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2012.01.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類




大東亜戦争が始まって、三ヶ月目の昭和十七(1942)年2月25日に、大英帝国のアジアの拠点シンガポールを帝國陸軍が占領しました。

太平洋の覇権が、大英帝国から、大日本帝国か、アメリカ合衆国か、大東亜戦争のの勝者に移った瞬間でした。

大英帝国からは、日本に有利な条件で、講和の申し出がありましたが、勝ち誇った帝國陸軍は断りました。

もし、陸軍が講和に応じていたら、連戦連勝に酔った帝國臣民から批難されるだけだったと思います。

しかし、それから二ヶ月後の4月18日に、航空母艦ホーネットに艦載機でなく、無謀にも、着艦不能な陸軍B-25爆撃機を積んで、日本本土近くから、無理して発艦して、日本本土空襲しました。

ドーリットル率いるB-25爆撃機16機は、東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸市を爆撃しました。

16機中15機が爆撃に成功しましたが、全機破損ですが、一部蒋介石軍支配下のシナ大陸に着陸しました。

空襲の指揮官がジミー・ドーリットル中佐なので、ドーリットル空襲といいます。



しかし、ミッドウエイ海戦では、帝國海軍の虎の子の空母4隻を失う、大敗北して、制海権が帝國海軍から敵側に移る転換点になりました。

ミッドウエイ海戦は、天下分け目の海戦で。世界の覇権が、アメリカ合衆国に移った瞬間でした。

以前に、ブログで書いたように、敵が、ミッドウエイ島の水道管破裂とニセの情報を流して、帝國海軍の乱数暗号を類推し、ミッドウエイ作戦を知り、待ち受けていました。

真珠湾空襲の時の失敗にこりた南雲司令官は、ミッドウエイ島は空っぽで、爆弾だけ落として帰ったので、このときは、二次攻撃を認めました。

しかし、山本長官は空母が隠れていると予測していましたが、南雲司令官は、空母はいないと思い込んで、二次攻撃機にも爆弾を積むように命令しました。

ところが、11機の偵察機の内、故障していた最後の偵察機が、敵機動部隊発見と打電してきて、大騒ぎになり、爆弾を積んだまま発艦させてくれと云う部下に、南雲司令官は、魚雷積み替えを命令しました。

魚雷が積み終わり、最初の一機が発艦した途端に、敵急降下爆撃機が爆弾を落とし、甲板に並んでいた航空機が誘発して、甲板上は火の海になり、旗艦赤城、加賀、蒼龍の3隻の空母が爆発して沈没しました。

一隻残った飛龍から発艦した雷撃機が、敵空母ホーネットを撃沈しましたが、入れ違いに、飛龍も撃沈され、帰還した戦闘爆撃機は海上に不時着しました。

空母の数は、未だ敵より多かったですが、長年訓練した熟練操縦士がたくさん戦死して、粗製乱造の未熟な飛行士ばかりになり、負け戦が続くようになりました。

生き残った兵士は、敗戦したことを臣民に知られないように、最前戦へ送られて、殆ど戦死しました。

何故、第一線で、山本長官が陣頭指揮しなかったのか、今でも、不思議に思っています。

東京にいれば、無線で指揮が取れますが、何時も、中間時点に居て、居場所が敵に分からないように、無線が封印されて、情報が発信出来ない場所にいたからです。












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Last updated  2012.01.07 11:18:36
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