「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2024.05.11
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テーマ: 相撲(1604)
カテゴリ: 大相撲
大相撲令和六年五月場所【幕下】筆頭:天空海・嘉陽・琴手計・生田目・木竜皇・大青山・北はり磨・荒篤山・大翔丸・徳の武藏・天翔鵬・若碇・大辻・吉井=力士の写真 本名 所属部屋 出身地 生年月日(年齢)身長&体重 幼少期からのエピソード 学生時代 しこ名命名の理由 過去1年間の成績

​大相撲令和六年五月場所​
【幕下】筆頭〜七枚目​
2024年5月12日(日)初日
 両国「国技館」開催
Makushita#1 - Aqua Shoma ​​
​​ ​東十両十一 ​枚目 ​『天空海 翔馬』​​ ​​​あくあ しょうま

本名:高畠裕貴 ​(たかばたけ ゆうき)​

立浪部屋 茨城県 東茨城郡 大洗町出身

平成2年11月6日(33歳)

185.0cm   164.0kg

自動車販売店を営む家庭に生まれる
父は、中学在学中にレスリングで全国制覇
那珂湊 (なかみなと) 高校では、柔道部に所属
当時は、相撲に全く興味がなく、名前を
知っている力士は、現役横綱と高見盛くらいだった
2007年、総体に出場したが、卒業後は
水戸産業技術専門学院に入学したが
度重なる勧誘に折れる形で入門を考え
在学中に同郷の「稀勢の里」の活躍を見て
2010年11月、立浪部屋に入門
当初は、自動車整備士の国家資格を取得して
卒業以降に力士になるつもりであったが
直前に「東日本大震災」の発生で
地元の大洗町も津波による大きな被害を受け
立浪部屋入りを延期
がれきの撤去や片付けに追われ、この時期は
力士の道を断念することも考えた程だったが
父の励ましを受けて
2011年4月より立浪部屋での生活を開始した
2014年3月、天空海(あくあ)のしこ名に改名
「成績に波があるので、浪を取って波を無くしたい」
という意味が込められていた
音訓が混じったキラキラネイムは、地元の
茨城のアクアワールド水族館に因んで立浪が考えた
「阿久亜」の読みを採用し
番付上位の願いこ込めて「天」
地元の大洗町を象徴する「空」
「海」の漢字を当て『天空海』
(アクア)と読ませるしこ名となる。


(最高位)前頭十枚目
(5月)西十両五枚目 5勝10敗
(7月) 西十両七枚目 7勝8敗
(9月)西十両九枚目 6勝9敗
(11月)東十両十枚目 5勝10敗
(2024年1月)東十両十一枚目 6勝9敗

(3月)​東
​​十両十三枚目 6勝9敗
(5月)東幕下筆頭

Makushita#1-Kayou Yasutoki
東幕下筆頭 嘉陽 快宗』 かよう やすとき

二所ノ関部屋 沖縄県 那覇市出身 (両親が)

本名:​
嘉陽 快宗 ​​​ (しこ名と同じ)

平成11年7月14日(24歳)

千葉県市川市生まれだが、現在
両親の出身地、沖縄県那覇市の出身の扱いに?
市川市立新井小学校4年から
市川市相撲教室に通う
12歳から、新潟県に相撲留学し
糸魚川私立能生中学​から
新潟県立海洋高校に進学
日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科に進学
4年、全日本相撲選手権大会と
全国学生相撲選手権大会の両大会でベスト8
大相撲の三段目最下位格付出の資格を獲得
二所ノ関部屋に入門
2022年5月場所、初土俵
三段目格付け最下位(90枚目)格付出だった
初土俵は6勝1敗
7月場所、9月場所は、5勝2敗
11月場所、西幕下6枚目、6勝1敗
白熊は、中学、高校、大学
二所ノ関部屋の同期で
「兄弟のような存在」と
信頼を寄せている。
しこ名は、本名でフルネイム。


