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2023.02.17
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RRR

カテゴリ: 洋画

 2022年に公開されたインドのミュージカルアクション映画。
 監督・脚本はS・S・ラージャマウリ。
 N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア、ラーム・チャラン、アジャイ・デーヴガン、アーリヤー・バット、シュリヤ・サラン、サムドラカニ、レイ・スティーヴンソン、アリソン・ドゥーディ、オリヴィア・モリスが出演。
 実在した独立運動指導者コムラム・ビームとアッルーリ・シータラーマ・ラージュを主人公としているが、内容は完全に創作で、2人が歴史上に登場する以前の時代を舞台にし、2人がイギリス領インド帝国に戦いを挑む姿を描いている。
 原題は「RRR」で、「アール・アール・アール」と読む。制作関係者らのイニシャルを並べただけの仮タイトルだったが、特定の言語のタイトルにしてしまうと多言語のインド国内では成立しないとの事で、インド国内の言語に左右されない仮タイトルが正式な映画名になったという。


粗筋

第一部

 1920年のイギリス領インド帝国。
 インド総督スコット(レイ・スティーヴンソン)の一行は奥地にあるゴーンド族の村を訪れ、そこで芸術の才のある少女マッリと出会う。マッリの才能を気に入ったキャサリン総督夫人(アリソン・ドゥーディ)は僅かな金を親に投げ付けてマッリを買い取り、彼女を総督府のあるデリーに連れ去ってしまった。
 後日、ニザーム藩王国の特使が総督府を訪れ、マッリをゴーンド族に返すべきと勧告する。対応したスコットの側近エドワードは、勧告を一蹴。特使は「引き渡さなければ、彼らの守護者がイギリス人に災いをもたらすだろう」と忠告した。

 一方、ゴーンド族の守護者ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)は、マッリを取り戻す為に仲間を連れてデリーに向かい、行方を捜していた。

 デリー近郊の警察署。
 イギリス当局によって逮捕された独立運動家の釈放を求めるデモ隊が押しかけていた。
 インド人ながらも警察官としてイギリスの為に働くラーマ(ラーム・チャラン)は、単身デモ隊の中に飛び込み首謀者を逮捕する手柄を立てる。が、イギリス人署長はその功績を認めなかった。

 総督府では、ゴーンド族の刺客が総督の命を狙っている事態について、協議が開催される。
 しかし、刺客の正体が全く分からない以上、莫大な数のインド人の中から探し出して確保するのは不可能に映った。
 業を煮やしたキャサリン総督夫人が宣言する。刺客を捉えた者は特別捜査官に昇進させる、と。
 特別捜査官という名誉ある地位を餌にされても、不可能である事は変わらず、誰も手を挙げない。
 そんな中、ラーマが現れ、担当捜査官に名乗りを挙げる。
 突然名乗り出たインド人に、会議参加者らは疑いの目を向けるが、会議に出席していたラーマの上司である署長は、刺客を捕らえられる者がいるとしたらこいつしかいない、と一応太鼓判を押す。
 キャサリン総督夫人により、ラーマは担当捜査官に任命された。
 ラーマは、同じく警察官の叔父ヴェンカテシュワルルと共にデリー市内の独立運動家の集会に潜入。ラーマは独立運動家を装い、総督の命を狙いたいと何気に話してみると、マッチュという男が接触してきた。
 マッチュが異様にも総督府への潜入にこだわっていたので、ラーマは話を聞き出そうとするが、ふとした事で独立運動家ではなく警察官だ、と正体がばれてしまい、逃げられてしまう。
 マッチュは、ビームの下に逃げ戻り、警察官がお前を探している、と告げる。
 ビームは、自身の存在を相手側に知られてしまった事に動揺するが、今更使命を諦める訳にもいかない。マッチュに対しお前は身を隠していろ、使命は自分と残った仲間で進める、と伝えるしかなかった。
 マッチュが姿を消した直後、追手のラーマが側に姿を現す。
 その時、近くで列車事故が発生し、少年が事故に巻き込まれそうになる。
 ラーマとビームは、誰にも命じられる事無く協力して少年を助け出した。
 これをきっかけに、二人は互いの正体を知らぬまま交流を重ねていく。

