カメルーンの旅 その2


baobabu

そんな買い物上手♪のアタシも、ドゥアラからマラアに着き、カプシキへ向かう途中寄ったモコロで考えあぐねていた。―買おうか、買わまいか、買おうか、買わまいか、・・・・・・・―
カラフルな女たちでとても賑わうというモコロの水曜市とやらは、すでに閑散としていた。
店畳みをはじめる彼女たちをボーッと眺めるでもなく、足が痛くて座りこんでいた。
そのとき、どこからともなくやってきた少年から差し出されたモノ。
う~~~~ん・・・・・しばらく考え込んでしまった。
二つの選択肢がこんなに大きな悩み問題だとは―――。
でも、欲しい・・・・・・・・。
どうしょうかどうしようかどうしよぉうかどうしよぉか???

それは、見たことにないくらい、やけにカラフルで大きな、生きたトカゲだった―――。

―― 星と風とバオバブとルムスィキダンス ――



 ドゥアラを午前中のうち発ち、11時には北カメルーンの要所マルアに到着予定だった。
8時半にはホテルを発ち、空港には9時に着いていた。
しかし、アタシたちは正午を過ぎてもまだドゥアラ国際空港にいる。
「あなたたちが乗る予定の飛行機はいつ出るのか、どこから来るのかはここではわからない」
そう、カウンターで告げられ、唖然とする一同だ。
待てども待てども飛行機は来ない。
ビル構内のあまりにもうだるような暑さに警備員が手薄なことをいいことに、滑走路側に出た。
わずかな緑のなかでいろいろな種類のトカゲが日陰でジンセイを謳歌している。

 空港内カフェの天井の風力扇風機も回ることなく、暑さも加えイライラが頂点に達する頃、ようやく飛行機が1機、空港の滑走路に降りたった。
この乗客が降りたら、アタシたちが乗れるそうである。ヤウンデ経由でマルアへ飛ぶとのこと。
しかし、空港で待つひとすべてが乗るとなれば、オーバーブッキングは確実の様相だ。
航空チケットには座席番号はおろか、日付すら刻印されていなかった。
アタシは左片足ケンケン飛びで飛行機に一目散に向かった。
なんとか飛行機は無事離陸し、30分でヤウンデに到着。
ここで大半のひとが降りていく(ただし、入れ替わりヤウンデから乗るひとで飛行機は直に元の満席状態)みたいだ。
 ヤウンデの滑走路で、昨日、パリから一緒の(ドゥアラ空港で遭遇した)エムボマはじめカメルーン代表チームが降りてゾロゾロ歩いているのを見た。今日は水色のシャツでおそろいだ。
ちょうど1週間後、ヤウンデでザンビアとワールドカップ出場をかけて対戦だ。
因みに「エムボマ」は現地の正しい発音では「ンボマ」になるらしい。
アフリカのひとの名前や地名ほか「ん」から始まる標記はよくあるらしいのだが、日本では紛らわしいので「え」からはじまる標記で紹介されるのが常らしい。
 ドゥアラからヤウンデまでの眼下はうっそうと生い茂ったジャングルであったが、ヤウンデを発ちしばらくするとサバンナの平原に変わった。
 そして、飛行機が降りたマルアは空港ビルの周りには何もない半砂漠地帯だった。
空気が乾いていて、風もないのに清涼感があり、緑も少ないのに何故か心地よいいが漂ってくる。
道沿いにかろうじてキビの実がなる畑とアリ塚があり、モラへ向かう本線でポプラ風の木やカボックという大きな実をつけた木が、かろうじて緑の彩りをしていた。
バスがしばらく進むと道の左右に、寄せ合うようにしてトンガリ帽子を被ったような家があった。
「サレ」といい、ひとりの奥さんが4つのサレを持っているらしい。必然的に一夫多妻制なのだろうか。
壁は土作りで、屋根はミレット(イネ科の植物)を干したものらしい。
イエメン紅海沿岸の平原に点在していた家々(あのとき強くアフリカを感じた)、そしてケニア・マサイ族のニヤッタと呼ばれる家々、いよいよアフリカ核心部に訪れたような感激があった。
これから向かうルムスキィをはじめ、このあたりはカプシキ地域と呼ばれる。
ルムスキィはカプシキ地域(ひとびともカプシキと呼ばれる)を構成する29の村々(総人口約1万8千人)のうちのひとつである。
カプシキというのは「最初の人」という意味で、ナイジェリアからやってきた人がまだ誰も人間が住んでいなかったこの地域につけた名前だそうだ
ルムスキィの月面をおもわせる奇妙な岩山と広大な風景はカメルーン最大の見どころだ。
アンドレ・ジイドはこの地を訪れ、『コンゴ紀行』に「世界で最も美しい風景」と表した。
 トンガリ帽子の家がステップに点在するのがつづき、今度は奇岩が道沿いに迫ってきたり遠くに霞んで見えたりした。
約80キロ、ここまではしっかり整備された舗装道路で、モコロの村に到着だ。
ここでは毎週水曜日に盛大なマーケットが開かれるらしい。
パリのファッションモードでもたびたび流行に取り入れられるセネガルさながらの派手な衣装でめかしこんだ女性たちが買い物に訪れ賑わうらしい。
ところが、だ。
モコロに到着したのが午後4時半。
すでにひとはまばらで、青空市はほとんど解散状態だった。
たしかにカラフルな衣装の女性をみかけ、彼女たちは単調な風景の広場で目立つことは目立つ。
色とりどりで、個性的というと陳腐に聞こえるかもしれないが、やはり個性的なのだった(笑)。
そして、そこで遭遇したもうひとつのカラフルな生き物、それがトカゲだった。
「ミスター、これ買わないか?カメルーン産だよ」小学生低学年ぐらいの年頃の少年が兄らしき少年にせっつかれてアタシの目の前で眠気マナコのような、色とりどりのトカゲを差し出すのだった。
 モコロを早々に出発し、ルムスキィへ向けて出発する。
日没寸前の平原に一本の大きな木が空に向かって延びている。
バオバブだ。
サンテクジュペリ「星の王子さま」でお馴染みの、神様がさかさまにして植えたと言い伝えのあるマダガスカル原産のバオバブだ。7種あるバオバブのうち、2種がカメルーンに自生しているらしい。
カメルーンのバオバブは「神様が逆さまにして・・・」とまではいかないが、空一面に葉のない枝を張り、夕焼けを背景になかなかよい被写体であった。
ルムスキィへ向かう道中はすっかり夜になった。
闇のなかからぼんやりとバナナのような岩山が道沿いに見てとれた。
モコロから道は舗装されておらず、かなりの悪路を約2時間かけてルムスキィの国営ホテルに到着する。
