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2023.12.04
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カテゴリ: 洋画



 ディズニーによる長編アニメ映画。
 2009年公開。
 現時点ではディズニーによる最後のセルアニメ映画となっている。
 E.D.ベイカーのジュブナイル小説「カエルになったお姫様」を下敷きに、ディズニーがアレンジを加えたもの。
「カエルになったお姫様」も、19世紀のグリム童話の一つ「かえるの王さま」を元にしている。
 原題は「The Princess and the Frog」。




粗筋

 ニューオーリンズのフレンチ・クオーターに住むティアナ。
 彼女の父親は料理が上手く、レストランを開業する夢を抱いていたが、実現出来る前に死去。
 ティアナは、父親の夢を代わりに実現するのが自分の使命だと考え、開業資金を貯める為ダイナーでアルバイトをして頑張っていた。

 ある日、マルドニア王族の一員であるナヴィーン王子がフレンチ・クオーターを訪れる。彼は、ティアナの幼馴染であるシャーロットの父が開催する仮装パーティーに招待された。
 シャーロットは幼い頃からプリンセスになる事を夢見ており、シャーロットの父は娘の夢を実現させる為、財力に物を言わせ、招待したのだった。
 調理人として雇われたティアナも、パーティーに出席する事となった。
 パーティーで得られる報酬で、貯金が開業に必要な額に達すると喜んでいたティアナだったが、それから間も無く不動産屋から連絡が入り、ティアナがレストランを開こうとしていた物件に別の買い取り手が現れたので、話は無かった事にしてくれ、と言われてしまう。
 漸く夢が実現すると思っていたのに、目標を失い、うなだれるティアナ。
 シャーロットに促されたティアナは、渋々パーティーで調理人として仕事をしていると、一匹のカエルが突然人間の言葉で話し掛けて来る。
 カエルは、ブードゥの使い手であるドクター・ファシリエに促されるままに魔法を掛けられてしまったナヴィーンだと言い張った。パーティーに出席しているナヴィーンは、実はファシリエにより姿を変えられた召使いローレンスだ、と。
 ナヴィーンに成りすましたローレンスは、シャーロットに求婚。ファシリエとローレンスは、シャーロットの父親のの財産を奪うつもりだった。
 カエルに変えられたナヴィーンは、隙を見て脱出したが、カエルの姿のままではどうする事も出来ない。人間の姿に戻るには「プリンセスとキスをする」が条件だった。
 ナヴィーンは、偶々プリンセスに仮装していたティアナの姿を見て、彼女を本物のプリンセスだと勘違い。彼女にキスしてくれるよう頼む為、声を掛けたのだった。
 ティアナは自分はプリンセスなんかではないと拒否するが、ナヴィーンは聞き入れない。
 執拗に迫られたティアナは、ナヴィーンをキスするが、彼は人間の姿に戻らなかった。
 逆に、ティアナがカエルに変わってしまう。
 ナヴィーンは、自分がカエルのままであり、ティアナがカエルになってしまった事に驚く。偽のプリンセスだったのか、と。
