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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (7) その料亭、近隣につき (笑) 日野市 平山 料亭 鮫陵源(跡) ●白バイ改造の「ヤマハR1スポーツ」とそれに被せた「スバル360のシートカバー」が 盗まれた日野市平山団地のすぐ北側、「料亭 鮫陵源」では第三現場で発見された 「草色第一カローラ」が11月30日夜から12月1日朝にかけて忽然と姿を消していた。 [1992年 10月29日(雨天)・11月2日(晴天) 撮影] ▲右下写真と比較すると石垣は崩れているものの、かろうじて残っているのが分かる。 鮫陵源・驚愕の真実!! 今も残る鮫陵源の面影 平山のディズニーランド <鮫陵源> ▲小説男氏撮影の写真 と比較されたし。 ▲事件当時の鮫陵源。 ●盗難は「三角窓を破ってカギを開け、エンジン直結」、といういつもの手口で、 店の女将らがエンジンの始動音を聞いたかどうかの証言は曖昧だった。 車は敷地外まで一旦「手押し」で移動された可能性が高く、庭に大小二個の足跡が残された。 当時の捜査記録にも『大小二個の足跡あり(二人)』とある。「小」は一人で車を押す際に つま先で踏ん張ったものではないかと推測されたが、二つは「平行して残っていた」との 証言もあり、これも「単独犯か」「複数」かを見極める重要なポイントだったが、平塚八兵衛 氏がここでも強く「単独犯説」を推している・・。 (雨の追憶 図説 三億円事件 むらきけい 文芸社より) 車から外したカバーは丁寧に蛇腹状に畳まれ、 後部トランクの下辺りに「落として」あった。この 畳み方も一人か二人かで意見が分かれた。 ●ではなぜシートは畳んであったのか? これは「持ち帰ろうとしたから」ではないか? 他所でわざわざシートカバーを盗んでいる くらいだから置いていくはずはないし、まして畳む必要はない。とすれば、手押しの前に シートは地面に置かずに車の屋根にでも載せておけばよかったのだが・・・。忘れてしまっ たのか、再度、敷地内に戻るのを躊躇したのか、全く謎だが、惜しいことをしたものである(?) ▲鮫陵源跡・脇から平山団地へ下る小道。 ▲地図の番号は盗難発生順。犯行に必要不可欠 写真は坂の途中からでこの先、車は通行 な白バイ用バイクと二台のカローラは全てこの 止。「ショート・カットの達人」(?)である エリアで調達している。盗難はほぼ5日間隔で 犯人が「チッ」と舌打ちしたかも? きっちりスケジュールを立てての実行にも思え ぶらりと散歩に出掛けたくなる景観である。 るが、[5]のスバル360のシートカバーはあまり にも犯行日の10日ギリギリで、まるで 急遽、 ★先ほどの記事の空撮参照 必要性に気づいたかのようだ。 ●思うに、犯人が鮫陵源のシートカバーを持ち帰っていれば、この最後の盗難は 必要なかったのかもしれない。そしてその場合、犯行現場で偽白バイ警官が 引きずったシートカバーはちょっぴり大きめだったかもしれない・・(笑) ★参考・盗難車両ほか
2009年03月01日
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第24回 ★ 「S少年のこと」 ( 最終回 ) 「彼は自分で死を選ぶほど弱い人間じゃないと思います。 ・・・頭は良かったと思う。 でも”それ”を実行に移したかどうかまでは・・。もし、やっているとすれば、 お父さんに対する当てつけ、だったと思います。でも、どう考えても、ひとり じゃ無理な気がする・・ あまりにも計画的で・・」 (事件から20数年後、S少年の女友達の話) ●S少年の父親は、Sが問題を起こして警察に捕まるたびにその身柄を 引き取りに行った。運転免許証を取り上げられれば「仕事に必要だから。 