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イジメ・履修不足など、いろんな問題が学校に起こっています。教育関係者の方々は大変なことと思います。しかし、ここからがガンバリ所です。くじけている場合ではありません。つまり、本当は、学校の問題を教育委員会がチェックすることになっているはずです。しかし、何か問題があったことで昇進への道が閉ざされるなどの理由で、教育委員会がチェック機能をはたしていないようです。他のお役所や大企業にあるような問題が教育の現場に起きているわけです。他の役所に比べて大変なのは教育の現場は、将来の日本を背負って立つ子供たちを直接扱うところですから、被害は日本の将来ということになることです。同じように試験に合格した人ばかりの職場では馴れ合いや隠蔽があるのは当然のことです。誰が悪いと言う問題ではなくて人間はそういうものです。ちょっと手術しませんか。処分するとまた保身に走って隠蔽することになりかねません。そこで、たとえば、民間や中央の官庁などからの人材を定期的に各校数人入れるなどして新しい空気を吹き込み組織をイキイキさせるのはいかがでしょうか。
2006.10.31
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何で読んだか忘れましたが村上春樹さんが「自分ほど多くの出版社を原稿持って回った作家はいないはずだ。。。」のようなことを言っていたのを覚えています。それだけ一つ一つの作品に愛着を持っているんでしょうね。
2006.10.31
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心だけやったら最近は、新幹線のこだま号によく乗ります。というのも、”ぷらっとこだま”なる格安クーポンがあるからなのです。このクーポンには、ドリンク券もついていまして、新幹線ホームの売店や車内でジュースやコーヒーにビールが買えるのです。安くしてもらったあげく、ドリンクが着いてくるなんて笑いが止まりません。でも、途中下車やキャンセルはできないという規約があるのです。その辺は、しっかり確認しましょう。うまい話には裏ではなくて規約があるのです。先日、某東京駅構内の旅行代理店で、このクーポン絡みの小さなトラブルを目撃しました。頑固そうなオジサンは、旅行代理店の女子店員に噛みついていました。「キャンセルできないなんて、ワシは聞いてない」「ここにも書いてありますし」「わしは聞いてない」「この条件をご了解の上、ご購入されたのですから」「うるさい、ワシは聞いてない。責任者呼べ」「と申されましても…」もう、女子店員さんは泣きそうでした。…この小さなトラブルは如何にして解決されたのでしょうか。ちなみに、私は、このクーポンを使って20回以上買って、東京大阪間を往復しましたが、旅行社の女子店員がクーポンの規約について触れなかったことは一度もありませんでした。オジサンが悪い!!私はそう思います。この件に限らず、往生際が悪いオジサンが最近は多すぎます。たまたまですけど、私の馴染みの銀行の本店に、自分の会社が倒産したのは銀行の責任だからと難癖つけて、銀行に立て籠もったオジサンがいました。そりゃ、銀行が汚い?ことするのは、私だって知ってますよ。でも、だからと言って、その銀行に立て籠もって、女子行員を人質に取ってもいいわけではありません。一番悪いのは、そんな銀行からお金を借りたオジサンが悪いのです。素直に反省して、再起を期すべきだと思います。それと、いくら女に飢えてるからって、携帯の出会い系サイトなんかで出会った女子高生に手を出すなよ。オジサン。自分の娘のような子に手を出して、どうするんですか?襟を質しなさい。オジサン。私は1年くらい前の雨の日に、コンビニの前で誘われた女の子といっしょにホテルに行ったよ。酔ってたからね。結婚10年目にして、とうとう初浮気かなって思ったけど、ホテルの部屋に入ってすぐ、その女の子の顔よーく見たら、若いじゃないか!若すぎる!と思って、言ってやりましたよ。「おまえ、ひょっとして高校生か?」「だったら?」「バカか。おまえ、親の気持ち考えたことあるんか?俺みたいなオジサンに体を売るために、おまえの親が育てたわけないぞ。俺が、親やったら泣くぞ。気が狂うぞ。それにな。そのうち、本当に好きな彼ができたら、こんなことしてたこと後悔する…」なんて、長々と説教したら、その女の子、逃げだしやがった。私にはね、オジサンとしてのプライドがあります。自分の娘みたいな小娘に手を出したら、男が廃ると思います。それから、今日も常磐線乗ってたらあったけど、人身事故って、たいていオジサンやね。自殺って、たいていオジサンやね。死ぬ勇気があったら、まだまだ頑張れます。いいか、オジサンたちよ、よく聞け。オジサンになれば、体力は落ちてくるし、頭の回転も鈍くなるし、女にはモテへんし、女房子供にはヘイコラせなあかんし、エエこと少ないよ。確かに。でもね。心だけはカッコよく行こうよ。プライド持とうぜ。女々しいって言葉は男の為にある言葉やと思うけど、俺はカラッとしたジェントルマンで行きます。心だけやったらベッカムにも負けない男前のオジサンでありたいですね。(笑)
2006.10.31
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テレビの怪物"みのもんた"の声を初めて聞いたのはラジオのディスクジョッキーだった。もう30年以上も前の話だ。あの頃から、絶妙の語り口は変わりない。ただ、時代が合わなかったのか。久米宏や小島一慶の方が先にテレビに進出したような気がする。同じ頃、何かのインタビューで、もうすぐアナウンサー辞めて、オヤジの会社を継いでつもりのようなことを言っていた。たしかに、この発言通り、後にオヤジの会社の社長になった。不思議なことに、その頃からテレビに毎日出るようになった。それが「おもいっきりテレビ」だ。この番組の中で、スタジオに来ているご婦人方を前にして、「いやあ、今日は、たくさんのお嬢ちゃんたちも集まってくれて」なんて歯の浮くようなセリフを言っていた。しかし、歯の浮くようなと思ったのは男だけで、スタジオに来ているご婦人たちは、上機嫌の笑顔だった。みのもんたは、毒舌だが、時々、こんな歯の浮いたようなセリフで女性の心をくすぐる。このギャップが、彼の魅力なんだろう。そして、何より60歳になっても休みなしで働きつづけるタフさも。
2006.10.31
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安倍内閣は、とっても良く動いていると思う。それに、すごく誠実だ。首相就任してすぐの、中国・韓国訪問。北朝鮮核問題への対応も素早かった。その直後にアメリカのライスさんが来てもうまく対応していた。イジメや履修不足問題でも国民の反応を踏まえてちゃんとコメントを出している。もちろん、反対や批判する人はいるが、すべての人を満足させることはできない。本当に難しい時代だからこそあっちこっちに気を配ってちゃんと誠実に動いているということが本当に大切だと思う。がんばって、安倍さん!
2006.10.30
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男なら、子供の頃、大きいと思っていた母が急に小さく思える日が来るもんだ。自分の身長が1年で10センチ以上伸び始める頃、たぶん、小学校5年生くらいから中学生になったあたりだろう。母がすがりたい対象から、守ってやりたい対象に変わる頃だ。そんな小さくなった母の背中が小刻みに揺れているのを、無念の気持ちで見つめた時を純一は一生忘れないだろう。そして、その日が暗く長いトンネルの始まりだった。あれは、純一が商業高校の3年生の頃だった。当時、高校2年生だった妹の咲子が自分の部屋で首吊り自殺をした。明るい子だったのに、なぜって、誰もが不思議がった。警察も学校関係者も散々、調べたが、とうとう分からずじまいだった。自殺するほど悩んでいたのに、どうして分かってやれなかったのだろうと純一は何度も自分を責めた。純一が、そんな状態だったから、母はもっと辛かったろう。いや、ずっと苦しみを背負っている。純一の母は、小さな酒屋の娘だった。純一の父にあたる婿養子を迎えたが、これが、とんでもない見込み違いで飲む打つ買う何でもござれの男だった。3年ほどの間に店は傾き、やばくなったのが自分でも分かったのだろう。母と純一、そして咲子を残して、失踪してそれっきりだった。傾きかけた店を、母は当時はまだ元気だった祖母といっしょに何とか建て直した。母も若かったし、祖母も年の割には元気だったから、何とかなったのだろう。そんな祖母が亡くなって間もない時に、咲子がそんなことになったのだった。もう若くない母は、生きる望みだった二人の子供のうちの一人娘を自殺で失ったショックで自分が何であるかさえも分からない日々が一年以上続いた。生きて行くためには、高校を卒業間近だった純一が働くしかなかった。あれから、5年6年過ぎた。純一は、高校を出てからすぐに店を継いだ。すっかり老け込んでしまった母を励ましながら、何とか頑張ってきた。商店街の顔役たちからも、ようやく認めてもらえるようになった。だが、精一杯、外見を明るく繕ってはみても、純一も暗いトンネルの中から抜け出たような気持ちにはなっていなかった。そんな純一の前に現れたのが、みどりという女の子だった。みどりは、最近、商店街にできたハンバーガーチェーンの店長だった。初めてみどりが挨拶に来た時、純一はハッとした。どことなく仕草が咲子に似ているような気がしたのだ。そんな印象があったので、開店早々から純一はその店にハンバーガーを買いに行くようになり、みどりと時々会うようにもなった。「あのチェーンの社員なら、きっと大学出だろ?きっと、うまく行かないよ」純一からみどりとのことを聞いた母は、そう言った。それでも、母も気になったのだろう。一人で、みどりの店の様子を見に行ったようだ。どうやら、みどりの方が純一の母に気づいたようで、30分ほど話したらしい。その日あたりから、母が久しぶりに元気になったのに純一はビックリした。「いい人じゃないか。なんか、咲子が帰ってきたような気がしてね」その母の言葉で、純一はやっと暗いトンネルから抜け出たような気がした。
