奇跡のコース&癒しの世界へようこそ♪
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ダグラス・E・ハーディングによる文章を理解するためには、以下のHPを参照してください。 http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/experiment/experiments.html しかし今、日常の実用性と日々の世界に立ち戻ってみると、私たちの生まれも死にもしない本質をみるためのこのシンプルな技術を広めて、人々に個人的に、またはいっしょにそのやり方を示し、彼らにそれをやってもらうことは、どれくらい困難なことだろうか。二人の集まりであれ、二百人であれ、二千人であれ、彼らが私たちの何十とあるテストのいくつかをやることに同意すれば、そして、やって見せている人がそれを見ているかぎり、つまり、その人がその場面に人として不在であり、かつ他のすべての人たちのための空間として存在しているかぎり、実際これ以上簡単なことはないくらいである(たとえ一時的であっても、ほとんどいつも、人々はこれを行うことに同意する)。 過去二十五年の私自身の経験と、明確に見ている友人たちの経験から言って、いったん人々がどこをどのように見るかを理解したら、彼らが自分の本質を見ることを避けることは、不可能であるのだ。指さしている指や一つの目だけで十分である。このことについて読むことについて言えば、十年から十五年前は、見ることの基本に関して本を読んで、自分の非物質性を見る人はほとんどいなかったが、最近では多くの人たちがそうしていることにある種の驚きと感謝の念をもって私は気づいてきた。 実際、実験を誠実にやり、自分が得たものを受け取るすべての人たちは、みなそうしているのだ。人々が、「私にはそれが見えない」と言うときは、たいていその人の言っていることは、「私はそれを感じない」という意味である。つまり、その内面の風景は彼らにはなんの感動も与えないということなのだ。 しかしもちろん、それはそうであるはずだし、そのことで神に感謝していただきたい! なぜなら、これは事実の問題であって、感情の問題ではなく、永遠で性質のない人の本質の問題であって、たえず変わる万華鏡のような思考や感情の問題ではないからである。私たちを自由にするのは、これ以上平凡にできないほど“平凡な真実”であり、その平凡の意味とは、控えめで飾りのないという意味でもあり、何も隠されていないという意味でもある。 最後に、慎重で重要な問いがあるが、それは、いったん自分の生まれも死にもしない本質を見てしまったら(それが瞬間的であるにしろ、よい友人とのふれあいによって、またワークショップで、またたとえばこの本でのように、本を読むことによって)、それをどうしたらいいか、という質問である。 私たちのどれほど多くが、この洞察を本格的に自分のライフスタイルに組み入れるだろうか。実際のところ、非常に少数の人たちである。しかし、それにもかかわらず、いったんこれを見てしまったら、私たちの誰もが以前とまったく同じでいることはできない。一般的にはよい種は非常に深く蒔かれるので、意識の広い光へと芽を出すまでに非常に時間がかかる場合がある。エックハルトは、「ちょうど梨の種が育って梨の木になるように、神の種も育って神となる」と言っている。無価値な神の種はなく、すべては神となるのだ。さらにそれらは、最も肥沃な畑、私たちの存在の大地へと蒔かれるのであるから、それらの一つでさえ最後には発芽しないなんてことは、ありえないのだ。 そうなのだ。これは、私たちの世界の明るい希望以上のものであり、それは本命であり、確実で唯一の勝者であり、宇宙の炎のように明るい必然である。 P139-141
2010.04.01
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