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(太字部分をさらに修正しました)
昨日の確率的偶然性のところでちょっと訂正します。
確率的偶然性の説明自体はあれでいいんですけど、ちょっと正確性を欠いていたのは、セスがセッション中に参加者の過去生を見る際に確率的偶然性を精査したという部分です。
『セスは語る』によれば、セスには確かに、C1に現れている個人(仮にAさんという女性を想定します。)だけではなく、その人物の今までの過去生や未来生などがすべて見えるらしく、セスは常に、「今地球上において、Aさんと地球上で名乗る貴婦人のようなドレスを着ていると本人が思っている人物に対して話しかけているのだ。」と言い聞かせなければならなかったようです。
そうしなければ、セスにはC1にいるAさんだけではなく、Aさんの過去生や未来生も同時にすべて見えてしまうからなのだそうです。
また、セスには、Aさんの今生における確率的偶然の世界を精査することができます。例えば、Aさんの近い将来に起こる出来事などです。
ですが、それは確率的偶然の世界において現実化されているものなので、当のAさん自体はそれを体験しない可能性もあります。
ですから、セスとしては、近未来のAさんに起こりうる事象のうち、どの確率的偶然の事象がAさんにとって起こりやすいかまで精査した上で、Aさん本人に伝える必要があるものは伝えなければならないそうです。
この点セスはこう述べています。「わたしは、自分が早い時期に見ている確率的偶然の行為のうち、どれが遅い時期に実現化されるのかを確かめるために、あなたがたの言う『未来の歳月』に同調して、そのすべての派生結果を精査する必要があるのです。」(530-531頁)。
このように、セスにはAさんの過去生や未来生を同時に見たり、あるいは今生におけるAさんの確率的偶然の世界をつぶさに見ることができるのですが、Aさんの過去生や未来生における確率的偶然の世界については、「その限りではありません」(529頁)と述べていることからすれば、通常は見ることはできないようです。
ですが、昨日お話したように、理論的にはすべての輪廻しているパーソナリティにおいて、その時代には無数の確率的偶然の世界が存在しています。
それは例として、サラリーマンが多次元的に医師であるという場合もあるというお話の中で述べさせていただきました。
そうすると、たとえばリーディングなどにおいて自分の過去生や未来生を見た場合、おそらく当該過去生における確率的偶然の世界までは精査できないことになるかと思われます。
未来生も同様です。ま
た、自分以外の他人の過去生・未来生を見た場合も同様です。
では、リーディングによって過去生・未来生を見た場合、いったい何を見ているのかということが問題になります。
おそらくそれは、「当該パーソナリティが顕在意識レベルで体験することを選択した人生を見ている」のだと思います。
無数に存在する確率的偶然の世界においてそれぞれが同様の確からしさをもってリアルに存在しているとしても、それを顕在意識で体験できるのはただ一つの世界ですから。
ただセスの言い方だと、どの確率的偶然の世界のパーソナリティであっても、それぞれが独立した個性を持ってリアルに存在していることになりますから、上の表現では説明しきれない部分があります。
結局は、我々を基準として「今生の我々のパーソナリティが存在する確率的偶然の世界において、今『自分である』と感じているパーソナリティとのかかわりのもっとも深い過去生、未来性の断片を見ている」、こう言い変えた方がいいかもしれませんね。
いかなる場合、いかなる者がリーディングしようとも、それによって見えた過去生、未来性は断片的なものにすぎず、また見た者の主観が混入している点をお忘れなく。
それはガイド拝見であっても同様です。
ただ、私が今交流のある方達は、客観的検証を重視されている方々であるように思います。ご本人がそのことを何度か指摘されているのを読んだことがありますので。
上で申し上げたことは、自分自身で過去生・未来性を見たりする場合のことだと考えてください。
セスもそれとなくほのめかしているように理論的にはやはりこう考えることになります。
すなわち、「ある人格存在について、現在、過去、未来に対応するパーソナリティが独立して存在し、そのそれぞれにおいて、無数の確率的偶然の世界が存在する。ただ、個々の転生における確率的偶然の世界までは、当該パーソナリティを非物質的に呼びだして精査することになる。そうでなければ、個々の転生における個別具体的な確率的偶然の世界までは通常ではわからない。」
こういうことになるかと思います。
願望実現などで未来を見る場合には、確率的偶然の見地から精査することは可能であり、それをする必要があります。
ところが、過去生や未来生を見る場合については、それは通常は困難であり、またそれをする必要もない。
このようにご理解いただけますでしょうか。