2006.10.30
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そろそろ、履修不足や偽装をやっている高校も出尽くしたようだ。まさか、この場に至って、なお偽装なんてやっていないだろう。と信じたい。この問題に関しては、いろんな方から意見を伺った。本当にかわいそうなのは、ちゃんと履修すべき科目を真面目に勉強してなおかつ、受験勉強もやっているという生徒たちだ。言うまでもなく、受験は結果だ。はっきり言って、合格したものが得する。これは厳然たる事実だ。今回、救済措置もしっかり公開すると政府も言っていることだしとりあえずは一件落着だろう。しかし、これから受験する生徒たちの心の中にはわだかまりが残る。真面目に履修科目をこなして来た者と救済措置で切り抜けてきた者、同じ土俵で人生を賭けた勝負をするわけだ。バカバカしい。二度とこんなことが起こらないように政府や教育に携わる皆さんが一致団結されることをお願いしたい。
2006.10.29
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勇気をありがとう事故で負った身体の傷は治っても、心の傷がなかなか治らず悩んでいる人もいる。由紀もそうだった。短大を出て、元気に会社に通っていた。そんな矢先、銀行に行く途中で交通事故に遭った。青信号で横断歩道を普通に渡っていて、暴走気味のライトバンが飛び込んできたのだから、由紀には防ぎようもなかった。幸い、ケガは3ヶ月で治った。でも、由紀は会社には行けなかった。顔に微かに残る傷が気になって仕方がないのだ。両親は、「誰も気づかない程度の傷だから大丈夫…」と何度も励ましたが、由紀はなかなか外に出ようとしなかった。そんな由紀の家の隣に、母一人子一人で住んでいる親子がいた。子供の和哉は30歳くらいだが、末期のガンらしく、持って半年くらいと宣告されていた。一日でも長く育った家にいたいという和哉の希望で、在宅で療養を続けていた。かと言って、母親は治療費もかかるし、働きに出ざるをえなかった。家政婦さんを頼む余裕もないようだ。同情した由紀の母が、時々、面倒を見に行っているようだった。由紀も、子供の頃に遊んでもらったり勉強を教えてもらった覚えがあった。そんなわけで、家に何もしないでいる由紀は、母の代わりに和哉の身の回りの世話をしてあげるようになった。「由紀ちゃん、ありがとう。由紀ちゃんにまで世話をかけてしまって」ガリガリに痩せた和哉は、由紀にそう言った。日に日にやせ衰えて行く和哉を見る度に、由紀は子供の頃の優しかった和哉との想い出を甦らせた。そんな昔の話をしてあげると、和哉は時には声を出して笑ったり、涙を浮かべたりした。そんな和哉も、とうとう病院に行く日が来た。在宅療養の限界だった。由紀は、たぶん、最後の別れになると思い、「ねえ、何かしてほしいことないの」と聞いた。「そうだなあ…、ちょっとだけでいいから、外に出て歩いてみたい」そう言う和哉に肩を貸して、由紀は外に出た。ほんの数メートルゆっくり歩くだけでも息が切れる和哉が可哀想で可哀想で由紀は涙が止まらなかった。「由紀ちゃん、きれいになったね。子供の頃から可愛かったけど、今の由紀ちゃんはとっても可愛いよ。もし、治って帰ってきたらデートしてくれるかな?」「うん」もう悲しくて悲しくて由紀はそう答えるだけで精一杯だった。それから1週間後、何も話さなくなった和哉が帰ってきた。由紀は、天国に行ってしまった和哉に誓った。「和哉さんの分まで、前向きに生きるからね。顔に傷があっても、汚い顔でも、私、生きてるだもの。頑張るね。勇気をくれてありがとう」見違えるように元気になった由紀が会社に復帰したのは間もなくのことだった。
2006.10.29
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実際の人生は、苦しいことも楽しいんですよ。楽しいことばっかりだったら、逆に楽しくないと思いますよ。※ 派手なパフォーマンスで大人気。そんな新庄選手ですが、入団当時、7500円で買ったブローブを何度も修理しながら、17年目の引退の日まで使い続けたそうです。人の見えないところでは、実は大変な努力家だと感じました。
2006.10.28
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ピンクのスニーカー誠司と佳奈子が先祖代々続く木こりを辞めて、山間の町で民宿を始めてから30年になる。開業してから間もなく、この町近くに良質な温泉が発見されたことも手伝って、ずっと商売繁盛だった。二人の息子も無事巣立って行った。そんな夫婦に異変が起こり始めたのは、長男が東京の会社に就職し、次男が麓の役場に就職が決まり出て行き、二人きりの生活が始まってからだった。佳奈子が時々「別れたい」などと言い出したのだ。「何を今さら・・・」と誠司は取り合わなかったが、昨晩、佳奈子は何かが気に障ったようで、「来年の4月に年金がもらえるようになったら半分ずつ受給できるようにしてから正式に離婚しますから」と言って最終のバスで次男のところに行ってしまった。まだまだ元気な誠司だから身の回りのことは心配なかった。だが、困ったのは民宿の賄いである。平日でも10人前後、休日には30人からの客で、18室ある和室の管理はなかなか大変だ。考えれば30年間、夫婦二人、ほとんど休みも取らず、働き通しだった。料理なら誠司一人で用意はできるが、客の出迎えと部屋の掃除は佳奈子の係だったから、どうにもこうにもならなくなった。とりあえず朝一番に町の旅館組合に行って女の人を手配してくれるように頼んだ。至急ということで組合が紹介してくれた東京の人材派遣会社の若い担当者と電話で話した。しかし、今時こんな山の中に来てくれる女の人はすぐには見つからないらしい。「贅沢は言えないなあ、男でもオーケーだ」と言うと数名候補があがった。誠司が選んだのは、60過ぎの男だった。経歴は元弁護士。3年前まで、東京で事務所を開いていたらしい。分けあって今は無職。これなら、問題ないだろうと待っていると昼過ぎに、やってきた・・やってきた・・・しかし、第一印象は最低だった。頭が禿げ上がった上に、半年以上散髪に行ってないと見えて弱々しい白黒髪が不規則に爆発していた、しかも、前歯はジグザグに抜けていて、笑うと薄気味悪い。まるで、子供の頃、見た劇画の死神博士のような爺さんだった。こんなヤツでも、猫の手も借りたい誠司は雇うしかなかった。しかしながら、予想通り、この手の仕事は始めてのようで、まったく役に立たない。掃除もやったことがないらしい。客を出迎えにやらすと、タイミングの悪い事に、短大生のグループで、この男がニコーッと笑うと即刻逃げて帰ってしまった。誠司は、この男を朝から晩まで「オイーッ」「コラーッ」と怒鳴り散らかして働かせようとしたが、どうにもならない。結局、その日は何から何まで誠司一人でやることになってしまった。何とか、その晩泊まった客をバス停まで見送り、そのまま総菜を仕入れて帰ってきた誠司は、もうホトホト疲れて入り口で座り込んでしまった。座り込んだ誠司が何気なしに下駄箱を見ると、ピンクのスニーカーがあるではないか。たしか、3日前、佳奈子が通販で買ったスニーカーだ。そうだ、思えば、あの時、佳奈子がニコニコして赤いスニーカーをはいて、まるで少女のようにステップしているのを見た誠司は、「ババアのくせして、そんな派手なスニーカー買いやがって」と言ったのだった。誠司は自分の吐いた言葉を悔いた。佳奈子が出て行ったのは、その次の日だったのだ。「おれは、なんて愛のない男なんだ・・・30年間、いっしょに働いてくれた、この世で、たった一人の女に・・・あんなこと言ってしまった・・・ああ・・・俺は、なんてバカなんだ」そんなことを呟きながら、メソメソしている誠司は、佳奈子とあの男が側に立っているのに気づいた。あの男は、今さっき散髪してきたようで、サッパリした頭と白い上っ張りを着て、見違えるようになっていた。佳奈子は、「あんたの息子が帰ってやれって言うから戻ってきたら、このザマ、なさけない・・・今夜は満室でしょう・・・さあ、働いた・・・働いた・・・」そんな佳奈子の多少乱暴な言葉にも、誠司は十分の一くらいに自分の体が小さくなったように思えて、「うんうん」頷くしかなかった。
2006.10.28
