが、先々月、文庫化されると2ヶ月で忽ち31万部。このことをして、単行本のまま歳を重ねる名著も、もしかすると文庫本になるかも、それを期待するような記事でした。 ちなみに記事の中に、未だ文庫化されていない名著として以下の作品名がありました。 「夜と霧」ビクトール・フランクル 「重力の虹」トマス・ピンチョン 「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 「9つの物語-アンデルセンクラシック」ハンス・クリスティアン・アンデルセン 「モロイ」サミュエル・ベケット 「ドン・イシドロ・パロディ六つの難事件」J・L・ボルヘス 「ノストローモ」ジョセフ・コンラッド 「運命論者ジャックとその主人」ドゥニ・ディドロ 「パウル・ツェラン全詩集」パウル・ツェラン 「黄金のノート」ドリス・レッシング 「特性のない男」R.ムージル 「ハドリアヌス帝の回想」マルグリット・ユルスナール 「カンティ」ジャコモ・レオパルディ 「ベルリン・アレクサンダー広場」アルフレート・デーブリーン 外国ものを読まない杣夫です。上のうち読了は2冊。「夜と霧」と「ソフィーの世界」だけです。名著とされているからには探し出して読んでみたいな。 仕事の方は今日も終日缶詰。帰りにUのKちゃん宅へ寄りました。生産森林組合の書類を渡すためでした。彼の飼い猫セナが庭先に憩うていました。凶暴です。これ以上近づくとガブッ、噛まれます。 帰宅して夕食は茄子とオクラの揚げ物。両者とも台風のダメージがあるものの、再び実を付け始めました。 こちらはコロッケ。妻手作りです。 焼酎で流したあと、散歩を30分。シャワーを浴びてサッカーを見ず、広島・横浜戦をラジオで。途中で落ちました。
2024年09月05日
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Wednesday, September 4, 2024 今日は簡易水道組合の水質検査日でした。と言っても、自宅水道蛇口の水を容器に採水、保健所へ持ち込むだけのことですが。杣夫の通勤時刻は、まだそこの窓口が開いていません。採水容器4本と検査依頼書を、管理をお願いしているMさん宅に届けました。午前7時過ぎ、彼はまだ水平飛行でした。奥さんに悪かったです。ちなみ、検査量は10ラー程です。容器の写真を取り損ねました。 午前7時半出社。各紙を捲った後は午前午後とも会議室に缶詰でした。 午後4時過ぎ、それの終わって、よし、ポカ休をとって皮膚科を受診しよう。以前から気になっていた頬下、褐色をした疣(いぼ)状が気になっていたのです。午後5時前、U皮膚科に突っ込みました。 皮膚癌?先生におそるおそるそう訊きました。 診断は脂漏性角化症(老人性いぼ)でした。念のため、大きさを測定、カルテに写真を載せたようでした。安心した私、「おっ、先生、そのCanon、いいカメラですね」先生「うふふ、判りますか」 支払いまで30分。時と場合に依りますが、飛び込みの診察は午後遅く、閉院前が待ち時間少なく、いいかもです。 次の写真は佐伯大橋上空から下流をパシャリ。稜線ピークは灘山です。数日前、台風の時は水かさの増し河川敷を覆う濁流でしたが、今日は早くも平常時に戻っていました。 余談です、川の左岸右岸は下流に向かって右左が正解です。何故かって?そりゃーそうでしょう、上流に向け放尿すれば、それが足下に流れてきていけないじゃーないですか。 今日の写真はコシヒカリの刈り取りが終わった沖田です。広がる水田の中を直線道路が走っています。今の季節、トンボが多いのですが、彼等は時速60kmの車をスルリ躱します。さすがです。
2024年09月04日
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Tuesday, September 3, 2024 朝だけですが、気温が25℃を下回るようになりました。涼しさを感じます。虫の声色も微妙、盛夏とは違ってきました。 今日、株主代表の会議が始まりました。今週いっぱい、来週からの大会議に備え、会議室に缶詰。準備の毎日です。 真っ直ぐ帰宅。普段はジョギングですが、来月中旬に開催のツール・ド・佐伯に備え、サイクリングのトレーニング。畑野浦峠をやっつけました。太腿パンパン。写真は木立と蒲江を結ぶ畑野浦トンネルの入り口、木立側です。 シャワーを浴びず、夕食。イタリアンのような料理です。丸いのはソーセージと思いきや、白茄子でした。向こうはジャガイモ細切りを焼いたもの。ノンソルトノンシュガーです。 流した焼酎は「さくら白波」25馬力。ボトルのデザインに惹かれ、買ってしまいました。上品の味です。 夜のお勤めを終え、妻と30分、今日も星空の下を散歩。食後の血糖値急上昇を防ぐためとは彼女の弁。 今日の一句 秋空に赤の寂しくアンタレス
2024年09月03日
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Monday, September 2, 2024 今日は9月2日です。昨日が日曜日でした。9月の始まりは今日からとの感ありです。 午前5時、父からTELあり。眠れず愁訴ありとのことでした。私は出勤。妻が付き添い、掛かり付けのN病院を受診しました。利尿剤が処方され、安静にすべしとの達しがでました。食事は塩分を極力控えるようとも。帰宅は正午を過ぎたようで、院内に待ち時間は父の難聴と我が儘に、妻は閉口したようでした。感謝感謝です。 私は午前8時前出社。その時刻に台風案件の協議あり、社員数人が待ち構えていました。おつかれさまです。今日は報連相の合間に外出。某ホテルに大人数の会議がありました。お客様もあって、慌ただしかったです。午後6時帰宅。妻の提案で、風呂に入る前夕食。食べ終えて30分ほど散歩してから入浴を、とのことでした。私の糖尿病予備軍を気遣ってのこと。早速そうしました。食後、午後7時を過ぎ、暗くなって、夫婦二人、歩きました。水蒸気のせいか、3等星までがせいぜい見えるだけの空でした。