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23日(月)朝5時半に「生駒駅を出て大阪伊丹空港へ。午前8時半の直行便で奄美大島へフライト。奄美空港からバスで1時間奄美市バスターミナルへ着く。
旅行車が予約してくれたトロピカルホテルへ5分ほど炎天下の中を歩く。チェックインの時間まで4時間もあるが部屋の掃除が済んでいるのでどうぞと受付の女性が親切に言ってくれた。言葉に甘えて早い時間のチェックイン。その方に名刺と「天の虫けら」をわたし、インターネット放送と礼拝案内をする。
奄美の知り合いの松夫佐江様(80歳)の電話をすると、早速ホテルまで会いに来てくれた。奄美は初めてと言うと案内をしてくれるという。2月に舌ガンの手術をなさり、ことばに少し不自由が残っている。運転免許は57歳のとき取得。安全運転で観光名所を回ってくれた。
美しい海岸の木陰で涼をを取りながらゆっくりお話を聞く。系図を取り出し、お祖母様が父と従姉妹であり、母親が叔父様(父)のことを覚えておりいつも話していたので、私に会えたのがものすごく嬉しいと長時間の案内を恐縮するほどに親切にしてくださった。
松 夫佐江
一九二七年、徳之島阿権生れ。父真宗二、母よき長女、鹿児島高等家政女学校卒。戦後、教師の松玄栄と結婚、五四年死別。名瀬市立保育園保母、所長など三四年間勤める。現在「あおばと通信」編集発行人。
活発な市民運動家でもある。一九四六年、伊仙で開催された徳之島四ケ町村連合青年団の弁論大会に伊仙村代表として出場「新時代の青年の生き方」と題して熱弁、美人弁士の登場で二千人の聴衆は拍手と指笛で応えた。
日本婦人有権者同盟大島支部長、県立図書館奄美分館読書会会長、名瀬市美術協会副会長、田中一村会監査員、島口大会への出場、島ゆむた保存会、地名専門学校など数多くの団体に参加、頼まれれると断り切れず役員も引き受ける。そのうち重点を見極めて集中したいとも言う。
九三年に自分の出生地である阿権の出身者を対象に「あおばと通信」と言うミニコミ紙を季刊で発行した。島口、伝説、消息、先人紹介など郷土史の記録としても重宝がられている。多忙な中で絵も書いている。県美術展、名瀬市美術展、県女流美術展にも出品、九八年に奄美文化センターで第二回個展を開催した。今までの入選作品二〇点中心に六〇点の作品を出品した。
《参考文献》「南日本新聞」九三年七月七日、九八年十一月二六日。「南海日日新聞」九八年十一月二七日、「道之島通信」八号。『島興し通信』(松田清編集)三四号、六一号。 (徳之島先駆者の記録より)
ヘブル人への手紙
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。
「主は私の助け手です。私は恐れません。
人間が、私に対して何ができましょう。」
13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。