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6月7日の日テレ「沸騰ワード10」は、井桁弘恵 タイ・カンボジア・ベトナムを4泊5日で横断!かかった金額は?コスパ旅に密着。学生時代から激安で海外を回り続け、コスパ旅好きの井桁。今回の目的地はタイ・カンボジア・ベトナムの3か国。片道1万5000円のLCCチケットを手に入れ、滞在4日間、軍資金はホテル代、交通費込みで6万円。4泊5日で3か国の国境を陸路で越える弾丸旅。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タイからカンボジアのポイペトへ入国。世界遺産の街シェムリアップ。3日目に訪れたのは、カンボジアの象徴・アンコールワット。12世紀、当時の王が30年かけて造った寺院で、世界から観光客が押し寄せる。回廊や中央祠堂など見どころ満載。王位の座を巡る18日間の死闘が描かれた全長48.5mの彫刻や、400年前の日本人が書いた落書きも残っている。さらに、アンコールワットの最上階は神の降臨の儀式を行う神聖な場所だという。井桁がかねてより楽しみにしていた、池に映る「逆さアンコールワット」は…到着してみると池は大規模修復工事中。気を取り直し、映画「トゥームレイダー」のロケ地としても有名なタ・プロームへ。樹木が遺跡に絡みつく神秘的な光景に、井桁も大興奮。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今年の正月、カンボジアを訪れ、「アンコールワット」を目の当たりにしたのを思い出します。【今日のLifeHack:君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ、ニーチェ】
June 12, 2024
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秋篠宮家の次女・佳子さまがギリシャを訪れ、パルテノン神殿で遺跡の修復状況を視察されたとのニュースが流れました。日本とギリシャの益々の友好関係を深めて欲しいものです。最初のギリシャ訪問は1976年の学生時代、2回目は1995年、妻と一緒にアテネを訪れ、パルテノン神殿を背景に記念撮影したのを思い出します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■ギリシャ公式訪問中の佳子さま、世界遺産のパルテノン神殿を訪問し、遺跡の修復状況を視察 首都アテネで>2024年5月27日(月)1時2分 TBS NEWS DIGギリシャを公式訪問中の秋篠宮家の次女・佳子さまは、首都アテネで世界遺産のパルテノン神殿を訪れ、遺跡の修復状況を視察されました。佳子さまは現地時間26日の午後2時すぎ、日本時間のきのう夜、ギリシャの国旗カラーである青と白の服装にスニーカー姿でパルテノン神殿に到着されました。パルテノン神殿は1687年にヴェネツィア共和国の攻撃で破壊され、40年以上にわたって修復が続けられています。ギリシャ文化省の関係者から修復の説明を受けた佳子さまは「修復途中で新しい発見はありましたか」などと尋ねるなど、熱心に聞かれていました。高さ10メートル以上の神殿の柱を見上げ、「あうようにはめていくのですか」と修復手順を確認するなど、1時間半ほど遺跡を巡られました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい、ニーチェ】<1995年は、妻と一緒にアテネを訪れ、パルテノン神殿を>
May 30, 2024
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金毘羅さんが国重要文化財になる見通しとなったとのニュースが流れました。おめでとうございます。2022年9月、「こんぴらさん」こと金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県琴平町)を訪れたのを思い出します。門前町から785段の石段をのぼり終え、無事に参拝すると、急に雨が降り出し、土砂降りとなり、途中で喫茶「神椿」で雨宿りしても雨がやまず、仕方なく外に出て、石段を下り終えた頃には晴れてきたのが印象的でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■こんぴらさん、国重要文化財に 文化審、8件答申> 「こんぴらさん」として知られる金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県琴平町)や東京拘置所内にある旧小菅刑務所庁舎(東京都葛飾区)が、国の重要文化財になる見通しとなった。文化審議会は17日、新たに8件の建造物を重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申した。 金刀比羅宮は、門前町から785段の石段をのぼった先にある本宮や別宮などの12棟。いずれも明治時代の神仏分離に伴い、神社として再興した際に建てられた。仏教色を排した白木を用いた本宮など、上質で独特の社殿群として評価された。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。それは物事を実際よりも単純に理解し、そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなる、ニーチェ】<5/18朝日新聞><2022年9月に訪れた「こんぴらさん」>
May 22, 2024
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ドラクロワの絵画「民衆を導く自由の女神」が、修復を完了し鮮やかに蘇ったとのニュースが流れました。2019年の正月にパリを訪れ、1976年以来2度目、この作品を目の当たりにしたのを覚えています。鮮やかに蘇ったとのこと、その姿をまた鑑賞してみたいものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■ドラクロワの絵画、鮮やかに 修復完了> 19世紀の画家ドラクロワが1830年にフランスで起きた7月革命を描いた絵画「民衆を導く自由の女神」が、半年間の修復作業を終え、パリ・ルーブル美術館で2日から一般公開される。仏紙ルモンドなどが4月30日に報じた。 自由の象徴である女神が三色のフランス国旗を掲げ、武装した人々の先頭に立つ姿を描いた絵画は74年からルーブル美術館に収蔵されている。原画は色をより鮮やかにするため長年にわたって8層のニスを塗り重ねた結果、酸化して黄色く変色してしまっていた。 修復家たちはまずX線や赤外線を使って作品を分析し、この絵の画像記録と比較。半年間の修復を終えると、作品の背景には真っ青な空が現れ、人々の銃からは白い煙が上がったという。 (村上友里)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある、ニーチェ】<朝日新聞><ルーブルを訪れた時>
May 5, 2024
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毎週楽しみに観ているTBS「世界遺産」、今回は『世界遺産「空から迫る!ナスカの地上絵の秘密」』です。今から約2000年前に描かれた南米ペルー「ナスカとパルパの地上絵」。日本の山形大学が新発見したものなど、特別に許可されたドローンを駆使して地上絵に迫っています。2013年のGWにペルーを訪れ、セスナで、上空から色々な「ナスカの地上絵」を見たのを思い出します。但し、乗る前にパイロットにチップをはずんだせいか、大サービスで、地上絵の上を、右に左に旋回、私は気分が悪くなり、右手のカメラは話さず、左手に袋を持って対応した苦い経験を思い出します。(笑)この「世界遺産」は、珍しく、上空から見ないと分かりません。ドローンのように、気球に乗って低空から、近くでゆっくりと鑑賞すれば、もっと良く分かるかと思います。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<@heritage_TBS><■ナスカとパルパの地上絵 〜 空から迫る ナスカの地上絵の秘密>今回は約2000年前、南米ペルーの荒涼とした大地に数多く描かれた「ナスカとパルパの地上絵」をご紹介。近年では、日本の山形大学の研究チームが新たな地上絵をたくさん発見して、ニュースにもなっています。番組「世界遺産」では滅多に許可が出ないドローンを使って、有名な地上絵や新発見の地上絵をいろいろと撮影しました。おなじみの「ハチドリの地上絵」もドローンを使って撮影すると、人との大きさの対比がしやすく、全長約95メートルという巨大さがよく分かりました。ナスカの地上絵というと、こうした鳥やサル、クモなどの生物がモチーフのものがよく知られていますが、実は人の姿のようなものもあります。たとえばパルパ地域で見つかった地上絵。頭飾りをつけた神官たちとも、聖なる世界の存在を描いたものとも言われています。丸い目に丸い口…不思議な愛嬌があります。山形大学が発見した地上絵の中にも、おかっぱ頭みたいなカワイイ感じの人らしき絵もありました。しかし、中には不気味なものもあるのです。<雨乞いのため「首切りの儀式」か 遺跡からは人の頭部のミイラ発見>直立して、笑みを浮かべた人物のように見える地上絵。上には、人の頭らしきものが三つ。足元にも二つ描かれています。実は「首切りの儀式」を描いたものではないかと言われています。その遺跡から人の頭部のミイラがいくつも見つかっていて、神に捧げる首切りの儀式が行われていたと考えられているのです。山形大学が新たに発見した地上絵の中にも、人の首を持つ人物の姿を描いたものがありました。一見カワイイけれど実は不気味な地上絵…首切りの儀式は、雨乞いのために行われたと考えられています。ナスカは極端に雨が少なく、そのために雨乞いが行われました。その儀式の様子を大地にも描いたと思われます。ちなみに、約2000年も前に描かれた地上絵が今も残っているのは、雨が少ないことに加え、水が流れたり、自然の影響で壊されたりしない場所に描かれたためとされています。このように素朴な絵が、実は深い意味をもっている…そんな例は他の世界遺産にもあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■ナスカの地上絵>(ナスカのちじょうえ、Nazca Lines)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称であり、古代ナスカ文明の遺産である。ナスカの図形群が描かれているエリアは縦横30kmもある非常に広大な面積があり、全体に千数百点もの膨大な数の巨大な図形が描かれている。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎の一つとなっている。また、ナスカの地上絵のエリアから川を挟んですぐ南にはカワチの階段ピラミッド群があり、その関係性は深いと予想されている。ナスカの地上絵のエリアのすぐ北には、川を挟んでパルパの地上絵(パルパのちじょうえ、Palpa Lines)と呼ばれる同じぐらい広大な山岳地帯の地上絵のエリアがあり、ナスカの地上絵の1000年前パラカス文化の時代に描かれたとされる数多くの幾何学図形と地上絵が描かれているが、観光地化されていないので一般にはあまり知られていない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:他の人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、たいてい相手の人はそれを忘れない、ニーチェ】<2013年のGW、ナスカの地上絵「ハチドリ」を上空から撮影><山の麓を拡大すると・・・宇宙人!><最も美しいとされる全長96mのハチドリ、翼は66m><「オウム」>
May 4, 2024
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選手末の「世界ふしぎ発見!」は天空アンデスミステリー!、マチュピチュです。2013年のGW、長い間待ち続けた、憧れの地「マチュピチュ」へ、軍手とトイレットペーパー持参で、訪れたのを思い出します。幸運にも快晴でしたが、終わった後のお昼に、突然雨が降り出し、不思議な山の天気を実感したのを覚えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■2024年2月24日 よる9時から放送、「世界ふしぎ発見!」第1698回>出演者:草野仁、黒柳徹子、野々村真、石井亮次、いとうせいこう、玉井詩織(ももいろクローバーZ)、岡田圭右(ますだおかだ)<ミステリーハンター・野口絵子が、アンデス山脈に秘められた天空都市へ!>今回はミステリーハンターの野口絵子さんが、世界中の人々を魅了するマチュピチュを訪ねます。14世紀から15世紀にかけて、南米アンデス山脈を中心に繁栄を遂げた巨大帝国、インカの象徴とされる遺跡です。一体なぜマチュピチュは険しい尾根に築かれたのか?その建設方法は?そこでの暮らしとは?天空都市の真実に迫ります!<憧れのマチュピチュを訪ねた感想は?>マチュピチュは有名な遺跡ですが、実際に行ったことがある人はなかなかいないですよね。私も今回初めて行くことができて思ったのは、日本を出発して辿り着くまで数日かかった移動の長さです。そして今まではその遠さから「この地球のどこかにはあるんだろうな…」と思っていたマチュピチュに自分がいることがものすごく感動的でした!それと不思議なのですが、マチュピチュでは静けさも感じたんです。観光客の方も多くて実際は賑やかなのに、あの空間だけは歴史が止まっているようなタイムスリップしたようなそんな感覚でした。またマチュピチュへ行くには、私たちと違うルートもあって、クスコからインカ時代の道を重い荷物を背負ってトレッキングしてくる人たちもいるんです。到着した彼らの何人かは感動して泣いていたり、喜んでいたり。もちろんどのルートでマチュピチュを訪れても感動してしまうのですが、私も時間をかけて登山をする時のことを考えると彼らの気持ちがわかりました。簡単にはたどり着けない天空都市を前にして、世界各国から集まったみんなのきらきらした表情がそこにはあふれかえっていました!野口 絵子(のぐち えこ):2004年2月21日生まれ、東京都出身。登山家の父・野口健さんと共に9歳で冬の八ヶ岳にて登山家デビュー。長期休みの度に父と国内外の山々を踏破。ニュージーランドの高校を卒業し、現在は都内の大学に通う。趣味はカメラ、フルート、ギター、読書、執筆など。ミステリーハンターは今回で5回目。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:自分に出会えない人生は、他者とも出会えない、伊丹十三】<2013年のGWに撮影>
February 26, 2024
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私の「二十歳のバイク日本一周」の途中、愛知県から旅していた友人と高知の土佐山田のユースホステルで出会い、2011年からは夫婦二組で日本中を旅しています。彼から突然ラインがあり、結婚40年記念で金沢を旅している旨の連絡がありました。彼は東日本大震災の時、そして熊本地震の時に、市職員として手を挙げて現地で乗り込み、復旧作業に携わっていますので、今回も能登半島地震のお手伝いかと思いましたが、違うようです。その翌日、金沢のお土産が届きました。甘酒、魚醤、ポン酢、インスタント味噌汁などが入っています。秋・冬のおすすめ、能登の魚醤「いしる」「いしり」を使用しているとの説明書きが入っています。能登半島では、古くからイカや魚を原料とした「魚醤」が作られ、郷土料理はもちろん、刺身や煮物の隠し味に使われている様です。有り難いことです。・・・今年の夏は出会ってから50年、還暦記念の時と同様、高知空港で待ち合わせ、出会った場所「土佐山田」を訪ねる予定です。楽しみです。【今日のLifeHack:使命と出会う人生は、幸せな人生です、喜多川泰】<金沢のお土産>
February 25, 2024
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大変遅くなりましたが、やっと・やっと、昨年12月の毎年恒例「ミステリーツアー」のフォトブックが完成です。タイトルは、2023年12伊豆と富士の旅②■2日目:富士山・土肥金山・韮山反射炉・三島Walk楽しい、楽しい旅となりました。彼が、「冒険と歴史ロマンの旅」と・・・。フォトブックを作り終えて、私の旅は終わりです。今年の旅も宜しくお願いします。FM ilovecb・・・今年は、我々が初めて出会った「高知・土佐山田」・・・【今日のLifeHack:人生は辛いことの繰り返し。でも一瞬の喜びや瞬時の楽しみの為に皆一生懸命生きている、中居正広】<フォトブック--②>
February 24, 2024
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正月の「カンボジアの旅」等があり・・と言い訳しながら・・・・大変遅くなりましたが、やっと・やっと、昨年12月の毎年恒例「ミステリーツアー」のフォトブックが完成です。タイトルは、2023年12伊豆と富士の旅①毎年のことですが、集合と解散の場所しか聞かされていないミステリーツアーで、旅程は彼の頭の中、彼の奥様も知りません。それも分刻みのハード・スケジュール、彼の独走態勢です。■1日目:柿田川・沼津御用邸・浄蓮の滝・石廊崎・堂ヶ島温泉【今日のLifeHack:人生は自分で創るもの。遅いということはない、カーネル・サンダース】<フォトブック--①>
February 23, 2024
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「結婚45年記念カンボジアの旅」も最終日、この日は、経由地のベトナムのホーチミンから成田へ向かいます。往路の成田からホーチミンまでの約7時間、長かった旅を思い出しますが、復路は1時間ほど短くなるのを期待します。そして、無事に成田空港に到着、これで久しぶりの海外旅行は、終了です。【今日のLifeHack:「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい、皇后美智子】
January 26, 2024
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カンボジアでの観光を終えて、シェムリアップ空港へ向かい、ここから経由地のベトナム・ホーチミンへ向けて飛び立ちます。いよいよカンボジアともお別れです。いつもの弾丸ツアーなので、密度は濃く、長かったような、短かったような・・・。そして、シェムリアップ空港に到着です。バスから降りて、空港内に入りますが、乗客や関係者しか中に入れず、運転手さん・ガイドさんとはここでお別れです。買い物の際、ドル紙幣で支払いますが、お釣りはピン札の現地通貨「リエル」で戻ってきます。計算が面倒なので、買い物に度に、「リエル紙幣」が溜まります。わずかですが、これをガイドさんにチップで渡します。そして、フライトまでの時間はたっぷり、喫茶コーナーでお茶。アンコール・トムの壁紙前のテーブルに腰かけて、ここで時間が過ぎるのを待ちます。出国検査を終えて、待合室に移動し、いよいよベトナム航空の機内に乗り込みます。往路時同様、機体は小さく、自分専用のディスプレーもありません。そしてほぼ1時間後に、ホーチミンに無事到着です。【今日のLifeHack:幸せは、気づく、感じる、信じる、思う 4つ合わせて しあわせ、本多時生】<シェムリアップ空港へ>
January 25, 2024
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1月2日の午後はベンメリア遺跡とオートモダップ観光です。東のアンコール「ベンメリア遺跡」は、ジブリ作品「天空の城ラピュタ」の世界観を感じられる話題になったスポットで森の中に眠る巨大寺院、アンコール・ワットの約40km離れた所、車で約1時間半掛かります。ベンメリア遺跡に着くとまず目に入るのが蛇神のナーガ、ほとんど修復されず、ジャングルの中にひっそりと佇んでいて、もしその全貌が解明されると、その規模はアンコールワットよりも大きいかも知れないと言われているそうです。周辺ジャングルではいまだ地雷撤去中とのこと、少々怖いです。崩れた遺跡に藻が生えている様子がなんとも素敵で、このあたりがラピュタっぽいのでしょう。色々な国の観光客が見えますが、アンコールワットより少なく、落ち着いて散策できます。ベンメリアはラピュタのモデルと言われていますが、ガセネタかも知れません。一説によると、ラピュタが放映されたのは1986年頃、その頃ベンメリアは、地雷が埋まっていて立ち入り禁止、宮崎監督も、入れなかったようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■ベンメリア(クメール語: ប្រាសាទបឹងមាលា 英 Beng Mealea、蓮池の意味)は、カンボジアのアンコール・ワットの約40km東の森の中にある寺院。世界遺産であるアンコール遺跡群のひとつ。崩壊が激しい。全貌が明らかになればアンコール・ワットを凌ぐといわれるほどの規模を持つと推測されている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次は、アンコールワットやベンメリアの遺跡に用いられていた石の採石場「オートモダップ」、ゾウの力で切り出し、ここからアンコールワットまでの40kmこの川を使って運んだそうです。道端に、黄色い液体を売っているお店があります。なんと、これはガソリンとのこと、驚きです。【今日のLifeHack:神にただ、「ああしてください」「こうしてください」と願い事をするだけではいけない。自分のいまの状態から幸せを考えもしないで、もっといい状態を得たいと欲望だけをぎらぎらさせている人が多い。いつも「どうもありがとう」と、いま生かされていることへの感謝の気持ちを持たないと、フジ子・ヘミング】<「ベンメリア遺跡」、ジブリ作品「天空の城ラピュタ」の世界??><密林の「ベンメリア遺跡」が“天空の城ラピュタ”の世界観?><天空の城ラピュタ>
January 24, 2024
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1月2日の昼食は、クメールカレー料理です。まず、いつもの「アンコール・ビール」で乾杯!。お料理の見た目はもう一つですが、まあまあです、こんなものでしょう。食後、通りで、ロールス・ロイスのを見つけ、ガイドさんにお願いして、グループから離れて、見学です。古いベンツ2台(内1台はリムジン)と、ロールス・ロイスのシルバー・シャドーが1台です。帰国後に調べたら・・・2018年4月13日「カンボジアニュース」クメールタイムズ紙によると、シェムリアップ州にあるビロースホテル(Viroth’s Hotel)が、トリップアドバイザーによる2018年のベストホテル・オブ・ザ・ワールドの1つとなったと報じられていて、そこのクルマのようです。ナンバーが同じです。・・・次回は、ここを利用したいと・・・。前日に、ロールス・ロイス「ゴースト」を見ているので、カンボジアで2台見たことになります。有る所には、あるもので・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)<■カンボジア料理>カンボジアりょうり、クメール語: ម្ហូបខ្មែរ,IPA: mhoːp kʰmae, ムホープ・クマエ)カンボジアで広く食べられている料理のことである。別名クメール料理。クメール料理は、多くの料理にプラホック (ប្រហុក) という発酵した魚のペーストを調味料として用いることで知られている。プラホックを用いないときには、代わりに発酵させたエビやアミのペーストであるカピ(កាពិ, 仏: pâte de crevette)を用いることがある。また、魚醤のトゥック・トレイ (ទឹកត្រី) をスープや炒め料理、つけだれに広く用いる。ココナッツミルクは多くのクメールカレーとデザートのベースになる。カンボジアではインディカ種の香り米ともち米が食べられ、前者は主食として、後者はデザートとしてジャックフルーツなどの果物と合わせたり、ちまきの材料とする。ほとんどの食事は飯とともに食べられる。カンボジアの料理には、周辺国の影響が見られる。カリー (ការី) と呼ばれるカレーは、インドの文化の影響の痕跡を示している。中華料理、中でも潮州料理からの影響は、多くの種類のライスヌードルに見出だすことができる。単にクイティウ (គុយទាវ) と呼ばれるライスヌードルの汁麺は、潮州人の移住者によってカンボジアにもたらされた料理で、とても人気がある。また、バインチャエウ (បាញ់ឆែវ) はベトナム料理バインセオのクメール版である。カンボジア人はインドシナ半島を支配したフランス人から、フランスパン、パテ、コーヒーなどを取り入れた。カンボジアの食事はソムロー(សម្ល)、またはスガオ (ស្ងេារ) と呼ばれるスープ状のおかずとごはんの組み合わせを基本とし、それに和え物のニョアム (ញាំ) や炒め物のチャー (ឆា)、焼き物のアン (អាំង)、漬け物のチュロック (ជ្រក់) などが組み合わされる。カンボジアの献立は様々な味覚を同時に楽しむために甘味、酸味、塩味、苦味、渋味が際立つ料理を組み合わせ、唐辛子で辛味を加えることは個人に任せられる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:この世に百パーセントの不幸というものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども、反面そこに五十パーセントの幸せがあるわけだ。人間はそれに気がつかなければいけない、松下幸之助】<近くでロールス・ロイスと古いメルセデス・ベンツを発見><帰国後に調べたら・・・ビロース (Viroth's )の持ち物の様です><2018年のベストホテル・オブ・ザ・ワールドの1つ><ロールス・ロイス、シルバーシャドー><古いメルセデス・ベンツのリムジーン><ロールス・ロイス「シルバー・シャドー」><「たはらけママさん」のトラベラーページで見つけた画像>
January 23, 2024
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最終日の午前は、世界遺産「バンテアイスレイ遺跡」と周辺観光です。バンテアイ・スレイは、10世紀に建てられた寺院で、「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しいデバター(女神)像が有名で、「アンコールの宝石」と呼ばれることもあるほど、その芸術性は高く評価されていて、アンコール遺跡群の中でも特に見逃せない寺院の一つといわれています。そのほほえみの素晴らしさは、この遺跡の後に作られることになるアンコールワットの壁画などにも受け継がれ、アンコール芸術を、いっそう華やかでふくいくとした香りに包んでいると・・・。遺跡の保護のため現在は中央の祠堂へ入れませんので、女神たちは10m離れた場所から見ることになります。バンテアイ・スレイ遺跡が一躍有名になったのは、「東洋のモナリザ」盗難事件がきっかけだといわれています。興味深い経緯です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■「東洋のモナリザ」盗難事件>1923年、フランスの冒険家であり小説家であったアンドレ・マルローが、デバター像を盗み出し、国外に持ち出そうとしていることが発覚した。この事件をきっかけに、バンテアイ・スレイの美しいデバター像に注目が集まり、人々を魅了するその姿から「東洋のモナリザ」と呼ばれるようになった。本国フランスでの署名運動により減刑され、刑期を終えたマルローはフランスに帰国。自身の体験を元にした小説『王道』を執筆した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中央祠堂の周りには、いくつも守護神たちが鎮座しています。ヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ、獅子のシンハ、猿のハヌマーンなど多様な坐像が確認できます。バンテアイ・スレイの特徴はなんと言っても、その緻密で華やかな装飾で、10世紀に創建されたとは思えないほど保存状態が良く、根強い人気を誇る遺跡の一つになっています。使用されている赤色砂岩は、通常の砂岩よりも硬質で、そのため細かい彫刻が可能になり、良好な状態で保存することができたと言われています。小規模の寺院であるからこそ、必要な量の高級砂岩を調達することができたそうです。鑑賞のベストタイミングは午前中がオススメだそうで、午前中は陽光がレリーフを照らしてくれるので、細部までよく見えやすいようです。良い時間帯に訪れることが出来ました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)<■バンテアイ・スレイ (Banteay Srei) >カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、ヒンドゥー教の寺院遺跡。アンコール・ワットの北東部に位置する。バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する。大部分が赤い砂岩により建造されている。規模こそ小さいが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されている。こうしたことから観光客には大変な人気があり、「アンコール美術の至宝」などと賞賛されている。中でもデヴァターの彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれている。<歴史>967年、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成する。建立は、近くの土地を領し王師を務めていたヤジュニャヴラーハが行った。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていたが、1914年に再発見される。1923年にはフランス人のアンドレ・マルローがデヴァター像を盗み出して逮捕され、注目を集めた。マルローは後にこの体験を基に小説『王道』を記している。現在はカンボジアの安定に伴い、多くの観光客が訪れている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せとは、空にかかる虹を仰ぐこと。不幸せとは、その虹をつかもうと地団駄を踏むこと、イ・ギュギョン】<バンテアイ・スレイ><東洋のモナリザ><遺跡の守護神たち、右側の2体がガルーダ、左側がハヌマーン>
January 22, 2024
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ネットで、1月1日に発生した「能登半島地震」を知って驚きましたが、テレビで初めてニュースをキャッチしました。日本語でないので、内容はよく分かりませんが、悲惨な光景が飛び込んできます。大変なことが起きました。最高震度7とのこと、「東日本大震災」を思い出します。亡くなられた方々へのお悔やみと、被災された方々へお見舞いを申し上げます。【今日のLifeHack:幸せには伝染する力がある。その力を充分に活用すること、ドロシー・ロー・ノルト】
January 21, 2024
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1月2日、カンボジアで迎えた朝も晴れ、暑そうです。近くで「フィーニョ・フィーニョ」との鳴く・・・「ガビチョウ(画眉鳥)」の鳴き声が聞こえます。昨年の盆休み、仙台で聞いたあの声ですが、目を凝らしても姿は見えません。<昨年盆休みのガビチョウについて記した私のブログ>https://plaza.rakuten.co.jp/ilovecb/diary/202309070000/気持ちの良い朝です。左に目を向けると、遠くに気球が見えます。カメラを30倍にして確認すると、「コカ・コーラ」の文字が見えます。・・・乗せて欲しいところです。早いもので、カンボジアでの最終日です。朝食の為、レストランへ向かいます。この日も、プールサイドのテーブルが取れました。この日もバイキング、少しづつ沢山の種類をトレーに乗せ、気持ち良くいただきます。快調です。【今日のLifeHack:趣味は幸せを代償として成就する、ジュール・ルナール】<ガビチョウ><気球を発見><朝食>
January 20, 2024
