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きみは愛されるため生まれた @ Re:お祈りのお願い(03/16) 初めまして。聖句を探していてここに辿り…
青丹芳 @ Re:生後一カ月の男の子を残して交通事故死(06/13) わが友へのお祈り、ありがとうございます。
エリムエコー @ Re[1]:三拍子そろった幸せを(08/09) チェリー・ちぇりーさん >はじめまして。…
チェリー・ちぇりー @ Re:三拍子そろった幸せを(08/09) はじめまして。 「牧師」さんなのですよ…

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2009/02/14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 聖書のことばに真っ直ぐに従い、生きて生きたい!キリストのほんとうの弟子として。

第一コリント10:1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。

 旧約聖書のできごとは、現代を生きる私たちへの雛形として記されている。

 私たちへの戒め&教訓=10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

忍耐=ローマ15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

 教え・戒め・矯正・義の訓練=テモテ第二3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
 律法の一点一画すべてが成就=マタイ5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
マタイ24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

 私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、(モーセに従う弟子としてバプテスマを受けたという意味があります)
 このことは、私たちがアーメン。信じますとイエス様を受け入れ、バプテスマを受けてイエス・キリストの弟子になったことを現します。私たちはほんとうのキリスト弟子になる幸いを経験しました。私は洗礼を受け52年です。

10:3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、マナは天のパン(御使いの食べ物)御霊のパンです。マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
 あなたのデボーション(毎日聖書を読み、恵みを受取ること)は、天国のマナを食する喜びで満ちていますか。天国の食物の栄養失調にならないように!

10:4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

 コリント第一12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

 さらに彼らについてきた岩は、40年の荒野の旅でいつも渇かないように彼らに飲み水を与えました
ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。



10:5 にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
10:6 これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。

 気をつけなければならない第一のことが、悪をむさぼらないことです。いつも告白を続けています。詩編1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、  あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。

 第二番目に気をつけなければならないことは、偶像崇拝です。
10:7 あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。
 偶像礼拝は形ある物を拝むことです。クリスチャンで実際の偶像を礼拝するものはいないでしょうが、偶像の国に住む私たちは十分気をつけて、偶像から離れ、神以外のものを第一にしないように気をつけてください。

10:8 また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。

 次に不品行です。偶像礼拝には、飲み騒ぎ遊びが浮かれ踊ることがつき物です。生駒聖天や十日恵比寿の祭礼、岸和田のだんじり祭り、天神祭や祇園もすべて不品行を奨励する馬鹿騒ぎの祭りです。イギリスでは13歳と14歳で両親になったとニュースも流れている時代です。芸能界は不品行を青少年に撒き散らしています。純潔に対する情熱的な愛が必要です。

10:9 私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。
 主を試みることも罪です。
 今日のデボーション民数記21:4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、
21:5 民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
21:6 そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。
21:7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
21:8 すると、【主】はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」
21:9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

10:10 また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。
 また主につぶやくことも罪です。イスラエルの民は何度もつぶやいたと、聖書には書いてあります。不平不満、泣き言、文句、悪口、すべてから解放され、御霊の実に満たされて前進しましょう。
10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

 いやそうは言っても牧師よ。人生は厳しいものですよ。あなたのように世の中を知らない者は、聖書に書いてあるからアーメンですかと、大声で叫ぶけれども、私の厳しい現実を見てください。やはり人生の酸いも辛いももっと経験してから牧師になられたら良かったですね。と言われました。
 確かに若い日に、イエス・キリストを信じて献身し、この春で早くも50年を迎えます。生駒に来て半世紀も過ぎたかと思うと感無量です。本籍地を生駒市俵口町951番地に持っているのは、生駒聖書学院創立80年の歴史の中で、私だけだと思います。
 人を救い、真実のキリストの弟子として育て上げるのは、経験や人生の体験も役立つでしょうが、まことの神のことばと聖霊による導きだけです。
愛するあなたが聖書に導かれて、聖霊に満たされた人格を保ち、神様と人の前でも責任ある「キリストの弟子として成長することにいささかの不安もありあません。
最後に、
10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
を結論といたします。
 そのときにこの聖句をしっかりと心に留めておいてください。みことばを暗記することはすばらしい恵みです。

 ヨベル聖会のとき、22歳の詩人に会いました。早瀬さと子さんです。ブログに、原因不明の全身慢性疼痛「線維筋痛症」と闘う22歳の記録があります。
 著書も2冊、虹色の夢と心、いずれも文芸社刊。
詩の展覧会を10回行い1万人が入場。絶対に詩を写させない。覚えてもらうそうです。春はいのち。秋は平和。入場無料なので覚えたい詩の前にたたずみ、5日間連続で来館し、その詩を自分に染み込ませている方もあるそうです。感動とともに話を聞きました。
 神様のみことばが身体に染み込むまでに、頭にも心にも覚えたいものです。

第一に試練や誘惑は必ずあり、襲ってくるということです。

第二に、どのような試練も誘惑も世の常でないものはないということです。そしてどのような試練や誘惑にも打ち勝った人々が必ずいるということです。「」自分ほどひどい目に会ったものはいないと思うとき、雲のような証人たちが私も同じような試練に会い、耐え抜き勝ち抜きましたよと、語りかけてくれる声を聴いてください。

第三に、逃れる道、脱出の道が備えられいることを覚えてください。ギリシャ語では、ekbasis(エクバシス)で、隘路=狭い道、細い山道から出る道という意味です。屈服の道や退却の道ではありません。アメリカ・コロラド州の山間を走る道、急に細くなり行き止まりに見える。多くのドライバーがUターンして別の道を探すそうです。ところが注意深く見ると、小さな立て札があり、通り抜けられますと書かれています。注意深く少し行くと、また快適なドライブウエィが続きます。

最後に、神は真実であることです。それにまさる幸せはありません。神の契約にアーメンと実印を押すとき、神の愛と真実の恵みを豊かに体験できるのです。
 第二コリント1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。
1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。





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Last updated  2009/02/15 12:18:42 AM
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