 ティアナは、自分はプリンセスなんかではないと説明した筈だと憤慨。
 二人は衝突するが、ファシリエらが現れた事もあり、共にパーティー会場から脱し、ジャングルに辿り着く。
 ジャングルで、人間と一緒にジャズ演奏したいという夢を持つワニのルイスと、一番星をメスのホタルだと勘違いして恋しているホタルのレイと出会う。
 一行は、魔法を解く事が出来るというブードゥの尼僧ママ・オーディの元へ向かう。
 苦労の末ティアナらはママ・オーディを探し出し、人間に戻して貰うように頼む。
 が、ママ・オーディは「本当に大切なものは何かを考る事」と言うだけで、二人を人間に戻そうとしない。
 夜の12時までにシャーロットにキスしてもらえば人間に戻れるとママ・オーディに言われたティアナらは、ニューオーリンズ行きの船に乗る。
 ナヴィーンは、ティアナと行動を共にしている内に彼女を愛する様になったと自覚し、彼女にプロポーズしようとするも、レストランを開業するという夢をひたすら語る彼女を前に、自分の気持ちを押し込めるしかない。その直後、ファシリエによって捕らえられてしまう。
 ティアナは、結婚式のパレードの最中、ナヴィーンに成りすましたローレンスとシャーロットが寄り添う姿を目撃。
 ナヴィーンがシャーロットに鞍替えしたと勘違いして、ティアナはショックを受ける。
 レイは、ナヴィーンがティアナを捨てたとは信じず、偽ナヴィーンに迫ると、本物のナヴィーンがファシリエに捕われている事を知る。魔法の力の源であるタリスマンをファシリエから奪い取り、ティアナに渡す事に成功するが、ファシリエによって踏み付けられてしまった。
 ファシリエは、ティアナの前に姿を現し、タリスマンを返すよう、迫る。返せば、お前の夢を叶えてやる、と。
 ティアナは、ファシリエの魔術により夢のレストランと、その夢を実現出来なかった父親の幻想を見せ付けられる。が、彼女は「本当に大切なものは愛だ」と気付き、タリスマンを破壊する。
 ファシリエは、タリスマンの破壊によりブードゥの魔物との密約を果たせなくなり、その対価として魔物らに引き込まれ、自分の墓に取り込まれた。
 ティアナは、パレードに出席しているナヴィーンが偽物だと知り、「貴方と一緒でないと夢は実現しない」と告白し、ナヴィーンと気持ちを確かめ合う。
 シャーロットはその現場に立ち会い、、ナヴィーンとの結婚を諦め、二人を祝福する。
 その時点で、ルイスが瀕死の状態のレイを連れて来る。
 レイは、ティアナとナヴィーンの気持ちが通じ合った事を見届け、息絶える。
 悲しみに暮れるティアナらは、ジャングルに戻り、レイを水葬。
 その直後、夜空の一番星の隣に、もう一つの星が輝いているのを知る。レイはあの星になったのだと感激する。
 ティアナとナヴィーンはカエルの姿のまま、ママ・オーディの立会いの下、結婚式を挙げる。式の最後でキスをすると、二人は人間の姿に戻った。ティアナが王子のナヴィーンと結婚した事により、正真正銘のプリンセスとなったので、キスにより魔法が解けたのだった。
 二人はニューオリンズに戻ると、レストランを開業。
 レストランでは、ルイスは店のミュージシャンとして人間と一緒にトランペットを演奏。
 ティアナとナヴィーンは、二つの星が輝く夜空の下で踊り明かす。