 ビームは、マッリが拘束されていると読んだ総督公邸に潜入する機会を窺っていた。
 目を付けたのが、スコットの姪ジェニー(オリヴィア・モリス)だった。ジェニーは他のイギリス人とは異なりインド人との接し方が寛容だったので、事情を説明すれば助けてくれるのでは、と期待していた。が、ジェニーと接触する機会にもなかなか恵まれない。
 そんな姿を見ていたラーマは、ビームがジェニーに片思いしていると勘違い。
 ラーマは、ビームがジェニーと接触するのを手助けする。
 ジェニーと親しくなったビームは総督公邸に招待される。隙を狙って公邸内を偵察し、マッリと再会。ここで救出すればビームの使命は完了するが、この時は居所を確認するのが精一杯で、救出は無理だった。
 直ちに救出されないと知ったマッリは落胆する。
 ビームは、必ず戻って来て助け出すと約束し、総督公邸を後にする。

 一方、ラーマは警察官としてデリー内を捜索してマッチュを見付け出し、拘束する。
 ラーマは仲間の居所を吐けと拷問するが、隙を突かれて蛇に噛まれてしまう。マッチュから「解毒方法はゴーンド族の者しか知らない」と告げられたラーマは、意識が朦朧としていく中、親友のビームの下へと向かう。

 ビームは仲間と共に総督公邸に乗り込む準備を進めていた。
 そこに蛇毒が回って瀕死の状態のラーマが現れる。
 ビームはゴーンド族に伝わる解毒方法でラーマを介抱した。
 意識が薄れる中、ラーマはビームがマッチュと同じ装飾を身に着けている事に気付き、自分が追っていた刺客がビームだと悟る。
 ビームは、ラーマが自分を追う警察官だと知らないまま、自身の正体を明かす。
 自分はマッリを助け出す為に総督公邸に乗り込む、仮に失敗して死んだとしても後悔は無い、自分の正体をこれまで明かしていなかったのは親友であるお前を巻き込みたくなかったからだと告げた後、ラーマを残して総督公邸に向かう。
 その夜、総督公邸ではパーティーが催されていたが、そこにビームが野生動物を満載したトラックで乗り込んできた為、会場はパニック状態になる。
 ビームがこれに乗じてマッリの解放に向かおうとした矢先、蛇毒から回復したラーマが姿を現す。
 ビームは、警察官の制服姿のラーマを見て驚く。自分を追っていた警察官は親友のラーマだったのかと。
 ラーマは、冷酷にもビームに対し、総督の命を狙った罪で逮捕するから受け入れろと命じる。
 ビームは、自分は総督の命を狙ってなんかおらず、マッリを救出したいだけだと反論。
 ラーマはその言葉を受け入れず、逮捕に動く。
 ビームは抵抗するが、格闘の末に逮捕されてしまう。

第二部

 ラーマは、ビームを逮捕した功績により、約束通り武器庫の管理権限を持つ特別捜査官に昇進した。
 特別捜査官の制服に身を包んだラーマは、この日をどれだけ待っていたかを回想する。
 ラーマの父ヴェンカタは警察官だったが、スコットの圧政に耐えかねて脱走し、独立運動家として村人らに戦闘訓練を施していた。
 ある日、イギリス軍が村を襲撃し、ヴェンカタと幼いラーマは村人らを逃がす為に戦いを挑むが、その中でラーマの母親と弟が殺され、ヴェンカタも重傷を負わされる。
 ヴェンカタはイギリス軍に投降する振りをして、自身が隠し持っていた爆弾をラーマに狙撃させ、イギリス軍を巻き込んで爆死する。
 数年後、成長したラーマは警察官となり、父の指示で警察官になっていた叔父ヴェンカテシュワルルと行動を共にし、警察組織での出世を目指していた。
 イギリス人を欺いて特別捜査官にまで出世すれば、管理下にある武器を横流しして村人に手渡し、イギリスの武器でイギリスと戦えるようになる、と考えていた。
 ただ、特別捜査官にまで昇進するには、イギリスを欺き続けなければならず、その為には同胞のインド人を犠牲にする事を躊躇してはいられなかった。
 漸く念願の特別捜査官となり、武器を横流し出来る立場になったものの、武器を村人に手渡して独立運動を起こせたとして、果たして同胞のインド人を散々痛め付けていた自分にインドの人々が真意を理解して後に続いてくれるのか、とラーマは悩む様になる。

