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深田恭子出演作。粗筋・感想 原作は、確か長者番付常連作家赤川次郎の初の長編作品だったから、かなり昔のものになる。なぜ今更? と疑問に思う。発表当時は納得がいくであろう内容も、現在では不都合になる。 例えば被害者の女子高生は、フロッピーディスクに保存され、他人には観られたくないデータ(演劇の台本)を、犯人が奪い返す為に殺した……という設定になっているが、電子データはコピーがいくらでも利くので、プロッピーを一枚奪い返したくらいで安心していてもしょうがない。コピーを全て回収し、元のデータを保存してあるハードディスクも奪い、消去しなければ。しかし、犯人はハードディスクについてもコピーについても心配している様子はなかった(原作が発表された時点ではパソコンは普及していなかったので、原作では単なる台本だったと記憶している。台本の場合、当時はコピー機がさほど普及していなかったから、複製は作り難い訳で、一つ奪ってしまえば済む)。 また、絵画の贋作が動機となっている。原作の発表当時は贋作なんて簡単にできたのかも知れないが、今は使われている絵の具の成分やキャンバスの材質の分析を詳細に(顕微鏡レベルで)行うので、単に絵が「そっくり」だけで贋作が本物として通ってしまう可能性は低い。 ……という具合に、おかしい点がいくつもある。 以前から思っていることだが、日本の映画制作者やテレビ番組制作者は、自分らが送り出す作品が社会に及ぼす影響に関してまるで考慮しないらしい。映画の最後の場面で、深田恭子は自転車をこいでいるのだが、その際、携帯電話が鳴った。深田恭子演じるキャラクターはどうしたのかというと、自転車をこぎながら携帯で会話するのである。携帯を使いながらの運転の危険性が叫ばれている中、なぜこんなことさせたのか。自動車ならハンドルは片手でどうにか操作できるし、ブレーキは足で操作するので、それでもいくらかマシだが、自転車はブレーキを手で操作するため、急停止がほぼ不可能になる。携帯を使いながら乗ることは非常に危険なのだ。深田恭子が映画でやっていたからといって誰もが真似する訳ではなかろうが、もう少し考えて欲しい。 本作品のタイトルは「死者の学園祭」となっているが、「ホリプロ看板娘深田恭子プロモーションキャンペーン」に改めるべきだろう。それくらい主人公を演じる深田恭子が登場する。その為、他の出演者だけが登場するシーンは数えるほどしかない。当然ながら、主人公以外の登場人物は深く掘り下げられないので(主人公もそう深く掘り下げられてはいないが)、真犯人や真相が明らかになってもまるでピンとこない。というか、推理劇の部分は取ってつけたようなものに感じる。 深田恭子の可愛い顔が飽きるほど拝めるので(実際に見飽きた)、フカキョンファンには必見の映画だが、自分みたいに名前と顔を一応知っているという程度の者にとってどうでもいいような作品である。 本作品は「仮面学園」との二本立てになっている。一本分の料金で二本観られるので(割引券を買えば更に安くなる)、観てしまうのだが、バーゲンとは言い難い。人気blogランキングへ関連商品:死者の学園祭
2006.11.27
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東芝、ワーナーブラザーズ、そして日本テレビで設立した映画製作会社トワーニによる第一作。海外でのセールスを期待してか、ニンジャや、サムライや、フジヤマなど、いかにも「オー、ニッポン!」といったものがふんだんに出てくる。粗筋 時は江戸時代。富士山の噴火によって封印されていた妖怪が世の中に溢れ出した。危機感を抱いた徳川幕府は、妖怪討伐士の少女榊咲夜を富士山に向かわせた……。感想 まさにマンガっぽいストーリー。 ちょっと前なら良くてアニメ化される程度だったが、特撮技術(ガメラ3のスタッフが携わっている)のコストが現実的になった為か、実写版になった。喜ぶべきことである。 大人も子供も楽しめるファミリーエンターテインメントを目指している為、胸くそが悪くなるような暴力シーンや残酷シーンはない。主人公や脇役も、冒頭で死ぬ咲夜の父親(藤岡弘が演じていた)を除いて映画の最後まで無事生きている(暴力的なシーンが全くない訳ではないが、かなりぼかされている。テレビで毎週放送されている仮面ライダーの方がより暴力的で残酷だ)。安心して観ていられた。 ストーリー的には???と首を捻りたくなる場面もあるが、元々現実性を無視したものなので、許容範囲内だろう。製作者側のもくろみ通り海外で受ける作品に仕上がっているかは疑問だが。 日本映画はどうしても地味な印象が強いものになってしまうが、これくらい派手な内容の映画がバンバン作られれば良いと思う。 主演の安藤希は、静止している場面では目がきりっとしていて格好いいが、動き始めると、まあ、所詮アイドル系の女の子。 アクションはあまり期待しない方が無難。 観に行った時に感じた問題と言えば、ファミリー映画の為ガキが多くいたこと。特に僕の後ろに座っていたガキは席を頻繁に離れていた。母親も軽くたしなめるだけだった。子供を映画館に連れて行くのは結構だが、もう少し大人しく座っていられるようになってから連れて行けや。 もう一つの問題はパンフレット。B5サイズにも関わらず、700円もした。もう少し安くできんのか。追記: トワーニは後に「ドッペルゲンガー」、「天使の牙」、「キューティーハニー」を製作するものの、期待した興行収入を上げられず、2004年9月に解散。人気blogランキングへ関連商品:さくや妖怪伝
2006.11.24
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織田裕二出演作。粗筋 日本一の貯水量を誇る奥遠和ダム。吹雪の中、テロ組織「赤い月」に乗っ取られてしまった。犯人は50億円を要求。要求に応じなければダムを放水し、下流にある20万世帯を洪水の危機にさらす、と脅す。警察は降りしきる雪に阻まれ、ダムに接近さえ出来ない。ダムは要塞と化した。テロリストらに立ち向かえるのは唯一難を逃れたダムの運転員ただ一人……。感想 まさに日本版ダイハード。真保裕一による同名の小説を映画化した作品。日本映画にしてはかなり意欲的な作品に仕上がっている。嬉しいことだ。 残念なのは小説を映画化した点。原作は「このミステリーはすごい!」でナンバー1に選ばれ、80万部を誇るベストセラーだが、だからといって映画化に向いているとは限らない。媒体が全く異なるからだ。小説では物凄く効果的なのに、映像化するとまるで駄目という事態に陥る場合が多い。 本作品は、数ヶ月前封切られた超駄作「千里眼」ほどではないが、小説ではどうにか通せるが映画では納得し難いご都合主義的な展開や、取って付けのオナミダチョーダイ的なシーンが目に付く(ラストの警察署長と松嶋奈々子の会話シーンは観ている方が気恥ずかしくなる)。また映画化特有の割愛・簡略化のお陰でテロ組織「赤い月」が薄っぺらで説得力がなく、とてもじゃないがダムを占領できる輩には見えなかった。やはり原作者が脚本に携わるのは間違いだな、と本作品でも感じられた。それでも「千里眼」の作者松岡圭祐と比べればかなりマシだが。真保裕一が本作品で味をしめて次回作で製作に加わらせろなどと出しゃばらないよう、祈る。 主役は織田裕二。ヒロイン役は松嶋奈々子。ネームバリュー的にはこれ以上のペアはないが、役にあっているか、演技力があるか……は別問題だろう。 織田裕二は原作を読み、主役をやりたいと長い間願っていたからか、熱のこもった演技が観られた。が、松嶋奈々子はどうも呼び寄せ人形としてしか使われておらず、本人もそれを認識しているかのような程々の演技。いや、松嶋奈々子もプロの女優だから彼女なりに精一杯の演技をしているのかも知れないが、織田裕二の気の入れようと比べるとどうも見劣りしてしまう。 演出も手間はかけてあるようだが(吹雪の中の撮影が楽な筈がない)、金がかかっているようには見られない。無論、ハリウッド作品のように金をかけさえすれば良い訳ではないが、いざという時に資金を出し渋っていては良い作品は作れない。 最近、007シリーズが商品を陳列するコマーシャルへと化している、との批判があるが、日本映画も負けていない。これは製作費を下げる手段としてやむを得ないし、マーケティング戦略としては妥当である。ただ、アップの際に出演者が使う腕時計や携帯のブランド名(IWC、ロンジン、auのcdmaOneなど)が鮮明に映ってしまうのはしょうがないとして、出演者がスノーモービルに腰を下ろす際など、カメラを下げて「YAMAHA」の文字をわざとらしく映すのはやめて欲しい。 本作品は日本映画としてはかなりのレベルだが、世界的なレベルに達しているかと訊かれると返事に悩む。MI2よりはマシか(誉め言葉になってないね)。人気blogランキングへ関連商品:ホワイトアウト
2006.11.24
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テレビ番組の映画版。粗筋・感想 「人気テレビ番組がついに映画に! テレビでは実現できなかったストーリーをお届けする!」 ……という宣伝文句だが、全体的な感想は「あえて映画化するほどのものだったのかね」である。 どれもセットやキャストには金がかかっていそうだが、脚本が全てイマイチ。テレビだったら、まあ、許せる範囲だが、本作品はテレビと違って1800円も払わないと観られないんだから、テレビ以上の物語や展開を期待してはおかしいだろうか? 本作品はテレビ版同様、四つのショート映画のオムニバスである。「雪山」は吹雪の山中に取り残された四人が味わう恐怖の物語。内容は以前読んだか観たことのある感じで、結末にも新鮮味はない。「携帯忠臣蔵」は、実は討ち入りなんかやりたくない大石内蔵助が200年後の現在と繋がっている携帯電話を手にしたら……というまさに奇妙な話だが、その奇妙さがこなし切れていない感じで、驚きのないありふれた結末に仕上がっている。「チェス」はコンピュータに負けたチェスプレーヤーが自分をどうやって取り戻すか、というストーリー。ストーリーが考案された時点ではどうだったのか知らないが、コンピュータが人間のトップチェスプレーヤを負かすというのは既に過去の出来事となっているので(カスパロフ対IBM)、今更なぜこんな物語ができたのか分からない。また、チェスについて何も知らない者だとストーリーはチンプンカンプンだろうし、チェスについて少しでも知っている者なら「あんな手は打てない」と考えてしまう(キングは敵側のルークの前に出ることはできない)。どっちみち納得がいかない。「結婚シミュレーター」は結婚する前に結婚後の生活を観ることができたら……という、現実世界ではともかく、テレビドラマでは使い古された感のあるストーリー。結末にオリジナリティはない。 結局、どの物語も「あ、そう」という程度なのだ。 これらの物語の前、中間、そして終わりにタモリが出てくる場面があるが、あってもなくてもいいような展開で、これもまた驚きがない。 ガッカリした。 思えばテレビの方も最近はイマイチなのが多い。この長期シリーズもマンネリ化しているようだ。人気blogランキングへ関連商品:世にも奇妙な物語 映画の特別編
2006.11.24
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アヴァロンの押井守監督作。粗筋 近未来。 アンドロイドが暴走して所有者を殺す、という事件が多発した。 被害者の中にはVIPもいた。そこで公安部は、テロの可能性もあるとして、捜査を開始。身体の大部分が機械化されている捜査官バトーが、捜査を担当することになった……。感想 1995年に公開されたアニメ映画「甲殻機動隊」の続編である。本来は「甲殻機動隊2」となる筈だったが、「甲殻機動隊」の興行が芳しくなかったので、別タイトルにした。「甲殻機動隊」は、海外では評価が高かったので、本作は続編であることが直ぐ分かるよう、「GHOST IN THE SHELL 2」として公開されている。「甲殻機動隊」は元は漫画がベース。漫画の「甲殻機動隊2」(「甲殻機動隊1.5」というのもある)が、本作と関係があるかは不明。 アヴァロンの酷評で、作品が監督の自己満足に終わっている感がある、と述べた。 本作は、それが更に一歩、いや、十歩進んだ感じ。 監督の自己満足振りがとにかく目に余る。 バトーも局長も哲学めいた、というか禅問答みたいな台詞をはきまくる為、言っていることの半分が意味不明だった。 自分は前作「甲殻機動隊」を観ていたので、事前知識がまるでなかった訳ではないが、それでもストーリー展開には付いていけなかった。 CGアニメのシーンは美しいといえば美しい。が、三次元CGの部分がリアルなのに、キャラなどは二次元のセル風アニメ(実際にセルは使っていないと思われる)で、不自然。 ストーリーはいやに複雑だが、問題解決の部分はご都合主義的で、ミッションがあっといえる間に完了していて、呆気ない。前作の主人公だった女性が突然現れてコンピュータにリンクアップし、侵入して、ハイ、終わり……といった具合なのだ。前作を観ている自分が呆気に取られるのだから、前作を観ていなかった者はチンプンカンプンだっただろう。 漫画原作「甲殻機動隊」は、軽さやユーモアもあった作品だったが、アニメ映画「甲殻機動隊」は軽さに全く欠けたシリアスなものになっていた。本作も、漫画原作の軽さはなく、ただただシリアス。漫画原作を読まなければ本作が描く世界を理解できない。が、読んでいると漫画原作との差に違和感を感じる。 ストーリーをもう少し単純化し、哲学めいた台詞を省略し、CGアニメを抑えていたら、もう少し理解し易い、見易い作品に仕上がったと思われる。 とにかくどう評価すればいいのか分からない作品。 本作では、犬が登場する。この犬はアヴァロンにも登場する。なぜだろうと思っていたら、押井守が飼っている犬に似せた、とのこと。なぜ監督はペットの犬を制作する作品という作品に登場させるのか。 くどいかも知れないが、監督の自己満足振りがとにかく目に余る。人気blogランキングへ関連商品:イノセンス
2006.11.24
