北欧(コペンハーゲン、オスロ、ストックホルム、ヘルシンキ) 1
イタリア旅行(ナポリ,ローマ,アッシジ,シェナ,ベローナ他) 9
イタリア旅行(ミラノ,ヴェネツイア,フィレンツエ,ローマ,ポンペイ) 8
南イタリア旅行(シチリア、アルベロベッロ、ナポリ) 8
南フランス旅行(ニース,モナコ,プロヴァンス,アルル,パリ) 1
フランス(モンサンミッシェル、ロワール、ルーアン、パリ) 8
全62件 (62件中 1-50件目)
【静かな源兵衛川流域】【流域は遊歩道になっている】【川の水が澄んでいて綺麗です】 静岡県三島市駅周辺の源兵衛川流域を 散策してきました。 三島市は、富士山爆発時の溶岩台地で 形成されていて、 いたるところに富士山からの湧水があり、 きれいな川が流れています。 (#^.^#) 🎐 ☀
July 12, 2022
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【青空に聳え立つ開聞岳】【知覧武家屋敷通りを散策】【鹿児島市内の鶴丸城址を観光】【桜島で灰に埋もれた鳥居を見る】【磯庭園・島津家別邸】 先週、会社入社同期会で鹿児島旅行をしてきました。 鹿児島は2度目ですが、見ていないところがほとんどでした。 久々に同期の仲間と親交を深め、楽しく過ごしました。 (#^.^#)
June 4, 2022
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【会津磐梯山】【田季野のわっぱめし】【飯盛山の白虎隊自刃の地】【塔のへつり】【大内宿】 ゴールデンウェーク明けの10日~12日まで、ウォーキング仲間と 会津若松を旅行してきました。 お天気に恵まれ、新緑を満喫してきました。 (^◇^)
May 15, 2022
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2019年11月25日、バス旅行で千葉県の養老渓谷、東京ドイツ村に行ってきました。途中冨浦でサザエ、アワビ、ハマグリの海鮮浜焼き、鯛飯で昼食をとりました。アワビもサザエも動いていて、グロテスクでしたが、新鮮で美味しくいただきました。【養老渓谷へ下る】【渓谷を下ったところにある、粟又の滝】【一部紅葉がありましたが、イマイチでした。】【東京ドイツ村のイルミネーション】【🎄クリスマスイルミネーション】 (^◇^)
November 28, 2019
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会津田島駅でレンタカーを借りました。大内宿で昼食をとり、桧枝岐の山びこ山荘に宿泊し、翌日尾瀬沼を散策してきました。 (^◇^)【尾瀬・大江湿原を行く】【大江湿原から燧ケ岳を望む】【ゴゼンタチバナの赤い実】【気品のある紫のエゾリンドウ】【山びこ山荘の前で】 (^◇^)
September 27, 2019
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【尾瀬山の鼻 植物研究見本園にて】【至仏山を望む】【見晴で宿泊した尾瀬小屋】【豊富な水量の三条の滝】【ニッコウキスゲ】【野アザミ】【カキツバタ】【カラマツソウ】【尾瀬沼畔から燧ケ岳を望む】【ニッコウキスゲが咲く大江湿原】 コーラスグループで尾瀬に行ってきました。 夏の尾瀬は50年ぶりでした。 ちょうどニッコウキスゲが満開でした。 山小屋は料理が美味しく、 トイレはウオシュレットで、 お風呂がついていました。 (#^.^#)
August 8, 2019
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伊勢神宮を参拝する旅に出てきました。新幹線で大阪阿部野ハルカスで昼食、観光特急「青の交響曲」で奈良入り。奈良ホテル泊。翌朝、興福寺の五重塔、猿沢の池を散策。観光特急しまかぜで伊勢入り。伊勢神宮外宮参拝。英虞湾賢島、サミットが開催された伊勢志摩観光ホテル泊。伊勢神宮内宮参拝。名古屋経由で帰京。梅雨の晴れ間のお天気に恵まれ、伊勢神宮を参拝できました。 (^◇^)【奈良ホテル正面】【アインシュタインが弾いたピアノ】【興福寺の五重塔】【猿沢の池】【特急しまかぜの弁当】【伊勢神宮の外宮参拝】【英虞湾遊覧船で賢島へ】【伊勢志摩サミットが開催された伊勢志摩観光ホテル】【ホテルからの景観】【伊勢神宮・内宮参拝】 (#^.^#)
July 3, 2019
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【渋谷区文化センターで開催された書道展】 子供の頃から生まれ育った渋谷区桜丘の街が、テーマとなっている。【力強い筆使いで書かれている】 この書は、筆3本で書かれたものだそうです。 【渋谷駅前、桜丘の桜並木】 4月5日、親戚のM氏の書道展があり、 渋谷まで出かけました。 ちょうど桜が満開で、 桜通りは、花吹雪が舞っていました。 (#^.^#) ✿ ❀
April 10, 2019
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12/19~20、草刈り仲間と、 日本三大名瀑の一つの袋田の滝で 忘年会をしてきました。 道すがら、西山荘を訪ねました。 袋田はホテル浪漫館に宿泊して、 ゆったりと温泉に浸かって、 美味しい料理を食べて、 のんびりしてきました。 翌日は近くの月居山を 2時間ほどハイキングしました。 お天気もよく、 気持ちのいい年末のひと時を 過ごしました。 (#^.^#)【袋田の滝】 穏やかさと荒々しさを併せ持つ名瀑。 日本三名瀑のひとつに数えられている。 平安時代の歌僧・西行法師は袋田の滝を見て、 「 花もみち 経緯(ヨコタテ)にして 山姫の 錦織出す 袋田の瀧」 と詠い、その魅力を称えました。【西山荘】 西山荘は茨城県中北部、 常陸(ひたち)太田市にある山荘。 水戸2代藩主徳川光圀(みつくに)が 没するまでの10年間、 隠居生活を送った場所です。 (^◇^)
December 29, 2018
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2018年11月7日(水)日帰りバス旅行で、 日光に行ってきました。 東照宮付近は標高約700mとかで、バスを降りると、 空気がヒンヤリとしていました。 真っ赤なモミジを見ながら、 晩秋の日光を楽しんできました。 (*^-^*)【日光の紅葉】 紅葉がちょうど見頃でした。 今年初めての紅葉狩りです。【日光金谷ホテル】 日光金谷ホテルでコースランチを食べる。 かつて吉田 茂、ルーズベルト大統領、 ガンジー首相、ヘレンケラーなど、 国内外の要人が宿泊したホテル。 大正~昭和初期のままのホテルは、 当時の日本を偲ばせます。【日光東照宮「陽明門】 平日にもかかわらず、 東照宮には多くの人が参詣していました。 外国人が多いのにも、びっくりしました。【陽明門の繊細な彫刻】【「見ざる」「聞かざる」「言わざる」】【眠り猫 (=^・・^=) 】 猫はあまりにも小さかった。 子供が就学旅行で日光に行き、 「猫が小さかった」 と作文に書いたのを思い出しました。 (家内より。)【徳川家康の墓】 家康は、ここに眠っていたのか・・・。【境内の上新道】 広い上新道には玉砂利が敷かれ、 歩くとサクサクと音がしました。【輪王寺「逍遥園」の紅葉】 円内は紅葉が真っ盛りでした。 徳川家光が、 何度も夢に出てくる祖父(家康)を 狩野探幽に描かせたという 肖像画などがありました。 (#^.^#)
November 8, 2018
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10月18日~19日まで、北八ヶ岳トレッキングをしてきました。縞枯山荘に1泊。標高2,300m~2,600mの立ち枯れの原生林と苔の絨毯に覆われたコースで、ハイマツとシャクナゲが息づく溶岩台地の坪庭、ひっそりとたたずむ雨池などを散策してきました。紅葉は、ピラタスロープウェイの下(標高1,800m)ぐらいまで降りて来ていました。縞枯山荘は標高2,300mぐらいで、手袋がないと、手がかじかむぐらいの寒さでした。夜中に山荘の窓から、満天の星が見えました。(#^.^#)【ピラタスロープウェイから見た落葉松の林】【ハイマツ、シャクナゲが息づく坪庭】【原生林の林の中に、ひっそりとたたずむ雨池】【茶臼山(正面)に向かう】【茶臼山の展望台で。左上が八ヶ岳連峰】【立ち枯れの原生林を行く】 📷 (*^-^*)