(最高位)幕下筆頭
(5月)東幕下十九枚目 2勝5敗
(7月)西幕下三十七枚目 5勝2敗
(9月)西幕下二十三枚目 6勝1敗
(11月)西幕下六枚目 6勝1敗
​(2024年1月)東幕下筆頭 3勝4敗
(3月)西幕下三枚目 4勝3敗
(5月)西幕下筆頭

Makushita#2-Kototebakari Taiki​
​​ ​​​​ 幕下二枚目 『琴手計 太希』 ことてばかり たいき

佐渡ヶ嶽部屋 千葉県 柏市出身

本名:手計 太希(てばかり たいき)

平成15年7月8日(20歳)

183.7cm   128.3kg

現在、大関「琴櫻」の付き人で
同部屋の「琴勝峰」の弟である
脚を高く上げて四股を踏む姿で
国技館の観客から大きな拍手を浴びている
しこ名は、
部屋の「琴」に本名の「手計」で
兄も名乗った『琴手計』である。
5歳の時に柏市少年相撲団で相撲を始める
さいたま市立大宮西中学に相撲留学
3年、白鵬杯個人2位
埼玉栄高校に進学
3年、金沢大会個人優勝
高校卒業を待たずに兄が在籍する
佐渡ヶ嶽部屋に入門し
2022年1月、初土俵
番付が初めて載った
3月、7勝全勝で、序の口優勝
5月、7勝全勝で決定戦後、序二段優勝
7月、三段目に昇進
11月、幕下昇進(入門5場所目)
体も大きくなり、十両目前となるも
2023年3月、入門以来初めての負け越し
十両目前の有力力士の一人である。

​(最高位)幕下五枚目​
(5月)東幕下二十三枚目 4勝3敗
(7月)東幕下十八枚目 5勝2敗
(9月)東幕下九枚目 4勝3敗
(11月)東幕下五枚目 3勝4敗
(2024年1月)西幕下八枚目 4勝3敗
(3月)東幕下六枚目 5勝2敗
(5月)東幕下二枚目
序二段優勝:1回
序の口優勝:1回

Makushita#2-Nabatame Tatsuya​
西幕下二枚目 『生田目 竜也』 なばため たつや

二子山部屋 栃木県 さくら市出身

本名:
​​生田目 竜也 ​​( なばため たつや)

平成14年2月22日(21歳)

176.5cm   151.5kg

家庭の事情で中学校から児童養護施設で育つ
栃木県立矢坂高校に進学してから相撲を始める
2年と3年、
​​全国高校総体個人戦で全国の舞台を踏む
2020年1月、場所初土俵
同期は、楓富士、富士の山、麒麟龍
2020年7月、竹岡に敗れ6勝1敗。9月
北青鵬に敗れ6勝1敗
得意技は、突き押し相撲。


(最高位)幕下二枚目
(5月)東幕下九枚目 3勝4敗
(7月)西幕下十一枚目 4勝3敗
(9月)幕下七枚目 2勝4敗1休
(11月)幕下十六枚目 4勝3敗
(2024年1月)東幕下十二枚目 5勝2敗
(3月)西幕下五枚目 4勝3敗
(5月)西幕下二枚目

​Makushita#3-Kiryukow Hirokazu​
東幕下三枚目 『木竜皇 博一』 きりゅうこう ひろかず

立浪部屋 千葉県 柏市出身

平成14年10月31日(20歳)

177.0cm   133.0kg

木竜皇は、元幕内「時津海」の長男
​​ 弟も同部屋の「春雷」西三段目4枚目
墨田区両国小学校1年の時から埼玉県の

草加相撲練修会で相撲を始める
小学2年と4年の時に白鵬杯で優勝
5年、わんぱく相撲全国大会2位
小学校卒業後は、寮生活
柏市立第二中学では
3年、全国中学校相撲選手権大会と
全国少年相撲選手権大会で団体優勝
青森県立三本木農業高校に進学し
相撲部の主将を務める。高校卒業後は

