北欧(コペンハーゲン、オスロ、ストックホルム、ヘルシンキ) 1
イタリア旅行(ナポリ,ローマ,アッシジ,シェナ,ベローナ他) 9
イタリア旅行(ミラノ,ヴェネツイア,フィレンツエ,ローマ,ポンペイ) 8
南イタリア旅行(シチリア、アルベロベッロ、ナポリ) 8
南フランス旅行(ニース,モナコ,プロヴァンス,アルル,パリ) 1
フランス(モンサンミッシェル、ロワール、ルーアン、パリ) 8
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【押田洋子さんから送られてきた、来年のカレンダー】 今年6月の、パリ美術館廻りの旅で知り合ったフリーランサー、 押田洋子さんから、来年のカレンダーが送られてきました。 パリ、モンマルトルに24年間住んでいて、想い出の街角、 パン、ワイン、ケーキ、花、野菜、果物、食器などが、 ペン画に淡い水彩で、所々にちりばめられています。 ページをめくっていくと、自分がかつて見た風景らしき所もあり、 暫し、心がなごみました。 石畳の坂道に沿いバラ色の レストランあるモンマルトルの丘 【6月のカレンダーの挿絵は、石畳の坂道にあるバラ色のレストラン】
November 30, 2013
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第7日(6/23日) 午前中 オルセー美術館 ~ 午後 シャルルドゴ ール空港へ(帰国) いよいよ今日は最終日となりました。 午後2次半にホテルに集合して、シャルル・ド・ゴール空港へ向かいます。 オルセー美術館は以前に行きましたが、リニューアル後を見てみたかった ため、午前中見に行くことにしました。 【オペラ・ガルニエ】 【日曜日で、人通りがほとんどないオペラ通り】 オペラ通りの日曜日は、土曜日より人通りが少なく、ほとんどのお店が 閉まっていました。 オペラ駅からメトロに乗り、ソルフェリノ駅で下車すると、オルセー 美術館に行く人の流れができていました。 地図で見当はつけていましたが、人の流れについて行くと、 オルセー美術館に着きました。 【なんとなくお洒落なソルフェリノ駅】 オルセー美術館のパンフレットを見ると、印象派前後の画家の絵画は 最上階の5階に多く展示されていたため、最初に5階に上がって、 上から下へ見てくることにしました。 書籍等でよく見る、有名な絵画がたくさん展示されていました。 【シスレー 「ポール=マルリの洪水」】 シスレーが1874年から移り住んでいたセーヌ川沿いの村 「ポール=マルリ」で、1876年、雪解けの水により起こった川の 大氾濫(洪水)を連作的に描いた6点の作品の中の1点。 【ミレー 「晩鐘」 】 1849年、バルビゾンに居を構えたミレーは、大地を相手に、仕事に 明け暮れる人々を描き続けました。 【モネ 「サン・ラザール駅」】 黄金色の光と、四方に広がる青みがかった煙の渦巻きによって、 機関車と金属でできた新しいサン・ラザール駅がぼやけて見えます。 【モネ「左向きの日傘の女」】 日差しを浴びた色とりどりの草の上に、白いドレスを着た女性が一人、 日傘を差して佇んでいます。 画面全体の明るい色調から、モネの描く喜びが伝わってきます。 【マネ 「草上の昼食」】 1863年、サロン出品作品。 この年のサロンの審査は厳しく、マネのこの作品は落選しました。 皇帝ナポレオン3世は、自らの権威を示すために、審査のやり直しを 命じたそうですが、審査員たちは、そんなことをするなら総辞職すると、 皇帝を脅しました。 これを機に皇帝の権威は失墜していったそうです。 【ルノワール「都会のダンス」】 優雅で洗練された雰囲気、上質なシルク地を思わせるハイセンスな ドレスを纏うシュザンヌの澄ました表情や慣れた仕草は、 観る者に、喧騒とは程遠い都会的で上品な印象を与えます。 【ルノワール「田舎のダンス」】 喧騒的で活気に満ちた雰囲気や、如何にも楽しげな表情、アリーヌ・ シャリゴが身に纏う垢抜けない衣服などは、『都会のダンス』とは 対照的に、気楽で田舎的ながら、どこか心を許してしまえるような 安心感や幸福感を感じさせます。 【ルノワール「草原の坂道」】 夏のアルジャントゥイユ郊外の坂道を、日傘を差した母娘らが 降りてくる姿を描いた作品。 母娘らの、親しみやすい暖かな様子が伝わってきます。 【ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」】 パリのモンマルトルの丘上の庶民的なカフェで、かつて粉挽き小屋で あった「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と、そこで過ごす人々を描いています。 木々の間から射し込む斑点状の木漏れ日や、喧騒的なカフェで 愉快に踊り、会話する人々の描写は見る人の目を奪います。 オルセー美術館から戻って、オペラ通りの 「CAFE ROYAL OPERA」 で昼食をとりました。 【オペラ通りの 「CAFE ROYAL OPERA」 で昼食】 この店で最初に食べて美味しかった三種オムレツ、生ハム、ポテトフライ、 などを、今回も注文しました。 【三種オムレツ】 【フランスビール「Edelweiss」】 フランスビールは少なかったですが、Edelweiss は、結構コクがあり、 旅行中に何度か飲みました。 午後3時前にホテルを出て、シャルル・ド・ゴール空港に向かいました。 今回の旅で、見たいと思っていた絵をだいぶ見ることができましたが、 本物の絵は、書籍や絵葉書とはまるで違うことを、あらためて痛感しました。 絵を見た時の印象を、いつまでも心に留めておきたいと思います。 【シャルル・ド・ゴール空港の出発ロビー】
July 6, 2013
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第6日(6/22土) ヴィクトル・ユーゴ記念館 ~ BHV(ベーアシベー、 百貨店) ~ 国立近代美術館 ~ ギャラリーラファ イエット(百貨店) 明日は日曜日で、お店がほとんど開いていないので、買い物をするのは 今日だけになります。 午前中メトロに乗って、ヴィクトル・ユーゴ記念館に行きました。 【メトロのオペラ駅】 今日も出発点はオペラ駅です。 メトロは、ホームごとに壁の色、デザインなどが違っていて、ファッション センスのあるパリを感じさせます。 【ヴィクトル・ユーゴ記念館へ行く道。 正面は「王の館」】 【王妃の館】 ヴォージュ広場を挟んで、「王の館」と「王妃の館」が向かい合っています。 ヴォージュ広場の中に、ルイ14世の銅像がありました。 【ルイ14世の銅像】 【石面に描かれたヴィクトル・ユーゴ記念館の案内】 ヴィクトル・ユーゴ記念館は、作家で政治家としても活躍したユーゴが、 家族と共に暮らしていた邸宅。 代表作「レ・ミゼラブル」はここで執筆されています。 遺品、原稿、自筆の絵画などが展示されていました。 【絵画、家具などが展示された部屋】 ヴィクトル・ユーゴ記念館を出た後は、おしゃれな街並みが続くりヴォリ通り をパリ市庁舎まで、お店を見ながら歩きました。 パリ市庁舎の向かいにベー・アシ・ベー(BHV)があり、息子などへのお土産 を購入しました。 BHVは、地元のお客さんが行く百貨店で、いい品物が安く売られていました。 地元ブランドでも、パリならではのお洒落のセンスがあり、 満足 o(^▽^)o しました。 【BHVの靴売り場で】 【中世のお城のようなパリ市庁舎】 BHVの近くに、工事用パイプを組み合わせたような異様な(?)建物、 ポンピドー・センターがあり、その中に国立近代美術館が入っていました。 ビルの外側に設置されたエスカレーターに乗って、絵画を展示している階 まで上がって行きました。 【ビルの外側に、エスカレーターが設置されたポンピドー・センター】 絵画展示ブースには、マチス、ピカソ、ボナール、シャガールなどの 有名な絵が展示されていました。 【シャガールの絵】 【マチスの絵】 マチスに師事し、日本に帰国して一水会を創立した洋画家、硲伊之助 の妻、アデリア・ハザマがモデルとか・・・。 【ピカソの絵】 ポンピドー・センターからパリ市庁舎前を通り、シテ島に渡りました。 ガイドさんから、ノートルダム寺院を裏側から見るのもいいですよ・・・ と聞いていたので、裏側に回って見ました。 公園の外から見たため、全部は見ることができませんでしたが、 ノートルダム寺院の表側とは、また違った趣のある寺院のように 見えました。 【ノートルダム寺院の裏側】 シテ島から、サン・ルイ橋を通って、サン・ルイ島にわたりました。 