ドラゴン山田の研究室

ドラゴン山田の研究室

2007.01.21
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カテゴリ: Ideas
随分以前に、同じタイトルで日記を書いたことがある。「卑怯にして未練、未練なるは斬る!」――エルン・バイスト(清河八郎?)をバッサリ斬ったドン・コンドール(近藤勇)のセリフだ。

不二家につづいて、八橋のおたべもまた、期限切れの原材料を使っていたことが発覚。それに限らない。社会のありとあらゆる面で、当たり前のことが当たり前になされないゆえに、「何でこんなことが…」ということが起こったり(飲み物への異物混入など)、何十年にも渡って「いけないこと」だと言われ続けてきていることが、慣習として延々と続いては発覚したり(官製談合など)、そんなニュースだらけである。大の大人が「申し訳ありません」と頭を下げるシーンをテレビで見ない日はほとんどないような気がする…。

学校に通っている時代にルール破りをしても、「社会に出たら、そんなんじゃ通用しないぞ」と言われるのが定番だと思っていたが、事実はそうではないらしい。おかしいことを「おかしい」と言い切ったり、正しいことを貫こうとすると、「社会では、そんなんじゃ通用しない」とされてしまうのが、日本のここ数十年のあり方ではなかったのか。まじめな人はそれでノイローゼになり、そうならないためにはズルく立ち回ることを覚える以外にない。「たてまえ」と「ホンネ」は限りなく乖離し、ダブル・スタンダードを「賢く」使い分けることに良心の痛みを感じなくなっていく。

そうした大人が、次の世代を「育てる」というのだから、どんな育て方になるのやら。現に、家庭でも多くの団体・組織でも、次の世代を育成することが困難になっているではないか。「子供たちが変わった」とか「最近の若者は分からん」というが、若い世代を「訳の分からない存在」にしているのは誰よ? 毎日のように、大人が「ごめんなさい」と頭を下げるシーンを見せられて、「素直に謝っている大人は素敵だ。私もあのようになろう」などと感動する子供がいるものか。「あいつ、気にくわねぇ」「大人は、言うこととやることが違う。信用できねぇ」と軽蔑し、かつ、やがて同じことをやる人間に育つのではないのか――。

そんなことを思いつつ、「卑怯にして未練、未練なるは斬る!」のセリフを思い出してしまった。もちろん、人を斬ってはいけない。卑怯な「心」を斬らねば。





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最終更新日  2007.01.21 07:33:54
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