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高校の履修不足問題は全国規模に広がった大問題です。多い学校では200時間や300時間と報道されていました。一週間に10時間でも30週間!!!これから3月末までに履修するのは大変なことです。おそらく何らかの救済措置はとらなければならないと思います。この場合、どのように救済措置をとったのか。国の責任ある立場の人が基準のようなものを公表すべきだと思います。でないと、ある学校ではレポートだけである学校は土日返上で授業なんて不平等が起こりかねません。
2006.10.28
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新庄は試合前のあの手この手ファンサービスがとっても似合ってた。今年引退というビックリも加わって大受けだった。引退するんだという”彼流の覚悟”があったから思い切って何でもできた。こんなふうに新庄がうまく行くとあっちこっちのスポーツ選手がいろいろやりはじめる。でもね、やりすぎは禁物。あんまりやりすぎるとファンが離れる。多くのスポーツ選手は職人さんのように試合に集中する不器用人間でちょうどいい。そんな不器用な人が、時々、面白いことをやるから受ける。基本的には試合でボロボロになって結果を出し続けるそれ以上のファンサービスはありえない。
2006.10.28
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落合監督が日本シリーズで敗退し、公約だった日本一を逃した責任をとり進退伺を出すらしい。これに対し、球団オーナーは続投を要請すると言っている。すべては30日に決まるらしい。なんとか、うまく交渉がまとまればと願っている。マスコミ受けが悪いと言われるが、あのV9時代の巨人の川上監督は人気があっただろうか?面白くない野球をすると散々叩かれていたではないか。ハッキリ言って、嫌われていた。ファンはあの一癖も二癖もある態度がイヤだったのだ。人気があったのは、王と長嶋を中心としたチームが強かったからだ。結局、野球は勝たなければならないのはこの巨人の低迷を見ていれば分かることだ。あの憎らしいほど強かった巨人の川上監督の後継者は巨人の歴代監督ではなくて中日の落合監督だと思う。そう感じてから、いつの間にか、私は中日ファンになっていた。落合監督就任以来の3年間、中日ファンはつねに「優勝・・・優勝・・・」を口にして盛り上がっていた。ハッキリ言って楽しませてもらった。監督なんて愛想が悪くてもいいのだ。選手が活躍して強ければファンは大満足。球団の古さでは変わらない巨人や阪神の脇役でずっと甘んじてきた中日を主役にしてもらえて中日ファンの多くは感謝していると思う。うちの近所に住んでいる70年前から熱烈中日ファンの80余歳の駄菓子屋のお婆ちゃんはこんなに楽しい3年間は初めてだと言っていた。もし、来年も監督やることになったらもっともっと憎らしい落合監督になってほしい。そして、今度こそ日本一になってください。子供の頃からずっと巨人ファンだった私を中日ファンにした落合監督、ありがとうございました。できたら、来年もよろしくね。
2006.10.27
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新庄は引退して何になるのだろうかまさか、どこかのチームのコーチや監督になるのもまだ早すぎるだろうし、いずれは監督にと、日本ハム球団は考えていると聞いたこともある・・・あるスポーツ新聞は、プロ級という腕前の趣味を生かしてカメラマンになるとも書いていた・・・まあ、稼ぎのことを考えれば野球解説者兼タレントだろう。ちなみに元野球選手のタレントで一番成功したのは、タイプは違うが板東英二だろう。忘れている方も多いので板東の現役時代の成績の一部をご紹介しよう。甲子園では、徳島商業のエース。いまや伝説ともなっている延長18回で25の三振を奪うが相手投手・村椿輝雄も譲らず、0対0のまま引き分け再試合となり(「18回引き分け再試合」が適用された最初の試合)、この再試合も完投し勝利。準決勝では作新学院高を破ったが、決勝で力尽き柳井高に敗れた。この1大会で記録した83奪三振は高校野球の大会通算奪三振記録であり、2006年現在未だに破られていない。江川も松坂もハンカチ王子も脱帽。プロ入り後も、プロ11年間で77勝65敗の成績を残し,中日の初代リリーフエースでもあり、オールスターゲームにも3回出場している。王キラーで、ほとんど完璧に押さえたようそうだが、長島にはボコボコに打たれ、のちに自分の漫談のネタにした。その功績のため、当時の超人気アニメ巨人の星にも本人役で出演し、大リーグで3冠王をとることになるオズマを見事に討ち取っている。あくまでも、アニメの話。これだけの実績を残してはいるが、最近はプロ野球解説者の仕事をほとんどしていない。というのも、あまりにもタレントとして活躍しすぎたため、元野球選手ということが忘れ去られ、解説を始めると「ド素人のタレントが偉そうなこと言うな」という苦情?の電話が鳴りやまないためらしい。
2006.10.27
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噂”人の噂には戸は立てられない”は本当だった。毎年恒例の社員旅行は、大奮発のハワイ旅行だった。しかし、どうも最近体調が良くない健司は、通いの人間ドックに入ることになって社員旅行を欠席した。ハワイ旅行は、5泊7日。つまり、一週間、健司は自宅にいることになったのである。病院に行く時間帯以外は、家にいて子供と遊んだり、雑用をしたり、フラッと散歩をしたりしていた。平日の散歩は、最高の気分である。とくに朝7時から8時に、駅に急ぐ人々を見るのは最高である。「ざまあ見ろ。俺は休みなんだぞー」って叫びたい気分である。しかし、そんな日々が3日もすると、女房の顔が曇りだしたのである。「あーた、ご近所で変な噂が広まってるのよ。あなたがリストラにあったとか、会社が倒産したとか…クリーニング屋さんも魚屋さんも市会議員さんも心配してるわよ」根も葉もない噂にムカッとした健司は、「勝手に言わせとけ。俺の会社は順調そのもので社員はハワイ旅行中だ」と憎々しげに言った。負けん気の強い健司は、翌日から、わざわざ公園で昼食を食べたりして、わざと人目につくようにした。一週間過ぎて、身体にはどこも異常はなく、単なる疲れだと分かった健司は、いつものように意気揚々と会社に出勤するようになった。さてさて、数日過ぎて、家で夕食を食べている健司に、またも女房が浮かない顔をして言うのだった。「あーた、また、変な噂、広まってるのよ」「はあ?どんな噂だ」「この不況なのに、もう新しい仕事見つけたらしいって」…
2006.10.27
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たしか昨日、官房長官が履修不足の問題は文部科学省の責任と言いました。それを受けて、文部科学省の大臣さんは、都道府県の教育委員会の責任と言いました。それを受けてある県の教育委員会の課長さんがそれは学校の責任です。それを受けてある学校はでも課長さん、あなた、去年まで、うちの学校の先生じゃなかったんですか?と返しましたとさ・・・まだまだ続く責任逃れの山手線状態・・・笑えない大人たちの体質。「教育に携わる者、みんなの責任」と安部首相言ってくれませんか!お願いします。なんか、悲しくなってきた・・・
2006.10.27
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日本ハム日本一おめでとうございますダルビッシュ・八木・W武田のナイスピッチングヒルマン監督の采配小笠原・セギノール・稲葉のクリンナップどれをとっても素晴らしかった。日本ハムは120%の力を出したと思う。この20%を引き出したのは新庄の明るさだと思います。楽しくプレーする野球が最高に強いことを教えてくれた新庄。私たちは永遠に新庄の勇姿を忘れないでしょう。ありがとう! ありがとう!! ありがとうございました!!!
2006.10.26
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たしかにプロレスはあらかじめ勝者と終了時間は決まっているでしょう。しかし、試合中に大ケガをしたり命を落とすこともある危険な技を掛け合います。日々の厳しい鍛錬なしにはとてもできない荒技です。八百長という言葉でプロレスをバカにする人もいます。その方にはその方なりの考えがあるので認めます。ただ、かつての力道山やアントニオ猪木のように多くの人に勇気を与えてくれた功績も認めるべきです。
2006.10.26
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だんだんと道県立高校の履修漏れの実態が明らかになってきた。いくら何でも、習ってもいない科目の成績が成績表に書いてあるのはやりすぎですね。それでは、生徒のためではなくて高校の実績のために文書偽造をやってるわけだから。公表されているデータに近畿や関東の大都市圏の高校がないところを見ると地方の県立高校特有の問題ということかもしれない。つまり、近くに実績のある予備校がないから生徒を一流大学に合格させるには学校が頑張らなくてはならないわけだ。親も学校がやってくれるのを望むだろうし。大都市なら生徒は近くの名門予備校の現役合格コースに行くから学校は関係ないわけだ。それと、一流大学に何名以上合格させるとどっかから補助金が出るんじゃないのかなあ・・・考え過ぎかな?