 ホテルはサレ風のコテージでフロントやレストランがある本館からかなり離れた場所に点在している。あたりは真っ暗闇だが、敷地はかなり広いようだ。
一歩一歩がつらい。
 夕食の後、レストラン外の敷地でカプシキダンスが披露されるらしい。
カプシキダンスは白魔術の儀式の一種で占い、雨乞いばかりか冠婚葬祭に老若男女により踊られる伝統芸能だ。
アフリカでは常に日常と祝祭は背中合わせなのだ。
しかし、今夜は観光客商売のため構成された地元のメンバーが集うのだろう。
俗っぽさと観光ナイズされたショーに懐疑的だったが、それがどうして、なかなか本格的なダンスに見入っていた。
闇のなかから、ひとりの女性がアラブの喉を震わせて奇声を発するのとそっくりの雄たけびから、その儀式は突然はじまった。
少しずつ近づいてくる砂を摺り寄せる足音から、弦や太鼓、山羊の角笛などの音色が加わりはじめる。
ホテルのわずかなサーチライトに照りだされた楽団員約10名。
そして、楽団の後から次々と踊り手が姿を現してきた。
リーダーは魔術師みたいな大きな鳥の羽の杖を持ち、マントを被り自由な動きをする。
楽団のリーダーらしき男はカウボーイのような格好で、統率した動き。
最初にアタシたちの前に整列したのは剣と盾を持つ戦士たちだ。
戦士たちと入れ替わりで、歌い手の女性たちが喉を鳴らしながら踊り始めた。
そして、いたいけな少女たちが屈みこんで砂を手ですくい上げたりして、どうやら占いの行為らしい。
そして極めつけは、トップレスのうら若き、ならずおばさんたちのダンスである。
そして静かな―静かな動とでも表現しようか―マントのリーダーをはじめ、総勢約50名の踊り手や楽団員は規律のある覚醒とでもいおうか、一心不乱に呪術的祝祭性を帯びながらそのダンスを締めくくった。
 太鼓のリズムは単調ではあるが、心をどこかへ誘う。
宇宙と結びつく――、このような浮遊した感覚はこういうとき感じるものなのかもしれない。
「―――アフリカのすべての部族が、宗教的にせよ世俗的にせ、何らかの目的で太鼓を使う―――。
そのドラムは、ふつうの土器の上に濡れた羊皮紙を張った簡単なものから、豪華な彫り細工のついた、正確にはチューニングした儀式用の巨大なティンパニーに至るまで、難易度は様々である。ダンスの伴奏を目的とした単純な打楽器としてのドラムもあれば、長距離通信用に、複雑な音調の連続音を出すように設計された高度な打楽器もある。しかしどの種類も、やがて式典とかかわるようになり、儀式用としての価値が付加されるようになる―――。
ドラムは、伝統的に四つか五つの組になっており、「群れ」と呼ばれる。組として<ディコマナ>と呼び、<コマナ>という儀式で演奏される。
 すべてのコマ太鼓は、軟らかな一本の木の固まりから作られる。一番好ましいのが雄マルラの木の幹であり、特別な許可を得て、儀式を行って切ることになっている。ドラムの彫刻も、魔法的なプロセスを経て「誕生させる」、と一般に言われる。厳格な儀式の仕来りに従って木を彫り、以前は人身供儀でその過程が神聖化されていたものだ。古い諺では、「ディコマナを作る男は太鼓を目で見ても、耳で聴くことはない」と言われていたほどである。
 ドラムの完全な「群れ」には、手で叩く<モラドゥ>―大きな雄牛―と、簡単な棒や骨で叩く小さなものが含まれていた。これらのドラムは、各群れが優秀な牛の同数に匹敵するほど高価なものだった。群れの各ドラムは何らかの形で神聖化されていた。ワニの胃袋から出てきた石とか人間の骨を、中に入れたりしたのである。「大きな雌牛」の古いものには、作った人の頭蓋骨がよく入っており、一番小さなドラムの反響する皮の下には、その不幸な職人の顔面の皮膚片が入っていた、と言われている―――。
『アフリカの白い呪術師 ライアル・ワトソン著 村田恵子訳 河出文庫 』より― 」
タイコは結婚や人の死といったニュースを伝える。意味は、たたき方によって違う。中部ステップ地帯では牛の革を張ったタイコを手でたたき、森林地帯では、木の内側をくりぬいただけの太鼓で、たたくのは木のバチが主である。
ハレの儀式は終わったようだ。
マントのリーダーが何語かわからないが挨拶をした後、さきほどまで神聖な浮遊した感覚はとたんに遮断され、踊りのためにかき集められたであろう村びとたちはザワザワとお喋りしながらゾロゾロと帰っていった。
 アタシたちも旅の疲れと祝祭の興奮が入り混じった体をもたげて、それぞれのコテージに戻る。
部屋に入る前、見上げた林の梢の間から覗く空には満点の星だった。
扉の敷居に座り、しばらく星の瞬きを眺めていた。
星のまたたきを、きらめきを―――。