アンタレスが赤かったです。今夜はことのほか、でした。写真は刈り取りの終わった水田脇の道をのそり、亀でした。甲羅の長さは20cmほどの大きさでした。 次の写真は帰宅途中、新大橋の上から写した一枚です。川面に西日が映っていい感じでした。左の黒い山塊は煙草山。右のそれは佐伯のランドマーク・城山です。このような天気の折りは、阿蘇・根子岳の頂部を確認できます。 それにしてもの秋の色合いになってきました。ぼんやり写真を眺めていて、先月、8月は地震や台風のあって慌ただしかったな。明日から年4回の株主代表会議も始まるし。あーなんだかな・・・。 ふり返ると、今年は昨年末からの入院で、正月気分を味わえませんでした。松の明け、会社に復帰するも、数ヶ月、尿漏れに悩まされました。2月3月は4回ある株主代表会議のうち、最も長期間でしたし、その間、私より若い(私は66歳です)社員が定年を迎え、見送ったり。新年度に入って、イレギュラーのトラブル複数あり、春から夏にかけ溜息をつくこと頻繁でした。 ところで社員は夏休みが6日間あります。いいなと思うこともあります。制度上、私は出勤簿なしなので、何時に出社しようが、いつポカ休をとろうが、構わないことになっています。そうなんです、ポカ休を取り放題とも言えます。が、仕事柄、そうもいかず。 ということでオーバーホールするため、蒸発しようかな。株主代表会議の終わる今月末、数日休みを取って、A先生の見舞いに札幌へ行こうかな。
2024年09月02日
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Sunday, September 1, 2024 日曜日は子どもと一緒、杣夫も早起きです。午前3時には目の覚め、起きだして読書。直ぐに飽きてAmazonPrimevideoで英国ドラマを1本。 午前は野良着に着替えました。野菜畑に灰と石灰を散布しました。前者は薪ストーブから出たものです。それらを耕運機で鋤き込みました。酸化した土壌を中和するためでした。次いでトラクターに乗り、西瓜畑の敷き草や雑草を、これも土中に鋤き込みました。来週土曜日は無料の堆肥を貰い、撒く予定です。 シャワーの後、昼に素麺を啜り、小一時間午睡。目の覚めて、梅林隅に倒れた桜を小切り、軽トラに積んで山にレッコ。都合、2回着替えました。午前午後とも汗びっしょりになりました。サイクリングは無し。夕刻、Rさんと散歩。再びシャワーを浴び、缶ビール1缶、芋焼酎ロック1杯でバタンキュー。 と言うことで写真がありません。ネタ切れにつき、先月下旬、台風の前、出席したパーティーの料理を。場所は大分市の某ホテル大広間。200人ほどが集まって1時間半、歓談しました。いえ、政治関連ではありません。お祝いの席です。写真は料理メニュー。この手の席は久しぶりです。 乾杯の前、席に案内されるとウエルカムドリンク。シャンパンを注がれました。挨拶の前、おかわりしました。料理はフランス系でした。 ワイン如何を断り、冷酒を貰いました。この料理を日本酒に合わしたのでした。 ウイちゃんがあるというので銘柄を訊きました。響でした。ストレート、ダブルにしてちょ。ステーキに高級ウイスキー、悪くありません。 酔ってしまい、デザートの味を楽しむことができませんでした。 今日の写真は灯油ランプです。この手、拙宅に3つあります。先の台風、停電夜の留守番に備え、妻が引っ張り出したのでした。
2024年09月01日
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Saturday, August 31, 2024 今日は台風一過、ピーカン、缶ピース色の青空が広がりました。雲一つありません。 風向きが北に変わりました。日中の気温は高いままでしたが、日の暮れて下がりました。エアコン不要。窓を開けたら冷気がそろり、入ってきました。こんな夜は静かにバッハです。庭に出たら、澄んだ空気のせいか、星がとても美しかったです。北極星の位置を指す北斗七星は、山に隠れていました。代わりにカシオペアが東の中天。振り向くと、蠍座が南西の空に傾いていました。この時期に早くもです、アンタレスの沈みかけるとは。夏の終わりです。 さて、その台風のことを。鹿児島沖にあった時、勢力過去最大、未曾有の雨量、予報が逼迫感を煽りました。弊社も早々、災害対策本部を立ち上げ、避難指示を出しました。写真は木曜日の木立川です。冬場は涸れ川になりますが、大雨にこの通り濁流でした。 堅田川と木立川の合流する茶屋ケ鼻橋付近は、水かさの増して、家屋の高さに迫っていました。 ワイパーの効かぬ雨脚。この状態が終日続きました。ビルの5階から外を眺めて、風雨と飛沫で視界は100mを切る状態でした。 水、木と社内は閑散。この天気にお客様の少ないのは勿論ですが、社員も臨戦態勢。それぞれの持ち場に散りました。通常業務から災害対応モードへ。ということで社屋は静か。 一方、弊社には風水害や地震に備えた部門がありまして、24時間、そこだけが煌々、自衛隊や消防団の幹部も詰めていました。彼等は所謂リエゾンです。まんじりともしない時間が流れました。 金曜日の夕方、雨風の落ち着いて本部は連絡室に格下げされました。床上床下浸水が数十件、道路冠水、小規模の土砂流出、倒木などがあったようですが、その時点で被害の全容は明らかになりませんでした。週末、社員は管内パトロール、被害調査に廻ります。写真は帰り道、海状態になった須留木の水田です。ここに栽培の早期米コシヒカリは盆前に刈り取りが終わりました。よかったです、被害に遭わなくて。 冒頭の記述に戻ります。土曜日、今朝ですが、午前6時に作業着を着ました。茄子が傾いていました。囲った網を解き、支柱を外しました。傾きを元に戻し、新たに支柱を添えました。始末のついて、チェーンソーを持ちました。梅と桜が折れました。それを切り刻んで父の山に運びました。 途中にある「ほおじろの里」、その屋根に倒木がのしかかっていました。これは始末するの、大変だろうな。 地下足袋を脱いだのは午前11時前でした。汗びっしょり。午後は出社する予定でしたが、会社から連絡あり。あれこれ、急を要する相談事でした。電話で済ますことができ、よかったです。夕刻、父からTELあり。訪ねたらベッドへ横になっていました。足を摩って欲しいとのこと。軽くもみました。その間、問わず語りは孫のことでした。 家に戻りプシュッ。4缶いってしまいました。と言うことで、飲みながらバッハ、途中、星空を見上げたのでした。とどめにウイちゃんを1ショット。午後9時、妻の帰りを待たず沈没。 その彼女、今日がカルミナ・ブラーナの本番。午前、会場のある大分市向けでした。私も行きたかったのですが、台風がせいで能わず。 今日の写真はブランチに出た茄子の漬物です。いい感じでした。傾いた茄子、息を吹き返すといいのですが。
