文机 0
神楽 0
AVEスイショウ祭 0
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イラスト:黒沙鐶ミイカさん ツイッター:黒沙鐶ミイカ @diida8 詩:しぇりーいすちゃん ツイッター:しぇりーいすちゃん @izchan1 ひ ぜん しょう ≪ 斐 然 章 ≫ 1. 古代カルデア語の綴れ織り、『ザディッグ』。 書物はいつの世にも肥沃な永地を生んだものなのだろうか。 サディの翻訳は「黄金の穀物」といわれるだけあり 未知なる耕作を見せてくれるのだけれど。 2. 夜の帳に 女たちのフォルムは支配され くりかえされる むつみ愛 寝台のアラレモナイ軋み 蜜夜のアラレモナイ喘ぎ けれど飛礫してしまう のは、ナニカが損なわれたから のは、ナニカが過ぎたから 愛憎の糸に絡まりつづく、 宿命は 日ごと繰り越され粘くなるから 妬みの飴細工 灯せば、溶けだす痛みたち 千夜一夜に 疼く花たちの悲願が 濃縮の蜜をうむ 3. 否応もなく、昼の行事が始まる サルタンのご寵愛を一身に受けておられる、 美しく麗しく聡明な妃シェラー様におかれましては…云云 彼らの辞令には決まって きらびやかな 型番のついていそうな 意匠のベールが用意されている だが メソポタミアの民は知っている 星座を詩う、 日焼けの羊飼いの少年が 言葉の杖をかざし 心に瞬く、標をさす夜の訪れを おお! オロズマッドの神の 御前に 真実を告げる者ザディッグ なんと 世間の事実とは 事情の付箋された引用 それも覆われて バビロンへの道は遠ざかる サルタンのご寵愛を一身に受けておられる、 美しく麗しく聡明な妃シェラー様におかれましては…云云 こうしていても埒はあかない 寵妃への社交辞令に すわっと解き放つ、女彪の足どり・・ 4. 『ザディッグ』、 叡智溢れる物語り さすがサディだわ だが、と妃シェラーは鎮まりへと精神を向け 召使の差し出す葡萄酒を、机にと、ほっそり指す サディが殊更に 酷評を 妃シェラーに望んだ、わけ。 アラビアでは物語りの器は シェーラザード姫の美酒に充たされていて もはや噂話の酔いなしには 文字に意味を見いだせないとすら楔されている サディが望んだのは 酷評をも生む 至上の文学への希求であって 能わぬ者の戯言ではない “女彪のアメジスト” 時の著名な文人たちが 妃シェラーの批評眼を称したものだ それ故、 やっかみの口ぐちが 妃シェラーの女彪のような肢体のこなしに 淫らの汚れ を塗ろうにも叶わなかった だが、サルタンに嫁して 一度たりとも “苦蓬”(にがよもぎ)月につかまれていないのは やはり寝所での秘め事によっているのは確かだ 千夜一夜は 悲しい性(さが)の文学なのだと 妃シェラーは思う 今宵、 サルタンは隣国に出向いていて 『ザディッグ』の囚われ人は自由だ おお! 月が照らす、 文学、という陶酔 秘匿の時の樽から注がれるのは 魂の詩! その美酒に、ひとり酔いしれるのもわるくない “女彪のアメジスト”に火がともる 5. 裕福な名門の家の息子、ザディッグ。 知的で人柄のよい、容姿にも恵まれた主人公が 世間の悪意やご都合主義のせいで 幾たびも命を落としそうになりながら 仕舞いには、バビロンの王に迎えられるというお話。 だが、物語は完結していない。 この日の朝、 サディのもとに届けられた羊皮紙には 妃シェラーの七行の詩 沙漠のオアシスに緑がやってきた 小鳥はいくつものさえずりを甦らせるだろう 隊商の人々は郷里の言葉をとりもどすだろう 樹下の駱駝はふたつのねむり わたしの白日夢はそうして花の色をみる やがて実のはつらつとした甘さ この胸の躍りをいかにしてうたおうか サディは紅潮した面持ちで 返信をつづる 極上の斐の布、 極上の果実、 となる『ザディッグ』 きっと献上いたしましょう ※『ザディッグ 又は 宿命』 ヴォルテール著 能美武功訳※メビウスリング詩人会勉強会より2015年5月(テーマ【画像とのコラボ詩】)におけるお題画像の1枚と、そのコラボ詩である投稿作品1篇。
2015年06月30日
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詩小説:金河南さん 金河南さんのHP:28282 フォト:3.0%さん ツイッター:3.0% @onehurmansさん Reflection 陽だまりのカーテンから足首ひとつぶん離れ あの人とその子供が笑う写真をアルバムから剥がす 捨てる予定の散らばる過去が 反射光となり細い 傷を 一枚だけ残ったのは 誰も映らない高架下 試し撮りした使い捨てカメラ 暮らした 三人の散歩 鮮やかに浮かぶ 一等古くてやさしい過去だけ 迷い 唇を噛み アルバムを閉じ 陽のかたむいた本棚に戻す指の曲線を 床の笑顔たちが やさしく見守る部屋で ※メビウスリング詩人会2015年5月勉強会投稿作品より