サン・ルイ島にも、オシャレで小奇麗なショップがたくさん立ち並んでいて、 観光客でいっぱいでした。 POPで可愛らしい小物を買い、マゴさん用の食器も get しました。 【シテ島とサンルイ島の間のサン・ルイ橋】 シテ島、サン・ルイ島は、セーヌ河に浮かぶ2つの島で、ここはもちろん、 セーヌ河です。 一旦ホテルに戻って買ったものを置き、ギャラリーラファイエットに、 チョコレートなどのお土産を買いに出かけました。 【サン・ルイ島近くのメトロ、ボン・マリー駅】 【土曜日で人通りの少ないオペラ通り】 【ギャラリーラファイエットのレストランで】 ギャラリーラファイエットは、たくさんの人でごった返していました。 3階のレストランは、自分で好きなものを、好きなだけ取ってくる バイキング形式でした。 とりあえずパスタ、野菜、果物、ビールなどで、空腹を満たして、 買い物に移りました。 最後の夜は、オペラ界隈で中華料理を食べました。 フカヒレスープ、揚げたての春巻きなどが美味しく、醤油味が 懐かしく思い出されました。
July 6, 2013
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第5日(6/21金) 午前中 マルモッタン美術館 ~ 市立近代美術館 ジャックマール・アンドレ美術館、 午後はジャン・ジャック・エネ美術館 ~ プチ・パレ ~ アンヴァリッド廃兵院(ナポレオンの墓) 今日はパリ市内の美術館廻りをします。 最初は印象派の画家の作品が多く、日本人に人気のあるマルモッタン 美術館です。 メトロのラ・ガール駅を降りると、ブロニューの森の一角にマルモッタン 美術館がありました。 【美術館前の公園】 【マルモッタン美術館】 日本人が多く訪れるせいか、日本語ガイドのイヤホンがあったので、 借りました。 パリの美術館は基本的に全てフランス語で、日本語の解説資料は ルーブル美術館を除き、ありません。 【マリー・ローランサン展が開催されていた】 美術館の地下で、マリー・ローランサン展が特別展示されていました。 多くの絵は、長野県茅野市のマリー・ローランサン美術館から持ち 込まれていました。 【モネ 「サン・ラザール駅(連作のうちの一つ)】 雪の駅舎で停車中の機関車前面の二つの燈光が柔らかく灯り、 心の奥までじっくりと染み込んでくるような暖かさを感じました。 【モネ 「睡蓮」】 上方3分の1は水に浮かんだ睡蓮の花、下方3分の2は水面に映る柳。 じっくり見ていると、水面の中で柳が揺れて動いているように見えてきます。 【市立近代美術館】 天井が高く、広々とした館内に、創作物や絵画が置かれていました。 入場券と一緒にもらった案内チラシにモジリアニの絵がついていました。 このモジリアニの絵は6日前までありましたが、今はどこかに持ち出して いるとのことでした。 【モジリアニの絵が入った案内チラシ】 【大きな部屋の壁いっぱいに描かれたマチスの絵】 大きな部屋の壁上方いっぱいに、マチスの絵が架けられていました。 【ジャックマール・アンドレ美術館】 銀行家のアンドレと妻で画家のジャックマールの邸宅を改装して 美術館が作られました。 夫妻が世界中から収集した個人コレクションで、フランスとイタリア 絵画が中心。 館内の内装が豪華で、夫妻の生活が想像されました。 【美術館の正面】 ちょっとした宮殿のミニチュア版のような建物でした。 中に入ると、中央に吹き抜け部分があり、階段や壁などの豪華な装飾に 目を奪われました。 【館内の吹き抜け部分】 【目を見張る豪華な装飾】 【塑像や絵画】 絵画だけでなく、塑像や陶器など、目を見張るものばかりでした。 【どこかで見たことがある絵】 Eugene Boudin(1824ー1898)の絵画でした。 当時の上流階級の人達が外で遊んでいる時の衣装が興味深く感じました。 美術館を3箇所まわり、午後2時になっていました。ジャックマール・ アンドレ美術館の食事が美味しいとガイドブックに書いてあったため、 食事をしようとしましたが、満席でした。 美術館を出て、近くのレストランに入ると、思いの他日本人スタッフが いて、日本語のメニューがありました。 メインディッシュ、デザートの軽いランチでしたが、結構味もよく、 満足しました。 (-^〇^-) ガイドブックなどに出ているお店なんだろう・・・と思いました。 