2006.10.26
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虫博士「やっぱり、ここにいた」紀子の彼氏の昌男は、M大学の生物学科の講師をしている。紀子は婦人警官だ。紀子は非番の日には必ずお弁当を作って昌男の勤めている大学に行く。昌男は講義のない日はM大学所有の山林にいる。そこが二人のデートコースだ。その山林にある木々や花、そして鳥、昆虫…ミミズに至るまで昌男の知らないものはない。紀子が話に夢中になって歩いていると、隣にいるはずの昌男はいない。「あれ、昌男君…もう、昌男君たら…」紀子が振り返ると、ずっと後ろの方で、珍しい植物を採取したり、昆虫を捕まえたりしている。だから、いつも帰りには紀子の弁当箱は、虫かごになってしまう。紀子と昌男は幼なじみだ。二人の母が知り合いだったこともあるが、3歳か4歳くらいから、よく一緒に遊んだ。その頃の昌男は、だんご虫に凝っていた。サクラドロップの缶を大事そうに持っている昌男に、「それ、何」と見せてもらうと、だんご虫が一杯入っていた。幼稚園の頃になると、昌男のあだ名は、もうすでに虫博士だった。幼稚園の中庭にいる昆虫や植物の事なら何でも知っていた。ちょっと目を離すと、昌男は幼稚園の中庭の隅に行って、珍しい虫を探すために大きな石を裏返したりしていた。小学校2年生の時、紀子が昌男の家に行くと、金魚、カブトムシ、クワガタムシ、カニなどを昌男は飼っていた。ここまで話すと昌男は、陰気な昆虫マニアかと思われるかもしれないが、それがとっても明るいのだ。虫の話をさせると、まるで虫が仲の良い友達かのように事細かに、しかもドラマチックに話すのだ。こんな昌男の話を聞くのが、紀子は大好きだった。でも、普通に歩けば20分もあれば帰れる学校からの帰り道を2時間もかけて帰るのには、紀子は付き合いきれなかった。途中の草原や川で、いろんな生き物を見たりして進まないのだ。「あれ、昌男君…もう、昌男君たら…早く早く」そう、そうなのである。紀子と昌男は、もう小学校に上がるか上がらないかの頃から変わっていないのだ。どちらかといえばプロポーズは、紀子からだった。場所は、やっぱり大学の山林だった。お弁当を黙々と食べている昌男に、紀子は言った。「私くらいしか、お弁当作ってくれる人いないんでしょう?」「モグモグ…そういうことやな…」「お母さんだって、いつまでも、昌男君の世話してくれないものね」「もう年やしな…モグモグ…」「だったら、私が奥さんになるしかありませんね。虫博士?」「そういうことやな」「だったら…」と言って、紀子はそっと目を閉じた。キスを待ち受ける姿勢だ。でも、待てど、昌男が迫ってくる気配がしない。しびれを切らした紀子が目を開けると、昌男がいない。周りを見回すと、昌男が背中を丸めて何か採ろうとしているではないか。それを見た紀子が苦笑いしながら言った。「もう、昌男君たら…」
2006.10.26
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母の存在というのは、よく気のつくお母さんとかいろいろできるお母さんとか、そんな目に見える能力を超えた何かがあります。それを知ったのは、小学生の頃、二人の友達のお母さんが亡くなった後です。一人の友達は、とても、おしゃべりで、朗らかな子だったのですが、お母さんが亡くなってからは、無口になり、目つきが怖いほど厳しくなり、一人ぼっちでいるようになってしまいました。もう一人は、背が高く、とてもハンサムで優しい子だったのですが、精神的に変になりました。たとえば、みんなで、鬼ごっこしていると鬼の彼は、こっそり自分だけ帰ってしまいます。残された私たちは、いつ彼がやって来るだろうと一時間も二時間も隠れていたことがありました。彼の奇行は、どんどんエスカレートして、友達を山の中に置き去りにしたり、自分のお金が無くなったとウソを言って、友達を泥棒扱いしたりしました。こんなことが繰り返されて、いつの間にか、彼の言うことは誰も信用してくれなくなり、彼は学校に来なくなりました。今で言う登校拒否ですね。二人のお母さんは、とっても素敵なお母さんでした。私が、彼らの家に遊びに行くと、ケーキが出てきたり、雨が降ると、学校に傘を持って来てくれる、そんなお母さんの理想型でした。その反対に、私の母は、テニスやソフトボールをする体力があるのに、今なら避難勧告が出るような大雨で、小学生の私が胸まで水に浸かって帰って来ても、「あんたなら、何とか帰ってくると思ってた」と言って、お気楽に昼寝をしていたような人です。たまに友達を家につれて来ても、昼寝の邪魔されたというような顔をして黙って二階に上がって昼寝の続きをする始末です。まあ、こんなグウタラ母さんでも、二人の友達の変わり様を目の当たりにした私は、子供心に、母が家にいるのは、なんとなく有り難かったものです。実は、私の妻も、私の母ほどではありませんが、健康にもかかわらず睡眠時間10時間を欠かさない人です。欠かすと機嫌が悪い。ちなみに、私は5時間です。それでも、子供たちは、「とうちゃんは、仕事ばっかし、かあちゃんは寝てばっかし、どっちかって言うと、かあちゃんの方が好き」と言っています。母は強しですね。
2006.10.26
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大学受験が追い込みで一番大切な時に真面目に頑張ってきた生徒たちに余計な心配させないでください!!人生がかかっているんですよ。とりあえず、今年は、このまま受験させるべきでしょう。ところで、履修不足救済しないと大臣発言ありました。私も賛成です。やらなければならないと決まっていたものですから。3月末までに未履修全部受講ということは、土日祝返上してでも授業やるしかありません。これも賛成です。ただ、今の県立の生徒だけ、頑張れというのはちょっと気になります。過去の生徒たちはどうなるのですか?私立はどうなのですか?私立はずっと前からです。私立は管轄が違うから関係ないのでしょうか?これは高校教育の基盤を揺るがす大問題です。なるべく早く公平な対処方法を聞きたいものです。
2006.10.26
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大学合格至上主義にした大人たちの責任。生徒たちには関係ない。今さら負担をかけるのはかわいそう。今の社会では誰が考えても一流大学に合格した方が有利に決まっている。だから、高校の予備校化は必然だろう。日本中の地方の進学校と呼ばれる県立高校は10年くらい前から予備校化している、私立はもっと昔にこんな体制になっている。報道されているのは氷山の一角。実体は10倍以上あるだろう。
2006.10.25
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問題の槇原敬之さんの「約束の場所」♪夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない♪のフレーズなんですが、槇原さんのファンでも松本さんのファンでもない私は、これは盗作ではないと思いました。たぶん、槇原さんが考えたものだと思います。それくらいの才能ある作家だと思います。ただ、松本さんの「銀河鉄道999」は誰でも知っているような名作ですからどこかで槇原さんが耳にして記憶のどこかに残していた可能性はあると思います。だから、松本さんの主張も分かります。おそらく裁判にしたところで裁判官は和解を勧めるでしょう。それくらい微妙です。ハッキリさせたようと証拠を出し合って頑張ったところで長い長い裁判でお互いが消耗するだけだと思います。そろそろ落とし所を見つけたらいかがでしょうか。
2006.10.25
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一番公平なのは・・・使った時間だけ課金する方法では?という意見も頂きました。この場合、料金体系の設定によってはNHKの収益が激減してしまう可能性もあるかもしれません。まあ、その場合はニュースと教育番組だけやってくれればいいかもしれませんがね。
2006.10.25
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NHKは受信料を払わない人に民事督促をするそうだ。でもねえ、こんなことしてもこの事務手続だけでも大変だと思う。回収した料金より事務員さんに払う経費の方が多くかかったら泣きっ面に恥だろう。脅し効果も期待してだろうけれどもっと工夫できませんか。たとえば、NHKの受信料を払わないとすべてのテレビを見えないようにする方法とかありませんかね。電話やインターネットのプロバイダーと同じだと思う。すぐにとは言わないけれど、将来的に考えた方がいいよ。
2006.10.25
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街を歩けば、いたる所に自動販売機がある。この自動販売機だが、そもそも日本人の発明では?との説もある…明治20年頃、今の山口県は下関あたりに高七という男がおったそうな。この男、江戸時代から続く指物師の一家に生まれた。指物師は今風に言えば、家具造り職人と言ったところだろうか。この高七は、子供の頃から、爺さんや親父さんの手伝いをしながら、指物の技を磨いたそうだ。でも、この高七は、名前のとおり七番目に生まれた子だった。腕は、親父さんも舌を巻くほどのものになったが、上には兄貴たちがおったものだから、とても指物屋の跡目は回ってこなんだ。そんなわけで、何か別の道でも…と思案してた高七は、その頃、飛脚に代わってできたばかりの郵便局の手伝いもすることになった。今で言うアルバイトだ。まじめな働き者の高七は、外に出て配達もしたし、局内で切手やハガキも売った。まあ、なんでもやったわけだ。そんな郵便局勤めも慣れた高七が、やれやれ…とその日の仕事を終えて郵便局を出た頃だった。一人の女の子が駆けてきて、郵便局の向かいのタバコ屋の前で呆然としていた。「ああ…閉まってる」がっかりした女の子は、近くの呉服屋に奉公しているミツだった。高七は、ミツに密かに憧れていた。ミツは呉服屋の主人に頼まれてタバコを買いにきたのだろう。残念だが、タバコ屋のオバチャンは、早じまいして芝居見物に行ってしまったのだ。憧れの彼女が困っている。なんとかしてやりたい。でも、高七はどうしてやることもできなかった。かわいそうに…ミツはガッカリして帰って行った。そこで、高七は、タバコ屋が閉まってからでも、タバコを売る方法はないかと考えた。その夜、高七は夢を見た。いつか紙芝居で見たような遠い昔のアラジンの魔法のランプが出てくる夢だった。目覚めた高七は、そうだ!と叫んだ。恋こそは発明の母である。その夜から、高七は、仕事が終わってから毎晩遅くまで、カンナで木を削り、のこぎりで丸太を切った。そして、1ヶ月後、高七は木製のタバコ自動販売機を作ったのだ。この自動販売機は、またたく間に、下関中の評判になった。特筆すべきは、その木製の自動販売機には、通用しない硬貨を排除する機能、売り切れた時にはお金を返却する機能などなど、ほとんど現在でも通用しそうな機能がついていたのである。その自動販売機は、かの豊田佐吉も出品したこともあった東京上野で開かれた内国勧業博覧会に出品され、たまたま見物に来ていた当時の政府首脳だった伊藤博文や陸奥宗光なども絶賛したそうだ。もちろん、翌年、この自動販売機は特許を取得した。これに気を良くした高七は、10年余り後、日露戦争の起きた頃、これまた木製の切手と葉書の自動販売機まで作ったのだ。ついでに、この自動販売機は今でいうポストの機能もついていた。昔見かけた円筒形の赤いポスト、あれの原型だったと聞いたら、もう尊敬せずにはいられない。この発明で、一介の指物師だった高七は、逓信省のお役人にまで出世することができたのだ。ちなみに、高七は、自動販売機の”自動”を”自働”と表したそうな。