October 20, 2018
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バスツアーで、 佐原あやめ祭りに行ってきました。 お天気は終日曇り空でしたが、 雨に降られることなく、 涼しい佐原の湖畔の風を感じながら、 歩いてきました。 (^◇^)【古い街並が残る佐原市内】【川には観光の船が並ぶ】【さわらあやめパーク】【船に乗ってあやめパークを一周する】【ピンクの睡蓮の花が咲いていました】 (#^.^#)
June 15, 2018
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10月に入り比較的お天気のいい日に、合唱・草刈り仲間5人で、筑波山登山をしました。筑波山登山は、およそ50年ぶりです。子供の頃には親と一緒に行ったり、また学生時代には友達とハイキングを楽しんだことがあります。暫く山登りをしていないため、体力が持つかどうか、若干心配でしたが、みな無事に山頂まで行って、降りてきました。紅葉にはまだ早かったのですが、新鮮な空気を胸一杯吸って、リフレッシュしました。 (*^-^*)【筑波山神社から登り、帰りは別のコースでここに降りてきました。】【森林の中を、ひたすら歩きました。 筑波山と言って、侮れない。 厳しい!! O(≧▽≦)O 】【途中、色々な奇岩がありました。 これは、ガマ石 】【弁慶7戻り。 弁慶がこの下をくぐろうか、やめようかと、 7回逡巡したという】【胎内めぐり】【登山道途中にあった分岐】【山頂には雲がかかっていました。 茨城県T市の小学生3年生クラスで登ってきました。】下山した後、温泉で汗を流して気分は爽快。体重計に乗ると、1kg減量していました。さらにTXのO駅で下車、生ビール 🍻 で乾杯して反省会。減量したものの、体重はもとに戻ったようです。 (#^.^#)
October 20, 2017
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平成29年8月29日~30日、合唱・草刈り仲間5人で、宮城県、岩手県、秋田県の3県堺にある栗駒山登山に行ってきました。当初の天気予報は晴れ曇りだったのが、現地に行ってみると、曇り・雨模様となりました。宮城県側の栗駒高原いわかがみ平から栗駒山を目指しましたが、雨がひどくなり、登山を断念しました。昼食後、宿泊する湯浜温泉に行く途中にある世界谷地の自然遊歩道を散策しました。湯浜温泉は林道からかなり下ったところにある一軒宿で、電気がなくランプの秘湯温泉。深い檜風呂の、透明な硫黄泉にゆったり浸かって、夕食は山菜と骨酒を楽しみました。翌30日も雨模様でしたが、岩手県秋田県の県境にある須川温泉まで行って、白い硫黄泉が噴き出している山道を散策しました。【栗駒山登山の起点、いわかがみ平】 宮城県側の車道の終点いわかがみ平は標高1020m。 栗駒山登山の一般的なコースはここを起点として います。 天気のいい日は、多くのハイカーや家族連れに 親しまれているそうだ。【可憐な赤い実が輝くナナカマド】 いわかがみ平から整備された山道を歩いていくと、 雨に濡れたナナカマドの赤い実が可憐に輝いて いました。 栗駒山山頂までの3分の1ぐらい歩いたあたりで、 雨が降ってきたため、ポンチョを着て出発しまし たが、雨脚が強くなり、登山を断念しました。 【秋の気配が漂う世界谷地自然遊歩道】 29日の宿泊地、湯浜温泉に行く途中にある、 世界谷地自然遊歩道に寄って湿原を散策しました。【歩道の傍で咲くキンミズヒキ】 夏も過ぎて、秋の気配が漂う遊歩道。 湿原の中には秋の山野草が咲いていました。【川沿いにつづら折りの急坂を下る】 世界谷地自然歩道を後にして、 山間の林道を湯浜温泉に向かいました。 林道に湯浜温泉の看板があり、 つづら折りの急坂を下っていくと、 清流が流れていました。【谷あいにある秘湯の一軒宿、湯浜温泉の三浦旅館】 10分ぐらい行くと、湯浜温泉三浦旅館が見えて きました。 ここは谷あいにある秘湯の一軒宿。 電気はなく、ランプの宿として知られています。【山菜を中心にした夕食】 深い檜風呂の、透明な硫黄泉にゆったり浸かって、 一日の疲れを癒しました。 夕食は山菜の天ぷら、漬物、 イワナの塩焼きなどと骨酒を楽しみました。【イワナの、ほのかな香りがする骨酒】 魚の形をしたとっくり 🍶 の中に、 イワナ1匹、燗酒が入っています。 イワナのほのかな香りがして、 つい盃を重ねてしまいました。 【電気はなく夜はランプが灯る】 夜になると宿には、ランプが灯りました。 部屋のランプは朝までつけておいても 大丈夫とのことでしたが、寝る時は消しました。 満天の星は見えず! (´・ω・`) トイレなどは、手持ちのヘッドランプを使用。【川に温泉が湧いている須川温泉】 30日も雨模様でしたが、須川温泉まで行って みました。 川には白い硫黄が噴出し、所々に湯煙が 上がっていました。 栗駒山への登山道を途中まで散策して帰って きました。 (#^.^#)
September 4, 2017
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平成29年5月24日(水)~25日(木)まで、 合唱・草刈り仲間4人で、尾瀬に行ってきました。 尾瀬に行くのは、かれこれ40年ぶりです。 天候はあいにくの雨。雨合羽を着て、 濡れた雪道に足を取られながら歩くのに 苦労しました。 それでもあまり遅れずに歩けたので、 ホッとしました。 歩数計で図ると、1日目2万9千歩、 2日目は2万6千歩でした。 よく歩いた!!。 <(`^´)> 今年の尾瀬は、雪がかなり残っていて、 雪解けが例年より3週間遅いそうです。 おそらく木道の上に 雪はないだろうと想像していましたが、 予想は外れました。 木道の上も、雪で 全面的に覆われている場所もあり、 また、雪解けで足を雪の中に 深く踏み込んでしまうこともあり、 慣れない歩行に疲れました。 (#^.^#) 【尾瀬沼付近。川のほとりに、水芭蕉が咲き始めていました】 【木道の上にも雪が残っていました。 道は、人の足跡が頼りです。】 【水芭蕉が群生していました】 【宿泊した弥次郎小屋】 【途中、鹿に出会いました。】 【尾瀬沼の上に聳える燧ケ岳。】 墨絵のような燧ケ岳の姿に、感動しました。 (#^.^#) 雨の中雪踏みしめて歩く尾瀬 晴天の日を思い浮かべて 雨の日も時にはあるよ山肌や 草木は濡れて墨絵のごとし 山小屋は個室風呂ありウオシュレット 九時消灯で六時朝食
June 1, 2017
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平成29年5月22日(月)~23日(火)、現役時代の会社の入社同期会が宮城で開催され、18名が仙台駅に集合しました。この日は気温23度、晴れで、爽やかな旅行日和でした。主なルートは仙台駅 ~ 松島 ~ 石巻 ~ 南三陸町(泊) ~ 登米 ~ 仙台駅東日本大震災が発生してから6年が経ち、仙台周辺に行くのは初めてでした。南三陸町ではいまだに復興が全く進んでいない地域があり、行って見て呆然としました。 (´Д` )。 【松島を遊覧しました】 松島湾には多数の島があり、それが津波の緩衝材となって、 松島は大きな被害を免れたそうです。 【五大堂】 松島湾に隣接する五大堂の手前の石灯籠も、 地震で倒れたそうです。 【瑞巌寺】 瑞巌寺の参道に海水が浸かって、太い杉並木は、 塩水の影響で、全て枯れてしまったそうです。 かつては太い杉で、鬱蒼としていた参道でしたが、 今は木がなく、明るい空ばかりでした。 【もとは家が密集していた、南三陸町】 もとは家が密集していたという広大な地域が、 今だに空き地になっています。 【車窓から見た防潮堤】 延々と防潮堤が作られていますが、 今後もまた、この防潮堤を超える波が 押し寄せて来ることが考えられます。 もと人が住んでいた地域からは、 海は、全く見えなくなりました。 【高台にある小学校の1階、赤線部分まで水に浸かった】 小高い山の上にある小学校ですが、 赤い線まで水に浸かったそうです。 【4階の青い線の部分まで、水に浸かった建物】 この建物は津波が来て、 4階の青い線まで水に浸かっていたそうです。 【何もない原野のようになったところにあった、1枚の看板】 もとは家が密集して、 人が住んでいた場所ですが、 今は原野のようになっていて、 たった1枚の看板が置かれていました。 (´Д` )。 今もなお震災の傷深く残り 復興の道まだまだ遠い
