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皆さんはどれくらい旅行の荷造りを軽量にできますか?ちょっとした旅行をするときに、どれくらい身軽にできるかは、旅慣れている人とそうでない人との差が出る。たとえば週末だけの旅行なら、たったの2~3日なので、身の回りの最低限のもの、着替えの服、下着、洗面用具、その旅行の目的に必要な物などなど。子供のころによく見た夢が、遠足に行く朝になって大慌てで荷造りをしていてバスに遅れ、もうすでにクラスメイト達を乗せて走り出しているバスに向かって“待って~!”と泣き叫びながらバスを追いかけていたり、夏の海のキャンプ場についてトランクの蓋を開けたら何にも入ってなかったとか。その他にも旅行の荷造りにまつわるその手の緊急事態が発生する夢を何度となく見たので、荷造りを旅行日のずいぶん前から、しかも厳重にする癖がついてしまったのだった。大人になってからでも、この荷造りに対する見方が多少は変わったものの、いつもさっと出かけられるように最低の身の回りの物を常備するのに異常なまでに執念を燃やす。例えば次にいつ出かけるか決まってもいないのに、洗面用具などをなるべくコンパクトにする為にあちこちの店に行って最適な容器を探し出しては悦に入ったりと。自分でもなんだか変だと思うが、これは、出張や、個人旅行先で要らない物を抱え込みすぎて帰って邪魔になったことが何度もあるという経験の下にこの癖は成り立っていると思う。そんな私からすると、ハズバンドのジャックの荷造りの仕方が不思議でしょうがない。彼はちょっとした旅行でも最低限必要な物に加えて、もしかしたら要るかも知れないという物や、これは滅多に要らないかもしれないけど一応という物ものまで、何でもかんでも持っていかないと気がすまない。今週末、毎年恒例のMan Tripに出かけるのにあたり、出発前の水曜の夜から荷造りをはじめた。木曜の仕事を終えてからそのまま出かけて、日曜に帰ってくるので、三泊四日のサーフトリップだ。泊まる先は海岸沿いのキャンプ場で、参加者は彼を含めて12人。去年参加できなかったこともあり、久しぶりの参加に張り切るジャック。まず身の回りのものを用意し、それからキャンピンググッズに取り掛かる。“ああ、これが必要だし、ああ、これも。大きな鍋が要るはずだし、それから小さな鍋も。そうそう、これはあると便利だよな~。” なんてぶつぶつ言いながら、やっている。横で見ている私は、どんどん増えていく荷物にニヤニヤしながら呆れ返っている。その中にはこんなの要らないでしょうという物が盛りだくさん。たったの四日間の旅だし、彼がこの参加者全員の分を用意しなくたって、これだけの人数がいるんだから誰か必ずもって来るでしょ、という物も多い。それでも彼は、何でもかんでも持っていかないと気がすまない。私が、“足りないものがあっても、まあ、いいかと諦めればいいじゃない。短い旅なんだし。” と言うと、“車に乗せていくだけだから、とりあえず使うかもしれないというものは入れておいたほうがいいんだよ。‘しまった持って来ればよかった’と後悔したくないからね。” と言う。そして、3時間ほど掛かってようやく荷造りを終え、へとへとになっている彼は、“くそっ。もうこんな時間じゃないか!荷造りは大嫌いだ!” と唸っている。そんな彼を見るたびに、いつも思う。彼に必要なのは、バックパックハウス。まるでバックパックのように、大きなストラップを家の横につけてよっこらしょって運び出せる家。人間が背負えるような小型のもの。そうすれば毎回こんなに時間をかけて前の晩から用意しなくて済むし、旅先でしまった!と言うことも無いし。誰かこういうのを開発してくれないかな~。市場に出たら真っ先に彼へのプレゼントとして買ってあげるのに。
2003.09.28
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日本から離れて3年ほど経った頃から日本にいた頃のなんでもない日常がフラッシュバックのように出ては消えるようになった。例えば会社に行く通勤途中の朝の駅までの道や、その頃よく付き合いのあった友達と通ったバー、高校の頃に入っていたバスケット部であった珍事件や、もっと遡って小学生の頃の体験などなど。最近はそれもちょっと収まったが、6年近く日本に帰ってなくて、ホームシックであった頃は、それが頻繁であった。今日はその第一弾として、酒にまつわる話をしてみようか。初めての仕事はセールスだった。その頃はバブル経済の真っ只中。何でも高ければ良い物、見掛けが勝負、と言う今考えるとおかしなほど狂った経済の中で、その同じ会社に6年間在籍した。当時のバブル経済の例として、その辺の小さな町工場や商店でも、慰安旅行として、海外旅行に行くのはごく一般的だったり、毎年恒例のデパートで福袋では、宝石などを詰め合わせた1000万円の物まで出たほどだ。また何処の会社も人が欲しくて、青田買いは当たり前、新卒者がの説明会に行ったら昼食を会社が出すし、その弁当のそこに一万円が入っていたといううわさもあった。わたしの会社もそういった狂った社会の流れの恩恵にあずかって、荒稼ぎをしまくっていた。事ある毎にコンテストを企画して、褒章にはアクセサリーや、毛皮のコート、海外旅行などを与えられた。旅行の経験を除いて貰ったそれらのプレゼントはすべて留学資金をひねり出している頃に現金化された。当然未練など何も無く、かなりこのお陰で助かったので感謝しているが。その頃の私は大変な成金野郎で、現在たったの$50の買い物を3ヶ月ほどよく考えてするほどの自分でも信じられないほど金使いが荒かった。例えば、一度買い物に行くと、お高いブティックで、3着ほど服を買い、その足で数件先の靴屋ではその新しい服ごとに一足づつ似合う靴を買っていた。それから夜は、飲み屋に繰り出して、酒に弱いくせに一丁前に店で仕入れている一番高いブランデーをキープして、なんと、ウーロン茶で割ると言う大変もったいない飲み方をしていた。こんな恐ろしい金遣いの荒さの背景には、日に平均15時間働いた後にも家に帰ってから同僚、部下などのフォロー電話で1~2時間費やし、売り上げが悪いと唯でさえ週に1日しかない休みを削られたりと、大変ストレスの溜まる仕事をしてのであった。まとまった休みが取れないため、趣味なんぞも当然持つことが出来ないばかりか、まともに彼氏も作ることも出来なかった。実はこの熱血会社はセールス社員教育の一環として、仕事が第一、プライベートは第二され、そのために付き合っている人との中が悪くなって別れる社員も多かった。幸か不幸か、右も左も分らないうちに入った初めての会社であったため、それが当たり前と思っていた私は、そんなのでも結構楽しんで仕事をしていた。ストレス解消としては買い物、映画、そして、飲みに行くことがもっぱらだった。会社を出る頃は精神的にはくたくただったけど、まだ20代前後で肉体的に弾けていたので、平均で週に3回、多い時には毎日お気に入りのバーに会社の連中と連れ立っては溢れんばかりのエネルギーを発散していた。