2015年06月17日
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組詩:田中宏輔さん ツイッター:田中宏輔 @atsusuketanaka 絵:美々婆々さん ツイッター:あとりゑ騏 @vivibaba0207 画像転載:お絵描き三昧よりケルンのよかマンボウ 戦争を純粋に楽しむための再教育プログラム。あるいは、菓子袋の中のピーナッツがしゃべ るのをやめると、なぜ隣の部屋に住んでいる男が、わたしの部屋の壁を激しく叩くのか?男の 代わりに、柿の種と称するおかきが代弁する。(大便ちゃうで~。)あらゆることに意味があ ると、あなたは、思っていまいまいませんか? 人間はひとりひとり、自分の好みの地獄の中 に住んでいる。 世界が音楽のように美しくなれば、音楽のほうが美しくなくなるような気がするんやけど、 どやろか? まっ、じっさいのところ、わからんけどねえ。笑。 バリ、行ったことない。中身 は、どうでもええ。風景の伝染病。恋人たちは、ジタバタしたはる。インド人。想像のブラや なんて、いやらしい。いつでも、つけてや。笑。ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。 ケルンのよかマンボウ。あるいは、神は徘徊する金魚の群れ。 moumou と sousou の金 魚たち。 リンゴも赤いし、金魚も赤いわ。蟹、われと戯れて。 ぼくの詩を読んで死ねます。か。 扇風機、突然、憂鬱な金魚のフリをする。ざ、が抜けてるわ。金魚、訂正する。 ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる。 狒狒、非存在たることに気づく、わっしゃあなあ。ベーコンエッグフライパンを火にかけて しばらくしたら サラダオイルをひいて ベーコンを2枚おいて タマゴを2個、割り落として ちょっとおいて 水を入れて ふたをする ジュージュー音がする しばらくしたら 火をとめて ふたをとって フライパンの中身を そっくりゴミバケツに捨てる点点は裁かない。 点は殺さない。 点は愛さない。点は真理でもなく愛でもなく 道でもない。 しかし裁くものは点であり 殺すものは点であり 愛するものは点である。 真理は点であり 愛は点であり 道は点である。その点F・ザビエルも、その点について考えたことがある。 フッサールも、その点について考えたことがある。 カントも、その点について考えたことがある。 マキャベリも、その点について考えたことがある。 M・トウェインも、その点について考えたことがある。 J・S・バッハも、その点について考えたことがある。 イエス・キリストも、その点について考えたことがある。 ニュートンも、その点について考えたことがある。 コロンブスも、その点について考えたことがある。 ニーチェも、その点について考えたことがある。 シェイクスピアも、その点について考えたことがある。 仏陀も、その点について考えたことがある。 ダ・ヴィンチも、その点について考えたことがある。 ジョン・レノンも、その点について考えたことがある。 シーザーも、その点について考えたことがある。 ゲーテも、その点について考えたことがある。 だれもが、一度は、その点について考えたことがある。 神も、悪魔も、天使や、聖人たちも、その点について考えたことがある。 点もまた、その点について考えたことがある。顔 人間の顔はよく見ると、とても怖い。よく見ないでも怖い顔のひとはいるのだけれ ど、よく見ないでも怖い顔をしているひとはべつにして、一見、怖くないひとの顔で も、よく見ると怖い。きょう、仕事帰りの電車の中で、隣に坐っていた二十歳くらい のぽっちゃりした男の子の顔をちらっと見て、かわいらしい顔をしているなあと思っ たのだけれど、じっと見ていると、突然、とても怖い顔になった。順列 並べ替え詩。3×2×1ソファの水蒸気の太陽。 水蒸気の太陽のソファ。 太陽のソファの水蒸気。 ソファの太陽の水蒸気。 水蒸気のソファの太陽。 太陽の水蒸気のソファ。午後の整数のアウストラロピテクス。 整数のアウストラロピテクスの午後。 アウストラロピテクスの午後の整数。 午後のアウストラロピテクスの整数。 整数の午後のアウストラロピテクス。 アウストラロピテクスの整数の午後。正六角形のぶつぶつの蟻。 ぶつぶつの蟻の正六角形。 蟻の正六角形のぶつぶつ。 正六角形の蟻のぶつぶつ。 ぶつぶつの正六角形の蟻。 蟻のぶつぶつの正六角形。