部屋に入り、ようやくシャワーを浴び、一息つけた―――。
ウィスキーを飲みながら、今日の長い一日を書きとどめておこうとメモ帳を広げ、ベッドのうえでうつぶせになって書き綴っていく。
ひたすらメモ書きしている最中に突然、窓や壁に軋みがでてきた。
どうやら風がでてきたようだ。
明け方まで風はやむことはなかった。





―― VULA BOPS―合い言葉は「ガドゥー!」 ――



 風がピタリと止む―――。
時計をみやると5時で、もう明け方だ。
アタシはそのままコテージを出て、朝の空気を吸い、そのままホテルの敷地を出て朝の散歩に出かけた。
ホテルの門を出たとたん、薄闇と朝靄のなかから現れたひとりの少年にまとわりつかれた。
朝日を追って薄っすら赤みがかった方角の道を行くのだが、少年は距離を置いてついて来る。
群れから離れた羊がいた。
小さな丘にはマルラという、太鼓の材料になる丸い梢と美しい密集した葉をもつ神聖な木がたっている。
やさしい空気に包まれた静かな朝だ。
 しばらく歩いていると、前方の深い谷の奥に、昨夜、ルムスキィに向けて未舗装の道路を走る間、闇のなかからときどき浮かんでいたバナナを地に刺したのような奇岩が現れた。
その勇姿は、自然のミナレット(尖塔)のようでもあった。
「――九月のリュムシキは美しかった。
岩山が塔のようになって点在し、その麓は今しがた黄色い花と優しい緑に包まれていた。丸い茅を葺いた家は慎ましく、澄み切った空には上昇気流に乗ってトンビが愉快に飛び、セネガルカッコウが歓喜に満ちて鳴き競っていた。何と「ゼロ」の創造物の奏でる調和の美しいこと―――。
『楽園に帰ろう』 新妻香織 河出書房新書より―― 」
美しいものとは、なんだろうとしばしば考えてみて、いきつくところは、それは愛の確立だと思う。

セネガルカッコウは鳴いてはいなかったが、たしかに平穏で平和で美しい調べの朝だった。
この岩山はルムシキィのシンボルであり、ジビ山と名づけられ、この辺りをルムスキィ・ピークと呼ばれている。
カプシキ地方の多く点在し、そびえる単峰の岩山は西欧人ロッククライマーたちの格好の場所であるらしい。
 しばらくルムスキィのシンボルを眺めていたが、やがて厭きてホテルに帰ることにした。
今日も歩くのがとてもつらい一日になりそうだ。今日はこのあと、この村の散策の予定なのだ。
ホテルの門をくぐる直前、あいかわらずついて来る少年にズボンのポケットにあった飴をあげた。
「ボンボン、ブラザー、シスター」礼を言うどころか甘えて、さらに要求してくる。
「もうない!」
「じゃあ、ペンもくれ。学校へ行ってもペンがないから勉強できない・・・・・」
「ペン?ないない」
「ミスター・・・・・そのポケットにあるよ」
「え?」
自分で気づかなかったのだが、メモ書き用のペンをそのまま胸ポケットにさして散歩していたようだ。
もしかして少年はこのペンをあざとく見つけて、まとわりついてきたのかもしれない。
「これはアタシの旅の日記用。大切な一本しかないっ!」
「それならペンシルはないかい?」
「ペンシルはないよ」
「違うよ、ミスター。ミスターの国のあなたの家に帰るとあるはずだ。学校へ行ってもペンもペンシルもないから勉強ができない」
少年は半ベソでアタシに訴えかける、拙い英語で(それでもアタシよりかは数段流暢な英語で)。
「ミスター、その紙に僕の住所を書くから、送ってくれないか?」
ペンと同じく、日記用のカバーの手帳ではなく、メモ書き用のメモ帳がたしかに胸ポケットにある。
アタシは少年の根気に折れて、別にカメルーンくんだりまでやってきたご縁とはいえ、エンピツを送るつもりもなかったが、ささやかな友情のつもりで、長女から奪ってきた(笑)キティちゃんのメモ帳を彼に渡した。彼は、アタシから嬉々としてペンとメモ帳を受け取り、スラスラと住所と名前を書いてアタシに返した。名を―フェリ・フォリ・マジリ―という。
「では、もうホテルに帰るから、今日学校へは何時?」
「7時だよ。ミスター、出発は?」
「え~~と、6時半だよ、バスでね。じゃあ」
もう会うことはないし、ここは一期一会の出会い、快く手を振って別れた。

