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元旦から2番目の日曜日。一年の計は元旦にあり!と意気込みで迎えた新年です。聖霊の臨在とイエス様の力を感謝します。
変わりたい変えられたいと多くの人が願っています。自分を変えるよりも人を変えることばかりに熱心な人もあるようです。
外見を変えることに熱心な人は、ダイエットと言えばスグ飛びつきます。今年テレビでナットウを食べてダイエットに成功したと放映(見なかったが)されたそうです。そうすると店頭からあっと言う間にナットウがなくなり始め、生産業者も追いつかないほど嬉しい悲鳴をあげているそうです。
クリスチャンは外形的なことに余りこだわりませんが、神の栄光をあらわすためにもっともっと変わりたいとの願いはあります。
ダイエットはそんなに難しいことではありません。20パーセント食べているものを減らし、20パーセント運動量を増やせばいいだけです。ダイエット食品もダイエット・サプリメントも不要です。要するに摂取量と消費量のバランスがシッカリ取れていれば大丈夫です。
また、ことばの問題だともある本に書かれていました。スリムな方々は食事をするとき、太るから食べないで置こうとか、何を食べてもすぐ太るなど、肥満に関することばを出しません。いくら食べても大丈夫!と言い方はするかもしれませんが・・・・。
それに比べて太っている方やダイエットをしている方は、食べたらすぐ太るとか、何を食べても身体についてしまうとか、甘い物やケーキが好きだから・・・・などと、常に肥るという意識でことばを出しているようです。
体調や自分の身体に関することで、今年は意識もことばも変えてみてください。身体に関することだけでなく、すべての面で前向きで肯定的なことばを意識して使ってみましょう。
なぜ変われないのか?私たちの回りには、こうしたらいい、ああしたらいいと言う方法論が満ち溢れています。ハウツーものの本もいっぱい出ています。決心もし実行もしてみるけれども、余り長く続かない。3日坊主(3日牧師とは言わない?)で終わってしまう。継続は力とは分かっているが、何かと理由付けをして怠けてしまい、すぐ新しい方法論に飛びついてしまいます。
ダイエットだとナットウが言いといえばすぐ納豆。寒天ダイエットもあるし・・・・限りない方法論があふれており、商品も提供されている。何事につけ成功した人々は、実行し続けた方々であることは自明の理である。
外見的なことだけでなく、心の問題はさらに実行する力が求められる。人間の心構えや意思はそれほど強くない。スグあきらめて投げ出してしまい、うまくいかない理由を外に求めて自分を正当化しようとする。
しかし、問題は内側にあり自分自身にある。そこで自分を責めるとウツになってしまうし、人を責めると傲慢で鼻持ちならない人間になってしまう。内側も外側もきれいに変われたら何と幸いなことか。
聖書はそのような変えられていく力を紹介している。
第一に、イエス・キリストの十字架によってすべての古いものが完全にぬぐい消され、帳消しになったと告げている。アーメンと信じれば新しい人生がスタートします。
第二に、イエス・キリストは十字架で死に墓に葬られたけれども、3日目に復活して今も生きている神であるから、その方を信じれば復活の力で生きることができる。新約聖書には力ということばが57回出てくる。ギリシャ語ではデュナミスと言うが、英語のダイナマイトはこのことばから来ている。ダイナマイトの力が信じるとき心に与えられる。というより死を打ち破ったキリストが、聖霊によって信じる者の心に宿ってくださるのです。
ハウツーではなくて復活の力が聖霊によりダイナミックに働いてくださる。不可能の乗り越え偉大な人生を与えてくださるのです。私は、私を強くしてくださる聖霊によってどんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)という変えられた生き方に変わるのです。新としが栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられている日々に変えられます。
ローマ人への手紙
7:16 自分の行ないが誤りであること、破っているおきてそのものは良いものであること、それは、よくわかっています。
7:17 しかし、どうにもできません。 それをしているのは、もはや私ではないからです。 悪を行なわせるのは、私のうちに住みついている、私より強力な罪なのです。
7:18 古い罪の性質に関する限り、私は自分が全く腐敗しきっていることを知っています。 どんなにもがいても、自分で自分に、正しいことを行なわせることができません。 そうしたいのですが、できないのです。
7:19 良いことをしたいと思ってもできず、悪いことをしないようにと努めても、どうしてもやめられません。
7:20 自分ではしたくないことをしているとすれば、問題点は明らかです。 すなわち、罪がなおも私をしっかり捕らえているのです。
7:21 正しいことをしたいと思っているのに、どうしても悪いことをしてしまう、これが人生の現実であるように思えます。
7:22 新しい性質をいただいた私としては、神様の意志どおり行ないたいのです。
7:23 -25ところが、心の奥深くに潜む低劣な性質には、何か別のものがあって、それが私の心に戦いをいどみます。 そして、ついに私を打ち負かし、いまだに私のうちに住みついている罪の奴隷にしてしまうのです。私は、心では、喜んで神様に従う召使でありたいと願いながら、実際には、相変わらず罪の奴隷となっている自分に気づくのです。
これで、私の実情がおわかりいただけたでしょう。 すなわち、新しいいのちは、「正しいことをせよ」と命じているのに、いまだに住みついている古い性質が、罪を犯したがるのです。 ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。 いったいだれが、このひどい低劣な性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。 ただ神様に感謝します! 主イエス・キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。
[ 8 ]
8:1 こういうわけで、今やキリスト・イエスに属する人は、有罪の宣告を受けることがありません。