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北野武脚本・監督・出演の日英合作映画。「北野組・世界照準!」「たけしがハリウッドへなぐり込み!」と宣伝された。粗筋 たけしの役はヤクザの山本。属する組織の事情で日本にいられなくなり、アメリカに留学している弟を訪ねる。その弟は麻薬の売人となっていた。山本は弟の取引相手をひょっとしたことで殺してしまい、相手の組織を乗っ取ってしまう。日本からの弟分や、新たに加わった仲間(白瀬)により、山本の組織はぐんぐん大きくなった。メキシコ系組織などを潰していく。ついに大物のイタリア系マフィアと戦争になる。しかしマフィアの力は予想以上で、山本は次第に追い詰められていく……。感想 北野武が得意とするヤクザ物。というか、ヤクザ物以外に作れない、が正確か。以前ビデオで見た「ソナチネ」に外国人と、ロサンゼルスロケと、目を背きたくなるような残虐シーンを加えて焼き直したような、新鮮味に欠ける作品だ。「HANA-BI」の時と同様、これといったストーリーはない。 ただヤクザが集まってドンパチやるだけ。ある組織の興亡史といえなくもないが、その組織も断片的に伝えられるだけなので、結局どんな組織で、何をやっていたのかが把握できず、チンピラがただ集まって遊んでいるだけに見えた(バスケットボールをよくやる)。 北野が演じる山本も、主人公というより、脇役の一人のようで、ストーリーに積極的に参加していない。突発的に起こる事件に対し嫌々腰を上げているだけ。後半では腰を上げるのも面倒になったのか、他の脇役が暴走するのを笑って見守るだけになってしまう。 この映画には主人公はいないといってもいい。白瀬や山本の女(役名は忘れた)のように強烈なキャラクターも、こいつらはストーリーにどう関わっていくのだろうかと思い始めた時点であっさり殺されたり、割腹したりする。何の為に登場させたんだか。無論、山本も呆気なく死ぬ。犬死にだ。無駄死にしない登場人物は渡哲也が演じたヤクザの親分と、山本に目を刺される黒人キャラクターくらいか。 登場する連中はどれも無能で、説得力に欠ける。白瀬など恐れられている筈のヤクザも、上記の通りあっさり殺されてしまうほど不用心で、これまで組織を率いていたとは信じ難い。その部下は「敵を討つ!」と言ってイタリア系マフィアへ殴り込みに行くが、これが何と拳銃だけでしか武装していないのだ。当然ながら短機関銃(H&Kか?)で全員射殺されてしまう。「日本ならともかく、アメリカなら自動小銃で武装するのが当たり前だろうが! 拳銃のような一般市民でも入手できるオモチャでマフィアと一戦を交えるアホがいるか! 頭を使え、ての!」 ……と突っ込みたくなった。 外国人が交わすセリフも、元は日本語であった台本を下手な翻訳家が訳して、外国人役者がそのまま脚本としたらしい。セリフは文法こそ間違っていないものの不自然で、もっと気の利いた言い方があるだろうと感じた場面が多かった。 とにかく細部の荒っぽさや残虐シーンが目立つばかりで、気楽に楽しめる映画ではない。 北野武は本作品のプロモーション中、アメリカを罵倒する発言を連発していた。日本を理解していないと。アメリカ人も同じ言葉を北野武に返せる。アメリカの犯罪組織→マフィア→イタリア系と考えるのは、アメリカ人が日本について「サムライとゲイシャとニンジャが徘徊していて、主要輸送機関は人力車」と考えるのと同じである。ちなみにイタリア系マフィアは、大物が逮捕されたり、跡継ぎを残さないまま死んだりしている為、現在はかなり衰退している。主に東部の大都市に点在するだけで、本作品のように大っぴらに活動できる組織はもういない。 本作品は、結局日本人がアメリカに行って日本人向けの日本映画を作っただけ。つまり、外国での公開に堪えうるトランズナショナルな映画ではない。「世界照準」とはほど遠い。これなら日本国籍をほぼ完全に排除した「アヴァロン」の方がよっぽども「トランズナショナル・ムービー」を名乗れる(ポーランド語ばかりなので英語圏では受けないだろうが)。 日米間において互いの認識度がいかに低いかが分かった、が本作品に対する率直的な感想である。人気blogランキングへ関連商品:BROTHER
2006.11.24
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東宝による二本立て映画の一本。『リング』シリーズで味をしめたらしく、最近はこの時期になると二本立てのホラー映画(ホラー映画擬き)を公開している。『リング』シリーズは高校生に照準を合わせていたが、今年はもう少し上の層を狙ったようだ。粗筋 四国の山奥にある町に男(渡部篤郎)が教師として赴任した。ふとしたことで和紙造りの女性職人(天海祐希)と出会い、恋してしまう。彼は付き合いを深めようとするが、その女性は拒否する。教師は相手の女性とその一家が町民から疎まれているのを知る。「狗神の血を引いている一族だ。不吉なことは奴らの仕業だ」と……。感想 現代日本を舞台にしているのか? ……と疑いたくなる内容。田舎の連中は未だにこの手の迷信を信じ、アホらしいしきたりを重んじて生活しているのだろうか(妻が赤ん坊の写真を撮ろうとすると、夫が「何のつもりだ! 魂を取られるじゃないか!」と怒ってカメラを投げ捨てる場面があった)。もしそうだとしたら相当のお人好しである。自民党が田舎の有権者を抱き込んで当選し続けられるのも当然である。「狗神」による呪いも恐ろしいかも知れないが、迷信を常識として受け取り、それに沿って狂気の言動を繰り広げる連中の方がもっと恐ろしい。それが本作品が伝えたかったことか。 いやに古臭い雰囲気の映画だなと思ったら、元は小説で、以前見た映画「死国」と同じ原作者(坂東眞砂子)だと知った。道理で四国が舞台な訳である(ロケ現場には岐阜県も使われたそうだが)。この原作者はこのような小説しか書けないのか。あるいは映画化されたのが偶々同様のテーマだったのか。 天海祐希演じる主人公は、中年女性(四十代以上?)の役だったらしいが、全くそう見えなかった。三十代の女優の髪を部分的に白髪に染めたくらいで「中年女性、出来上がり!」とするのは無理がある。作品内の登場人物が彼女をオバサン扱いするが、違和感があった。というか、映画を観た後に書店で原作を部分的に立ち読みした時点で、主人公が中年女性という設定だったのを知ったのだ。本作品を観る前に「おしゃれカンケイ」で天海祐希を見ていたから尚更である。「おお、綺麗なネエチャン」というイメージが頭の中で出来上がってしまっていたのだ。 本作品はR-15に指定された。なぜ指定されたのか分からない。過激的な性描写が原因だと聞いていたが、こんなのよりテレビの深夜番組「トゥナイト2」の方がずっと過激的である。 まあ、出演女優が必要もないのにやたらと脱ぎまくっていた感がないでもないが(主役の妹役がなぜ上半身裸で会話するシーンを導入せねばならんのか分からん。服を着せろ、ての)、全て合わせて二、三分足らずに留まっている。「主演女優天海祐希が初めての大胆な濡れ場シーン!」なんてあちこちの映画紹介番組が騒いでいたが、どうってことなかった。映画全体に何かプラス影響を与えているとも思えず、むしろカットしてR-15指定が取り消されるようにし、より多くの観客に門戸を開いた方が興行的に成功したのではないか(『リング』シリーズも高校生向けに作られたからこそ成功したのである)。 そもそもヌードシーン、て誰の為にあるのだろうか。鑑賞者の為でないのは確かである。 以前「タイタニック」でケイト=ウィンズレットの脱ぎっぷりが話題になったが、所詮数十秒。しかし監督ジェームズ=キャメロンが雑誌のインタビューで「ケイトの裸体を一日中拝められた」とゲハゲハ笑っていたのを覚えている。 鑑賞者は数十秒。監督および撮影スタッフは一日中。しかも鑑賞者の場合はアングルが制限され、場合によってはボカシが入るが、スタッフは無制限・無修正だ。これじゃ、女優が脱ぐのは撮影スタッフの目の保養の為だけではないか。 つまり製作スタッフが女優に脱げ脱げと迫るのは何も映画の質を向上する為ではなく、自分らが見たいからである。「自分の演技を極める為」と女優が言って脱ぐのは無駄。変態映画スタッフの餌食になってるだけ。易々と脱ぐな、ての。後で後悔するんだから。 こちらがR-15指定になってしまった為、PG-12指定に留まった二本立てのもう一本「弟切草」が被害を負った。12歳から14歳は「弟切草」は見られるが、本作は見られないので、二本立てにも関わらず一本観ただけで追い出されるのである。 映画館のスタッフがそんな面倒なことを強制できる訳ない。例えば自分が入った映画館では「弟切草」もR-15指定同様の扱いで、中学生は入場禁止になっていた。 あらゆる面で罪な作品である。 原作者の坂東眞砂子は、後に「飼っている猫が子を産むと、その子猫を崖から放り投げて殺している。生まれた後に殺すのも避妊も同じようなものだから」と告白。批難されることに。人気blogランキングへ関連商品:狗神
2006.11.24
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東宝による二本立ての一本。PG-12指定。しかしもう片方の「狗神」がR-15だったので、多くの映画館は本作品もR-15扱いし、中学生の入場が制限されたようである。 本作品の制作スタッフにとってはえらい迷惑だっただろう。というか、致命的だったのではないか。粗筋 奈美(奥菜恵)は両親と思っていた夫婦が実は叔父と叔母だったのを知る。実父は別にいて、彼女に屋敷を遺産として残していた。 奈美は元恋人の男性を伴ってその屋敷を訪れる。ボロボロの洋館だった。中に入って調度品を見ている内に、実父が有名な画家であったのを知る。日本より海外での評価が高く、人嫌いの変人だったという。 奈美は、洋館を歩き回っている内に実父や自分の恐ろしい過去について知る……。感想 そこに転がっているホラーもどきの作品。ネットを最大限に取り入れて新鮮味を出そうとしているが、部分的にしか成功していない。 日本の小説や、アニメや、マンガや、映画から思うことは、日本人はストーリーの設定造りや、ストーリーの盛り上げ方に関しては超一流だが、いざ完結部分に至るとまるで駄目。「あ、いけね。終わらせなきゃならないんだったけ。仕方ねえなあ、えい、これでええや」とでもいうようなとってつけたエンディングが多い。 アニメでの典型的な例が「エヴァンゲリオン」で(結局使徒は何だったんだ?)、テレビの例が「仮面ライダー・クウガ」である(未確認生命体は結局何者で、何のためにあんなに殺しまくってたんだ?)。いずれも途中までは面白かったのに(少なくとも惰性で見ていられた)、終盤に近付いたらガタガタと崩れ、時間をわざわざ割いて見ていた自分が惨めになった。 本作品は結局「目を覚ましたら全て夢でした」という、「今更何でこんな手を?」と叫びたくなる反則パターン。最後はちょっと捻っているが、尻すぼみであるのは変わりない。 また、奥菜恵に一人二役を演じさせたのは間違いだった。 いや、一人二役を演じさせること自体に問題はないが、妹と思われていたのが実は弟だった(だから「弟切草」か)、というのは駄目である。マンガや宝塚ならともかく、女優が男役をやれる訳ない。 いくら男言葉で喋ろうと、いくら声を低くして喋ろうと、男に見えないのだ。 本作品はアニメだったらそれなりに効果的だっただろうが、実写にしたため説得力が半減してしまった。残念である。 撮影方法も奇妙だった。普通のカラーでなかったのである。コンピュータで画像処理して着色したらしい。同じ手法は「アヴァロン」でも取られたが、そちらは退廃した「近未来」の雰囲気を演出する為だったので効果的だった。今回のは設定が「現在」だった為、単に見難くなり、現実性に欠け、その意味でも説得力を減らす結果だけとなった。「全て夢でした」エンディングなので、現実性は元々追求していなかったのかもしれないが、それは制作者側の自分勝手だろうが。 本作品も「狗神」同様、小説が基となっているそうだが(原作者は長坂秀佳となっている)、背景が分かり難い。テレビゲームがどうのこうのと言われているからだ。ゲームの作者がゲームをベースにオリジナル小説を書き、それが映画化されたのか。テレビゲームをここ十年以上遊んでいない自分にとって、ややこしい。 あともう一つ。ウィンドウズが市場をほぼ独占しているのに、本作品ではマックを使っていた。嬉しいことである。しかし、自分が使用しているパワーブック1400の電池は映画で描かれているほど長持ちしない。こちらの機種が古いからか、映画の登場人物はスペアのバッテリーを何本も持ち歩いていたからか、それとも映画がいい加減なのか。人気blogランキングへ関連商品:弟切草
2006.11.24
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手塚治虫の初期の代表作を、五年間もかけてアニメ化した作品。製作費十五億という、アニメにしてはかなりの大作だ。 両手両足を叩いて感激したかったのだが……。粗筋 巨大都市メトロポリスの有力者レッド公は、世界征服を企む。その企みの中心となるのが、亡くした自分の娘に似せて作らせたロボット、ティマ。しかし、ティマは完成直前に研究施設から抜け出してしまう。そこでケンイチという少年に会う。二人は、レッド公を父と崇めるロックに追跡される……。感想 CGを駆使した映像は見事で、日本のアニメーション技術もここまで来たんだな、と感心したが(テレビゲームをやらないからここまで感心するんだろう)、そこまでだった。 ストーリーは詰めが甘いし、キャラクターも訳が分からないのが多過ぎる。 本作品の最大の悪役ともいえるレッド公は、行動も動機も意味不明な為、ストーリーの深みが損なわれている。なぜ世界征服を企んだのか。なぜ鍵となるロボットを娘に似せたのか。 ヒーロー役のケンイチも迫力不足で、観ていてイライラすることが多かった。 もう一人の悪役ロックも、レッド公同様に行動や動機が理解できなかった。 キャラクターデザインは手塚マンガそっくり。手塚作品のアニメ化だから当然といえば当然だが、中年以下のキャラクターが全て子供に見えてしまい、ストーリーがより分かり辛くなっている。 ロックは人をバタバタ殺していたので、「ひどいクソガキだな」と思っていたが、今考えてみると、年齢設定は20代半ばくらいで、ガキじゃなかったのかも知れない。 ケンイチの方も年齢不詳。ガキに見えた。ガキだったのかも知れない。 フィナーレも知らぬ間に向かえてしまった感じで、感動は少なかった。 結局、この作品はどの年齢層をターゲットにしていたのか。 僕の前の席で座り、「ママ、しっこ」と言っていた年齢層ではないだろう。クーデターや裏切りのテーマは重過ぎるし、殺人シーンが多過ぎる。 大人向けのアニメにしては、キャラクターデザインがポケモン並みで、マンガっぽ過ぎた。 原作は1949年の作品。当時としては傑作だったのかも知れない(読んでいない)。ただ、50年も経てば、価値観も変わる。50年後の現代人の目にも堪えうる傑作だったのだろうか。 東宝は、本作品で日本におけるアニメ技術の優秀さをアピールしたかったみたいだが、CG以外は中国のアニメスタジオ北京写楽美術芸術品有限公司が関わっている(エンドクレジットに中国名がびっしり)。日本アニメ界の深刻な人材不足を露呈しただけに感じたのは、自分だけか? 人気blogランキングへ関連商品:メトロポリス
2006.11.24
