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早く起き、植木がたくさんあり少し歩くと山もあるホテルの周りを一万歩。きょうもゆとりのスタートです。
今日はここから一時間弱の八女市フロンティア祈りの家(近藤雅子牧師)で、午前中地域の救いを祈る会が行なわれ、久留米市や筑後市、八女市牧師が集まるとのこと。月一度持ち回りで地域のリバイバルを祈るすばらしい時です。
午後には伝道会が計画されています。
ラジオ放送希望の声 愛するということ
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 (?ヨハネ4:19)
人には愛されたいという欲求があります。それはどんな欲求よりも強いものです。
健康な体を保つためには、欠かすことのできないものが二つあります。一つは食物です。もう一つは適当な運動です。食べなければ運動できません。食物を摂り入れ、それをエネルギーとして放出する時、肉体は健康を維持することができるのです。
健康な心・精神を保つためにも、欠かすことのできない要素が二つあります。一つは愛されることです。もう一つは愛することです。愛されるとは愛を摂り入れることであり、食物を食べることに似ています。一方、愛するとは愛を与えることであり、運動としてエネルギーを発散させることに似ています。
愛するためには、まず十分な愛を摂り入れる必要があります。人は愛されることによって初めて、愛する力をもつのです。
あなたがこの世に生まれてきたということは、すでに愛を体験した証拠です。理想的には子どもは親の愛の結晶ですね。たとえ理想的でなかったとしても、お母さんが新しい生命の誕生のために、十ヵ月も体を気遣い、不便を忍んで、子どもを産み出したこと自体、すでに愛されていることです。
生まれてきたので、生きているのです。生きてこられたのは、だれかが愛して世話をしてくれたからです。ある統計によれば、人間一人生存するためには、二〇〇万人の人がかかわらなければいけないそうです。
私たちはしばしば、他の人が自分を分かってくれない、自分の本当の姿を理解してくれないと悩みます。
おじぎ草という草がありますね。そっと触っても、すぐにサーっとしぼんでしまいます。私たちもほんのちょっとしたことで心を閉ざしてしまい、だれも自分のそばに近づけようとしなくなります。あなたは今日、いかがですか?自分を愛してくれる人はだれもいない、自分はひとりぼっちだ、だれも自分を分かってくれないと嘆いていませんか?
あなたに分かってほしいのです。神が愛であることを。そして、神の愛はあなたの心を暖かい太陽のように包み、いやしてくださるのです。どんなに堅く閉ざした心をも、神は十字架の愛によっていやし、包み、理解してくださいます。
私が聖書学院一年生の時でした。ある集会で、寂しそうな、険しい顔をした青年に出会いました。私はただ一つ確実に覚えていた聖書のことばを語りました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16)
あなたは、神に愛されている!
あなたのために、イエス・キリストは十字架に死んでくださった!
あなたのどんな罪も赦される!
あなたは神の子になれる!
あなたは神のいのちをもつことができる!
あなたは新しい人生を生きることができる!
青年の目に涙がありました。実は、彼は殺人を犯して逃亡中だったのです。神の愛は彼を捕らえ、彼は救われました。自首し、立派に更生することができました。
今日、神の愛に心を開き、新しい人生に旅立とうではありませんか。
オランダに、コーリー・テン・ブームという、世界的に有名な婦人がいます。
第二次世界大戦の時、彼女の家族はユダヤ人をかくまったという理由で、ドイツの収容所に入れられました。彼女の両親と姉妹は、残忍な拷問に耐えきれず、収容所で死んでしまいました。しかし、彼女は耐え抜き、九死に一生を得て、オランダに帰りました。そして神学を学び、イエス・キリストに身を献げ、世界中を回って神の愛を語るようになったのです。
神の愛を語る時、彼女はいつも「もう一つの声」が語りかけてくるのを聞きました。それは「数多くの人々を虐待したドイツ民族が、罪責感にあえぎ、苦しみ、悩んでいるから、そこへ行って、赦しの福音を語れ」という声でした。彼女はかつての辛い経験から、ドイツにだけは行きたくなかったのです。しかし、強く促す神の声に逆らうことができず、仕方なく出かけました。
コーリー・テン・ブームは、ドイツの人々に、神の赦しの愛を語りました。
イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、すべての人々の罪を背負い、赦すためでした。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、自分を釘づけた人々のために、キリストは祈りました。「七度を七十倍するまで」(マタイ18:22)赦しなさいとも教えられました。
敗戦の中で、罪責感にあえぎ、霊肉ともに病んでいたドイツの人々は、この「赦しの福音」を聞いて、神様に感謝し、喜んだのです。彼女の話を聞いて、多くの人々が救われました。またさまざまな病気が治った人もたくさんいました。彼女が話し終えると、人々は列をなして握手を求めてきました。
しばらくの間、次々と差し出されてくる手を握っていたコーリー・テン・ブームは、彼女の前に手を差し出している一人の男性を見て、思わずその場に立ちすくんでしまいました。心臓が止まる思いでした。その男こそ、強制収容所で彼女を裸にし、拷問した兵士だったのです。
その男は何も気づいてはいません。みんなと同様に、手を差し出していました。彼女は収容所時代を悪夢のように思い返し、手を差しのべて握手する気持ちには、到底なれませんでした。そして男が手を差し出している短い時間が、まるで何千年ものように思われました。
神の愛を語り、勇敢にキリストの十字架の赦しを語った彼女です。しかし、彼女の家庭と青春を無惨にも踏みにじったこの男を、どうして赦すことができるでしょう?
コーリー・テン・ブームは心の中で祈りました。「主イエスさま、私はどうしてもこの男を赦すことができません。どうか私を助けてください」。その時、イエス・キリストの御声を聞いたのです。「わたしが、わたしを十字架に釘づけた人を赦したことを、あなたは知っているでしょう?また語ったでしょう?早く手を差し出して握手しなさい」。
その声を聞いたコーリー・テン・ブームは、鉄の塊のように重くなった手を差しのべ、その男と握手しました。まさにその瞬間でした。神の愛が豊かに注がれたのです。神の愛が全身を覆い、彼女は涙を流し、心のそこからその男を赦すことができました。彼女は自分の体がまるで十年も若返ったような気持ちさえしました。
あなたは今、心の中に、どうしても赦すことのできない憎しみをもっていませんか?聖書は、「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と教えています。
人の過ちを赦すことは決して容易なことではありません。しかし、
第一に、赦すことは、神様の命令です。
第二に、赦すことは、自分自身の心のために必要です。
第三に、赦すことによって、隣人と温かい関係を結ぶことができます。
神様は赦す人の祈りを聞き、幸せで包んでくださいます。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、十字架上で祈ったイエス様が、あなたの心の中に住んでくださいます。
今、イエス・キリストを心にお迎えください。