木竜皇の高校卒業直前の2月に
父の不祥事で日本相撲協会を退職したので
時津風部屋には入門せず
立浪部屋に変更し
2021年5月、初土俵と同時に
しこ名を『木竜皇』とされるが
知り合いが名付けたので由来は不明
3歳年下の弟「春雷」も同時に
立浪部屋に入門したので
兄弟で同期入門となる
2022年5月、幕下昇進


(最高位)幕下二枚目
(2023年5月)西幕下二十六枚目 7勝0敗 (幕下優勝)
(7月)西幕下二枚目 3勝4敗
(9月)西幕下五枚目 3勝4敗
(11月)東幕下八枚目 4勝3敗
(2024年1月)東幕下五枚目 3勝4敗

(3月)西幕下八枚目 5勝2敗
(5月)東幕下三枚目

Makushita#3-Daiseizan Daisuke

​西 幕下三枚目 『大青山 大介』 だいせいざん だいすけ 

荒汐部屋 中国 内モンゴル自治区出身

本名:アスハダ

平成12年5月22日(23歳)

191.7cm   156.9kg

親方と同じ中国・内モンゴル自治区の出身
父が、レスリング時代の先輩後輩という縁から入門
生まれ育った町の裏に陰山山脈という山脈があり
そこにある一番高い山の「大青山」からしこ名を
つけてもらいました。
「初めて日本に来たのは、中学2年の時
相撲の大会に出場したその時に
初めてまわしをつけて稽古したんですが
周りで一緒に稽古した子たちが血だらけに
なりながら歯を食いしばって稽古している姿に感動して
自分も将来力士になりたいと思うようになりました」
中学校卒業後に来日。
2018年、日本ウェルネス高校を卒業
そこでお世話になった先生の名前にちなんで
「大介」という名前をしこ名の下の名前にした
高校を卒業してから、研修生という形で
荒汐部屋の力士たちと生活
日本語学校やスポーツ専門学校に通った
太ももが大きくて(写真左)有望な力士
得意技:押し、右四つ、寄り
初土俵:令和4年1月

(最高位)幕下三枚目
(5月)東三段目十枚目 4勝3敗
(7月)東幕下五十九枚目 4勝3敗
(9月)東幕下五十枚目 6勝1敗
(11月)西幕下二十一枚目 4勝3敗
(2024年1月)西幕下十八枚目 4勝3敗
(3月)東幕下十三枚目 6勝1敗
(5月)西幕下三枚目

Makushita#4-Kitaharima Seiya
​​ 幕下四枚目 ​『北はり磨 聖也』 きたはりま せいや

山響部屋 兵庫県 たつの市出身

本名:嶋田 聖也

昭和61年7月28日(37歳)

181.0cm   131.0kg

皮革業を営む家庭の次男として誕生。
保育園の頃から龍野市立損保小学校4年生まで柔道
4年、わんぱく相撲西播磨大会に出場して優勝
兵庫県大会、全国大会まで進み相撲に転向を決意
新日本製鐵広畑教室に通う(同級生の妙義龍がいた)
6年まで、毎年わんぱく相撲の全国大会に出場
熊野市立龍野西中学に進学し
2・3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会出場し
3年、都道府県大会時に北の海部屋に宿泊し稽古見学
「この世界でやってみたい」
北の湖が「プロを目指すには早い方がいい」と説得され
元々、高校進学希望であったが気持ちが変わり
中学校卒業後、北の湖部屋に入門し
2002年3月、初土俵。
同期は、同部屋の鳰の湖、稀勢の里、片山
初土俵後、3年かかって幕下昇進するが低迷
しこ名は、
2008年3月、本名から『北はり磨』に変更
北の湖の「北」、はり磨は、出身地の播磨国から
「出身地は、西はり磨なんですが、先代師匠の
 しこ名から「北」の一字をいただいた時は
 本当に嬉しかった」とのコメントをしている
『北はり磨』のしこ名が一部ひらがな表記になっているのは
「はり」が機種依存文字で表記されないので仕方なく平仮名に
行司さんが筆で書くときは、漢字表記になっていることが多い
2024年1月、西幕下二枚目で勝ち越し再十両決定
これは39歳5ヶ月の大潮に次ぐ2番目の高齢記録となる37歳6ヶ月
希善龍と並び史上最多タイとなる9度目の十両昇進である
「何回も諦めずにきたからこそですから、自分らしい記録」
と誇らしげに北はり磨は笑った。


(最高位)前頭十五枚目
(2023年5月)東幕下二十八枚目 2勝5敗
(7月)西幕下四十九枚目 3勝4敗
(9月)西三段目二枚目 7勝0敗(三段目優勝)
(11月)東幕下十一枚目 6勝1敗
​​​​(2024年1月)西幕下二枚目 4勝3敗
(3月)東十両十四枚目 4勝11敗 (再十両9回目)
​(5月)東幕下四枚目

​Makushita#4-Kowtokuzan Taro​u

西幕下四枚目 『荒篤山 太郎』 こうとくざん たろう (写真:左)

荒汐部屋 神奈川県 横浜市 緑区出身

本名:寺井 ジャスパーネスケネス

平成6年3月11日(29歳)

180,0cm  162.0kg

神奈川県横浜市出身となっているが出生地は
フィリピンのルソン島ラグナ州サンタローザで
12歳までフィリピン人の母の実家で育つ
本名:
ジャスパーネスケネスの由来は
「明るい元気な男の子」である
12歳の時に父から日本に暮らすかと尋ねられ
日本に行けば母と一緒に生活できると考え来日を決意
父の母国へ来日
日本語は、簡単な挨拶程度しか話せない状態で
横浜市立十日市場中学校に入学、野球部に所属
話せなかった日本語は、中学卒業時には
日常会話に不自由しないレベルまで上達するが
読み書きには、苦労していたことから
日本人の父の勧めで大相撲の道に進むことに
父が、複数の相撲部屋にメールで連絡を取り
荒汐部屋からすぐに丁寧な返信をもらい
荒汐部屋の千秋楽パーティーに参加
その後、体験入門を経て
7代荒汐(元小結:大豊)から勧誘され
2009年3月、中学校卒業後に入門
「自分は中卒で日本語の読み書きにも
苦労するので今は他に行くところがない」
が入門の動機になった。日本国籍を取得し
日本語を覚えてから半年後に新弟子検査を受け
2009年9月、初土俵。
しこ名は、
『荒篤山』こうとくざん
荒汐部屋の「荒」と「篤」という字は、
もともと行き詰まると言う意味があり
そこから熱心に物事に取り組むと言う
意味が込められている。


(最高位)前頭十六枚目
(5月)東幕下二枚目 3勝4敗
(7月)東幕下四枚目 2勝5敗
(9月)東幕下十枚目 3勝4敗
(11月)東幕下十四枚目 4勝3敗
(2024年1月)東幕下十枚目 4勝3敗
(3月)西幕下七枚目 4勝3敗
(5月)西幕下四枚目

Makushita#5-Daisywmaru Syowgo​
東幕下五枚目
大翔丸 翔伍』 だいしょうまる しょうご

追手風部屋 大阪府 大阪市 平野区出身

本名:川端 翔伍(かわばた しょうご)

平成3年7月10日(31歳)

174.8cm   156.4kg

2001年、大阪市立美北小学校4年の時
大東市相撲連盟で相撲の稽古を始めると
その年の大会でいきなり3位
2003年6年、わんぱく相撲で優勝
中学は親元を離れ、明徳義塾中学に相撲留学
3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会個人の部優勝
金沢学院高校へ進学
1年から、団体戦のレギュラーで何度も優勝するも
個人の優勝ならず、最後の大会で一度優勝
日本大学経済学部に進学し名門相撲部へ
1年から、団体戦メンバーとなるも
2年、左膝を負傷
4年、副主将。
全国学生相撲選手権大会団体3位、個人16強。
全日本相撲選手権大会で優勝し
大相撲の幕下15枚目格付出資格を取得
2014年2月、高校と大学の1年先輩「遠藤」が
所属する追手風部屋に入門。
アマチュア横綱が2年続けて追手風部屋に入門
3月、初土俵。
2015年、十両進出と共にしこ名を『大翔丸』に改め
しこ名は、
「何かが欠けたら丸にはならない
自分の相撲を完全に取り切ってほしい」
という願いが込められている。