May 31, 2017
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2017年5月5日(金祝)、家内と自宅最寄り駅前からバスツアーで、旧岩崎邸庭園、西洋美術館、国会議事堂、迎賓館などを見てきました。気温が23度でお天気が良く、爽やかな一日となり、快適なバスツアーでした。参加者は70歳前後の夫婦連れ、女性親子連れが多く、定員45人のバス2台が、ほぼ満席となっていました。 【旧岩崎邸庭園の入り口】 建物の一部が修復中でした。 旧岩崎邸庭園は明治29(1896)年、岩崎彌太郎の長男で 三菱第3代社長久彌の本邸として建てられました。 当時は1万5千坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたそうです。 靴を脱いで、建物内部の建築様式、 天井絵、調度品、などを見学しました。 【奥は撞球(どうきゅう)室】 撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れたところに 別棟として建っていました。 当時の日本では珍しい スイスの山小屋風の造りとなっています。 【敷地内の庭園】 敷地の周りには大きな樹木があり、 ゆっくり歩くことができるようになっていました。 【不忍池】 旧岩崎邸庭園から、歩いて不忍の池に向かいました。 不忍池も、新緑まっさかりでした。 【不忍池湖畔の遊歩道】 湖畔には樹木が多く、鳥の声も聞こえてきて、 徐々に散策をする人が増えてきました。 【国会議事堂】 国旗会は閉会中でした。 衆議院本会議場、天皇陛下の御休所などを見学して、 最後に議事堂の正面で写真を撮りました。 【迎賓館赤坂離宮】 迎賓館のある場所は、かつて紀州徳川家の 江戸中屋敷があったところです。 明治維新後、日本は近代国家として成長してきましたが、 30年経って、洋風の東宮御所を新たに建設する気運が起こり、 明治42年赤坂離宮が完成しました。 赤坂離宮は、日本における唯一の ネオバロック様式の西洋風宮殿建築。 戦後、外国の賓客を迎える施設がなかったため、 昭和43年~49年まで赤坂離宮を改修工事して、 現在の迎賓館赤坂離宮が建造されました。 日本が近代国家に成長し 諸国の賓客迎えもてなす 【本館、主庭の前にある噴水】 雲一つない青空の下、 豊富な水量の噴水が、涼しい風を送っていました。 雲一つない青空の下で飛ぶ 噴水の水涼気を起こす (#^.^#)
May 7, 2017
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平成28年11月8日~10日に、山陰地方の鳥取砂丘、足立美術館、出雲大社などを家内と観光してきました。雨上がりの肌寒い天候となりましたが、初めて歩く地で、日本の地方のよさを、再発見する旅となりました。出雲大社と言えば、日本神話の発祥の地。縁結びの神社で知られています。参加したのは、夫婦4組、母娘7組、女性友達同士3組、計28名子供や自分の縁結びを願う人たちが集まっていたようです。親になり子供が手から離れれば良縁願い大社詣でる主なスケジュール 8日(火)前泊 9日(水)羽田空港~岡山空港~最上稲荷~鳥取砂丘~砂丘博物館 ~白兎海岸(車窓)~大山温泉(泊) 10日(木)大山温泉~足立美術館~八重垣神社~出雲大社 ~広島空港~羽田空港 ( ˘•ω•˘ ) 【朝6時の羽田空港】 羽田空港7:20発の飛行機で岡山空港に向かいました。 空港でおにぎり、サンドイッチなどを食べて腹ごしらえして出発。 岡山空港からはバスに乗車。 最初の観光地は最上稲荷。 縁結びと縁切りの社が左右にあって、 それぞれ思いを込めながら、石の周りを1周します。 【縁切り、縁結びの社がある最上稲荷】 【縁結びを祈願する絵馬】 鳥取砂丘へはリフトで降りて行きました。 日本海から吹いてくる風が冷たく、手はかじかみました。 【鳥取砂丘へ向かうリフト】 砂丘に立つと、日本海が見え、浜に白波が打ち上げていました。 風が強く、冷たくて、海岸線まで行くことができませんでした。 【砂丘は日本海の風が冷たく寒かった】 鳥取砂丘には砂丘博物館がありました。 砂で作った南米の歴史・文化にちなんだ 巨大な作品が、たくさん置かれていました。 作品は精緻で迫力があり、 いつまでも見ていたい気持ちになりました。 世界最大のイグアスの滝がある熱帯雨林には、 多様な動植物・インディオが共存しています。 【イグアスの滝とインディオ】 今年はリオのオリンピックが開催された年だったためか、 リオのカーニバルの作品も並んでいました。 【リオのカーニバル】 標高2430mにあるマチュピチュは、 100年前にアメリカの考古学者により発見されました。 マチュピチュは、ペルーのクスコを中心に繁栄した インカ帝国により建造された都市です。 【空中都市マチュピチュ】 足立美術館には横山大観をはじめ、 川合玉堂、榊原紫峰など近代日本画家の 巨匠の作品が蒐集されています。 庭園は美術館内から 見て楽しむように作られていました。 【足立美術館の庭園】 美術館内のガラス戸越しに写真撮影。 紅葉した植物も見られました。 【遠方の山脈まで繋がっているように見える庭園】 【縁結びで人気の八重垣神社】 【杉の木から松の枝が生えている「連理の杉松」】 出雲大社には多くの観光客が来ていました。 11月(旧暦10月)は出雲では神在月と言って、 全国の神様が出雲大社に集まり、 私たちが幸福になるように、 良縁がいただけるように、 祈ってくれるそうです。 神在月(かみありずき)全国の神が集まって庶民の幸福良縁祈る お詣りをする前に、昼食で出雲蕎麦を食べました。 蕎麦は3段のお重に入っていました。 蕎麦の香りがして、腰があり、美味しいお蕎麦でした。 【出雲大社で昼食】 【重さ5トンのしめ縄がさがる出雲大社本殿】 (#^.^#)
November 11, 2016
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平成27年10月15日~16日まで、合唱仲間5人で、 Yさんが住む妙高高原を訪ねました。 Yさんはかつて同じ合唱団で歌っていた方で、 健康のため妙高高原に移り住んだ方です。 お天気に恵まれ、ちょうど紅葉がまっさかりで、 静かな秋を満喫してきました。 (#^.^#) 【中央が標高2,454mの妙高山】 山は冬シーズンを間近に控え、 リフトの取り付けを待っています。 【妙高高原スカイケーブル】 ケーブルカーから、紅葉が進んだ山肌を眺めました。 【すっかり色づいた山肌】 赤、黄、茶、黄緑、・・・ さまざまな色が鏤められている山肌。 【道端で見つけたナナカマド】 ナナカマドの赤い実が弾けて、 さんさんと降り注ぐ秋日に、輝いていました。 【静かに佇む池之平温泉のいもり池】 妙高山ウオッチングで一番の名所のいもり池。 冬の訪れも間近です。 【勇壮な苗名滝】 妙高を代表する名瀑、苗名滝は、 日本の滝百選に選ばれています。 滝に近づくと、水量が豊富で迫力があります。 【笹ヶ峰高原の白樺林の中で】 遊歩道には人が、一人もいませんでした。 清らかに澄んだ空気の中で、 落ち葉を踏みしめて歩いて行くと、 どんぐりの実がたくさん落ちていました。 (^v^)
October 17, 2015
