奇跡のコース&癒しの世界へようこそ♪

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2007.12.07
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カテゴリ: 仏法
この世の限界などものともせず、しかも自分自身を完全に記憶していながら、
 神と直接に触れあった人々がいる。
 これらの人々は師のなかの師と呼ばれるだろう。
 なぜなら、もはや彼らの姿を見ることはできないが、
 彼らのイメージはなお鮮明だからである。
 そして彼らは自分たちが役立つと思ったときに、
 思ったところ現れるだろう。
 彼らの現れに恐怖を感じる人々に、彼らは考えを授ける。
 彼らに呼びかけて空しく終わる者は誰もいない。


         神の使者-謝辞

「神の使者*ゲイリー・R・レナード著*河出書房新社刊」より抜粋。

********************************

「今の私が理解していること」

 子供の頃、何か楽しいことに夢中になって遊んでいた時間が終わりに近づいた時、何とも言えない寂しさを感じたことはありませんか?

この楽しさが永遠に続けばいいのにと感じたことはありませんか?

 そのような時を経て、いつしかこの世界に適応し、この世界の中で教えられたルールに従い、それに逆らわずに生きていくことが、いつのまにか自分の信条や生き方になっていませんか?

 でも、この世界のルールは一貫性がなく、人それぞれが違ったことを話し、みんながバラバラの真実を生きているため、いったい何を信じて生きたらよいのだろう、と悩むことはありませんか?

 そう、この世界は、何を信じて良いのかがわからなくなるようにできているようです。私たちが身体をもったときは、両親が神のような役割をもち、両親が信じているこの世界の真実を教え込まれます。
 それから出会った人たち、友達、教師、テレビなどがまた別の真実を投げかけ続けます。

 宗教、倫理、法律、政治、哲学、科学など人間のあり方や行動規範を与えようとする指針はあるのですが、はたして、その通りに生きたとしても葛藤は解消されることがあったでしょうか?



 そして、心の声は「何かがちがう」と「何かもっとすばらしい感覚があった気がする」「とても大切なことを忘れている気がする」と感じていたとしても、この世界が与えてくれものなかではなかなか見いだせないことが多いと思います。

(この世界に満足されている方には、私の日記は必要ないので、閉じてください。それはそれで素晴らしいことだから。)

 砂をかむような現実の中で、心が絶望の叫び声をあげ、真実を求めるとき、きっと神の延長としてのキリストは、私たちの心を通して現れるのかもしれません。

 私たちが現実だと信じている世界を動かしているのは、結局のところは、肉体ではなく目には見えない何かではないでしょうか?
 それは肉体を創り出すもとのように見えたり、肉体通して表現される様々な感情についても、それなしでは何ひとつ表現されることもないでしょう。


 この世界における二大指標、宗教の世界では「霊」、科学の世界ではエネルギーという通り名で呼ばれているようです。
 しかし、その答えは何千年という時を経た今日でも、煙幕が張られたままであり、依然としてその全貌が明らかにされてはいないようです。

 しかし、その目には見えない何かは、私たちが信じる時空間の世界を超えたところから、今も私たちの心を通して呼びかけ続けているように感じるのは、私だけでしょうか?

 心には二つの選択肢があるようです。
 ひとつは、この世界こそがあなたが生きるべき場所であり、個であることを精一杯、身体が終わるまで生き続けなさい、それがあなたの真実だという心。
 もうひとつは、この世界を超えて「あなたが何者であるのか?」「あなたの真実を思い出しなさい」という心があるようです。

 一つめの心は、制限を生み出し、もう一つの心は、制限そして分離が存在することこそが幻想であり、制限そして分離が存在するところに「真のあなたはいない」と告げるように感じます。

 人は誰もが限界を超えたところ、完璧な世界(天国)を夢見ているのではないでしょうか? 
 そして、それ(天国)を夢見ることができるのは、夢ではなく心のどこかで、それを覚えているからではないでしょうか?
 私たちは、ひょっとしたらこの現実世界こそが夢だと気づいたとき、真実に目覚めるのかもしれません。

 この夢から目覚める道は、一見するとたくさんあるように見えます。
 しかし、源への道はやがて一つにつながることでしょう。
 たくさんに枝分かれてしているように見える道が、分岐点が消え去り、じつはたった一つの源へつながっていただけだと、いつか気づく日が必ず来ると私は思います。

 道は果てしなく続き枝分かれしているように見えるため、時に迷いが生じます。その迷いが生じたとき、つねに一つの道へと軌道修正してくれる道具は、それほど多くはないように思います。

 光と闇の区別を知らなければ、どこへ向かっているのかわからなくなります。闇の中で光の道を探すためには、それぞれの違いを素直にみつめる心の訓練が必要なプロセスとなります。一つへと続く道を何の道標もなく歩いていくことはとても大変な作業だからです。 

 私の中では、神の使者、ACIM、そして神との対話という一つの道へと誘う道標は、神の延長であり偉大な師である内なるキリストそして聖霊を通じて、私たちの二つに分かれた心(葛藤)を救いだす道の一つだと感じています。

 それが各人にとって、真実であるかどうかは、頭で考えるだけではなく、ただ実践を通してのみ得られるものだと思います。

 まず、私自身でそれが何であるかを感じ続けていこうと思います♪





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最終更新日  2007.12.07 09:15:41
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