奇跡のコース&癒しの世界へようこそ♪

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2009.05.22
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カテゴリ: 仏法
 昨日は、自らをエネルギーという概念でとらえる状態では
 「自らの本質=真実=実在=生命=自由=愛を、まだとらえきっていない」
 ということを書きました。

 その真意をまとめてみると、
 エネルギー自体が、電子とか原子というように分離構造を
 そこに含んでいて、エネルギーを交換することによって
 それが「存在する(ある)-存在しない(ない)」という点滅として
 変化を生み出し続けるという性質があるからです。

 これは単に物理的なエネルギーについて、

 相対性理論のなかで、
 物質に見える何かは、
 その質量に光速度の2乗のエネルギーに変換あるいは置換される
 とありますが、おもしろいことに
 私たちの生命があるうちに身体の中を流れる微弱電流
 -心電図・脳波などによって計測されているバイタル・サイン-
 には、物質的なエネルギーとは明らかにちがう
 それ以上の何かがあります。

 その何かとは、「物質に意識を与える何か?」である
 あるいは、物質的なイメージに先立ち、
 この知覚される世界のあるいはその前にある何であり

 さらに、その後、
 分断された個のレベルである肉体
 物質的な細胞のなかにある
 遺伝子にイメージを与える何かです。

 (それが意識・無意識であろうと)それがあることで、

 「脳・神経系、その他の組織・内臓諸器官」が
 はじめてあることがわかり、
 それが物質を動かすことになります。

 一見すると生体の微弱電流と物理的なエネルギーは同じモノである
 と錯覚あるいは、混同されていますが、
 エネルギーは、ある意識から変換され、それが、
 あたかもエネルギーという形ある何かとして
 実在するようにみせかけていると
 考えたほうがよいように思います。

 奇跡のコースでは、物質やエネルギーを装う何かである
 それを「心」と呼んでいます。 

 変化し続けるという性質が、もし真実であり
 終着点であるなら、
 神は変化し続けることを意味します。

 神が変化なら、
 私たちは、プラスとマイナス、NとS極、陰と陽、善悪という
 対極のあいだを
 振り子のようにさまよい続けるだけの運命しか
 与えられていないということになります。

 別の言い方をしてみましょう。

 たとえば、神はよく「愛」だと言われています。
 神がひとつであるなら、神が創るなにかは
 やはり「愛」ということになります。
 それは「愛」は「愛」でしかないことを意味します。

 もし、神が自分とは違う何かを創るなら、
 神が「愛」と別の対照的な何かを創ることを意味します。

 だとしたら、
 その違う別の何かを創造すること、
 そして、別の何かとして創造されたものとは、
 その対極である
 「FEAR(本当のようにみえる嘘の証拠)-恐れ・不安」
 が生じたことになります。

 この論理では、「神が嘘・不安を創造した」ということになってしまいます。

 私が「神との対話」の神が
 どこかおかしいと考えるようになったのは、
 そこに内包されている根本的な概念自体に
 「自己矛盾」があるからです。

 私は哲学的な考察がとても好きなのですが
 神が論理の一貫性をもっていないとしたら、
 神は愛でも何でもなく、何も知らなく
 宇宙は偶然の産物であり、人間は善でもあり、悪でもあり
 その時々で、変化し続ける相対的な存在でしかない・・・

 そんな世界しかなく、
 その結果としての私たちは
 何の指標もなく、運命と呼ばれる大海のうえで船にのり
 目的もなくさまよい続ける何かでしかない
 ということになると思います。

 このようなことばかり書くと、
 私が「神との対話」の神を批判していると思われるかもしれません。

 私が言いたいことは、単にどこへ向かおうとしているかという
 「指標」あるいは「目的地」について話しています。

 論理的に矛盾がある目的地へ向かい、そこへ到達したとしても
 その帰結としては、矛盾に出会うだけだ・・・
 と言っているに過ぎません。

 真実を知ることと
 矛盾を知ることとの間には
 そこに大きな違いがあります。

 ですが、肉体の目という分断され
 一部しか見えなくなっている
 あてにならない知覚情報からしか物事を見られない
 自我(分離の視点)の支配下にある私たちは、
 何らかの指標を見いださなければ、混乱し続けると思います。 