【メインディッシュの鴨料理】 鴨肉の外側はパリッと焼かれていて、肉は柔らかでした。 【抹茶味のシャーベット】 【ジャン・ジャック・エネ美術館】 次にジャン・ジャック・エネ美術館に向かいました。 館内は木造の床で薄暗く、階段はギシギシ音がしました。かかって いる絵は、ほとんど人物画でしたが、目が死んでいて、薄気味悪い 絵ばかりだったので、早々に引き上げました。 次に、1900年のパリ万博で美術品展示のために造られた、プチ・パレ に行きました。 彫刻などの創作物が多く展示されていましたが、我々は広々とした部屋 に掛けられた絵画のみを見て回りました。 【1900年のパリ万博で造られたプチ・パレ】 【入口は立派な石造り】 シスレー、セザンヌなどの有名な絵で、一度は見ているものがありまし たが、名前、絵の表題などは分かりませんでした。これから調べます。 (#^.^#) 【アンブロワーズ・ヴォラールの肖像 セザンヌ】 ヴォラールは、セザンヌの作品を世に出した画商。 ヴォラールがセザンヌに依頼して描かれたもの。 最後の見学場所となる、アンヴァリッド廃兵院に、歩いて向かいました。 【アンヴァリッド廃兵院】 中には、ナポレオン時代の鉄砲、銃剣、軍服などが、たくさん展示され ていました。 アンヴァリッド廃兵院の後に、ナポレオンの柩が収められているドーム 教会がありました。 【ドーム教会】 【ナポレオンの柩】 ナポレオンを埋葬するだけの場所としては、余りにも豪華過ぎて驚きました。 偉大な政治家は、たとえ島流しにされても、死後は讃えられるということか・・・ そんなことを考えながら、ホテルに向かいました。
July 2, 2013
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第4日(6/20木) 午前中 バルビゾン村観光 ~ フォンテーヌブロー 午後はロダン美術館 ~ ル・ボン・マルシェ(デパート) で買い物 午前8時半、Mybus社に集合し、バルビゾン村に向かいました。 【石造りの小奇麗な建物が並ぶバルビゾン村】 朝のバルビゾン村はひっそりとしていて、石造りの可愛らしい建物 には、玄関先にバラの花が綺麗に咲いていました。 【ひっそりと静まりかえるバルビゾン村】 石畳の上を歩いていると、鳥の鳴く声が聞こえてきました。 【花が置かれたレストランの入口】 レストランの入口に、ミレーの「晩鐘」が掛かっていました。 よく見ると、細かく砕いたタイルで、切り絵のように細工したものでした。 【人通りの少ない村のメインの通り】 【お店の前に並んだ野菜、果物】 【おとぎの国の家のような建物】 【玄関脇で、さりげなく咲いているバラ】 【ミレー博物館】 ミレーが家族と一緒に住んだ住居兼アトリエが、ミレー博物館に なっていました。 ミレーが描いた貧しい人々の素描、版画などが展示されています。 ミレーの油絵はありませんでした。 恐らく、ここには絵を長期間安全に保管する設備が整っていないため、 置いてないものと思われます。 晩鐘や落穂拾いなどの絵は、オルセー美術館に収蔵されています。 【ミレーが描いた、貧しい人々の素描】 【ミレー博物館の近くで】 【石畳の坂道】 道端でガイドさんの話を聞いていると、村に住む老婦人が声をかけてきて、 「私も絵を描くのよ」と、その場で画集を見せてくれました。 郊外の村の素朴な老婦人 笑顔で自分の画集を見せる 静かな通りを歩いていると、世界的に有名(?)な高級ホテル兼 レストラン「バ・ブレオー」がありました。 昭和天皇・皇后陛下も訪れ、このレストランで食事をされたそうです。 その際には、わざわざミレーの絵を取り寄せて、陛下の目の前の 壁に飾られたそうです。 ナポレオン3世、エリザベス女王なども訪れ、小説家スティーブンソン (宝島の作者)はお気に入りで長く滞在したとか・・・。 通常、ホテルには入れないようですが、ガイドさんが交渉してくれ、 中の庭園を見ることができました。 【高級レストラン「バ・ブレオー」の前で】 【庭園をよこぎられる昭和天皇・皇后陛下】 昭和天皇が来られた時の模様を記した写真入りのパンフレットを、 「バ・ブレオー」でいただきました。 【重厚で落ち着いた雰囲気の「バ・ブレオー」の中】 【花が綺麗に植えられた庭園】 いつまでも散策を続けたいバルビゾン村でしたが、時間が 迫ってきため、歴代のフランス国王が居城として利用していた フォンテーヌブローに向かいました。 