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昨日は久しぶりに電車で淀屋橋まで往復し、車中で人間関係の力(五木寛之著)を読みました。
著者は、40代後半から50代にさしかかったころ、かなり長い期間、うつ状態が続いたことがありました。うつ病と言うよりうつの気分だそうです。
そんなとき「喜びノート」を書き始めました。一日のうちに、何か一つ、これはうれしかった、ということをみつけて記録するそうです。どんな小さなことでも良く、「今日はネクタイが一度できれいに結べて、うれしかった」と必ず、うれしかったと最後に書きます。何もなくても、「今日は無事に過ごせてうれしかった」と、必ず一行でもうれしかったと書きます。
60代になって同じような気分になり、今度もうれしかったと書いてみましたが、うまくいきませんでした。それで今度は、「悲しかったノート」にしてみたら、かえって気持ちが解放るような気になり、「よろこぶ」ことと、「かなしむ」こととは、両方とも心の大事な働きなのだな、と、あらためて感じて鬱屈感から自由になったそうです。
70代になって三たび鬱の気分が訪れてきました。三冊目のノートは、「ありがとうノート」になり、毎日ありがとうということばを書きました。
今朝のデボーションはローマ 8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」でした。
そして、昨日の五木寛之著の人間関係の力からヒントを得て、「感謝ノート」を必ず手帳に書き続けてみようと決めました。そのような水曜日の朝です。
ローマ人への手紙
8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36 「あなたのために、私たちは一日中、
死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」
と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。