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横山光輝原作の漫画の劇場版。昔放送されていたテレビ番組の劇場版でもある。 監督は中野裕之。 奥菜恵、竹中直人、元力士の舞の海、ギタリストの布袋寅泰、きたろう、篠原涼子、そしてロシアの新体操選手(シドニー銅メダリスト・アリーナ・カバエワ)などの豪華(?)キャストが観られる。粗筋 時は戦国時代。赤影は上忍(竹中直人)の密命で、京極家の領地に潜入する。京極家を偵察する為だ。そこでは家臣の一人(陣内孝則)が主君の領地を乗っ取ろうと企んでいた。領主を毒殺し、新領主となった姫(奥菜恵)をも殺そうとする。赤影は京極家の実態を伝えたところ、新領主の姫を殺せとの命令を受ける……。感想 かったるい映画。 他に言いようがない。 ストーリーがめちゃくちゃなのだ。ストーリーがないと言ってもいい。 ポスターには赤影、青影、そして女忍者(くの一というべきか)の飛鳥が載っていた。この三人の忍者の幼少時代という、ほのぼのとしたオープニングで始まるので、最初は忍者をネタにしたコメディだったのか、と思った。この三人がドジを繰り返しながらも大活躍する模様が観られるのか、と。 そうではなかった。 飛鳥(麻生久美子)は、京極側(後に陣内孝則演じる家臣)の忍者軍団にあっさりと殺されてしまう。青影はそれをきっかけに忍者をやめると言い出す。 結局赤影は単独で行動するのだが、本当に主役なのかよ、と疑いたくなるほど頼りない。飛鳥を殺されたことで鬼と化し、敵側の忍者軍団に復讐を挑む……、という展開を期待していたのだが、そうではなかった。 敵側の忍者軍団は、根津甚八を筆頭に藤井フミヤや舞の海などそうそうたるメンバーで、赤影らをてこずらせるのだが、陣内孝則にこれもまたあっさりと殺されてしまう。「復讐」というテーマも否定されてしまうのである。 忍者を下敷きにしたほのぼのコメディと思ったらそうでない。忍者による復讐劇かと思ったらそうでない。結局「戦いはやめようよ!」という、水戸黄門のような生ぬるい時代劇として終わってしまった。 こうしてストーリーの焦点が次々変わる為、まとまり感がなく、かったるいのである。 本気で劇場から途中で抜けようかと悩んだ。 本作品は、キャストの登場の仕方にもまとまり感がない。布袋寅泰が冒頭に出てきて、赤影と対峙するのだが、布袋は後でまた登場するかのようなセリフを言い残して去った後、結局再登場しない。この冒頭シーンは何の為にあったのか。布袋が音楽を担当する、ということで出てもらったのだろうか(思えば布袋は別の中野裕之監督作品「サムライフィクション」にも出ていた。というか、布袋は同じキャラを演じていた。本編はサムライフィクションの番外編か)。振り返ってみると、馬鹿馬鹿しいだけのシーンである。 少なくともシリーズ化するつもりはないんだな、というのは分かる。忍者三人組の一人が死ぬんだから。シリーズ化するほどのものでもない。 最近の時代劇としては「御法度」と同等、いや、それ以上の駄作かも知れない。 赤影は事前の宣伝通り誰も殺さないので、本作品はお子様向け娯楽映画として制作されたのかも知れない。が、ストーリーの詰めの甘さで、同じようにお子様向け映画として制作された時代劇「さくや妖怪伝」の足元にも及ばない。 忍者映画としては、数年前公開された「梟の城」より格段に完成度が低い(「梟の城」も、今思えば自慢できるほどの完成度はない)。 何の為に1500円も払ったのか全然分からなかった。忍者の活躍が観たいなら、本作品を観るより「アメリカン・ニンジャ」でもビデオで借りた方がいい。忍者の本家である筈の日本で、なぜまともな忍者映画が作れないのかが不思議である。 この作品のパンフレットは700円。高い。 高いだけならまだいいのだが、B4と特大サイズなのである。A4でもどちらかというと大き過ぎて持て余すのに、なぜB4にしたのか。資源の無駄である。個人的には、パンフレットはB5くらいが一番いいと思うのだが。 ま、映画が駄作だったので、通常のA4サイズの500円であったとしても買わなかっただろう。人気blogランキングへ関連商品:赤影
2006.11.22
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話題となったオールCG映画。これまでも「トイストーリー」などオールCGの映画はあったが、あくまでもリアルさを追究したのは本作品が初めてだろう。 大ヒットしたゲームシリーズを下敷きにしているそうだが、ストーリーはオリジナルである。粗筋 時は2065年。隕石と共に飛来してきた「ファントム」と呼ばれる地球外生命体により、人類は絶滅の危機に瀕していた。政府軍が総攻撃を提案する中、女性科学者アキがその方策に異議を唱え、立ち上がる。「ファントム」とは何か。その目的は何か。それを解明することが、人類を救うことになるのではないか……。感想 説明できるのはここまで。ストーリーはかなり複雑で、説明するとなると設定の背景にまで踏み込まなければならない。文章で説明しろと言われても無理である。どんなストーリーか知りたければ、他人の説明を聞くより観に行った方が早い。 本作は全米公開された。オープニングで日本円にして20億円以上稼ぎ、もしかすると今年最大のヒットの一つになるのでは……、と関係者らは期待したようだが、第一週では結局四位。その後順位を上げることなくランク外に落ちてしまった(最終的には米国で35億円。日本以外の海外では38億円)。 制作に3年、総額150億円かかったそうだが、その半分も回収できない大失敗作となってしまった。ゲーム製作会社スクエアの映画進出、そして日本映画による全米制覇という野望はもろくも崩れ去った(「BROTHER」に続く失敗)。 前評判がかなりひどかったので、下らない映画なんだろうなと思っていた。観に行くべきか迷ったが、SFという興味のあるジャンルだし、フルCG映画とはどんなものかという好奇心もあり、1200円で観られる会員カードが使えるので、結局観に行くことになった。 感想は……。 予想よりも酷くなかったな、である。前評判のお陰で全く期待せずに観られたからかも知れない。酷評もこういう面で利益をもたらす。 無論、問題点がない訳ではない。地球上のあらゆる生物、そして地球そのものにも「精神」が宿っている、というのは宗教臭い。多神教のヒンズー教地域や信仰心の薄い地域ならともかく、キリスト教徒(単神教)の多いアメリカや欧州では受け入れられそうもない。アメリカや欧州で興行的に失敗した最大の理由と思われる。 また、日本では本作品のように主人公が「武力に頼ることなく対立を終わらせる方法を探し求める」という考えを持つのは珍しくない。国民全員が平和ボケしているから。 しかし、アメリカでは、大抵の主人公はの考えは「武力に頼るのは良くない。頼りたくない。だから耐える。だが、相手が一線を超えてしまったらこちらも武力を使う。しかも徹底的に」である。アメリカ人の鑑賞者は主人公のアキより、悪役にされていたヘイン将軍に共感したのではないか。彼は軌道上レーザー砲によって「ファントム」を根絶することを主張していたのだ。 簡単に言えば、アメリカ人にとって主人公のアキは消極的で地味と映る。 これでは観ている方が盛り上がらない。 また、八つの「精神体」を探すことが問題の解決に繋がる、というプロットは、ゲームならともかく、映画では首を傾げてしまう。 登場人物は、上でも述べたが、主人公のアキより他の方が個性があるように思えた。過去の映画から借りてきたものばかりだから、当然か。特にジェーンという女性兵士。女性なのに男性と間違われるところ、そして仲間の兵士と一緒に死ぬところは、「エイリアン2」のバスケズじゃないか。 CGによる映像はかなりの出来だったが、やはり実写でないんだな、と分かってしまう。動きも多少ギクシャクしている感がある。ただ、無重力の宇宙ステーションで浮遊しながら宙を動き回るシーンなどの場合、動作はこれまで観た実写より説得力があった。 ようするに使い分けが重要だということだろう。 本作品は、大ヒットゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」を手がけた坂口博信の初監督作品。本人にとって、映画は「プレーヤーが自由に操作できないビジュアルエフェクト」だったのかも知れない。甘く見過ぎたようだ。 ゲームでは、プレーヤーが「ファイナルファンタジー」の世界がどのようなものか知識がある為、一々説明する必要は無い。残念ながら、映画の鑑賞者全てが「ファイナルファンタジー」のゲームプレーヤとは限らない。 2時間の間で全てが鑑賞者の納得がいくまで説明できる訳ないので、作品内の「世界」を単純明快にする必要がある。 坂口監督はそのことを理解できなかったようだ。というか、ゲームがあれだけ売れたのだから、俺が創造した「世界」を知らない者はいない、と考えてしまったらしい。 日本はどうか知らないが、アメリカではゲームなんて子供がやるもので、大人がやるものではない、と見なされている。また、映画鑑賞を趣味とする年齢層になると、ゲームには見向きもしない。 ゲーム界で圧倒的な知名度を持つからといって、一般社会でも高い知名度を持っているとは限らないのだ。 坂口博信は素晴らしい映像を作り出す技術を持っている。ただ、映画のストーリーは駄目。映画脚本はその手の専門家に任せた方が無難だ。 ま、今回を教訓に二度と映画に手を出さないだろうが……。 パンフレットを買おうとしたが、900円もした。500円のパンフレットもどちらかというと高く感じるのに、倍近くの900円は高過ぎる。買う気も失せた。 なぜ邦画のパンフレットは馬鹿高いのか。前回観た赤影もそうだった。最近は入場料が安くなっているので、こういったもので回収しようというのか。馬鹿な方策である。よほど面白い映画ならともかく、そこそこのだと売れないだろうが。「未来」を舞台にした大ヒット超大作「AI」と「猿の惑星」や、「現実とは異なる別の世界」を舞台にした「千と千尋の神隠し」が期待外れだった、という事情からか、米国で評判の良くなかった本作品は逆に面白く感じた。が、他人に勧められる作品かと問われると悩んでしまう。 声優らはかなり立派である。人気blogランキングへ関連商品:ファイナルファンタジー
2006.11.22
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元々は夢枕獏の小説。岡野玲子による女性コミックになってから人気が急上昇。陰陽師ブームが始まった。 これをきっかけに他の作家が陰陽師関連の小説を書くようになったり、テレビ番組が組まれたりした。いわゆる二番煎じ、三番煎じである粗筋 長岡京から平安京への遷都から150年。 天皇の臣下である右大臣と左大臣が、天皇の跡継ぎを巡って権力闘争を繰り広げる。陰陽術という魔術を操る二人の陰陽師は、その闘争に引き込まれた。 一人は安倍清明。もう一人は道尊。清明は左大臣、道尊は右大臣についた。 壮絶な戦いの末、道尊は敗北した。右大臣は自殺に追い込まれる。清明を恨むあまり発狂した道尊は、封印されていた強力な怨霊の封を解いてしまう……。感想 夢枕獏の陰陽師は、以前NHKでテレビドラマ化されていたので、どうしても見比べてしまう。 どちらがいいかとは一概に言えない。双方とも良い部分と悪い部分があるからだ。 あえていうなら、映画版は予算を充分にかけられた為ビジュアル面でNHK版より優れており、NHK版はキャスティングとストーリー構成の面で映画版より優れていた。 まず最初に清明。NHK版では人気グループSMAPの稲垣メンバーが演じていた(後に警官に怪我を負わせたことで逮捕。本来なら「容疑者」と呼ばれるべきだったのに、テレビ局は所属のジャニーズ事務所に配慮してか彼を「メンバー」と呼んでいた。この事件の為BSでの再放送が延期。罪な奴である)。映画版では野村萬斎。こちらはNHK版に軍配が上がる。 稲垣メンバーの清明は無表情だった為、近寄り難い雰囲気を出していたが(単に稲垣がそれ以外の演技ができなかっただけかも知れない)、野村萬斎の清明はいつもにやけていてばかりいた為、単なる馬鹿としか映らなかった。はっきりいって主人公になぜこんな役者(狂言師の長男らしい)を選んだのか不明。敵の道尊(真田広之)の方が際だっていた。 清明の側にいる謎の女蜜虫。NHKでは本上まなみが演じていて、映画版では元SPEEDの今井絵里子が演じていた。これもNHKに軍配が上がる。というか、映画版では蜜虫の必要がなかった。小泉今日子演じる青音がヒロインだったから。NHK版では蜜虫には存在感があり、ストーリーで重要な役割を果たしていたような気がするが、映画版では清明のいうことを復唱するだけの単なる馬鹿娘にしか見えなかった。 清明の友となる源博雅。NHKでは杉本哲太が演じていて、映画版では伊藤英明が演じていた。こちらは引き分け。いや、NHK版の方が演じている役者が年上で、存在感も映画版よりあった気がする。伊藤英明の博雅は単なるガキ、て感じで。やはりこちらもNHKが勝ちか。 怨霊の封印を守る不老不死の女・青音を演じる小泉今日子(NHK版にはいない)。超人気アイドルだったそうだけど……。躍る大捜査線の映画版でも思ったが、「ちょっと可愛いオバサン」にしか見えない。 全盛期の彼女は見ていないので自分は分からないが、全盛期の彼女を見ていた人々はどう思うのか。 とにかく、映画版はキャスティングで全滅している。 映画版がNHK版を上回る点が、特撮技術。NHK版のは、清明が放つ術は特撮的には子供騙しみたいなものだった。映画版はさずが凄い。日本の特撮技術もかなりのものになったな、と納得させられた。 ただ、NHK版で清明が見せていた「術」は、錯覚など人間の盲点をつくという実際に使われていたであろう現実的なもの。映画版の「術」は人が人形や蝶に変身するなど、明らかにファンタジーの域に入っている非現実的なもの。 説得力がある分、「術」の演出もNHK版の方が良かった気がする。映画版のは豊富な予算がかえって災いした。 ストーリーはシンプルだが陳腐。 前半は、NHK版でやっていた一話の焼き直し。なぜ映画製作者は同じストーリーを映像化したのか。NHK版を見ていなかったのだろうか。放送時には撮影が進んでいた為どうにもならなかった、ということもあったのかも知れないが、途中で変更することだってできた筈。そもそもNHK版放送と同じ年に公開しなければならないという制約があった訳ではなかったはず。映画スタッフはNHK版のを研究し尽くして全く別のストーリーを作り上げるべきではなかったのか。 制作者側としては、後半でNHK版と差を出したと言いたいのかも知れないが、後半は盛り上がりに欠けた。清明が失敗ばかりやらかすからだ。最後で挽回したつもりだろうが、清明が平安時代に名を馳せた超人とは思えなかった。 結論。本作品は日本の特撮技術の集大成。ただ、それにストーリーや、演出や、キャスティングが追い付いていない。 最後に一つ。NHK版でも、本作品でも思ったが、平安時代の貴族、てあそこまで馬鹿だったのかね。人気blogランキングへ関連商品:陰陽師
2006.11.22
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北村薫の小説の映画化。牧瀬里穂主演。粗筋銅版画家の真希は事故に遭った。ふと気付くと一日前に戻っていた。ただ、普通の世界ではなかった。誰もいないのだ。ほんの数分前まで誰かがいた状態のままになっている。しかも事故と同じ時刻になるとまた一日前に戻ってしまう。 自分はこの悪夢のような世界から抜け出せないのか、と真希が悩んでいるところで、電話がかかってくる。「現実の世界」からの電話だった。現実の世界では、真希は事故で病院に搬送され、半年も眠っているという……。感想 不合理な箇所が腐るほどあるストーリー。真希がいた世界は結局何だったのか。なぜ無人だったのか(正確にはもう一人現れるが)。なぜ一日前に戻ってしまうのか。 昏睡状態の中で観ていた夢にしては「現実の世界」と電話が通じるという設定はおかしいし、事故のショックで異次元の世界に飛ばされたというのは突飛過ぎるし……。 ファンタジーなので科学的理論など関係ない、てことか。 牧瀬里穂の演技は最初は鼻についたが(独り言の場面など)、観ている内に慣れた。 期待を裏切らない、安心して観ていられるしっとりとした展開もいい。突然終わるので拍子抜けしたが。 結論として言えるのは、野郎が観に行く映画と言うより女の子が観に行く映画。低予算で作られそうな典型的な邦画だ。 ちなみに、自分が観た映画館では終日1000円だった。この料金だったからこそ観に行ったと言ってもいい。他の邦画もこれくらい安ければ、CMを観るだけで地雷的と分かる作品でも観に行ってもいいと思うのだが。パンフレットは600円と高かった。無論、買わなかった。 本作品を観た後書店に行って原作を手に取ってみたが、原作とはかなり違っているようだ。 あと一つ。ネットのユーザーレビューでは牧瀬里穂のことをボロクソに貶していたけど、彼女はそんなにひどいのだろうか。人気blogランキングへ関連商品:ターン