2024年08月31日
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Wednesday, August 28, 2024 台風の移動スピードはジョギング程度とのこと。終日、種子島・屋久島付近をのろり北上でした。大分・佐伯へ最接近は明日木曜日の午後遅くかな。当地は接近前から大粒の雨、時折土砂降りでした。その台風、気象庁が過去最大級との表現。風水害が懸念されます。嫌だなぁ。 さてもネタ切れです。必然、新聞記事の引用です。 西日本新聞に帝国データバンク福岡支店の発表が掲載されていました。焼酎メーカーの2023年売上高です。「上位50社の総額が2263億円、7年ぶりに前年実績を超え1.6%増。ただしピーク時の2008年に比べ2割以上減少。コロナ禍前の19年も下回る。焼酎業界を取り巻く環境は猶厳しい(一部省略)」だそうです。上位10社のランキングは以下の写真が通り。 2位と3位は大分の麦焼酎。残り8社のうち7社の全て宮崎・鹿児島です。7社のうち6社は芋が中心。10位の高橋酒造・白岳が米焼酎です。6位には甲類キンミヤが主力、三重・四日市の宮崎本店がランクイン。がんばっています。これは吉田類の影響もあってかな?皆さん、どのブランドを飲んでますか。私はパイプレンチ、酔えばいいので、どれでも構いません。 しかし、今日明日は自重だな。この雨だし、台風接近。飲んでいる場合ではありません。 今日の一句 八月の雨粒は沁む猫の墓
2024年08月28日
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Tuesday, August 27, 2024 台風が近づいています。強い雨脚が断続的の一日でした。 野望用あって午前10時出社。これは社長出勤だな。さらに野暮用あって午後3時退社。私用で司法書士を訪ねました。帰宅は午後5時前。珈琲を淹れ、一口羊羹を楽しみました。午後5時半、雨の合間を縫って小一時間散歩。Rさんを誘いました。 ネタ切れです。今日の毎日新聞から。 昨今の結婚、カップルの馴れ初めはその1/4が出会い系サイトを通じて、とありました。杣夫の若い時分には考えられない様相です。これも時代かな。若い同僚(既婚)にそのことを話すと、そのサイト、いろいろなバージョンというか仕立てのあって、レベルというと語弊がありますが、千差万別のニーズに合わせたタイプが有るそうです。サギまがいのものは少なく、極真面目のものが多いとか。相手を求めるとき、見合いや紹介、或いは偶然の出会いに依るのではなく、ITの世話になり、マッチングの善し悪しを先に判断して貰うのも悪くないかと。 折角なので、毎日新聞からもう一つ。ガザの家族日記抜粋が掲載されていました。空爆で逃げ惑う様子を克明でした。住む家がないというのです。子どもを抱え、テント生活は無理ということで、伝を頼り、必死に探します。やっと見つけた狭いアパートの家賃がなんと月29万円。爆弾の落ち、瓦礫化する街にあって、大家が賃料を釣り上げる構図。背に腹を変えられずの借家人の深刻な悩みが記されていました。大家にもそれなりの都合があるのかも知れません。悲しく、なんともはやではあります。加えて銀行からお金を引き出す折り、その金額の20%が手数料としてさっ引かれるとも。踏んだり蹴ったりのレベルではありません、ナニモカモナイ、カミハワレヲミハナシタ、の様相です。 風呂に浸かり、そんなことを考えていて、ピンポーン。宅急便でした。届いたのはこれ。星型の六角レンチです。自転車のハンドルやサドルを調整するネジ回しです。キャノンデールは星型を採用ということで、注文していたのでした。 ついでに草刈り機の刃も10枚。これ、消耗品です。これまで23cmのものを使っていましたが、作業効率を考え、25cmにしました。 今日の一句 ガザの子は天寿を知らず流される 今日の写真は台風を前、収穫したパプリカとピーマンです。ガザ地区のことをして、ふと思いました。ふり返るとアラブとイスラエルの争いはゴラン高原です。そこには同じ実りのあったはずですが、ユダヤ人の入植が始まってこの方、そこはどうなっているんだろう。新聞報道が少ないです。
2024年08月27日
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Monday, August 26, 2024 午前6時前、地区(20世帯ほど)の皆さんに触れて廻りました。内容は隣家の通夜と葬儀、その時刻と場所です。私、世話人なのです。地区に不幸事のあると、連絡調整をする役目です。もう何年も続けています。高齢化で次がいないのです。縁起でもないですが、私が死んだら、誰が世話人をしてくれんだろう。 出勤前なので、慌ただしかったです。今夕の通夜、受付は妻ともうひとり、70を過ぎたNのYちゃんに頼みました。明日の葬儀は家族葬とのこと。 午前8時前出社。午前11時前、会社を抜け出し、先日の健康診断結果を持って掛かり付け、S内科を訪ねました。先生「Tさん(私のこと)、最近飲んでますか。嗚呼ビールですか。こうも暑いと美味しいですよね。ほーっ、冷酒も焼酎もですか。相変わらずやっていますね。私は先般、磯自慢のことを話しましたが、どうしても秋田の爽やかな味に惹かれますよ。そうですか、Tさんは山形ですか。白神山地と鳥海山、どちらも名水を生む土地ですね、うふふふふ~。ん? や! あなた、糖尿の数値がボーダーラインを少し越えているじゃーないですか。いけませんね。とにかく運動と痩せることです。食べ過ぎにも注意です。これから先、来院の度、採血しますよ。」私「先生、酒は?」先生「まあほどほどにね」 血圧の薬を隣の薬局で受け取り、正午前、会社に戻りました。 午後、滅多と開くことのない会議を招集、難儀の案件を片付けました。 5時半退社。通夜に向かいました。葬祭場を訪ねました。 家族にお悔やみを言い、故人に別れをしました。彼は左官でした。拙宅を建てるとき、外構や風呂、トイレ周りの誂えをして貰うなど、お世話になりました。釣はプロ級、豊後水道に漕ぎ出していたようで、頻繁、魚を頂きました。そうなんです、トラがイサキやコショウダイの味を覚えたのは、彼のおかげでもあります。 そんなことを考えての帰り、ついいつものスーパーへ寄ってしまいました。鯵を購入。家に戻ってチャチャッ。うーん、足下にトラのいないのは寂しいな。 終えて運動。30分ほど散歩しました。シャワーを浴びていたら妻が戻ってきました。一緒に食事。写真は鯵刺しです。定置物でしょう、シラタが混じっていません。この透明感がその証拠です。 合わせた酒はこれ。熊本・津奈木の甘露・亀萬の珍珠(ちんじゅ)です。伊勢志摩サミットのファーストレディ晩餐会に出された逸品だそう。杣夫の口にはもったいない大吟醸です。 こちらは妻の拵えたピーマンの肉詰め。これ、いけました。 このピーマン、台風接近中に備え、妻が生りもの野菜は大小を問わず収穫したそう。それを使ってのことでした。茄子やピーマンが大風にぶらぶらだと、木が弱りますから。写真は収穫の一部です。不揃いは仕方ありません。 今日の一句 独酌の鯵刺悲し猫の逝く 今日の写真は玄関に咲いたサギソウです。花言葉は「無垢」だそうです。確かにそんな感じです。可憐と言えば可憐。
2024年08月26日
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Sunday, August 25, 2024 昨夜、小学校のクラス同窓会がありました。私の学年は40人。皆、65~66歳。卒業して50年以上経ちます。集まったのは16人(男性10人、女性6人)。うち、木立に住み続けているのは8人、市内他地区に暮らす者6人、市外(と言っても県内ですが)から2人。この参加率、高いのか低いのか判りません。 話題は鬼籍に入った者、病む者、参加能わずの者の近況などでした。定番、子や孫の話はほとんど聞かれず。知る由もない、それぞれの家庭事情には踏み込まないという気遣いがあったのかも知れません。ほとんどの者が未だ現役、何らかの仕事についているようでした。ビルの管理会社、エステシャン、水産加工会社、農業、土木会社、嘱託教師、看護師、造船会社・・・。 なお、県外で暮らす者も多く、一番遠くはシカゴです。大学を卒業後、電化製品メーカーに勤め海外派遣。そのまま市民権を得てそこに在住です。 嗚呼、この歳になると遙かです。 さて、今朝は早くから地区の集会所へ。生産森林組合の配当を手渡す仕事がありました。組合員の皆さん、喜んでくれました。その場で封筒の中の現金を確かめて貰いました。「中は5万円です。不足の方は申し出てください。後から足りないと言われても困りますから。なお6万円、1枚多く入っていても多いよとは言う必要ありませんよ。黙っていてくれて酔いです」理事の一人がそう言うと、笑いがおきました。 案内の文書を配っていましたが、受け取りにこない人が数名有りました。配布時間を終え、私が配って廻りました。その玄関でも喜ばれました。当てにしていないお金が5万円です。これまで共有林に植栽、管理をしてくれた諸先輩方(ほとんどが鬼籍)に感謝です。 戻ります。妻は朝からカルミナ・ブラーナの練習、今日はオケと合わせる日だそうで、大分へ出かけていきました。昼は吉野家の牛丼(冷凍)をチンし、ご飯に掛けて食べました。午後、うつらうつら。サイクリングしようと思いましたが、台風の進路が気になり、茄子を囲いました。写真がそれです。 この秋茄子を食べるため、頑張らないといけません。 汗びっしょりになりました。片付けをしていて、やっ!トラを埋葬の土饅頭に獣の痕跡がありました。途中で諦めたのか、深さ10cm、掘ったようでした。早くも腐敗が始まったのでしょうか。鼻のいい獣が、その匂いを嗅いでのことかと。鍬で整え直し、水を打ちました。固めて網を被せ、その周囲にブロックやレンガを配置。しばらくその状態にしておきます。写真は側に満開の百日紅です。この下には愛犬レオ(ゴールデンレトリーバー)が眠っています。しばらくして、トラの土饅頭に何か別の木を植えようと思います。 夕刻、Rさんを誘い、散歩。N牧場の若が牧草ロールを拵えていました。今日も蒸し暑かったですが、光の色は秋です。 午後5時を過ぎ、妻が帰ってきました。その折り、私は父の家に筆談。耳が聞こえないのです。時折、冷酒を持って覗きます。孫のことをしきりと心配します。そのほかは半分、繰り言と小言です。仕方ありません、じっと聞き置くに如くは無しです。 夕食の準備をしていません。久しぶり、妻と外食しました。渇いていたので、生中を3杯飲んでしまいました。帰宅してバタンキュー。午後10時を過ぎて電話が鳴りました。近所、病んでいたDのYさんが訃報でした。明日、通夜だそうです。 あれこれあった日曜日でした。
2024年08月25日
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Saturday, August 24, 2024 晴れ。処暑というのに厳しい暑さです。 幾分私的な思いですが、この時期、8月下旬はアンニュイ感が漂います。盛夏に焼かれ、祭りの後の寂しさといいましょうか。ヴィヴァルディの「四季」、その第2楽章「夏」にその雰囲気がよく表されているかと。写真は先日、林道を散歩した折りの一枚です。いかにも夏の終わりが色合いです。 数週間、ブログを滞らせました。引き金は地震でした。大津波注意に冷えました。南海トラフの鯰が暴れたら、私のまちには15mの津波が来襲。丑三つ時、寝入った時刻だと、7万弱の人口のうち最悪8千人あまりが死亡するという予測です。生き残っても家を失う人多し。その対策は講じつつあるものの、いざというとき機能するかは甚だ心許ないです。まわしを締めてかからないと。 と言うことで緊張感あり、盆を挟んで今日まで、ブログを書く気分になれませんでした。そうこうするうち、飼い猫のトラが急に弱り、22日木曜日の夜、あっという間に死んでしまいました。昨日金曜日、夜の白み始めて裏庭の隅に穴を掘りました。野獣が遺体を掘り返さないよう深めにだったので、汗びっしょりになりました。人力の穴掘りは難儀です。写真はその折りの中天に懸かった月です。妻と一緒、埋葬後、空を見上げ「嗚呼、寝待月(ねまちづき)だ」夜更け、ひっそり昇り、喧噪の静まった時間を照らす穏やかさがあります。「見送りに相応しいな」。作業を終え、残念の中にもなんとなく安らぎじみた溜息でした。 それでは遡ってのここ2週間ほどをダイジェスト、以下に記します。 この夏、早期米コシヒカリの産地、佐伯市木立は好天に恵まれました。稲がよく熟れ、盆前に刈り取りが終わりました。 コンバインは活躍する期間が短く、収穫を終えたら再び納屋の奥に鎮座です。 15日にあった地区の盆踊り会場に、新米の販売があったようです。木立に家を建て30年ほどになります。妻は、以来ずっと地区運動会と盆踊りのアナウンスを担当しています。その日、それを終えた彼女、精米したばかりのそれを買ってきました。朝、炊飯後、玉子をかけての一善は何に増しての馳走です。 もどります。盆踊りの数日前、初盆参りをしました。元同僚の父親、元同僚にして早期退職のマタギOさん、7段の父親、伯母、肺癌を病んだ近所の同級生・・・。それぞれの家に飾られた遺影は皆、いい顔でした。写真は稲刈りの終わった田んぼです。舞うトンボの羽が西日に光りました。初盆参り、葬儀とは違う哀しみがそこにありましたが、それをやり過ごしたあとの安息も。それをして私、少しおセンチになりそうな風景に見えて仕方ありません。 さて、運動の方はサイクリングを再開。週末、海と山方面を相互、攻めています。次の写真は鶴見・中浦から佐伯湾を隔て蒲戸方面を写したものです。画面に認めにくいですが、船曳網が早くも秋漁を始めていました。 足下に浜木綿(はまゆう)が咲いていました。当地の海岸線に多く植わっています。花の形は複雑、白の色合いは清楚・可憐です。 夏の往くようなことを書きましたが、それでも昨日のサイクリングは暑かったです。次の写真は下堅田の県道で見上げた入道雲です。この一枚には生ビールが似合います。 次は先週末、直川から本匠に抜けた時に写したもの。天下の清流番匠川、宮ノ越遊水公園に水遊びの図です。家族連れが多いような。 井堰のあたりに鮎狩りが行われていました。まだ今年は食べていないな。マタギのOさんが亡くなって、もう鮎を貰うことができません。nkucchanが羨ましいな。 ということで、週末サイクリングの結果、この通りです。陽に焼けました。 今日の一句 飼い猫が刺身を喰うて逝きにけり 今日の写真は生産森林組合の売木です。みてください、この切り口。ハーベスターで切ったのでしょうが、なんとも見事ではあります。 もう一枚は今日の午前、役員が集まりました。明日、組合員へ配当を配るための準備作業作業をしました。封筒に5万円、70人あまりに渡す現金の一部です。盆前だとよかったのですが、これも地震の影響で遅れたのでした。
2024年08月24日
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Friday, August 23, 2024 ご無沙汰しています。トラです。このところ梅林庵のブログ更新が滞っています。代わりに私がペンを執りました。 うちの旦那は、今月上旬に「巨大地震注意」の発表があって以来、1週間、ピリピリした時間を過ごしたようでした。そのせいもあって酒を少し控え、お盆の期間も出社。地震注意が取り消された週末は、その反動もあって深酒。久しぶりの二日酔いだったようです。それでも秋のツール・ド・佐伯に備え、サイクリングの練習を再開。週末は30~40㎞をこなしている模様。ただ、ウィークデーは地震とは別、会社にいろいろあるようで、帰りが遅いです。帰宅して私の頭を撫でてくれますが、Yシャツを脱ぐ折はため息交じりです。写真は旦那のサイクリング、道路脇のクリークに転げ込んで折りのキャノンデールです。クルッと一回転、後頭部から1m下の草むらに落ち込んだとのこと。幸い,怪我はなかったようですが、もし骨折でもしようものなら、年寄りの冷や水と言われかねません。気をつけて欲しいです。 さて、突然ですが、今日は皆さんにお別れの挨拶をしたく、旦那の肩代わりを理由、この場を借りたのでした。旦那も歳をとりましたが、私も愈々なのでした。というのも、このところ体がめっきり弱り、余命幾何、いや数日もたない感覚なのでした。食欲極めて不振、体重も減って現在1.8㎏、目がよく見えませんし、耳も遠くなりました。ソファーにすら飛び上がることもできず、奥さんに四六時中おむつをしてもらっています。足に力が入らず、思うように歩けません。死が其処まで来ていることは猫の私にもわかりました。 私は死生観というものを持ち合わせていません。生まれ、生き、死んでいく、ただその流れの中に身を置いているだけで、この定めは決まりきったことです。猫、いや動物全般、生物は皆同じ考えというか、それが当たりまえなのです。食べて寝る、すなわち生きて死ぬだけ、ほかに意味を見出そうとするのは人間だけでしょう。あれこれ難しくこねくり回し、生きる意味を解釈しよう、悟ろうとしているように思えます。なんとも不思議、なにか存在の理由を持たないといたたまれないのでしょうか。 戻ります。上の如く私は、死ぬことを当たり前、別に怖いと思いません。いつだったか、旦那が自身の恩師に聞いてきたことを奥さんに得意そう、話しているのを聞きました。「死ぬということは深い眠りにつくこと」。似て非なるですが、何だかそれに近い思いです。深い眠りは覚めようがありませんから、言い得て妙と思います。 ところで旦那は、毛の三本足りない無神論者を自認しています。私たち猫に近いのかもしれません。いつも口にする言葉は、葬式不要、墓も要らない、父の山に散骨、願わくばその一粉は通った大学の隅に見つからないよう、こそっと、が願いなのだそうです。生きて死ぬこと,人の死もなにもかも「仕方がない」が口癖です。その通りと思いますが,奥さんはそんな彼をやりっぱなし、いい加減、面倒を避け、困り悩みから逃げていると責めます。夫、父親としての存在を薄く感じているのかも知れません。しかし、私は旦那を悪く言いません。書いたとおり、猫の考えに近いような気がしますから。 その旦那、昨日、小耳に挟んだのですが、死んだら、彼は私を埋める穴を掘ってくれるそうです。私が梅林庵の食客になる前、飼われていた雄犬、ゴールデンレトリーバー「レオ」の眠る隣だそうです。野辺に行き倒れは寂しいですから、有難いことです。 ということで、死を目前、辞世に際し、思うことを書いてみました。 後一時の後、呼吸が止まり、この世とおさらばです。繰り返しますが生きて死ぬ、それだけのことです。 しかし、斯く言う私にも一抹の心配はあります。それは奥さんと二人の子供が悲しむであろうことです。私は家族の一員として十分可愛がられました。3人から受けた愛情は、猫一倍です。家猫の環境は長生きをもたらします。翻ってアムールやバイカル、オビたち野良連中の渡世が厳しいことは、想像に難くありません。彼等は大変だったろうな。写真はそのうちの一匹、アムールです。 もう一枚はオビです。 さて、その心配というのは、次の通りです。 私は、梅林庵の近所に野良の子として生まれました。父の顔を知りません。3匹兄弟でした。母親に育てられ、たまたま梅林庵の勝手口で奥さんの目に留まりました。母親と兄弟2匹は人間を怖がりましたが、奥さんの優しい声と目つきをして、この人なら悪さをしない、煮干しをくれる予感が私にはありました。恐怖心に勝る居心地の良さです。近づくと、抱え上げてくれました。もの怖じしない私を抱くことで親近感を持ったからか、奥さんは後ろでみていた旦那に「家猫にしよう」即座そう言いました。私にとっては、その日が母と兄弟、今生の別れになるとは思いもよりませんでした。20年前の話です。 戻ります。家猫に決まったその日からは、美味しい食事の毎日でした。3食昼寝付き。猫カリや銀のスプーン、カルカンやチュールに加え、刺身好きの旦那がチャチャッとこさえる鰺刺のおこぼれ。長生きできたのは、鮮度のいい魚を食べ続けたせいもあると思います。 その梅林庵、冬は居間に薪ストーブが燃えました。火の番が私の役目。深まった秋から春先まで寒い思いをしたことがありません。夜遅く、燃える薪の小さくなった頃合い、気分次第、子どもたちのベッドに潜り込みました。 話が逸れました。心配の理由はそんな家族、特に奥さんにとって私の死はペットロスとなること必定だと思うのです。手前味噌、愛されていたという自賛は否めませんが、奥さんにとって私への思いは相当なものがあると感じるのです。私の死んで寂しい思いにさせることが心残りです。 さて、そうこうしているうち、いよいよお迎えがやってきたようです。歩くことさえできません。水も飲みたくない。鼓動の速くなっているのが判りました。呼吸もせわしい。昼過ぎ、深い眠りの前、浅い眠りが繰り返しやってきました。気の付くと、奥さんに抱かれていました。膝の上でうつらうつら。数時間、ずっとその態勢でした。その間、奥さんは意識混濁の私が耳元で、20年間の思い出をずっと語りかけてくれました。「走馬灯の様に」と言う言葉がありますが、やわらかい奥さんの膝上に横たわり、眠りながらそれを聞くのは、子守歌を歌ってもらう様な気分でした。安息を得るとはこのことなのでしょう。奥さんは、思い出の他にも優しい響きと歌詞の歌も歌ってくれました。これぞ猫冥利です。 午後5時を回り、奥さんは娘息子にラインを使いグループ音声モード、私の耳元に子どもたち二人の声が聞こえてきました。急に耳が澄みました。聞き慣れた声色でした。臨終の私を労り、今生の別れを惜しむ気持ちが伝わってきました。しかし、いけません。頭をもたげニャー、返事をすることができません。もう身体のどこも動きません。精一杯、力を込め、尻尾の先をパタパタしました。それを認めた奥さんと子どもたち、心の通じたと感じ、涙を流してくれたようです。 野良猫は行き倒れと相場は決まっています。それに引き換え、私は柔らかい膝の上で看取られる臨終。優しい家人に感謝。有難いことです。 呼吸が浅くなってきました。意識も混濁。いよいよ今わの際です。旦那が動かぬ私を彼の布団に寝かせてくれました。嬉しかったです。夏の間、彼は居間の板敷きに煎餅布団を引いて、そこにゴロリなのです。私は彼の太ももや脹脛を枕、背中や頭を持たせかけるのが好きでした。いつぞやの写真です。こうして夏の夜を過ごしたのでした。 それをしてなのでしょう、今日もそうしてくれたのです。前後不覚の私に、彼が足を延ばし、寄り添ってくれました。旦那はそのまま寝入ってしまったようです。1時間も経ったでしょうか、奥さんが旦那に声を掛けました。「ねぇ、トラが呼吸していないわ。脈もないわ」目を覚ました旦那が私の胸から腹に手を添え「嗚呼、そうだね。苦しかっただろうな。よく頑張ったな。今夜はこのままにしておいてあげよう。いや、そうしたい。まだ温もりがあるし、朝まで添い寝するよ」 おかしくはありません。呼吸の止まり、脈の無い状態でも、耳は聞こえていたのです。 嗚呼、永遠の眠りです。明日の朝、旦那は早起きをし、私を土に返す穴を掘ってくれるはずです。奥さんが私をタオルにくるみ、優しくそこに寝かせてくれるはずです。花好きの彼女です、花壇のあれこれを摘んで添えてくれるでしょう。 そういえば、いつぞや旦那がつぶやいていたな「ハナニアラシノタトヘモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」よくわかりませんが、そんな気持ちで深い眠りに落ちます。旦那、もう一度バッハを聴きたかったな。ブログ読者の皆さん、さようなら。
2024年08月23日
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Tuesday, August 6, 2024 今日は杣夫の健康診断日。朝を抜いて,N医療センターへ向かいました。血圧は120の75、まずまずでしたが、視力がちょっと。左右とも1.0を下回りました。老化なのかパソコン画面の見過ぎなのか。加えて左耳、特定周波数が聞こえませんでした。耳鳴りがずっと続いているためなのか、それともこれも老化? 昼前、検査終了。バリウムは飲みませんでした。秋風の吹いて,いつものクリニックS内科で胃カメラと大腸内視鏡を一度に済ませる予定ですから。 午後はポカ休。杣夫も夏休みです。検診の帰り、いつものスーパーに突っ込みました。ケンサキと黍魚子を求め,煮付けに。勿論鯵も。ついでに真鯛2尾。帰宅してチャチャッ。写真は順番に小さいケンサキの煮付け。 黍魚子はとても新鮮でした。 チャチャッとの鯵。トラが内臓を喜びました。杣夫は家畜のホルモン、飼い猫のトラは魚のホルモン。 上記3品に加え,真鯛を塩焼きにして,妻の実家へ託けました。 午後は野良仕事を3時間。西瓜畑を始末しました。既に収穫は終わっていましたが,草むらの中にまだこれだけ残っていました。終えて,しまった,親方にこれをあげるのを忘れていた、ごめんなさい。 それを終え、茄子の根切り。スコップを根元から30cm離してグサリグサリ。そしてそこに施肥。こうしておくと秋茄子がいい感じになるのです。写真はありません。 汗びっしょりになり、ランの格好に。走り始めてRさんと行き遇わせました。写真は彼と散歩の道中です。いつの間にか鬼灯の収穫が終わっていました。 帰宅してシャワー。缶ビールを2缶干して,これをやってみました。島根・安来の甘露、月山です。料理の味を押さえ込む程の甘口、モモさん、ありがとうございました。 その月山、今日が開栓ではありませんでした。検診を前の昨夜、味見をしました。その時の当てがこれ。ゴーヤ、オクラ、茄子の天麩羅です。日本酒にはこの手とのマッチングが良いかと。 夜のお勤めを終え、ゴロリ、カープの試合を観戦。トラも杣夫の横にゴロリ。テレビは金満を相手、アドゥワが完投シャットアウト。いいぞいいぞ。 ということで今日もバタンキュー。折角なので以下に先週日曜日のサイクリンを少し。 鶴見半島コースをひとっ走りしました。吹地区あたりからの眺めです。向こうは大入島。 漁港に小イワシを曳く船曳網漁船が憩うていました。船も夏休みです。 左向こうは同じく大入島。右に遠く、湾を隔て四浦半島が霞んでいます。この色合い、「夏の往く」だなぁ。この後、米水津に抜け、浦代峠をやっつけて木立に戻りました。 その木立は稲刈りが始まりました。早期米コシヒカリです。 向津留はこんな感じです。早く新米を食べたいなぁ。 須留木の新地、中を這うクリークに布袋草が花を咲かせていました。 水辺は蓮が終わると、これに主役が回ってきます。どうですか、いい色合いでしょう。 最後の一枚は、弊社1階ロビーに飾り付けられた鬼灯タワーです。農家の方と関係者の協力あってのこと。ありがとうございました。お盆がすぐそこです。子どもたちは帰省しません。義弟が戻って夕食会が杣夫の盆会です。
2024年08月06日
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Sunday, August 4, 2024 暑い日が続きます。ウィークデーに帰宅、「ただいま」というと,「お帰りなさい,暑いわねぇ」,このところ、それが妻の決まり文句です。昼間、杣夫はエアコンの効いたビルに過ごしています。申し訳ない、その気持ちもあって、すぐに着替え、まだ残る陽に焼かれている野菜に遣り水。その後はペダルを30分~小一時間踏む一週間でした。写真は某日の朝食です。小羽鰯と茄子の漬物。ご飯がすすみました。 さて立秋は早くも明明後日、8月7日です。この猛暑をして、その日、ニュースは「暦の上では」という枕詞を使うはずです。そうして毎日、暮らす世界が焼かれながら,やがて朝の冷気を感じるようになり,日の短くなるのを実感、という日がやって来ます。そうなる前、秋の立つ前にです、杣夫は生け垣の剪定をしなければなりません。先週末と昨日、伸びた茶枝を始末しました。暑い最中、100mをエンジンバリカンを抱えての野良仕事、汗びっしょりです。終えての体重は後数百グラムで70kg台。昼ビーですぐ元に戻りますけど。 昨日は2周連続のその作業に加え、草の伸びた菜園をトラクターで耕耘しました。干天続きで乾いていました。土埃が立ちました。写真は3時間の作業中、中休みにかぶりついた西瓜です。ああ甘露甘露。 ということで、平日は仕事、週末は野良の一週間でした。飲む時間、読書の時間はあってもブログ更新を怠る杣夫です。というのも,先週も書きましたが「世界の文学」に嵌まっているのです。オリンピックは陸上競技の始まるまでそっちのけ。写真は68号。シャガールが表紙を飾っています。 この号は、ユダヤ系作家の「魂の軌跡」を特集です。読み返して,忘れていたのか、そもそも知らなかったのかのあれこれを発見。例えばシャガールの画がドイツ軍によって焼かれたとか、屋根の上のヴァイオリン弾き主人公一家がユダヤ人であるとか、マーラーがユダヤ系だとか・・・。ライ麦畑のサリンジャーもしかり。このムックは文学百科です。作家の内面にスポットを当てたん編集です。それをしての正鵠でしょう、中の見出しに「ユダヤ人であることが,人間存在の根源に作家の魂を向かわせた」とありました。ガザのこともあってということではありませんが、改めてそのとおり、魂の軌跡ではありました。 余談です。「世界の文学」の裏表紙は数号にわたり「書物の歴史をたどる」という特集があります。