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平成27年6月7日(日)、家内と二人で、びゅうばす 「松川浦復興祈願!号」に乗り、東関東大震災で被災した 福島県相馬市方面を訪ねてきました。 東北新幹線で福島駅下車、びゅうバスで、霊山~松川浦(昼食) ~相馬市伝承鎮魂記念館~相馬中村神社~かしまの一本松~ 道の駅南相馬~道の駅川俣などを回り、福島駅から新幹線で戻る 日帰りバスツアーでした。 梅雨入り前の一日、お天気はだんだん良くなってきて 帰る頃には雲一つない青空になりました。 中通りの福島から、阿武隈山地を抜けて、浜通りに行くと 空気がきれいで、風が爽やか・・・。 半袖では寒いくらいでした。 東日本大震災から4年が経過したのに、 復興は一部で進められているものの、 まだまだ・・・と思いました。 (*´ω`*) 【福島駅の駅員がバスを見送ってくれました】 バスの窓から、パチリ! 【松川浦に到着したバス】 左側が松川浦海岸。海抜1mぐらいの場所で、 道路も民家も津波で流されたそうです。 バスが止まっている道路は、その後新しく造られた道路。 【昼食をとった「たこ八」】 このあたりには店が何軒かありましたが、すべて流されてしまい、 数軒で協力しあい、この食堂を建てたそうです。 【昼食で食べたほっき飯】 地元産のほっき貝でつくったほっき飯は、 ご飯にもほっき貝の味が浸み込んでいて、美味しかった。 のりの天ぷら、生だこの刺し身は、新鮮な磯の香りがしました。 【近くで採れた海産物が販売されている店で】 地元の近海で採れた岩海苔、生鮭の切り身、加工したしじみ、 などを買って、クール宅配で送付してもらいました。 【相馬市東日本大震災慰霊碑】 東日本大震災で犠牲となった方々の慰霊碑があり、 手を合わせてきました。 【津波で破壊された倉庫】 津波で破壊された倉庫で、まだ撤去されていないものが 残っていました。 【持ち主が不明の写真】 相馬市伝承鎮魂記念館には、がれきの中から見つかった 持ち主不明の写真が、たくさん置いてありました。 【相馬中村神社】 福島県相馬市中村に立地する神社。 震災で中断されていた相馬野馬追も再開され、 出陣式はここで行われます。 相馬中村神社の祭神は妙見菩薩。 起源は、相馬氏の始祖である平将門が 承平年間(931年~937年)に下総国猿島郡に 妙見社を建立したことに始まると言われる。 戦国時代16世紀後半には、中村城が相馬氏の北の居城となった そうです。 【馬の駅長さん】 中村神社の境内には馬の駅長さん(ポニーと思われる)がいて、 観光客からニンジンをもらって食べていました。 【松林や民家が全くなくなった海岸沿い】 この辺りには海岸線に松林が続き、 民家もたくさん密集していたそうです。 4年が過ぎて、がれきは撤去されて、今は何もなくなりました。 しかしこの場所は地盤沈下もあり、 土地があっても家を建てられない、売却もできないそうです。 余力のある人は別の場所に移り住んでいるが、 余力のない人はまだ、仮設住宅で暮らしているそうです。 夏は暑く、冬は寒い仮設住宅も、だんだん傷んできて、 新たに補修費も発生しているそうです。 【南相馬かしまの「奇跡の一本松」。 広大な松林の中で一本だけ残った。】 一本松の下の看板に、次のように書かれていました。 「平成23年3月11日の大津波に、耐えた松がある。 大地に根っこを張り巡らし、生き抜こうとしている。 この松を地域のシンボルとしたい。」 一本松の手前を行くのはバスガイドさん。 ガイドさんの家はこの近くにあったそうです。 子供の頃は、親に危ないから海に行くなよ ・・・と言われても、 水着を着たまま海に行って遊んだそうだ。 そのガイドさんも被災され、家は全て流されて、 仮設住宅暮らしをしていたそうです。 時々笑顔を浮かべて話すガイドさんも、 どこか寂しげに見えました。 (-_-) 震災の傷癒されず今もなお 人の心に重く漂う
June 8, 2015
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4月25日(土)京都コンサートホールで、 我々の男声合唱団の指揮をしていただいている F先生のグリークラブの演奏会があり、 団員7名で聴きに行ってきました。 せっかく京都に行くのだから・・・と思い、 前日から京都に入り、 翌日午前中まで市内観光をしてきました。 京都の街は、どこも新緑がきれいで、 爽やかな風が吹いていました。 (^^)/ 【音響のいい京都コンサートホール】 【1589年、豊臣秀吉が造営した伏見稲荷の桜門】 【本殿背後から奥ノ院までぎっしりと立ち並ぶ千本鳥居。】 【東福寺の本堂。天井の蒼龍図が有名だが、今回本堂内部に入らず。 😢 】 【東福寺は、新緑のもみじと苔が目を奪う美しさ!!】 【斜面にせり出すような清水寺の舞台は迫力がある (^◇^) 】 【諸願成就のご利益があるとされる清水寺の音羽の滝】 【現存の木造門としては日本一の大きさを誇る知恩院の三門】
April 28, 2015
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平成27年4月13日、大阪府T市にある 高校時代の同級生H君のお宅を訪問しました。 昨年秋、H君が亡くなったため、 親しかった同級生5人で訪問し、 お線香をあげてきました。 仏前の友の写真は微笑んで 問いかけてみても応えることなく 13日は京都に戻り、H君を偲び献杯をして1泊し、翌14日は京都市内の、知恩院、八坂神社、東寺を観光しました。 あいにく2日とも雨模様でしたが、春雨に濡れた京都の街もまた風情があり、じっくりと堪能しました。 知恩院は浄土宗の総本山で、実家の菩提寺の住職から時折いろんな話を伺っており、一度行きたいと思っていました。 死んだ後極楽浄土行くために 南無阿弥陀仏十回唱える 【現存する木造門として、日本一の大きさを誇る知恩院の三門】 大きすぎてカメラに入りきらない三門の先には、 新緑の樹木の間に石段が続いていました。 【修復していた知恩院大殿の内部】 広々とした大殿の内部はしんと静まりかえり、香が焚かれていました。 【知恩院にある重さ70トンの大鐘楼。】 知恩院の梵鐘は、日本三大梵鐘の一つ。 除夜の鐘は、17人でこの鐘を撞くそうです。 戦争で供出せずに残された 梵鐘今も除夜の鐘撞く 【庶民に、「祇園さん」と親しまれている八坂神社】 スサオノミコトやクシイナダヒメノミコトなどを祭神として、 厄除け、商売繁盛などを授かるとして有名な神社。 【世界遺産・東寺の五重塔。木造としては日本一の高さを誇る。】 東寺は、796年国家を守護するために建造された寺院。 古文書、仏像、仏画などの国宝、重要文化財が 多く保管されています。 【京都市内をゆったり縦断する鴨川】 雨が降っていたせいか、鴨川沿いの遊歩道に人影は見えませんでした。 (*^◯^*)
April 15, 2015
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平成27年2月19日~20日、高校時代同級のK君と一緒に、 安中市に住む同じ同級生のH君を訪ねました。 H君は、まだサラリーマン生活をしていた7年前に 安中市に家を建て、 週末は安中で生活していたようです。 広い敷地にモダンなログハウスを建て、 自然環境に恵まれた地で 無農薬の野菜作りや、燻製作りをして生活していました。 H君が収穫した野菜を、 伴侶の奥様が手料理で、 健康に良く、美味しいものに仕上げ、 二人でその味を 楽しいんでいるように見えました。 (*^◯^*) 団塊の世代で日々を生きてきた 仲間は第二の人生を生きる 【一級河川、碓井川に架かるメガネ橋】 長さ91m、高さ31mでわが国最大の煉瓦づくりアーチ橋。 明治25年に完成し、アプト式鉄道を支えてきましたが、 昭和38年新線開通に伴い廃線となりました。 平成5年に国の重要文化財に指定され、 平成13年廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」として整備され、 現在は橋上を歩くことができるとか・・・。 【妙義山の主峰、白雲山の中腹にある妙義神社】 1,500年前に創建されたという古い神社。 本社は全国的にも珍しい黒漆塗、権現造りの荘厳な建造物で、 国の重要文化財に指定されている。 【妙義山麓から赤城山を遠望】 【H君宅のバルコニーから見た妙義山】 【H君自家製の、ホタテ、カキの燻製】 いぶした香りがして、お酒のつまみとしてgood!! 美味しくいただきました。 【薪ストーブの柔らかな暖気が室内をおおう】 【朝6時半の日の出。 バルコニーから撮影。】 【群馬フラワーハイランドの蝋梅】 群馬フラワーハイランドは、山の斜面に作られた花木の公園で、 50年前から夫婦で手入れをしている私園だそうです。 梅、水仙、しだれ桜、つつじなど8万本の花木が植えられています。 【ぼちぼち咲き始めた福寿草】 【春の訪れを告げる紅梅】 【歴史の重みを感じさせる榛名神社】 赤城山、妙義山とともに上毛三山の一つとされる 榛名山の神を祀る神社。用明天皇元年(586年)に 社殿が造営されたと伝えられています。 【凍りついた瓶子(みすず)の滝】 瓶子(みすず)は神に供える神酒を入れる器。 水が落ちている両脇の岩を瓶子岩と呼んでいたことから この名前がつきました。 【氷の上に雪が乗った榛名湖。 向こうに榛名富士が見える】 かつては榛名湖の氷の上で、 スケートやワカサギ釣りができましたが、 今は氷が薄く危険のため、禁止されています。 榛名湖の氷の上でスケートや ワカサギ釣りして冬の日楽しむ
