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院内クリスマスコンサートのリハーサルをしました。
細かいことを言い出したらきりがないけれど、それでも少しでもさらによくなるように…と繰り返し練習。
久しぶりに 妹とソロ曲を弾ける喜びに浸りました
。![]()
心から楽しめる時間を持てて、 嬉しい!! の一言です。
夕刻にレッスンがあって夜は1か月ぶりのクァルテットの練習現在曲はベートーヴェンとショスターコーヴィッチとを同時進行させています。
ベートーヴェンはいつか近いうちに録音しようということになっていて、しばらくショスターコーヴィッチに手を取られているうちに忘れないように、ということで今回はさんだので、大してあれこれとり出して練習をしませんでした。
でも私は、それなりにいい感じで弾けたかなぁと思っています。
問題はショスターコーヴィッチ!!
一応は個人練習も出来る範囲でしています。でも一人で弾いていても何をどうしたらいいのかさっぱり分からない。で4人で合わせたら少しはわかるだろうと期待して練習に臨むのです。
ここではチェロが物憂げなメロディーを奏でる。
あるところではチェロとビオラ、ヴァイオリン1,2とが対立し合ってしかも、Vn同士で噛みつき合っているような激しい憤りが噴き出している。
そうかと思えば滑稽にユーモアを飛ばして昔の思い出に浸りながらお酒を飲んでいるような・・・。
でも、じゃぁ私はそこでどう弾けばいいの?ということはさっぱりわからない。
もっとはっきり言えば どうしても私の心はこの曲に寄り添うことは無理!
と答えているように思う。
そのことはある程度クァルテットのメンバーも理解しているはず。
いつものことながら私に時間がないということもあるけれど、それにしてもちっともこの曲のことを知ろうとしていないなぁ、と察しているだろうから・・・。
このクァルテットの8番も ショスターコーヴィッチ
という人間がある時期にある思いを持って作った作品。
その意味では彼という人格そのものが表れているはずなんだけど、テクニック的に問題ということではなく、実際に弾いてみてここまで私自身がわからない、と感じるのも珍しいし、そのことは私にしてみたら危機的。
ある程度コミュニケーションをとっているにもかかわらず、 まったく理解できない「人」に出会っている、しかも積極的な受け入れを迫られているような苦しさ
ここで「人」であることが問題なんだ。
人とは時間を掛ければいつか同じ人間同士として理解しあえるだろうという前提が私の中にあるつもりだったから・・・。そして今まで本気で分からない人に出会ったことはなかった。
今、 わからない、という私がここにいる。
この曲は私の中の準備が整うのさえ待たずに強引に強い感情をものすごい勢いで私の心の中に流し込んでくる。
だからは私は自分を守るために反射的に寄り添うことをあきらめ、傍観者になろうとしていたんだ。
それで私はどうしても付き合わないといけないこの人(曲)を少しでも理解できないかと、調べてみた。
なんとこの曲はショスターコーヴィッチが大きな精神的危機に見舞われたときにつくられたものだった。
彼が仕事のためとはいえドレスデンで戦争の惨禍を目の当たりにし、表向き「ファシズムと戦争の犠牲者」に献呈する為に書かれた曲だったけれど 、圧政により精神的荒廃に追い込まれた自分自身への曲
だった。
しかも彼は「自分が死んだ時には誰も弦楽四重奏を私に捧げてくれるとは思わないので、自分で自分自身のために書いた」とのこと。
自分へのレクイエム(鎮魂歌)だったのです。
(参考 wikipedia )
どおりで私の心が受け付けられないわけです。
あまりにも大きすぎるあまりにも深すぎる悲しみと怒り・・・。
独特の和声や音使い、曲の構成もあるけれど、これらは何度も弾くうちに慣れることができるでしょう。
理解しようなどと大それたことは思わず、弾くことでただ彼の魂のために祈ります。
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