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この日の夕食は、カンボジア料理。これまで、食事をする時のビールは、「アンコール・ ビール」大瓶でしたが、今回、大瓶が無いとのことで、初めて、「ハヌマン・ビール」を注文しました。味は・・・同じ・・・違いはよく分かりませんが、美味しくいただきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<カンボジアのビール>■名前 Angkor(アンコール)、現地値段 0.6$ (約75円)アルコール度数 5.0%、総合おすすめ点 ★★★★★※軽めの東南アジアらしいビール、暑い中飲むにはさっぱりしているのがとても良い。代表的なビールで、色々なお店に置いてあります。■名前 HANUMAN(ハヌマン)、現地値段 0.8$ (約100円)アルコール度数 4.9%、総合おすすめ点 ★★★★★★※コクと苦味があり、日本のビールに少し近い感じ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夜、入浴をすますと、花火の音が聞こえます。窓を開けて外を見ると、上がっています、上がっています。きれいな花火です。【今日のLifeHack:幸せは、まず生きていることの喜びであるように、健康が幸せの第一条件です。そして他人から与えられた幸せは長続きしません。幸せは自分でつくっていかなければならないものであるし、努力して得た幸せは、それだけ満足度の度合いも強いものです、石井ふく子】<今回は「アンコール」ではなく、「ハヌマン・ビール」で乾杯!>
January 19, 2024
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1月1日、「プレアンチョープ寺院」で初詣、昼食を終えて、午後は、世界遺産アンコール王朝前期の巨大遺跡観光です。プリヤ・カーン、ニャックポアン、タソム、東メボン、プレループを回ります。「プリヤ・カーン」は、ジャヤヴァルマン7世がチャンパ軍との戦勝を記念して建てた、アンコール遺跡群の一つである仏教寺院です。アンコール・トムの北大門から、北東へ約1.5km進んだ右側にあります。仏教とヒンドゥー教の寺院で、敷地は東西800m、南北700mの広さを誇っているのが特徴です。タプロームと同じく映画「トゥームレイダー」のロケ地、「プリヤ・カーン」、こじんまりとしていて静かな遺跡です。現在、国立博物館におさめられている「聖なる剣」が発見された場所としても有名です。ここの参道にも「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」のモチーフがあります。アンコール・トムと同じく、神々や阿修羅の顔は盗まれてしまいました。が、アンコール・トムと違って、お顔は復元されていません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■プリヤ・カーン (Preah Khan) カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、仏教とヒンドゥー教の習合寺院で、敷地は東西800m、南北700mという広い寺院。アンコールトムから北東の方向に1.5kmほどのところに位置している。寺院は砂岩とラテライトで建てられていて、溶樹の繁殖や彫像の盗難の影響が多い寺院のひとつ。名は「聖なる剣」を意味し、かつて境内で発見された剣に由来する。<歴史>この地はかつてヤショヴァルマン2世の王宮が建てられており、寺院を建立したジャヤーヴァルマン7世は、王宮を支配していたチャンパ王国のジャヤ・インドラヴァルマン4世をここで戦って討ち、その跡に自らの父を模して彫らせた観世音菩薩像を1191年に安置した。かつて寺院には千人以上の僧侶が住み、それを支える荘園が与えられ、そこには97,840人が暮らしていたという。ヒンドゥー教の神々や土地の聖霊らも境内に祀られていたが、後にヒンドゥー教を信じるジャヤーヴァルマン8世により仏像は破壊された。今はカンボジアの国教である仏教の僧侶らが境内で祈祷を行っている。溶樹の繁殖や彫像の盗難による損壊が大きく、今も修復が行われているが、カンボジアの安定に伴い多くの観光客が訪れている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■ニャック・ポアン(Neak Pean、クメール語: ប្រាសាទនាគព័ន្ធ、「絡み合うヘビ」、英語: The entwined serpents)カンボジアのアンコール地域において、12世紀の後半、王ジャヤーヴァルマン7世の統治時代に築かれた プリヤ・カーンのバライにある丸い島に仏教寺院を備えた人工の島であり、プリヤ・カーン・バライ(碑文の「ジャヤタターカ」‘Jayatataka’)の「メボン」‘Mebon’ である。<名称>名称は、寺院構造の基壇の周りを取り囲むヘビ(ナーガ)の彫刻に由来する。円形の基壇の東側で分かれる2匹が、西側で尾を絡ませている[2]。neak(ニャック)はサンスクリットの naga のクメール語訳である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■タ・ソム(Ta Som、クメール語: ប្រាសាទតាសោម)カンボジアのアンコール遺跡にある小寺院で、12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1220年)により構築されたものである。寺院はアンコール・トムの北東、ニャック・ポアンのすぐ東に位置する。王ジャヤーヴァルマン7世は、1150年から1160年にかけてクメール王朝の王であった父ダーラニンドラヴァルマン2世 (Paramanishkalapada) に、この仏教寺院を捧げた。寺院は一層上にあり、ラテライトの周壁に囲まれた1基の祠堂により構成される。近隣のプリヤ・カーンやタ・プロームと同様、寺院は大部分が修復されないままになっており、多くの樹木やその他の植物が遺跡の中で成長している[2]。 1998年、ワールド・モニュメント財団 (WMF) は修復プログラムにこの寺院を追加し、訪問者に対して寺院をより安全にするため構造物の安定化に向けた作業を開始した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■東メボン(ひがしメボン)英語: East Mebon、クメール語: ប្រាសាទមេបុណ្យខាងកើត)カンボジアのアンコール遺跡群にある10世紀のヒンドゥー教寺院である[1]。王ラージェンドラヴァルマン2世(英語版)の統治時代 (在位944-968年) に築かれ[1]、現在は干上がった東バライ貯水池の中心にある人工の島であった場所に建っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■プレループ (Pre Rup) はカンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、ヒンドゥー教寺院である。 2004年にアンコール遺跡を構成する遺跡の1つとして、世界文化遺産に登録された。プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とする。東バライに浮かぶ東メボンの真南にそびえる。<歴史>ラージェンドラヴァルマン王による建立で、961年頃には神々が祀られていた。この土地はかつてヤショーヴァルマン1世が建立した僧坊の敷地であったとする説がある。境内に在る石槽では、死者を荼毘に付し、その灰で死者を描く儀式が行われたと伝わり、名の由来となっている。現在はカンボジアの政情安定に伴い、多くの観光客が訪れている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せは、金を溜め込むことにあるのではない、フランクリン・ルーズベルト】<プリアカーン><「トゥーム・レイダー」の撮影にも使われました><プリヤ・カーン><ニャック・ポアン><タ・ソム><東メボン><プレループ>
January 18, 2024
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アンコールワットで初日の出を拝み、一旦ホテルに戻って朝食です。レストランのプールサイドに席を確保し、ゆったりと朝食を楽しみます。初日の出を撮影した画像を見ながらの朝食、満腹、満足です。次は初詣、「プレアンチョープ寺院」へ向かいます。ここは、ロイヤルレジデンスの向かいにあるきれいで小さな寺院です。地元の人達に結構人気があるようで、かなり多くの地元の方が参拝されていました。お寺の脇の道では、厄除けのための放鳥をするための小鳥を売っている屋台があり、時々、小鳥を買って飛ばしていました。次は、市内レストランでスペシャルランチです。ここで初めて味わう果実「リュウガン」(龍眼)を食べました。種が大きい、ジューシーです。【今日のLifeHack:幸せは蝶々に似ている。追いかければ追いかけるほど、ヒラヒラと身をかわし逃げてしまう。でも、他のことに夢中になっていると、静かにやって来て、いつの間にかあなたの肩にとまっている、作者不明】<入り口で靴を脱いで、中でお参り><放鳥><昼食><底にある果実は、「リュウガン」(龍眼)>
January 17, 2024
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結婚45周年記念、カンボジアで迎えた新しい年「2024年」の朝は4時起き・・・晴れかどうか分かりません・・暗い!。アンコールワットで初日の出、「ご来光」を見る為、朝5時にホテル・ロビー集合です。暗い中をバスは走り、アンコールワット近くなると渋滞、初日の出を求めて沢山の人々が集まってきています。バスの中に係の方が入ってきてチケットがチェックされます。暗い中、ガイドさんが先頭で大きな懐中電灯(行灯?)を掲げ、暗い中、アンコールワットまで歩きます。そしてだんだん明るくなり、アンコールワットのシルエットが、薄茶色に変わっていきます。ところが、ところが、少々曇り、特に建物の上部の雲が厚く、ダメか・・と。天気予報による日の出時間は6時27分、6時35分頃に、やっと、やっと、現れました、ご来光!。アンコールワットの五つの塔の右側に陽が昇りました。ラッキーです。2024年の日の出です。有り難いことです。これで現れなかったら、どうしようかと・・・。【今日のLifeHack:愛する人に本当のことを言われるよりも、だまされているほうがまだ幸せなときがある、ラ・ロシュフコー】<朝5時、空にはお月様が輝き・・・><ガイドさんが灯篭?を掲げて・・・先導<やっと撮影した「初日の出」><ネットで拾った理想的な日の出・・・>
January 16, 2024
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「アンコールワット」で迷子になり落ち込んでいましたが、気を取り直して次は夕食、伝統舞踊アプサラダンスのディナーショーです。広い会場に、日本人は勿論、欧米人を含む沢山の客が入り、賑わっています。会場の外でコックさんが焼き肉を担当していて、焼き上がるまで時間が掛かり、長い列も出来ています。後半、ステージでディナーショーが始まります。カンボジアの伝統舞踊アプサラダンスです。きれいどころが踊って、舞っています。・・・ショーが始まるのが遅かったせいか、ちょっと時間が長く感じられます。そして、ディナーショーを終えたばかりで腹一杯なのに、次はホテルに戻ってガラディナーです。会場は、前日に訪れたレストランの奥で、プール・サイドにテーブルが用意された立派な会場で、雰囲気は抜群です。屋台がいくつか出ていてその場で焼いて貰え、肉、海鮮、寿司、オイスターバー、ありとあらゆるスイーツの盛り沢山のビュッフェ、素晴らしいの一言です。ワインが無料で振舞われ、年越しカウントダウン迄待てば、スパークリングワインが無料で出てきますが、翌日は4時起きでアンコールワットの初日の出を見に行くので、流石に夜中までは待っていられず・・・就寝!。結果、本日はディナーが2回も・・・伝統舞踊アプサラダンスのディナーショー無しで、ホテルに移動した方が良かったような・・・。我々の迷子騒動も含め、疲れに疲れた一日となりました。12月31日の夜が更け2023年が終了、間もなく2024年を迎えます。・・・パリ「凱旋門」の前まで行き、そこで迎えた2019年ほどの興奮・感動は無く・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■アプサラダンス「アプサラ」は、ヒンドゥー教の神話に登場する水の精「アプサラス」が由来となっている。ヒンドゥー教の創世神話である乳海攪拌かくはんの際に誕生したと言われている。水の精でもあるアプサラは古代から天女としても崇められてきた。乳海攪拌の様子は、アンコール・ワット第1回廊の東側の壁面にも大きく描かれている。カンボジア舞踏では、スコー・トム(大きい太鼓)、スコー・トォチ(小さい太鼓)、サンポー(第付き樽型両面太鼓)、コーン・トォチ(環状ゴング)、ロニアット・アエック(木琴)、ターケー(鰐琴)などの楽器が使われる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:人間の究極の幸せは4つですよ。1つ目は愛されること。2つ目が褒められること。3つ目が人の役に立つこと。そして、4つ目が人に必要とされることですよ。幸せの中の(愛以外の)3つは働いてこそ得られることですよ、大山泰弘】<伝統舞踊アプサラダンスのディナーショーが催されるレストラン><アンコールビールで乾杯!><外には屋台が並び、焼き肉も・・・><伝統舞踊「ディナーショー」><ディナーショー後、ホテルに戻り、お腹いっぱいですが、「ガラディナー」><こちらも屋台が並び・・・><プールの前の席で、珍しく無料のワインで乾杯!、夜中の無料スパークリングワインまでは待てず><大晦日の歩数は、17,916歩、翌朝は4時起きで初日の出を>
January 15, 2024
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昼食を済ませ、「死ぬまでに一度は見てみたい」といわれる世界遺産の一つ、「アンコールワット」に入場、アンコールワットは、中央祠堂を含む5基の尖塔を、3重の回廊、さらにその周りをお堀が囲んでいます。アンコールワットの中央…十字回廊で、茶色い石(へそ)が敷かれていて、そこで記念撮影です。スマホを石の上に置き、へそを囲むようにすると、ガイドさんが石の上に置いたスマホのシャッターを押し撮影してくれました。因みに、自撮りの場合は、足でシャッターボタンを押すそうです。(笑)アイコンアンコールワットの「へそ」、十字回廊から少し南に進むと、江戸時代に書かれた「日本人の落書き」もあります。これは、400年前に書かれた、日本人 森本右近太夫による墨書きで、父の弔いのために仏像をおさめたことや、長く旅してきたこと等が書かれているそうです。この時代「アンコールワット=祇園精舎」だという誤解があり、わざわざ遠くから苦労して訪れる人も少なくなかったいいます。切実で純粋な思いがあったとはいえ、落書きはダメで・・・。アンコールワットの中で唯一、当時の彩色が残っているのがここで、よく見ると、柱の一部が朱色です。次は、最も神聖な場所「中央祠堂」、その周りを囲む第3回廊の東側の65度の急勾配の階段を登って入ります。第3回廊よりも13メートル高い「中央祠堂」に到着。ここはシェムリアップ最高所で、シェムリアップの町には、アンコールワットよりも高い建物を作ってはいけない、というルールがあるんだそうで、本当に密林の中にあることが分かり、遠くに、アンコール・バルーンも見えます。階段を下り、地上に戻ってきて、次は「アンコールワットの一番の見どころ」と紹介されている「第一回廊のレリーフ」です。ここは、その年代、建築様式、美術様式の点において、特に美しいとされていて、特に印象的なのが南面の「天国と地獄」のレリーフ!です。太陽が西に傾き、目的の一つ、副業?の販売用写真の撮影です。撮影スポットは何といっても「逆さアンコールワット」、大きな池に逆さアンコールワットが現れます。見事な逆さアンコールワット、ガイドブックに掲載されている写真は、たいていここで撮影されているそうです。きれいな「アンコールワット」の夕陽を拝み、次は移動して夕食です。ところが、ところが、迷子!!、我々が迷子です。グループからはぐれてしまいました。日が暮れて薄暗くなる中、バスが停まる駐車場を探します。何度も周りの人々に英語で尋ねて、何とか駐車場に辿り着きましたが、バスも乗用車も一緒で、分かりません。だんだん暗くなり、不安が募ります。まっ、最後はタクシーでホテルへ戻ればよいのですが・・・。そして、それらしきバスを発見、運転者に英語で話すも、通じません。運転手さんお電話で、ガイドさんに連絡して貰い、妻が代わって貰い、ガイドさんにバスにいることを伝えます。間もなく、お土産周りを終えたグループが戻ってきたので、皆に謝ります。それにしても、あの沢山の車が停まる駐車場から、このバスを探し当てたのは奇跡的で、自分で驚いています。ラッキーでした。もう少し遅れていれば、辺りは暗く、色も分かりません。2017年、一泊二日で韓国「済州島」を訪れ、現地のガイドにピックアップして貰い、その後、乗ってきた飛行機のCAと記念撮影している間に、グループ集団が移動し始めてしまい見失い、バスの駐車場を探して分からず、旅行会社に電話で救いを求め、やっと駐車場で探して貰った苦い経験の再来です。困ったもです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■アンコール・ワット(クメール語: អង្គរវត្ត Ângkôr Vôtt [ʔɑŋkɔː ʋɔət])カンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産(文化遺産)であるアンコール遺跡の一つであり、その遺跡群を代表する巨大な寺院である。建設時はヒンドゥー教寺院として作られたが16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院となっている。クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味するため、アンコール・ワットは「国都寺院」という意味となる[1]。大伽藍と美しい彫刻を特徴としクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:才能があるから幸せだとは限らない。理解れなければストレスもたまる、齋藤孝】<上空から見たアンコールワット・・・気球から見たかった・・・><アンコールワット><アンコールワット><日本人が残した落書き><65度の急勾配の階段を上り・・・><遠くにバルーーンが><夕陽に輝くアンコールワット、逆さも、水面に波が無く、きれい><あちこちに、猿!><陽が暮れる><迷子になりながら、ランボルギーニを撮影>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■アンコールワット大図解>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<「アンコールワット」の見どころ>
