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彼は、荒野で叫ぶ声として現れます。
神はどこにいるのか。
荒野は神のいるところ=ヨハネはそう信じていた。
ヤコブは荒野のベテルで神と会いました=創世記 2 8章
モーセはシナイの荒野で岩だらけの山で十戒を授けられた=出エジプト記 3 章 &20 章
ヨハネは、ただひとり荒野に住み、ラクダの毛の衣をまとい、腰には皮の帯を締め、食べ物はいなごと野蜜だけ。
父ザカリヤと母エリサベツから聞いたメシアのキリストが来ることを期待し、救い主到来の預言を信じました。
その救い主がいつ来るのか、どこに現れるのかまた区分からない。ヨハネは、この救い主の出現を予告し、人々にか語りかけ、心の準備をさせようと語り始めました。
人々が集まるヨルダン川のベタバラの岸で、預言しながら、きよらかな冷たい水で、洗礼=バプテスマを施します。私たちは、バプテスマのヨハネと呼びます。
心をきよめ、魂をきよらかにして、救い主とともに新しい生活を始めようと叫びました。
神を信じ、謙虚に罪を悔い、赦しを受けるとき、幸あふれる人生になります。きれいな心になってこそ、人格は磨かれるのです。
そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。
そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『 主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」
それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」
彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」
ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」
兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。ルカ3:4-15