2006.01.31
XML
カテゴリ: 絲綢之路
拉1991年9月3日

昨日の夕方、このツアーの一番の見せ場であるクチャへ到着した。
クチャは、紀元前から栄えたオアシス都市で、前漢時代から唐時代まで栄えた亀茲国の首都でもあった。クチャで注目すべき点は、中国仏教がこの西の果てで産声を上げたことだ。

クチャ出身の尼僧、「鳩摩羅什」が200以上もの膨大な経典を翻訳したことはあまりにも有名だ。彼女は、紀元350年、インド人の父と亀茲国王の妹である母との間に生まれた。東西交易が盛んだったシルクロードらしい国際結婚。仏尼とはいえ、少し浅黒い肌に、真っ黒な黒髪、堀の深い輪郭だったに違いない。ひょっとするとサリーなんかを巻いていたりしたのかも知れない。

また、同じくクチャ出身の僧に仏図澄がいる。彼は、鳩摩羅什よりも少し前に、当時の中国の首都洛陽へやってきて、広く教えを説いた。彼の教えは、高尚な教理ではなく、日常的な生活の中での仏道でこれが以降の中国仏教の礎となったのだ。

クチャで生まれた彼らが、この厳しい砂漠を越えて中国に仏の教えを伝えた。クチャは、中国仏教のふるさと言えるだろう。そして、仏教は、朝鮮半島を経て、日本に伝わる。ある意味、日本仏教のふるさとでもあるのだ。

なのに、ここクチャは、ほとんど中国色が抜けている。中国を感じさせるものは、スローガンが書いてある看板くらいだ。背が高く、堀の深いトルコ系の輪郭のウイグル人が、羊などの家畜を連れて道を行き来している。看板にも感じだけではなく、アラビア語などの表示が併記されている。

つまり、日本の仏教のイメージ(ワビサビ、気高く高尚、質素倹約・・・)は、かけらも見当たらない。あるのは、混ざり合った東西の混ざり合った文化。放牧文化が目に付く。ここで仏教が盛んだったとは、信じられないくらいだ。

いや、中国に渡ったばかりの仏教は、混ざり合うことが許される自由な風土ではぐくまれたからこそ、仏教は砂漠を越え、海を越えて日本にまで伝わったのかもしれない。今日は、クチャではぐくまれた仏教の集大成の一つ庫木吐拉千仏洞に向かう。楽しみで仕方がない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.02.02 23:31:30
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: