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今回の誕生日は「あ…誕生日や…」的なもので、
ケーキすら食いませんでした。せっかくなので大好きな銭湯には行きましたが。
地震が大きく報道されてから1週間以上が経ち、
そろそろトップ項目からも落ちてきた、最近。
被害現状を伝えていたニュースは、徐々に復興の兆しに視点を移しています。
よく「時間は全ての人に平等に与えられている」と聞きますが、
今回はその言葉を少し穿ってみてしまいます。
地震発生からしばらく能登に泊まりこんで取材を続けましたが、
そこでの時間は「ねっとり」していました。
正確にそう感じたのは、1度金沢の方に呼び戻された時なのですが、
先月の休みが異常に少なかったため、強制的に休みを与えられた僕は
食事でもしようと街へふらふらと繰り出し
街行く他人の笑顔を久々に見て、
それまでいた場所を流れる“時”が、へばりつくような粘着性にまみれていたことを実感しました。
いつもは時ってもっとさらさらしていて、
速いスピードで自分たちの頭を循環していたってことを実感…
同じ県内ですら、こうなんだから
東京とかなんて、すでに誰もが忘れているんだろうなぁ…とぼんやり思ったりして
自分が暮らす世界は、物凄いスピードで情報が流れていき、消えていく。
震災は時の流れををせき止め、
止まった時は、へばりつくように少しずつしか進んでいない。
それが自分の感想です。
映像という言語は、なによりも強いメッセージを含むと思っていて
それを実感するけど、
ニュースという世界で情報は猛スピードで消費されざるをえない。
受け手のスピード感覚を無視した情報提供は、何にも届かないし。
現場にはそんなスピードに溢れた時の流れは存在しない。
へばりつく現場と、かっとんでる日常
両者は齟齬をきたしている。
その合間を繋げるために、
現実をいかなる角度で切るか、どう見つめるか…
あ゛ー
若輩者で歯がゆい。