January 14, 2024
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結婚45年記念カンボジアの旅、次はアンジェリーナジョリー主演の映画「トゥームレイダー」のロケ地としても有名なアンコール遺跡「タ・プローム寺院」です。アンコールワットやアンコールトムと比べると小規模な遺跡ですが、神秘的で退廃的な雰囲気は独特で、ジャングルの中、荒れ果てた遺跡を血管のようカジュマルの木が覆いつくすようにからまる風景が広がり、「死ぬまでに見ておきたいアンコール遺跡BEST5」にも入るようです。ここは、今からおよそ830年前(1186年頃)に、ジャヤーヴァルマン7世が、自分の母親の冥福を祈るために建てた大乗仏教の寺院ですが、後世の王がヒンドゥー教のものに建て替えたという宗教改変の歴史を持つために、仏像が削り取られちゃっている箇所も多く見られます。当時50を超える塔があったといわれていますが、長い時間、密林の中で放置されたいた為、ほとんどが倒壊しています。カジュマルの木の根っこから、チラリと覗く女神デヴァターのレリーフもあります。またアンコールワットにもありますが、タプロム中央祠堂の北東にあるは、「胸をドンドンとたたくと音が反響する」という不思議な仕組みで建てられた祠があります。実際に胸を叩いてみると、確かに響きます。ここで胸をたたくことで、体内の悪いものが出ていくという言い伝えもあるようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)<■タ・プローム(Ta Prohm クメール語:តាព្រហ្ម)カンボジアにある、アンコール遺跡群と呼ばれる多くの寺院や宮殿などの遺跡群の内のひとつで、12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世。<修復について>ガジュマルによる浸食が激しい。三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいる。あまりの酷さにインド政府はタ・プロームの修復計画を発表した(インドはタ・プロームの修復を担当している)。しかし、現在ここで議論が沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論である。2006年10月現在、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が継続中である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・世界遺産「アンコールトム」の見学を終え、ランチ、カンボジア料理です。アモックなどの伝統料理です。アンコール・ビールで乾杯!!・・・ビールはまあまあですが、お料理は・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■アンコールビールカンボジアで有名なキャッチコピー “MY COUNTRY, MY BEER” で知られるアンコールビールは、カンボジアで最も愛されているビールです!豊かな風味が自慢で、一口飲むたびにさわやかな味わいが残ります。柔らかな軟水と世界中から厳選され調達した原料で醸造され、国際的な品質管理機関である“モンドセレクション”から数々の金賞を受賞しており、世界的にプレミアムな品質を誇っています。アンコールビールの歴史は、1960年代初頭にカンボジア政府から委託により生産が開始されました。1992年に現在のメーカーであるCambrew 社が経営を引き継ぎ、2005年からは世界的なビールブランド『Carlsberg』のグループ企業として、世界中にアンコールビールを提供しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■アモック(クメール語: អាម៉ុក、amok)伝統的なカンボジア料理(クメール料理)であり、代表料理である。食材とクルーン(多くのスパイスのミックスペースト、カレー)、ココナッツミルクを混ぜ、卵でとじた料理。ご飯と共に食される。「カレーっぽいココナッツミルク風味のカンボジア料理」食材にはメコン川で獲れる川魚が多いが、鶏肉なども用いられる。川魚を使用したものをフィッシュ・アモック(fish amok)、アモック・トレイ(クメール語: អាម៉ុកត្រី、amok trei)と個別に呼ぶこともある。卵は鶏卵の他にアヒルの卵も使用される。また、卵を用いずにスープカレー風に仕上げることもある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せは、時には不幸という帽子をかぶってやってくる、坂村真民】<アンジェリーナジョリー主演の映画「トゥームレイダー」のロケ地としても有名><映画「トゥームレイダー」のロケ地><「トゥームレイダー」のロケ地><レストランでカンボジア料理、アモックなど>
January 13, 2024
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結婚45年記念カンボジアの旅、最初の観光地はアンコール・ワットに続き、1,2を争う人気遺跡、世界遺産「アンコール・トム遺跡」で、南大門、バイヨン寺院、プラサットスープラ、象のテラス、ライ王のテラスが有名です。アイコンアンコール王朝時代、最も栄えた都跡「Angkor Thom」(アンコール・トム)」で、ジャヤバルマン7世によって、12世紀後半に作られました。1辺約3キロ、高さ約8メートルの城壁に囲まれたクメール時代の城跡で、かつては10万人以上の人が暮らしていたそうです。999「アンコール・トム」を目指すも、この時季、観光客が多く、地元では普段起こらない大渋滞、ガイドさんが旅程を入れ替えようとしたほどです。2023年だけで100万人近くの観光客を集めたといわれています。まず、費用に含まれていますが、チケットセンターで、遺跡入場券(アンコール・パス)を買います。1日、3日、7日の3種類のパス中から、我々は3日パス(10日間有効、3回の入場、USD 62<約9,000>です。受付で各自の顔が撮影され、顔写真入りのチケットが出来上がります。やっと、アンコール・トム「南大門」に到着です。アンコール・トムの中心寺院「バイヨン」から東西南北にまっすぐ道が伸びていて、その道を守るのが、南大門、北大門、西大門、死者の門の4つです。その門の中でも特に人気(他はほとんど崩れてしまっている)なのが「南大門」です。門へと続く橋があり、その両側には、ナーガと呼ばれる大蛇を引っ張る神様と神話を描いた石像がズラリと並んでいます。神話「乳海攪拌」(にゅうかいかくはん)をモチーフにした神々と悪魔(アスラ)が108体鎮座しています。門の上には、東西南北の4方向を向く顔「四面仏塔」が見えます。南大門を潜り中に入ります。中心寺院「バイヨン」には、50ほどの塔が乱立し、それらには4方向を向く尊顔が形作られていて、迫力があります。尊顔のモチーフは、王自身の顔説、仏教の観音菩薩説、ヒンドゥー教のシヴァ説と諸説あるそうです。また、回廊に掘られたレリーフが印象的です。全体的に、何か神秘的で退廃的な空気が漂っています。更に進むと、象のテラスやライ王のテラスといった有名遺跡も点在しています。・・・「ライ王のテラス」が、「ライオンのテラス」に聞こえて・・・。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコール・ワット寺院の北に位置する巨大な城郭都市の遺跡であり、周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。特に中央に建つバイヨン (Bayon) 寺院が有名である。「アンコール」は、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。また「トム」は、クメール語で「大きい」という意味。<特徴>アンコール・トムは約3キロメートル四方の京城であり、幅100メートルの堀と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。 京城の外の東西には、大洋を象徴するバライと呼ばれる巨大な人工の池がある。アンコール・トムの遺構にはヒンドゥー教と大乗仏教の混淆が見られるが、都市建築の基本はヒンドゥーの宇宙観を基に成り立った古代インドの建築理念の影響が見られ、中央に世界の中心である山岳メール山を象徴するバイヨン寺院があり、49基ある仏塔の四面に彫られた微笑む観世音菩薩の顔は、クメールの微笑みと呼ばれ非常に有名である。 その周囲にも象のテラスやライ王のテラス、プレア・ピトゥなどの遺跡も残っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■南大門:四面像を最長部に拝した高さ23mの大門。アンコールトムに続く5つの門の中でもっとも美しいとされる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■バイヨン (Bayon) は、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡。アンコール・トムの中央付近にある。バイヨンの呼び方で広く知られているが、クメール語の発音ではバヨンの方が近い。バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つ。<構造>バイヨンを特徴付けているのは、中央祠堂をはじめ、塔の4面に彫られている人面像(バイヨンの四面像)である。人面像は観世菩薩像を模しているというのが一般的な説である。しかし戦士をあらわす葉飾り付きの冠を被っていることから、ジャヤーヴァルマン7世を神格化して偶像化したものであるとする説も存在する。また21世紀に入り、3次元CG化と解析によりヒンドゥー教の神々を表しているという説も出た。この像はクメールの微笑みと呼ばれている。また他のアンコール遺跡に残るクメール建築と同じく疑似アーチ構造を多用した建築構造をもっている。建築全体ではおおむね三層に分かれており、高さ約43メートルといわれる中央祠堂を中心に、その第一層に二重の回廊が配置された構造となっている。50近い塔に合わせて117個の人面像が残る(異説あり)。人面像の高さは1.7~2.2メートル程度で、個々にばらつきがある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■プラサット・スゥル・プラット(Prasat Suor Prat、クメール語: ប្រាសាទសួព្រ័ត)は、カンボジアのシェムリアップ近郊に位置するアンコール遺跡群のうち、アンコール・トムにある象のテラスの前方に連なる12基の塔である。王宮から勝利の門へと続く王道の前面にあり、12世紀末に、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1220年)によって建造されたバイヨン様式の塔群であるとされるが、正確な年代は不明である。「綱渡りの塔」(英語: Towers of Cord Dancers)とも呼ばれ、それは祭典の際に、綱渡りをテラスにいる王に見せたという伝説によるが、これらの塔の目的についても諸説ある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■象のテラス(ぞうのテラス、クメール語: ព្រះលានជល់ដំរី、英語: Terrace of the Elephants)は、カンボジアにある廃墟となった寺院複合体であるアンコール・トムの城壁を巡らした都の一部である。テラスは南北にわたってあり、その東面にあるゾウの彫刻にちなんで象のテラスと名付けられた。テラスは、アンコールの王ジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1220年)により12世紀末に築かれ、凱旋する軍隊を眺望する基壇として使われた。それはほんのわずかに残る遺跡のなかのピミアナカスのある王宮に取り付けられていた。当初の建造物はほとんどが有機素材で造られており、はるか以前に消失した。残っているもののほとんどは複合体の土台の基壇である。高さ3メートル、延長300メートルを超える象のテラスは、公的儀式の巨大な閲兵席として使用され、また王の壮大な接見所の基壇としての役目を果した。上部にナーガの欄干のあるテラスは、中央の王宮前広場に向けて広がる。中央部の3か所と両端それぞれ1か所の合計5か所にバルコニー(外塁)をもち、階段の両端などには3頭のゾウがハスの花を採取する彫像がある。その擁壁(ようへき)の部分はガルーダやシンハで装飾され、また、ゾウによる狩りを主題とした、クメールの象使いによるゾウの行進の部分などがある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■ピミアナカス:“天空の宮殿”を意味する11世紀に建てられた3層のピラミッド状の建物。中央塔には9つの頭を持った蛇ナーガ(蛇神)が宿っているとされた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Wiki)■ライ王のテラス(癩王のテラス、クメール語: ព្រះលានស្តេចគំលង់, Preah Learn Sdech Kunlung、英語: Terrace of the Leper King, Leper King Terrace)は、カンボジアのアンコール遺跡に属するアンコール・トムの王宮前にある象のテラスのすぐ北側に位置する。ライ王のテラスは、12世紀末にジャヤーヴァルマン7世のもと、バイヨン様式で築かれたもので、一辺が約25メートル、高さは約6メートルであり、そのU字型の構造物は、王族の火葬場のように使われていたとも考えられる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:最愛の女性よ、君に恋をするのは、誰にも真似のできない無上の幸せ、リチャード・ニクソン】<地図:「アンコール・トム」「アンコール・ワット」「タ・ブローム」の位置関係><アンコールワット・チケットセンター<その場で撮影した顔写真付きチケット「3日パス」、62ドル><「アンコール・トム」、奥に見えるのが「南大門」><「南大門」を背景に><像のテラス><象のテラス><ライ王のテラス>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<「アンコール・トム」の見どころ>