 そして、6時半―――。
二人はホテルの前でお互い罰悪く、バッタリ顔を合わせた。
―おい、フェリ・フォリ・マジリ、学校はどうした?―とつっこみたくてもつっこめない。
―ミスター、バスで出発するんじゃなかったにかい?―お互いさまだからだ。
今から、この村の散策の予定なのだ。今日、歩くのがとてもつらい一日になりそうだ。
フェリは同じ年頃の仲間を連れて、アタシたちのルムスキィ散策につきまとうつもりだ。
エンピツを送る気がないことに、後ろめたい気持ちもあったが、これでせいせいもした。
 出発したホテルの門からすぐ集団から離れてしまった。足のせいである。
アタシはフェリたちに付きまとわれるのを一手に引き受けたことになった。やれやれ、第2集団だ。
朝散歩した方向と逆の道沿いを行き、しばらく行くと大きな栗の木のようなマルラの木があり、そこから民家に入っていく。フェリがニタニタしながら手招きするからだ。
山にへばりつくように点在している民家をすり抜け、谷を降り、なんとか最初の集団に追いついた。
ガイドが占いをしてもらっているようだ。
どうやら、ここは呪術師(ウイッチドクター)の家らしい。
「―――アフリカは、他の地域と同様、精霊が満ち溢れている場所である。霊たちは、我々人間よりも高い次元に住んでいることは間違いはないが、神聖なる次元にというほどではない。精霊といっても、我々が親しみをもてる人間的欠陥を多くもっているのだ。ある霊は、我々の日常生活に悪影響を及ぼすので、贈りものや供儀でなだめねばならず、警戒もしなければならない。しかし、常時警戒できるだけの時間的余裕と経験をもっている人間は何人いるだろうか。遅かれ早かれ、誰もが悪質な霊のとりこになってしまうのだ。
 アフリカでは、どの共同体も最低一人の専門家を抱えてこのジレンマに対処している。
<ディンガガ>と呼ばれ、霊媒・占い師としての修行を積み、可視の世界と不可視の世界との間に調和と均衡を保つことを生業とする人たちである。彼らは、霊界と交流する際にトランス状態になったり夢を利用したりするが、同時になんらかの道具を使う人も多い。そのなかで最も知られているのが「骨」という一組の占いの道具である。どの霊媒<ンガガ>(<ディンガガ>の単数形)も、それぞれが特有の<ディオタオラ>と呼ばれる魔法の骰子―トーテム動物の関節骨、コヤスガイ、べっ甲のかけら、陶器片、そして古い硬貨などでできたもの―をもっている―――。『アフリカの白い呪術師 ライアル・ワトソン著 村田恵子訳 河出文庫 』より― 」
で、ここルムスキィの呪術師は、骨でもコヤスガイでもなく、蟹を使うらしい。
異常に痩せぎすで背の高い老人がサレの奥に座り、神妙な顔をしてツボの中をかなりゆっくりした動作でいじくっている。
ツボの中に土と水を盛り、そのツボの縁に木板片を並べ、そこに蟹を一匹放りこんで、蟹の動きにより木板片を読む、ことにより占うらしい。
この背の高い老人呪術師はダムハーといい、彼は97歳になる。
この老人が呪術師として有名人なのかどうかは知らぬが、観光目的で(笑)ルムスキィを訪れたことがあるひとなら、少なからず心当たりはあるはずだ。
「――私はリュムシキという村に来ていた。隣村から乗ってきたピックアップの荷台から私が降りようとすると、荷物を受け取ってくれる青年がいた。彼は来週から学校が始まるのにまとまったお金がないので、村を案内するガイドに自分を雇ってくれといってきた。彼の案内する場所を聞いてみたら、
「・・・・・・ウィッチドクター(呪術師)・・・・・・・・」という。
私は愉快になって彼について行くことにした。
 九十歳になるドウムハはたっぷり白いひげを蓄え、藍染の帽子に古ぼけたコートを羽織って現れた。
Vネックからのぞく胸や膝の破けたズボンから見える脚は骨ばっている。大きな丸い目は優しく印象的だ。以前タンザニアで会ったペテン呪術師などのような、いかがわしさは微塵もなく、身なりは貧しいが威厳を感じさせた。彼は問題解決のために蟹を使う。これはお祖父さんも代から三代続く方法らしい。