途中、ナポレオンとローマ法王が林の中の道で対面した場所を通りました。 ナポレオンの戴冠式の時、ナポレオンはローマ法王をフォンテーヌブロー 城に呼びつけたそうです。 【フォンテーヌブロー城】 洪水で水に浸かったフォンテーヌブロー城。 既に水は引いていましたが、停電のため、入城できませんでした。 城に入城できなかったため、ガイドさんが気をきかせてくれ、城の裏側 に行ってみることになりました。 バスは、フォンテーヌブロー市内を迂回して行きました。 【フォンテーヌブロー市内を迂回して城の裏側に廻る】 林の中の道を行くと、樹木の間に、城の裏側とその前に 広がる庭園が見えてきました。 バスの中から見ただけでしたが、フォンテーヌブロー城の 歴史を感じさせる光景に、感動しました。 【フォンテーヌブロー城の裏側と、その前に広がる庭園】 14時過ぎにパリ市内に到着。 ホテルに戻って軽い食事をとり、ロダン美術館に出かけました。 【ロダン美術館の正面】 ロダン美術館は、ロダンが晩年の10年間を過ごしたアトリエ兼 住居です。 広い庭園は綺麗に整備されていて、色々な色のバラの花がたくさん 咲いていました。 庭園のみを見に来る人もいるようで、切符が分かれていました。 【庭園のあちこちにバラの花が咲いていました】 もちろん、ロダンの「考える人」も正面の庭にありました。 【ロダン 「考える人」】 ロダン美術館は白い彫刻が主で、絵画はほとんどありませんが、 ゴッホの絵画があります。 「タンギー爺さん」と、精神病院を描いたと思われる絵の2枚です。 今回の旅で、ゴッホの絵は「オヴェールの教会」「自画像」などを、 後述するオルセー美術館で見る予定でしたが、オルセーには1枚も ありませんでした。 どこかに貸出している模様です。 ロダン美術館のこの2枚が、今回の旅で見たゴッホの絵です。 【ゴッホ 「タンギー爺さん」】 【南仏の精神病院を描いたと思われる油彩画】 【ロダン美術館の広い庭園】 ロダン美術館の帰りに、サンジェルマン・デプレのデパート 「ル・ボン・マルシェ」に寄って、食料品を買いました。 その後、パリ老舗のパン屋「ポアラーヌ」で、パンを買ってきました。 【パリ老舗のパン屋「ポアラーヌ」】 ポアラーヌは、あまり大きなパン屋ではありませんが、歴史は古い ようで、店の壁面上部に、昔のパン製造の絵が貼られていました。
July 1, 2013
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第3日(6/19水) 午前中 モロー美術館、午後はゴッホ終焉の村 オヴェール・シュル・オワーズ観光 午前中、スーパーマーケットのモノプリへ行って、ビール、水などを 購入しました。 夜から朝にかけて降っていた雨も上がって、日が差してきたところ、 ギュスターヴ・モロー美術館に向かいました。 【オペラ・ガルニエ】 【トリニテ駅前にそびえ立つ サン・トリニテ教会】 メトロのトリニテ駅を降りて外に出ると、駅前にサン・トリニテ教会が そびえ立っていました。 地図を見ながら、ギュスターヴ・モロー美術館に向かいました。 ギュスターヴ・モロー美術館は、フランス象徴主義の画家、 ギュスターヴ・モローの自宅兼アトリエを改装したものです。 【東洋の骨董品が並ぶ 】 ギュスターヴ・モロー美術館には、東洋の骨董品などが置かれた 部屋がありました。 当時の画家は、東洋的なものに興味を抱いていたようで、 モローも、中国や日本の書画・骨董品を収集していたようです。 【螺旋階段の上から見たアトリエ】 建物の3階と4階を結ぶ優雅な螺旋階段は、モロー自身が設計した ものです。 モロー美術館見学後は、ギャラリーラファイエットでショッピングをしました。 ギャラリーラファイエットの吹き抜け部分は、豪華絢爛な宮殿のようで、 とても百貨店とは思えませんでした。 【ギャラリーラファイエット。 吹き抜け部分の華麗な装飾。】 【大きな天井は、1枚の写真に収まりません。】 【オペラ通り付近】 【ブレッツエルなどのパン】 オペラ・ガルニエ近くのパン屋「PAUL」で、ブレッツェルなどのパンを 買い、ホテルの部屋で昼食をとりました。 午後から、オヴェール・シュル・オワーズの半日観光に出かけました。 