2006.11.22
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竹野内豊とケリー・チャン出演の恋愛映画。粗筋恋人同士の順正とあおいは、ある日誓った。十年後、フィレンツェで会おうと。 しかしその後、二人は別れてしまう。お互い別々の人生を歩む。数年後、二人は偶然にもフィレンツェで再会するが……。感想 総評すると……。 たるい。 登場するキャラクター、特に主人公の二人がたるい。ストーリーの展開もたるい。セリフもたるい。演技もたるい。 何もかもたるかった。 本作品はゴールデンタイムの退屈なメロドラマを多少金をかけて作り直したような低予算ドラマ。安さをフィレンツェの海外ロケで誤魔化している。 まず、メインのキャラが駄目。双方とも優柔不断で、見ていてイライラする。馬鹿男と馬鹿女にしか見えない。しかもあおいは嫌味なキャラだった。再会した後、順正を自宅に招待するのだが、何をするのかというと自分の現在の恋人マーブを見せびらかすのである。順正が「来なければよかった」と口走ると、あおいは「自分がきちんと生きていることを知ってもらいたかった」と言う。それは口で言えば済むだけで、自宅にまで意味ありげに招待してそれはないだろうと思った。 順正とあおいより、二人の恋人マーブとめみが気の毒でしょうがなかった。双方とも順正とあおいに散々振り回された後捨てられるのだから。ま、こんな優柔不断な連中と別れられてむしろ良かったのでは、と開き直れば悪くないのかも知れないが。 順正とあおいが今後上手くやっていけるとは到底思えず、最終場面でも感動はイマイチ。 演じている竹野内豊とケリー・チャン(松たかこに信じられないほど似ていると思った。双子の姉妹として競演してみたらどうか)は、演技がコチコチで、双方とも役者を何年もやってきたようには思えなかった。竹野内豊は数年前の「不夜城」から俳優として全く成長しておらず、ケリー・チャンにいたっては「見た目がよければ大根でももてはやされる」のは何も日本だけじゃないんだな……が率直な意見。 ケリー・チャンに関しては日本人が指揮する撮影現場に最後まで馴染めなかった……と弁護できるかも知れないが。そもそも、なぜ外国人をキャストしたのか不明。日本人女優でも充分事足りる役柄だったと思うが。 サブのキャラもうざいのが多かった。一番うざいのが勿論ユースケ・サンタマリア。こいつ、役者じゃないだろうが。演技を要求するのが無理なのである。篠原涼子(めみ役)が一番まともな演技を見せていた。ずば抜けて凄い演技、という訳でもないが。 ストーリーは10年間にもわたる。フラッシュバックや、時の移り変わりがばんばん起こるので、自分がいつ、そしてどの部分を観ているのかが分かり辛かった。役者の顔立ちは当然変わっていないので(髭の有無やヘアスタイルの変化のみ)、10年が経過した、5年が経過した、あるいは1年が経過した、と言われてもピンと来なく、最大の見せ場であるフィレンツェの聖堂のドームの再会も感動できなかった。 本作品は海外を舞台にしているので、イタリア語や英語が飛び交う。イタリア語の方は分からないが、英語のセリフには首を傾げてしまうのが多かった。まるで日本語のセリフをそっくりそのまま英語に直したかのように。文法的には間違いではないのだが、英語の日常会話とはかけ離れていて、不自然なのである。 プロットの展開もこの手のジャンルにはお決まりのご都合主義が満載。別れたカップルが同じイタリアにいたり、10年前大学で順正とあおいの前で下手な演奏をしていたチェリストが、10年後には名チェリストとしてイタリアにいて、二人の前で再び演奏する……など。 あと分からなかったのは、修復師の先生だったオバサン。なぜ一番弟子(順正)が修復し終えた絵画を切り裂いたのか。弟子の才能に嫉妬したというが、それならさっさと辞めさせるなど、まともな(?)手段を使えば良かった。絵画を破損したことに対する罪悪感で自殺するくらいなら、最初から切り裂かなければ良かったのである。 びっくりしたのがフィレンツェの大聖堂。 落書きだらけ。 文化遺産だろうが。落書き防止策はないのか。外国は文化遺産を手厚く保護するのに、日本は保護に全く金をかけない、と批判されているが、外国も結局大したことなさそうだ。外国人観光客のモラルに至っては日本人観光客以下なのでは? 本作品で心底から良かったなと思ったのは、エンヤのサウンドトラックくらい。それも少なかった。 ベストセラー小説が原作(江國香織と辻仁成)だが、本作品も「どんなベストセラーも映画化すりゃ化けの皮が剥がれる」という偏見を拭い去ってくれることはなかった。人気blogランキングへ関連商品:冷静と情熱のあいだ
2006.11.21
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「リング」シリーズで売れっ子作家になった鈴木孝司の短編小説の映画化。粗筋淑美は夫と離婚し、6歳になる娘郁子と一緒にマンションへ引っ越すことになった。前夫は郁子の親権を要求していて、淑美は不安に満ちた生活を送っていた。 そんなところ、寝室の天井から水が漏っているのに気付く。最上階ではない為、雨漏りの筈がない。管理人に対処してくれと頼むが、その老人は何もしてくれない。 淑美は、自分の部屋の真上に美津子という娘とその家族が住んでいたことを知る。美津子は二年前に行方不明になっていて、現在もどこにいるか分からない。美津子は、失踪当時郁子とほぼ同じ年齢だった。 淑美は赤いバッグを至るところで見つけるようになる。どうやら美津子のものらしい……。感想怖い映画、として宣伝されているが、全然怖くない。 本作品の監督が、恐怖の演出の仕方を本人が思っているほどに心得ていないからだ。 とにかく演出が駄目。ここぞという場面に必ずと言っていいほどサウンドトラックのボリュームを引き上げたり、進行のペースを緩める。まるでフィルムが一旦止められ、「はい、みなさん! ここから恐怖の場面が始まります! 思いっきり怖がってくださいね!」と監督自身の注釈が入っているかのよう。監督は最高の演出をしているつもりなのだろうが、観ている側を白けさせているだけ。 役者の演出も下手。登場人物を恐怖におののかせれば観客も恐怖におののいてくれるだろう、と単純に考えるのはやめてほしい。淑美が精神的疲労の為ノイローゼ気味になってしまった中年女にしか見えなかった。どんな怪奇現象でも「結局あんたの錯覚じゃないか? もう少し落ち着けや」と突っ込みを入れたくなった。 精一杯の演技をしていた黒木瞳が気の毒だった。 恐怖を伝えたいならもう少し控えめな演出の方がよいと思う。 原作の方は読んでいないので何とも言えないが、脚本は「?」だらけ。結局何だったの、て感じである。 最後で「10年後」になっていて、16歳になった郁子(演じていたのはミス東京ウォーカーの新人女優水川あさみ。こいつを売り出す為に本作品を制作したのか?)が母親の淑美と10年振りに再会する場面があるが、意味不明で、蛇足。昨年の駄作AIの最後の場面を思い出させた。「10年後」の場面を省略して怪奇現象の「真相」をはっきりとさせた上で決着を付けていた方がよりよくなっていただろう。 何もかも中途半端な作品。 ま、邦画なんてこんなもんだろう、という偏見を捨てさせるには至らない。人気blogランキングへ関連商品:仄暗い水の底から
2006.11.21
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人気コミック(原作者大場つぐみ、画小畑健)の実写版。 前後編の前編。粗筋「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」と記されたノートを拾った夜神月(藤原竜也)は、興味本位でテレビで観たある凶悪犯の名前をノートに書き込んでしまう。その凶悪犯はノートの予告通り死んでしまった。 月の前に死神リュークが現れ、ノート(デスノート)はお前のものだ、お前が自由に使え、と言い切る。最初は恐怖を覚えた月だったが、凶悪犯たちの名前を次々とノートに書き始めるようになる。 世界中であまりにも大勢の凶悪犯が死んでいくので、マスコミの何らかの関連性があるのでは、と報道。警察も動き始めた。 一方、市民は凶悪犯を処罰するこの「謎の救世主」を「キラ」と呼んで、崇めるように。 月は、自分は犯人と接触している訳ではないので、警察の手が自分に及ぶことはない、と高をくくっていたが、「エル」を名乗る謎の名探偵が捜査に加わったことで、思惑が狂い始める。「エル」は、「キラ」の行動パターンから、「キラ」は日本の関東地域にいて、大学生らしい、ということを早くも掴む。警察の行動パターンを読んでいるらしいので、警察関係者か、その家族、と推理した。 そんな訳で、月(警察幹部の息子だった)にも警察や米FBIの捜査の手が伸びるように。デスノートはどこの誰でも殺せるが、対象者の本名とその顔が分からないと殺せない。 しかし、月はあるFBI捜査官(細川茂樹)と接触し、そのFBI捜査官と、顔も名前も分からない他のFBI捜査官らを始末。これで警察は捜査の手を緩めるだろう、と月は予測した。が、この行動により「エル」は月こそ「キラ」だと確信し、彼に焦点を当てる。 そんなところ、月が始末したFBI捜査官の婚約者(瀬戸朝香)が、月と接触。「あなたが『キラ』ね」と断言。その婚約者は、月の恋人を人質にして、「『キラ』であることを白状しろ」と迫った。 月は自分は「キラ」ではないと断言するが、婚約者は信じない。ふとしたことで月の恋人を射殺。それに驚いて錯乱状態になり、婚約者は自殺した。 この件により、月に対する容疑は晴れる。月は「キラ」に復讐を誓い、「キラ」を捕まえる為の捜査チームに加わることになった。 ただ、婚約者の凶行と、恋人の死は、全て月が自分の容疑を晴らす為に仕組んだことだった。婚約者は月に自分の本名を告げていなかったので、デスノートの餌食にはならないと考えていたが、迂闊にも「FBI捜査官の婚約者だった」という事実を告げてしまっていた。月はFBI捜査官の本名は知っていたので、そこから婚約者の本名を割り出した。その本名を使って、婚約者が恋人を人質にして最終的には恋人を射殺するまでの経緯をデスノートに書いていたのである。 月は、正義の為、と言い訳しながら、自分を慕っていた恋人を犠牲にしたのだった 一方、別のところで、あるアイドルが別の死神のデスノートを拾った……。 ……後編に続く。感想「所詮コミックの実写版だからな」と馬鹿にしていた部分もあったが、意外と悪くなかった。最高とは言い難いが。 テレビで、無料で観られたからそう感じたのかも知れない。これが有料だったとすると評価はもっと厳しくなっていたかも。 本作は2時間程度。その時間内に決着を付けなければならない為か、ストーリーもキャラもせっかちだな、と感じた。 いくら「この世には適切に罰せられない凶悪犯が多過ぎる」と言っても、ほんの数ヶ月で凶悪犯を何十人も殺す、というのはやり過ぎ。お陰で「キラ」が日本の関東地域にいる、ということが比較的短時間で判明してしまう。 しかも死刑囚など、きちんと収監されている者まで殺すもんだから、警察が躍起になるのも当然。捕まった犯人は対象外にしていれば、「キラ」も忙しくならなくて済んだのに、と思ってしまう。 また、デスノートは対象者の死に方をかなり細かく設定できる。それだったら凶悪犯を心臓麻痺でなく、もっと色々なパターンで始末していれば、警察も疑わなかっただろうに(正直、作中のように人間の行動を死のかなり以前から操作できるようだったら、逆に「死の日記」でなくドラえもんの「あらかじめ日記」みたいにすることもできそう)。 月(ライトと読む。何てアホな名前だ)は、天才ということになっているが、行動パターンが非常に幼稚(これは作中でも指摘されている)。 最初は凶悪犯だけを始末していたのに、FBIの捜査が自分に及んでいると知ると、何とFBI捜査官らを根こそぎ始末してしまう。 これでは結局凶悪犯らと変わらない。 また、月は恋人を犠牲にして警察の捜査を自分から背けさせようとするが、「エル」の容疑の目からは結局逃れていない。恋人を無駄に死なせたことになる。 死神リュークが「FBIを殺すのか?」と月に訊く場面があったが、少なくともその場面ではどちらが死神なのか分からない。最後辺りで、月が恋人を犠牲にしたことを知った死神リュークが「お前は死神以上に死神らしい」と褒めた(?)のも当然といえる。 結局デスノートを持つと誰もが暴走する、てことか。 それにしても、死神がデスノートを落としたのは今回が初めてではなかろうに、なぜ作中ではここまで事件になったのかね。それとも、死神リュークは死神界(?)で初めてデスノートを落としたのか? 死神リュークは全てCG。 CGでなければあり得ない造形なので、当然だが……。 CGはパソコンゲームより幾分マシ、という程度なのが残念。 本作の最大の欠点は、登場人物に共感出来る者がいないこと。 月は、最初はそれなりに共感できるが、捜査網が自分に狭まっていると知るやいなや本来の目的である凶悪犯以外の者をガンガン殺すようになり、しまいには恋人まであっさりと殺す。共感度がガンガン下がっていった。「エル」も、「捜査という名のゲーム(カビが生えたような思考)」の為には他人を何の躊躇いなく死なせる。容貌や言動からして共感が持てなかった。 結局はどうでもいいキャラ同士が死闘を勝手に繰り広げているだけで、イマイチ乗り込めないのだ。 原作は、読もうとしたことはあるが、挫折している。 最近の流行なのか分からないが、白黒がどきついタッチで、見ていると目が疲れてしまう。第一巻をザッと斜め読みしただけで終わっている。 本作公開から数ヵ月後、原作漫画の作画を担当した漫画家小畑健が銃刀法違反で逮捕されている(といっても、ちょっと大き目のナイフを所持していただけだったらしいが)。 一時は後編公開が危ぶまれたが、無事公開された。人気blogランキングへ関連商品:DEATH NOTE(1)Death note(3)Death note(8)
2006.11.01
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雨宮慶太の初監督作。粗筋 凶悪な宇宙犯罪人ゼイラムを追って地球に来訪した商品稼ぎのイリア。 彼女はゼイラムを捕らえるべく結界を張り、ゼイラムを待ち構える。が、そこに二人の地球人が閉じ込められてしまう。 イリアは二人の地球人を保護しながら、ゼイラムとの死闘を開始せざるを得なくなった……。感想 ターミネーターの日本版、といった感じ。 かなり前、初めて観た時は「日本の特撮も凄いもんだ」と思ったら、今観てみると絶賛するほどのものではない。 ストーリーの粗ばかりが目立つ。 主人公であるイリア(森山祐子)は優秀な賞金稼ぎで、これまで何人もの凶悪犯を捕まえてきた、ということだが、彼女の行動を見る限りそうとは思えない。無駄なことばっかりやっている。 ストーリーも「???」の部分が多いし、イリアがやってきた世界(どこからやってきたのかは明らかにされない)の技術も疑問が。とにかく直ぐ故障する(地球にあるものを使わざるを得なかったという設定になっていたと思うが、それでも壊れ過ぎ)。ようやく捕獲したゼイラムも、ちょっとしたことで脱出してしまい、またイリアらを襲う、という間の抜けた展開」が連続する。 ゼイラムの設定もよく分からない。でかい奴だと思っていたら、本体は頭の傘のような部分だけで、胴体はがらんどうのようなもの、ということになっていた。そんな訳で、ターミネーターみたいに骨格になっても主人公らに襲い掛かる。 ……と思っていたら、ゼイラムはクローンも作る能力があるらしい。ガンガンクローンのような生物を生み出すのだが、これが役立たずで、何の為に登場しているのか分からない。日本の特撮技術を証明したかった、というだけか。 出演者の演技力というか、脚本にも問題が。台詞が明らかに「台詞を喋ってます」といった感じで、会話にリアリティがないのだ。 森山祐子、て見た目はいいが(戦闘スーツ姿は特に格好いい)、演技力はまだまだ、て感じ(少なくとも本作品に出演した時点では)。 雨宮慶太は、元はイラストレーターだったらしい。しかも特撮好きの。それがどういう経緯か定かでないが、映画監督に。 ただ、この作品を制作した時点では「特撮好きのイラストレーター」から完全に脱皮しておらず、結局本作は監督のイラスト能力を誇示し、特撮好きを裏付けるだけのものに留まっている。 本作には続編もある。それも観ているが、初めて観た時点で「イマイチだな」と感じた。人気blogランキングへ関連商品:ゼイラムゼイラム2イ・リ・ア_ゼイラム_THE_ANIMATION