そんな風に思いっきり遊んで、まだ酔いが冷め切らないうちに仕事に行くことが多かったので、時には履いた靴に模様が付いていると思ったら、実はそれは数日前の自分の吐寫物が乾いて残っていたという恥ずかしいこともあった。しかしなんたってっ経ってこれ以上酒にまつわる恥ずかしい体験をした事が無いと言う事件がおきた。ある日、明け方3時頃まで飲んで、数時間の仮眠の後、お客との待ち合わせの駅に重たい身体を引きずりながら辿り着いた。いつものルーティーンとして、電話ボックスから会社に待ち合わせの場所に着いたと報告を入れた。それは一番稼ぎ時である土曜日で、今日の一日の行動を上司とチェックしていた。その時、何か分らないけど、何かがおかしいなーと思っていたら、なんと、履いている靴が片方ずつ違うのだ!え~!!焦りを隠し、とりあえず電話を切った。その場所は電車で1時間以上掛かる片田舎、近くの靴屋は、また電車に乗って5駅ほど行かないと無い。待ち合わせの時間が迫っていたので仕方なく、その客が表れないことを祈って待っていると、神の思し召しか、その客は待ち合わせ時間から30分経っても現れなかった。喜びを隠しながら上司に客が来なかったと報告し、次の客との待ち合わせ場所に向かった。その駅は結構開けていたので、すぐそばの大手百貨店に飛び込んだ。靴屋は何処だ?身を低くして下を向きなるべく人目に付かないように靴コーナーに忍び寄る。さっきの田舎の駅付近では誰もわたしの靴が違うことを気づく人はいなかったが、人が多い中で、すれ違う全員がわたしのこの靴注目しているような錯覚を覚える。早く何とかしなくては!客としているデパート内でこんなに緊張したのは初めてだ。最大の難関は、どうやってこの靴コーナー入っていくか。柱の影で隠れながら、定員の様子を伺う私はまるで変質者そのもの。いかにしてこの定員にアプローチしたらいいんだろう。あれこれ考えていると、“いらっしゃいませ!”と大きな声で定員に声を掛けられびっくり。もじもじしながらそのやたらと威勢のいい定員に、”実は、今日の朝とても急いで出てきたので、この靴、互い違いに履いてきちゃったんですよ。玄関が暗かったし...”定員は、わたしの靴を見て、あ...よくそういったことありますよね”と必死で噴出しそうなのをこらえている。よくあること??そんなわけないだろ~!痛々しいほどの丁寧なこの定員の接客に恥ずかしさは倍増。多分わたしの顔は昨晩酒を飲んだ時以上に真っ赤な茹でタコ状態になっていたに違いない。一秒でも早くこの店を出たいと言う焦りから、予想外に高い靴を適当に買って嵐の如くそのデパートを去っていった。その事件以来ちょっとバー通いが収まったが、それにしても、本当に酒の副作用と言うのは怖いと心底から思った日だった。
2003.09.22
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子供の頃、戦前生まれの両親がよく、短気で癇癪起こす私に向かって、`瞬間湯沸かし器´とからかっていた。(今は随分大人しくなったけど)最近はこういう表現をあまり耳にしなくなったが、実は昨日この瞬間湯沸かし器に出くわしてしまった。以前の日記、`New House に関するジレンマ´にも書いたんだが、現在うちのマスターベッドルームに隣接したバスルームのシャワーの改造中だ。電話帳から拾った多くのタイル専門の大工達に見積もりをしてもらった中で、一番最初に現れた、60歳は過ぎているだろうという爺さん大工、リチャードに依頼することにした。彼は、他の人のようにぴかぴかのきれいな新しい業務用のトラックなぞ運転せずに、おんぼろの、多分30年近く前のさびさびトラックに乗ってやってきた。時間にルーズな大工達の中で、彼は、きちんと約束通りに来たし、しかも他の業者に比べたら、1/3の値段でこの修理を受け持ってくれると言う。この爺さん大工は経験を沢山積んでいるけれど、欲深でなくいい人だから、こうやっておんぼろのトラックに乗っているんだなあと勝手に決め込んで彼に任せることにした。作業に取り掛かる前にあれこれサンプルの中のタイルを検討したが、デザインのことに関してうるさいジャックがこの中では見つからないと、自ら仕事先の近くのタイル屋に言って納得いくタイルを探していた。その店から幾つか気に入ったサンプルを持ってきて、ああでもない、こうでもないとやっていたが、あまりにも時間が掛かり、これじゃいつまで経っても埒が明かないと、私から散々文句を言われて、結局現在あるチョコレート色がかったベージュとオフホワイトの二色のタイルと同じようなものを使うことに決めたのだった。この間にすでに二週間以上が経過していたのだが、申し訳なさそうに待ってくれと頼む私に、リチャードは“いいよ、いいよ、いったんタイルを入れてしまってから気が変わるよりもいいからね。”と気長に待ってくれていた。ようやく工事か開始され、毎日朝8:30にきて、夕方4:00前後までの彼の作用が続いた。そして、もうすぐで工事か終わるという最終段階に来たおととい、事件の発端が起こった。シャワーと床の仕切りとなる部分にはまったタイルの仕上げ具合を見たジャックが、“これは何だ!ぜんぜん真っ直ぐなってないじゃないか!それにこのベージュ、すでにあるタイルの色に近いけど、全く同じじゃないからおかしい!”と言い出した。確かに、ジャックほど完ぺき主義ではないわたしの目からも、この段階の前の基礎工事にしてもちょっと雑なのが分ったし、彼が入れたタイルはまるで素人がやったようにがたがたで、がっかりさせられる仕上がりだった。が、いったん入れてしまってもうとっくに乾いているため、まあ、一番安い大工を雇ったんだから仕方ないと諦めていた。が、それでも、`デザイナー´のジャックはこのクラフトマンシップの無いリチャードの仕事振りが許せない。プロがするように綺麗に仕上げることが出来ないようなら、いっそ今使われている壁と同じのオフホワイトのタイルにすれば、がたがたなのも目立たないとして、それを私からリチャードに伝えて欲しいと言うのだ。すでに乾いているタイルを剥がしてやり直すなんて、どれだけ掛かるのか今までの作業を見て分っていた上に、元来変なところで気弱な私は、美容院に行って変な頭にされても文句が言えず、“気に入ったわ、有難う”とニコニコと店を出てしまうような情けなさなのだ。そこで、どうしても嫌だから、自分で話してよと突っぱねたが、リチャードが翌朝に来る頃にはまだジャックは通勤途中なので、この嫌な役目をしぶしぶと買って出ることにした。定刻の朝8:30になって、現れたリチャードに開口一番、実は...となるべく角が立たないように事情を説明して、もう一度その部分をやり直してもらうように頼むと、“これは元の土台がこう曲がっているから、まっすぐにタイルが入らないんだよ。誰がやってもこういう風になるんだよ。それにもう乾いているんだから、もう一度このタイルを取るには一日中掛かるって事ジャックは知ってんのかな。ま、とにかく彼と話したい”と怒りで歪んだ顔をプルプル震わせながら言った。その時点ではジャックがまだオフィスに着いていなかったので、30分ほど待ってから、電話掛けるからそれまで待ってと言うと、リチャードは自分の道具が置いてあるガレージに行って何か作業をし始めた。その間時間を持て余しながらコンピューターに向かって楽天に日記を書いていると、彼が車で出て行く音が聞こえた。たぶんコーヒーでも買いにいったんだろうと思ってのんきにしていたのだが、1時間以上経っても帰ってこないので、ガレージを覗くと作業に必要な山ほどあった彼の道具は忽然と消えていて、私たちがもうすでに支払ったタイルとシャワーの解体に出たコンクリートの残骸だけが残されていた。なんという!!その後すぐにジャックに電話を掛けて事情を話したら、彼も開いた口がふさがらないようだった。やっぱり文句を言わずに、あれで我慢して仕事を終わらせてもらったほうがよかったのかなあと後悔していたジャックは、取り合えずリチャードに電話を掛けて留守電にメッセージを残した。夕方くらいになってジャックのところに返事の電話をよこしたリチャードは、“高々修理の小さな仕事でこんなに注文の多いお客はあんたが始めて。もう関わりたくない。”と、話しの途中でがちゃんと電話を切ってしまったそうだ。彼の費やした時間は丸々5日間、一番大変な作業も全部終えて後は床のタイルを入れるだけと言う段階まで働いた彼の賃金は請求されるだろうと覚悟していたのだが、リチャードはお客からのたった一言の文句が気に入らずに、$1000ドル近くの賃金を自ら棒に振ったのだった。ジャックと私はこの瞬間湯沸かし器の大工の態度に、呆れるやら、哀れに思うやらであった。その夜、1時を過ぎても眠りにつけず、残されたコンクリートむき出しの不完全なシャワーから滴り落ちるポトッ、ポトッと言う寂しい音を聞きながら、この一連の出来事を振り返る私たち。いつまでもルームメイトのバスルームを遠慮しながら使っているわけにも行かない。残されたこの工事をジャックの思うような素敵なシャワーを完成させるためには、また新たな大工を雇わなくてはいけない。もしくは彼がこの気に入らないリチャードの仕上げた物で我慢して、後の残りを自分で終わらせるか。この修理に関しては始まった第一日目から散々苛々させられて、精神的に疲れきった私はもうお手上げ状態。勝手にしろと言われたジャックが次にどうするか、まあ、見ものである。
2003.09.18
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シリーズ最後は、日本人の性格なども交えて、東アジアのそれぞれの国の人の違いを私なりに分析してみようと思う。***日本人の巻***日本人にもありがちな悪い癖がある。例えば、はっきりものを言えないで、消極的過ぎること。私が通った幾つかの学校には、日本人留学生は比較的少なかったが、それでもクラスの中に2~3人ほどいた。困ったことは、殆どの日本人は、授業中に質問などせずに、全て分ったような涼しい顔をしておいて、終わるや否や、どっと集まって、“ええ?何だって?この宿題はどうやるって?”と肝心なことを他人任せにして聞きあっている。日本人風に言えば、自己主張が強すぎる私は、授業中に疑問に思うことなどがあると必ず聞くか、もしくは終わってから先生に個人的に聞いていた。そんな私を頼りにどのクラスに言っても必ずこういった日本人に出くわして、苛々させられた物だ。また、他人に対してもフレンドリーに目を合わせてにこっとする習慣の在るこの南カリフォルニアで、なぜか日本人同士だけが、視線を避けるか、目が合っても、ぶすっと険しいかををしながら通り過ぎる。まあ、これは、日本にいたときからの習慣をすぐに変えるのに難しいので、仕方が無いことだが、せっかくこの暖かいのんびりとしたカリフォルニアに旅行でなく、住んでいるんだから、こんな素晴らしい習慣を取り入れない手はないと思う。が、しかし、買い物などしていて、ア、これは日本人だなと分るけど、往々にして彼らは視線を避ける傾向に在るので、こちらがにこっとしようとしてもそのチャンスすら与えられないことが多い。そして、日本には姿勢の悪い人が多い。背格好が同じアジア人でも、誰もが堂々と胸を張って歩いている中国人や韓国・朝鮮人に対し、なぜか日本人だけが、背中を丸めて申し訳なさそうにしている。それだけでなく、足に問題があるのかのように、ちょこちょこ小股で歩いたり、右足左足をまっすぐに下ろして軽快に歩けばいいのに、中心がずれているような変な方をする人をよく見かける。したがって、せっかくいい服を着ていても、(ニッポン直輸入の変な服を着ている人も多いけど)まるで、背広をはじめて着た社会人一年生の様に服に着られているといった感じでしっくりこない。だから、いくら背中を向けていても、100メートル以上先から、日本人だとすぐわかる。何だかんだと自国の人々をこき下ろしながら、あんたはどうだと言われてしまうので、島流れはこうした人々を見ながら反面教師と思って、後ろ指さされないように気をつけているが、自分では気づかない変な日本人の癖をハズバンドのジャックに指摘されることもあリ、長いこと染み付いた癖は消えにくいと苦笑することもしばしば。過去二つのお話で、中国人、韓国人のネガティブな面しか書かなかったが、私や知っている人が出会ったこうした人々は、アメリカに住んでいるごく一部だ。ここには書かなかったが、とても親しくしていた、もう帰国してしまった台湾人女性は素晴らしい人だった。だから、数回の嫌な経験をしたからといって、その時受けた印象をそのままその国民すべてがそうだと決め付けるつもりは無い。が、ある特定な文化なの中で生きてきた場合、多かれ少なかれ、その影響を受け、個人の思想、行動などに繁栄されると言う事実は無視できない。まあ、つまるところは、相手に影響しないような癖などは良しとして、ほかの国の人々が誤解するような行動だけは避けたいものだ。
2003.09.17
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さてと、ちょっと前回の日記で`今日からシリーズで´と言ってしまったことに無職で幾らでも時間があるくせに怠惰な私は後悔しつつ、第二段としてアメリカに住む韓国人にまつわる話をすることにしよう。前回と同様これは決してすべての韓国人を代表するわけではないので、単なる個人体験と思って聞き流して頂きたい。***韓国人の巻き***姉妹で留学していた友達のTちゃんのお姉ちゃん、Mちゃんの体験。Mチャンは、韓国人の彼氏と二年ほどつきあっていた。彼女はこの彼、Pとしよう、と付き合って半年ほどでかなり深入りをしていた。ある日姉ちゃんの様子がおかしいことに気づいたTちゃんがどうしたのかと問い詰めると彼氏のPに学生にしては莫大な金額を貸して、帰ってこないという。その金額といえば、三学期分ほどの授業料に相当する。日本にいる親からのサポートと、日本食屋でバイトする少々の稼ぎでやりくりしている彼女にとってはとてもいたい金額である。Tちゃんが何でそんなことになったんだと聞くと、彼の働くバイト先の同じ韓国出身のオーナーが、闇で働いていることを逆手にとって、彼をやってもない、店の売り上げをネコババしたとして、訴えると言い出したそうだ。そのお金を返さないことには、彼をクビにするといっているからどうしようと泣きつかれたMちゃんは、それに相当するお金を自分の貯金から工面してあげたのだった。それから暫く経って、Mちゃんは、この件だけで無くありとあらゆる面でPをサポートして来たにも拘らず、彼が浮気していると言うのを友達を通して知った。その浮気の相手と言うのが同じ学校に行っている韓国人の女の子だった。彼女は韓国人留学生仲間でも結構交流が多く、彼女側では、その彼女の友人、知人は、彼女こそがP本命で、MちゃんはPが浮気している相手であるということだった。付き合い始めて一年半を過ぎる頃には、Mちゃんは、Pの本当の性格が分ってきて、少しずつ疑問に思い始めていた。例えば、Pが彼女と会うときは必ず二人っきりだけで逢っていて、消して彼の友達に紹介されると言うことは無かったり、週末でクラスがないのにずっと二人で過ごしたことがなく、数時間だけしか逢えなかったりと、彼女が噂のように実は本命でなく浮気の相手なのかもしれないと疑い始めていた。そんなある日、Mちゃんはこの韓国人彼女に呼び出されて、なんとPをたぶらかして彼女から奪おうとしていると言われて多くの韓国人からリンチにあってしまったのだった。かなりPに入れ込んでいたMちゃんは、こうしたことありながらもPとはすぐに別れなかった。それはPは結構なプレイボーイで、Mちゃんには、彼女が本命だと言いくるめられていたのだ。しかし、この盲目な愛も時間とともにさめて、最終的に別れを告げた頃に彼女の元に届いた噂は、以前彼女がPになけなしの貯金から貸してあげた例のお金でPが`本命´と言う韓国人の彼女とのハワイ旅行の資金に使っていたと言うのであった。*******韓国人オーナーが経営する日本食屋でウェイトレスをするルームメイトのSチャンの体験。学生をしながら務めて一年半になるその店を止めたいとある日突然Sちゃんが言い出した。何でと聞くと、彼女の同僚のウェイトレスが全員韓国人で、コミュニケーションが上手く出来ないことから結構疎外感を感じていると言うのだ。アメリカにいるんだから当然英語が出来る彼女達だが、なんてったてSチャン以外はみんな韓国人だから、当然会話は韓国語になる。Sちゃんはそれはあまり気に止めていなかったが、だんだん彼女に対してその同僚達が冷たくなってきているという。それは、日本語が通じる唯一の寿司シェフたちと仲良くSチャンが仕事中に親しく話していることがどうやら彼女達を嫉妬させたらしいのだ。今までは結構この韓国人たちが一緒に何処かに行くのに混ぜてもらったのにも拘らず、最近はめっきりそれも無くなって、仕舞いには、仕事中のちょっとした事でも目ざとく見つけては、ぶつぶつ言うようになり、完全に、仲間はずれのようにし始めたのだった。そんなSちゃんに同情した私は、彼女達の誤解を説くための方法を何とか考えて、あれこれSちゃんは試しては見た物の、彼女達の態度に変化が無いために、そこで働き続けるまで彼女達によくしてもらった義理でもあるのかと、Sちゃんと彼女達の仕事以外での交際状況を聞くと、なんと、韓国語が分らないSちゃんを交えている時も彼女に気を使って英語で会話してあげるというなどと言う心配りなんてこれっぽっちも無く、何時間も散々韓国語のみの会話に付き合わせておいて、“ああ楽しかった。Sは日本人だけど私達と楽しくやっていけるからいいわね。”なんてとんでもない独りよがりの自己満足で毎回終わるのだという。お人よしのSちゃんは、この件が起きるまでは、“ああ、そうね。ま、いいか”なんてのんきに思って何も言わず、誘われるがままにそんな彼女達とたまに遊びに行っていたようだ。しかし、このいじめのおかげで意外と神経の細いSちゃんは体調を崩して、オーナーに掛け合い日本人ウェートレスが大半を占める別の店に移る事になった。実は移ったその店の日本人ウェイトレス一人も同じような経験をして、その店から移ってきたと言うのだった。*******これは最近の私の体験。二週間ほど前に、私は久しぶりにここから二時間ほどのジャックが大学生活を送った街で、ミニハーフムーン旅行をした。日ごろはあまり外食しないが、このときばかりは結構リッチに地元では一番人気のお高い寿司バーに行くことにした。その夜は平日にも拘らずいつもの如くテーブルが開くのを待つ多くの人が外の駐車場にも溢れていた。ディナーのピーク時のちょと前に行った私達は、何とか店の前の狭い駐車場に車をとめることが出来たが、5分も後に来た人たちは誰かが出るのを待ってぐるぐる回っていた。自分の名前をウェイティングリストに記入して待ちながらボーっと外を見ていると、韓国人と思しきの中年の女性が開いた駐車スポットに立っている。何しているんだろうと見ていたら、そこに止めようとしている車に仁王立ちになって“だめ、だめ、ここは私の場所よ! もう随分前からここを取っているんだから。”ときつい韓国訛りで叫んでいる。始めは強引に駐車しようとしていたそのドライバーも彼女のがめつさに負けて結局すごすごと退散していった。その直後に、彼女の連れが乗った車がするる~っとその、`彼女の場所´に止まり、二人のオバタリアンが、ニコニコと韓国語で話しながら店の入り口に向かって歩き出した。一緒にその光景目の当たりにしたジャックは、“あれは韓国人か?”とすぐに見抜いた。それは彼が韓国語のアクセントだけで見分けたのかと思いきや、"日本人だったらあんなことしないよ。”と言う洞察力には驚いた。そこで私は、”まあ確かに、韓国人が全員とは言わないけど、自己主張の強い人が多いからね。”と取り合えず、あまり人種差別の無いようにコメントしたのだった。しかし、このコメントは甘いかもしれないと思い返すようなことが30分もしないうちに私の身に起きたのだった。席が開くのには約20分くらい掛かる言われたので、近くのアートギャラリーや、小物を売っている店でぶらぶらと時間を過ごし、20分少々して店に戻ってくると、なんと私の名前が消されているではないか!そこで、ホステスに、(日本式のクラブやキャバレーのそれでなく、レストランで会計とお客さんに席を案内する人のこと)私の名前が消されてるんだけどと抗議すると、なんと例の韓国人のオバタリアン達の一人が私の名前を呼ばれてと返事したので、そのホステスがもう一度確認の意味で、”XXさん(島流れの本名)ですか?”と問いただしたら、“ええ、私はXXよ。”と自信満々に答えたので彼女達を席に案内したと言うのだ。なんてこった!確かにアジア人の顔はどれも同じに見えるから、アメリカ人のこのホステスにとっては、私の名前が日本名なのか、韓国名なのか、もしくは、中国名なのかも分ってなかったかもしれないし、顔だってみんな同じに見えたのだろうから、何の疑いも無くその人をXXと思ったのであろう。なのでこのホステスに怒りをぶつけても仕方ないと諦めて、“上手いやり方よね!今度私も使ってみようかしら。”と、その一部始終を目撃しているほかのお客に同情を買ってもらおうとぶつぶつ言いながら、すごすごと待合のシートに腰を下ろしたのだった。ようやく席を確保したと思ったら、希望の寿司バーで無く普通のテーブルしかないと言うので、お腹も空いているのでこれ以上は待てないと渋々席に座った。それはなんと例の韓国オバタリアン達が陣取って、きつい韓国アクセントであれ頂戴これ頂戴とがなっているバーの真後ろであった。私とジャックが座るはずであったその席で我が物顔ですしを堪能している彼女達を横目に、私はこのままでは納まらぬと、ウェイトレスにその件を話してバーの席が開いたら席を替わってもいいかと聞いたが、開いたら今外で待っているお客が座るのでだめたと言われ、韓国オバタリアンたちの背中を睨み付けながら、負け犬気分で暫く寿司を流し込むのであった。***続く(かもしれない?!)***
2003.09.15
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さて、今日からシリーズで、アメリカに住むアジア人に付いて書いてみようか。他の人種からは見分けが付かないアジアの国の人々。移民の多いこの国で、一般的に礼儀正しく親切であると言われる日本人に対し、正反対の、自己中心的で物事を何でも損得で考えると評判の悪い中国人や韓国人。各国の人の印象は、個人個人の体験しだい。今から書く内容は、私が出会った人たちを基にした、もちろん私の主観を交えての物なので、その国の人たちがみなそうだと思わないで欲しい。単なる独り言と思って聞き流して頂れば有り難い...***中国人の巻***初めての外国での仕事はウェイトレスだった。労働許可のない日本人学生にとって一番手っ取り早く稼げるのはなんと言っても日本食レストランで働くこと。日本で極貧生活をしながら頑張って溜めた貯金もそこを付き始めて、何とか学生生活を最低レベルに保つためにはバイトをしなくてはいけなかった。そこであちこちの日本食屋を当たったが、何処も空きがなく諦め掛けていた所、当時一緒に住んでいた日本人ルームメイトのJちゃんが、勤めている一番と言う日本食レストランで、今だったら人を募集しているよと言ってくれた。ルームメイトと同じところで働くのもなあ、と躊躇したが、そんなことは言っていられないほどの状態まで来ていたので、とりあえず面接に行くことにした。面接とは言えどもすでにJちゃんがチーフウェイトレスに私を紹介してくれていたお陰てすんなり入ることが出来、早速見習い期間としてキャッシャーの仕事から始まった。それは会計の他に、入り口で入ってくるお客さんにテーブルを案内したり、バーに座っているお客さんの飲んでいるお酒やビールの数を伝票につけたりと言う物だった。日本でセースルの経験が長かったため、愛想を振りまくのはお手の物であったが、問題は、この会計の部分であった。何しろ日本で中学生のときに高校生と偽って小さな喫茶店でウェイトレスとしてバイトした時に、レジで金額を何度も間違って打っていた為、自給を下げられるという罰を受け、憤慨し無断で止めてしまったと言う経験の持ち主。当然、得意としない分野なためにこの一ヶ月ほどの見習い期間は地獄であった。このレストランのオーナー、ミスター・リーは中国人、厳密に言うと台湾人であった。彼のバックグラウンドに付いてはあまり詳しくは知らないが、結構なやり手でこの日本食レストランのほかに、三つの中国レストラン持ち、これらはは家族ぐるみで運営されていた。このファミリービジネスにノータッチの彼の奥さん以外、一番のすぐ隣に構えたチャイニイーズレストランは三十後半の娘、リサが担当し、この日本食レストランは経営以外に寿司シェフとして週にに三回働く婿養子(日本式に言えば)、ピーターが仕切り、少し離れた高級住宅街にあるチャイニーズレストランは三十中半の息子、ヘンリーによって運営されていた。この家族、息子のヘンリー以外はお金に関して非常にがめつかった。彼等は究極のケチで、まかないのコストを抑えるために安い鶏肉以外は使ってはいけないと決まりを作ったり、従業員が業務用で使う食材を持ち出したりしないかと恐れて、まかないで食べる物を持ち帰ることを禁止していた。また、醤油の仕入れ値が高すぎるといって、まずい中国製の物に切り替えた。当然お客はこの違いをすぐに察し、あるお客はこのオーナーの前で持ち帰りようの醤油を舐めてぺっと吐き出し講義した。その後往生際の悪い娘婿のピーターは俺が自分で醤油を作ってやる、と奮起一統したが、当然出来上がった物は店を潰すほどのまずさで、渋々高い(彼等にとって)日本製の物を仕入れたのだった。このファミリービジネスに君臨するミスター・リー、血統のケチに加え、猜疑心が強く自分の家族以外は誰も信用しなかった。新米の私がレジで仕事をする際に、本当に文字通り肩越しに私の行動を逐一観察し、閉店後のレジ閉めにはまだ終わってもいないのに、“Mistake?”と間違えるだろうと勝手に決め付けて何度もしつこく聞いてくるのだった。従業員に店のお金をネコババされるという被害妄想から、時にはランダムにわざと二十ドル札をレジに入れ、閉店の最終決算でその差額をきちんと報告するかをテストしたりすると言う、なんとも陰湿なやり方をし、従業員の誰からも嫌われていた。私が彼のすることに対して腹を立てていると、先輩ウェイトレスたちが、“私も入ったときに同じような扱いを受けたけど、暫く経ってきちんと仕事をすると証明できたらもういちいち行動を見張らなくなったの。ちょっとの辛抱だから頑張って。”と励ましてくれたのだった。暫くは黙ってこのミスター・リーの監視に耐えていたが、ある日ディナーの一番ピークでお客が一杯の中、爆発した。肩に息が掛かるほど、私のすぐ横で仕事を監視するので、つい大声で叫んでしまった。“私のこと気に食わないから嫌がらせしてるんでしょ!まだ入ったばかりだから間違いもするし、あんたの思うように手際よく出来ないけど、これでも一生懸命やってるんだ!慣れるまでのチャンスも与えないで落第点つけるようなことするな!!そんなに私の事気に入らないならもうやめる。今から帰る!”と。すると、ミスター・リー、そんな口答えをされたことがないのか急にうろたえて、”ごめんごめん、いや、ビジネスのことに関しては、自分の娘に対しても厳しくしているから、君に対してだけじゃないんだ。”と謝ってきたので、取り合えず煮えたぎった腹を押さえて留まることにした。その一件以来、彼の監視が収まったのだった。そして、このミスター・リーの娘、リサもまた、とてもがめついビジネスウーマンだった。正に、この父親にしてこの娘ありだ。このファミリービジネス以外に彼女は不動産業に従事していた。一番の開店当時から勤めているチーフウェイトレスのKさんに、家を買え買えとしつこく口説いていた。彼女の仕事不動産売買の仲介人だったので、誰かが家を買うとその物件価格の2%~6%ほどの報酬が手に入る。Kさんの前に、台湾人の寿司シェフ、Jにかなりの攻撃を掛け、彼に家を仲介した。その当時、不動産物価が急上昇し始めていて、相当のコミッションが彼女の手に入ったのだった。Kさんはガテマラ人の旦那さんを持ち、歯科助手の仕事の傍らウェイトレスをして、地道にマイホーム資金を貯めていたが、あまりにも高くなりすぎたこの街の家はもう買えないと諦めていた。しかし、一年後には、更に手もつけられないほどの値上がりの中、コンドミディアムを、一年前なら一軒家が買えるほどの価格で買う事になった。Kさんは実はこの物件にあまり乗る気ではなかった。が、それをコントロールフリーク(人にあれこれ指図して思い道理にしようとする人のこと)のリサが説得に説得を重ねたのだった。英語のあまり得意でないKさんは自分で探せば住宅ローンや、書類手続き上で、かなり節約できるのにも拘らず、難しいからといって、すべての手続きをリサに任せていた。しかし、Kさんは人任せでいた為に不明な点を多く抱え、すべての手続き完了の土壇場で、この商談を破棄しようかとまで考えていた。が、そこはこのコントロールフリークのリサが許さない。そんなわけで最終的にはKさんは100%納得しないままこのコンドミディアムを買う事になったのだった。幸い、更なる不動産価格の上昇により、Kさんは損するどころか、自分の財産の価値が、たった一年の間に30%以上も上昇すると言う恩恵を受けたので、最終的にはこの決断が間違っていたわけではなかったが、現在リサは、まだこの家を手に入れてたったの一年しか経っていないKさんに、次は家を買えと圧力を掛けているそうだ。そんなリサの言いなりにならなくたっていいのにを思うのだが、貧乏学生の頃から世話になり、学生ビザが切れた後に一年だけ有効な労働ビザが切れた後にも引き続き闇で雇ってくれたこのレストランオーナーには頭が上がらないのだ。だから、立派な本職がありながら、疑り深いオーナー一家に唯一信用されている従業員だという彼女なりの誇りも加わり、リサにうまいこと言い包められて、なんと週に6日間、本職を終えて夜11時まで続く夜のシフトに入っているのである。***続く***
2003.09.13
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すべては見た目で勝負である。メディアに影響された多くの人々が、いかに美しくなるかを追及するのに一生懸命なアメリカ人のこと。まずは白く整った歯。歯並びをここまで気にするのはアメリカ人の他にいるだろうか?よくテレビのジョークにイギリス人の歯並びが悪くて、コメディー番組に出てくるイギリス人を真似した役者はイングリッシュアクセントだけでなく、作り物の歯並びの悪い入れ歯をして出てくる。始め、本当にイギリス人はそうなのかと疑っていたが、やっぱり、本当だった。イギリスから送られてくる番組に出てくる地元の人たちを注意してみると実際に歯並びが悪い人が多い。歯の矯正はここアメリカでは当たり前で、12~13歳になると歯並びの悪い子供は十中八九前歯にブリッジを掛けて2~3年過ごすことになる。大人になっても歯並びの悪い人は、貧しい家庭に育ったと思われる。(昔はこういった傾向になかったそうなので、年配の人は該当しないが。)だから、こうした環境に影響されて外国から来た人が30歳近くなって歯の矯正をすることもある。そして豊胸手術も大変人気がある。実は以前に住んでいたアパートの隣の住人がこの手術に使うシリコンを製造販売する会社に勤めていた。彼女自身はその必要も無いほどいい形の背の割りに大きめな胸だったが、友達のオランダ人が去年豊胸手術をした。彼女の背は170センチほどあり、スポーツ万能なので、程よく付いた筋肉とすらりとしてモデルのように美しい体を持っている。偶然に(今考えると必然だったのかも)彼女はその会社に勤めることになった。入社間もなく彼女が私に打ち明けた。“実は豊胸手術をしようと思ってるんだけどね、社員価格でシリコンが安くなるし、私の義理の父が美容整形外科だから、手術はタダになるのよ。”それを聞いて私は以前にプールのロッカールームで見た彼女の大きくはないけどちょうどいい形のいい胸を思い出した。“え?何で?XX,そんな必要は無いと思うけど。今でも十分魅力的なのに、何で健康を害する危険を冒してまで豊胸する必要があるの?”しかしその時点では彼女はすでに固く決意していたらしく、三ヶ月ほど経った後にあったら彼女の胸は二倍に膨らんでいた。その彼女だけでなく、私の義理の妹もそれをつい最近したのであった。彼女は本来異常に大きな胸だったので、20代前半に小さくする手術をした。十年ほどたった今、その手術が失敗であったのに気がついた。本人曰く、肉のない萎んだ胸が垂れ下がってきて、それはそれは見れた物ではなかったそうだ。スポーツジムのインストラクターとしてヨガ、エアロビクスなどを教える彼女としては、美しく誰にも羨まれる身体を持つことは必須条件であるとして、いったん小さくした胸を元に戻すことにした。当然、人工的な素材を身体に入れて...そして誰でも年取ったら必ず経験する皺や染み。昔からこういった手術はあったけれど、それはごく一部の人たちの間で行われていたのが、ここに来て、本当に誰でもと言うほどやっている。新聞、雑誌を見てもケミカルピーリングなどの広告が山ほど載っている。知人でそれをした人を幾人か知っているが、みんな40代から50代の普通のおばさんである。別にテレビに出ているんじゃないんだから、そこまでしなくたっていいのにと思うが、それらのごく普通の一般人を駆り立てた最大の要因はやはり、同世代で活躍しているハリウッドのベービーブーマー達ではなかろうか?分りやすい例を挙げるなら、ゴールディーン・ホーン、バーバラ・サランドン、シェリーなどなど。今でも30代にしか見えない美しい彼女達はみな孫がいるほどのおばあちゃん世代なのである。アップでテレビに映る顔には皺や染みの一つすらない。確か、10年ほど前に上映された、“永遠に美しく”と言う、ゴールディーンホーンとメリル・ストリープが共演した映画があったが、これのテーマとなるいつまでも若くいたいという女性の願望が、もはや夢ではなく、比較的お値打ちに実現可能となったのである。ちなみに普通に年を取って皺も目立ってきたメリル・ストリープに対し、つるんとした肌を今でも保っているゴールディーン・ホーンは対照的である。ハリウッドカルチャーはもはや娯楽だけはなく、私達のライフスタイル、思想にまで影響を及ぼしているのはこれを見ても明らかだ。だから、テレビや映画を見るときはそのことを頭に入れて、のめり込み過ぎないようにほどほどにしたほうがいいかもしれない。しかし、今から100年後には、こういった整形手術がもっと身近になって、ごく普通の人が人生の中で三回ほど全く別人になって、そのつど新しいライフスタイルを持つのが当たり前になるんじゃないかと思ったりする。
2003.09.11
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昨日の日記に書いたダニーとマリアがこのアパート暮らしでの最悪な隣人であったが、ほかにもいろんな人間が住んでいたなあ。次なる登場人物は、アパート#6のイラン人夫婦。旦那はコンピューター関連のコンサルタントをしていて、フリーな時間が多く、ちょくちょく昼間に家に帰ってきてはまた出て行くという生活をしていた。妻は専業主婦で、5歳の女の子と3歳の男の子を面倒見ていた。まず問題だったのがこの女の子がうるさいのなんの。それはそれはかわいい顔をしているんだが、自分中心で(子供は往々にしてみんなそうだが彼女の場合はもっと酷かった。)いつも大声で大人の注意を引こうとする。外で遊んでいても、家の中にいても、四六時中、“Look, look what I did!" “Jack, Jack, I got this!!" “Excuse me! I did....." と聞こえてくる。それがい所に多く、たまりかねて窓を閉めると、キンキラキンの彼女の声は窓を突き抜けて私の耳をつんざくのだった。私は子供を容赦なく大人同様扱うので、(特にこういった餓鬼に対しては)彼女の目障りなほど傲慢さがたまらなく、パティオで出くわしても敢えて目を合わせないようにしていた。しかし、子供をあやすのが得意なジャックはもちろん即座に彼女の餌食となり、姿を現すや否や、"Jack,Jack," と彼女の攻撃に会い、30分ぐらいは逃れることが出来なかった。げんなりして帰ってきたジャックに、“だから言わんこっちゃない。あのガキにいい顔するとどんどん付け上がるんだから。今度は切りのいいところでさっさと逃げて来るんだよ。”と何度言ったことか。その後ジャックが少々冷たくなったら今度は第二の餌食を見つけた彼女は毎日うちの隣のナタリーの部屋をノックしていた。ガキのすることに罪は無しと気を取り直して、問題はこの夫婦の、公共の場を自分の物と勘違いしている無神経さだった。彼らの部屋は入り口に面していて、アパートを訪れる人の一番最初に目に付く場所だった。にも拘らず、バルコニーには子供のおもちゃや要らなくなった家具、マットレスなどのガラクタが山済み。誰も注意しないので其の山はどんどん膨れ上がっていった。しかし幸いなことに自分達でかたずけてくれたのでいいが、その片付けというのは、それらのガラクタを単に別の場所に移動しただけであった。その新たな放置所となったのは、またしても、共同のパティオだった。ああ、一難去ったらまた一難。奴らはもともとだらしなく、自分達の駐車場に子供が散らかしたごみを平気で何ヶ月も片付けない。が、ダニーとマリアのとんでもない迷惑行為がそんなことは屁じゃないほど酷かったので、彼らが出て行くまではそこまで気にならなかった。あるときこのイラン人妻が、自分の家のバルコニーに花瓶を幾つか置き始めた。はじめは小さいのから始まって仕舞いには、大きな鉢植えを乗せるようになった。問題は、そこには何の支えも無く、何かの拍子でそれらの鉢が一気に下へ落ちてく可能性がある。もしも誰かがたまたま通りがかったときにそれが起きたらどうするつもりだ?実際に彼らのわんぱく少女がそのバルコニーからいろんな物を故意に落としているのを何度となく発見していたので、これは大変だと、大家に報告した。始めの数ヶ月はその鉢を取り除いておとなしくしていたが、暫くするとまた鉢が一つ二つと増えていったのだ。あきれた私はぶつぶつ文句ばかり言っても仕方ないと、思い切って#6のドアを叩いた。出てきたのはイラン旦那。早速溜めておいた怒りをぶつけて、“そこの鉢植えを何とかして欲しいんだけど。”と言うと、“ワイフの物だから勝手に片付けられない”と言う。そこで、“そのバルコニーに何の柵もないからもしもお宅の子供が誤って落としてしまったら、誰かの頭に当たるでしょ。そうなったらあなた、訴えられるかもしれないのよ!”すると返ってきた言葉が、“うちは’96年からここに住んでもう長いんだよ”と、あたかも長く住んでいたら何をしても言いと言うようなことをほざいている。あきれ返って、“あんたが何年住んでいようとこのアパートのオーナーになるんじゃないのよ。アパートの住人として他人とスペースを共有するにはそれなりのマナーが必要でしょ!”と一気にやって、彼をねじ込めた。もうこうなったら宣戦布告である。その数日後イランワイフが嫌々バルコニーの(故意にか?)ぎりぎり端に置いてある10個ほどの鉢植えを片付けるのを確認して取り合えず荒かった鼻息を沈めるのだった。ある日隣のナタリーからの朗報で私とジャックは手と手を取り合って大喜びした。それは、イラン人カップルが家を買って引越しを近々すると言う物だった。それから何ヶ月か経ってもまだ出て行く様子がないのでどうしたのかと思ったら、その買う予定だった家のオーナーとの間で交渉トラブルがあり、その話はおじゃんになったと言うのだ。その後彼らは暫くは家は買わず、気楽にやると宣言していたので、私達は家を買えなくなった彼ら以上にその話に落胆したのであった。幸いそうこうしているうちに私達が家を見つけたため、彼らよりも先にこのアパートから出て行くことになったのだった。後から聞いた話によると、イラン旦那が最近職を失ってしまい、マイホームどころではなくなってしまったそうだ。ああ、なんと言う... それを聞いて今まで厳しくあったっていた自分を反省したのだった。
2003.09.06
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楽しかった四年間のアパート暮らしに付いての話でもしようか。始めて入居した頃は、そのアパートの人たちと仲良くなろうと思ってBBQパーティーをしようととある隣人に持ちかけた。そのことをすぐ隣の夫婦に行って参加しないかといったら渋い顔をして断られた。その理由が当日になって分った。1:00pmに予定していたので、彼かのドアをノックすると、なんとまだ寝ていたのであった。その独身のカップルで、彼のトムがレストランで働いていて、夜遅くまでの仕事なので朝起きるのがつらいと言う。そして彼女のマリアもボーっとしながら、“あ、そうか、今日だったのね。”目をこすっている。何とか二時間後に始めたパーティーに集まったのは、このアパートの別の部屋に住む19歳のレズビアン、レネーと、彼らの友達、よく言えば開放的、悪く言えばルーザータイプ(ろくでなし)の人たちであった。これはまだほんの始まりだった。その後、ちょくちょく顔を合わせるたびに挨拶する程度に近所付き合いは留まっていたが、マリアは話し好きでうちのジャックとあれこれと世間話をするようになった。聞き上手のジャックの雰囲気に飲まれたマリアは、結構個人的な話、例えば暴力家庭に育って家出をするように家を飛び出し、その後若くして妊娠してしまい、生んだ子供を育てられずに彼女の親が面倒を見ているなどと言う込み入ったことまで打ち明けるようになった。始めは会うとニコニコするようにしていたが、次第に私は彼女のことを遠ざけるようになっていった。それは、彼女が新しい男と住むようになってから、ぽっちゃりしていた体つきが異常に細っそりとしてきて、顔色がだんだんどす黒くなってきたのだった。ランドリールームでばったり会って仕方なく短い会話を交わすと彼女の話し方が普通でないことに気がついた。今までは、マリファナ程度だったのが、新しい男によって影響され、ハードドラッグを使うようになったのは明らかだったのだ。この新しいマリアのボーイフレンド、ダニーは典型的なホワイトトラッシュで、(教育のない無知無能な白人)仕事もしないでいつもふらふらしていて、ラジコンをうちのベッドルームに面している駐車場でびんびんならして遊んでいるかと思えば、部屋の中でがんがん大工仕事などをしている。そして友達を呼んでは明け方までドンちゃん騒ぎ。あるときダニーが彼らの部屋のすぐ前にある場所に池を作った。その場所はコの字になったアパートの中心にあるパティオで誰からも目に付く場所だった。当然ルーザーのダニーは水をこまめに替えることなく、だんだん濁って来たその水は、数ヵ月後にはミルク色になるまでに汚くなり、ボーフラなんぞがいて、見るに耐えなかった。何度もその池の水をきれいにしてくれと頼んだのに全く無視していたので、怒ったジャックは在るとき傘の先でそこに張ってあるビニールに穴をあけ無理やり水を流したのであった。また別のときには、ガレージセールだと言って彼らガラクタを駐車場に何ヶ月も放置したり、共同のゴミ捨て場に落書きをしたりとまるでガキのするような下らない事をして喜ぶこの隣人に私達の怒りは募るばかりであった。アパートの造り上、奴のやることなすこと嫌でも目に入ってくるため、何度となく大家に文句を言っていたが、不思議なことに、この大家、ダニーとマリアのことを至極気に入っていたようだった。そのたびに、彼らに注意はするものの、追い出すようなことをしないだけでなく、たまにはダニーにアパートの修理などを安い賃金を払って手伝ってもらったりしていたのであった。しかし、これだけではなくて、私はこの大家と奴らの関係は、何か裏取引があるんではないかと睨んでいた。無職のダニーとマリアには安定した収入がなかった。一時ダニーがいいところに就職できたと言ってまだ三ヶ月の見習い期間を終える前にピカピカの新車のトラックを買い、マリアも負けずに新しいマツダの小型スポーツカーを買ったといって自慢げに見せくれた。そうこうしているうちに、ダニーがまず首になり、(当然だと思ったが)その直後、マリアまで無職になってしまった。そして言うまでもなく、彼らの自慢の新車たちはいつの間にか姿を消した。その後、ダニーがたまにする市内観光バスの運転手の仕事や、他の小さな仕事で何とか生計と立てていたようだが、物価の高いこの町でいったいどうやって暮らしていけるのかと疑問に思っていた。が、その答えはすぐに出てきた。ちょうど同じ時期に、毎日毎日入れ替わり立ち代り来る彼らの訪問者が来るようになったのだ。昼夜問わずドアを叩いているその訪問者達は彼らの部屋に入ったかと思ったらすぐに出て行く。閉ざされたドアの向こうで何が起こっているかは明らかだった。彼らのする迷惑行為に対してどれだけ文句を言っても何もしない大家に苛々していた私はこれはチャンスと彼らのシークレットディールを匿名で密告したのであった。しかし、警察も確実な証拠を掴むまでは家宅捜査をすることが出来ないようで、半年経っても何の進展もないようだった。しかし其の間もこのアホ男、ダニーは別件で逮捕され2週間ほどジェイルに入れられたようだ。それはなんともくだらない理由、駐車違反のたかだか$30の罰金を何度か滞納した罪で。その事を聞いた私は密かに拘留中に例のドラッグの件を突っ込まれてボロを出さないかと願っていたが、そうは問屋が卸さなかった。帰ってきてから彼は相変わらず下らない事をしては私達を楽しませてくれた。その中でも一番笑ったのが、なんと、電気代を浮かせるために、ランドリールームから延長コードを自分の部屋に引っ張ってきているのであった。あきれた男である。それにも増して、この男と未だに住んでいるマリアの神経はどうなっているのか?無職の彼らがいつまでもここに長くは住んでいられないだろうと言う私達の予想どおり、それから二ヵ月後にようやく大家が彼らを追い出すことになったのだ。この大家も人がいいんだか、奴らが家賃を滞納していて、再三にわたって請求したがこれが限界と言ってなんと半年も滞納した後、ようやく行動に移ったのであった。このルーザーたち、引越しが決まったと喜んでいる私達を横目に、もちろん最後の迷惑を掛けていくのも忘れなかった。引越しが決まってから彼らは分かれることになり、まずマリアが彼を追い出したので、行く先の無いダニーの荷物がパティオのど真ん中に何ヶ月も放置され、最終的にマリアが出て行ってあいたその後でも彼らの荷物が駐車場の開いたところに半年以上も居座っていたのだった。
2003.09.05
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日曜日の朝、友達に呼ばれてブランチパーティーに行った。本来8人来ると言うので、それに合わせてフルーツサラダとスコーンを持っていったら、なんとその数が20人と膨れ上がっていた。しまった、もっと余分に作って置けばよかったと後悔したが、それぞれの参加者が何か持ってくる持ち寄り式のパーティーなので、結局余るほどの沢山の食べ物だった。ベーグルサンドイッチ(クリームチーズを塗ったベーグルに、スモークサーモン、アボカド、トマト、パープルオニオン、ケイパーを挟んだ物)、バジルキッシュ、キャロットケーキ、フルーツサラダなどなど。その中で大好評だった私のスコーンのレシピをご紹介。******************************************************* クランベリースコーン 8個分A:薄力粉 280g砂糖 50gベーキングパウダー 小さじ1ベーキングソーダ 小さじ1/4塩 小さじ1/4無塩バター 120gドライクランベリ 50gバターミルク 160mlB:卵 大1牛乳 大さじ1 砂糖 大さじ11. オーブンを200℃に暖めて、クッキー台にベーキングシートを敷く。ドライフルーツは湯に浸してふやかしておく。2. 大きなボールにAの材料をふるいに掛けて混ぜ合わせ、まだ冷たいバターを細かく切って入れる。ペイストリーナイフかまたは手でさらさらになるまで混ぜたら、ふやけたドライフルーツとバターミルクを加えて更に混ぜる。注意:混ぜすぎないように!全体がしっとりとして粉っぽさが無くなったら混ぜるの止める。3. クッキーシートにスプーンとナイフを使って落とし、好みの大きさで6~8個ほどのスコーンを作る。Bを刷毛でスコーンの表面に塗り、砂糖をふりかけ、20~25分ほど焼く。
2003.09.03
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