 逮捕されたビームは、見せしめとして、スコット夫妻や民衆の前でラーマの手によって鞭打ちの刑に処せられる。
 が、ビームは屈せず、歌で民衆を鼓舞する。
 触発された民衆が暴動を起こした為、刑の執行が中止されるに至った。
 その姿を見たラーマは、ビームの様に歌だけで民衆を奮い立たせられる者の方が独立運動を起こすのに相応しいのでは、と考えを改める。いくら武器を民衆に渡したところで、民衆を奮い立たせられなければ独立運動にならない、と。
 ラーマは、ビームを逃す事を決意する。
 ラーマは、ビームをデリー郊外に連れ出してマッリの目前で処刑してはどうかとスコットに提案する。
 スコットは、ラーマの面従腹背を知らず、その提案を受け入れる。
 ビームとマッリは、ラーマの思惑通りデリー郊外へ連れ出される。
 ラーマの計画は処刑場でビームを解放し、マッリと共に逃げし、序にスコットに致命傷を与える、というものだった。
 が、直前にスコットがラーマの企みに気付き、兵を差し向ける。
 ラーマはビームの解放とマッリの救出には成功したものの、銃撃されて重傷を負い、その上事情を知らないビームに殴られてしまう。
 ビームはマッリを連れて逃走。
 ラーマは、意識が朦朧とする中、2人を逃がす為にイギリス兵の追跡を妨害した。

 数カ月後。
 デリーから逃れ、ある町に潜伏していたビームらは、警察の捜査網に掛かり発見されそうになる。
 が、居合わせたラーマの婚約者シータ(アーリヤー・バット)の機転で難を逃れた。
 シータは、ラーマがイギリスの為に働いている振りをしながら実は独立闘争を起こす為の計画を立てていたが、ある親友を解放する為にそれらを全て捨てる決意をした、との手紙を受け取ったと話した。
 ラーマは親友を解放する事に成功したが、自身は捕まり、反逆罪で近々処刑される事になっている、と。
 ビームは、ラーマが言うある親友とは自分の事で、独立運動を起こすという大きな目標を達成する為に己を殺して長年動いていたにも拘わらず、自分の為に全てを捨てたと知って驚愕する。
 ラーマは、シータに対し、その親友とは自分の事だ、自分にはラーマを救出する義務がある、絶対に救出するから待っていてくれと約束する。 
 ビームはジェニーの協力を得て、ラーマが収監されたバラックを突き止める。
 バラックに潜入したビームはラーマの救出に成功して森の中に逃げ込む。
 が、スコットに命じられたエドワードが特殊部隊を率いて追跡を始める。
 ラーマは、森の中にあったラーマ神の祠にあった長弓を手にしてビームと共に反撃。
 特殊部隊は全滅し、エドワードも戦死する。
 2人はそのまま総督府に向かい、オートバイを突入させる。オートバイは武器庫で爆発し、弾薬の誘爆により総督府は崩壊する。
 キャサリン総督夫人は崩壊に巻き込まれて命を落とし、追い詰められたスコットもビームに射殺された。
 スコットを倒した2人は総督府の武器を持ち出してデリーを後にし、シータ、ジェニーと合流する。
 ラーマは故郷の人々に武器を送り届ける事に成功し、ビームはマッリと共に村に戻り彼女の母親との再会を成功させる。



感想

 インド国内でインド人鑑賞者のみの為に上映する事を想定して製作されながら、ふとしたきっかけで海外でも上映されるようになり、インド人以外からも好評を得て大ヒットするという、ひたすら幸運に恵まれた作品。
 幸運に恵まれるのに相応しい力作だった、という事もあるが。

 インドは多言語国家で、言語があまりにも多く隣人同士でも会話が出来ないくらいだという。
 英語が使用されているのも、植民地時代からの共通言語として合理的だから、という理由(本作から滲み出ているインド人のイギリス嫌いからすれば、仮に英語以外の共通言語が現れればそちらに速攻で移行すると思われる)。
 映画業界も、その特異的な社会を反映してか、言葉が通じなくてもストーリーを追える様な演出にする事に長けている。
 それが、インドの言語が全く通じない他国の者でもストーリーを追える、という事に繋がり、世界的にヒットした理由にもなった。

