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2009.02.16
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カテゴリ: 邦画

ミッドナイト イーグル
映画「 ミッドナイト イーグル
この作品情報を楽天エンタメナビで見る


 高嶋哲夫の小説の実写版。
 大沢たかお、竹内結子出演。


粗筋

北アルプスで撮影をしていた元戦場カメラマンの西崎(大沢たかお)は、墜落する赤い光を撮影する。
 西崎は後日それについて新聞記者の落合(玉木宏)に問い合わせる。航空自衛隊機がエンジントラブルで墜落した光だろう、と教えられるが、西崎は納得がいかない。自分が見た光は自衛隊機ではない、と。ただ、その時はそれ以上言及しなかった。
 それからまもなく落合が西崎を訪ねる。墜落した自衛隊機のニュースを追跡する、と。西崎は嫌々ながらも付いていくしかなかった。
 墜落現場の山へ通じる道路は全て警察によって閉鎖されていた。
 西崎と落合は徒歩で現場へ向かうことにした。そこで二人が見たのは、真っ白に武装した自衛隊の行軍だった。
 異常を察した西崎は、引き返すことを提案するが、落合は言う。これはただの墜落事件ではない、と。米軍で侵入事件があり、それと今回の墜落と関連性がある、と。
 西崎と落合は、山中でキャンプを張る。すると、何者かによって銃撃される。自衛隊か、と一瞬疑うが、戦場を歩んでいた西崎は直ちに悟る。自衛隊以外の勢力によって襲われた、と。
 一方、雑誌記者の有沢慶子(竹内結子)は、米軍基地に侵入して逃走したと思われる人物を追っていた。その人物は、某国の工作員だった。
 西崎と落合は、自衛隊と謎の戦闘部隊との銃撃戦に遭遇。自衛隊は、佐伯三等陸佐(吉田栄作)を除いて全滅。その自衛隊員は二人に下山を勧告するが、二人は拒否。逆に、任務遂行にはアルプスに慣れた自分らが同行しないと無理だ、と言う。
 自衛隊員は戸惑いながらも二人と共に目的地へ向かう。
 その時点で、自衛隊員は二人に事の真相を伝える。北朝鮮の工作員が米軍基地に侵入し、ステルス爆撃機ミッドナイトイーグルに爆弾を仕掛けた。ミッドナイトイーグルはその爆弾によって墜落。
 最大の問題は、ミッドナイトイーグルが核兵器を搭載していたことだった。放射能汚染によって東京などで数百万の死者が出る恐れがある、と。
 北朝鮮の部隊は、核兵器を手に入れる為に、アルプスに潜入。自衛隊部隊を襲撃していたのは、この部隊だったのである。
 西崎、落合、佐伯は、たった三人で核兵器を奪還しなければならなくなった。
 一方、首相官邸は核兵器を搭載した米軍機がアルプスに墜落し、北朝鮮の特殊部隊がそれを狙っていることを知らされる。首相は、周辺住民、米国、そして知らぬまま放射能汚染にさらされる可能性のある東京市民への配慮に苦慮することになる。
 西崎、落合、佐伯はようやく墜落現場にたどり着いたが、北朝鮮の特殊部隊は爆撃機に一足先に到達していた。北朝鮮の特殊部隊は核兵器を2時間で起爆するよう設定していた。
 西崎、落合、佐伯は首相官邸と交信することによって核爆弾を解除することに成功するが、北朝鮮の特殊部隊は残っていて、核兵器を再度奪取しようと試みていた。
 日本政府としては自衛隊特殊部隊を送り込みたいところだが、山中なので無理。といって、民間人2人と自衛官1人で北朝鮮の特殊部隊を阻止させるのも無理。
 核兵器が北朝鮮の手に落ちるのを防ぐには、一帯を空爆するしかない。
 西崎らはそれを首相に勧告。自分らはもう死ぬ覚悟はできている、と。
 首相は、重い決断を下す。
 ミッドナイトイーグル墜落現場は、日本政府の要請を受けて発射された米海軍のトマホークによって爆破。
 西崎らは北朝鮮の特殊部隊を道連れに、日本という国を守る為に壮絶な死を遂げる。


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感想

原作は読んでいないのでどうなのか分からないが、典型的な日本映画。
 大作ぶっているのだが、チープさがどことなく漂う。
 ご都合主義も多過ぎる。

 西崎と落合は謎の戦闘部隊によって何度も銃撃されるのだが、全く負傷することなく切り抜ける。丸腰なのにも拘わらず。
 一方、フル装備で、訓練を積んでいる筈の自衛隊特殊部隊は一人を除いて呆気なく全滅。ようするに、自衛隊特殊部隊は、「自衛隊員と民間人二人が協力してミッションを遂行する」という設定を確立する為の雑魚。
 そういう設定を作らないと今回のストーリーが成立しなかった、というのは理解できるが、自衛隊をここまで無能扱いしていいのかね。
 これだったら西崎と落合の民間人と一人の自衛隊員が絡むストーリーではなく、最初から北朝鮮特殊部隊VS自衛隊特殊部隊(民間人は登場しない)というストーリーにしていれば無理がなかったのに、と思う。
 そうすれば、一国の首相が民間人に無線を通じてペコペコするアホみたいなシーン(?)は必要なかったし、蛇足的な家族愛のシーンも必要ないし、薄っぺらな平和を論じるシーンも必要なかっただろう。
 自衛隊が主人公の戦闘物だと都合が悪いのか。

 本作は、小説がベースとあって、国家機密に巻き込まれた民間人、民間人の個人的なトラブル、家族愛、政府首脳の苦悩、自衛隊など、事件を多方面から取り上げている。
 小説なら、そういったものを深く掘り下げて描けるのだろうが、映画は2時間程度。
 したがって、全ての要素が表面的にしか取り上げられていない。浅いし、まとまり感がない。
 アクションを描きたかったのか、家族愛を描きたかったのか、平和論を描きたかったのか、核の恐ろしさを描きたかったのか、日米安保問題を描きたかったのか、さっぱり分からないのである。
 これまでの日本の「大作」と同様、大風呂敷を広げてみたもののきちんと畳められなかった様子。

 主人公が皆の為に自らを犠牲にするところは、アルマゲドンそっくり。
 ラストの場面も、何となくアルマゲドンぽかった。
 アルマゲドンは何となく泣けたが、こちらはそういった感動もない。
 必然性が感じられなかったからか。
 もっと他の解決方法があっただろう、と考えてしまうのである。

 日本映画特有の「戦争は悪」の教訓の押し付けも正直ウンザリ。
 戦闘場面がある映画を「教訓」抜きで上映したところで、鑑賞者が「戦争はカッコいい! 日本も戦争できる国になるべきだ!」なんて主張し始めるほど馬鹿だとは思えない。仮にそう主張し始めたとしても政府が一々応じる訳がない(一部の政治家は軍拡を推し進めたいと思っていたとしても)。
 なぜ日本は一々「教訓」を挿入するのか。
 上述したような自衛隊を主人公とした戦闘物が作れないのも、こうした製作者(そして原作者)側の「自主規制」があるからか。
 だから日本のアクション物は退屈なのである。

 脚本も典型的な日本映画のもの。
 映画なんだから、映像で物事を描写すればいいのに、何卒台詞で説明しようとする。普通の人間はここまで喋らないのに、である。
 だから台詞や演技や演出がリアルでなく、舞台演技のように見えてしまう。
 日本の脚本家は、映画の脚本と舞台の脚本は別物だ、てことを理解していないのか。
 舞台と映画の仕事を掛け持ちしていて、こんがらがってしまうのか。

 ベストセラーだからといって小説を無闇に映像化すると、ストーリーの陳腐さや欠陥を際立たせてしまうだけで、映画製作者にとっても原作者にとっても利益にならない。
 本作は、それを地で行った感じ。
 小説のストーリーは、小説であるからこそ成り立つ。小説で熱烈に受け入れられたストーリーであったとしても、別の媒体に移したところで鑑賞に堪えられるとは限らないのである。
 いい加減、映画製作者も気付いてほしい。
 映画製作者側は、「あれ? この小説、こんなに退屈だったのか? この程度のものがなぜベストセラーに?」と後悔してそうだし、原作者も「あれ? 自分の作品はここまで穴だらけだったの? 醜態をさらしてしまった」とショックを受けてそう。


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Last updated  2015.07.03 18:39:37
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