February 21, 2015
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【佐久高原にある、K君の山小屋風の家】 【食べ頃の実がなっているプルーンの木】 北八ヶ岳登山の帰りに、同じ高校時代の同級生で、 佐久高原でプルーン栽培をしているK君を訪ねました。 プルーン栽培をしているK君が テレビ朝日番組「人生の楽園」で放送されてから、 プルーンの注文が増えたそうで、 とても忙しそうにしていました。 東京からもう一人の同級生が合流して、 夜は5人で、バーベキューを食べながら、 昔懐かしい話に盛り上がりました。 翌日の午前中は、プルーンが栽培されている畑で お手伝いをして、午後、上京しました。 (*^◯^*)
August 21, 2014
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平成26年8月18日~19日まで、 久々に長野県の北八ヶ岳を歩いてきました。 今から40年以上前によく歩いたところです。 ロープウェイの山頂駅は、標高2233m。 長袖のシャツがないと寒く感じました。 お天気は、時々晴れ間が見えたり曇ったりで、 山頂付近は霧がかかり、結構強い風も吹いていました。 主なルートは、1日目は五辻~縞枯山~縞枯山荘(泊)、 2日目は、天池山~三ツ岳~北横岳~坪庭~ロープウェイ山頂駅。 【山頂駅から五辻方面へ向う】 【立ち枯れの木がコケで覆われた原生林】 【40年前と同じ青い屋根の縞枯山荘で宿泊】 【縞枯山荘前の山肌に、朝日が当たり始めた時】 【溶岩台地で形成された坪庭】 【坪庭の岩陰に咲いていたホタルブクロ】
August 20, 2014
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平成26年7月15日~16日、妙高高原に住む 音楽仲間を訪問しました。 妙高高原は標高700mぐらいで、爽やかな風が吹いていました。 お天気は変わりやすく、晴れていたかと思うと、曇りになり、 霧が流れてきて、あっという間に一面は 真っ白になったりしました。 雨に降られることはなく、涼しい高原の自然を満喫しました。 (*´▽`*) 【JR直江津駅で、妙高4号に乗り換える。】 【山の字に見える妙高山】 【睡蓮の花がたくさん咲いていた、いもり池】 【二輪寄り添った、白い睡蓮の花】 【高原を散策すると、道端にわらびが伸びていました。】 【トラノオに留まる蝶ちょ】 【妙高高原は岡倉天心終焉の地。 天心の像が安置されている六角堂。】 高原に爽やかな風吹き抜けて ドイツトウヒの森踏みしめる
July 18, 2014
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平成26年7月13日~14日、会社の同期会で佐渡旅行をしました。 18名のナイスミドル(?)が集まり、佐渡金山、尖閣湾揚島遊園、 小木のたらい舟、宿根木部落、トキの森公園などを観光しました。 雨に降られることもなく、涼しい佐渡をゆっくり観光できて、 同期仲間と、懇親を深めることができました。 佐渡に来たのは2度目です。 1度目は30年前に、同期のH君の結婚式が新潟であり、 結婚式の前日、佐渡に泊まりました。 【佐渡汽船乗り場前に立ち並ぶ土産物屋。】 【佐渡金山。 当時の様子が実物大の人形で再現されています。】 【松竹映画「君の名 は」 のロケが行われた 「まちこ橋」。 当時は吊り橋でしたが、現在は架け替えられています。 】 (はなし) 昭和20年5月24日の東京大空襲の夜、 数寄屋橋の上で互いに命を助け合った 若い男女、後宮春樹と氏家真知子は、 半年後の24日の夜、 この橋の上で再会しよう と約束した。 青年は別れ際に、「君の名は」と聞いたが、 彼女は名を言わず立去った ・・・ とか。 (∵`) ヘー。 【小型船で尖閣湾を遊覧しました。 海側から見る切り立った岩場は絶景!!】 【小木のたらい舟。 3名づつ乗り、女性の船頭さんが、巧みに櫂を漕ぎます。 自分で漕いでみたが、ほとんど進まなかった。 (´;ω;`) 】 【北前船主の村として栄えた宿根木。 これは船の形をした家。】 【吉永小百合が、船の形をした家の前で撮った写真が、JRのポスターになっています。】 【トキの森公園で見たトキ。 飼育係の人がどじょうを池に入れると、遠くから寄ってきて、パクついていました。】 三十年ぶりに訪ねた佐渡の町 昔のままだが観光地化進む
July 17, 2014
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13日~16日まで、新潟に行ってきます。 13~14日、佐渡で会社の同期会があり、 そのあとは、妙高高原にいる音楽仲間を訪問します。 ブログお休みしますが、よろしくお願いします。
July 12, 2014
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平成25年3月8~9日、高校の同級生と二人で、長野県佐久穂町で プルーンの生産販売をするK君を訪ねました。K君は大手ゼネコンを 定年退職した後、佐久穂町にログハウスを建て、地元JAでプルーン 生産のノウハウを取得し、生産から販売まで一人で手がけています。 5ヘクタールの土地を借り、プルーンを苗木から育てていますが、 一年中、暇な時は全く無いようでした。 黙々とプルーン生産に打ち込むK君を見ていると、自分の好きな ことをして満足していること、充実した生活を送っていること、 などが伝わってきました。 【小海線 羽黒下駅で下車】 八ヶ岳山麓を2両でとぼとぼ走る小海線沿線は、のんびりした景色が 続いていて、ボーっと見ているだけで、気持ちが落ち着いてきました。 【K君のログハウス】 地元の大工さんと二人で建てたと言う、K君のログハウス。 しっかりした造りで、冬の寒さにも十分耐えられる設計になっていました。 【家の外には薪が積んである】 これで1年分位だそうです。薪は地元の人にお願いして、木を 切らせてもらい、自分で運んでくるそうです。 【箱型の薪ストーブ】 薪ストーブの柔らかい暖気が部屋中に広がりました。 夜中も薪をくべたままにしておき、朝まで全く寒さを感じませんでした。 【夕食の支度をするK君】 我々のために、鍋の材料を準備するK君。 手早く調理します。 【身体が温まった寄せ鍋】 小諸で買ってきた地酒を飲みながら、暖かい寄せ鍋をつまんで、 夜遅くまで話しこみました。 【植えてから4年目ぐらいの、プルーンの苗木】 苗木を植えてから、4~5年目に実がつきます。苗木の下を白く塗って いるのは、太陽熱を遮り、下からあまり水を吸い上げないようにする ためだそうです。 冬場は、幹の中の水が凍って割れ、苗木がダメになるようです。 【雨が降る時は、パイプの屋根にシートを掛ける】 雨に当たると、プルーンの実が傷ついて、売り物にならないそうです。 雨が降る時は、屋根にシートをかけるのも、ひと仕事です。 【薪割りの手伝い】 プルーンの剪定が終わったら、薪割りをして冬に備えます。 2時間ぐらい薪割りの手伝いをしましたが、大変な作業である ことを痛感しました。 【八ヶ岳山麓の松原湖】 薪割りのあと、小海駅近くの温泉に行きました。 ドライブの途中、松原湖に寄りました。 湖面の氷は割れていて、春が近づいていることを感じました。 【落葉松の林から八ヶ岳遠望】 落葉松の林の間から、雪がかかった八ヶ岳がくっきりと見えました。 【美しい白樺林】 小海の温泉から帰る途中、白樺林がどこまでも続いている道を 抜けてきました。
March 12, 2013