 では、その状態から抜け出すために何をしたらよいかというと、
 まず、真実を知るために、
 真実(真の自分)ではないものを知る必要が生じます。

 今、この世界で目に見える違いを楽しむことについて
 私は別にどうこういっているわけではありません。
 好きなだけ楽しめばいいと思います。

 ですが、最終的に
 その目に見える違い・分離を求めるということの目的は、
 一つであること、真実、とは何の関係もないという結論に
 いきつくことになるでしょう
 といっているだけです。

 私たちは本能として、
 決して変わらない何か
 愛-真実-自由を求めます。

 なぜ、それを求めることができるのか?
 それをどこかで知っている(覚えている)から・・・
 今も真実は心の奥に存在し続けているから・・・

 しかし、そのよりどころを分離の世界
 -自分とは違う何かが見える主体と客体に満ちた世界-
 -矛盾の世界-のなかで
 探しても
 愛・真実はみつからない、という結論に達するでしょう。

 では、真実を知るためにどうしたらよいのか?
 これが私たちの今の立ち位置における
 真の命題となると思います。

 私たちがよく愛と呼んでいる言葉が真実であり明晰さなら、
 混沌、複雑さ、無知、それらから生み出されるものは闇です。

 闇は、自らの位置を見えなくします。
 自らの位置を知らないなら、あるいは忘れたなら
 不安が生まれます。

 私たちは愛をこの世界では忘れていると思います。
 愛という真実を今ここで知っているなら、
 闇の中にはいないでしょう。

 「・」ドット-闇は、この日記のなかに見える点であり
 それに続く文字(あるイメージ)のようなものです。
 この日記の背景のなかに、
 ある「・」や文字を自分自身だと信じている状態に似ています。
 (これはマイミクのまるさんによる
  真の自己・本質と偽りの自己についての簡単な説明です)

 その答えを知るための手段として、
 私たちは、真実とはちがうものを見極めることから
 始めなければなりません。

 そのプロセスは、
 「私は身体であるのか?」から始まります。
 よく悟りのプロセスの問いで
 「私は誰か?」という問いがあったと思います。

 私が昨日、自分の中に生まれた不思議な問いである
 「私が解剖している死人は、身体はあるのになぜ動かないのか?」
 にも通じていますね。

 この問いの答えは
 「私たちは身体ではない」ことの一つの証明にもなります。
 「私たちは身体以外の何かが別にあるから、
  身体というモノを動かし、生きているようにみえる」と。

 そうしていくと、私は目に見えるそれだと信じることはできても
 実際には、この相対性の世界のなかでは
 「それにあたる何かが絶対に事実であるということができない」
 状態が生まれ続けます。

 それを排除していく結果として
 残ったなにか・・・それがシンプルな答えになります。

 そして、それが見えたなら
 ここに見えるあらゆる何かについて
 「それらは、自らの真実ではない」
 という指標をもつことができます。

 このように。真実を見極めるためには、
 真実とは違う何かをまず見いだし
 それを否定すること-否定を通して、
 見極めていくことになります。

 奇跡のコースにおける学習過程もたしか、
 形而下の話をしているときには
  自分は肉体である、という幻想、
  自分は心であるという幻想、
  のなかでの視点、
 つまり私たちが意識的にある程度わかる言葉で説明されたあと、
 次に、形而上-聖霊の視点で真実を明確にし、
 幻想を見つめなおす、という方法がとられていたように思います。

 ミスチル的には、「身体でもなく、心でもなく、愛している」
 って感じで昇っていく見方とも言えますかね(笑) 

 そして、そのプロセスは、最終的に2つに絞られることになります。

 主体と客体がある世界-相対性の宇宙(物質宇宙)
 これらのすべてのなかにはあらゆる分離があります。

 つぎに、それらの構成要素として知られている
 見えない世界-エネルギー-量子(ミクロ)の世界、
 ここにも分離がまだ見えるようです。

 では、最後に残る真実とは何か?

 God is







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最終更新日  2009.05.22 14:27:08
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