ガイドさんは中年の日本女性。 ゴッホに精通していて、 オヴェール・シュル・オワーズは大好きということでした。 【オワーズ川】 オヴェールに入る前に、オワーズ川を渡ります。 静かなオワーズ川には、遠方に小舟が数艘浮かんでいました。 【オヴェールの町】 オヴェールの町は静かで、人影もほとんどありませんでした。 【イーゼルを背負ったゴッホの像 (ゴッホ広場) 】 きれいに芝を刈ったゴッホ広場に、イーゼルを背負ったゴッホの 銅像がありました。 ゴッホは、こんな格好をして教会や麦畑に、絵を描きに出かけた のでしょうか ・・・。 銅像のゴッホの手を握って、記念写真を撮りました。 ここでガイドさんが、 「さあこれから、オヴェールの町を、ゆっくり見て行きましょう」 と言うと、 なんだか、本当にゴッホの世界に入って行くような気分になりました。 イーゼルを背中に背負った銅像の 手に触れゴッホの世界に入る 【ゴッホが最後の70日間暮らしたラヴォー亭】 画家ピサロの紹介で、ゴッホの弟テオはゴッホに、精神科ドクターガッシェ がいるオヴェールに療養に行くことを勧めます。 ゴッホはドクターガッシェと意気投合し、オヴェールの町で生活することに しました。 カフェ店 ラヴォー亭の3階の屋根裏部屋を借りて、ゴッホの生活が始まり ました。 しかし長くは続かず、ゴッホは70日間で命を絶ってしまいます。 医者の住むパリ郊外の田舎町 天窓付きの屋根裏に住む 【その当時のラヴォー亭】 当時のラヴォー亭の写真がありました。 【当時のままを再現した、ラヴォー亭前のテーブルとベンチ】 【麦畑に向かう途中、道端の家。 薔薇の花が綺麗だった。】 石と漆喰の家の玄関脇に、薔薇の木が植えられていて、その枝は 2階の窓まで伸びていました。 これだけ綺麗に花を咲かせるには、手入れも大変だろうな・・・と思いました。 色褪せた石造りの家にバラが咲き 蛇行した道に人影はなし 玄関の脇の深紅のバラの花 雨が上がって薄日に揺れる 【この路を登って麦畑へ向かう】 坂道を登っていくと、オヴェールの教会が見えてきました。 ゴッホの絵と比べると、左に木が伸びていて、教会の一部を覆って いるほかは、ほとんど変わっていませんでした。 【オヴェールの教会】 【ゴッホ 「オヴェールの教会」】 【満開の菩提樹の花】 麦畑の手前に、鬱蒼とした菩提樹の林がありました。 林の中に入ると、6月の爽やかな風が吹いていました。 菩提樹の林の中を六月の 爽やかな風さわさわと吹く 林を抜けると、目の前に麦畑が広がっていました。 【一面の麦畑】 【ゴッホが麦畑を描いた場所】 ゴッホが麦畑の絵を描いたあたりに、ゴッホの絵を説明する看板が 立っていました。 一面の麦畑の中のこのあたりに イーゼル置いて自然を描く 【ゴッホと弟テオの墓】 麦畑の中に墓地があり、ゴッホとテオの墓がありました。 二人の墓は、深い緑の蔦(つた)に埋もれていました。 暫くして、ここで旅行者全員、黙祷をしました。 弟と二つ並んだ墓石は 深い緑の蔦に埋もれる 17時半ごろ、オヴェール・シュル・オワーズを後にして、パリに戻りました。 シャンゼリゼ通りは、雨に濡れていました。 【バスの車窓から見たパリ、シャンゼリゼ通り】 Mybus社に着いて解散した後、オヴェール・シュル・オワーズ 半日観光で知り合った、フリーの女性コピーライターOさんと 一緒に、カフェで食事をしました。 Oさんは、モンマルトルにアパートを持ち、日本とパリを、仕事で 行き来していたそうですが、今度日本に戻られるそうです。
June 29, 2013
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第2日(6/18火) 午前中、バスでジベルニーのモネの家へ ~ 午後、モンマルトルのサクレクール寺院 ~ モンマルトル博物館 ~ モンマルトランで周辺観光 ~ セーヌ河クルーズ 【朝食をとったホテルのレストラン】 朝8時、オペラ通りから少し入ったところにあるMybus社に集合し、 モネの家・ジベルニーの半日観光に出かけました。 バスには中年の日本人女性ガイドがつきました。 ガイドさんの説明によると、モネはマネを尊敬していて、マネの描いた 絵「オランピア」に似た絵を描いたそうです。 