January 12, 2024
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結婚45年記念でカンボジアの旅、ソカライ・アンコール・ホテル(Sokhalay Angkor Residence and Spa)で迎えた朝は晴れ。遠くから「画眉鳥」(ガビチョウ)の鳴き声も聞こえます。昨夜暗くてホテルの外観がよく見えなかったので、探検?です。敷地が広く、建物が何棟もある大きなホテルで、ずっと奥まで続きています。そして朝食、プールサイドに席を取り、いい気分です。バイキングですが、コックさんがその場で調理してくれ、種類が多く、全てを見ることも、食べることも出来ません。朝から、満腹、満足です。<カンボジアの電気事情>・電圧は230V・コンセントは「C」プラグ。・ワールドワイド製品はそのまま使用が可能※念のため、家にある全ての変換プラグを持参しました。【今日のLifeHack:利害を超えた友情は、人生でいちばん大切なものの一つだ。すべてを投げ出しても、大切に思える友人がいたら、君は幸せだ、本田健】<カンボジアでのテレビ><カンボジアで迎えた朝><ホテルの国道側の庭><Sokhalay Angkor Residence & Spa><ソカライ・アンコール・ホテル><広く、大きいホテル><国道6号線沿いの広い敷地><レストランで朝食><プールサイドで朝食><中央にはプール><電気事情:コンセントは「Cプラグ」、ワールドワイド製品はそのままでOK>
January 11, 2024
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結婚45年記念で、カンボジアへ飛び立ちます。日本と国交樹立50年のベトナム・ホーチミン空港での乗り換えも問題なく、今年が友好70周年のカンボジア(Cambodia)「柬埔寨」のシェムリアップに到着です。外は、ベトナム同様に暑く、常夏を感じます。そして、出口で、無事、現地の係り員にピックアップして貰い、お迎えのバスでホテルへ向かいます。ホテルは「ソカライ・アンコール」、立派なホテルで、部屋に入るとまたビックリ、広い、広い、ベッドには布製の孔雀?の飾りも・・・。小腹が空いたのでレストランへ行くと、既に営業を終えたようで、ルームサービスに切り替え、現地で人気のある「アンコール・ビール」とピザを注文です。美味しくいただき、カンボジアでのお夜は終わり、床に就きます。【今日のLifeHack:(夫に向かって)ねえ、あたしは死なないわよね? あたしたちは離されやしない、あんなに幸せだったんですもの、シャーロット・ブロンテ】<送迎バス><広いロビー><広い部屋><ベッドに「孔雀?」が><浴室のブラインドを下ろす前はベッドルームまでシースルー><2015年8月10日に宿泊した建替え前の「ホテルオークラ」も、浴室がシースルー><トイレには、ウオシュレット代わりの手動シャワーが><ホテルの道路側にはクリスマス・デコレーション><ルームサービスをお願い、アンコール・ビールとピザ>
January 10, 2024
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結婚45年記念で、カンボジアへ飛び立ちます。まず、6時間半ほど掛けて経由地のベトナムのホーチミン空港に到着、長く感じました。機内からの脱出?・・・降り口は最後部左手ドア、これは初めての経験、当然我々が最初にベトナムの地を踏みました。外に出ると、なんと35℃!!。ここは、2021年のGW以来・・・しかし、この景色を覚えていない・・・。(笑)ここで2時間待ち、スマホの「ポケモンGO」を開くと、空港のポケストップは遠く数少なく、野生のポケモンも少ない。まだ流行っていないのかも・・・。記念に出現したポケモンは全てゲットです。定刻、乗り換えにも成功、案内に従い、カンボジアへ向かう飛行機に乗り込みます。機種は、「AIRBUS 321」です。片側3列の小さい飛行機で、自分専用テレビも無く・・・。16時20分発で17時30分着、約1時間は、ほぼ出入国カード記入に時間を費やし・・・。(笑)そして無事カンボジアのシェムリアップ空港に到着です。【今日のLifeHack:しあわせは ほんのすぐそばに 息を殺して 待っている、別役実】<後ろのドアから地上に降りるのは、初めて><飛行機の後ろのドアからタラップを降りて地上に><出発便の案内><カンボジアへ向かう機内><ホーチミンで現れ、捕獲したポケモンの一部>
January 9, 2024
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結婚45年記念で、カンボジアへ飛び立ちます。但し、直行便は無いので、ベトナムのホーチミン経由です。前泊の「東横イン成田空港」から送迎バスに乗り、第一ターミナルへ向かいます。久しぶりの成田空港、少々迷いながら指定の北ウィング4階にある「ベトナム航空チェックインカウンターを探すと、一番手前で分かり易―い!。いつもの様にお安いツアーなので、添乗員は同行せず、現地まで全部自分達で行わねばなりません。定刻、案内に従い、機内に入ると、なんと、中央最後部の席、初めて、気を遣わすに即リクライニングです。因みに機種はボーイング787。9時30分成田発、14時15分ホーチミン着の長旅?、映画鑑賞です。まず、「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」です。いつもながらの、スリルスピード、面白く・・。次は、昨年「東京オペラシティ」で観た吉永小百合さん主演の作品で、観たいと思っていた作品「こんにちは、母さん」です。ほのぼのとした良い作品でした。機内では、時に日本で封切り前の新作が観られるのが楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』(原題: Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw)2019年のアメリカ合衆国のカーアクション映画。「ワイルド・スピード」のスピンオフ作品で、『ワイルド・スピード ICE BREAK』の後日談。監督はデヴィッド・リーチ、脚本はクリス・モーガン、ドリュー・ピアースが務める。ドウェイン・ジョンソン、ジェイソン・ステイサムがメインシリーズから登場。イギリス・ロンドン。テロ組織が殺人ウイルス「スノーフレーク」をトラックへ積み込んでいるところをMI6の部隊6人が襲撃。ウイルスが収納されたケースを確保し、システムロックを解除した直後、科学テロ組織「エティオン」に属するブリクストンが現れ部隊の5人を瞬く間に倒す。残った1人ハッティ・ショウは、ブリクストンらの手にウイルスが渡るのを阻止するためウイルスを自身の体内に注入しその場から逃走。ウイルスを手にいれ損なったブリクストンは情報操作によって、部隊を裏切ったテロリストにハッティを仕立て上げたのであった。英米両政府は、元アメリカ外交保安部(DSS)の捜査官ルーク・ホブスと、ハッティの兄で元イギリス軍特殊部隊員・元MI6エージェントのデッカード・ショウにハッティの保護を依頼。かつて敵同士であった経緯から協力関係を拒否した2人は単独で行動するも、ホブスがハッティの身柄を確保したことで再び合流。しかし、そこへブリクストンが現れハッティを連れ去る。ブリクストンを追うホブスとショウであったが、組織に人体改造を施され超人的な力を得たブリクストンの前に2人がかりでも苦戦を強いられ、ハッティを取り戻しカーチェイスの末にブリクストンの追跡を振り切るもハッティと同じく情報操作によってテロリストに仕立て上げられてしまう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■『こんにちは、母さん』(こんにちは、かあさん)劇作家の永井愛が2001年に新国立劇場からの委嘱により書いた戯曲である[1]。2007年にNHKの岡崎栄演出によりテレビドラマ化され、2023年に山田洋次監督により映画化[2]。テレビドラマ、映画共に戯曲からの内容の改変があるため、劇作家の永井愛は原作というクレジットとなっている。2007年5月26日から6月16日まで、NHK総合テレビジョンの「土曜ドラマ」で放送された。「ひなげし」という地域のボランティア組織が舞台となっている。2023年9月1日に公開[2]。監督は山田洋次、主演は吉永小百合[2]。『母べえ』(2008年)、『母と暮せば』(2015年)に続く「母」3部作の集大成となる作品。キャスト(映画):主要人物、神崎福江:吉永小百合、神崎昭夫:大泉洋、神崎舞:永野芽郁、周辺人物、荻生直文:寺尾聰、木部富幸:宮藤官九郎。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:そこいらじゅうに幸せがあるので、何か手を打って止めなければならない、ドロシー・パーカー】<成田空港第1ターミナル><ベトナム航空><初めての経験、中央最後列の席><ワイルド・スピード><こんにちは、母さん><間もなくホーチミン>
January 8, 2024
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結婚45年記念で、カンボジアへ飛び立ちます。海外は、2019年のフランス、2020年のイギリス以来です。出発に際し、余裕をみて、東横イン成田空港で前泊です。・・・なぜ羽田空港でなく、成田空港なのだと文句を言いながら・・・・・・帰国時のラッキーを想像することも無く・・・。仕事を終えた足で成田空港へ向かいます。そして成田空港でホテルの送迎バスに乗りホテルへ向かいます。ホテルは広く本館と新館があり・・・ロビーにはなぜか「トライアンフ」と「ハーレーダビッドソンのトライク」が展示されています。部屋はそれなりですが、テレビを点けるとフードロスの表示、流石です。ホテルから飛行機が見える近さです。【今日のLifeHack:何人の幸せに関われたかで、君の人生は何倍にも輝く、渡邉美樹】<WiFiが届く<両替><HIS特典で、これより10%割引><ホテルへのバス停><東横イン><広いロビー><なぜか、ロビーにトライアンフとハーレーのトライク><ホテルのフードロス対策><ホテルから空港が見える近さ>
January 7, 2024
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・・・ただ今、カンボジア・・・これは予約ブログ・・・。 あけましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりありがとうございました。本年も宜しくお願い致します。さて、久しぶりの海外、2020年のイギリス以来です。今年も良い年になることを祈ってのスタートです。1ドル150円が急に140円になり、チャンス到来?です。まっ、自分でどうすることも出来ない事は深く考えないことにしているので、風任せ、正に、ケ・セラ・セラ・・。・・このブログは、予約システムを利用してアップしていますが、今頃、回遊魚はカンボジアを必死で泳ぎ回っていることでしょう・・・。(笑)【今日のLifeHack:しあわせは いつも じぶんの こころが きめる、相田みつを】<2024年><カンボジア>
January 1, 2024
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やっと、やっと、海外旅行の実現です、2019年のフランス、2020年のイギリス以来です。行き先は、友好70周年のカンボジア、1月のカンボジアは、エジプトの時と同じく、観光のベスト・シーズンだとか・・・。有り難いことです。2023年8月に、カンボジアでフン・マネット新政権発足、新しい体制のカンボジアです。但し、直行便が無いので、今年が日本と国交樹立50年(1973年9月)のベトナムを経由です。今回も、妻が新聞広告で見つけたお安いツアーです。ところが、ところが、申し込み後に二転三転、「A社」で申し込んだ後、また、妻が、燃油サーチャージ無しのツアーを見つけ、別の旅行会社、「B社」へ申し込み変更、先の「A社」をキャンセルです。結果、12万円以上の差額が発生、妻のお手柄です。さてさて、どんな旅になるでしょう・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■南野陽子さん親善大使に、カンボジア友好70年で>2023年1月18日 10:54 俳優の南野陽子さんが18日、カンボジアとの外交関係樹立70周年の関連行事に協力する「日カンボジア友好70周年親善大使」に任命された。外務省で林芳正外相から委嘱状を手渡され「カンボジアと縁があり、お話をいただいてとても光栄だ」と語った。林氏は「両国の友好に弾みをつけたい」と強調した。 外務省によると、南野さんは1989年に日本テレビ系番組「24時間テレビ」で、カンボジアからリポートしたことをきっかけに同国との交流が生まれたという。 カンボジアへの思いをつづった曲「明日への虹」で作詞と歌を担当した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■日本とベトナムの外交関係樹立50周年>(外務省)2023年9月21日に日本とベトナムは外交関係樹立50周年を迎えます。 これまでの日・ベトナム関係を振り返ると共に、その関係をさらに深化・拡大させる年とするために相応しい記念事業を、2023年の年間を通して、皆さまと共に創り上げていきたいと考えています。 2023年を日本とベトナム両国の新たな時代の幕開けになるような年としていきましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■日・ベトナム外交関係樹立50周年ロゴマークの決定> 11月13日、カンボジア王国プノンペンで開催された日・ベトナム首脳会談において、両首脳立ち会いの下、2023年の「日・ベトナム外交関係樹立50周年」のロゴマークが発表されました。ロゴマークの一般公募に対し、273点の応募がありました。一般投票含む最終審査を経て、本デザイン案が採用されました。ロゴマークの作者は、ベトナム出身のドアン・ティー・ゴック・ドゥエン氏です。このロゴマークは、両国の国旗の赤をベースに、両国を代表する花である桜と蓮の花をあしらいました。5と0の数字の交わりで手と手をとって共に歩むイメージを、斜めのラインで共に未来へ進むイメージを表現しています。ロゴマークは、「日・ベトナム外交関係樹立50周年事業」として認定された事業で使用することができます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:没頭できるものを持った人は、それだけで幸せです、ながれおとや】<カンボジア友好70年で、南野陽子さん親善大使に><「日カンボジア友好70周年親善大使」に任命された俳優の南野陽子さん(右)と林外相=18日午前、外務省><日・ベトナム外交関係樹立50周年ロゴマークの決定>
December 29, 2023
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2023年も間も無く終わります。今年の「旅」も、ほとんどが週末を利用した一泊二日の弾丸ツアーです。海外は2020年の英国が最後で、コロナ禍、海外は難しく、国内だけです。それでも3回、1月沖縄・宮古島、8月宮崎、12月静岡を旅しました。最後の静岡は、私の「二十歳のバイク日本一周」で出会った友人と、ここ十数年間毎年続いている夫婦二組のミステリーツアー(どこへ行くかは彼の頭の中にだけ)で、今年友人の母上がお亡くなりになり、無いかと思っていましたが、年末に実行です。因みに、ここ3年のコロナ禍でも、毎年実施、楽しい思い出が残っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■2022年の旅>① 7/2~:太宰府、博多、門司、下関、② 9/3~:徳島・鳴門、③ 12/3~:秩父、松代温泉、軽井沢、④ 12/9~:滋賀県近江八幡⑤ 12/17~:信州・大町温泉。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せは、物事を成し遂げる喜びと、創造的な努力の中にある、フランクリン・ルーズベルト】<富士山上空を飛んで、沖縄・宮古島へ><宮崎、青島神社><鵜戸神宮><高千穂<高千穂峡><静岡・沼津御用邸記念公園><浄蓮の滝><石廊崎灯台>
