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昨日は久しぶりに神学生全員と生駒山に登った。真っ先に走るように上った神学生は道に迷い、平地を歩くときはフウラフウラと頼りないと思っていた神学生はしっかりと一番で登頂した。100キロ超の神学生は身体中から湯気を立てるように大汗を流しながら2時間余かけて登りきった。
強力に導かれて富士登山をしたことがある。40年間も富士山で強力をしている彼のアドバイスは、余分な荷物を持つな。自分より先に行くな。自分から遅れるな。自分と歩調を合わせろだった。シッカリとアドバイスどおりに山頂まで元気に歩いたことなどを思い出す山歩きだった。
ちなみに学院から山頂までは8000歩(約5キロ)、下りは大阪側を回り9500歩(約6キロ)、午後から大阪の教会へ出かけたので、25,700歩(約14キロ)も歩いた一日だった。
「天の虫けら」(14)・・・キリストの救い
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行ったり行かなかったりの週が続き、十一月下旬になった。長崎県対馬でヨット伝道をしている牧師が講師として来島し、公民館で伝道会が三日間開かれた。最後の日は教会の礼拝だった。
バイブルクラスに出席するようになって八ヵ月目、初めてキリスト教の教えを系統的に聞いた。
天地宇宙を創造した唯一の神は、目で見ることのできない霊的存在であり、人格をもつ天の父である。全知、全能、偏在、永遠、不変であり、聖い義なる神、公平で完全な神、しかも愛である神がおられる。
そのような神を天の父と呼べるのに、人間が不幸なまま生きているのは罪があるからである。罪の支払う報酬は死であり、そのために地獄がある。罪とは法律違反であり、法治国家であれば法が裁き、道徳的な罪は良心が裁くが、人の良心は麻痺しており、道徳は変転極まりない。そして罪の本質は、人が神から離れて己を義とし、神を認めず信じないことである。人は生まれながらに罪人であり、神との関係では霊的に死んでおり、肉体の死と同時に滅び、やがては審かれ、地獄へ行く。
どのように宗教や哲学、教育や学問を学び、道徳や修養を重ね、世界中の富を手にし、栄耀栄華を極めても、罪があるかぎり平安も喜びもない。富や地位や名誉、人の善行では、救いを得ることはできず、人は滅びへと向かっていく。
イエス・キリストがこの世界に来られたのは、人類の罪を背負い、十字架に死ぬためだった。人間の罪だけでなく、病気や呪い、貧乏やすべての重荷、死と滅びを、自ら十字架に背負って死なれた。キリストはあなたを愛して、十字架に死なれ、墓に葬られ、三日目に復活された。心を開いてお迎えすれば、今すぐに心にお入りくださり、救ってくださる。
何か感動した。母は自分のいのちを削るようにして、私を愛してくれた。しかし、病には勝てず、三十七歳のいのちを閉じた。父の愛は厳しさだけだったように思う。ガールフレンドも友人も、私のためにいのちは捨てなかった。そういう自分も、だれのためにも死んでいないから生きている。
イエス・キリストは頼みもしないのに、私のために死なれたということだ。すごい人だと思った。話の終わりに「イエス・キリストの救いを受けたい人は手を上げてください」と招きがあった。だれも手を上げなかったので、牧師は『讃美歌』五一五番を歌っている間に決心するようにうながした。
「十字架の血に きよめぬれば 来よ」との御声を われはきけり主よ われは いまぞゆく 十字架の血にて きよめたまえ
という歌詞だった。
私には小学校五年生のころから、きれいな心になりたいと思う時があった。種子島は高い所でも二三〇メートルくらいだが、向かいにそびえる九州最高峰の宮の浦岳を望む屋久島の峰々には、真っ白な雪が見える。白雪を仰ぐ時、きれいだなあ、雪のように純白の心になれたらいいのにと、何度も思ったものである。
今、その願いがかなおうとしていた。イエス・キリストの十字架の血、罪がない神の子がむちで打たれ、十字架に両手両足を釘付けられた。耳に聞こえる讃美歌が、無条件の愛で今、血が流れる両手を広げて招いている声に聞こえた。「主よ、われは いまぞゆく 十字架の血にて きよめたまえ」。目を閉じて、思い切り手を上げた。その日、その瞬間、私は救われた。ただ信じただけだったが、心に感動と平安をもった。喜びにあふれて顔を上げ、胸を張って下宿へ帰った。これでよかったのだ。罪は聖められ、真っ白な心にされたのだ。
詩篇
51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、
罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
そうすれば、私はきよくなりましょう。
私を洗ってください。
そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、
喜ぶことでしょう。
51:9 御顔を私の罪から隠し、
私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
51:10 神よ。私にきよい心を造り、
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、
喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、
あなたの道を教えましょう。
そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。