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高校時代の同級生K君は定年退職後、長野県佐久穂町で、 プルーンの生産販売をしています。暫く合っていないため、 3月8~9日、同級生と二人で、K君を訪ねてみることにしました。 佐久穂町に行く途中、小諸まで足を伸ばし、懐古園を散策してきました。 【三の門。二層の城門で1615年に創建。】 【黒門橋。空堀の紅葉谷に架けられている。】 【藤村記念館前にある島崎藤村の碑。】 明治38年、藤村は「破壊」を書いている頃、三女、次女、長女を 亡くしました。 自ら「破壊」のための「犠牲」と話し、打撃を受けていたそうです。 【中央の樹木は樹齢推定五百年、幹まわり6.5mの欅(けやき)】 懐古園内は人影も少なく、閑散としていました。 歩道脇に聳える樹木(写真中央)が樹齢五百年の欅。 【「渥美清こもろ寅さん会館」 前の寅さんの碑】 園内に「渥美清こもろ寅さん会館」があります。小諸が舞台になった 「男はつらいよ」シリーズ第40作、「寅次郎サラダ記念日」のポスターや 寅さんの衣装などが飾られています。 【小山敬三美術館】 小山敬三画伯は小諸市生まれで、中学まで小諸で育ちました。 画家への道を志し、父君と親交のあった島崎藤村のすすめもあって、 フランスで油絵を研鑽しました。 美術館には、画家が残した油絵が展示されています。 【懐古神社】 明治13年に小諸城跡を懐古園として整備した際に、同藩を治めた 牧野氏の歴代藩主の霊を天満宮と合祀して建立されました。 【懐古園から千曲川を望む】 【惜別の歌の歌碑】 藤村が小諸で、恩師とともに懐古園周辺を逍遥した時に、 この詩を書いたそうです。 明治30年に刊行された「若菜集」に収められています。
March 9, 2013
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2日目は鶴岡から酒田に出て、旧鎧屋、山居倉庫などを見学、 昼食は新鮮な寿司を食べました。 その後、酒田から新庄経由で赤湯に出て、赤湯温泉に宿泊しました。 【風情ある山居倉庫のケヤキ並木】 【酒田はおしんの故郷。おしんが育った加賀屋が展示されていた。】 【米50俵が運べる小鵜飼船】 昔から庄内平野は米どころ 小鵜飼船で米輸送する (最上川で物資輸送をするために小鵜飼船が造られた。) 最上川の広い河川にため息がもれ 「利根川よりはだいぶ広いね」 (車で最上川に架かる橋を通過する時に、河川が広く、思わずため息が漏れた。) 【写真家土門拳の先祖が書いた幕絵。】 大きな幕に、歴史ものの合戦の図や武者絵などが書かれていました。 幕絵は各町内の黒板塀に貼られ、見物人が見て歩いたそうです。 【酒田市内を歩く】 【酒田駅前に待機する除雪用のブルトーザ-】 ホーム上に雪降り積もり停車中の 列車の屋根のみわずかに見える (羽越線新庄駅) 【夕方5時、暗くなってきた赤湯駅前】 【赤湯温泉「滝波」の夕食】 【「滝波」の玄関の囲炉裏】 釘(くぎ)使わぬ匠の技が香る宿で ゆったり過ごすくつろぎの時 (赤湯温泉「滝波」) 数十年ぶりの神経衰弱に 息をころして頭を使う (夜は、トランプの神経衰弱で遊びました。) 【朝、餅つきがあり、朝食はつきたてのおもちだった。】 【雪が積もった後藤酒造店。 酒蔵を見学し、地元のお酒を買って帰りました。】
January 20, 2013
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平成25年1月17日~19日まで、かつて合唱連盟の役員をしていた 仲間6人で、山形旅行をしてきました。 ふだんは美味しいものの食べ歩きをしていますが、今回は全員 “大人の休日倶楽部” を使って、温泉泊の観光を兼ねた2泊の旅。 首都圏でも雪が降りましたが、山形ではさらに雪の量が多く、冬の 北国の一端を味わってきました。 【MAXとき313号新潟行。東京駅で。】 【人影も少ない鶴岡駅前】 天守閣は持たずに広い敷地内に 土塁多用し隅櫓建てる (鶴岡城址公園で。 鎌倉時代、大宝寺城ともよばれた鶴ケ岡城。 庄内藩主・酒井氏の居城だった。) 【赤ネギと庄内豚ベーコンのトマトソースパスタ】 昼食はパスタ料理の専門店「A」に入りました。 前菜、パスタはそれぞれ3種類を注文し、6人で分けて食べました。 味付けが薄く、素材の味を大切にしているように思いました。 タクシーの女性運転手によると、観光客が多く、地元の人は この店でなかなか食べられないとか。 【致道博物館にある旧西田川郡役所】 【大正天皇の即位を記念して創建された大宝館】 バロック風窓と赤い先塔屋根 白亜の殿堂大宝館あり (日本建築の近代化が、西洋建築の模倣から我が国独自の近代建築に 歩み始めた大正期の創建) 【湯田川温泉、ますや旅館の部屋で】 こじんまりとした切り絵と灯の宿「ますや旅館」に宿泊。 北国の風情を感じる切り絵が、部屋や廊下に架けられていました。 アットホームで心暖まる温泉宿でした。 写真の柿は、おかみさんが布で作ったもの。 檜風呂にゆっくり浸かってホッとする 湯田川温泉に雪降り積むぐ (温めのお湯には、いつまでも浸かっていたかった。) 夕食は鱈(たら)料理のフルコース 焼き物・酢の物・どんがら汁など (もちろん刺身もあり、どれも舌鼓を打つ美味さでした。)
January 20, 2013
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【猪苗代から見た磐梯山】 義母の一周忌で会津若松へ行ってきました。 爽やかな秋晴れに恵まれ、磐梯山も中腹から上方が少し紅葉していました。 結婚してから30年余りを振り返り、会津若松での数々の思い出が走馬灯 のように浮かんできました。 縁ありて猪苗代湖で見合いして 初めての地若松を知る マイカーで妻子と訪ねる古き街 両親の笑顔我らを迎える 年齢の半分余りの人生を 楽しく過ごし思い出重ねる 両親の亡き故郷の家訪ね 子等との思い出沸々と湧く 長男の住職亡くし今もなお 信じられぬと涙を落とす (48歳の長男を亡くした、菩提寺の住職の母の話。) 穏やかな秋晴れの日に義父のもと 義母が寄り添い永久(とわ)に眠る 【磐越西線の車窓から見たススキ】 【会津若松駅に着いた、快速あいづライナー号】 【JR会津若松駅】 【会津塗りの器に入った会津蔵出弁当】 会津若松駅の売店で、会津蔵出弁当を買って昼食に食べました。 棒タラの甘露煮、鶏肉と鮭の照り焼き、細竹、ごぼう、こんにゃく の煮物、・・・・・、などなど、会津の料理が、伝統の会津塗りの器に 綺麗に並んでいました。 【雪囲いをした庭の植木】 実家の庭の植木は、いつ雪が降ってもいいように、 既に雪囲いをしていました。
October 20, 2012
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曇り、小雨の中で、日田豆田町を散策、九重“夢”第吊橋を渡って、 やまなみハイウェイを通り、秘湯垂玉温泉に宿泊。 同期の旧交を温めました。 翌日は阿蘇山頂に登りましたが、景色は霧で全く見えず、一心行の 大桜、白川水源などを観て、トロッコ列車に乗って博多に戻りました。 九州の女性は男の人に尽くすと 言われることを数人話す (各地から集まってきた同期の数人が、同じことを言う) 阿蘇山頂お釜の湖水見えるはずが 霧がかかって何も見えず 案内のガイドがかざす晴れた日の お釜の写真見ても心晴れず バスガイド博多弁で二日間に 訪問した場所笑顔で話す (旅の終わりに) 出航の滑走路に点く赤い灯(ひ)は 航路の安全願い点滅 (福岡空港出航時) 【電柱を埋設し、古い街並みを再現した日田豆田町。 名物のうなぎを食べる。】 【日本一長い 九重“夢”大吊橋。 雨の中、カッパを着て歩く。】 【ひなびた秘湯、垂玉温泉。 滝の下にある露天風呂に浸かる。】 【霧がかかって、何も見えない阿蘇山頂で記念撮影。 後の建物は、噴火時60名まで避難できる防空壕。】 【一心行の大桜を見学。 菜の花も満開でした。】 【いたるところから、透明の水が湧き出している白川水源。】 【貨車を改造して造った、南阿蘇鉄道トロッコ列車】
April 15, 2012
