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以前、友人と洞爺湖を訪れた時のことです。
http://www.seek-hokkaido.jp/monitor/picture/0003801.jpg
写真のように洞爺湖の真ん中には島があるんですが、その島を船で訪れた時、島の原生林の中で友人とヘミシンクをしてみることにしました。
(ちなみに、中島はこんなところです。YouTubeの動画がありました。)
http://www.youtube.com/watch?v=XlcLfe49Yfw&feature=related
フォーカスレベルは覚えていないんですが、こんな感じである存在がコンタクトをとってきました。
「島を荒らさないでください。」
そこで私は、
「いえ、違うんです。
私達は観光でこの地を訪れている者です。
決して荒らしに来たわけではありません。
少しだけここに居させてもらえないでしょうか?」と言いました。
すると、その存在は、「わかりました。」という印象を送ってきました。
その時に感じた印象では、その存在はその洞爺湖周辺に住む自然霊のような存在だと感じました。自然霊の集合意識だという感じがありました。
他にもその周辺を司る神々がいたんですが、島にある神社周辺を非物質的に見たとき、その神社の管理者と思われる存在も出てきたように思います。
印象的だったのは、中島は霊的には独立した一つの生命体のような集合意識としての本質をもっていて、島全体が一つの意識体であるといった印象がやってきました。その他の地域とは独立した生活を代々この地で営んでいるといった感じでした。
今までいろんな存在と交信してきましたが、島が生命体であるというのは初めてのことでした。
つまり、こういうことなんだろうと思います。おそらくは地球意識の一部なんでしょうけど、その土地その土地には、それぞれその場所その場所を司る神々というのがいて、その地で独立した生活を営んでいるようなのです。
ちょうどこれは、人間一人一人とI/There(類魂)との関係に似ているように思います。
人間一人一人は独立した存在ですが、それとは別に、人間は皆、それぞれが自分のI/Thereという集合意識に所属しています。
洞爺湖の中島を司る意識体と地球意識との関係も、それと似たようなものではないかと感じました。
このような、一部と全体との関係というのは、あらゆるレベルで存在しています。
我々一人一人の肉体についても同様です。
人体は約60兆個もの細胞から成り立っているとされていますが、その一つ一つにも意識が宿っています。それが、人体という集合意識としても成り立っています。その場合、集合意識を司るのは、我々の顕在意識です。つまり、我々の顕在意識は、細胞一つ一つからみればハイアーセルフのような感じです。
つまり、個の意識と集合意識という関係が、我々一人一人の人間にも言えるのです。
さらには、この宇宙全体と人間との関係についても言えます。
宇宙とは多次元的な構造をなしているのだという話を以前ブログでしたことがありました。
我々に見える夜空の星々、すなわち宇宙は、我々人類全体の集合意識の歴史が、多次元的に射影として投影された、いわば影のようなものだということです。
夜空に見える恒星は、進化した意識体の射影です。
あるいは、無数にある銀河も、それ自体が一つの生命体です。
我々の太陽系を超えた領域においても(太陽系の外は非物質界ではないかとされています)、実際に無数の生命体が生命活動を営んでいるわけですが、
実際に夜空に見える位置で夜空に見える通りに活動しているわけではなく、
実際には非物質界領域において多次元的に生命活動を営んでいます。
そういったすべての生命体は、「すべてなるもの」という創造主のもと、たった一つの集合意識に集約されます。
宇宙に無数に存在する生命体の1つである人間(個としての存在)も、「すべてなるもの」との関係でみれば、個の意識と集合意識との関係で成り立っています。
人間というのは、どこまで行っても全体の一部なんですね。
それは、これから私達がどんなに進化したとしても変わりません。
常に私達は、全体のために存在し、全体に対して貢献するという特徴をもっています。
それは、人間としての個々の経験もさることながら、「どれだけ神性を発揮できるか」という形で貢献がなされます。
他人への思いやり、やさしさ、愛、創造性、歓喜、・・・そういった人間としての神性は、全体としての進化にわずかではありますが間違いなく貢献していると言えます。
「すべてなるもの」は、人間にだけ神我(神のように進化した意識)の芽を、人間すべての意識の中に宿したこと、それ自体が、人間という存在が全体の計画性の中において高い創造性を発揮できる役割を担っていることを表わしているのかもしれません。
それは、何も日々の生活からかけ離れた山奥での座禅から生まれるものではなく、日常生活の中で生まれてきます。
人間としてのやさしさ、思いやり、創造性、歓喜・・・そういった神性さを発揮できるチャンスはたくさんあります。
そして神性は、今この瞬間に生かされていることの喜びからもひしひしと感じられてきます。
一人の人間が誕生する生物学的確率は1/230840000らしいですが(笑)、
これからしても、生命として誕生し生きていること自体が奇跡に近いということにも表れているように思います。
つまり、人間一人一人の神性さというのは、今ここに生きていること自体が奇跡に近いのだという事実に物質的にも現れているように思います。
神我とは何かと聞かれて答えるとすれば、今ここに生きていることそれ自体が奇跡的なことであり、それこそがまさに神我の現れなんだといえるかもしれませんね。
ですから、神とは神話での出来事ではなく、多次元的にみればあなた自身であり、今あなたのとなりにいる人間そのものなんだということです。
もしそういった目で人間同士を見ることができる人が増えれば、少しは争い・紛争が減っていくかもしれませんね。