December 26, 2023
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「2023年のミステリーツアー」次は世界遺産「韮山反射炉」、近づくと反射炉が見えてきます。思っていたほど大きくはありませんが、意外ときれいです。まずはガイダンスセンターで説明用ビデオが10分位流れています。幕末、外国の脅威にさらされ、江戸内湾への台場築造と、西洋式大砲が鋳造するための反射炉が建造されました。実際に稼働した反射炉が残っているのは日本でここだけで、平成27年に世界文化遺産に登録されています。外に出て、実物を見上げます。友人が、見る角度によって、2本に、3本に、4本に見えたりすると教えてくれました。興味深い造りです。その後、富士山と反射炉が一緒に見える茶畑へ向かいます。見えます、見えます、しっかりと見えます、絶景です。近くに、反射炉を造った「江川英龍」の像もあります。次は、日本最長の人道吊橋「三島スカイウォーク」で、全長400mの吊り橋の上から、富士山、駿河湾の絶景を眺めることができる超スペシャルなスポットで、ここでも富士山が綺麗に見えました。一方通行で沢山の人が行き来するので、出来るだけ立ち止まらないように歩くのですが、その絶景に時々足が止まります。途中で右手に見えるのが人の綱渡り?、「ロングジップスライド」というジップライン、かなりの高さがあるのですが、楽しそうに下っていきます。吊り橋を渡った先は「北エリア」、屋台やレストランもあり、関東最大級のアスレチック等お楽しみがいっぱいとのことです。次は、百名城の一つ、史跡「山中城址」、このミステリーツアーには必ず城見学が入ります。山中城跡は、戦国時代の北条氏によって築城され、小田原城の支城で、三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっています。ここは障子堀が有名で、空堀の堀底に土手を掘り障壁としたもので、個性が強く、「土だけ、石を使わずの山城」「ワッフルみたいな障子堀」「富士山の見えるお城」などと評されています。ここからもきれいな富士山が見えました。最後、富士山に見送って貰いました。今回の旅はここで終了、毎回ですが、内容盛沢山で中身の濃い旅となりました。そして、友人の車で三島駅まで送って貰い、お別れです。来年は、二十歳の時に出会った場所で、10年前還暦の時に訪れた高知「土佐山田」の元ユースホステル、今、登録有形文化財の古民家「百年舎」の予定で楽しみです。尚、友人の提案で、今回の旅のフォトブックのタイトルは「伊豆と富士の旅」の予定です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■韮山反射炉(にらやまはんしゃろ>(英:Nirayama Reverberatory Furnaces)静岡県伊豆の国市にある反射炉跡である[1]。築造当時の形で現存する反射炉であり、1922年(大正11年)国の史跡に指定されている。伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。高さ15.6mの連双2基で合計4炉で構成される。日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみである[5]。また、世界的にも実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては世界で唯一現存する遺構とされている[4]。1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された[6]。また、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され[7]、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された[8]。2020年(令和2年)6月9日、伊豆の国市の調査によって、鋳型を出し入れする「シャチ台」と型乾燥小屋の遺構が発見されている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■箱根西麓・三島大吊橋>(はこねせいろく みしまおおつりばし)日本の静岡県三島市に所在する、人道橋の吊橋である[3]。愛称は三島スカイウォーク。2023年時点、日本最長の人道吊橋である。長さ400m[3]で、2015年に開業した。富士山や駿河湾が望めるため観光地となっており、入場は有料(2023年7月時点で大人1100円)で、ミュージアムや飲食店などが併設されている。橋は箱根火山の南西のすそ野にある谷を跨ぐように掛けられ、構造は、長さ400m、高さ70.6m、主塔高さ44m、歩道幅1.6mである。所在地は、静岡県三島市笹原新田313。静岡県にてパチンコ店を展開するフジコーが、観光収益と地域貢献[5]を目的として、総工費約40億円をかけて建設した。宮澤俊二フジコー社長が付近を散策中に、景観を生かした誘客施設をつくれないかと発案したことがきっかけだった。2012年に着工し、2015年12月14日に営業を開始した[6]。大分県九重町にある九重"夢"大吊橋の長さ390mを抜いて、日本で最も長い歩行者専用の吊橋となった。吊橋の設計は長大、施工は川田工業、造成工事の設計は静岡コンサルタント、施工は山本建設・臼幸産業・中林建設JVである。橋の上からは西方向の眺望が良く、富士山や駿河湾が望める。対岸にはアスレチックなどの施設がある。夜間(ナイトスカイウォーク除く)は往復できず、また台風など悪天候の場合は営業を中止する。2015年12月14日の営業開始から2016年3月末までの来場者数は約35万人であった。 2016年9月29日に渡橋者が100万人に達した。 開業から1年間の来場者は約160万人、うち渡橋者は120万人を越えた[9]。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■山中城(やまなかじょう)静岡県三島市山中新田(伊豆国田方郡山中)にあった中世の日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。2012年まで、5月の第三日曜日に山中城まつりが開催されていた。(現在は中断)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せとは、すべてのものと関わりがあると感じること、すべてのことに責任を持つことです、サン・テグジュペリ】<世界遺産「韮山反射炉」><韮山反射炉の構造図><韮山反射炉内><三島スカイウォーク><ジップライン「ロングジップスライド」><やっと対岸に><日本百名城「山中城跡><障子堀>
December 24, 2023
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「2023年のミステリーツアー」2日目、西伊豆で迎えた朝は晴天、きれいな富士山が見られそうです。朝食を済ませ、吉田鋼太郎さんも宣伝している「西伊豆松崎伊東園ホテル」を後にします。ところが、外に出て駐車場の車まで進めません、風で押し戻されてしまいます。こんなに強い風、初めてかも知れません。まず向かった先は、西伊豆エリアの人気観光スポットの一つ土肥の「恋人岬」、駐車場で車から降りると、遠くにきれいな富士山が見えます。このような光景は初めて、ラッキーです。岬の突端にある展望台は、東方面を除いた三方に開けており、北方面には駿河湾を隔てて富士山や富士市街地、西方面には南アルプスや清水港、御前崎、南方面には、今山や雲見などの南伊豆へ続く海岸線を見通すことができます。岬の先端には3回鳴らすと想いが叶う「愛の鐘」が設置されていたり、岬まで続くボードウォークに「手をつなぐみち」という名前が付いていたりと、カップル向けの様々な仕掛けが施されていて、人気のデートスポットのようです。但し、我々が訪れた時は、カップルだらけかと思いきや、そうでもなく・・・。恋人岬の名前の由来は、この地に伝わる『福太郎』と『およね』の恋愛伝説。土肥の朝市で出会った福太郎とおよねですが、事情で遠く離れてしまいました。ある日、愛しい福太郎を想うおよねの元に神様があらわれ、2つの鐘を渡しました。2人が1つずつ鐘を持ちあい、福太郎が漁船で恋人岬の沖を通る際に、およねが岬に立ち、お互いに3回ずつ鐘を鳴らして愛を確かめ合ったとのことです。次は「土肥金山」、入山時、お役人さん(ロボット)がお出迎え、丁寧に頭を下げて礼をしています。そして洞内に入ります。大した道具も無い時代から掘ってた様子が分かります。そして展示室には12.5kgの金塊があり、持てる?触れる体験ができます。ちょっと動きません、ズラす程度です。次に「世界一の巨大金塊」250kgがあり、金価格高騰中、この日のレートで、25億7,200万円也!!。脇の穴から手を入れて触れてみます。これで金運アップに・・・。(笑)因みに、金塊は、2005年に香川県で製造され2006年に世界一を認めるギネスブックに認定されています。製造当時の価格は4億円で6倍以上です。次は「伊豆パノラマパーク」でロープウェイの予定でしたが、恐怖・・・強風のため運転見合わせです。頂上で、水に映る逆さ富士山を撮りたかったですが・・・。仕方がないので、ここでランチです。シェアできるように、ピザとパスタを頼みます。美味しいのですが、量が多くて、食べ終わるのが大変でした・・・。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■恋人岬>(静岡県伊豆市)(英: Lover’s Cape)<■「金の鐘」「ラブコールベル」>旧来より男女二人が互いに鐘を鳴らし、その愛を確認した場所として伊豆市の廻り崎が民話に語りつがれていた。これにあやかって観光客が増加したことから、旧土肥町が1983年5月に廻り崎の地名を恋人岬に改称したのが始まりである。恋人岬にはラブコールベル(愛の鐘)と呼ばれる鐘が設置されており、この鐘を3回鳴らすと恋愛が成就すると言われている。時を経て金の鐘(俗称 幸せの鐘)も設置され、こちらも鳴らした者は愛がかなう、または幸せになれるとしている。この金の鐘は伊豆の恋人岬が、グアムの恋人岬と提携関係を結んだ際に送られたものである。グアムの恋人岬にも伊豆の恋人岬から送られた銀の鐘と呼ばれる鐘があり、こちらにも同様の言われがある。この伊豆、グアム双方の鐘を、愛し合う二人が鳴らすと、この上ない幸せが訪れるとされる。伊豆市の鐘は、2009年8月11日の駿河湾地震で破損したことがある。なお、申込みをすれば恋人岬の先端で結婚式を挙げることができる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■土肥金山>土肥金山(といきんざん)または土肥鉱山(といこうざん)静岡県伊豆市土肥にある金の鉱山の跡である。伊豆市の指定史跡になっている。1972年からテーマパークとして一般に公開している。この金山は明治から昭和にかけては、佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量があった。1965年に鉱量枯渇のため閉山した。土肥マリン観光株式会社が所有し、観光用に利用されている。観光坑道内には当時の鉱夫らの人形が再現されている。また、砂金採りの体験もできる。金山資料館「黄金館」には、土肥金山に関する資料や鉱石などが展示され、ギネス世界記録にも認定された250kgの世界一の巨大金塊などもある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■伊豆の国パノラマパーク>(いずのくにパノラマパーク)静岡県伊豆の国市にある標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光施設である。片道1,791m、最大高低差411mのロープウェイが主たる施設で、伊豆長岡温泉地区と、葛城山の山頂までを結ぶものである。山頂では富士山と駿河湾の望めるパノラマや、四季に応じた植物、特に春のツツジや、6月のアジサイが見物である。なお「360度の大パノラマ」と謳ってはいるが、東や南西方向の眺望はあまり開けていない。かつては伊豆長岡エイトランドという名称であり、エイトボウルというボウリング場[2]も併設されていた。後に名称をかつらぎ山パノラマパークと改称し、現在では伊豆の国パノラマパークとなり、ロープウェイの名称も「葛城山ロープウェイ」から「伊豆の国パノラマパークロープウェイ」に変更された。このロープウェイは、旅館経営者で、観光協会長であった杉山勝美[4]が主導して生まれたものである[5]。昭和30年代の初め、伊豆長岡温泉の目玉施設としてロープウェイを計画[5]。当初は夢のような計画で相手にされなかったが、旅館のだんな衆に訴え、町を説得[5]。1960年(昭和35年)に開発会社を発足し、有志が株を持ち合い5千万を集めた[5]。1962年(昭和37年)5月には開業し、「東洋一のゴンドラ」と話題を呼んだ[5]。当時のゴンドラは10人乗りで、1台ごとにガイドが付き、片道15分掛かるものであった[5]。開業後数年で4億円を越える負債を抱えてしまい[5]、ロープウェイメーカーである日本ケーブルグループの観光施設運営会社NCリゾートマネージメント株式会社が引き継いだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:今日という日を自分自身のものと呼びうる人は幸せである。いや、彼のみが幸せである、ジョン・ドライデン】<部屋からオーシャンビュー><オーシャンビューで朝食><吉田鋼太郎さんが応援>><遠くにきれいな富士山><土肥金山><世界一の250Kgで25億円、2005年に香川県で製造され翌年ギネス認定で当時4億円。><ロープウェイは運転見合わせ><ランチ>
December 23, 2023
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「2023年のミステリーツアー」次は「石廊崎灯台」(いろうざきとうだい)です。静岡県の南伊豆町、伊豆半島の最南端、石廊崎に立つ、白亜の塔形をした中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれています。周辺は、富士箱根伊豆国立公園に指定されていて、壮大な太平洋のパノラマが展開しています。そして夕方、日本で一番きれいな夕陽が見える露天風呂、立ち寄り温泉の一つ「堂ヶ島温泉・沢田公園露天風呂」へ向かいます。ここが分り辛い・・・何度行ったり来たりしたことか、友人が近所で尋ねて、やっと到着です。丘の上、右手の崖の上にある建物が湯小屋で、石段を登ったところに湯小屋があります。丘を上ると目の前は断崖絶壁の海、スリルを味わいながら温泉と絶景を楽しむことができます。男湯と女湯に分かれていて小さな脱衣所があり、その先はすぐ露天風呂、男湯には先客1名、我々が中に入ると暫くして、二人きりになり、ゆっくりと湯を楽しむことが出来ます。ここの謳い文句は、「水平線に沈む夕陽を鑑賞しながら贅沢な入浴タイム」・・・残念ながら、陽は沈んでしまいました・・・。目の前は、広い海と三四郎岩を眺めながら、最高のロケーションでの入浴です。そしてこの日のお宿は、「西伊豆松崎伊東園ホテル」、吉田鋼太郎さんも宣伝している「伊東園ホテルズ」の一つで、海岸線すぐに建つ立派なホテルです。部屋に入り、ベランダに出ると、下が波打ち際で、敷地内に「足湯」も見えます。・・・プライベート・ビーチ?夕飯はバイキングで、お料理は当然食べ放題ですが、アルコールも飲み放題には驚かされました。・・・そんなに多くは飲めませんが・・・。(笑)楽しく飲んで、食べて、喋って、楽しい時を過ごしました。食後に温泉、露天風呂は無く、少し前に利用した「」ほどの面白みは無い普通の温泉です。そして、部屋に戻って二次会、またまた話は次々に盛り上げります。・・・朝に合流して、車の中であれだけ沢山話したはずなのに・・。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■西伊豆松崎伊東園ホテル恋人岬から16kmの西伊豆松崎伊東園ホテルは松崎町にある宿泊施設で、無料レンタル自転車、無料専用駐車場、季節限定の屋外プール、テニスコートを提供している。3つ星の旅館で、エアコン付きのお部屋(専用バスルーム、無料WiFi付)を提供。カラオケと24時間対応のフロントを提供している。西伊豆松崎伊東園ホテルから達磨山まで40km、田子港まで7.1kmです。この宿泊施設から最寄りの大島空港まで133km。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:好きなことに出会えただけで幸せだ。好きなことに出会えない人も大勢いるんだ、中谷彰宏】<石廊崎灯台><猿!!が・・・前を横切って・・・><堂ヶ島温泉「沢田公園露天風呂」、この光景が見たかった・・・><伊東園ホテルズ><この日のお宿は、西伊豆松崎伊東園ホテル><乾杯!><食後、誰も使っていない・・・ここで卓球を・・・>