2006.10.29
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VERSUSでメジャーになり、大作あずみシリーズでヒットメーカーとなった北村龍平監督作。粗筋 八代(榊英雄)は恋人を暴行した男六人を殺害し、その上恋人まで殺害した罪で死刑判決を受けていた。刑がついに執行される。が、刑は見せかけだけで、八代は「法律的には死んでいる」という状況になった。八代は生か本物の死か、の選択を迫られる。八代は生きる方を選んだ。八代は麻酔で意識を失った。目を覚ますと、あらゆるものから遮断された空間に、別の死刑囚と一緒に閉じ込められていた。 八代は、自分が何らかの実験に参加させられたことを告げられる。八代は訳の分からぬまま実験に参加。 そんなところ、空間の窓の向こうに女性(りょう)が姿を現す。彼女は「何か」によって心身ともに支配されていた……。感想 全体的に、VERSUSの焼き直し。 主人公がいつの間にか無敵になってしまうところなどもそっくり。 違うところといえば、VERSUSとはヒーロー(榊英雄)と悪役(坂口拓)が入れ替わっている、ということか。 あと、配役もよりマシ。ヒロインにりょう(何て芸名だ)や、ラスト・サムライに出演した小雪など、それなりに豪華。 特に、りょうは金髪のかつらで登場。印象がまるで異なる。 VERSUSと違うところといえば、主人公が置かれた状況、そしてその周辺の出来事を「説明しよう」としていることか。 VERSUSは「背景もストーリーもどうでもいいだろ? 単純にアクションを楽しめよ」という態度だったので、何も説明されていなかったが、観る方もそれを承知していたので、充分だった。 が、本作品では所詮アクションだけの代物なのに背景やストーリーをどうにか盛り込もうとした結果どことなく説得力にかける代物に仕上がってしまった。 本作はVERSUSより予算はあったようだが、作品としては逆に落ちているような……。 あずみも、世間で騒がれているほどの作品ではないところを見ると、北村龍平は結局VERSUSで始まりVERSUSで終わってしまったような感じ。 というか、元々大作向きではないのではないか?人気blogランキングへ関連商品:ALIVE デラックス版VERSUS ヴァーサス
2006.10.27
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毎年夏恒例のルパン三世の長編アニメ。例年は7月頃に放送されるが、2006年は9月に入ってから放送。粗筋 ルパンはミシェルという少女と出会う。傭兵組織を運営する自分の父が何らかの悪行を働くようなので、それを阻止して欲しい、と頼まれ、応じることになった。ルパンは相棒の次元を誘うが、次元は昔の傭兵仲間ライアットから別件で誘われていて、二人は別行動を取ることに。ただ、次元とライアットを雇ったのは、ミシェルの父。ルパンと次元はいつの間にか敵味方に分かれることに。 一方、峰不二子は展示会に出品される巨大なダイヤを盗む計画を立てる。が、そのダイヤは、実はミシェルの父も狙っていた。ダイヤを、ダイヤの形をした爆弾(NDW)とすり替え、ダイヤのオーナーである米国大統領を強請る、という計画を立てていたのだ。 こうして、ルパン一味は別行動を取っていながら、次第に一つの目的へと向かい始める……。感想 今回のルパン三世は、荒唐無稽なシーンが極力排除され、やけに現実的に(あくまでもこれまでルパン三世と比較して、だが)。 そんなこともあって、登場人物がアメリカやタイなどあちこちを飛び回っているにも拘わらず、全体的に地味な作品に仕上がっていた。 また、作画もレギュラーキャラと今回のみのキャラに差があるようで(描いた者が全く違うようだった)、違和感が。 年に一本しか作らないのだから、シナリオや作画をもう少し練った上で製作してほしいものである。 ミシェルは「家でも買えるクレジットカード」とされるブラックカードを使いまくり、ルパンを驚かせていたが……。ブラックカード、てそんなに凄いのかね。粉飾決算容疑で逮捕された元ライブドア社長堀江貴文が持っていたくらいだから、大したものではないと思うが。 ルパンは薬物を飲まされるが、その薬物は奥歯に納められ、頭蓋内のコンピュータ(?)がどんな薬物が解析。薬物を飲ませた連中は、口の中に薬物が残っていないので飲んだと勘違いしてしまう。ルパンは薬物が効いたような振りをして、難を逃れることに……。 ルパンの口の中がそんな風になっているとは知らなかった。 ま、今回だけだろうが。 あと、ルパンは冒頭で騎手になり、競馬で他の騎手を眠らせて自分の馬が勝つようにし、万馬券で大金を得る、という計画を実施するが……。 普通そういうことをやったら不正が疑われ、払い戻しがストップされると思うが。人気blogランキングへ関連商品:LUPIN THE THIRD second tv.DVD Disc26ルパン三世/LUPIN THE THIRD second tv.DVD Disc
2006.09.10
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金城一紀の直木賞受賞作の映画化。窪塚洋介、柴咲コウ、山崎努、大竹しのぶ、山本太郎(←こいつ何歳だ? バトルロワイヤルでも高校生として出演してたが)出演。 キネマ旬報で2001年度邦画ナンバーワンに輝いた。粗筋 杉原(窪塚)は在日朝鮮人。が、元ボクサーだった父が国籍を韓国に移したことから、在日韓国人になった。日本人の高校に通うようになるが、在日であることからトラブルに巻き込まれる。 そんな彼にも桜井という恋人(柴咲)ができる。しかし、自分が在日であることを打ち明けるとフラれてしまい……。感想 ……どこでどうなれば終わるのかが全然分からず、延々と続いた感のある映画。原作に忠実にしようとしていたのかも知れないが、中身の割には2時間2分は長過ぎ。朝鮮人学校の部分がくどかったので、その部分をいくつか省いていればかなり整理できたように思える。 これといったストーリーラインはなく、様々なエピソードが適当に放り込まれているよう。長さの割には桜井がなぜ在日を嫌うのかがきちんと説明されていないし、なぜまた杉原の元に戻ったのかも説明されていないし。 微笑ましいエピソードもあるのは確かだが。 が、杉原が小学校で桜井に対し「俺は何もんなんだよ、ゴルァ、ゴルァ、ゴルァァァァァァーッ!!!」 ……と喚く最後の部分には興ざめ。この部分が何もかもぶち壊したように感じる。もう少しまともに喋ってくれ。 そのような喋り方に嫌悪感というか殺意を抱く奴がいることを理解してほしい。 カット割りというか、撮影方法にはちょっと首を傾げたくなる。短いカットやスローモーションをやたらと使うのだ。アクション映画ならともかく、青春映画を無理に「格好良く」しても意味ないと思うが。 柴咲コウはバトルロワイヤルとは全く異なる役柄を演じていたが、山本太郎(←こいつ何歳? 改めて訊く。高校生に全然見えなかった)は全く同じキャラを演じていたように感じる。 いつも思うのだが、女を脱がすなら観客にもちゃんと見せろや、アホ制作者らめ。観客に見せないつもりならてめえらも見るな。なぜか知らないが腹が立つんだよ。 総括的に言えばテレビドラマとして上出来なものに仕上がっている。映画として観るにはどうかね。800円で観られたが、それでも高かった感が拭えない。 こんな映画がナンバーワンに選ばれてしまうと「?」と思ってしまう。2001年は邦画も洋画も不作だったのは確かだが……。 原作はどこが評価されて直木賞を受賞したんだろうか。少なくとも読む気にはなれない。人気blogランキングへ関連商品:GO花 特別版
2006.08.07
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ハウルの動く城やもののけ姫を手掛けた宮崎駿の初期監督作品。粗筋 昭和30年頃。 小学6年生のサツキと4歳のメイは、父親と一緒にある田舎に引っ越すことに。 そこは近所では「お化け屋敷」と呼ばれていた。 サツキとメイは、自然溢れる新居で遊び回っている内に、ある存在に気付く。サツキとメイは、それを「トトロ」と名付けた。 サツキとメイの母親は、病院にいた。近々仮退院してする予定だったが、電報が入ってきて、「病状が悪化したので仮退院は延期に」という知らせが入る。 母親は危篤状態にあるのでは、とサツキとメイは心配する。 母親との久し振りの再会を楽しみにしていたメイは、自ら徒歩で数時間という病院へ一人で行くことを決めた。しかし、4歳のメイは、当然ながら迷子になってしまう。 サツキは、妹を探し出す為に、トトロの力を借りることに……。感想 ハウルの動く城やもののけ姫と同じ監督が手掛けたとは思えない、ほのぼのとした作品。 子供が観て楽しめる作品である。 アニメ映画、て本来こういうものにすべきでないか。 宮崎駿は、これ以降ハリウッド並みの「大作主義」に走ってしまったような。 同じようなほのぼの映画を連発できないから、その方向に進まざるを得なかったのかも知れないが。 宮崎駿作本は、この後作品を重ねるごとに「平和がどうだ」とか「争いごとはどうだ」といった説教じみたものになってしまうが、この時点では単に「はい、それでみんな幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」で終われる作品を仕上げている。 一番大きな不満といえば、同監督の他の作品(ハウルの動く城やもののけ姫や千と千尋の神隠し)を観てしまった後に見たので、何となく「見たことあるな~」という既視感に見舞われたこと(年代的に見ると、本作品が他の作品で焼き直しされた、というのが正しいのだろうが)。 冒頭の主人公が田舎に越す、というシーンは千と千尋の神隠しで焼き直しされているし、おばあさんも他の作品の登場人物をそのまま持ってきたような感じだった。主人公のサツキも、他の宮崎作品のヒロインの幼い頃を描いた感じ。 その意味では、新鮮味に欠けるといえた(繰り返し述べるが、本作が製作されたのはハウルの動く城やもののけ姫や千と千尋の神隠し以前だが、自分が観たのはハウルの動く城やもののけ姫や千と千尋の神隠しを観た後だった)。 子供向けのファンタジーなので、「トロロ、て結局何だったんだ?」などといった冷静な質問は無意味。 それなりに楽しめたが、「また観たいか?」となると返事に窮する。人気blogランキングへ関連商品:となりのトトロとなりのトトロ 腕時計ハウルの動く城
2006.07.29
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宮崎駿監督の長編アニメーション。 ダイアナ・ウィン・ジョーンズの著書「魔法使いハウルと火の悪魔」が原作。粗筋 帽子店で帽子を作り続けていた18歳のソフィーは、ある日荒地の魔女に呪いをかけられ、90歳の老婆になってしまった。ソフィーはハンサムだが弱虫な魔法使いハウルと出会い、奇妙な共同生活を始める。その国では、王が隣国と戦争を繰り広げていた。王は国中の魔法使いを招集。戦争に参加しろと要求した。ハウルはそれが嫌で、ソフィーを自分の母親として王宮に送り込み、召集に応じることを拒否させることにしたのだが……。感想 正直、何を言いたかったのかさっぱり分からない映画。 ソフィーは老婆の呪いを解く為にハウルを頼ることにしたのか、というとそうでもなく、老婆の運命を特に気にすることなく受け入れてしまっている(作品の舞台となった世界では、そんなことは日常茶飯事なのか)。 ソフィーは、王宮で自身に呪いをかけた荒地の魔女と再会する。が、呪いをかけたことを問い詰めたり、呪いを解けと迫るのかと思いきや、相手の「呪いのかけ方は分かるが、解き方は分からない」の説明をすんなりと受け入れ、それ以上追求しない。それどころか、王宮からの逃亡の際、無力になってしまった荒地の魔女を救出する。 ソフィーというキャラが結局作品内でどういう位置づけになっていたのか、さっぱり分からなかった。 主人公であるハウルも、掴みどころのないキャラで、何をしたかったのかさっぱり分からず、魅力に乏しかった。 時代設定も分かり辛い。 魔法使いが当たり前のように登場していることから、現実の世界ではないのだろう。が、中世っぽい雰囲気がある一方で、クラシック調の飛行機や自動車が登場したりするなど、ちぐはぐな印象を受け、その世界に入り込めなかった。 本作には明確な善悪・敵味方の対立という明確な構図がない。 それを期待していた、というほどではないにせよ、何らかの展開があると思っていたので、最終的に「特に展開はない」と知って拍子抜け。 そりゃ、無闇に対立を捻り出そうとするのも問題だが、「何の対立もありません」では「ストーリーになっていない」になってしまう。 映画はやはり勧善懲悪がないと駄目だな、と改めて思い知らされた。 本作品は、絵は綺麗だが、ただそれだけ、といった感じのアニメ。 日本映画の悪いところが存分に発揮されていて、「映画はこう作ってはならない」の反面教師として使える格好の作品といえる。人気blogランキングへ関連商品:ハウルの動く城ハウルの動く城
2006.07.22
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北村龍平が監督・脚本を手がけた作品。2001年ローマ国際ファンタスティック映画祭のコンペティション部門で最優秀監督賞を受賞。 坂口拓、榊英雄、三坂知恵子出演。粗筋脱走囚が山奥の待ち合わせ場所にたどり着く。そこでは四人の男が一人の女を連れて待っていた。「あの人」と会う為だ。 ……と思っていたら、殺しても殺しても生き返る連中や、キレた刑事や、キレた連中との死闘になる。 ……と思っていたら、不死身の力を持つ「あの人」との500年にもわたる因縁の最終決戦に……。感想 拳対拳。銃対銃。そして剣対剣。 戦いが延々と続くだけで、これといったストーリーはない。プロット的には穴だらけで隙だらけといえる。 が、力で何もかも押し切っていて、ぐいぐい引き込まれた。ここまで引き込まれる映画を観たのは久し振り。邦画では初めてかも。万人受けする映画ではないが、少なくとも自分には受けた。 本作品はいつが舞台になっているか、どこが舞台になっているかも定かでない。バレット・スナイパー・ライフルや、ベンツや、トヨタ・セラが出るし、登場人物が全員日本語を喋るので、一応現在の日本が舞台なのだろうけど……。 予算的にはB級アクション物と思われるので、安っぽく作ってある場面もあるが、カメラワークで「格好良く」演出することで補っている。「GO」でも同じようなカメラワークが観られたが、そちらでは違和感を感じまくりだったのに、こちらでは違和感がないどころか、ピッタリだった。 残念なのは最後の「99年後の世界」の場面。完全に蛇足だった。トンネルを抜ける所で終わりにしていれば良かったのに、と悔やむ。 この場面がなければA級に限りなく近いB級アクションになれた。人気blogランキングへ関連商品:VERSUS-アルティメット・ヴァーサス-VERSUS ヴァーサス
