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今回私が亡くなった祖父に会うことにしたのは、漠然とですが人間が死んで向こうの世界に行った後のことが知りたくなったからです。
私が祖父と話したのは、テロップでは「幽現界」と表記されたように感じられましたが、これは通常言われている場所とは異なるみたいです。
私は自分自身の持つ認識に近づけるために、ヘミシンクの世界で言われているところのフォーカスレベルで表現するとどうなるかを尋ねてみました。
すると、フォーカス34/35という印象が浮かんできました。
一般にヘミシンクの世界では、この領域というのは、かなり高度に進化した領域と考えられているかもしれませんが、祖父によればそうではないのだということなんです。
もっとも、それはあくまで祖父の進化レベルを基準としているからなのかもしれません。
祖父は今、ちょうどフォーカス34/35とフォーカス42の間くらいの領域にいて、自分自身の意識間の関係構築とでもいいますか、統合作業のようなことをしているようない印象を受けました。
祖父曰く、「旅をしている」のだと言います。
その旅とは何かを私が聞いてみると、それは我々が考えるようなガイドのような仕事、つまり、自分と深い関係のあるパーソナリティを助けることであったり、あるいは我々とはことなる進化体系を歩んできた同胞(例えば別宇宙にいる自分)を訪れる作業であったりするみたいです。
私は祖父に、最近気になっていることを聞いてみました。
それは、「ワンネス」と友人関係についてです。
よく精神世界では「ワンネス」という言い方がされたりします。
セスによれば「すべてなるもの」という究極的な存在です。
(セスという存在については、以前過去記事で書いたことがあります。それ以降セスについては触れていませんが、以前ジョージ・カヴァシラス氏についての記事をふれた時には伏せていたことがありました。それは何かというと、セスはバシャールとは進化の上で目指す指向性がかなり異なっているのだということです。簡単に言うと、セスのほうが我々の進化の方向性に近いということです。ただし、この情報の真偽についてはご自身で必ず検証してください。)
祖父に私は、向こうの世界では、例えば嫌いな相手にも会ったりするのかどうかについてきてみました。
ワンネスならば、誰もと仲良くしなければならないのではないかなという現世的な疑問が頭をよぎったからです。
しかし、祖父によれば、そうではないのだと言います。
祖父によれば、友人との出会いは、「ちょうど今お前の目の前に表れている景色のようなものだ。」と言います。
祖父によれば、いろんな事情があるにせよ、その人が常に定住する場所というのは、その人自身の選択によって「選ばれた」場所であるのだということです。
友人関係もそれと一緒だと言います。
ですから、祖父の進化レベルになると、普段コミュニケーションをとる友人というのは、皆、「祖父にとって」好ましい人物ということになります。
そして、私自身の主観的観測に基づけば、それは「今ここ」における我々の世界においても、大なり小なり起こりつつあるのだということです。
私は祖父に、「ワンネス」について聞いてみました。
すると祖父は、こんな風な言い方をしてきました。
物事には始まりも終わりもない。
我々が直面するものは、究極的にはすべて、我々自身の選択によるものだ。
したがって、我々にとってそれが好ましければそれを選択するし、好ましくなければそれを選択しないというだけだ。
それによって、「どこかから」遠ざかるということもない。
なぜなら、そもそも「始めも終わりもない」のであり、目指すべき終着地点などこにもないからだ。
つまり、祖父が言いたいのは、我々が考える「ワンネス」なるものは幻想的なものであって、それと我々がどの友人と好んで付き合うかどうかということとは、全く無関係なのだということです。
あと、いわゆる信念体系領域というものの消滅の有無について聞いてみました。
以前私は、ある存在から、信念体系領域もいずれなくなるという話を聞いていたからです。
すると祖父は、
進化にとっては、一時的にそのような領域にとどまる必要性があることがあるが、それも恒常的なものではない。
いずれは次の段階に進むようになる。
そういった領域が進化の階梯において必要性がある限り、なくなることはない。
といったことを言いました。
これに関連して、私は以前ヘミシンクで習った、フォーカス27という領域についてと、そもそもフォーカスレベルというものに真実性があるのかということを聞いてみました。
(これについても、これからお話するのは私にとっての真実ですから。読者様にとっての真実は読者様で検証をお願いします。)
すると、祖父からは抽象的な印象しか得られないのですが、要はこんな感じです。
フォーカス27にいろんな施設があるというより、人間が死んで進化の階梯を上がっていくと、様々な人との出会いがあり、様々な援助を得て、その時の自分にとって最適な環境へと進むことがある。そういった環境の総称を、我々は「フォーカス27」と呼んでいるだけなのだと。
つまり我々がしていることは、まずはフォーカス27という概念的な領域をもうけて、そこに各自の体験を当てはめているのだということです。概念先にありきの現実体系を我々自身が作り出しているといういうことです。
さきほど祖父は、「旅をしている」という表現をしましたが、その中で祖父が伝えて来たのは、祖父も我々と同様に生活を送っている自分がいると言います。
その場所というのは、我々よりも進化した領域ではありますが、目の前に景色があり、空間があり、そこでいろんな人と出会ったりする生活の場です。
ですが、祖父はそれも一面的なのだと言います。
そういった生活を送っている自分もいるのですが、そうではない「自分」というものを祖父は感じ取っています。
それと同じことが、我々の知る「フォーカスレベル」というものにもあるのだと言います。
祖父によれば、我々の知るフォーカスレベルというのも、極めて一面的かつ人間的なものであって、実際には明確なレベル分けなどなく、すべて連続性を伴ったものだという印象を投げかけてきました。
最後に私は祖父に、神に会ったことがあるのかと尋ねてみました。
すると祖父はこう答えました。
「神は自分自身の中にいる。」と。