December 22, 2023
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「2023年のミステリーツアー」次は「浄蓮の滝」、石碑の隣には川端康成の小説、伊豆の踊り子に因んだ「伊豆の踊子像」が有ります。懐徳碑があり、明治三十九年、安藤藤右衛門翁が私財を投じて、浄蓮の滝までの遊歩道を開き、地元観光産業に大きく貢献したことを讃えています。安藤藤右衛門翁は、ノーベル賞作家、川端康成が、小説、伊豆の踊子を執筆した、湯ヶ島西平温泉の旅館、湯本館の創業者で、入り口に、伊豆の踊子像が有るのはその為のようです。途中には、女郎蜘蛛の伝説、滝壺にはジョロウグモの化身が棲むとの伝説があります。むかし樵夫が、落とした鉈を探しに滝つぼの中に入ると美しい女性と出会う。その女性と姿を見たことの公言をしない約束をしたが、「滝の主は女郎蜘蛛だ」と村人から聞き、その出来事を話すと樵夫は深い眠りについた。」とのことです。日本の滝100選の浄蓮の滝に到着、玄武岩の間を落ちる滝、高さ25m、幅7m、滝壺の深さ15m、間近で見られるから、迫力が有ります。マイナスイオンがいっぱいです。滝の近くの山中に浄蓮寺という寺があったことから、浄蓮の滝と呼ばれるようになったようです。浄蓮の滝といえば「天城越え」、石川さゆりさんが、1986年(昭和61年)に発表。(吉岡治作詞、弦哲也作曲)この曲のヒットで「浄蓮の滝」は全国的に知られるようになりました。次は、天城山隧道(旧天城トンネル)、苔むしてひっそりとたたずむ隧道の中はひんやりと冷たく、昔の空気がそのまま残っているような印象を受けます。川端康成の小説『伊豆の踊子』ゆかりのトンネルで、映画に何度も登場していて、今も踊子の歩んだ道を歩いてみようとする人が絶えないといいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■浄蓮の滝(じょうれんのたき)、静岡県伊豆市湯ヶ島にある滝。日本の滝百選の一つ。滝は狩野川の上流部、天城山の北西麓を流れる本谷川にあり、1万7000年前に伊豆東部火山群の鉢窪山スコリア丘が噴火した際に流出[2]した玄武岩溶岩流を流れ落ちる直瀑である。落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られる。滝壺の深さは15mある。かつて滝の左岸付近に「浄蓮寺」という寺院があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたと伝わる。周囲には日本では伊豆半島と熊本県にのみ自生が確認されている「ハイコモチシダ(ジョウレンシダとも)」の群生地があり、静岡県指定の天然記念物にもなっている。明治時代に篤志家が滝に降りる道を開くまでは、断崖と峡谷に阻まれ、人が容易には近づけない神秘的な滝とされていた。無料の駐車場が完備されており、傍らには土産物店が並ぶ。滝は駐車場から谷をかなり降りたところにあり、足腰の弱い高齢者には厳しい面がある。滝壺の近くにも土産物店が並ぶ。また、沢に沿ってワサビ田が広がる光景が見られるが関係者以外立入り禁止となっている。滝の脇には、演歌歌手・石川さゆりのヒット曲である『天城越え』の歌碑がある(『天城越え』の歌詞に浄蓮の滝が登場するため)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■天城山隧道(あまぎさんずいどう)>1905年(明治38年)に完成[2]。全長445.5メートル。アーチや側面などすべて切り石で建造された日本初の石造道路トンネルであり、日本に現存する最長の石造道路トンネルでもある。総工費10万3016円。新天城トンネルと区別するため、「旧天城トンネル」とも呼ばれる。当隧道は日本の「道100選」に選ばれているほか、1998年(平成10年)9月2日に国の登録有形文化財に「旧天城隧道」として登録された。2001年(平成13年)6月15日には「天城山隧道」の名称で道路トンネルとしては初めて国の重要文化財(建造物)に指定された。この時期に観光スポットとしての整備により従来舗装されていたアプローチ部分の舗装が剥がされた。1970年(昭和45年)、当隧道の西側に新天城トンネルが開通したことにより、同トンネル経由の道が本線となった。伊豆市側坑口付近には駐車場や公衆トイレが設備されている。トンネル内の照明は通常のパネル型ではなく、ガス灯を模したデザインのナトリウムランプである。幅員は3.50メートル、側溝まで含めると4.10メートル。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:幸せとは経験するものではなく、記憶するものである、O・レヴァント】<伊豆の踊子><浄蓮の滝><石川さゆりさん><平成12年10月「天城越え」の歌碑建立、作詞の吉岡治/左、作曲の弦哲也/中央と:静岡県伊豆市湯ケ島><天城越え><天城山隧道><熊に注意!!><漁港でランチ>
December 21, 2023
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今年も高齢・・・いや恒例の、夫婦二組「ミステリーツアー」のはじまりです。1週間ほど前に友人からお誘いのラインがあり、即OK、今年は静岡県の西伊豆、「三島駅」で待ち合わせ、友人ご夫婦と再会、彼の車に乗り込みます。まず向かったのは「柿田川公園」(静岡県駿東郡清水町)、湧水で有名とのことで、日本三大清流で、日本一短い一級河川とされる「柿田川」の最上流にある公園です。はじめに「第二展望台」、坂を下りた先にあり、柿田川公園を象徴する青い湧き水「柿田川ブルーホール」を眺められます。更に第一展望台、結構長い坂を下りて、柿田川最上流を眺められる位置につながっています。富士山など上流に降った雪や雨が地下水となって湧き出る、大小数十カ所の湧き間を見ることができます。次は「沼津御用邸」、明治26年に大正天皇のご静養先として造営、宮廷建築の優美さに触れることができます。増築を重ね、完成時には建築面積5750平米、1100を超える部屋を備えた大規模な邸宅です。その本邸は太平洋戦争で全焼しましたが、昭和天皇のご御用邸として造営された「西附属邸」と「東附属邸」は残ったようで、西付属邸御殿、謁見所などの公的な部分から、御手洗い、御食堂、御料浴室などの裏側まで見ることが出来ます。椅子やテーブル、シャンデリアなどの調度品は当時のもので、「君が代」に謳われている「さざれ石」もあります。雰囲気がある廊下の窓ガラスも昔のままで、中庭など外の景色が歪んで映ります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■柿田川公園>昭和61年4月、「自然の保護・保全」「コミュニティー広場の確保」を目的に町民の憩いの場として柿田川の上流部に開園。園内の第1・第2展望台からは、年中変わることなく水が湧き出る「わき間」を見ることができ、湧水広場では実際に水に足を入れて湧き水の冷たさを体験できる。また国指定天然記念物の柿田川を眺めながら散策できる遊歩道が整備されている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■沼津御用邸記念公園>1893年(明治26年)7月、大正天皇(当時は皇太子)の静養のためにと御用邸(別荘)を、静岡県駿東郡静浦村(現・沼津市)の島郷御料林内に造営した。1969年(昭和44年)、御用邸が廃止され、沼津市へ移管され、翌年の1970年(昭和45年)に、沼津御用邸記念公園となった。敷地面積は約15万㎡に及び、千本松原に連なる広大な松林と駿河湾に面した砂浜の中にある。明治時代、周辺には大山巌、川村純義、大木喬任、西郷従道など元勲の別荘も存在していた。北北西の方向に富士山が見える風光明媚、かつ温暖な地である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:今無いことを嘆くのではなく、以前あったことが幸せなら、それでいいじゃないか。今無いことはそのまま受け止めて、生きていくしかない、藤川チンナワンソ清弘(タイ仏教僧侶)】<柿田川公園><沼津御用邸記念公園>
December 20, 2023
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ポケカルの日帰りツアー「横浜スパークリングトワイライト花火鑑賞&スカイウォークからの絶景イルミネーションと赤レンガ倉庫クリスマスマーケット見学バスツアー【ハマ旅キャンペーン】」。ベイブリッジ下のスカイウォークで絶景イルミネーションを見た後は、バス移動で、花火付きのお祭り「赤レンガ倉庫のクリスマスマーケット」へ向かいます。道は混んでいます。会場内も混んでいて、中に入るのに、1~2時間待ちとか・・・。我々は団体客の特別ルートで即入場です。但し、中も人・人・人、混んでいます。最後は花火、岸壁の場所取りで、30分ほど待ちます。そして、花火が上がり、ツアー終了、丸の内へ向かいます。暖かく過ごし易い中の貴重な体験、楽しいひと時となりました。【今日のLifeHack:人気のある華やかな仕事、楽しそうな仕事、お金の稼げそうな仕事、そんな所に人々は群がります。なぜなら、そこには幸せがあるような気がするからです、養老孟司】<一般の人は2時間待ちも・・・団体の我々は即入場・・・><丸の内に戻って・・・
December 18, 2023
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ポケカルの日帰りツアー「ツアー・イベント名:横浜スパークリングトワイライト花火鑑賞&スカイウォークからの絶景イルミネーションと赤レンガ倉庫クリスマスマーケット見学バスツアー【ハマ旅キャンペーン】」に参加。丸ビル前出発で、横浜中華街、赤レンガ倉庫のクリスマスマーケット見学、横浜みなとみらいに打ちあがる花火のコースで、横浜中華街で使える横浜市助成金2,000円分の電子クーポン「はまぽん」がプレゼントされます。旅行代金は、8,910円から助成金2,000円が引かれ、一人6,910円!で、お得です。集合場所は丸ビル前で、バス3台利用で130名の参加です。人気があります。高速で横浜へ移動、まず「中華街」で早めの夕飯です。いつものことながら、中華街は混んでいます。空いていそうなお店を見つけ、中に入ると、奥の席に案内されます。飲茶コースに、フカヒレスープ、ビールで乾杯です。次はバス移動し、ベイブリッジ下のスカイウォーク、絶景イルミネーションを臨みます。ベイブリッジの下が歩けるとは思っていもいませんでした。ここは混みもせず、ゆったりと見学、対岸のランドマークタワーを中心とする夜景がきれいです。奥に富士山も見えます、ラッキーです。添乗員の方が、「幸運にも富士山が見えます」と。但し、夜景の撮影は難しく、何枚も撮影し、やっと数枚の傑作?が・・・。次は「赤レンガ倉庫クリスマスマーケット」へ・・・【今日のLifeHack:万人共通の幸せなんてない、ながれおとや】
December 17, 2023
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日本で初めて高さ300mを超えた超高層ビル「麻布台ヒルズ森JPタワー」の次は有楽町です。ここで、予約した次週の新幹線切符の引き換え予定ですが、最近「えきねっと」で予約した切符を引き換えられる駅が減って困っています。少々不安でしたが、無事に引き換えました。そして、ここからポケカルの日帰りツアー、「イベント名:横浜スパークリングトワイライト花火鑑賞&スカイウォークからの絶景イルミネーションと赤レンガ倉庫クリスマスマーケット見学バスツアー【ハマ旅キャンペーン】」、集合場所「丸ビル」前に向かいます。途中、先日不発に終わった「KITTE」のクリスマスツリーを覗きます。今度は大丈夫、立派なツリーが飾ってありました。【今日のLifeHack:羽振りのいいときには友達だって言ってくる人間が何百人もいる。だけど、落ちぶれたときには、そのうちの一人がコーヒー一杯でもおごってくれたら幸せってものなんだ。もし、一からやり直すとなったら、私はもっと慎重に友達を選ぶよ、フランク・アバネイル】<有楽町駅前で><KITTEのクリスマスツリー><バスで横浜へ・・・>
December 16, 2023
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娘の会社の創業者がお亡くなりになって、その「お別れの会」「お別れの会」を催している「帝国ホテル」「孔雀の間」へ娘を迎えに行くには早いので、向かいの日比谷公園を散策です。少々早めに到着、招待されていないので、少しの間、日比谷公園を散策です。今回、ここではじめて見つけたのが「伊達政宗終焉の地」、公園北東の有楽門から入ってすぐの場所で見つけたのが、「伊達政宗の終焉の地」、ここが最期の地だったとは知りませんでした。「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」を示す説明板は、2014年4月に仙台市によって新たに設置されたようです。この付近は仙台藩の伊達家上屋敷跡ということ。伊達政宗は米沢で生まれ、会津で覇権を争い、仙台に王国を築きました(仙台藩初代藩主)。最期は、仙台ではなく江戸屋敷、この地は1601年から1661年まで、伊達家の上屋敷(外桜田上屋敷)として使用されていました。政宗が亡くなったのは1636年(享年70)。体調を崩した政宗を心配して、時の将軍である徳川家光が自らこの地にあった屋敷へ見舞いに訪れたそうです。政宗はかなり弱っていたようですが、身なりを整えて将軍を迎えました。その数日後、政宗はこの世を去っています。最後の最後まで「伊達」を貫いたのです。その政宗が亡くなると、家光は江戸で7日、京都で3日の間服喪するよう異例の指示を出しています。徳川幕府の支配下にある諸大名の中でも、伊達政宗は特別な存在だったことがわかります。政宗の亡骸は、大名行列により国元へ送られました。墓所は仙台にあります。また、近くに、「南極の石」や、「古代スカンジナビア碑銘譯」(ひめいやく)もありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■仙台藩外桜田上屋敷跡、仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地>(千代田区日比谷公園)江戸時代、全国の諸大名は幕府より江戸城下やその周辺に広大な居住地を与えられ、藩邸を設けていた。ここは、仙台藩祖伊達政宗から三代綱宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があったところである。 慶長六年(1601年)、政宗は徳川家康より江戸屋敷を与えられ、外桜田の屋敷は寛文元年(1661年)まで上屋敷として使用された。 その敷地は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷堀沿いの道路から小音楽堂付近まで広がっていたものと推定される。 政宗の時代には、徳川家康が三度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各四度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に残っている。政宗は江戸参勤の折、寛永十三年(1636年)五月、ここで七十年の生涯を閉じた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:どうしてわたしが幸せなのかわかる? 自分のことが好きだから、だからなのよ、ルーシー『スヌーピー』】】<日比谷公園><伊達政宗、終焉の地><伊達政宗、終焉の地><南極の石><「古代スカンジナビア碑銘譯」(ひめいやく)>
November 25, 2023
