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2008.02.09
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カテゴリ: 邦画

 人気コミック(原作者大場つぐみ、画小畑健)の実写版。
 前後編の後編。


粗筋

「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」と記されたノートを拾った夜神月(藤原竜也)は、興味本位でテレビで観たある凶悪犯の名前をノートに書き込んでしまう。その凶悪犯はノートの予告通り死んでしまった。
 月の前に死神リュークが現れ、ノート(デスノート)はお前のものだ、お前が自由に使え、と言い切る。最初は恐怖を覚えた月だったが、凶悪犯たちの名前を次々とノートに書き始めるようになる。
 世界中であまりにも大勢の凶悪犯が死んでいくので、マスコミの何らかの関連性があるのでは、と報道。警察も動き始めた。
 一方、市民は凶悪犯を処罰するこの「謎の救世主」を「キラ」と呼んで、崇めるように。
 しかし、名探偵「エル」の登場で、月の思惑は狂い始める。エルは驚異的な推理力で「キラ」こと月に接近。
 月は幼馴染でもある恋人を犠牲にし、自身の「潔白」を証明した。
 一方、別のところで、あるアイドルが別の死神のデスノートを拾った……。
 ここまでが前編。

 月は、潔白を証明し、エルに接近したつもりだった。
 が、エルは月への疑いを捨てた訳ではなかった。
 月もそれを理解し、エルとの頭脳戦を続ける。
 一方、別の死神のデスノートを拾ったアイドルは、熱狂的なキラ信者で、第二のキラとして殺人を繰り広げるように。ふとしたことから、月が第一のキラであることを知ってしまう。月と強引に接触した。
 アイドルが第二のキラだと悟っていたエルは、直ちにアイドルを確保。監禁する。キラの「殺人方法」が分からないので、監視下に置いたのだ。キラによる殺人が減少したので、監禁すると「殺人」が行えないことだけは分かった。
 エルを始末したい月は、アイドルが持つ「死神の目」が何が何でも必要だった。月はアイドルの「無実」を勝ち取る為、動き出す……。


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感想

月とエルとの天才同士の対決の結末は……、という触れ込みで話題になっていた作品だが……。
 やはり結末は平凡。
 二人が仕掛ける頭脳戦が展開されるだけだから。
 派手なアクションシーンがある訳でもない。登場人物らの会話でストーリーが進むだけ。
 テレビドラマとして観るなら充分以上に見応えがあるが、映画となると、迫力不足。
 迫力不足を補う為に死神を全てCGで製作するなど、ビジュアル面で工夫しているが、前編で出し切っているので、本作では既に新鮮味がない。

 ストーリー展開にも納得がいかない部分が多い。
 捜査班がデスノートを入手し、「死神」の存在を知ってしまうのだから。
 その割には「死神」の存在が知られてしまった今後の世界はどうなるのか、それを追求する部分が全くないのはおかしい。
 関係者に緘口令を敷けばいい、という問題ではなかろう。

 尻尾を出さない月に対し、エルは最大の罠を仕掛ける。
 月に自分を殺させるのだ。
 といっても、本名を記入させた直後に死んでしまっては困るので、別のデスノートにあらかじめ自分の名前を記入。デスノートは、既に別のデスノートに記入されている名前を書き込んでも効果はない。月が自分のデスノートに名前を記入しても直ぐには死なない状況を作った上で、エルは月にデスノートを使わせ、「現行犯」として捕まえる。
 ようするに、エルは自分の命と引き換えに月がキラであることを証明したのだった……。
 ……「世界的名探偵」にしては、極端過ぎる行動。
「天才」なら、自分を犠牲にせずに解決する方法を考え出せなかったのかね、と思ってしまう。
 月は、確かに殺人者かも知れないが、その「凶器」を月に与え、殺人者に仕立て上げたのは死神。死神は当然ながら何のお咎めの受けない。というか、受けさせられない。月を「現行犯」で捕まえたところで、月の暴走を食い止めるだけで、デスノートによる「殺人」は続くのだ。
 命懸けでやるようなことではないだろう。

 本シリーズでは、死神とは、あくまでも人間の名をデスノートに記入する存在。
 人間の寿命を延ばすことはあってはならない。
 もし人間の寿命を延ばすようなことをすると、死神は「死ぬ」。
 死神として失格、と見なされるからだ。
 ……ということだが……。
 デスノートを人間界に落とし、人間に拾われてしまう時点で、「死神としては失格」だと思うのだが。
 今回も、馬鹿な死神がデスノートを落とし、月が拾ってしまった結果、多数の人間が無意味に死んでいる。
 そのことで死神が何のお咎めもないのはなぜなのかね。

 また、不思議に思うのは、デスノートを拾った人物がせこい犯罪者や周囲の者などしか殺そう、という発想しか生まれないこと。
 世界各国の大物政治家(米露の大統領など)など、世界を揺るがせる者には全く手を付けない。
 殺人者などを始末するのも「正義」だろうが、独裁者などを始末した方が余程「正義」だと思うのだが。
 それだと世界が混乱し過ぎるので、死神がそのような世界観を持てる者にデスノートが渡らないよう、配慮しているのかも知れないが。
 そういう風に見ると、月は所詮小物だったことになる。

 それにしても、本作ではデスノートが出回り過ぎ。
 人間が滅亡していないのがおかしい。

 本シリーズでは、主人公の月を演じた藤原竜也より、エルを演じた松山ケンイチが注目を浴びた。
 エルを主人公とするスピンオフまで作られた。
 本作でも、月は何となく脇役的な存在になってしまっていた。
 藤原竜也、てあらゆる意味で不運な俳優である。


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Last updated  2008.02.09 14:15:35
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