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【羽田発福岡行、ANA249便】 40年前に会社に入社した同期会が、九州で開催されました。 主な訪問先は博多~日田~九重“夢”大吊橋~阿蘇~垂玉(たるたま)温泉(泊)。 阿蘇山中岳火口~一心行の大桜~白川水源~南阿蘇トロッコ列車~ 熊本~博多。 初日は、博多市内を散策しました。 四十年前に会社に入社した 同期会あり九州に向う 【1万メートルの上空からの富士山】 快晴の一万メートル上空から 富士を見下ろし列島横断 長距離で航路になるが運航の 安心感買いジャンボを選ぶ 【JR博多駅前】 【住吉神社】 古代から国家鎮護や船舶の 守護神として信仰される (和歌の神としても崇め敬われ、連歌師の宗祇もここを訪れている。) 塵一つない境内の土の上に 熊手で掃いた跡が残る (二人の巫女が、熊手を使って境内を掃いていた。) 【楽水園】 商人が家業の傍ら愉しんだ 茶の湯もてなす日本庭園 (楽水園は、博多商人下澤善右衛門親正の別荘) 【櫛田神社】 古くから博多津中の鎮守として 人々崇敬祭礼行われる (例祭として、博多どんたく、博多祇園山笠、博多おくんちが行われている。) 【東長寺】 空海が博多の海辺に建立した 密教寺院黒田家受け継ぐ (西暦806年、弘法大師空海が建立、福岡藩黒田家が受け継ぐ)
April 15, 2012
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【「赤瓦」に葺き替えられた鶴ヶ城】 【城郭に廻らされた堀】 【天守閣から見た本丸】 (鶴ヶ城を散策してきました) 四百年前に氏郷改修し 幾多の苦難乗り越え今ある (1590年、蒲生氏郷が七層の天守閣築城) 砲弾にさらされ傷つき天守閣は 政府の命で取り壊される (幕末の戊辰戦争は、鶴ヶ城を中心に約1ヶ月、戦いが続けられた。 天守閣は昭和40年に復元された。) 氏郷は茶道の途絶え心配し 千家再興秀吉に願う (豊臣秀吉の怒りにふれ、千利休は死を命ぜられる。) 利休の子・小庵を会津にかくまって 千家茶道の基礎を築く (小庵が会津にかくまわれていた時、氏郷のために「茶室麟閣」が造られた) 【城内にひっそりとたたずむ「麟閣」】
October 28, 2011
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【駒込の六義園の中で】 綱吉の信任厚き吉保が 江戸の大名庭園築く (綱吉:五代将軍綱吉。 吉保:柳沢吉保) 庭園で大名一族郎党を 広くもてなし信任固める 完成し四年後上皇公家達の 和歌を添えて吉保に下賜 (上皇:霊元上皇。 上皇が一幕臣に和歌を贈るのは極めて異例) 【滝見茶屋前のせせらぎ】 滝見茶屋木漏れ日の中せせらぎの音に混じって秋の虫鳴く
October 4, 2011
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【意富比神社(船橋大神宮)の参道】 (船橋市内の意富比神社を訪ねる) 創建者は日本武尊と伝えられる 日本古来の由緒ある神社 (奈良時代に纏められた「日本書紀」に、日本武尊のことが記されている) 参道に緑の樹々が立ち並び 静寂な空気社殿を包む 朝廷や将軍家には古くから 信仰厚く守り継がれる 家康の上覧相撲に始まって 奉納相撲四百年続く
September 16, 2011
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【両国の国技館】 七階の展望レストランの下 国技館沿い力士が歩く 江戸・明治・大正・昭和の歴史文化 庶民の生活資料で再現 【江戸の町をミニチュアで再現】 江戸の町屋敷や庶民がミニチュアで 細かく再現喧騒(けんそう)聞こえる 江戸の世も庶民の暮らし貧しいが 相撲や歌舞伎で生活楽しむ 【1円タクシー】 「円タク」と笑顔で話す亡父の声 頭に浮かびじっと見つめる 【活動写真。弁士が語った】 【鹿鳴館での音楽の図】 (演奏者として描かれているのは、君が代の作曲に携わった奥好義ら、 最初に西洋音楽を学んだ人たち) 【地下鉄銀座線のポスター】 (上野~浅草間、開通時) 【東京音頭の楽譜、レコード】 【ウサギを飼うことを奨励するポスター】 (兵士の防寒服を作るために、ウサギを飼うことが奨励された)
August 30, 2011
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【千姫の墓】 (常総市の弘経寺を訪ねる) 千姫の墓所があると聞いていた 実家近くの弘経寺訪ねる (千姫:徳川二代将軍秀忠と江の間に生まれた長女) 七歳で従妹同士の秀頼と 結婚夫婦仲睦まじかり (秀頼:豊臣秀頼) 家康の命で大阪落城し 命からがら救出される (千姫は家康の孫。 千姫十九歳の時、大阪夏の陣で) 秀頼の側室の娘(こ)を自らの 養女にとって命助ける (側室の娘が処刑されるところを助ける) 千姫は再婚するが夫亡くし 出家し江戸で娘と暮らす (本多忠刻に再嫁。 出家したあとは天樹院と号す) 千姫は弘経寺詣で了学の 法徳に帰依し生涯終える (弘経寺の十代照誉了学の法徳に帰依) 境内の奥に千姫の墓鎮座し 遺髪埋葬静かに眠る (遺体は母方伝通院が葬られる寿経寺(東京・小石川)に埋葬、 弘経寺には遺髪を埋葬)
August 24, 2011
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【松戸市の本土寺】 鬱蒼とした檜(ひのき)の参道に 涼風通う夏の日の午後 初夏の菖蒲・紫陽花の開花時は 人垣あふれゆっくり見られず 人影のない境内の高台に 家康の妻の墓が眠る (家康の5男、万千代を出産したお都摩の方の墓。 万千代は下総小金(松戸市)3万石から、後に日立水戸25万石に加封) 花の無い紫陽花の木をしげしげと 見つめ剪定の方法を知る
August 2, 2011
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【群馬県六合(くに)村の湯の平温泉】 (音楽仲間と湯の平温泉に行く) 木漏れ日の森の小径を通り抜け 吊り橋の先に温泉宿あり 山峡の深い樹林に包まれた 秘境温泉野鳥囀(さえず)る
July 10, 2011
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【田園の中にある親戚の家】 高原の田園の中のログハウス ひんやりとして朝晩涼し 雨上がりウッドデッキで眺めれば 甲斐駒ケ岳青く聳(そび)える 思うことあって訪ねた姪の面に 笑顔が見られほっと安堵す 夕食後よもやま話に熱中し いつしか話題は放射能のこと (姉が子供の頃を思い出し、話す) 子供の頃田舎の庭の樅(もみ)の木に あおばづく巣を作って宿る (あおばづく : フクロウ科の鳥。) 風呂上り東の廊下で夕涼み 祖母から聞いたあおばづくのこと 田園の中に堀あり子供等は たにしエビガニ取って遊ぶ (田舎の西堀で遊んだ思い出)
July 6, 2011
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【宿泊したK山荘の薪ストーブ】 歌仲間が木曽の山荘訪れて 新緑の中どぶろく三昧 友達や知り合いなどが山荘に集い楽しいひと時過ごす ほどほどにお酒を飲んできた人は 年をとっても酒楽しめる 来年も山菜の時期に木曽に来て 新緑味わい酒楽しもう
June 9, 2010
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仕事の出張で秋田へ行ってきました。秋田周辺は、すっかり秋が深まっていました。 タクシーの運転手によると、ここのところ、朝晩、かなり冷え込むようになってきたそうです。 一緒に行く予定だった人が行けなくなって、一人の出張となりました。 仕事で遠くまで出張するのもこれが最後かな・・・と思いながら秋田を回ってきました。 以下は、仕事の合間に撮った写真です。 【秋田空港近くはススキで秋模様】 【JR秋田駅西口】 【秋田市内、千秋公園前のお堀】 【昼食で“だまこかやき”を食べる】 新米で作った“だまこ”、比内地鶏、ネギ、里芋、にんじん、糸こんなどが入っていて、身体が温まりました。“だまこ”は、きりたんぽと同じ材料になります。 “かやき”は、“貝焼き”のこと。 昔は大きなホタテ貝で作ったそうです。 【切り身の厚い日本海のさしみ】 仁賀保町の辛口の酒「飛良泉」は、喉にジーンと浸みてうまかった。 【時々みかける竿灯祭りのポスター】 8月初旬の「竿灯祭り」には、今年もたくさんの観光客が訪れたとか・・・。 【秋が深まった千秋公園】 静かな千秋公園には、歩いている人もほとんどいませんでした。 【ポートタワーセリオンから見た秋田港】 港に聳え立つセリオンからは秋田港が一望できました。 【曲げわっぱの“秋田めし”】 曲げわっぱにのっかているのは、いくら、とんぶり、晩菊、鮭、のり、しそなど。 晩菊は、菊の花が入った漬物で、もとは山形の名産。 20年前に仙台勤務になって、仙台にいた時に初めて隣接県山形の晩菊を食べ、その味に惚れこんだことを思い出しました。
November 6, 2008
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久しぶりに新潟、富山に3日間、出張に行ってきました。 1日に3箇所を回る忙しい出張でしたが、移動中の列車や車の中から、一面に広がるすすきや、既に始った紅葉などを見ることができて、深まっている秋を感じ取ることができました。 【10年ぶりのJR新潟駅】 10年ぶりにやってきた新潟駅。 【アオリイカ刺、レンコ鯛の刺身】 日本海の刺身は新鮮で、間違いなくうまい。 【新潟県庁の観光物産コーナーで】 地元の特産品をPRする県庁の観光物産コーナー 【わらで編んだ猫ちぐら】 冬でも暖かそうな猫ハウス。“猫ちぐら”と言うようだ。 【新潟港に近い白新線の豊栄駅】 駅は新しいが、付近は自然な環境が続く。 【豊栄で食べた焼き魚定食】 人っ子一人いない駅から、少し奥まで歩いて探した和食の店。 さんま、アジの焼き魚定食はラーメン付き。栄養価満点で満腹。 【秋の刈入れで使われるはさぶね】 もう米の収獲はほとんど終わったそうだ。 どこで食べたご飯も、おいしかった。 【どんよりと曇ったJR富山駅】 これからどんよりした天気が多くなる・・・と、タクシーの運転手が言っていた。 【富山駅ホームの、い鯉の広場】 富山駅から高岡駅に移動するためホームで列車を待っていたら、向かいのホームに“い鯉の広場”があった。 【有名な富山の駅弁、ますずし】 この辺で駅弁といえば、やっぱります寿し。 【富山の黒醤油ラーメン】 富山駅近くで黒醤油ラーメンを食べた。醤油のコクのある味が麺の中にしっかり浸みこんでいて、なかなかうまいラーメンだった。
October 25, 2008
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【いかの活き作り、その1】 この前、九州のHに行ってきました。一緒に行ったTさんとホテルの近くのお店で食事をしましたが、新鮮な魚が食べられるお店でした。 いか刺を注文すると、いかの活き作りが出てきました。イカの体は透き通っています。 食べると、口の中でとろけてしまうような柔らかさでした。 新鮮なイカは、こんなにうまいものか・・・・と思いました。但し、ゲソはニョキニョキ動いていてびっくりギョウタンしました。 最終的に、ゲソは天婦羅にしてもらって食べましたが、カリカリ、サクサク揚っていて、おせんべいを食べているようでした。 この写真は、Tさんが携帯で撮ったものです。「子供に送ってやろう!!」と言って、早速メールでお子さんに送付したようですが、返信メールでは、「自分も食べたい」と言ってきたようです。 結局、池袋の活き作りの店で、イカの活き作りをご馳走する約束をしたそうです。 【いかの活き作り、その2】 これは、お店のパンフレットに載っていたイカの活き作りの写真です。ちなみに1パイ、1,600円也。 安い!。 明日から7月6日まで北欧へ行ってきます。 しばらくブログも休みとなります。
June 28, 2008
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【テレビ塔から見た大通公園】 【水が澄んでいる支笏湖】 【まっすぐな道】 【ライラックの咲く時計台】 昨年10月、独身の長男が苫小牧に転勤になって、その後一度も行ってなかったので、だいぶ前から北海道行きの計画を立てていましたが、このたびやっと実現し、家内と2人で様子を見に行ってきました。 北海道に発った日は、東京では気温が21度でしたが、千歳空港は7度。 真冬の気候でした。 小樽の北一硝子、オルゴール館などを見て札幌泊。 翌日、子供のマンションに30秒間立ち寄って、後は子供の運転で、苫小牧市内のウトナイ湖、支笏湖、札幌郊外の藻岩山、白い恋人パーク、札幌市内の道庁、時計台、大通り公園などを散策しました。 さて、息子とT駅で再会。そして・・・ 息子が運転する車で、息子の家に向う車の中で、「マンションには、インスタントコーヒーもないよ」と言われました。 マンションの鍵を開けて1LDKの部屋に入ってみると、ダイニングルームの奥に、万年床の布団が敷きっぱなしになっていて、その手前に大きな透明のゴミ袋が3個ありました。 そして、コタツ兼テーブルにはパソコンが置いてありました。 息子曰く、「これでも片づけたんだ」。 家内と2人で呆然と立っていると、息子は「さ、行こう!!」と、あまり、マンションにいてもらいたくない雰囲気でした。 家内があわてて、「確かもう一部屋あったんじゃないの?」といいました。 そこで、万年床の向こうのドアを開けると、その向こうの部屋には、引越しの時の荷物、ごみ等がぎっしり詰っていて、そのまた向こうに窓があるという説明を聴いただけで、戸は閉められてしまいました。 てなわけで、あっという間に30秒が過ぎてしまった・・・ということです。はい。(Y.I 記)
May 12, 2008
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【盛岡の冷麺とビビンバ】 昭和29年に、朝鮮半島の北部咸興(ハムフン)で生まれた青木輝人氏が「食道園」を開業し、 盛岡で初めて冷麺が提供されました。 透明で、いわゆるゴムのような麺は青木氏が修行していた東京数奇屋橋の店 (現在は閉店)で既に出されていたそうです。 が、レシピはなく、地道な研究と舌の記憶のみで現在の麺を作り上げたのだそうです。 その後昭和40年代になると、食道園の味をベースに、各店で盛岡ならではの素材を使い、より地域に受け入れられるための工夫が加えられ、 盛岡冷麺はじわじわと普及し始めたそうです。昭和50年代、「ペコ&ペコ」のテレビ・ラジオCMで、 冷麺は一気に大衆化。平成元年には「盛岡冷麺」の土産品が発売され、辛いものブームに乗って一気にブレイク。 平成12年4月からは、「盛岡冷麺」の生麺に対し、本場・名産などの表示が公正取引委員会から認められ、 ついに盛岡冷麺は“本場”であることが認定されたとのことです。 【米沢牛のお土産】 米沢牛と万吉の由来 米沢牛の歴史はまだ日本人が四つ足の肉を食べ始める前の明治4年にさかのぼります。この年上杉藩(米沢県)では、英国と大変な条約を結び、藩校興譲館(現在は高校)に、横浜に居留中の貿易商、チャ―ルズ・ヘンリ―・ダラスと言う紳士を英国語教師として招きました。 師はこの時、コックの万吉という青年を連れて赴任したそうです。彼に牛肉料理を作らせたのが、米沢牛の始まりだそうです。明治8年任期を終えて、居留地横浜に 米沢牛1頭を持ち帰ったため、この美味を、ハイカラな街の外国人たちが世に知らしめてくれたとのことですす。
January 23, 2007
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【山形県上空】 弘前に行く日は、雪が降ってもおかしくないような寒い日で、羽田空港は雨でした。雲を突き抜けて北上しましたが、山形県上空付近は晴れていて、地上がよく見えました。あわててカメラを取り出して1枚写しました。山の上には雪が積もってました。 【青森空港から弘前に向かう】 青森空港では、どんよりとした空から、雪がちらちらと舞い降りていました。空港付近は70cmぐらいの積雪。 空港から弘前に向かう途中は真っ白な雪景色で、北国へ来たことを実感しました。
January 20, 2007
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