つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2009.07.22
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テーマ: 本日の1冊(3759)
カテゴリ: Book
(2006,文春文庫,文芸春秋/ 単行本:2002)



(なんで山田詠美がないんだ!という解説者のツッコミに同意。)

最初の三人は「新しい革袋に入れた古い酒」というキーワードでくくられ,なぜ彼らがあそこまで受けたのかが,学術誌から週刊誌までの豊富な引用などを用いて論じられます。



特に吉本ばななについての論考には興奮しました。著者は新井素子や氷室冴子などコバルト文庫作家との文章を比較したり,ばななが個人的な謝辞をこまごまと「あとがき」に書く異例のスタイルが,コバルト文庫では一般的だった事実を指摘します。

著者は少女小説との類似に気付いた人があまりに少なかった点を不思議がっていますが,たぶん評論の世界では少女小説は完全に見下されており,それゆえまともに扱われなかっただけのことでしょう。

海外での二つの吉本ばなな評論がそろって「もののあはれ」(源氏物語を解釈するために本居宣長が提出した概念)を持ち出した件にしても,西洋文芸評論においてはそもそも近代日本文学の多様な分野や,サブカルチャーとの関連などは認知されておらず,少しでも関連がありそうで,彼らの知ってる文学といえば,源氏物語以外に見当たらなかっただけじゃないでしょうか。

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つまりサブカルチャーと一括りにされる中にも,暗黙の序列がつけられているのです。少女漫画はおそらく70年代ごろから学問の世界でも徐々に認知されてきました。しかし少女小説に関しては,未だに評論の世界ではまともに取り上げられてすらいないと思います。

実際に,コバルト小説の文学的価値自体はさして高くないのかもしれません。たとえば,萩尾望都や山岸凉子ら多くの少女漫画家がジェンダーをめぐるシリアスな問題を意欲的に取り入れてきた一方で,コバルト文庫にそういう視点からの作品がどれほどあるかというと,あまり聞いたことがありません。





私はというと,コバルト文庫といえばルパン3世のノベライズを買ったくらいで,少女小説はほとんど読んだことがなく,心のどこかで小馬鹿にしていました。

ただし,氷室冴子だけは別です。彼女のコバルト小説を漫画化したもの(「雑居時代」「ざ・ちぇんじ!」「なんて素敵にジャパネスク」)はかなり熱心に読んでおり,ほのかなリスペクトを抱いた記憶があります。

著者もコバルトを愛読したクチなのか,個人的な感想こそ書いていませんが,コバルトは重要なんだ!という声が行間から滲み出てくるような,いい文章でした。







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Last updated  2009.07.22 23:52:24
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inalennon @ Re[1]:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子(09/19) フィンちさん >この世は なんてままなら…
フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
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ハオ@ 4年はあっという間 バーチュー&モイヤー組見ました。 優雅…

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