 ただ、元々インド国内限定の映画として制作された為、国民感情を汲み取って旧宗主国のイギリスを徹底的に悪者に仕立てていて、その描写はインド以外の国の者が見るとえげつなく、イギリスは抗議しないのかと心配してしまう程。
 インドからすれば、「お前らイギリス人はフィクションとしてでなく、実際に我々に酷い事をしてきたんだから、映画での描写くらい許して当然だ」という事になるのかも知れないが。

 ストーリーは非常に分かり易い一方で、お決まりの様にご都合主義も多い。
 舞台となった1920年代でも人口が圧倒的に多かったとされるインドの首都デリーで、追う者と追われる者が互いの正体を知らずに出会って友情を育む、というのは出来過ぎ。
 また、追う者であるラーマは、追っている相手の正確な似顔絵を作成しているのに、それを見て目の前の親友そっくりだといつまで経っても気付かないのもおかしい。後に親友が持っている装飾品が、追っている者の仲間が持っていた装飾と同じだと気付く事で親友の正体を知るが、寧ろそちらの方が有り得ないと思った。
 デリーを脱出したビームが、潜伏先である女性と知り合い、それがラーマの婚約者だった、という展開も出来過ぎ。
 インドはどこまで狭いんだ、と思ってしまう。
 ただ、この手のご都合主義は日本の捕物帳でもよく見られるので、排除してしまうとストーリーが成り立たなくなるので、仕方ないといえる。

 ラーマがイギリスの警察組織に潜入し、そこで15年間も己の野望を隠して組織の中で昇進していき、やっと待望の地位にまで上り詰めたのに、親友を助ける為とはいえ全てを捨てて自分の本性をイギリスに明かしてしまうのもどうかね、と思う。
 作中では同胞のインド人を躊躇い無く痛め付けているので、その落差に観ている方が戸惑ってしまう。
 ラーマがもう少し同胞のインド人に配慮する姿勢を見せていたら、ビームを助ける事に方針転換したのも理解出来たのだが。

 ビームが総督の命を狙っている(とイギリス側は勝手に思った)事が発覚し、総督府内で大暴れした後も、総督の姪に当たるジェニーがビームに協力してラーマの居所を教える、という展開も理解し難い。
 ジェニーは、ビームがあくまでも総督府に潜入する為に自分に近付いた、という事に気付いて憤慨しなかったのか。

 ラーマもビームも常人なら致命傷になるであろう怪我を負いながら、数分後には何でも無かったかの様に暴れ捲れるのも、本作ならではのご都合主義。
 二人とも無敵なのでは、と思ってしまうが、一応拘束されて拷問を受ける等酷い目に遭わされるので、不死身に近い様ではあるものの無敵ではないらしい。

 本作の上映時間は182分と、3時間を優に超える。
 作中、第1部と第2部の間に「休憩」という画面が現れる。インドでは実際に休憩時間が入れられたらしい。
 日本での上映では、休憩時間を挟む事無く、そのまま第2部に移る。
 通常、上映時間が3時間にも及ぶとどこかで中だるみが起こってしまうが、本作に至っては中身が濃い為中だるみが無く、上映終了後は「え? もう3時間経ってしまったのか」と時計を見て驚く程。

 インド映画というと歌と踊り。
 大勢の人間が突然歌って踊り捲る。
 よって、本作も一部ではミュージカル映画と紹介されている。
 だが、実際には作中で歌と踊りは2回導入されているだけで、ストーリーの流れからして不自然ではなく、ミュージカル映画に慣れていない者でも違和感を抱く事無く観られる。
 ストーリーと直接関係無い歌と踊りはエンドロールのみ。
「ミュージカル映画」として本作を紹介されると逆に違和感が。
 インド人からすると「歌と踊りが少な過ぎる」という意見もある様だが、その代わりにアクションシーンをふんだんに盛り込み、意図せずして海外向けにしたのもヒットの要因といえる。

 本作の主人公であるラーマとビームは、実在したインド独立活動家で、インドでは英雄視されている。
 ただ、本作のストーリーは完全なフィクション。
 二人はほぼ同時期に活動したが、地域が離れていて、出会った可能性はほぼ無いとされる。
 また、本作ではインドの神話の要素も盛り込んでいて、ラーマは『ラーマーヤナ』、ビームは『マハーバーラタ』で登場する神のイメージと重ね合わせたという。
『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』はインド神話の2大叙事詩だが、その中でもモデルとなった神は互いと接しないという。
 史実では、ラーマことアッルーリ・シータラーマ・ラージュは現在のアーンドラ・プラデーシュ州でゲリラ的な武装蜂起を展開するが、イギリス側の大規模な鎮圧作戦により捕まり、1924年に処刑されている。享年は25から26だった(正確な生誕日なので、享年が不明)。
 一方、コムラム・ビームは現在のテランガーナ州辺りで活動した革命指導者で、長年蜂起を指導するが、1940年に武装警官により殺害されている。享年39。
 2人とも天寿を全う出来ていないが、志半ばで倒れたからこそインドでは英雄視されているのかも。

 敵が大英帝国なので、西洋人の俳優も多数出演。
 その中で印象的なのが、キャサリン総督夫人を演じたアリソン・ドゥーディだろう。

 アリソン・ドゥーディのメジャー映画デビューは『007/A VIEW TO A KILL』でボンドガールとして(当時史上最年少だったという)。その後『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では一応ヒロイン役を演じている。
 ただ、『007/A VIEW TO A KILL』ではボンドガールと言いつつも敵の手下の一人で、後半で敵のトップに裏切られて呆気無く死んでしまう役。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では前半ではヒロインとして登場するものの途中で主人公を裏切って敵役となり、最終的には死んでしまうという役。
 いずれでもろくな死に方しかしないキャラ。
 メジャー作では自分はこうしたキャラしかオファーされないと悟ったのか、それ以降はメジャーな作品には登場せず(一時は俳優業から離れていた)、俳優歴はあまりパッとしない。
 ただ、『007/A VIEW TO A KILL』ではロジャー・ムーアと、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』ではショーン・コネリーと、そしてボンドに起用される前のピアース・ブロスナンとも共演しており、歴代のボンド俳優3人と共演を果たしているという、見方によっては物凄い経歴の女優である。
 本作でも、メインの悪役である総督を上回る残酷振りを披露する夫人を演じており、最終的にそのキャラは死んでいる。
 ろくな死に方をしないキャラをどこまでも演じ切るつもりらしい。

 本作は日本円に換算して100億円にもなる資金が制作に投じられたという。
 インドの1人当たりGDPは日本よりまだ低いので、日本の感覚だと500億円くらいの制作費に相当するのではないか。
 巨額の制作費を投じれば必ず面白い作品が出来上がる、という訳ではないが、少なくともケチりにケチり捲った末に制作された映画より面白く仕上がる可能性が高い。
 鑑賞者からすれば、鑑賞料金は同じなのだから(制作費が10倍だから鑑賞料金も10倍、なんて事にはならない)、低予算で制作された安物映画より、莫大な予算で制作された大作の方が費用対効果が良いと感じるだろう。
 日本は弥生時代から江戸時代まで、歴史的イベントや人物が豊富にあるし、神話だって多岐に亘るのだから、大作の題材なんていくらでも見付けられそうだし、そうして制作されたものを海外に発信して日本の存在感を世界にアピール出来そうだが、しょうもない国内向けの低予算ドラマの制作に留まり、国内での消費だけで終わってしまうのは不可解である。

 暴力満載で人がガンガン死ぬし、イギリスの描き方が観ていて引く程えげつない映画だが、ラーマは独立活動を促す為の武器を持ち帰って婚約者との再会を果たし、ビームは少女マッリを救い出して母親と再会させるという使命を完遂。
 冒頭でマッリの母親がイギリス兵により撲殺された様に描かれていたので(イギリス人からすると銃弾1発にも物凄いコストが掛かるのでインド人は可能な限り撲殺する)、ラストで生きて登場した事に少々驚いた。
 全体的にはハッピーエンドな作品。
 踊りと歌のエンドロールで終わるし。

 エンドロールの歌と踊りでは、ガンジー等インド独立に携わった英雄が掲げられる。
 インドの文化をあまり知らない者からすると、「へえ、インド映画では作中では登場しない歴史上の人物を掲げるのか」で終わってしまうのだろうが、インド人からすると、本編の高揚感を更に上げる演出なのだろう。
 その意味でもインド国内向けの作品で、海外で好評を得たのは奇跡としか言えない。

 単作として制作された本作だが、あまりの大成功で続編も話も出ているという。
 制作されればインドではまたヒットしそうだが、海外では二匹目のドジョウとなるかは疑問。
 ヒットしたとしても、流石に本作程のヒットには至らないと思う。







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Last updated  2023.04.23 14:51:39
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