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2024年大みそかにやっと(本はまあまあ薄いんですけどね)読み終えた本について思うことを述べてみます
貧困問題の中心にあるのが、体験格差だと思っています。
何かを一度もやったことがなければ、それが好きか嫌いかもわからない。何かを一度も食べたことがなければ、それが好きか嫌いかもわからない。どこかに一度も行ったことがなければ、その場所が好きか嫌いかもわからない。
子どもたちにとっての想像力の幅、人間にとっての選択肢の幅は、大なり小なり過去の「体験」の影響を受けている。貧困状態にある子どもたちは、「過去にやってみたことがあること」の幅が狭くなりがちだ。そして、そのために「将来にやってみたいと思うこと」の幅も狭まってしまいがちなのだ。
『体験格差』より抜粋
私は地方で育ちましたし、周りの友達と比べても、我が家は決して裕福ではないなと子供のころから思っていました。特に不自由をしたことはないけれど、友達の家にあるものや、友達が持っている者に関して「よそはよそ、うちはうち」と母親に言われた記憶もあります。8段飾りのひな人形やエレクトーンがある家、シルバニアファミリーがある家など、うちにはないものが友人の家にはありました。友人宅に遊びに行くと、それらを貸してもらったり、使わせてもらいました。
「無駄使いをしてはいけない」と強く思っていたので、お年玉はすべて貯金していましたし、文房具なども今あるものを使えるうちは新しいものを買うなんてもってのほかと思っていました。
このころから私のケチケチ人生は始まっていたのですね。その脇で兄弟が新しい文房具を次から次へと買うのに苛立ちを感じていました。私のケチな性格は、「親に教育されたから」ではなく、自らそれを選んだのだとわかります。
友人に比べると、我が家は裕福でもなかったし、両親は共働きでいつも忙しくしていたので、私は絶対に体験が少ない方の人間だろうと思っていました。
しかし、振り返ってみると、私の学生生活は 「体験ゼロ」(学校外の体験が1年間で一つもない)
ではありませんでした。
家族旅行などは数えるほどしか行ったことがありませんでしたが、地域のお祭りや料理教室などの催し、キャンプなど一通りのイベントには参加していたし、そろばん、書道、ピアノ、英語など習い事もいろいろ行かせてもらっていました。
習い事へは、友達が行っているからか、もしくは母親の勧めで通っていました。地域の催しなども同様で、一緒に行ってくれるのはいつも友人か母親でした。私がいろいろな体験ができたのは、周囲の友人や母親の力が大きかったのだと改めて感じました。
経済力や時間的余裕のある裕福な家庭と比べると、体験格差は私にも確実に存在すると思いますが、この本を読んで自分は意外と恵まれていたのだなぁと思いました。
著者の取り組まれているプロジェクト 子どもの体験奨学金「ハロカル」はこちら
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