素焼きの壺の中には砂が敷き詰められていて、男や女、国、凶、などを表す木片を中央に置き、そこに壺を放すのだ。蟹は砂の上を歩きながら、ボードを動かす。そしてドウハムはその跡を読むのだった。
 私はこの旅の中でわくわくしながら待っていることがひとつあった。それはナイジェリアの強烈な呪術師に会うことだった。いくらイスラム教やキリスト教が入り込んでいようが、呪術は相変わらずアフリカの精神世界の根幹にあった。ナイジャリアの強烈な呪術の世界についてはナイロビにいる間に何度か耳にしていた。ある呪術師の葬儀のとき、周辺の呪術師が集まって祈りの言葉を唱えると、屍がムックリ起き上がって、ピョンピョン跳びはねるように移動して、自ら墓穴に入っていったという。この恐るべき証言をしてくれたのは、日本人の旅人だった。私はナイジャリアのどこかで呪術の現場に触れてみたいと思っていた。
「ナイジャリアのどこで私は呪術師に出会うだろうか」と尋ねた。ドウムハは今はもう廃れてしまったマルギ語で蟹に私の質問を伝え、蓋をしたボールの中に蟹を放した。一分ほど待ったろうか、蓋を持ち上げるや、ドウムハはすっとんきょうな声を上げて笑い出した。砂の上を見ると、木片はバラバラになることなく、元の形のまま隅に押しやられていた。私は不気味だった。ドウムハは部族語でガイドに何やら伝えるが、私は彼がなぜこんな声を上げるのかつかみかねていた。
間もなくガイドが通訳してくれた。「あなたの目論見はすべてうまくいく。呪術師はあなたの行くところに待っている」と。『楽園に帰ろう』 新妻香織 河出書房新書より―― 」
ずいぶん、アタシが訪れたときとダムハーの印象が異なるようだが(笑)、それについては触れまい(笑)。
旅人はいつだって情緒と主観が入り混じった世界を全面に押し出すものだ(笑)。
ダムハーも、あれから7年歳をとったのだ。
それよりなによりも、著書のなかででてきた「来週から学校が始まるのにまとまったお金がない」という青年がフェリ・フォリ・マジリの兄としか思えてならなくてしょうがなかった(笑)。
いや、それよりもルムスキィの青少年たちは親から、それとも「学校で」そう教わっているのかもしれない(笑)。
 そのフェリ・フォリ・マジリ(たいそう立派な名前だ)だが、アタシは彼にビデオやカメラなどを詰め込んだリュックを持たしていた。
仲間を従えるフェリはアタシのお供というわけだ。
ずっとアタシが片足を引いて歩いているのに、フェリは慈愛に満ちた相互扶助というアフリカの精神に立ち返ったのだだろうか。
「あとでペンをくれるか?」だったが(笑)。
フェリが連れてきたそのほかの少年たちは、「病気気味の父にあげるのだ」とタバコをせびる者(苦笑)や、あきらかに神聖なマルラの木ではない(笑い)木で彫った人形や楽器を「ペンを買うため」(苦笑)と、売りつけようとつきまとう。
観光化された他の国の商売人攻勢と比べれば可愛いものだが、歩くのに一苦労する今の状態ではあんまり精神上よろしくない。
娘のお土産にでも・・・・と、人形の形をしたマンドリンのような楽器を「いくら?」とは聞かずに(笑)、
「タバコと交換しないか?」と持ちかけた。
少年Bは少しとまどいを見せたが、「父さんに聞いてくる」といって一目散に丘を駆け降りて去って行ったが、すぐに戻ってきてタバコと楽器の物々交換は成立した。
 そのあとアタシはおばあさんのポット作りや男性たちの機織りを見学し、サレのなかをお邪魔した後、ルムスキィの村を離れる時間がやってきた。
 フェリともいよいよお別れだ。
バスに乗り込むとき、彼はいつの間にか横に従えた少女を妹だと伝え、彼女を指さしながらおねだりしてきた。
「ボンボンをくれないか?」
生憎、彼女にあげるキャンディはもうポケットにはなかった。
彼はあきらめきれないようで、妹の肩を抱き指さしながら席に座り窓から覗くアタシに何か叫んだ。
中古バスの重たい窓を開け、彼が言うことに耳を澄ました。
「ガドゥーーーーーーッ!!」





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