マネは早く亡くなり、モネはマネの絵「オランピア」をルーブル美術館で 高く買ってもらって、金に困っていた未亡人を助けたそうです。 【マネ 「オランピア」 】 当時は結構画家同士で、裕福な画家が貧しい画家の面倒を見るなど、 助け合って生活をしていたそうです。 モネは人に好かれ、友達が多かったため、自分が困った時は、 ずいぶん助けてもらっていたようです。 【ジベルニーのモネの家の前に広がる花畑】 モネの家に着くと、すでに多くの観光客が訪れていました。 年配者のご婦人が多いように感じましたが、綺麗な花がたくさん 咲いている英国風ガーデンを見て心打たれるのは、年齢に 関係ないと思いました。 【花畑の中の道】 【モネの家から見下ろしたところ】 花好きのモネは庭師を何人も 使って庭を整えていた 【日本庭園、睡蓮の池】 睡蓮の池は静かにたたずみ、柳の木や空を写していました。 時折、鳥の鳴く声が聞こえてきました。 睡蓮の池には柳や竹などの 日本の趣ちりばめられる 空を写す鏡となった水面は 風があっても動くことなし 【睡蓮の池の廻りを散策できる小路で】 【こんな花が無数に咲いている。】 無数の花が咲いていましたが、花の名前はほとんど分かりませんでした。 【モネの家】 遠くから見るとモネの家の外壁は緑色に見えます。この家の廻りなら、 どの季節の、どの花も、安心して咲くことができそうに見えました。 モネの家で画家が見ていた風景を 自分もこの目で見たいと思う 部屋ごとに黄色や水色に彩られ 明るく落ち着くモネの住んだ家 午後、オペラ通りのMybus社に戻り、近くのレストランで昼食をとりました。 【オペラ通りのレストラン 「CAFE ROYAL OPERA」 で昼食】 焼きたての三種オムレツは、あまり濃い味ではなく、日本人好みに 調理されていると思いました。 クラブサンドイッチの鶏肉は柔らかで、薄切りのトマト、レタスと一緒に 食べると美味しく、いくつでも食べられそうでした。 【サクレクール寺院】 イスラムの影響を受けたというサクレクール寺院。 寺院からパリの街が一望できます。 【モンマルトルのテルトル広場】 テルトル広場には、似顔絵を描く画家がたくさんいて、腰を下ろす場所 もないほどでした。 10年前に出張で来た時は、広々としていて、所々に画家がイーゼルを 置いて絵を描いていましたが、似顔絵を描く人はほとんどいませんでした。 記念に2人の顔を一枚の画用紙に描いてもらいました。 所要時間は30分。 なかなか上手く描くものだと、感心しました。 【モンマルトルで買った油絵】 テルトル広場の近くの画材店に、こんな絵がたくさん置かれていました。 安かったため、1枚購入してきました。 【モンマルトルの街を廻るモンマルトラン】 坂道の多いモンマルトルの街を一周するモンマルトランに乗って みました。 心地よい風を頬に受けて車窓から見る街並みは、人が住む生活を 感じさせて新鮮でした。 【キャバレー ムーランルージュ】 1889年に創業した赤い風車がシンボルのキャバレー。 今回はモンマルトランから眺めるだけでしたが、毎晩、赤一色で統一された 店内で、ノスタルジックで華やかなショーが繰り広げられているそうです。 【モンマルトル博物館】 モンマルトルを愛した芸術家たちが住んだ家を改装して、博物館に しています。 絵画のほか、昔のキャバレーの広告などが展示されていました。 【モンマルトル博物館に架けられていた絵】 こんな絵が何枚も架けられていましたが、名前は知らない画家でした。 マネやモネのように後世に名を残す画家はわずかで、多くの画家は 世に認められず、埋もれていると思いました。 【どこから見ても美しいエッフェル塔】 メトロ駅を降りて、セーヌ河クルーズの乗船場、バトーパリジャンに 行く途中、思いもがけず目の前に、美しいエッフェル塔がそびえていました。 【セーヌ川クルーズの乗船場、バトーパリジャン】 バトーパリジャンには乗船する人が並んでいましたが、あまり待たずに 乗船することができました。 【アレキサンドル3世橋】 セーヌ河に架かる橋の中で一番美しいといわれるアレキサンドル3世橋 をくぐりました。 【クルーズ船から見たオルセー美術館】 セーヌ河畔には樹木が植えられ、人が散歩したり本を読んだりして いました。 セーヌ河一体が世界遺産になっていて、人工的な変更はできなく なっているそうです。
June 26, 2013