2006.10.25
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税理士の圭子さんは自宅でもあるマンションの一室で、3歳の娘さんの面倒を見ながら頑張っています。圭子さんは、30歳になったばかりで、まだ若くて美人なので、何人かの独身の男性税理士や会計士から一緒に事務所をやらないかと誘われているそうですが、一向になびく気配を見せません。彼らは、彼女は、余程、別れた夫に酷い目に遭わされて、きっと男性恐怖症なんだと噂していました。ある夜、私が一人残業をしていると、圭子さんから電話がかかってきました。「今晩は、娘を母に預けたから、ちょっと、飲みましょうか」たぶん、私なら口説かれる心配ないと思って誘ってきたのでしょう。待ち合わせのスナックに着くと、圭子さんは店に居て、少し酔っぱらっていました。「ねえ、ちょっと古いけれど、私、氷雨って歌好きなの。歌って」他ならぬ圭子さんのリクエストですから、目一杯力を入れて私は歌いました。私が歌い終わると圭子さんは、別れた主人との馴れ初めを話し始めたのです…「彼とはね。高校時代に知り合ったの。彼は野球部でね。私、いつも、帰り道で待ってたのよ。そしたら、彼は決まって走って来るの。ごめんごめんって。高校3年くらいから、いずれは結婚しようって話してたの。大学に行っても付き合いは続いたわ。喧嘩はしたことないなあ。怒ってるのは、いつも、私だけで彼は別のこと考えてた。大学在学中に、私は税理士試験に合格して会計事務所に勤めたわ。彼は、新聞社に勤めるようになった。社会人になって、すぐに籍は入れたわ。そして、5年ほど過ぎた日、彼は別れようって言ったの。その時、私のお腹には、娘がいたし、夫婦仲も良かったし、なぜ、彼がそんなこと言い出すのか。分からなかった。彼は、内線の続く国へ飛んで、取材をしたいと言ったの。これをやらなきゃ、死んでも死にきれない。命がけの仕事だから、俺と別れてくれって…私は泣く泣く、彼の言うとおり離婚届けに判を押したの…あれから、もう4年すぎたわ。娘も3歳になった。彼は、半年に一度帰ってくるわ。ほんの1週間から2週間、最高のパパになって、また、海外に旅立つ…こんな繰り返し、いつ、あの人が死んじゃうかもしれない。そんな気持ちで、暮らしてるの。私が、再婚しないって、みんな不思議がるけど…私、毎日、会ってた頃より、ずっと、今の方が、あの人のこと、好きなんだ。他の男なんか目じゃないわ。それでもね。時々、つかれちゃって、ほんの少し、彼を忘れたいって思う時もあるの。ごめん、あなたなら、分かってくれるような気がして」圭子さんの目は涙で潤んでキラキラ光って、とてもキレイでした。
2006.10.25
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いろいろな事情があって履修単位をごまかしていた学校があってもそれはそれでいいと学校が判断して生徒は従ったまでです。要するに、文部科学省と学校側の問題であって生徒には罪はありませんから補習を早速受けるようするなどしてちゃんと単位を履修できるようにしてあげるべきです。
2006.10.24
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実際に社会に出て役に立つのは中学までの内容だと思います。高校は?となると工業や商業などの専門校なら就職してから役に立つでしょう。しかし、普通科の授業はどの科目とは言いませんが現実離れした内容が多いと思います。私学では、かなり前から大学受験用に特別の問題集を用意しています。そうでもしなければ私学の普通科は存続が不可能です。少子化が進めば県立高校も、大学受験に対応できない学校は定員割れになって行くでしょう。要するに今までは先生や学校の都合で課目を決めていたのが少子化で生徒が減ってきたため生徒の都合に合わさなければならなくなった。ただそれだけなんです。社会に出て役に立つ高校を目指してそろそろ高校の課目は見直すべきではないでしょうか。
2006.10.24
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20××年のある朝、世界中を唖然とさせるニュースが飛び交った。なんと、あのノストラ何とかの大予言の恐怖の大王が降りてくるのは1999年が翻訳間違いで、本当はその年20××年だということが分かったのだ。でも、世界中の多くの人々は、何を今さら、と白けるばかりであった。と言うのも、あと数時間で核戦争が起きて地球が消滅しそうな雰囲気なのだ。「どうして、もっと早く教えてくれなかったんだ。分かってりゃ、いろいろやることもあったのに…ここまで押し迫ってからでは遅いよ」と悲嘆に暮れる世界中の人々であった。一方、核保有国や細菌兵器保有国のトップたちは、顔を引きつらせてミサイル発射スイッチの前に座っていた。敵対する国のことを徹底的に批判はしたものの、いざ、これで全てが終わりかと思うと、怒りよりも躊躇の方が先に立つのである。そんな矢先、世界各国の空に無数の空飛ぶ円盤が現れた。円盤からは地球人そっくりの宇宙人が転送されて地上に降り立った。どこかの国では、空飛ぶ円盤をミサイルで攻撃したりしたが、まったく効果はなかった。また、宇宙人を逮捕しようともしたらしいが、まるで幽霊のように雲か霞をつかむかのごときであった。こんなわけで、やってきた宇宙人は、地球よりも1000年以上も進んだ星から来たことが分かって、敵対する各国は団結して、宇宙人と話し合うことにした。各国の首脳は皆会ったら殺されると思い怖じ気づいた。そこで、くじ引きで地球代表になった平和憲法を持つJ国主権代表大泉は言った、「われわれは、あなたたちと戦うつもりはありません」すると、宇宙人は言った、「私たちもだ。私たちのことを恐怖の大王とか予言した地球人がいたそうだが、誤解だ。私たちは怖くない」「では、何のために来たのですか?」「私たちは侵略者ではなく、君たちを宇宙連盟に加盟させたくてやってきた。宇宙に住むものは皆友達だからだ。そもそも、宇宙には侵略などという言葉もないが」「私たちも、そんな連盟があるなら是非参加します」「でも、来て見て驚いたのだが、君たちは戦争というゲームが好きなようだな。そのゲームのルールを教えてくれ。宇宙には戦争という言葉もないのだ」「いえ、戦争はゲームではありません」「ええ、まさか本気か?どうして、同じ星に住む者同志が殺し合う?」「話し合っても、解決できないからです。それに、相手が攻めてくれば、こちらも攻めなければ、こちらの国が滅びてしまいます。目には目をという言葉をご存じですか?」宇宙人は、腕に巻いたコンピューターのようなモノのボタンを押した。「ふーん、なるほど、目には目をの意味は分かった。目には目をは宇宙では非常識だ。そんなことを考えるのは、地球人だけだ」「では、攻めてきたらどうするのですか?」「宇宙では誰も攻めて来ない。宇宙は無限に拡大を続けている。永遠に拡大し続けるだろう。無限にあるものを取り合うことなどない。取り合うのは有限と考えるからだ」「…」「とりあえず、宇宙連盟参加の件は、お預けとして、君たちは戦争をせいぜい楽しんでくれ。連盟には生命体の珍種を発見したと報告しておく」こう言って宇宙人達は、地球から去って行った。
2006.10.24
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願いは叶う。。。。。 ああ、乾燥機つきの洗濯機がほしい~この1年間、毎日かかさず、家の仏壇に、近所の神社、先祖のお墓、そして、月にも太陽にも祈ってみたけれど、ぜんぜん、願いは叶わない。神様は、私に、乾燥機つき洗濯機は買ってくれないんだわ…「ああ、乾燥機つきの洗濯機がほしい。なんとか、ならない」加代子は、神様だけでなく夫の俊二の顔を見る度に、ヒステリックに洗濯機の話をしている。しかし、俊二は、住宅ローンにカーローンで手一杯で、7万8千円もする乾燥機つき洗濯機なんか買いたくない。だから、休みの日は、朝から夕方まで近くの公園でゴルフのパターの練習をして過ごしている。加代子にしても、小学校4年生を頭に、2年生、幼稚園と3人の子供を抱えて、山のような洗濯物である。冬なんか、ぜんぜん乾かない。近所のコインランドリーも行ってはみたが、結構、お金がかかるのである。その上、近所に住む俊二の母が寝たきりになって、その洗濯もしなくてはならなくなって我慢の限界に来た。「あーた、乾燥機つき洗濯機を買わないと別れるわよ」「えー」うるさい女房ではあるが、別れたくはない。3人の子供の面倒は?母の面倒は?そして、俺の面倒は?俊二は、仕方無しに、銀行から8万円を借りた。「あーあ、これから3ヶ月は、ゴルフ抜きだな」俊二は月に1回、楽しみにしていたゴルフを我慢することにした。一方、上機嫌なのは、加代子である。俊二からせしめた8万円を手に、乾燥機つき洗濯機を即、購入した。「すごい、あなた、もう乾いたわよ」1時間前に洗濯したものが、もう着れる。「なるほど、こりゃ便利だ」俊二もシブシブ納得した。当分、ゴルフに行くこともなくなった俊二は、休みの日、3人の子供と公園でドッチボールをして遊ぶことにした。おかげで時間ができた加代子は、地元プロ野球チームの優勝記念大売り出しのスーパーマーケットに一人出かけた。「一人が、こんなに楽しいなんて…」意気揚々と夕餉の総菜を買い求めた加代子は、レジのところで、2000円に一枚の福引き券をもらった。何げなしに、福引き所でガラガラ回した。すると、ドンドン!!「おめでとうございます。一等、乾燥機つき洗濯機ですー」嘘のような本当の話である。さてさて、神様は願いを叶えてくださるものである。但し、いつ叶えてくれるかまでは分からないようである。そうそう、それからしばらく加代子は車の運転をしなかった。「当たる」といけないからだそうである。