2015年04月17日
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詩:田中宏輔さん ツイッター:田中宏輔 @atsusuketanaka 絵:美々婆々さん ツイッター:あとりゑ騏 @vivibaba0207 (作品は「けしき」シリーズの1枚。現在は個人蔵。) 画像転載:お絵描き三昧より魂心音が途絶え 父の身体が浮き上がっていった。 いや、もう身体とは言えない。 遺体なのだ。 人間は死ぬと 魂と肉体が分離して 死んだ肉体が重さを失い 宙に浮かんで天国に行くのである。 病室の窓が開けられた。 仰向けになった父の死体が 窓から外に出ていき ゆっくりと漂いながら上昇していった。 魂の縛めを解かれて、父の肉体が昇っていく。 だんだんちいさくなっていく父の姿を見上げながら ぼくは後ろから母の肩をぎゅっと抱いた。 点のようにまでなり、もう何も見えなくなると ベッドのほうを見下ろした。 布団の上に汚らしいしみをつくって ぬらぬらとしている父の魂を 看護婦が手袋をした手でつまみあげると それをビニール袋の中に入れ 袋の口をきつくしばって 病室の隅に置いてある屑入れの中に入れた。 ぼくと母は、父の魂が入った屑入れを一瞥した。 肉体から離れた魂は、 すぐに腐臭を放って崩れていくのだった。 天国に昇っていく きれいになった父の肉体を頭に思い描きながら 看護婦の後ろからついていくようにして、 ぼくは、母といっしょに病室を出た。 Oを●にする ●K、のようにOを●にしてみる。 B●●K D●G G●D B●Y C●●K L●●K T●UCH G●●D J●Y C●●L ●UT S●UL Z●● T●Y 1●● + 1●● = 2●●●● 3●●●● − 1●● = 2●● なんていうのも、見た目が、きれいかもしれない。 まだまだできそうだね、かわいいのが。 L●VE L●NG H●T N● S●METHING W●RST B●X 循環小数 微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて 目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうして いっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番 でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、 「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいる ことが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直し ていると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひ ととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言 うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生 服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナ オコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの 見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車 が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやい た。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」 とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。 驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こ うしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱す る交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ま すと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょ にいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。……言葉 一人の人間が言葉について学べるのも、せいぜい百年にも満たない期間である。一方、 一つの言葉が人間について学べる期間は、数千年以上もあった。人間が言葉から学ぶよ りも、ずっとじょうずに言葉は人間から学ぶ。人間は言葉について、すべてのことを知 らない。言葉は人間について、すべてのことを知っている。 たとえどんなに偉大な詩人や作家でも、一つの言葉よりも文学に貢献しているなどと いうことはありえない。どんなにすぐれた詩人や作家よりも、ただ一つの言葉のほうが 大いなる可能性を持っているのである。一人の詩人や作家には寿命があり、才能の発揮 できる時間が限られているからである。たとえどのような言葉であっても、自分の時間 を無限に持っているのである。
2015年04月06日
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詩小説: しぇりーいすちゃん ツイッター:しぇりーいすちゃん @izchan1 加工写真: sampleさん ツイッター:sample @kaibutsu_head 『葡萄畑で』ゆるい垣根づくりの葡萄畑で、ゆうべは白いうさぎと出会った。ぴ、ぴぴ、とハレーションする風の息に、ふたつ耳をそろえ傾けている。 ((( 夜の底、しんしんしんと月の髪。物語のグラスが色づくまえに、すでにハートの鍵は握られている。うさぎが、私を葡萄色でみつめた。 ≪ アール・の青い湖に、心は、 全身の息を生にくり込みダイヴする。≫それは言葉の注がれた葡萄なのだろう。赤いふたつぶが、白いうさぎの目になり私に問いかける。一輪車の轍、シロツメクサが拉かれている、その先、身構えられた、大地の、やわらかな自由が広がる。 ((( 夜の底、こんこんこんと土の笛。焦がれた茶色の土壌に、根が手をのばし、浸し、浸す、滋養の水が動いている。と、白いうさぎ。いま、畝間のラインを駆けアールを描いてゆく。 白いうさぎ、 が時、をま綿、に妖し、く躍る、 ヌーボー、 の蒼夜の硝子。 白いうさぎが、 時間をフックにカガヤキ跳ねる、 デコの、 金月の窓絵。止まらぬ光陰の矢をココにとめ、永遠をうつしみにデザインする。が、野性の、白いうさぎ。その、跳躍は生命のアスレチックな機能だ。恐れも慄きも、驚きも、その身体エネルギーにタメ生きる瞬瞬を爆発させ、まえ脚で トン! 突く、うしろ脚を トーン! 蹴りあげる。今宵の、澱みのない月射の中をゆらぎなく駆けてゆく、烈しい運動能力。 白いうさぎが、葡萄畑の χ を越える、 光陰の矢となり、アールを超え、野性を生きる。 ≪ 自然の青い海に、魂は、 躍動を生命にくり込みダイヴする。≫そうして、雨の日は…ほら、ナラの木の洞のうち。ひとり泣くことも、あるだろか。 よるの胸 しんしんしんと 月のかみ… よるの腹 こんこんこんと 土のふえ・・・
2015年03月26日
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詩小説: 蛾兆ボルカさん ツイッター: 蛾兆ボルカ @loveGame7cc https://twitter.com/loveGame7cc イラスト: akaringo* さん ツイッター: akaringo* @0_asterisk_0 https://twitter.com/0_asterisk_0『クリスタル・ハート』深夜、その夜の左側では雨の中の木造アパートの二階の端の部屋に明りがともりその中で彼女が、ちゃぶ台に紙を拡げて絵を描いているその後ろ頭では艶やかな髪が裸電球の光を細かく反射している同じ夜の(同じ街の、同じ時間の)雨の中の、右側では、高層ビルの地下階のバイオハザード対策制御施設レベル3(P3)区域の奥の一室で黄衣を着た彼が、顕微鏡の画面を見ていてその後ろ頭では白いディスポキャップが蛍光灯の光を反射している(二人のいる街に雨が降り続ける)裸電球の下では彼女の紙に、色鉛筆と絵の具で街が描かれていく道が伸び、家々と、店と、ビルと、アパートと、公園が描かれ窓には灯りがともるそれを描く彼女の後ろ頭も、描き込まれる絵の中の街に降る雨が描かれ公園には水溜まりできてて傘をさした彼女がしゃがみこんで、水溜まりのふちにいる、子ども用長靴ぐらいの小さな象を見詰めている小さな象は、嬉しそうに鼻を振り上げて彼女とお喋りする(無言で)(その頃の彼は無収入で暮らしは彼女が支えてたから昼間はオーエルをして彼女は夜、彼を待つ)その夜を雨だけが満たしていくその雨の中のアパートの中のちゃぶ台に拡げられた紙に描かれていく絵の中の水溜まりのふちで彼は小さな象になる彼は、顕微鏡の画面のなかにふと、ハート型の水晶みたいな結晶体を発見する 君、そこにいたの?と、言って、少し微笑む