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平成25年6月17日(月)~24日(月)まで、家内とパリに美術館廻り の旅に出かけました。 今回はいつものパッケージツアーではなく、初めてのフリーの旅で、 郊外へ行く観光はオプションを利用しました。 パリのオペラ・ガルニエの近くにホテルをとって定宿し、毎日軽装で、 パリ近郊で画家にゆかりのある地を訪ねたり、市内の美術館廻り をしました。 郊外の訪問地は、ジベルニーのモネの家、ゴッホの終焉の地 オヴェール・シュル・オワーズ、ミレーのアトリエがあるバルビゾンと フォンテーヌブローです。 また、パリ市内はメトロを使って、主に印象派前後の絵画がある美術館 を回りました。 【主なスケジュール】第1日(6/17月) 成田空港 ~ パリ・シャルルドゴール空港 ~ パリ市内(泊)第2日(6/18火) 午前中、バスでジベルニーのモネの家へ ~ 午後、モンマルトルのサクレクール寺院 ~ モンマルトル博物館 ~ モンマルトランで周辺観光 ~ セーヌ川クルーズ 第3日(6/19水) 午前中 モロー美術館、午後はゴッホ終焉の村 オヴェール・シュルオワーズ観光第4日(6/20木) 午前中 バルビゾン村観光、午後はロダン美術館 ~ ル・ボン・マルシェ(デパート)で買い物第5日(6/21金) 午前中 マルモッタン美術館 ~ 市立近代美術館 ジャックマール・アンドレ美術館、 午後はジャン・ジャック・エネ美術館 ~ プチ・パレ ~ アンヴァリッド廃兵院(ナポレオンの墓)第6日(6/22土) ヴィクトル・ユーゴ記念館 ~ BHV(ベーアシベー、 百貨店) ~ 国立近代美術館 ~ ギャラリーラファ イエット(百貨店)第7日(6/23日) 午前中 オルセー美術館 ~ 午後 シャルルドゴ ール空港へ(帰国) 第1日(6/17月) 成田空港 ~ パリ、シャルルドゴール空港 ~ ホテル(泊) 【空港で出発前に飲んだギネス】 空港を旅立つ時、いつもながらビールを1杯飲みました。 今日はややほろ苦いギネス。 これからパリに行く ・・・・・ という気持ちを噛み締めながら ・・・・。 (やや、大げさか (#^.^#) ) 【成田発11:10 JL405便、シャルル・ドゴール空港(パリ)行 】 機内では3本の映画を見ました。 ☆王様にされた男 王様が病気になり、王様に顔がよく似た男が王の身代わりをさせら れる。金で釣られて身代わりを引き受けるが、本当に王様になって 貧しい人を救いたいと考えるようになる。しかし、結局は庶民に戻る という韓国映画。 ☆人生のカルテット かつては有名なオペラ歌手だった人達が晩年、豪勢な老人ホームで 過ごす。金の心配は全くないが、かつての栄光も消えてなくなっている 人達の、人生の最後の幸せとは・・・。 ☆タイタニック 沈まないはずの豪華客船が沈んでしまう。上流階級の乗客、船員など の、いざという時のさまざまな人間模様を、ラブロマンス仕立てで描く。 時間つぶしにと思って見ましたが、どの映画も思いのほか感慨深く、見て よかった・・・・と思いました。 映画を見るのは久しぶりでした。 約30分遅れで、シャルル・ド・ゴール空港着。 空港は税関にパスポートを見せるだけで、簡単に入国できました。 【11時間40分後に、シャルル・ド・ゴール空港に到着】 【バゲージを受け取り、出口へ向かう】 【パリ市内オペラ通り。 正面がオペラ ガルニエ】 【宿泊したホテル 「FRANCE DANTIN OPERA」 】 オペラガルニエから徒歩3分ぐらいのところにあるプチホテルで、 メトロのオペラ駅に数分で行くことができます。 スーパーマーケットのモノプリ、百貨店のギャラリーラファイエットも 5分ぐらいで、どこへ行くのも便利でした。 【ホテルの部屋の入口脇の壁に、ロートレックの絵が掛かっていた】 初日は早速、モノプリでチーズ、ハム、ビールなどを買ってきて ホテルの部屋で、やや遅めの夕食をとりました。 買ってきたビールはあまり冷えてなく、すぐに冷蔵庫に入れました。 ビールは前日に買っておいて、冷蔵庫に入れておく必要があり そうです。
June 25, 2013
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