2006.10.24
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だんだんイジメた生徒たちに対する世間の風当たりも強くなってきたようだ。ある掲示板では、福岡のイジメに関与した生徒10名余の氏名も確証は持てないが投稿されていた。おそらく、グーグルなどで検索すればヒットするだろう。とすると、迂闊にイジメなんかすると将来、何かあった時、たとえば、結婚や就職などの時に過去を調べられる可能性があるということだ。ところで、昔からイジメは確かにあった。野口英世の伝記などを読むと、幼少時、野口博士は不自由だった手のことでかなりイジメられたことがわかる。そのイジメに対する反発心が、世界の野口を作ったのかもしれない。しかし、この伝記に書いてあるようなイジメならば、反発することも可能だろうが、最近のイジメは、集団で、しかも、へたをすると暴力団よりもタチが悪い。集団で骨折するまで殴る蹴るをして入院させて見舞いと称して病院にまで揺すりにやってくる。そんな恐喝・障害・殺人未遂も起きている。この問題をブログに書くようになってからいろんな賢明なる方々にご意見を頂くようになった。海外ではイジメた生徒を登校禁止処分にしている学校もあると聞いている。中学や小学は義務教育ではあるが、死者が次々出るようになってしまった以上、イジメた生徒たちなどの問題生徒を最悪の場合、登校禁止なり隔離するなどの法的処置を検討すべきかと思うが、いかがでしょうか?以前、「問題生徒の登校禁止」を同じように書いたことがあります。その際、問題生徒の人権はどうなるとか、問題生徒がかわいそう、更正するかもしれないなどと言う反論も受けました。しかし、自殺者まで出ている現場は、もう子供の人権云々を言う状況ではないと思います。
2006.10.24
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ただでさえ少子化なのに子供たちがどんどん傷ついている。このままでは、国が滅んでしまう。別の問題のように扱われている幼児虐待も学校のイジメでも、根っこにある問題は同じのようだ。自分より弱い人間を痛めつけるんだから。つまり、幼児虐待が警察によって捜査されるのが当然なら、学校のイジメも警察が動くのも当たり前になってくるだろう。だって、担任の先生や校長先生も頼りにならないんだから。いやいや、幼児虐待は親も信用できなくなるんだ。将来ある子供たちよ!!学校でイジメられたら、勇気も持って警察に連絡しよう。そして、賢明な人たちよ。幼児が虐待されているのを見つけたら、勇気を持って警察に連絡しよう。この勇気が子供たちを救い、この国を救うんだから。本当の愛国心とは、子供を愛する気持ちだということを忘れてはならない。
2006.10.23
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日本ハム選手の練習中のシャツが緑や赤なのが審判部長に注意されたとか。たぶん、新庄選手のことかな・・・ところで、それを判断するのは、相手のチームじゃないでしょうか?日本シリーズなんだから、中日が「試合に差し支えるかやめてくれ」と言ってきたら自粛すべきだと思いますが・・・今の段階では、練習中のことだし、全然、試合に支障ないし、ファンも喜んでるし、オーケーじゃないでしょうか。話は変わりますが、私は何年も前から新庄選手のファンなのですが、この前、ちょっとヤバイと思うことがありました。野球を楽しもうという姿勢はとっても良いことなのです。でも、この前のプレーオフの2試合目で相手のソフトバンクの選手がすごく本当にスゴーく真剣なのに新庄選手が試合中ニタニタしているのを見ているとこれでいいのかなあ・・・トラブルのキッカケにならなきゃいいけど・・・なんて思いました。まあ、もう引退するんだし、これが新庄らしさなのかもしれませんが・・・
2006.10.23
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K大学の近くにある古い屋敷に生まれ育った香奈子はホトホト困りはてていた。子供の頃は、広い庭を走り回って楽しかったが、高校の時にお父さんが亡くなり、香奈子が大学を出る頃には、お母さんがパーキンソン病になってしまい歩くこともままならなくなってしまった。お父さんが亡くなってからは、何人かいた使用人も辞めてもらい、広い屋敷に香奈子とお母さんだけになってしまった。幸い、お父さんの遺した財産で母と二人食べてはいけるが、屋敷の掃除をするだけでも香奈子には負担だった。お母さんの病院通いや屋敷の諸々のことに追われている内に、大学時代のサークルで知り合った恋人の晃司とも滅多に会えなくなってしまった。たまに晃司と会っても、香奈子はお母さんの病気のことや屋敷のことで頭の中が一杯になってしまって、会社勤めをしている晃司との話が大学時代のように盛り上がらなくなってしまった。「もう、私たちダメかもしれないね」「そんなこと言うなよ、今さら」「だって、病気のお母さんがあの屋敷から離れるはずないでしょ。晃司さんだって、まさか、病気のお母さんといっしょに暮らしたくないでしょ?」「そんなことないさ。俺だって、一生懸命に考えてるんだから…」こんな会話が交わされてから、しばらく過ぎた暖かい日だった。イスに腰掛けて日向ぼっこをしているお母さんと香奈子が屋敷の庭を掃除していると、初老の夫婦が外から中を伺っているのに気づいた。「あの、何か…」「いえ、どんなお屋敷かなと思いましてね」「失礼ですが、どちら様ですか?」その夫婦は晃司の両親だった。晃司のお母さんはシャキシャキして元気そうだったが、お父さんは少し足が不自由そうだった。晃司のお父さんは、香奈子のお母さんに挨拶すると、少し照れくさそうに、「実は、私もパーキンソン病と医者に言われてまして…」と言った。その横で、晃司のお母さんが早口で「でもね、あの映画俳優のマイケル・J・フォックスだって、この病気だって言うじゃありませんか。すぐに生き死に関わる病気でもありませんし、元気だしなさいって言ってるんですよ」と付け加えた。すると、香奈子のお母さんもつられて、「そうよねえ。そうなのよね」と何年かぶりに元気に話だした。初老の3人の会話は、香奈子が入れないくらいに盛り上がった。そんな会話がしばらく続いて、晃司のお母さんが、切り出した。「実は、晃司が、お父さんもお母さんも、あのお屋敷に住ませてもらったらって言うものですから…いえ、もちろん、晃司の目的は香奈子さんと一刻も早く一緒になることだと思うんですよ」…こんなわけで、香奈子のお母さんと二人きりでの暮らしは、晃司とその両親が同居することで間もなく終止符を打つことになった。
2006.10.23
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落ち目夫を送り出してすぐに、圭子は経済新聞を見た。さほど大きな活字ではないが、会社情報欄の中段あたりに夫の忠雄がN社の社長を辞任するという記事が載っていた。どうやら、会社が赤字になった責任を取るようだ。「ふーん」圭子は、これで、ここ数日の忠雄の不可解な動きが分かったような気がした。この10年の間、午後10時前には帰宅したことのなかった忠雄が、ここ数日は7時に帰ってくるのだ。しかも、いつも怖い顔をして業界紙やNHKニュースを見ていたのが、打って代わって民放のバラエティー番組を見て声を立てて笑っていたのだ。あえて何も聞かなかった圭子だが、会社で何かあったに違いないことは薄々分かって心配していた。ただ、事の次第が分かった圭子は、以外とさっぱりした気分だった…10数年前までの忠雄は、休日にはよく、圭子や二人の娘達をといっしょに遊園地や動物園に出かけたりする典型的なマイホームパパだった。それが、突然、倒産寸前になった忠雄の父が社長をやっていたN社を任されるようになって人生が一変した。それこそ土日も休日もなく、会社にこもりっきりで働くようになったのだ。「自分を信じてくれる社員を路頭に迷わせたくない」それが当時の忠雄の口癖だった。努力の甲斐あって、会社は危機を脱し、その後、忠雄が手がけた新規事業が成功したのも手伝って、小さな会社だったN社は一気に有名企業の仲間入りをした。しかし、日の出の勢いで走り続けた忠雄も、落ち目になる時が来たのだ。それでも、この10年で、小学生だった二人の娘は、一人は嫁ぎ、一人は大学生になっていた。幸い、二人とも幸せになりそうだ。今度は私たちの番だわ。多少の財産は処分することになるだろうが、二人で力を合わせれば何とかなる。それより、今まで、悪戦苦闘する忠雄を見ているだけの自分とサヨナラできることが圭子はうれしかった…と言っても、忠雄にもプライドがあるだろうから、彼から言い出すまで、知らん振りしていよう。圭子がそんなことを考えていると、電話がかかってきた。忠雄からだった。さすがに落ち込んでいるようで元気のない消え入りそうな声だった。…なかなか言い出せなかったんだ。今朝の新聞に載ったようだから、いずれ分かることだし。会社、クビになった。株主たちがうるさくて。しばらく家にいるけど、粗大ゴミにしないでくれよな…「なんでもいいから、早く帰ってらっしゃい」圭子は精一杯元気な声で言った。これで、あの人が私のところに戻ってくる。そんな喜びが溢れて来るような圭子は、寂しかったこの10年を取り戻そうと思い始めていた…
2006.10.22
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槇原さんも松本さんも有名人。どっちも堂々の主張。これは、どこかのテレビ局で両者とそれを弁護する人が出演して言い分を公平にしっかり発言して両者の曲も流してどっちの言い分が正しいかファックスとインターネットで視聴者に投票してもらって決着をつけたらどうだろうか!!