2015年03月20日
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詩小説: sampleさん ツイッター: sample @kaibutsu_head https://twitter.com/kaibutsu_head 加工写真: とよよんさん ツイッター: とよよん @to_yo_yo_n https://twitter.com/to_yo_yo_n
2015年03月11日
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詩小説: ねんねさん加工写真: 音座越時さんツイッター: 音座越時 @on_thedge https://twitter.com/on_thedge (原画) https://twitter.com/on_thedge/status/570623745955491840/photo/1【記号座メランコリー】「大空洞」が二十年ぶりに流行っていると聞いた。 昔取った杵柄と当時の装備を出してみると全部壊れていた。 今となっては安い安いと妻子供に隠れて新しい装備を揃えた。 装備を揃えた時の高揚感に任せて、昔の同胞達に声をかけたが、いまさらやっていられないと誰も誘いに乗らなかった。 今の若い人たちに混じる気もせず、あきらめようかと一時考えた。しかし、結局一人で参加することにした。なに、最深部に入らなければ軽傷も負わないだろう。ある休日、若者の少ない時間を狙って「大空洞」に入った。ここは奴らの巣くう世界。外の世界とは次元が違う。 無限にわく奴らを探して撃つのが、昔流行ったのだった。 奴らを撃つのには何の呵責もなかった。意志もなく、どれだけやっつけても影響のないことが理論的に確かめられていたからだった。 暗い洞窟のような空洞の中を肩のサーチライトを頼りに俺は進んだ。ぐねぐねと動物の体の中のように蠢くそこは、来るたびに様子が違う。まるで若い頃に戻ったような錯覚に襲われた。ちなみに妻子は地域の行事に参加している。 暗いところには奴らはいない。 奴らは次元の穴を通って光が漏れてくる所、虚(うろ)にへばりつくようにいるのだった。 心臓をばくばくさせながら、第一階層を奥の方に進んだ。やがて、サーチライトの外に、光を見つけた。ぽっかりと開いた明るい虚。 散乱光を検知した最新型特殊ゴーグルの液晶画面は、奴らがそこにいることを示していた。 離合し集散する奴らが示す反応の大きさが何を示すのかも俺は忘れていた。 確か、奴らには大きさで表現出来る個性があったはずなのだ。しかし、とっさにそのことが頭から出てこなかった。 効率の良い狩り方も、急場をしのいで考える方策もその時は思い出さなかった。 訳のわからないままフルオートレーザーガンのトリガーを引くと、勝手に狙いを定めて緑色のレーザーが奴らを撃ち続けた。こんな機能は、昔の高級フルオートレーザーガンにもなかった。ものの数分撃ち続けると、奴らの反応はなくなった。 違和感を感じた。この数の奴らを見かけたら、とりあえず逃げて、狭い道から各個撃破を狙うのがセオリーだったはずなのだ。ゲームはとりあえず終わった。しかし達成感はなかった。探す、撃つ、隠れるが楽しかったのだ、と今更思い出した。 装備を買ったときの高揚感を今更ながらに思い出したが、あれは違和感が大きかったのかも知れない。 俺の若い頃はフルオートのレーザーガンなんて高くて買えなかったし、ゴーグルも奴らを探す機能がなくて音や風景のゆがみで察するのが楽しかった。 また、密封ドライスーツの肩にサーチライトを取り付けるのが楽だったが、若い頃のモデルでは、非常に外れやすかったり、七めんどくさい付け方のものが多くて、工夫するのが楽しかった気がする。 帰り途、すれ違った若者のグループは、「爽快感」が醍醐味だ、と話しながら歩いていた。 彼らは、俺の挨拶を返さなかった。
2015年03月08日
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