2006.07.07
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小池一夫と上村一夫による漫画の映画化。 監督は佐藤信介。釈由美子、伊藤英明、佐野史朗出演。 ハリウッド大作「ブレイド2」でアクション監督を担当したドニー・イェンが本作のアクションシーンを担当した。粗筋「その国」では、500年にも及ぶ鎖国政策が未だに続いていた。そこに隣国から流れ着いたのが建御雷族。隣国では特殊部隊だった建御雷族は、雇われの暗殺組織へと変わっていく。その中の一人の雪(釈)は、自分の母の死の真相を知り、組織から逃亡する。組織は、裏切り者は例外なく始末するのが掟だった為、雪は自分が属していた組織に狙われる羽目になった。 雪がふとして逃げ込んだのは、反政府組織の活動家(伊藤)の家だった……。感想 ……面白い要素が色々あったのに、制作側の力不足で面白い作品になり損ねた映画の典型的な例と言える。 最大の失敗がキャスティングだろう。天然ボケを売り物としているアイドル釈由美子を、なぜこんなシリアスな役に抜擢したのか理解に苦しむ。普通のアイドルでも映画の主役を務めるのは大変で(役者としては大根が多いから)、大抵は失敗するのだ。ましてや天然ボケアイドルとなれば……。 仮に釈が天然ボケでなかったとしても、あの愛くるしい(?)顔で説得力ある演技ができたかは疑問。いくら凄みを利かせて睨んでみせても、そこに転がってる女の子が生理痛に苦しんでいるようにしか見えなかった。あんな細い腕で剣が振り回せるかよ。 彼女はこの映画で大根振りをご披露して、飽きられた為か、その後テレビの登場もめっきり減ってしまった感じがする。「天然ボケアイドルから脱出する絶好のチャンス!」と思ったのかも知れない。脱出できたのは確かだろうが、それと引き替えに人気も減らした。役をもっと慎重に選ぶべきだった(後に出演したテレビ番組・映画が当たり役とされたが)。 制作者もいい加減に話題のアイドルさえ使えばどうにかなると考えるのはやめてほしい。 ハリウッドの第一人者を使った割には、アクションシーンは迫力がなかった。一週間前に観たVERSUSより二、三段落ちる。これはアクション監督のせいだけでなく、上記にも述べたように主役自体の問題だろう。細過ぎる、ての。やはり女にアクションシーンは無理。 無意味な効果音もゲンナリさせる。 ストーリーも首を傾げたくなる部分が多かった。 雪は優秀な刺客、という設定の割には弱い。コテンパンにやられる。あの細い腕じゃ、当然か。 また、雪は信じられないほど鈍い。ふと気付くと組織が差し向けた十人近くの刺客に囲まれていた……、という場面が一度ではなく二度もある。ここまで鈍い女がよく刺客なんてできたな。 建御雷族は凄腕の暗殺集団ということだが、それはどうかな、と疑問に思った。 女刺客の一人は、あと一息というところまで雪を追い詰めた時点で、行動が鈍くなる。さっさと殺せばいいのにそうしないから、雪に逆襲されて倒されてしまう。馬鹿女、とろとろしてないでさっさと殺せや、と思わず叫びそうになった(主人公が死んでしまうので、それはそれでまずかっただろうが)。こんなのが優秀な暗殺集団だと説明されても納得しがたい。 後味も非常に悪い。ハリウッド映画みたいにハッピーエンドへ無理矢理持っていくのもどうかと思うが、本作品のように無意味な悲劇を最後にとってつけるのも違和感を抱く。続編があるかのような結末だ。興行的にはあまり成功しなかった(というか始めから無視されていた)ようだから、続編なんて有り得ないのに。 本作品では釈がトップレスになるシーンが盛り込まれている。何度も言うが、撮影現場で脱がせるならわざわざ金を払って観に来た連中にも見せろや。てめえら(制作者)だけで楽しんでるんじゃねえ。背中だけなので、脱いでなかった可能性もなくもないが。いや、替え玉だった可能性もある。 制作開始段階では高いポテンシャルを持ちながら、制作が終わった頃には「何だこりゃ」になっていた……。 映画というのは魔物である。追記: 釈由美子は後に天然ボケキャラを返上。普通の女優に。バライエティ出演は減ったが、テレビドラマ出演は逆に増えている。 その意味では、本作は天然ボケアイドルから一般女優への転身の足がかりだったようだ。人気blogランキングへ関連商品:修羅雪姫梶芽衣子/修羅雪姫
2006.06.30
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監督鈴木清順による10年振りの長編映画。 江角マキコ、山口小夜子、韓英恵、沢田研二出演。粗筋 殺し屋組織「ギルド」の殺し屋ナンバー3通称「野良猫」に、任務が久し振りに与えられる。「ギルド」の殺し屋ナンバー1である「百眼」を始末しろと。「百眼」が「ギルド」所属の殺し屋を次々始末していたからだ。引退状態にあった女殺し屋「野良猫」は、否応なしに「百眼」との決闘に巻き込まれていく。問題は、敵は「野良猫」の行動を完全に把握しているようなのに、「野良猫」は敵の正体さえ掴めないことだった……。感想 チラシでは「やばくてブッ飛んだアクション・エンターテインメント」となっている。アクション・エンターテインメントかどうかは不明だが、やばくてブッ飛んでるのは確か。 真面目なのか観客を馬鹿にしているのか分からない「和」と「洋」が入り交じった非現実的なシーンを満載していて、いかにも「芸術的な映画を作りました」といった感じ。好きな人は好きなんだろうけど、映画に単純明快さを求める者にとっては訳の分からない作品だろう。 全体的に「低予算で制作されたんだな」と思わせる映画。 個人的な意見としては、老監督鈴木清順は意識して非現実的なブッ飛んだシーンを盛り込もうと考えていたのではなく、スタッフの意見を無視して自分にとっては筋の通った現実性溢れるシーンを盛り込んだところ、常人にとっては意味不明のブッ飛んだ作品に仕上がってしまった、というのが真相と思われる。制作側は完成品を観て何と売り出せばよいのか散々迷った末に、仕方なく「ブッ飛んだアクション・エンターテインメント」として宣伝する羽目になった、と。 そうでなきゃ、どう見ても小学生以上には見えない少女(新人の韓英恵)が素っ裸で飛び回るという児ポ法に抵触しそうなシーンを挿入するなんてしないだろう。このシーンも意味不明で、ストーリーに何の貢献もしないので、何の為に挿入されたのかさっぱり分からない。数年後にはDVDでも観れなくなっているかも。 老人に際限なく行動させるとこんなやばい物が出来上がる、という好例。 それなりに楽しめたけど、高い点数を与える気にはならない映画。 主演の江角マキコは、後に社会保険庁のキャンペーンレディに選ばれ、「年金保険料を払え!」といった脅迫めいたCMに出演するが、その直後に江角マキコ本人が年金保険料を支払っていなかったことが発覚。女優としての名を落とした。人気blogランキングへ関連商品:ピストルオペラサントラ/ピストルオペラピストルオペラ・オフィシャルハンドブック
2006.06.24
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金城武、鈴木杏、岸谷五朗出演のSF大作。粗筋 凄腕の殺し屋ミヤモトの元に、未来からやってきたという少女ミリが現れる。あることをしないと地球は宇宙人によって侵略されると言うのだ。ミヤモトは、ミリの戯言を最初は信じていなかったが……。感想 キャラの過去が「人間を描く為」に取り上げられていたり、お涙頂戴場面やご都合的なハッピーエンドが挿入されていたりなど、良くも悪くも日本的な映画。 宇宙人による地球侵略は、「実は人間が原因だった! もし人間が正しい行動を取っていれば、侵略されることはなかった!」なんて、どこかのお子様用アニメみたいな展開。「スタートレック」を見てきた自分としては、高度な技術を誇る宇宙人が、仲間が死んだ原因を誤解して知的生命のいる惑星と全面戦争してしまう、なんて展開は馬鹿馬鹿しく思うのだが。 ミリは二度未来から過去に戻ってきていたことが明らかにされるが、なぜ二度目に戻ってきた時にもっとちゃんと処理しなかったのか。というか、二度目に戻ってきた時なぜ更に過去に戻り、問題をより効率的に解決しなかったのか、と思ってしまう。お陰で死ななくてもいい人がバタバタ死んでいる感が(死ぬべき奴もバタバタ死んでるけど)。 本作品の最大の問題点は、岸谷五朗が演じていた中華系マフィアに属する溝口という人物。これがメインの悪者なんだけど、どうも説得力がない。 岸谷五朗は「迫力ある悪役とは、上映中、終始凄んでいなければならない!」と信じているのか、そう演技するよう指導されたのか分からないが、それがいけなかった。終始凄んでいる悪役、というのは結局チンピラになってしまう。「大物ぶっているけど所詮小物」という悪役に。下手すると意図せずにギャグになる(実際最後の場面ではギャグになっていた)。 説得力ある悪役、てのは、大半の部分はノーマル(というか無害)だが、ここぞという時に近寄りがたい凄みを発するもの。ギャップが深みを出すのである。岸谷が演じていた溝口は、007映画でいうと「メインの悪役に付き添う不死身なボディガード」としては最適だが、メインの悪役としては迫力不足。こんな頭の悪そうな奴が組織を指揮できるか、と思ってしまう。 制作者が銃器マニアであることも見て取れる。 それなりに楽しめる作品だが、1800円も払えるかは疑問。 ちなみに、この日は映画の日で、入場料が1000円だった。「オースチン・パワーズ」も観た。「バイオハザード」も観て一日で三本観る予定だったが、「バイオハザード」は上映時間が変わっていて、観れなかった。上映スケジュールをころころ変えるなよ……。人気blogランキングへ関連商品:Returner リターナー スタンダード・エディション
2006.02.13
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戦艦大和の最期、そしてその乗組員の生き様・死に様を描いた大作。 本作の制作をきっかけに、日本は「大和ブーム」になったという。粗筋 2005年。 九州を一人の女性が漁村を訪れ、太平洋のある海域にまで連れて行ってほしい、と頼み込んできた。 その海域とは、戦艦大和が沈没した場所だった。 漁村からその沈没場所まで、船で行くとなると十数時間。荒れ易く、頼まれたくらいで行く訳にはいかない。 漁協組合の者は当然ながら断った。 女性が途方に暮れているところ、ある老人が女性の頼みを引き受ける。その老人は漁師で、実は戦艦大和の生き残りでもあった。老人はこれまで大和が沈没した場所を訪れたことはなかったが、今回初めて行くことに。 女性の為というより、自分自身の為に。 老人は、航行で、戦艦大和で過ごした過去を思い出す……。感想 大和の実物大セットだけで数億円かけたという超大作。 そんな訳で、戦闘シーンなどの迫力は抜群。 まず、戦艦での戦闘、てこんなに悲惨で原始的なものだったのか、とびっくりさせられる。対空機関砲を操縦する船員は敵機からの機関砲襲撃に殆ど無防備で、艦を敵機から守る重要な存在にも拘わらずバタバタと死んでいく。機関砲の照準合わせも目視によるもので、敵機の確認も双眼鏡を持った船員に頼っている。こんな非人道的・原始的な兵器でよく戦争ができたな、と思ってしまう。 戦時の昭和の再建も、かなりリアルに仕上がっていて、金と手間がかかってるんだな、と感じる。 そういう意味では、見所の多い作品ではあるが……。 一方、「もう少し金をかけられなかったのかね」と思いたくなる場面も多い。 金をかけてはいるもののかけ切れなかった、と感じるのが、戦艦大和の全体が映るシーン。 見るからにCGっぽい。 パソコンゲーム並み、というほど酷くはないが、一目で「ああ、CGが使われてるな」と気付かれてしまうようでは困る。 役者の台詞も、台本を読んでます、というのが分かるもので、映画というより舞台演技のよう。「役者を喋らせることが演技」という思考を、脚本家は捨てるべき。「現在」のシーンでは、鹿児島の漁業組合の者が登場するが、どれも方言を無理矢理喋らされているようで、何となく不自然に感じた。鹿児島人も、あそこもまで訛りがあるのはもはやいないと思うが。 本作品の最大の問題は、「日本の戦争映画」から脱していないこと。 反戦団体から「戦争を美化するな!」と抗議されるのを恐れているからか、とにかく「戦争は悲惨なんですよ!」というメッセージを観客に捻じり込もうとする。 戦争が悲惨だ、なんて大抵の人は本作を観なくても既に知っている。映画制作者が叩き込む必要はない。 また、本作は大金をかけた映画の例に漏れず、「大作=感動作」の方程式から外れていない。「さあ、泣きましょう!」というシーンがいくつも盛り込まれている。一回や二回ならいいんだが、五回も六回もあると「またか……」と白けてしまう。 ストーリー構成にも問題が。 現在と過去に場面が頻繁に入れ替わり、それだけでだれてしまう。「漁村を訪ねた女性は、生き残った大和乗組員の養女。亡くなった養父は、自分の遺骨を大和に帰してほしいとの遺言を残していた。だから女性は何が何でも大和の沈没海域に行きたがっていたのだ……」 ……この部分は省いてもよかったと思う。最初から終わりまで過去を舞台にした方が、すっきりした作品に仕上がっていたと思う(現在で始まり、過去に舞台を移し、時々現在に戻り、ラストを現在で迎える……、という手法は、「タイタニック」の焼き写しのように感じた。いずれも巨大な船が沈没するし)。 ストーリーそのものも、ただ単に「戦争は悲惨だ」のメッセージを繰り返すだけのようで、救いがない。その結果、一度観るだけで満腹状態になってしまい、「もう一度観たいか?」と訊かれても拒否するだろう。 本作は、あくまでも「大和の物語」。 映画の視点は大和が中心になっている。 したがって、大和以外の艦船は敵味方に関係なく描かれておらず、まるで大和が常に単独で行動していたかのようになってしまっている。 太平洋戦争を多面的に取り上げるとストーリーが複雑になり過ぎて失敗作になっていただろうが、「大和の沈没で日本の敗北が決定した」といった誤解を与えかねないストーリー構成には疑問が。 もう一つ疑問に思うのが、一般乗組員が大和のことを「世界最大の戦艦」と言っていること。 戦艦のように規模や性能がそのまま戦力に直結する兵器は、無闇に性能などの情報を外部に漏らしてはならなかった筈。一般乗組員が世界最大であることを知っていたなら、敵側にも筒抜けになっていただろう。日本海軍はそんなことを許していたのだろうか? 現に、アメリカの記録写真では、大和の同型艦「武蔵」を「45000トンの戦艦」と解説しているものがある(実際には60000トン超)。戦艦大和が世界最大の戦艦だったのを一般市民が知ったのは戦後かなり経ってからだった、という話も聞く。 日本海軍は、少なくとも大和の性能を敵側から隠し通せたのである。 したがって、一般乗組員が大和のことを当たり前のように「世界最大の戦艦」と称するのは違和感が。 キャストは反町隆史、中村獅童、渡哲也、鈴木京香、長島一成、仲代達矢など、かなり豪華。これも「大作」の見所であり、弊害でもある。 なぜなら、キャスト全員が「自分が出る場面を多くしろ、あるいは出番が少なくても重要なキャラにしてほしい」と言い出すから。 本作品は、キャストの出番や役の割り振りはそれなりに上手くいったようである。人気blogランキングへ関連商品:YAMATO浮上!-ドキュメント・オブ・『男たちの大和/YAMATO』-