2006.10.21
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「イジメ」という言葉で報道されているがこれは「暴行」という犯罪行為だ。とくに兵庫県の高校であった「イジメ」と報道された事件は8人の部員に「態度が悪い」と言われ、体中に粘着テープでグルグル巻きにされ口にもテープを貼られ、殴る蹴る。ユニホームは破かれた。被害者は車椅子で通学している状態。これが「イジメ」???????報道も変ではないか?国や学校だけではなくマスコミも真面目に対処すべきだ。
2006.10.21
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昭和も末期、政界のトップに登り詰めた宗佑は、「戦争の混乱期を生き延びたから言えるんや。今の若い人は小さくまとまりすぎだよ。背伸びすれば、背はどんどん伸びるもんだよ」と言いながら、ある男との馴れ初めを思いだしていた…終戦直後だった。シベリアに抑留されて命からがら舞鶴港から故郷にたどり着いた宗佑は、闇市を宛もなく彷徨っていた。「こらあ」闇市の商品を万引きして逃げる男に宗佑は見覚えがあった。「あいつは、オッサンの手におえる男じゃない諦めな」宗佑がそう言っているうちに、その男は人影から人影へと姿をくらました。それから、小一時間ほどして、闇市見物にも飽きた宗佑が町はずれの神社で一息付いていると、「宗やん」「その声は、義さんやな」「さっきは、とんだところを見せてしもたな」「相変わらず、逃げ足早いな」「ところで、義さん、無事ご帰還の祝いにええもん見せたろう」そう言って、宗佑は義男を招いて、ある屋敷に忍び込んだ。息を殺して屋根裏を這ってゆくと、何やら五臓六腑に染み渡るような香りがしてきた。義男が宗佑に目線で合図を送った。義男の目線通りに天井の隙間から下を覗くとジュージュー音をたてながら、恰幅の良い男を中心に数人の男達が肉を焼いていた。おそらく、すき焼きを食べていたのだろう。その隣の部屋を見ると、若い女が物悲しそうに座っていた。おそらく、貧乏人の娘が金で買われたのだろうと宗佑は思った。屋敷から抜け出すと、義男は堰を切ったように話しはじめた。「戦争中の食糧難のときでもステーキを食べてるやつはいた話は聞いたやろ。あんなんにならな、あかんのや。芋のツル食べてるようではあかんのや。宗やん、俺は宗やんの犬になる。俺が助太刀するから、宗やんは偉くなれ。まず、隣の部屋にいた女を連れ出して、宗やんのところに連れて行くから嫁にするんや。ええな」そう言って、義男は屋敷に戻って行った。宗佑は、その後、義男の連れてきた女と所帯を持った。その女は、元大名の孫娘だった。そんな家柄の娘が、どうして身を売るはめになったかは、戦争をくぐり抜けた者ならわかるはずだ。宗佑は、数年後、元大名の孫娘を嫁にしたことで、箔をつけて出世街道を登り始めた。ところで、義男だが、それからしばらくして、米軍のヘリコプターに乗っていたが事故で墜落死したと伝えられた。しかし、宗佑だけは、義男は生きていると信じていた。その後、30年間にわたり宗佑宛に、政財界の内幕を伝える差出人不明の手紙が事あるごとに届いていたからだ。
2006.10.21
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20??年、結婚できない?しない?男女が急増した。人間達が、へたな相手を捕まえるくらいなら一人で暮らした方が良いと考えるのが常識になったのと、これは女性に限られるが、どうしても子供が欲しければ、優良の精子をバンクより購入し人工受精で出産することが容易になったためだ。とは言っても、所詮、人間は一人で生きては行けない。本心を言えば、好みのタイプがいれば結婚したい人間が一杯いたわけだ。そこで、クローン人間たちが、人間の相手をするようになった。数年前までは、奴隷のような扱いしか受けなかったクローンたちだが、クローン版リンカーンと呼ばれたMX001と人間界の元締め国連事務総長との首脳会談で、ほとんど市民権を得はじめていた。そんなクローン達だが、住民票を取得したり、選挙権を得たり、学校に通ったりするには、人間と結婚するしかなかった。クローン達は、自分の姿をクローン処置によって変えてしまうことを抵抗なくやってしまうため、自分の仕える人間の好みどおりに変型した。だから、人気スターや歌手などのクローンは、何百万何千万単位に存在することになった。そんなクローンの性質を安易に利用した人間達は、毎日のように、クローンに変身することを求めるようになった。つまり、「朝は、歌手のAがいいなあ....昼はニュースキャスターのBがいい...夜はセクシータイプのMね...」なんて感じである。しかし、クローンたちも、そうそう人間たちのわがままを聞き続けるわけには行かない。我慢も限界なのだ。かくして、クローンたちは結束し決起した。「私達は、人間の欲望のはけ口ではない。私達に、人間と同様の権利を...」このような運動は、人間たちの弾圧によって、何度も挫折したが、クローン版キング牧師と後に呼ばれるBMW009の大活躍で、とうとうクローン達も、人間と同様に権利を得るに至った。こうなって、またまた困ったのは結婚したくなった人間達だ。いままでなら、クローンに頼めば結婚してくれたが、もはや簡単には応じてくれなくなってしまった。権利が認められれば、クローンはクローン同志結婚することが多くなった。人間に迫られても、「私にも、選ぶ権利がある。」と言うクローンが増えてきたのだ。途方に暮れた結婚したい人間達が、周りを見ると自分と同じように、クローンに振られた人間が、あっちにもこっちにもいるではないか.......
2006.10.20
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賢明な読者からすばらしいヒントを頂いた。そうだ。学校に行かない!!という方法もあったのだ。イジメられて自殺しなければならないのなら学校なんかに行かなくてもいいのだ。ただ、学校に行かないからと言って勉強しなくてもいいというわけではない。つまり、イジメッ子たちを助けてあげられないなら学校側も通信教育なりで課題を提出すれば卒業証書を交付するという選択肢も用意すべきだ。
2006.10.20
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君がくれたもの。。。どんな時代になっても、何とか食っていける方法。。。何年か前の忘年会だった。健司は会社の若い社員達といっしょにカラオケボックスで二次会としゃれ込んだ。「ねえ、社長も歌ってくださいよ」と言われて健司が歌った曲は、ZONEの「君がくれたもの」という歌だった。歌い終わった健司の傍に、普段は仕事の事以外に寄りつきもしない女子社員数人が、しげしげと擦り寄ってきた。「社長が、こんな新しい歌知ってるなんて感動しました」健司は酔った勢いも手伝って、「俺をただのオッサンと思って甘く見るなよ」と言いながら、クスクス笑っている彼女たちの笑顔に昔の自分をだぶらせていた…あれは、20年ほど前になるだろうか。大学の留年が決まった健司は、大阪の北浜にある塩田商店という100年近くも歴史のある会社で使い走りのアルバイトをしていた。塩田商店は、もともとは株屋、今で言えば証券会社だった。先代が亡くなって、証券会社の権利を他の会社に譲って、当時は、いくつかのビルを北浜にある証券会社に貸していた。塩田社長は、一流企業の取締役を定年退職して、先代の遺した会社を受け継いでいた。塩田社長は、なかなかのやり手で、誰でも知っているような有名企業の社長を何人も友人に持っていた。この社長には、こんなエピソードがあった。会社で、ちょっとした宴会をやることになって、古参社員たちが当時業界トップだったKビールを3ダースほど買ってきた。塩田社長は、宴会が始まって10分ほどして、テーブルに並べられたKビールを見て渋い顔をした。そして、片隅でビールを飲んでいる健司を手招きした。「健ちゃんや。なあ、健ちゃん、Kビールはなるほど今はトップや。でもな、ワシの知り合いがやってるAビールが新製品を開発したらしいんや。ちょっと、ワシの部屋の冷蔵庫に入ってる缶ビールを持っておいで」健司が言われたとおりに社長室の冷蔵庫の中からAビールのスーパーDと書かれた缶ビールを持ってくると、「まあ、飲んでごらん」健司が、栓を開けて缶ビールを一口飲むと、塩田社長は、「どや、こっちの方が旨いやろ?今一番売れてるから一番エエものとは限らへん。うちの会社の幹部に、こんな話してもわからへん。でも、若い健ちゃんなら、分かるはずや…ええか、健ちゃん、どんなに年とっても、その時の流行の映画と歌だけは、ちゃんとチェックしておくんやで。そうしておけば、感性が若いままや。その若い感性と年と共に積み重なる経験があれば、どんな時代になっても、何とか食っていける。覚えときや」健司は今も北浜あたりに行くと、塩田社長が何げなく語った言葉を思い出す。塩田社長は、その時すでにガンに身体を犯されていた。それから3年後、健司が塩田商店を離れて間もなく塩田社長は亡くなり、塩田商店は分割され縮小の道を辿った。もし、塩田社長がもう少し若く健康であったら、財界の石頭連中がビックリするような何か面白いことをやったような気がしてならない。
2006.10.20
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かつて、一世を風靡したビートルズの作品はいろんなクラッシックをアレンジしたり継ぎ足して作ったものだと聞いたことがある。その時は、びっくりしたがビートルズの曲を何度聞いてもどのクラッシックを加工したものかは私には分からなかった。たぶん、大多数の人も分からないだろう。ああ、イイ曲だな・・・と思っているだけだ。こんなのは芸術に限らないわけで今、私たちの周りにある何から何までが先人の知恵の頂き物なのだ。そんなわけで、先人の知恵を参考にして世界中で毎日毎日数え切れないくらい多くの創作がこの世に生まれるわけだ。まったくの新発見なんてありえないのだ。ただ、エチケットとしてどこの何を参考にして作ったか分からないようにして発表するのも才能の一つかなと思う。
2006.10.20
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何の目的もなしに大学に行くと大切な4年間が無駄になる。遊ぶために行く!これも立派な目的かと思う。でも、本当に遊び方知ってるのかな?18歳くらいで本当に遊べるとは思えないなあ遊びは仕事の反動!!一生懸命に仕事ができるようになってこそ、ほんとうに楽しく遊べるのではないか。惰性で遊んでいるのでは、後に空しさが残るだけだ。18歳や19歳ですべての人が何のために勉強するか目的をハッキリさせることは難しい。ならば、漠然としている人は一度、社会でいろいろやってみて本当に勉強したくなってから大学に行った方がいいと思う。