(最高位)前頭五枚目
(5月)東幕下四十二枚目 6勝1敗
(7月)西幕下十八枚目 2勝5敗
(9月)西幕下三十五枚目 4勝3敗
(11月)東幕下二十八枚目 5勝2敗
(2024年1月)東幕下二十枚目 6勝1敗
(3月)東幕下八枚目 4勝3敗
(5月)東幕下五枚目


Makushita#5-Tokunomusashi Ryutarow
​​西​ 幕下五枚目 『徳之武藏 龍太郎』
​​       とくのむさし りゅうたろう

武蔵川部屋 鹿児島県大島郡徳之島町出身

本名:徳田 龍太郎(とくだりゅうたろう)

平成12年7月25日(23歳)

192.0cm   143.0kg

​​
花徳小学校1年生で相撲大会参加し勧誘され
亀徳相撲クラブ(現:徳之島相撲クラブ)入団し
花徳サッカースポーツ少年団にも所属し足腰を鍛える
徳之島町立東天城中学卒業後
相撲の名門高校に勧誘されるも角界へ
平成28年5月、初土俵。

(最高位)幕下五枚目
(2023年5月)東幕下十六枚目 3勝4敗
(7月)西幕下二十二枚目 3勝4敗
(9月)東幕下三十三枚目 5勝2敗
(11月)西幕下十八枚目 4勝3敗
(2024年1月)西幕下十四枚目 4勝3敗
(3月)西幕下九枚目 4勝3敗
(5月)西幕下五枚目

​Juryo Makushita#6-Tenshyohow Shingo​

東幕下六枚目 『天照鵬 真豪』 ​てんしょうほう​ しんご

​本名:向中野 真豪 ​(むかいいなかの しんご)​

伊勢ヶ濱部屋 三重県 伊勢市​出身


平成14年9月7日(21歳)

180.3cm   174.0kg

伊勢市立四郷小学校3年から
志摩市にある志友館相撲道場で
相撲を始めた。すぐに
3年、白鵬杯に優勝
5年と6年、全日本小学生相撲大会2連覇。
小学生の当時から、
「大きくなったら白鵬の弟子になりたい」
と夢を持っていた
志摩市立磯部中学校に進学
1年10月、鳥取市立西中学に転校
3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会と
白鵬杯で優勝
鳥取情報高校へ進学
1年、団体戦メンバーになり団体優勝
3年、コロナの影響で高校総体など
全て中止になり、タイトル獲得ならず
高校卒業後は、
白鵬の勧誘で宮城野部屋に入門
2021年5月、初土俵。
2023年9月、新十両に決まった際に
しこ名を、出身地の伊勢神宮に祀られる
天照大神の「天照」と師匠のしこ名から
「鵬」を合わせた『天照鵬』に改名。


(最高位)十両十枚目
(2023年5月)東幕下六枚目 4勝3敗

(7月)西十両三枚目 4勝3敗
(9月)西十両十四枚目 8勝7敗(新十両)
(11月)西十両十枚目 5勝10敗
(2024年1月)西十両十二枚目 5勝10敗
(3月)西​ ​​幕下筆頭 3勝5敗
(5月)東幕下六枚目(宮城野部屋→伊勢ヶ濱部屋)

Makushita#6-Wakaikari Seigow
西幕下六枚目 『若碇 成剛』
わかいかり せいごう

伊勢ノ海部屋 東京都江戸川区出身

本名:齋藤 成剛(さいとう せいごう)

平成17年2月22日(19歳)

