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今朝はパソコンの調子が悪く、ブログの書き込みができませんでした。娘や息子の協力によりやっとに正常になりました。
今年も、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ1:16)と決意を新たにして祈っています。
天地創造のとき、地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていました。「光あれ」とのことばで光があり、神は光を良しとされました。
08年の日本の霊的状態も、茫漠として何もないような状況に見えるますね。霊的暗黒が地を多い、政治、経済、教育界とも混沌としています。キリスト教会の現実も宣教150年になりました。プロテスタント信者は60万名余。礼拝出席平均が30数名という現実です。
韓国や中国、インドネシアやフィリピン、東南アジアの国々だけでなく、オーストラリアやアメリカ、ヨーロッパの国々、南アメリカやアフリカの諸国からも、教会が大々的に成長している報告やうわさが流れてきています。
「主よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」(ハバクク3:2)との祈りを自らの祈りとしています。
今、日本に必要なのは福音の幅広い宣教です。茫漠とした世界に、神が、光よあれ!とことばを出されたように、イエス・キリストの十字架の福音を率直に信じ、アーメンと言えば救われる!のです。信じるなら誰でも救われます。
神のことばは生きていて力があります。天地創造のとき、神が仰せられた。そのようになった。神はそれを見て良しとされたとあるように、福音のことばが語られるとき、救いのわざがなされるのです。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」ローマ10:13-15
| 「天の虫けら」(68)・・・ノボシビリスク |
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| 次の訪問地ノボシビリスクはシベリア最大の都市だ。VIP並に空港まで案内され、だれよりも先に飛行機に乗せてもらう。しばらくほかにだれも来なかったので、一人のために飛ぶのかななどと心配する。ノボシビリスクに到着すると、ソーニャと言う美しいガイドが、機内に迎えにきてくれ、皆より先に降りる。観光案内はタクシーで、彼女が説明してくれる。第二次世界大戦の二万人の戦死者モニュメントの所で、「戦争は嫌い」と彼女は言った。カミュの墓や市内の主要な建物を回り、説明を聞く。 この町でも公認バプテスト教会を探したが、町はずれも町はずれの田舎にあった。バスで一時間半も行った所でやっと見つけたが、集会日なのに礼拝をやっていない。牧師もいないし、門番の老婆が一人いるだけ。要領を得ず、二冊だけ聖書を置いて帰った。今考えても、あんな所までどうして行けたのか不思議だ。きっと主が、「これが道だ、これに歩め」(イザヤ30:21)と導いてくれたのだろう。 この町に四日も滞在する予定になっていたため、ソーニャさんの勧めで夜はサーカスへ行った。その途中、ハリストス正教会で行なわれていた結婚式に紛れ込んで、若い二人の祝福を祈り、記念写真をいっしょに撮り、持っていた聖画とトラクトをお祝いに贈った。 ノボシビリスクには、世界最長のオビ・エニセイ川が流れている。アムール川での船旅に味を占め、今度もまた船に乗ることにした。切符を買えたので、最初に出る船に乗り込んだ。満員状態だが、こちらからあちらへと両岸をゆっくりと進む。人々は次々に降りていき、二時間くらい過ぎたら、ほんの数人になった。そのうち二つの川が合流する地点まで来た。さすがに不安になり、このまま北極海まで行くのではなどと考えはじめていると、川の合流地点で船は向きを換え、今来た行路をゆっくりと戻りはじめた。ホッとした。何とも頼りなく、心細いひとり旅だ。 |