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上野恩賜公園で開催の「創エネあかりパーク2023」、噴水広場に陣取ります。噴水のライトアップが始まります、とてもキレイです。東京国立博物館は水素エネルギーをイメージした特別カラーライトアップで彩られていますカラフルな光のイルミネーションが噴水池の周りを美しく照らし、噴水にもライトアップされとてもきれいです。時折、幻想的な光景を味わうことが出来ます。【今日のLifeHack:幸せは難しいものではない。幸せはあなたの中に常にあるのだ。もしも明日死ぬと分かったならば、あなたは今日一日をどう生きるだろうか、高木善之】
November 16, 2023
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秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまが、外交関係樹立150周年で、南米のペルーを公式訪問され、世界遺産に登録されているクスコ、サント・ドミンゴ教会を訪ねられたとの、ニュースが流れました。・・・2013年のGW、天候に恵まれクスコ、サント・ドミンゴ教会を訪れたのを思い出します。「クスコ」(CUSCO)も世界遺産で、11~12世紀頃に建設、太陽神崇拝のインカ帝国の都として栄え、ケチュア語で「ヘソ」の意。インカ帝国は1430年代頃から1533年スペイン人ピサロによって滅ぼされるまで存続。征服者たちは、コリカンチャと呼ばれる太陽の神殿を壊し、上部に建てたのがサント・ドミンゴ教会。神殿内は黄金で埋め尽くされていたといいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■佳子さま、インカ帝国時代の遺跡視察 南米ペルー>南米ペルーを公式訪問中の秋篠宮家の二女、佳子さまは、インカ帝国時代の遺跡を視察されました。現地時間の5日午前、佳子さまは、ペルー南部のクスコにある「サクサイワマン」と呼ばれる巨大な石が積み上げられた遺跡を視察されました。その後、佳子さまは「コリカンチャ」と呼ばれるインカ帝国時代の「太陽神殿」の石組みの上に建てられた教会を訪問されました。神殿の上部はスペインの征服者によって破壊されましたが、案内した学芸員によりますと、佳子さまは、「インカ時代に使われていたのはどうやって分かったのか」など、歴史に関する質問を多くされていたということです。午後にはクスコ市主催の歓迎式典に出席し、出発の際には集まった人たちに笑顔で手を振られていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:文字でいうと、辛いのと、幸せなのとは一本の線の違い、永六輔】<佳子さまがクスコ、サント・ドミンゴ教会を><2013/4/30撮影>
November 12, 2023
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秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまが南米のペルーを公式訪問され、世界遺産に登録されているインカ帝国時代の遺跡マチュピチュを訪ねられたとの、ニュースが流れました。テレビを見る限りでは、マチュピチュの空は曇っていて、時折小雨も降り、雨具を使っていたように見えました。・・・2013年のGW、天候に恵まれ、マチュピチュを訪れたのを思い出します。但し、我々が楽しんだ後、突然雨が降り出したのには、山の天気の変化に驚かされました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■佳子さま ペルーの世界遺産 マチュピチュ遺跡を訪問>2023年11月5日 12時47分 現地時間の3日夜に南部の都市クスコに入った佳子さまは、4日午後、列車で3時間半ほどの距離にあるマチュピチュ遺跡に到着されました。標高およそ2400メートルの山の上に広がり「空中都市」と呼ばれる遺跡を2時間にわたって視察し、全景が見渡せる高台に立つと、「すごく壮大な景色で、写真では拝見したことがあったのですけれども、この場に立って見てみるとおーっという感じがすごくします」と感想を述べられました。また、大きな石を隙間なく組み合わせて造られた神殿の跡などもご覧になりました。このあと佳子さまは、ふもとのマチュピチュ村の役場を訪問し、村長の歓迎のあいさつを受けられました。マチュピチュ村では、現在の福島県大玉村で生まれ大正6年(1917年)に集団移住でペルーに渡った野内与吉さんが、数々の功績から集落の最高責任者に任命され、村に昇格した1948年に初代村長に就任するなどして発展に力を尽くしました。役場内に飾られた野内さんの写真を見た佳子さまは、こうした縁で2015年に友好都市協定を結んだ大玉村とマチュピチュ村について、「さまざまな分野で交流や協力関係が続いていきましたら、本当にうれしく思います」と話されていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:金がなくても、人に堂々と幸せだと言えるのが、ほんとの幸せだ、泉谷しげる】<佳子さま ペルーの世界遺産 マチュピチュ遺跡を訪問>2023年11月5日<2013年のGWに訪れたマチュピチュ>
November 10, 2023
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町歩きの達人・タモリが、日本全国の町の新たな魅力や歴史・文化などを再発見していく番組『ブラタモリ』2023年10月28日は錦帯橋、旅のお題「錦帯橋にはなぜ世界唯一の美しさがある?」を紐解いていくです。江戸時代から名所として知られる錦帯橋は、あの歌川広重や葛飾北斎も描いています。その錦帯橋は城下町の武士の通勤ルートだったことを、岩国の町を歩きながら解明します。350年、長きに渡り唯一無二の橋、関ヶ原の戦いで徳川に内通しとった吉川広嘉また、昔の日本人の技術も凄い、洪水に負けない橋脚の工夫や、錦帯橋の世界唯一の構造、瀬戸内海を一望できる岩国城からの絶景にも注目です。2017年6月10日、ここを訪れたのを思い出します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【出演】:タモリ、野口葵衣アナウンサー、【語り】:草なぎ剛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:子どもにとって最高の幸せとは、両親が円満であることです、加山雄三】
November 5, 2023
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10/21「朝日新聞」朝刊に三重県桑名市長島町の「なばなの里」が掲載されました。巨大イルミネーションの内覧会があり、一足早くお披露目された。 今年のメイン会場のテーマは「黄金のピラミッド」。世界遺産・エジプトのピラミッドをモチーフに、最新のLED装置を使って躍動感ある光の世界を演出している。会場に高さ約25メートルのピラミッドが浮かび上がると、観客たちはスケールの大きさに驚き、写真に収めていた。2016年12月10日、毎年恒例の「ミステリーツアー」で訪れたのを思い出します。寒かったですが、イルミネーションがきれいで、印象的でした。【今日のLifeHack:「幸せ」の入る場所に、嫉妬が待ち伏せしてこれを襲う、レオナルド・ダ・ヴィンチ】
October 25, 2023
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10月8日放送のTBS「世界遺産」はエジプト、タイトルは、「メンフィスとその墓地遺跡 〜 8K特別編 古代エジプト 巨大ピラミッドの謎」です。1995年に訪れたのを思い出します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<要点>・エジプトのメンフィスの墓地遺跡群では今でも新しい発見が相次いでいる。・有名な三大ピラミッドはカイロの近くのギザ台地上にあるが、ナイルが氾濫するとこの台地の縁まで水がくることから、台地上に建設された。・王の遺体は川を運ばれて、参道沿いの神殿でミイラにされてピラミッドに運び込まれたとされている。・建設当時のピラミッドは表面をナイルの対岸から切り出した化粧石で覆っており、白くなっていたという。・サッカラの墓地遺跡では4300年前の色彩を留める鮮やかな壁画が地下から発見された。・この地域に最古のピラミッドもあり、階段状になっている。その内部からは世界最大の石の棺が発見されている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『メンフィスとその墓地遺跡』 日本初撮影…4300年前の壁画「この感動を映像で伝えたい」 今春から放送28年目に入ったTBS『世界遺産』(毎週日曜 後6:00)の10月8日放送では、古代エジプト文明を代表する建造物であるギザの三大ピラミッドを含む世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡」を届ける。 メンフィスは古代エジプト王国がナイル川下流域に築いた都で、その西に広がる砂漠地帯にはピラミッドなど無数の墓地遺跡が残っている。遺跡のどれもが4000年以上前のものとは思えないほど、今もなお古代エジプト王朝の権威をその形として留めている。今回は、ピラミッドに隠された謎や新発見された驚きの地下遺跡などを高精細8Kカメラで撮影した。■日本のメディアで初撮影 驚きの地下墓所 王都だったメンフィスに近いサッカラは重要な墓地遺跡が多くある。近年は発掘調査が進み、相次ぐ発見がニュースとなっているホットスポットだ。番組では2019年に新発見された地下墓所に日本のメディアで初めて潜入。4300年前とは思えない鮮やかな壁画を高精細8Kカメラで撮影した。 その墓所は一般の人は立ち入り禁止のエリアとなっている砂漠にある。小さな入口から入り、狭い通路を通り抜けると、内部には4300年前の鮮やかな色彩を今に留めた壁画で囲まれた空間が残っている。 墓所は王宮に仕えていた貴族・クウィのもの。古代エジプトでは死者に牛の前脚を捧げる習慣があり、壁画にはそのシーンが描かれている。またクウィ自身の名前を記した古代エジプトの文字であるヒエログリフもはっきり見ることができ、さらにはクウィ自身のミイラも発見されている。■圧倒的な存在感 三大ピラミッドの絶景 誰もがその価値を認める古代エジプト王国の遺跡、ギザの三大ピラミッド。番組として「メンフィスとその墓地遺跡」を本格的に取り上げるのは18年ぶり。今回の取材で初めてエジプトを訪れた田口ディレクターは「いままで見てきた色々な世界遺産の中でも三大ピラミッドの存在感と美しさは圧倒的だった。その存在感と美しさを8Kカメラでしっかりと捉えることを意識した」とのこと。 番組では日頃、人々が見たことがないような特別な映像を届けることを目指している。今回も、観光客など一般の人には公開されていない朝や夕方の時間帯にも撮影を敢行。空撮だけでなく、地上からの撮影も許可を得て観光では立ち入り禁止のエリアからも撮影した。8Kカメラ搭載のドローンでピラミッドの真上から見下ろした空撮映像は必見だ。また、ピラミッドと同様に有名なギザのスフィンクスも下から見上げたり、真横から見たり、尻尾に近づいたりと細部に至るまでしっかりと届ける。なお、10月8日の放送は地上波放送のため、8K映像をフルハイビジョンに変換して放送。■最古のピラミッドに大潜入 4650年前、サッカラの地に建造されたジェセル王のピラミッド。6段の階段状になったピラミッドはエジプトで最も古いもので、このピラミッドが原型となって後に三大ピラミッドのような四角錐のピラミッドができたのだ。取材した田口ディレクターが「迷子になったら本当に戻れないな」と思ったほど、内部には全長6キロにも及ぶ、迷路のような地下通路があり、そこには墓の主であるジェセル王の世界最大の石棺がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ、岡本太郎】<TBS世界遺産><サッカラの階段ピラミッド>
October 14, 2023
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バレリーナ・森下洋子さんが見たくて、松山バレエ団のシンデレラが開催される東京文化会館へ向かいます。ランチは東京文化会館の二階「精養軒」、ここの二階に上る「赤い螺旋階段」を利用します。以前、雑誌で紹介されていて、私のお気に入りです。近代建築の巨匠・前川國男の代表作で、前川建築の象徴ともなっているのが、赤と青の二つの螺旋階段とのことです。赤の螺旋階段は、メインロビーから上階のレストランへ行く階段として使われていますが、青の螺旋階段は、楽屋口側にあり、出演者や劇場関係者が使うもので、普段、一般人は立ち入り、出来ず、演者さんのサインなどが入っていたりしてさらに素敵とのことで、一度見てみたいものです。ここは、「いい階段の写真集」に取り上げられ、「国内階段の百選」にも選ばれたそうです。日本の螺旋階段の最高傑作と評する方もいます。折角なので、何枚か撮影です。・・・一時、上からモノを落としてしまった人が続出?し、「写真撮影禁止」の札が掲げられたとか・・・。今回は、2023年6月10日の「高嶋ちさ子&加羽沢美濃 ~ゆかいな音楽会~」以来、2度目です。ゲストは城田優さんで、バルコニー席から見ているのも拘わらず、足が長いのに驚かされたのを覚えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■石丸幹二 @team_kanji>今日は東京文化会館に行った。出演者達はこの青の階段が。客席側には赤の階段が備えてある。一方は気持ちを整理し冷静に自分を見つめるため もう1つは高まる期待と興奮をより刺激するためか。自分ならこのまま海底に降りて行くような気分になるなぁ。楽しそう。<前川國男氏 建築>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:一分間さえ休む暇のないときほど、私にとって幸せなことはない。働くこと、これだけが私の生き甲斐である、ジャン・アンリ・ファーブル】<赤の階段を撮影、あれっ、私の靴が・・・><松山バレエ団75周年、シンデレラ全幕上映、森下洋子><青の階段><青の階段>
October 13, 2023
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既にアップしましたが・・・昨年のGWに仙台へ移動する時に、荷物が重かったせいか、スーツケースのキャスターのゴムが剥がれてしまいました。スーツケースのキャスターを交換するお店はあまりなく、上野駅や成田空港にあるのは知っているのですが、お値段が1万円を超えます。そこで、妻の、DIYの指令?命令?が出てしまいました。(笑)仕方がないので、スーツケース用キャスターのキットを注文です。さてさて・・・。【今日のLifeHack:自分の感情に耳を傾けなさい。自分自身の世話をすべき時を教えてくれるから。孤独から友人を見つけるように。悲しいなら泣くように。幸せなら歌い、笑うように。気分がいいならはしゃぐように、パット・パルマー】<2022年GW、スーツケースのキャスターのゴムが剥がれ>
October 9, 2023
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1泊2日3万円台の宮崎の旅、全てを終えて、羽田へ向かうだけですが、宮崎空港に戻ってくる飛行機が遅れています。出発の時刻の遅れがアナウンスされます。はじめ、5分遅れ、次に10分遅れ、・・・30分遅れ、40分遅れ、結局、最終は1時間くらい遅れました。何とか、最終電車に間に合いましたが、家に着いたのは午前様です。いつものことですが、休まないので、翌日・月曜日は当然、仕事です。(笑)PS.我が趣味の「位置ゲー」(位置情報ゲーム)、「コロプラ」(訪問先塗り絵)の宮崎県が「ゲット」になり、色が変わりました。宮崎県は9エリアに分かれていて、訪れてその場で「位置登録」をして色を付けていきます。前回までの結果は、3地域で、今回5地域追加で塗り絵が出来て、「ゲット」、残すは1地域「串間」のみです。・・・「日南地域」を訪れていた時、どれほど、足を延ばしたかったことか・・・残念!。妻は宮崎駅前で、「電車で行こうか?」と言ってくれましたが、戻りが心配で、諦めました。(笑)【今日のLifeHack:ああ、幸せな年月よ。再び少年に戻ることを望まぬ者がいるだろうか、バイロン】<日本一の「宮崎牛」><木挽ブルー><この時はまだ20分遅れ・・・結局、約1時間遅れに・・・><白煙・・・?>
September 28, 2023
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