176.1cm   112.0kg

父は、元幕内「大碇」の長男
埼玉栄高校相撲部を経て
伊勢ノ海部屋に入門
2023年1月、初土俵。
新序出世披露では
父「大碇」が現役時代に使った
化粧まわしを締めて土俵に上がった。
2023年7月、7戦全勝で決定戦へ進出し
「朝白龍」に勝って三段目優勝
2024年1月場所まで負け越し無し
全て、勝ち越しを続けている。
父も時折テレビ解説にあたり、
静かに応援している様子が微笑ましい。
5月場所の横綱稽古総研では、
一番積極的に上位者と当たり
一目置かれる存在なのだと実感した
まだ19歳だが、十両に近い存在。

(最高位)幕下十五枚目
(3月)東序の口三枚目 5勝2敗・・・初土俵
(5月)東序二段三十三枚目 5勝2敗
​(7月)東三段目八十六枚目 7勝0敗
​三段目優勝​
(9月)西幕下五十五枚目 5勝2敗
(11月)東幕下三十五枚目 6勝1敗
(2024年1月)幕下十五枚目 4勝3敗
(3月)東幕下十枚目 4勝3敗
(5月)西幕下六枚目
三段目優勝:1回

Makushita#7-Ohtsuzi Riki​
東幕下七枚目 『大辻 理紀』 おおつじ りき

​高田川部屋 兵庫県 加古川市出身

本名:大辻 理紀 ​(おおつじ りき)​

平成15年10月6日(20歳)

181.0cm   139.9kg

幼少期から柔道体操を経験した後に
小学校3年から、兄が通っていた
高砂相撲教室で相撲を始める
4年から3年連続で、わんぱく相撲全国大会出場
5年、8強入り
報徳学園中学では
3年、全国都道府県選手権中学生相撲選手権で団体3位
全国中学校相撲選手権大会で個人2位
白鴎杯で個人3位

母と安芸乃島の娘が知り合いで勧誘を受け入門
相撲の他に、母親の影響でアームレスリングもやって
中学3年、県大会に出場
中学卒業後は
「相撲をやるならプロで」と考え大相撲入りを決意
母と高田川(元関脇:安芸乃島)の娘が知り合い
と言う縁で勧誘を受け、高田川部屋に入門
2019年3月、初土俵。
同期生は、全中決勝で戦った吉井
2020年11月、17歳で新幕下に昇進。

​(最高位)幕下五枚目​
(5月)東幕下十八枚目 5勝2敗
(7月)東幕下九枚目 3勝4敗
(9月)東幕下十七枚目 5勝2敗
(11月場所)西幕下五枚目 3勝4敗
(2024年1月)東幕下九枚目 3勝4敗
(3月)西幕下十二枚目 5勝2敗
(5月)東幕下七枚目
​​ ​​​​​​​​

Makushita#7-Yoshii Kou
西幕下七枚目 吉井 虹』 よしい こう

時津風部屋 静岡県焼津市

本名:吉井 紅

平成15年8月1日(20歳)

178.8cm   169.6kg

5歳から柔道を始め、
地元の相撲大会に優勝を機に
焼津相撲クラブへ
小学校5年、わんぱく相撲全国大会ベスト16
6年、全日本小学生相撲優勝大会で2位
焼津市立港中学に進学すると
2年、全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人16強と
全国中学校相撲選手権大会(全中)でベスト32
3年、決勝戦で「大辻」を破り全中を制し
中学生横綱のタイトルを獲得
複数の高校から推薦入学の誘いがあったが
小学5年から中学卒業後の入門を決意していたので
中学卒業後、中川部屋に入門
2019年3月、初土俵
同期は、北の若、大辻
しこ名は、
本名の『吉井』と「紅」こうは
母が福山雅治の楽曲「紅」から命名
2020年、中川部屋が閉鎖し
時津風部屋に移籍。


(最高位)幕下三枚目
(5月)東幕下十二枚目 2勝5敗
(7月)東幕下三十一枚目 4勝3敗
(9月)東幕下二十五枚目 4勝3敗
(11月)東幕下十九枚目 4勝3敗
(2024年1月)西幕下十五枚目 3勝4敗
(3月)西幕下二十二枚目 6勝1敗
(5月)西幕下七枚目 

​写真撮影:ほしのきらり。​​


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最終更新日  2024.05.11 00:10:11
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