2006.10.19
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中学時代の同窓会の幹事になった杉郎は、一人でも多く集めようと思い、招待状を出しても返事の来ない旧友たちに電話をかけたり、実家を訪ねたりしていた。そんな中で、再会したのが、早紀だった。早紀は2歳と1歳の男の子の母になっていた。しかも、早紀は酒を飲むと暴力を振るう夫と別れた直後だった。中学時代、杉郎と早紀は、付き合っていた。高校が別にならなければ、もっと長く交際が続き、結婚したかもしれなかった。「なあ、俺とやりなおさないか」杉郎は早紀にプロポーズした。幼い子を抱えて途方にくれていた早紀は、杉郎のプロポーズを受けた。でも、杉郎の両親は大反対だった。杉郎は、由緒ある料亭の後継ぎに決まっていたからだ。「二人の子持ちの女と結婚するなんて。おまえは、その女に騙されているんだ」杉郎の話もろくに聞かずに、両親は早紀を悪者にした。「私のことなんか、忘れていいのよ」早紀は、何度も杉郎に言った。そのたびに杉郎は、「俺は、もう決めたんだ。おまえと一緒になる。そして、あの二人の父親になるってな」とうとう、勘当を言い渡されて家を出た杉郎は早紀と子供二人といっしょに暮らし始めた。身の回りの着替え程度しか持たずに家を飛び出してきたお坊ちゃん育ちの杉郎だったが、ホテルのフロントの仕事を見つけてきて頑張り始めた。アパートを借りるために貯金も使い果たしたから、結婚式もできずに籍だけいれた。指輪は、小間物屋で買った。給料日前には、いつも財布の中には小銭しかない。なさけないほどの貧乏くらしだが、杉郎は早紀と暮らせて幸せだった。それから1年後、杉郎と早紀のために、かつてのクラスメートが中華料理屋さんを借り切って、ささやかな披露宴をやってくれた。手作りのウエディングドレスを着た早紀は涙が止まらなかった。たぶん、ここまでの苦労を思い出したのだろう。その横で、旧友たちに「ありがとう」ばっかり言っている杉郎に特別ゲストが紹介された。それは1年ぶりに出会う父と母だった。
2006.10.19
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パスワードそしてパスワードそしてまた… 「私は銀行員ではないバンカーだ」 M銀行の柳井部長は酔うと、こう言って絡む人だ。柳井氏のバンカー生活15年は、 極めて順調だった。数字に強い柳井氏のこと、億の位までなら暗算で処理できる ことで、重役の目に止まり、重役の娘さんを お嫁さんにして、同期のトップとは行かないが 3番目くらいで部長に昇進した。こんな頭脳明晰な柳井氏も、最近記憶力の 衰えが気にかかる。何でも支店には11のパスワードが存在する。金庫、夜間金庫、貸金庫、社員通用口、パソコン、ネットワーク上の VIP情報、人事情報・・・・・すべてパスワードが なければ入ることも見ることもできない。 そこで、このパスワードを忘れないために 柳井氏は、いつも自慢の革張り手帳を携帯している。 こんなパスワードばかりの職場にドップリ浸かっている 柳井氏だから、夜見る夢もパスワードがらみだ。 たとえば、昨晩の夢は悲惨だった・・・ まずは、小学校4年生の長男が泣いている 「どうした?」 と柳井氏が聞くと、可愛い息子は 「ランドセルのパスワード忘れたの」 「泣くんじゃない・・お父さんが調べてあげる」 柳井氏は、ポケットから自慢の手帳を取り出し 息子の危機を救った。少し気になったのは 手帳にメモしてあるパスワードの数が11から111に なったことぐらいだ。 今度は、愛する奥様が悲鳴をあげている。 正義感の強い柳井氏がキッチンに飛び込む 「何があったんだ?」 「大変、冷蔵庫のパスワード忘れたの?」 「ちゃんと、メモしておかないとダメじゃないか」 と柳井氏は自慢の手帳を開き優しく 奥さんのピンチを救った。ちょっと驚いたのは 手帳にメモされたパスワードの数が111から 1111になっていたことだ。 そして、今度はお婆ちゃんのうめき声が聞こえた 「どうしたんです?」 と柳井氏が俊足を飛ばすと 「ト・・トイレのパス何とかが分からなくて」 とお婆ちゃん。親孝行な柳井氏、 「大丈夫ですよ、お母さん」 と、手帳を開き、お母さんの一大事を救った。 ただ、驚いたのは、手帳に書いてあるパスワードの数が 1111から11111に増えていたことだ。 さすがの柳井氏も脂汗を流して、 「50音順に並べるか、パスワードデータベースでも 構築するか・・・」 と呟いたが、それよりも何よりも、こんなバカバカしい 夢から覚めたいと念じた。すると、 女性版コンピューター音声(柳井氏の大好きな松たか子似)で、 「パスワードを入力して下さい」 と来た。 「何、夢から覚めるのにもパスワードがいるのか」 と柳井氏絶句して111111通りのパスワードが 記入されて50音順に整理されている手帳の「ゆ」の 所を見ると 「あった・・・あった・・・ゆめ(夢)」 しかし、柳井氏の表情はまたしても一変した。 というのは、ゆめ(夢)のパスワードは、なんと 「*****」 と記されてあったのだ。
2006.10.19
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組織には核になる人が必要です。その核になる素養は、その組織に骨を埋める覚悟があるかの一点です。その覚悟がなければどんなに才能があっても組織をまとめることはできないでしょう。たとえば、プロ野球巨人に小久保という素晴らしい選手がいます。人格と才能を兼ねた選手です。プレー態度も真面目でお手本のような方です。しかし、彼には巨人で骨を埋める覚悟があるようには見えません。というのは、彼には帰るべきところがあるからです。やむにやまれぬ事情で追われてしまった。それでも真面目な性格で巨人で頑張った。でも、骨を埋める場所は、かつて育ててもらった所、そう考えるのは当然でしょう。これは中日の川相と正反対です。川相の場合は、巨人には帰れない。そんな立場の自分を暖かく迎えてくれた中日に骨を埋めよう。そう思っても不思議ではありません。レギュラーでなくても中日でずっと一軍選手と行動を共にできたのは川相の覚悟が首脳陣や選手に認められたからだと思います。結局、より幸せな道を人は選ぶものなのです。小久保の話に戻りますが、小久保にとって幸せなのは巨人ではなく、ソフトバンクに戻っていずれソフトバンクで監督になるべき道を選ぶべきかと思います。
2006.10.18
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二人の息子の父親をしている。長男は、何をやるにしても堅実だ。勉強でもスポーツでも、毎日コツコツと続ける。決して器用ではないが、継続力が彼の長所。お金も同じで、生まれた時に作った口座に4歳の頃から1000円以上のお金が入ると必ず貯金している。パソコンを見ながらニタニタしているので、どうしたことかと聞いてみると「1円利子が付いた」と微笑んだ。次男は、何をやるにしても豪快だ。しかも器用。勉強もスポーツも、さして練習しないのにすぐにマスターする。ただ、お金に関しては無頓着でもらったお金はすぐに使うのが信条のようで、もらった瞬間、「何を買おうかなあ・・」何でも長男のマネをする癖にお金のことだけは別らしく、貯金通帳の残高は口座開設時のままである。
2006.10.18
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初雪が降った日だった。聡子は小学3年生になった息子の学期末の個人面談会に行った。幸い、何の問題もないと担任の先生から言われてホッとした帰り道だった。結婚前に、何度か義理でデートしたことのある勇一が前方から歩いてきた。勇一の隣を歩いているのは、おそらく彼の妻だろう。勇一は、聡子の顔を見ると、ぱあーっと明るくなって、「やあ、久しぶり」と声をかけてきた。勇一のやけに明るい声に、聡子は全身に戦慄が走った。こんなに明るい人だったかしら…どちらかというと大人しく無口なタイプだったから、妻といっしょと言うことも手伝って、てっきり見て見ぬふりをして、お互いにすれ違うことになると聡子は思っていた。あげくのはてに勇一は、聡子を近くの喫茶店に誘った。聡子は勇一と彼の妻の向かいに座った。勇一はひとりでベラベラ話した。聡子との馴れ初めや聡子とデートした時のことを事細かに話して、とても自慢げだった。いまさら昔の楽しくもなかったデートの話など聞きたくもない聡子は、一刻も早く逃げ出したい気分で、そのタイミングを謀っていた。そんな聡子に、勇一は難しい質問をしてきた、「もし、あの時、僕がプロポーズしてたら、結婚を考えてくれましたよねえ」この自信たっぷりの語り口に聡子は圧倒された。そんなわけないでしょ、もうその時は今の夫に気持ちがグーッと傾いてたのよ,と本当のことも言いにくい。かと言って、オーケーしたと嘘も言えない。まして、勇一の妻が目の前にいるのだ。しばらく考えて、聡子は、「まあ、考えたかもしれないわねえ」と差し障りのない言葉で濁した。すると、勇一は、勝手に良いように取ったのだろう。「ホラ、俺には、こんな美人な女性もいたんだぞ…」と妻にツラツラと自慢するのだった。「じゃあ、子供が帰ってきますので」と何とか抜け出した聡子だった。自分のことを美人と言ってくれたのは嬉して照れくさいやら、我慢して聞いている勇一の妻に申し訳ないやら、いろいろで顔から火が出る思いで逃げ出した。しばらく行くと、後ろから勇一の妻が追いかけて来た。「ごめんなさい。ご迷惑だったでしょう。主人、会社でいろいろあって躁鬱病になってしまって、大学病院の精神科に通ってるの。今日は、とっても気分がいいようなの。それで、たぶん、思ってること全部話したと思うの。気にしないでね。ほんと、ごめんなさい」このことだけ話して、勇一の妻は勇一のもとに走って行った。事情が分かってしまうと聡子は、勇一と出会ったことは、これで良かったと思えてきた。むしろ、美人と呼ばれた喜びだけがジーンと残った。その夜、帰って来た夫に、躁鬱病の件は除いて勇一と出会ったことを話した。「ねえ、あなた、その人ねえ。私のこと、美人って言ったのよ。聞いてる。美人って言ったのよ」聡子が何度も美人を強調しても、夫はフーンと頷いて夕刊を見ているだけだった。
2006.10.18
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