今後は必ず真面目にやらせるから」と警察から取り返してきた。 そんな父親の姿は、S少年の目にはどのように写っていたのだろうか・・。←S少年死亡の翌日、捜査 本部は犯人の目撃者で ある現金輸送車の行員 四人を通夜の席に呼び、 遺体を「面通し」させた。 決定打と思われた容疑者 を失った警察にとっての 苦肉の策だったが、不確 かな記憶やプレッシャー、 目をつむり、鼻に詰め物を した遺体を見ての証言は 後々の捜査に波紋を投げ かける結果ともなった。 ←作成された証言表。 見づらいが、 「マユ・・生えぎわ似てる 90%」 「鼻・・良く似てる 85%」 「口・・口から小鼻が似てる 80%」 ・・などの記載が読める。 最終的には、四人とも 『平均すると、70%以上 似ている』との結論を 出しているのだが・・。 ●S少年、関根篤は少なくとも11月30日から12月6日までは立川市や福生町で 不良仲間と遊んでいたことが明らかになった。 が、母親は最後までこれを頑なに否定。事件当日の12月10日も「午前11時頃」 に起きてコタツでテレビを観ていた・・とタイミングの良すぎる供述をしている。 通夜の席で関根の女友達が「一週間ほど前まで一緒だったのに・・」と 漏らすと、ここでも母親は厳しい口調で否定している・・ (おわり) ※参考資料・「今、明らかになる!/ 衝撃犯罪と未解決事件の謎」 (日本テレビ「スーパーテレビ・情報最前線」/ 近藤昭二/ 編著 二見文庫) 特 撮ネタバレビュー 「・・・・・・。」( ← 感想 ) 海 底 大 戦 争 製作=東映(東京撮影所)/RAMフィルム 1966.07.01 カラー スタンダード 原案 福島正実 脚本 大津皓一音楽 菊池俊輔 特撮 矢島信男 監督 佐藤肇出演千葉真一 室田日出男 ペギー・ニール 岡野耕作 三重街恒二 菅沼正★東日新聞科学担当記者・安部(千葉真一)は、恋人の米・女性カメラマンのジェニー(P・ニール)から「米海軍の新型潜水艦実験の際、海底で人間に似た不気味な物体を見た」という情報を受けた。翌日、安部は誰もが信じない物体を確かめるためジェニーと一緒に海底に潜ることに。彼らがそこで 見たものとは・・? ●これはわたしが過去に観た数ある特撮物の中でも三本の指に入る超駄作である。 DVDの冒頭で「この作品は本編が古いためお見苦しい箇所が・・」と出るのは 毎度のことだがこの映画、それに加えてフイルムが欠落してる部分があるらしく、 真っ暗な画面が延々と続いたりする。 ・・なワケで、早々と観るのをやめてしまったのだった。 ▲超マイナー作のためか写真が少なくて困った。 ▲この寄り目の半魚人がいきなりドアップで 一部、他サイトから使わせていただきました。 登場。食事しながら観たりすると吹き出す スミマセン。(時々やってるけど) ので御注意。悪いデザインじゃないんだけど 若き日の千葉ちゃんは「劇団ひとり」に ナンカ嫌いだなあ。この後、TV「悪魔くん」 似てると書いたサイトがあり、笑いました。 にも登場しました。 ▲左は海外版ポスター。「SONNY CHIBA」の文字が見えます。 この時期は「緯度0大作戦」といい海外との合作が多いですね。 ところで「海底大戦争」と聞くとサンダーバードでおなじみ、ITC製作の 「海底大戦争スティングレイ を思い出す人も多いのでは? わたしは小三の頃、遠足のおこづかいを使わずに残し、敵の潜水艦 「メカニカル・フィッシュ」(深海魚みたいな奴)のプラモを買った思い出があります。 小さなチューブ入りのプラカラーが付いてて(この量では全く足りない)、それを ブチュッとソファーにぶちまけてしまい、ものすごく怒られました・・
2007年06月22日
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バルタン星人(1) ●世田谷は砧の円谷プロといえば、もう36年ほど前によくお邪魔しては近くの撮影所で 特撮の撮影現場を見学させてもらいました。この撮影所も昨年閉鎖され、すでに移転 していた円谷プロの旧・社屋もついにこの4月に取り壊されたとの情報が・・。 それに伴い、全国・特撮ファンの聖地、知る人ぞ知るかの「怪獣倉庫」もとうとう消滅 してしまいました。まことに残念ではありますが、まったくタイムリーというのか、 今回、Mont.Akagi氏(一体、何者? 笑)がちょうど20年前に訪れた怪獣倉庫の写真を ご提供下さいましたので何回かに分けて在りし日の怪獣たちと再会したいと思います。 (1989年 5月撮影) さて今回の主役は 言わずと知れた このお方。 ---- バクテリア大に縮小した 20億3千万人で地球への 移住を要求するがそれは 事実上の「侵略」だった・・ もちろんこれは多数製作 されたアトラクション用の 一体で・・ 映像に登場した物だけでも たしか六代目までとその バリエイションも存在する らしいので一体何種類いる のか分からないくらいの 人気怪獣です。 初代バルタン星人をリアル で観た世代にはこの手の アトラク用怪獣は許せない 出来の物が多いのですが・・ 写真の物は驚くほど頭部の 出来が良く、オリジナルに 忠実であります。 反面、ボディの作りはやや 粗く、肉付きが悪いのが 惜しい感じ。 下半身はタイツのようです がオリジナルはウエットス ーツでしたね。 床にはタロウ、その奥に80 (エイティ)、棚には出演作 不明のゴリラ。 「バルタンばさみ」(これも 良い出来)の奥とその上の 飛行怪獣(?)が不明・・ ★過去記事・円谷プロ ★「光跡」円谷プロ・怪獣倉庫 ★「Wikipedia」円谷プロ ▲07年正月に私がおじゃました際の写真。 ▲今年5月2日。消えてしまった夢工場・・。 すでに主業務を近くの八幡山に移転後。 白い枠内にミラーマンが立っていた模様。 左の守衛さん(?)がきさくな方でした。 (撮影 / BIGSTONE氏 協力 / 光跡・Qちゃん氏) 怪獣倉庫入口(07年撮影) 階段での搬出・搬入は大変だった ことと思います。 この円谷プロ 旧社屋はもとは衣装会社 であり、それ以前にさかのぼると医院か 診療所だった時代もあるとのこと。 36年前はゴールデンで怪獣、変身物が 多数放映されていた第二期黄金時代。 円谷プロにも活気があふれ、この中庭で 大勢のスタッフが怪獣の修理をしたり また、日曜には「ZAT」やら「MAC」の 車が停まっているのを目撃しました。 (つづく)
2009年05月03日
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★一滴の血も流さない 「昭和のヒーロー」だったのか・・?? 三億円事件 犯人逃走ルートを追え! (前編) 1968年 12月10日 朝・・ どしゃぶりの雨だった・・ 《※ 2010年12月補足・この記念すべき第一回記事、今読むと顔から火が出そうな ほど恥ずかしい出来で(笑)削除したいくらいですが、これも「通ってきた道」 ということで、あえて残しました。 出来れば飛ばして次へ行ってください(笑)》 ▲この写真は差し替えました。タイトル・「42年目の白日夢」。 いかがでしょうか。 ●日本信託銀行・国分寺支店の 行員四人を乗せた現金輸送車が 東芝府中工場社員のボーナス 約三億円を届けるため出発した。 ・・ AM9:15 輸送車は定められた輸送ルート のうち、「Aルート」を選択、 国分寺街道を南下していった。 途中の脇道で『警官』が大慌て で追いかけようとしていること も知らずに・・ 明星学苑の交差点を右折、 学園通りに入ってしばらく 走ると左側に府中刑務所の 高い塀が現れる。 そのとき、運転手は バックミラーに白バイ警官の 姿を認めた。 ・・ AM9:20 ※サイト 「「3億円事件・事件史探求」より地図を引用させて頂きました。 (写真は`07 1/2 撮影) ▲上の図のマル1より撮影。中央の斜めに入る ▲マル2より撮影。ここ(学園通り)を右折すると 道の途中にある空き地から犯人(の一人?) 「あの場所」が近づく。「ショートカット」から が白バイで出発した。 現れた白バイがバックミラーに映る場所だ。 「ビニールシート」を引きずったまま・・。 38年後の正月の街は車も少なく、あまりにも 現在は一方通行でこちらからは入れない。 静かだ・・。 (※マル4以降の写真は次回) (上写真は現在の空撮) ●・・輸送車を停止させた白バイ警官は言った。「支店長宅が爆破されました。 この車にも爆弾が仕掛けられているかも知れないので調べさせて下さい。」 これより以前に、銀行に脅迫状が届くなど、話の伏線が出来上がっていた。 警官は仰向けになって車の下に頭を突っ込み、突然立ち上がった。 白煙が立ち昇っている。 「ダイナマイトだ!爆発するぞ。危ない!下がれ!」 行員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。 ・・すると警官は車に乗り込み、急発進させると府中街道方面へ猛スピードで走り去った!・・ 煙を上げていたのは、ただの発炎筒だった・・。 ・・ AM9:25 ▲事件直後の現場。中央の監視塔は ▲ 現在。・・覚悟はしていたがあまりの変貌ぶり 防犯カメラなどの普及により姿を消した。 に驚いた。塀が当時よりずいぶん低くなり、 この監視塔の看守が騒ぎを目撃しており 明るく塗装されている。車を奪った犯人は 事態を飲み込めないまま110番している。 この300mの距離を一気に突っ走って・・・ (以下、中編につづく) この強奪場所が「第一現場」、次回お送りする 輸送車放置場所が「第二現場」、偽白バイが 出発した脇道が「第三現場」、 空のジュラルミンケースを積んだ盗難車の 発見場所が「第四現場」と呼ばれる。 ・・犯人は「単独犯」か、 それとも「複数」だったのか? 普通に考えると「複数犯」と見るのが 自然だが、”一人でも絶対に不可能ではない” ところにこの事件の難しさがあると思う。 これらの何とも言えない「微妙さ」と 犯人の異常なまでの「強運」が まんまと犯罪を成功させてしまった・・ ●次回、後編は犯人が現金輸送車を放置した「第二現場」をついに発見!
2007年01月16日
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★延べ17万2千人の捜査員・・過労死した人も! 捜査費用・9億円以上!! 疑われ、人生を狂わされた人たち・・ 三億円事件 犯人逃走ルートを追え!(中編) --- 現金輸送車発見! 事件発生から1時間も経っていた・・ 国立 東村山 川崎 府中街道 東村山 東八道路 三鷹 ▲(前回の続き) 犯人はこの赤信号を無視して ▲現金輸送車は府中街道を猛スピードで北上。 右折!このとき大型ダンプとあわや衝突しそう ちなみに車は`64年型の黒塗りセドリック。 になっている。もし事故っていたら、ここで もし犯行現場で行員がキーを抜いて車を離れ 三億円事件は終わっていたに違いない。 た場合の対策は考えていたのか否か? ▲前写真の東八道路は事件当時は無かった。 ▲写真で見るより道幅は狭く、迷路のように 資料などから現在、角にデニーズがあるこの 入り組んでいる。ここらで一本道を間違えれば 路地に入り込んだ、と断定する。 時間を食って命取りになりかねないかも。 (下の地図・6) ・・ AM 9:30 (下の地図・7) (※ 黒枠内・航空写真での「今昔比較」を次回掲載します) ▲左折し、地図・8の地点。犯人はこの先で子供を ▲地図・9の地点。広い公園になっている。 幼稚園に送って帰宅中の主婦三人に思いきり 犯人は激しい雨の中、もうすぐ手中に 「泥ハネ」したため車のナンバーを通報された。 収まるであろう三億円を思い、心臓を この110番が逃走経路解明のきっかけとなった。 