2006.01.01
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「寅さん」シリーズの山田洋二監督にとって初めての時代劇。原作は藤沢周平。真田弘之宮沢りえ出演。本作品は予想以上のヒットとなり、国内で様々な賞を受賞した上、2004年度の外国映画のアカデミー候補にもなった(知名度不足で落選したが) 激ヤセ問題で女優業が危ぶまれていた宮沢りえの完全復活を印象づけた作品でもある。粗筋 清兵衛は、幕末期のある藩で、城勤めをしていた。妻を亡くし、幼い子二人と借金を抱える彼は、一日の仕事が終わった後は家に真っ直ぐ帰り、内職に精を尽くしていた。同僚らは、酒の誘いを断って黄昏時に判を押したように帰る彼を「たそがれ清兵衛」と呼んで馬鹿にしていた。 しかし、清兵衛は剣の使い手であった。彼はそのことをひたすら隠していたが、ある日ふとしたことで剣の腕前を披露したところ、城内に広まってしまう。 それを耳にした藩の老中は、ある男の始末役に、清兵衛を指名する……。感想 以前観ようとしたら満員で入れません、と言われて断念したことがある。 それほど評判が高い映画なのか、と感心し、ようやく観られるチャンスを喜んでいたのだが……。 本作品は史上稀に観る駄作ではないが、絶賛の嵐に見舞われるほどの作品とも思えなかった。 とにかく地味。 その意味では邦画を象徴していると言える。 映画の大半は、清兵衛の日常生活を延々と描いているだけなのだ。微笑ましいエピソードなどがあることにはあるが、1時間程度ならともかく、2時間を超える映画だと中ダレする。緊迫感に溢れていると評された殺陣の場面はラストにちょこっとあるだけで、そこまでに達するのが長すぎた。山田監督はあくまでも清兵衛という人間を描きたかっただけで、殺陣は思いつきで加えただけのようである。 本作品は、時代設定こそ幕末となっているが、内容自体は現代社会そのもの。したがって、侍らは単なるサラリーマン、城は会社、として描かれている。仕事を終えた侍らが全員で揃って飲みに行く様子は、いわゆるノミニケーション以外何でもない。 本作品の鑑賞者は、中高年のサラリーマンが中心だったらしい。鑑賞者の多くは、自分らが置かれている立場と照らし合わせて共感し、涙を流したという。なぜ鑑賞者がそう反応したのか理解に苦しむ。サラリーマンを実際にやってる連中が、銀幕上で別のサラリーマンを観てどこが楽しいのか。 出世は幸せを意味しない、「家族を大事にすることが確実に幸せに繋がるのだ」というのが本作品のテーマらしいが、あまりにも露骨に述べられているので、自分は少々ウンザリした。ナレーションでは、清兵衛は貧乏な暮らしをしながらも家族を大切にして幸せな一生を過ごせた、ということになっているが、自分には清兵衛が「自分は幸せです」と単なる強がりを言っているようにしか見えず、清兵衛が三年後の戊辰戦争で銃弾を食らって死ぬと聞かされて落ち込んだ。せめて清兵衛が幕末をどうにか生き延び、貧乏な生活を送りながらも愛する家族に囲まれて天寿を全うした、という結末なら救いがあったのに……。 そんなこともあって、「人生はむなしい。幸せなど結局一握りの人間しか得られない」が自分が受けたメッセージである。一寸先は闇の人生なんだから、地味に生きているより何かやらかして納得して死んだ方がマシ、てね。 清兵衛の娘のナレーションはいらなかったような気がする。最後の井上陽水の曲は蛇足。というか、時代劇の雰囲気をぶち壊したと思う。他の客も「なぜ井上陽水?」が率直な感想だったようだ。 役者の演技は可もなく不可もなく、といったところ。ただ、全てのセリフの語尾に「がんす」を加える方言擬きはどうかと思う。 良い作品なのか、悪い作品なのか、と訊かれれば、「良い作品」と答えるだろうが、史上最高の傑作か、と訊かれれば、「遠く及ばない」と答えるだろう。 山田監督作品を観たのは今回が初めてだが、多分最後になると思う。地味過ぎる。人気blogランキングへ関連商品:たそがれ清兵衛"『たそがれ清兵衛』の人間像
2005.08.26
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山田風太郎の小説の映画化。以前深作欣二監督が映画化している。 出演は窪塚洋介、佐藤浩市、麻生久美子。粗筋 島原の乱で幕府軍に首をはねられた反乱軍総大将天草四郎。十数年後、彼は徳川幕府を倒す為、魔界から蘇った。天草は妖術を使い、過去の剣豪らを次々と蘇らせる。 天草の企みについて偶然に知った柳生十兵衛が、阻止のため江戸へ向かう……。感想 CGをわんさと使った時代劇、というのが第一印象。日本映画が海外に進出するとしたらこの手しかないと思うので、この傾向が悪いとは思えない。 ただ、本作品は全体的には面白いんだが、何か物足りない、というのが率直な感想。 佐藤浩市が演じる柳生十兵衛が宮本武蔵や、自分の父親などの剣豪らと次々決闘していくのだが、どれも短過ぎてアッと言える間に終わっている。「殺陣」て感じがしない(たそがれ清兵衛とは大違い)。 本作品は窪塚洋介が演じる天草四郎が主人公であるかのような宣伝振りだが、実際には登場場面は少なく、柳生十兵衛が主人公。 なぜ天草四郎が強調されているのか分からない。 演じている俳優が「話題の人」だったからか。こういった宣伝の仕方だと「お目当ての俳優が全然活躍してない!」とけなされる恐れがあるから、やめた方がいいと思うが。どんな有名な俳優でも、脇役を演じていたらそのように宣伝した方が短期的にも長期的にも有利だろうし、そもそも主役に失礼ではないか。 本作品は、「歴史上で登場する様々な剣豪らが決闘し合ったら誰が勝つのか?」という歴史ファンの疑問に答えようとしたもので、天草四郎が江戸幕府を倒す企みは後で付け足したようなもの。だから突っ込むのは無意味なのかも知れないが、それでも「天草四郎、せっかく魔界から蘇ってきて、しかも死者を蘇らせる妖術まで見に付けているのに、もう少しまともな計画を立てられなかったのかよ?」と思ってしまう。 売り物である筈の決闘シーンもあっさりしていて、緊張感がないのが多い。槍の使い手との決闘は省いても良かったのでは。また、剣豪でもない家康が蘇ったのも分からない。「予想できぬ意外な展開!」を演出したかったのか。それだったら家康にもう少し活躍してもらいたかったが。簡単に倒され過ぎ。 ラストも不満。ハリウッド映画みたいに強引に「めでたし、めでたし」に持っていくのもおかしいが、尻切れトンボに終わらせるのもどうかと思う。大風呂敷を広げた製作者が、広げ過ぎて適切な畳み方を捻り出せず、苦肉の策として途中で切ったように見えなくもない。続編を意識していたのだろうか。続編なんて作られないと思うが……。 役者らの演技は可もなく不可もなく、て感じ。 窪塚洋介出演作を見たのは「GO」に続いて二作目だが、なぜここまで騒がれるのかさっぱり分からない。他の俳優とどこか違うのか教えてもらいたい。人気blogランキングへ関連商品:魔界転生魔界転生魔界転生
2005.08.10
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第二次世界大戦中における日本の市民の様子を描いたアニメ長編。終戦記念日頃になると毎年のように放送される。粗筋 第二次世界大戦。帝国海軍大佐を父に持つ兄妹。母を見送った直後、空襲に遭う。その結果、母は死亡。兄妹は親戚の元へ身を寄せるが、居辛くなり、町外れの洞の中で生活するように。父の帰りを待った。 最初の内は母が残してくれた遺産もあり、どうにか生活できたが、それもできなくなり、盗みを繰り広げるようになった。無論、そんな生活を長く続けられる訳が無く、兄妹は常に空腹に悩まされるように。幼い妹は徐々に衰弱。 兄は妹をどうにかしてあげようと奔走するが、所詮未成年。何の手も打てない。そんなところ、ふとしたところで父が属していた海軍が全滅していたことを知らされる。それどころか、日本はとっくに無条件降伏しており、戦争は終わっていた。 父の生還は絶望的なのを知った兄妹は、二人での生活を余儀なくされる。 日本は徐々に復興していたが、兄妹はそれに完全に取り残され、妹はついに衰弱死。感想 戦中・終戦直後は比較的よくあった出来事だと思われる。 兄が日本がいつの間にか降伏していたことを知らされてぶったまげる場面があったが……、ポツダム宣言受け入れ無条件降伏したことを天皇自らが告げる玉音放送を日本国民全員が聴けた訳ではないから、有り得そうな話。フィリピンでは終戦を知らずに30年も活動し続けた日本兵がいたくらいだし。 作中には焼け焦げた死体など、アニメにしては残酷な部分がある。「アニメは子供向け。大人が観るものではない」とする海外では、誰に見せるのか定まらず、なかなか放送できないだろう。ただ、アニメとあって、残酷性はかなり和らげられている。 本作品は、実写で作られなくもないが、実写にしてしまうと残酷な部分が強烈になり過ぎて全世代に見せられなくなり、毎年放送されような「名作」にはなり得なかったと思う。 せっかく親戚の家で世話になっていたのに、居辛くなってそこから飛び出てしまい、二人での暮らしをすることを決めた兄の思考は、おかしい感じがしないでもない。が、未成年だったということを考慮すると、有り得たのかも知れない。 兄は衰弱している妹を医者に見せるが、「栄養失調ですね。ハイ、次」と言われるだけの場面があった。当時の人はそんなに冷たかったのかね、と首を捻らざるを得ない。終戦直後で、どの人も余裕が無かったのは事実だが……。 日本が復興していく中、兄妹が取り残され、妹が衰弱死する、というのは、見方によっては戦争そのものより残酷である。人類全体にとっては戦争は恐ろしいが、個人個人にとって恐ろしいのは、時代の変化についていけなくなり、取り残され、生存権すら失うことではないかね。 妹が死んでしまうこともあり、後味は良くない。観て「面白い!」と感じる作品ではない。人気blogランキングへ関連商品:
2005.08.08
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柴咲コウ出演のホラー映画。粗筋 ある女子大生の携帯電話が鳴り出す。着信音は、女子大生が設定したものではなかった。着信記録を調べてみると、発信したのはその女子大生の電話。つまり、その電話の発信者は自分の電話で自分の電話をかけたことに。無論、女子大生はそんな電話などしていないし、しようとしても携帯電話はそのようなことができるようになっていない。 電話には、女性の悲鳴が記録されていた。女子大生本人の悲鳴が。発信時刻は数日後。つまり、女子大生は過去の自分へ電話をしたことになる。 そして発信時刻を迎えた時点で、女性は変死してしまう。 不吉な電話は、死を予告する電話だったのだ。 その後、女性の友人に同様の災難が降りかかる。「死の予告電話」はマスコミも嗅ぎ付け、面白おかしく取り上げるように。「死の予告電話」を受けた友人を生出演させ、予告された死の時間まで待つことに。 その結果、友人は生放送中、予告時間に怪死。 死の予告は、また別の友人へと続いた……。感想 和製ホラーの火付け役となったリングを作り直したようなもの。 リングの時は「死のビデオテープ」だったものを、本作では「死の携帯電話」に置き換えた。 リングはそう昔の作品ではないが、こう捉えると既に時代を感じさせるものになってしまっている。 リングでは貞子という強烈な印象を残す女性の「悪霊」が登場する。 本作品でも同じような女性の悪霊が。ただ、「貞子をそのまんま焼き直しただけじゃないか」という批判を免れる為か、本作の悪霊は髪がやたらと長くて顔が全く見えない不気味な存在ではなく、顔もきちんと見え、インパクトが薄い。 リングでは主人公二人(その内一人が死を予告される)が自分らであちこち駆け回って死の予告時間内に「真相」を探し出そうとする。 本作でも主人公二人(その内一人が死を予告される)が自分らであちこち駆け回って死の予告時間内に「真相」を探し出そうとする。 リングでは、主人公二人はある重大な事実を知り、我々はついに真相を突き止めたのだ、と一旦満足するものの、真相は実はもう一つ別にある、と知る。 本作でも、主人公二人はある重大な事実を知り、我々はついに真相を突き止めたのだ、と一旦満足するものの、真相は実はもう一つ別にある、と知る。 結局何から何までリングの焼き直し。 本作にはキャストを一新して続編も作られた(オリジナルキャストを使いたかったのだろうが、柴咲コウがブレークした為ギャラが高騰してしまい、使いたくてもギャラが払えなくなってしまった、ということもあるのだろう)。その点でもリングの焼き直しである。 流石にその頃には飽きられていて、リングのように続編を次々作れるほどのヒットにはならなかった。 続編の成功までは焼き直せなかったようだ。人気blogランキングへ関連商品:着信アリいくつかの空 / 柴咲コウ 着信アリ2
2005.08.01
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夏恒例のルパン3世長編2005年度版。粗筋 ルパン3世は、UFOの破片とされる「オリジナルメタル」を、保管してあったエリア51から盗むことに成功。峰不二子に頼まれて盗んだのだった。 不二子はオリジナルメタルをルパンから奪う。依頼主に引き渡すところで、いつの間にか偽とすり替えられていたことが発覚。 依頼主――女テロリスト軍団ブラディ・エンジェルズ――は、ルパン、次元、五エ門のいずれかが持っていると睨み、三手に別れて接近する。 オリジナルメタルは斬鉄剣でも切れないほどの硬い金属。加工に特殊な技術が必要。ブラディ・エンジェルズがそれを持っている、と悟ったルパンは、自らを囮にして、ブラディ・エンジェルズが接触するのを待ち構えることに……。感想 いつものことだが、本シリーズは設定が無茶苦茶。 銭形警部がF-15戦闘機を飛ばすんだから。インターポールの警部がどこでどうやって戦闘機操縦を学ぶのか。学んだとしても、戦闘機をどこから手に入れるのか。 ま、そんなことでくよくよ悩むようであっては、このシリーズは楽しめないのだが。 突っ込みどころが多い一方、これまでのシリーズ作と比べて決定的に破綻した感はなく、大人しく感じた。 その一方で、これまでのシリーズ作と違い、やけに人がバタバタと殺されている感がある。アニメなので、残酷感はかなり和らげられているが。実写でやったら後味が物凄く悪くなりそう。 最大の見所は、ルパン・次元・五エ門・不二子が、それぞれ特技が一致する女性テロリストと個別に対決すること。 ルパン一味は、それぞれの特技を活かして女性テロリストらを始末する(例外はルパンと対峙した女性テロリスト。テロリストのリーダーによって殺される)。殆どはあっさりと倒されるのがちょっと不満(初登場した段階では無敵のキャラに見えたんだが)。「銭型警部の新米女捜査官が実はブラディ・エンジェルズのリーダーだ」というのは途中で何となく分かってしまった。このシリーズに新レギュラーキャラが加わるのは有り得ないし、挙動がいかにも怪しかったし。 ちょっとドジな女捜査官が、正体が割れた途端に狂気満ちた顔で吼えまくるのは圧巻といえば圧巻。 ただ、このリーダー、組織を取り締まれるほど人望が厚そうな人物とは思えないのだが……。 最大の問題点は、「ルパン一味と女性テロリスト軍団の対決!」を実現したのはいいものの、広げた風呂敷をどう畳むまで考えるには至らなかったらしく、適当に終わらせてしまったこと。前半は展開が速いのに、後半はやけにモタモタ感があった。リーダーが倒された後も「え? これで終わり? 呆気ない。もう一捻りあるのでは?」と期待させたが、もう一捻りはなかった。 女軍団も格好が派手な割には呆気なく倒されてしまい、これといった見せ場はなかったし。 ストーリーは、上記でも述べたように、設定が決定的に破綻していない一方、これまでと違ってアニメだからこそ描けるぶっ飛んだところがなく、欲求不満になる。 ブラディ・エンジェルズはオリジナルメタルをアメリカの対立国に売り付ける、という計画を立てていたが、その対立国はどこを想定していたのかね。ロシアはもう有り得ないし、中国も違う気がする。 ダッジ・バイパー(車)や、F-15(戦闘機)や、ワルサーP-38(自動拳銃)や、コンバットマグナム(回転式拳銃)や、バレット・スナイパー・ライフル(だと思う)など、メカには相変わらず凝っているのはちょっと嬉しかった。 それにしてもルパン3世、て原作とは完全に別物と化しているな……。人気blogランキングへ関連商品:ルパン三世 LUPIN THE THIRD first tv DVD Disc5劇場版 ルパン三世 ルパンvs複数人間 (DVD)LUPIN THE THIRD second tv.DVD Disc 1ルパン三世 盗まれたルパン~コピーキャットは真夏の蝶~