この号にはグーテンベルグ42行聖書の写真が載っていました。これ、慶応大学が所蔵しているとも。入手経路に興味がありますが、それはそれとして、余談の余談です。この手の書物は文京区にある東洋文庫に多く展示されています。もう1回、其処を訪ねたいな。暑い夏を凌ぐには時空間を越えた空気に身を浸すのがよいですから。 さてもネタ切れ。ということでこの1週間、朝晩に食べたものを列記します。とばし読みしてください。1枚目は某日の昼です。妻の拵えた野菜弁当です。 もう一枚、某日のそれです。食べるのはこれだけ。ご飯はありません。 冒頭、茄子の漬物を載せましたが、こちらは胡瓜の糠漬けと辛子漬け。朝に干物のない折りは、味噌汁とこれで済ませます。 朝と言えば,決まってこれも食べます。ヨーグルトの上に梅ジャム、これも妻手製です。ブルーベリーは拙宅に1本ある木から収穫のもの。少ししか穫れません。 夜の当て,付け出しにはゴーヤが多いですね。こちらはスライス。シャキシャキ感と苦みが相まって,涼を感じます。 これもゴーヤ。メニュー、あれこれ考えるものです。妻に感謝。 有る野菜を如何に工夫して違うものに見せるか。これは胡瓜とのコラボでした。以上、ゴーヤ三連発の図でした。 オクラは今年春先、会社の0B、IのK兄に苗を5本貰いました。これも毎日、収穫です。 胡麻和えの類は以前アップしたので、今回はこれを。 あっ、茄子は続いていますよ。ただ、上の野菜類や玉葱、ジャガイモの類にかまけ、頻度は少し減ったかな。 時には手の込んだものも。うっ、茄子が入っている。 これは赤ワインによく合いました。 冷酒、ワイン、ウイスキー、それぞれ飲んでいますが、今週は主にこれを攻めてみました。ストレートがいいようです。 週末は鯵刺しでいってみました。魚屋の親爺が,豊後水道沖は高水温、漁が細く,市場に魚が少ないとぼやいていました。皿の刺身は中鯵3尾分です。380円。 次の写真はキャベツ料理です。杣夫はビールをあまり飲みませんが、こうも暑いとどうしてもそれにいってしまいます。ということで適当の当てはないか。思いついたのがザワークラフトでした。簡単レシピです。先ずこういう具合に刻みます。 塩を適当に振って、ビニール袋に入れ、手のひらで押しつぶします。後はタッパーに入れ,ラップを被せ,重石を載せて常温発酵。これが美味しいんです。名前もいいじゃーないですか。ザワークラフト。 今日の写真は土用干しの梅です。 潮の噴いているのが判ります。これを見るだけで唾液腺が潤います。夏を乗り切る手立ての1つです。
2024年08月04日
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Suturday, July 27, 2024 一週間、ブログを更新できませんでした。あれこれあってのことです。それが理由、火曜から木曜まで酒を抜きました。久しぶりでした。写真は戻って月曜、夜のお勤めです。今月半ばから先週末にかけ、冷酒用の冷蔵庫が混み合ってきました。整理する必要あり、缶の類を開けました。左上は土用を過ぎての鰻肝、出来合いのものです。いつものスーパーに入る魚屋手製。 6月末にイタリアで開幕のツール・ド・フランスはニースをゴール、終わりました。パリ以外での最終日はオリンピック開催のため。今年も見応え十分の内容でした。圧倒的強さを発揮したポガチャルでした。写真はオンデマンドで放送のワンシーンです。杣夫もこんな景色の中を走ってみたい。 フランスは地球の裏側です。向こうの日中はこちらの深夜。お襁褓をしたトラがつきあってくれました。 仕事もプライベートも書くこと能わずのこと多しですが、ブログに馴染みません。ということで断捨離途中の「週刊朝日百科 世界の文学 名作への招待」を。 これ、2000年に毎週日曜日発行の文学散歩雑誌です。ヨーロッパ、アジア、南北米、アフリカ、日本・・・。大分類は地域別、小分類は作家別になって、主要作品のあらすじと背景を略述。全部で100冊。当時、購読新聞と一緒、配達して貰いました。捨てる前にもう一度目通しを、ということでパラパラ捲り始めた週初めでした。 何が「ということで」かわかりませんが,ということであっという間、週末となりました。 昨日は花金、魚喜家に突っ込みたかったのですが、疲れて真っ直ぐ帰宅。写真は帰り道、元越山の麓に懸かった虹です。台湾付近を西向けの台風が影響で,降ったり照ったり、妙な天気でした。 シャワーを浴びて,よし飲むぞ。今日は超辛口からいってみようか。 当てはコーラスに出かけた妻が作り置き、ゴーヤの味噌煮。苦みが多治見の甘露と融合でした。 冷蔵庫の整理、この酒も干さねば。 これも作り置き。生ちりめんの卵とじです。オクラが混じっていました。 もう1本抜栓。これは千葉・山武の甘露。上の2本は辛口でしたが,微発泡の甘口。バタンキュー。 明けての土曜日、今日は午前にチェーンソーを始動。玄関前の花壇に梅の古木が折れてドスン。腐れの入って寿命でした。それを根元から順に玉切り、始末。次いでエンジンバリカンを始動。茶の生け垣を剪定しました。汗びっしょり。途中、炭酸水の休憩を挟んで3時間弱。シャワーの折り,体重計に乗ったら80.2kg。よしよし、もう少しで70kg台だな。 午睡の後、サイクリングを30km。青山・岸河内コース。坂を2つ挟みました。こんな空気の中を走っています。 帰宅して再びシャワー。頭をふきふきプシュッ。写真は今日の当てです。豚肉の向こうはゴーヤの生スライス。シャキシャキ噛んでクーッ、強烈な食べ物ででした。 こちらは毎度のオクラ胡麻和え。 パプリカのマリネがいい感じでした。白ワインを欲しいな。毎度自慢ですが,これも拙宅菜園に収穫です。 缶4本で酩酊。弱くなりました。北欧のドラマ・ブリッジの続きを見ながら寝落ち。 主人公、アスペルガーの女性刑事をして,この手の障害を持つ人を理解する一助ではあります。 今日の写真は菜園に収穫の小玉西瓜です。機を逃し,少し棚落ちでした。
2024年07月27日
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