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最後に歴史教育の目的について考えておこう。戦後日本における平和主義者は、二度と戦争を起こさないために、平和教育の必要性を説く。が、犯罪者が再び罪を犯さないように教育するというのなら分からなくもないが、戦争を知らない世代に二度と戦争を犯さないように教育するというのは少し筋が違うのではなかろうか。日本人には好戦的なDNAが深く刻まれているというのであれば、永遠に平和教育を施す必要もあろう。が、そのような国民性があると言えるはずもない。
ならば、戦前の日本は、大陸の人々に多大なる苦難を被(こうむ)らせた悪しき国であるということを強調するしかない。その結果、実質的に、平和教育が自虐教育と化してしまっているのだ。戦前の日本は悪い国だったということを、それが正義だと信じ、一所懸命に教える。これが自虐的でなくて何なのであろうか。
マッカーサーも米議会公聴会で証言した通り、大東亜戦争は自衛の戦争であった。また、亜細亜の解放という側面もあった。にもかかわらず、戦後日本における平和主義者は、こういった視点を無視し、戦勝国史観よろしく大東亜戦争を侵略戦争と決め付けている。まさに自虐的と言うしかない。
また、日米戦たる太平洋戦争は、あまりにも不可思議な戦争であった。大東亜戦争と太平洋戦争の2つの戦争を同時に戦うなどというのは非常識であることは言うまでもない。また、大東亜戦争には、自衛や亜細亜解放という大義があったが、太平洋戦争には、戦う名分がない。もちろん、侵略戦争でもなかった。
ここには日本と英米を戦わせて漁夫の利を得ようとする力が働いたとしか思われない。そこには共産主義のスパイ尾崎秀美(おざき・ほつみ)やゾルゲの存在もあった。こういった話が大東亜・太平洋戦争の総括からずっぽり抜け落ちてしまっている。
ところで、平和教育を必要とするのは、むしろ戦後多くのミサイルをぶっぱなしている米国やロシアをはじめとする国連常任理事国(P5)の方だろう。彼らに平和教育の必要性を訴えてみればよい。一蹴(いっしゅう)されるのが落ちである。平和の論理が彼らとは異なるのだ。戦後日本は、戦わぬのが平和だと考えているが、彼らにとっては、平和は戦って勝ち取るものだ。戦争は政治の延長線上にあり、政治的駆け引きの中に戦争という手段が含まれている。さらに悪いことに、世界には戦争を金儲けの手段と考えている国も少なくない。要するに、戦後日本の平和主義など「平和ごっこ」に過ぎないということだ。【続】
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