感想

 本作が制作された時期は既に3Dアニメが席巻しており、ディズニーはセルアニメの長編映画を制作しない方針だったが、経営陣の交代によりセルアニメこそディズニーの原点だという意見が優勢になり、セルアニメが復活する事となった。
 批評家の評価は高く、興行収入も高かったが、見込み程の興行成績を挙げられず、また経営陣が交代。
 その後制作された3Dアニメ長編が大成功を収めた事もあり、本作がディズニー最後のセルアニメ長編となってしまった。

 本作が期待以上の興行成績を挙げられなかったのは、セルアニメか否かというより、ストーリーそのものにあまり魅力が無かったのが大きい。
 仮に3Dアニメだったとしても、興行成績は変わらなかったと思われる。

 最大の問題が、何だかんだ言って子供向けのアニメ映画なのだからテーマを絞ってシンプルに、分かり易く、取っ付き易くすべきなのに、欲張ってあれこれ取り入れててんこ盛りにしてしまった事。
 原作の「カエルになったお姫様」や「かえるの王さま」は欧州が舞台のおとぎ話なのだから、そのまま制作すれば分かり易かったのに、そういうのは既に多く制作してきたので新鮮味が無いし、とにかくアメリカのおとぎ話にしたいという勝手な理由でアメリカを舞台に。
 ディズニーの方針であるポリティカル・コレクトネスを反映する為、主人公は黒人に。黒人を主人公とするなら舞台はニューオーリンズがいいだろう、という事でその通りになった。
 ニューオーリンズといえばブードゥだから、その使い手を悪役に。
 おとぎ話なのだから王子様とプリンセスの登場は外せないし、「カエルになったお姫様」と「かえるの王さま」をベースにしたいのでカエルの登場も外せない。
 主人公は夢を見るだけのプリンセスでは現代には馴染まないので、夢の実現の為に一生懸命働く真面目な女性にしなければならない。
 ……そんな訳で、主人公ティアナは真面目に働くごく普通の黒人女性として登場するが、それ以降はブードゥの魔法によってカエルの姿で活躍し、人間の姿を再び見せるのはラストだけ、という訳の分からない展開に(ポスターでは人間の姿のティアナが描かれているので、猶更)。
 カエルにこだわるなら原作に忠実して主人公を白人にして舞台を欧州にすべきだったし、ニューオーリンズにこだわるのだったらカエルの部分を完全に排除すべきだった。
 ニューオーリンズにやって来た王子様がブードゥの使い手による陰謀に巻き込まれ、それに調理担当として偶々その場にいた黒人女性も巻き込まれて騒動の末に2人で悪役を倒して結ばれる、という展開でも充分成立しただろうに。
 人間の言葉を話せる動物等が登場すれば子供が喜んでくれる、という発想は安易過ぎないか。
 大人が鑑賞するには幼稚過ぎ、子供が鑑賞するには複雑過ぎ。
 どういう層に見てもらいたいのか、分かり辛い作品。

 主人公のティアナが魅力に乏しいのも問題。
 日本のアニメだとしょうもないチンピラが主人公となっているのが多く、何故こんなチンピラを見せられるんだ、もっとまともな奴を主人公に据えろ、と思ってしまう。
 が、いざ本作の様に真面目一辺倒の者が主人公に据えられると、物足りなく感じてしまうのは観る側の贅沢か。
 ティアナは働き者で、周囲から愛され、本人も周囲の者を愛し、苦難にも前向きに取り込み、非の打ち所が無い。
 ナヴィーンと行動を共にする様になってから必ずしも全ての人間と渡り合えない事が明らかにされ、欠点が見えてくるのは皮肉。

 ティアナの相手役はナヴィーン。
 正真正銘の王子様。
 働き者で非の打ち所が無いティアナに対し、王子として恵まれた環境で生まれ育った為遊んで暮らすしか能が無い。召使のローレンスをこき使い、裏切られてカエルに変えられてしまう。それくらい人望が無い。
 カエルに変えられたのは自業自得で、ティアナと会っていなければカエルとしての命を全うしていただろうが、運命的な出会いで人間に戻れ、ティアナというプリンセスを得る。
 作中では改心し、ティアナと共に店を盛り上げていく、というエンディングになっているが……。
 一時的な感情に過ぎず、店の切り盛りにも、ティアナにも飽きて、元の遊び人に戻ってしまう可能性が高い気がする。

 ティアナの幼馴染として、シャーロットというキャラが登場。
 ティアナとは対照的なキャラとする為、白人で、金持ちの令嬢で、苦労知らずで、王子様と結婚する事を夢見るしょうもない女性として描かれている。
 こんなキャラだと、白人への差別にならないか、と思ってしまう。
 最終的にはナヴィーンとの結婚を諦め、ティアナとナヴィーンの結婚を心の底から祝福するので、根が単純で自身の欲望に素直なだけで悪人ではない、となっているので、救いはあるが。

 ティアナを導く者として、尼僧ママ・オーディが登場。
 ジャングルの中に住み、ブードゥを使う恐ろしい存在としてレイやルイスから恐れられていたが、実際に会ってみると言動が異常なだけの老女だった。
 人間の姿に戻してほしい、というティアナの頼みにも禅問答で応じるだけに留まり、それどころか夜の12時までにナヴィーンがシャーロットにキスしてもらえば人間に戻れるという、的外れのアドバイスを与える。
 本当にブードゥの使い手だったのか、と疑ってしまう。
 キャラの雰囲気は、宮崎駿監督作のジブリアニメ「千と千尋の神隠し」の銭婆を連想させる。
 製作総指揮のジョン・ラセターは、ジブリと交流があるという事で、オマージュしたらしい。
 魔法の使い手という意味では、銭婆や湯婆婆の足元にも及ばない。

 本作は、ファシリエとローレンスを除けば、これといった悪人が登場しない。
 そのローレンスも所詮欲に負けてしまった小悪党に過ぎない。ファシリエにそそのかされなければ、不満を抱えながらもナヴィーンに付き添う召使いで有り続けただろう。
 ファシリエが本作の最大の悪人ではあるが、ブードゥを操る以外は田舎町で何とか一発当ててやろうと企む一詐欺師の域を超えておらず、大悪党というレベルではない。
 子供向けのアニメだから、極悪人が登場されても困るが。

 ラストで、ティアナは念願のレストランを開業し、ハッピーエンドで幕を閉じる。
 ティアナの真面目さからすると、こじんまりとした、家庭的な店になるのかと思いきや、ジャズバンドの演奏があるナイトクラブの様な店だった。
 冒頭の幼いティアナと父親とのやり取りで連想する様な、近所の者が気軽に訪れて食事を楽しめる店ではない。
 ナイトクラブだと、料理の腕前なんて関係無いのでは、と思ってしまう。
 ビジネスを成功に導くには「Dream big, start small, act now(夢は大きく、初めは小さく、行動は今直ぐ)」というが、2番目の「start small」を完全に無視している。いきなり大風呂敷を広げて事業を始めても、技量や経験不足で失敗するだけ。
 作中では、ティアナに対し別の買い取り手が現れたから、という理由で物件の売り渡しを渋る不動産屋が悪者扱いされていた。が、単なるダイナーのウェイトレスの経験しかないティアナが、ナイトクラブを運営するノウハウがある訳が無く、借金の支払いが滞るのを恐れる不動産屋が売り渋るのも当然で、悪者扱いされる筋合いは全く無い。
 寧ろティアナの店がいつまで持つのか、と心配になる。ナヴィーンの経済援助があるから大丈夫、という見方もあるが、ナヴィーンの親は息子を一度は勘当しているのだから、店が経営難に陥って息子が金をせびりに来るようになったら、また勘当するだろう。

 本作の教訓は、「夢はただ願うだけでは実現せず、自ら動く事で実現する」という、物凄く現実的なもの。
 確かにそうなのだが、プリンセスと王子様を登場させ、二人が呪いでカエルになり、最終的にはキスで元通りになるというおとぎ話の教訓にしては夢が無い。
 鑑賞者の子供にどの程度理解してもらえるのか。

 黒人女性を主人公に据えたので、本作はアメリカの黒人のウケがいいのかと思いきや、奴隷制度の一大地域であったニューオーリンズを舞台にしたり、ブードゥを安易に黒人と結び付けて描いたりした事で、必ずしも歓迎されていないという。
 ポリティカル・コレクトネスは、結局誰にも歓迎されない。

 ディズニーによるセルアニメとあって、登場人物の表情や動きは3Dアニメでは有り得ないくらい豊か(日本人からすると不自然過ぎるくらい豊か)なのは特筆すべき点。
 日本のアニメは日本国内では世界一のレベルであるかの様に報じられているが、本作を観る限り日本のアニメはまだまだアメリカのものに劣る。
 というか、表現の文化が全く異なり、「世界一のレベル」が国によって異なる事を改めて感じさせる。







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Last updated  2023.12.07 22:20:38
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