バクバクいわせながらここを右折したのか。 ・・AM 9:31 (注・この手前で右折した、という説もあり) ---いつまでも現金輸送車で逃げていては危ないに決まっている。 犯人は予め別の盗難車(`68年型カローラ デラックス)を用意し、ケースごと現金を 積みかえて逃走した。 ●・・直線の道をしばらく進むと、不思議な 胸騒ぎとともに屋根付きの看板が視界に 入った。「七重の塔跡」の説明らしきもの が載っていて周囲はそれっぽい雰囲気。 「・・ここだ・・」 左奥は工事現場のような黄色いバリケード で囲まれ、中はビニールシートで覆われて 「遺跡発掘中」 と書かれていた。 「ま、まさか三億円が出土する」なんてことは? ▲「第二現場」は「七重の塔跡から北西約50m、 ▲私にはこの木立が、左写真バックの木々の 幅約2.8mの農道から入った人けのない場所--」 成長した姿に思えてならない。ナンカ、似て 隣りには「H家のお墓」がある。輸送車付近には ませんか? 雑木林を整地した際、何本か 別の車が発進したタイヤ跡と無数の足跡が・・。 残された木々がこんなに成長したのですね。 ●次回はいよいよ、完結編! 迷走する筆者の「カーナビなし車」はどこへ行く?
2007年01月21日
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三億円事件 こだわり続ける元捜査員 【 後 編 】 戦後史開封 昭和40年代編 扶桑社文庫 750円 送料無料 (オリジナル版は絶版) 「戦後史開封」(同取材班・編) 産経新聞社 扶桑社(1995年 1月)より一部を掲載・敬称略 昭和50年12月10日午前零時、三億円事件は事実上の時効を迎えた。 私生活を犠牲にして捜査してきた延べ17万人の刑事たちの7年間は報われなかった。 最後の特別捜査本部キャップとなった元警視庁捜査一課管理官、北野一男は 「このときのことを話すのはつらい」という。「発生時も雨だったが、時効の日も雨だった。 『最後まで涙雨を降らせやがって』 と思っていたら、深夜にはみぞれ雪になった」 当時、捜査本部には事件の解決を祈って岩手県の婦人が送ってくれた風鈴が夏から吊るしっ 放しになっていた。 「なんか、芭蕉の『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』って感じだったよ」 平日の日中の犯行だったことや、現場付近に東京学芸大、東京経済大、東京農工大など 大学が多かったことから、犯人像のひとつに”学生”も浮かび上がった。しかし、「捜査方針と して組織的に学園に入ってやるのはまずい」と大学内での捜査をしないことが決まったという。 43年は大学紛争が吹き荒れ、東大、日大をはじめ、全国116大学で紛争が起きていた。 当時はまだ、捜査のためキャンパスに入った私服刑事がリンチを受けるような時代だった。 刑事上の時効になった50年12月10日の前夜、各テレビ局は特別番組を組んだ。 ニールセン調査によると、遅い時間帯にもかかわらず、視聴率は極めて高かった。 NHKが午後10時15分から放映した「三億円強奪事件」は11,7%を記録、前日同時刻が 1.2%で実に十倍の数字だ。 民放でも日本テレビ 「11PM 『時効成立!?』 が8,3%、 NET (現テレビ朝日) 「ザ・23 『時効!?三億円事件』」 が6,7%など-- 軒並み好成績だった。 発生から20年経った昭和63年12月10日には民事も時効となり、事件は遠い出来事になった。 もしも今(※1995年)、犯人が現れたらどうなるか。-- 警視庁の公式コメントは「所要の捜査を行うことになります」 -- とはいえ、捜査権は 公訴を前提としているため、実際には任意で事情聴取するぐらいしかできない、という。 ▲「 朝日クロニクル 20世紀 第6巻 1961‐1970 ― 高度経済成長」 朝日新聞出版 より 犯人への課税の可能性はどうか。 -- 「法定申告期限は最高で7年。三億円事件のような不労所得も課税対象だが、7年を過ぎ るとうちの方では何もできない」(国税庁) 日本信託銀行に被害額と同額の保険料を払った日本火災海上保険は「すでに公的には 求償不能だが、もし犯人が判明した場合には、その時点で対処方法を検討したい」という。 三億円事件と16年後の昭和59年に起きた「グリコ・森永事件」との犯人類似説を唱えて いるのが、直木賞作家の井出孫六(63)だ。 井出は三億円の犯行時間、現場からわずか数百mのバス停で当時勤めていた出版社に 出勤するため国分寺駅行きのバスを待っていた。以来、事件への関心は人一倍強い。 「三億円事件の犯人が多磨農協に送った脅迫状と、グリコ・森永の”かい人21面相”が 警察に送りつけた挑戦状は論理構成が似ている。東京弁を河内弁に置き換えたらそっくり。 時間の経過を考えたら、犯人の年齢だって一致するでしょう」 同一犯人と言えるほどの論拠はないが、脅迫状によって犯行の”環境”づくりをすると いった犯行計画の周到さに加え、犯人が犯行現場の地理に詳しい、車の運転がうまい、 緊急配備と大捜査(ローラー作戦)を潜り抜けている -- など、両事件の共通点は多い。 民事の時効が成立した昭和63年12月10日と同時期、事件の関係者の一人が結婚した。 被害者である日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車を運転していたC運転手である。 Cが他の三人の行員と一緒に事件に遭ったのは31歳のときだった。偽白バイ警官に 「車にダイナマイトが仕掛けられた」と脅された際、キーを抜かずに車を離れたことから ”グル”ではないか」と疑われたこともあった。 疑いはすぐに晴れたものの、Cはその後、「事件が終わるまで結婚はできません」と 20年間、独身を貫き、結婚したときは50歳を超えていた。 かつて特別捜査本部があった府中署内に23年以上保管されてきた 偽白バイの本体は2年前に処分されたが、現役捜査員の強い要望で ナンバープレートだけは額に入れて飾られている ---
2010年08月03日
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タモリ 教授 学長の部 (1) ●今回より、数回にわたって「中洲産業大学 夏期講座」の模様をお送りします。 私はこのイベントについて全く詳しくないので、追ってコメント欄にて写真提供者の Mont.Akagi氏から解説をお願いしたいと思いますが、そもそもこのイベントはタモリ さんが「オールナイトニッポン」を担当していた時期に企画され、番組内で受講者の 募集があったのだそうです。 posted by オアシス地球 ▲こっ、この「校章」・・(笑) 31年前ですよ、あなたはおいくつで、何をなさってましたか? しかし今見るとこんな至近距離でタモリ氏にカメラを向けて普通に写真撮ってる、という状況が 何とも不思議な感じがします。 まったく、「受講者」の方々は貴重な体験をなさったものです。 ●調べてみると1978年7月に5日間に渡って開催されており、会場は 高田馬場駅前のF1ビル6階にあった「アートスペース」、出演者は この後、順にご紹介していく予定のツービート、所ジョージ、内藤陳氏の ほか、赤塚不二夫、山下洋輔氏らが講師として参加していたそうです。 こちらもぜひご覧ください! DAZZ氏の「中洲産業大学 夏期講座」 「ファンシーさんの時事日記」 (つづく)
2009年06月09日
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2008年04月14日
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