こんな毎日(2005年9月~)

こんな毎日(2005年9月~)

2005年12月23日
XML
カテゴリ: つれづれ
矯正歯科に行っています。

最初の何回か、続けて通ったら、
あとは、毎月1回、ワイヤーを替えながら、引っ張って行きます。
で、今回は、ワイヤーの、少し強いのが入りました、、昨日です。

なんでも、ワイヤーをかけた次の日に痛くなる人がいるそうです。

なんだか、わかる気がする・・。
引っ張っていかれている感じが、歯の重なりが大きいところほど、痛いです。
今度から、歯医者さんに行くときは、

前に、ちょっとおいしいものを食べに行って、
次の日は、スケジュールをいれずに、の~んびりしようと思います。

今日、本当は、車の整備に行きたかったのですが、
なんだか、寒さも手伝って、外に出る気になりませんでした。

ご飯を食べに行く気にもならず、家にあるものですませました。

ただひとつの楽しみは・・浅田次郎さんの本を借りてきていたことでした。
毎回、引き出しの多さに、楽しませていただけます。

それから、
今日、朝から、元先輩とメールのやりとりをして、
それでもって、
「願い」についてのお話をしました。


まだ、すっきりまとまっていませんが、
忘れないうちに、メモ、メモ、、

前から気にかかっていた「一夜賢者の偈」についても、語りました。
「過去は追うな、未来は願うな」・・ただ現在のことをありのままに観察し、
動揺することなく、よく理解して実践せよ、、

一夜賢者のことを静寂者、寂黙者ともいうのだそうです。

「願い」は、本来、「自分について、あるべき姿を描くこと」と切断の必要のないものです。
「願い」を、不要に拡大解釈すると、切断しなくちゃいけないことになります。
(神仏も含めて・・)他者の介在する隙がないほどに、強い想いで、
自分のあるべき姿を想い描ければ、、「願い」は、してはいけないものでもありません。
「願い」というと、神仏への願いと錯覚をしたり、とらわれたりしてしまうので、「願うな」となるのですね~。

経典や、教えは、どんな信仰のものでも、
その理解の段階に応じて、言われていることに矛盾を感じたりすることがあります。
そこのあたりが、今日のように、少し見えてきたときは、
なんだか、うれしくなります。

「願い」について、だいぶん錯覚を起こしかけていました。
今の不満を持ち込んで、神仏に願いをかけてもだめなのです。
不満があるのは、今の自分を否定しているのと同じ、、。

私は、もともと、あまり、過去を悔やむことはしません。
振り返ることをもう少ししたら?というくらいです。
                  反省(””;)(””;)
「嫌だったこと」(今は、そう感じません。)に対する理解も、、、
皆さんにアドバイスをいただいて、いろいろな面からの考え方が
できるようになって来ました。

だけど、、
他者の介在する余地のある「願い」を持ってしまうのは、
迷いがあり、邪念があり、負の想いがあり、、
先輩の言葉を借りれば「人知を超えた因果」というものに対する理解が、未熟なのでしょう。

だけど、、だけど、、
自分が感じた、メッセージを信じることができるようになりました。
それが、自分の行くべき方向と、感じるようになりました。

時々、メッセージの意味が理解できずに立ち止まります。
「正しく学べ」の「正しく」ってどう?とか、、


そろそろ、2005年の10大ニュースなど、
考えてみようかしら?















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年12月23日 21時03分34秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: