ドラゴン山田の研究室

ドラゴン山田の研究室

2006.10.26
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カテゴリ: Ideas
富士宮の某高校で模擬授業を終えたのが、15時過ぎ。そこから新富士駅までは遠いのだ。結局、新富士を16:10発のこだま号に乗り込んだ。東京に着いたのは17時半近くだ。水道橋へ向かう。

日大・法学部の6号館。かつて私が博士課程の院生だった時代に、1階の会議室での研究会に何回か出させていただいた。そこでこの日の夕刻、非常勤でいらしている武蔵野大学教授・中村孝文氏を囲んでの研究会があった。シェルドン・ウォリン――避けては通れないと思いつつも、きちんと向き合ってこなかったこのアメリカの政治理論家の、最近翻訳された著書(原著は1980年代中葉の出版)をもとに、デモクラシーと立憲主義に関する報告をうかがう。

アメリカ憲法の呪縛

ちゃんとした勉強もしていない私の発した、質問になっていない質問を、真摯に受け止めてくださった中村氏であった。ウォリンが1970~80年代にアメリカを批判して述べた「政治経済体制」とは、内容的には1950年代にC.ライト・ミルズが「パワー・エリート」論で主張したこととほとんど変わらない。が、50年代にはミルズのような一種の階級論に対して、D.リースマン、R.ダール、S.リプセット、D.ベル、W.コーンハウザーといった社会学者・政治学者たちは、アメリカ社会は多元社会だからデモクラシーなのだと反論を加えていた。しかし、50年代に「多元主義」と言われていた諸議論は、今日のデモクラシー論においては「利益集団多元主義」と批判的に語られ、それに対してミルズに近いウォリンの時代診断が登場し、参加デモクラシー、ラディカル・デモクラシー、熟議デモクラシーなどという形のデモクラシー論が展開されている。となれば、1970年代のアメリカ政治学は一体デモクラシーに関して何を語ってきたのだろうか…?

デモクラシーをめぐる20世紀の諸言説を、時系列的に一度きちんと整理しなおす、という、これから私が数年かけてやろうとしている仕事が、自分が思っている以上に重要かもしれないことを、感じさせられた夕べであった。思えば、こうした着想もまた、シェフィールド時代、および八戸時代初期にさかのぼる。

(10月28日記す)





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最終更新日  2006.10.28 18:32:22
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