2005.07.26
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人気歌手宇多田ヒカルの夫紀里谷和明の初監督作品。紀里谷和明他に撮影、編集、そして脚本も手がけている。粗筋 遠い未来。ある科学者は、新造細胞の研究を進めていた。新造細胞を使えばどんな臓器も作ることができ、しかも患者の身体から作る為、拒絶反応がない。老いた政府首脳らにとっては、夢のような技術だった。 が、ふとしたことで、新造細胞ではなく、新造の人間、つまり新造人間ができてしまう。 新造人間は自分らこそ地球を支配すべきで、人間を皆殺しにする、と宣言する。 そんな新造人間の野望に立ちはだかるのがキャシャーンだった……。感想 作品そのものより、監督の紀里谷和明が人気歌手宇多田ヒカルだ、という点が注目されている。 正確にいうと、それしか注目することができない、か。 映画の内容はまるで注目に値しない。 いや、それは大袈裟か。 紀里谷和明はCGを駆使した写真で高い評価を得ていて、CGを多用した宇多田ヒカルのプロモーションビデオを監督した経験も持つ為、映像的には斬新な部分が多い。 つまり、本作で紀里谷和明は自分が映像作家として優れていることのみを実証し、ストーリー構成力はまるでない、ということを証明してしまった。 とにかくストーリーが存在しない。 テーマは……。 ある。 というか、あり過ぎ。「戦いに善悪や敵味方なんてない、戦いは新たな憎しみを生むだけだ!」というメッセージを、監督は伝えたかったのだろうが、映画のメッセージというのはさりげなく示されてこそ印象に残るのである。 仮に監督が劇場に現れて、メガフォンで劇場内の者全てに聞こえるよう、メッセージをガンガン叫んだら、どうなる? メッセージは確実に観客全員に伝わるだろうが、観客の心に残るか? 残る訳ない。 しかし、本作で監督はまさにそれをしている。 本作を観て、監督が伝えたかったメッセージは、自分に伝わった。 が、感想は、「ハイ、ハイ、分かった。分かりました。もっと上手く伝えることができなかったのかよ?」しか思い付かない。 メッセージが「戦いに善悪や敵味方なんてない」なので、絶対的な悪者はいないし、誰が敵で、誰が味方なのかもさっぱり分からない。それがストーリーを曖昧にし、結末も曖昧にしている。典型的な邦画。 ストーリーそのものよりメッセージを重要視した結果と言える。 そのメッセージより重要視したのが映像美だろう。 映像はとにかく凄い。 が、最大の見せ場が全てCMで流されてしまった感じ。 あとは映像美に凝った場面がずっと、延々と流されるだけ。 また、同じ場面を数人の映像作家に撮影させ、どれかをファイナルカットで利用するつもりが、監督が決められなかった為切り貼りしてまとめた、としか思えない部分もあった。 本作は、2時間半近くにわたるミュージックプロモーションビデオのような出来。 音楽が流れるのは映画の最後だけだが(監督の妻宇多田ヒカルが歌っている)。 役者らの演技はどれも可もなく不可もなく、といった感じ。 唐沢寿明はやけに気が入っているが、観ていてこちらが気恥ずかしくなる。これも脚本に欠陥があるから。脚本家は、役者に喋らせれば演技になる、という誤った考えをいい加減に見直して欲しい。人気blogランキングへ関連商品:CASSHERNキャシャーン/新造人間キャシャーン全曲集CASSHERN アルティメット・エディション新造人間キャシャーン vol.1
2005.07.22
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宮崎駿としては珍しく中世の日本を舞台にした作品で、公開当時は最後の監督作品として注目された。粗筋 北方の国の青年アシタカは、祟り神と化したイノシシを倒したが、深手を負う。アシタカは祟り神に祟られてしまったのだ。イノシシはかなり遠方からやってきたものだ、と判明。なぜこんな遠くにやってきたのか……? アシタカは、祟りを解く為にはその原因を究明しなければならない、と伝えられ、原因究明の旅に出る。 アシタカは、イノシシが祟り神となった地にたどり着いた。そこでは、大自然を破壊しながら発展を続けるあるたたら場と、それを阻もうとする「もののけ姫」と呼ばれる少女が対立していた……。感想 これまでほのぼのとしたアニメを手がけていた宮崎駿の作品とは思えないような迫力あるオープニングシーンで始まるのが特徴。 この作品の問題点は、「善悪という単純過ぎる対立構図は描きたくない。それぞれに言い分や動機や信念があるんだ。それを描きたいのだ!」ということに重点を置き過ぎて、ストーリーが盛り上がり感に欠けること。 宮崎駿本人も、「対立は描きたいが単純な善悪といった構図にはしたくない」という設定を作り上げることに成功したものの、対立の落しどころまでには気が回らなかったらしく、結局これまでの日本アニメ(というか日本のフィクション全体)特有の曖昧な、尻すぼみ的なエンディングになっている。 何だかんだ言って、盛り上がるのはオープニングだけ。 確かに、現実の世界では、対立する者を単純に「善」と「悪」に分けることはできない。戦争は、その典型的な例だろう。 しかし、アニメ、てのは基本的に子供が観るもの。思考力が未熟な子供に「善と悪なんて存在しないんだ」という現実的過ぎる概念を植え付けてしまうと、「正しいこと」と「正しくないこと」、「やっていいこと」と「やってはならないこと」さえもきちんと学べなくなってしまう。 少し前の調査で「万引きは別に悪くない」とする若者が多いという結果が出た。これも「善悪なんてしないんだろ? 万引きする側にも言い分があるんだ!」と捻くれた感覚で考えてしまうからだろう。 平和・融和てのは大切だが、それと平和ボケ・融和ボケは別物。 平和・融和主義や、現実世界での善悪の判断の難しさは、善悪という基本概念を正しく理解できるようになってから教えればいいことで、善悪という概念を押し退けてまで植え付けるべきものではない。 その意味では、宮崎駿は無責任主義が横行する日本を作り出した人間の一人といえる。 本作品は宮崎駿の引退を飾る作品となる筈だったが、「宮崎駿最後の作品!」ということで予想以上の観客を動員し、宮崎駿は引退を撤回せざるを得なくなった。 ただ、これ以後は「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」に見られるように、もののけ姫以前のただひたすらほのぼのした作品ばかり手がけるようになってしまっている。人気blogランキングへ関連商品:千と千尋の神隠しハウルの動く城 サウンドトラック魔女の宅急便ルパン三世 カリオストロの城ORION DVD-R/-RW&VHSデュアルビデオレコーダー
2005.07.01
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福井晴敏の海洋冒険小説「終戦のローレライ」の映画化。 ガメラの特撮スタッフや、有名なアニメ作家など、様々な才能が集結して製作された映画。粗筋 第二次世界大戦末期。広島に原爆が投下された。次の原爆投下も間近だという。 日本政府は、それを阻止する為、ドイツから密かに運び込まれた索敵システム「ローレライ」を搭載した潜水艦を送り込むことに。ローレライというシステムは、ほぼ完璧に敵艦の位置を捕捉できるという。しかし、ミッションに使われる艦船は潜水艦一隻のみ。この無謀ともいえるミッションに任命されたのは、はみ出しものとして左遷されていた者ばかりだった……。感想 このローレライという索敵装置の中枢については、散々語られているので、隠す必要はない。だから言ってしまおう。 超能力を持った美少女だ、と。 この「オタクアニメかよ?」と疑いたくなってしまう設定については、劇場に入る前に知っていたので、覚悟はしていたんだが……。 本作品の最大の問題点は、製作スタッフ全員の「面白い映画を作ってやるぞ!」という意気込みが開始時点で銀幕からビンビン伝わってきて、観客側に「さあ、面白い映画を観てやるぞ!」という気にさせるものの、開始からたった数分で製作スタッフの意気込みが空回りしているのが発覚してしまうこと。 最初に、日米の海戦のシーンが流される。ここの米軍側の船員の台詞(無論英語。字幕になっている)は、日本人スタッフが準備した日本語の脚本を下手な翻訳家が翻訳し、それを三流外国人役者らに棒読みさせている、といった感じで、物凄く不自然だった。普通の日本人には「さすが外国人が喋る英語は凄い!」と映るのだろうが、個人的には「英語圏の連中には恥ずかしくて見せられやしない」といった演技だった。 原作は文庫本で4冊にもなる大作。映画は2時間程度。当然ながら、無理が出る。 本作は、米軍による原爆投下を阻止する為だと思っていたミッションが、実はローレライをアメリカに引き渡す陰謀だった、ということになっているが、この部分が説明不足で、何が何だか分からない。ミッションを計画した浅倉大佐という人物は、ローレライをアメリカに引き渡すのだから、アメリカ側についているのか、と思いきや、アメリカに降伏しようと考えている軍上層部には反発していて、アメリカと交渉しようと考える者を殺害してしまうのだ。しかもアメリカ軍による東京の原爆投下を容認しながら、「新しい日本の為なのだ!」と力説する。結局浅倉大佐は何を考えていたのか。正直、この陰謀部分を完全に割愛し、「潜水艦が原爆投下を阻止する!」という単純明快なストーリーにしていたら、迫力あり、分かり易い作品に仕上がっていたのに。 また、登場人物の大半は省ける。妻夫木聡演じる潜水艇操縦士の友人で、なぜか犬死にする若者は結局何だったのか。そもそも妻夫木聡もストーリー全体に貢献すると思えず、単に女性客の呼び込みを狙って加えられたと思われる。 必要とされるキャラも、印象付けの為か、小物がやたらと多い。艦長の腕時計、機関士の酒、軍医のライカ、副長のあやとりなど。役者の顔立ちが似ていて見分けが付き難い、というのならそれらもいいが、見分けが簡単に付くので、演出臭くなってしまっているだけ。 第二次世界大戦末期、という設定になっているが、クルーの髪型や服装はどう見ても昭和っぽくない。それは超能力少女パウラの顔立ちや服装も同じ。時代考証が水戸黄門並みなのだ。 最大の見所である海戦シーンも、明らかにCGと分かる代物で、映画というよりパソコンRPGの映像を観ていた気分。安っぽかった。潜水艦からの魚雷一発で駆逐艦一隻が航行不能になり、速度が激減。後続の駆逐艦はそれを避け切れず、激突。これも航行不能に……。この冗談みたいな戦法で艦隊が壊滅状態に陥る。本物の艦隊はこのような密集体制は当然取らない。 クライマックスシーンである原爆を搭載した爆撃機を阻止するシーンも、物凄く嘘っぽかった。「アメリカの爆撃機を阻止するぞ!」という艦長の発言を聞いた時、潜水艦は空軍基地付近に浮上して離陸態勢にある米爆撃機を基地諸共破壊するのか、と思っていたが、そうでなかった。離陸して基地から離れるところだった爆撃機を、急浮上した潜水艦が主砲の二連斉射で仕留める、という到底有り得ない結末。潜水艦がどうやって原爆を搭載した爆撃機を特定したのか分からないし(爆撃機は数機あった)、当時の軍艦が飛行中の機体を撃墜できるほど正確な射撃制御が可能だったとは思えない(現在の艦船は全てコンピュータ制御で即座に対応できるが、この頃の日本海軍艦船は全て目測で、たった数秒間で測定・射撃するのは無理だった筈)。その意味でもアニメっぽかった。 終わり方もイマイチ。爆撃機を仕留めた潜水艦は米艦隊に包囲されていた。この危機をどう切り抜ける? ……と思っていたら舞台は「現在」に移動。この潜水艦について調べている作家が退役米海軍船員にインタビューしている場面になる。船員は「日本の潜水艦がどうなったか分からない。見付からなかった」と話し、「魔女」と恐れられたローレライの中枢が少女だったと知って驚く、という結末になっている(この退役軍人役の演技もまるで「在日外国人を適当に採用しました」といった感じで、まさに大根)。最も手に汗に握るであろう場面を飛ばしてしまう映画も珍しいのではないか。 また、日本の映画製作者は「日本人は戦争アレルギーが強い。単に戦闘を描くと『戦争を賛美している』と糾弾される!」と考えるらしく、「戦いは何も生み出さない。互いに理解し合うことが大事なのだ」というメッセージを捻り込もうとする。本作品も例外ではない。メッセージを捻り込むのは結構なんだが、もう少し上手くできないのかね。 本作品のやり方では、製作者側が画面上に登場して、「本作品は戦争を描いていますが、我々は戦争を賛美している訳ではありません。これだけは信じてください! お願いです! 我々が圧力団体などから非難されないよう、このメッセージだけは受け取ってください!」と客に向かって懇願しているかのよう。「平和メッセージ」のない映画を製作して公開したところで国民が「戦争はいいんだ! 戦いはいいんだ! 戦争しよう!」なんて考えるとは思えないし、仮に国民がそう思ったとしても、政府がそれに応じてどこかを攻める、なんてアホなことをするのは有り得ない。 いい加減に「平和メッセージを捻り込まないと公開できない!」なんて思い込みは捨てたらどうか。 本作品は、評判だけが先行していた小説の力不足をあえて露呈してみました、て感じ。 この原作者の作品を映画化したものがこれから続々と公開されるということだが、特に観たいとは思わない。当然、原作を読もうという気も起こらなかった。関連商品:ガメラ3 邪神<イリス>覚醒ORION DVD-R/-RW&VHSデュアルビデオレコーダー人気blogランキングへ
2005.06.13
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