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矢掛町は山陽道の宿場の古い街並みが保存されている地域だが、その対岸にMontbellの店舗、イタ飯屋、キャンプ場、カヌー施設ができた。矢掛町ではイタリア野菜の生産をしていて、その食材の縁でJAがイタ飯屋を併設したらしい。なかなか旨かった。間を流れる小田川の川辺を辿れば、南方向に見える地蔵峠の稜線には、京大の天文台のドーム(東洋一の天体望遠鏡せいめい)が見えるはず。 もともと矢掛周辺は、大和朝廷の駅伝制の大路である山陽道の駅であり、戦国時代には猿掛城、茶臼山城が見おろしていた宿場町であり、江戸時代には大名の本陣も用意されていた宿場であったそうで、永い歴史のある宿場街だそうだ。 近代の交通網発展により街道と宿場はなくなってしまい、今では遺構として宿場の街並みが残るのみだった。遺構の宿場街が、皆が憩う行楽の宿場町として姿を変えて賑わえばいいなと期待が湧いた。 矢掛周辺の街道の歴史についての日記「間道と山道」
Apr 30, 2026
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24吋別窓表示花夢の里 24吋別窓表示
Apr 28, 2026
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高橋和夫の「イランとアメリカ、そしてイスラエル」にイランの農業基盤の記述があった。 乾燥地帯ばかりの国土で農業をするためにバザール商人がカナートと呼ばれる灌漑用地下水路を構築して農業が可能となってきたそうだ。結果、バザール商人が大地主となり、農民は小作人で農村は研究者曰く「飯場集落」であったそうだ。山の麓に井戸を掘り、くみ上げた水を地下の水路で農地に供給できるようになったお陰で、作物ができるようになり、荒野が農地に変わったようだ。 20世紀後半からは、米国による民主的政権の転覆、王政による抑圧的支配、農地改革、イラン革命、米国大使館占拠人質事件、イラクによる侵略戦争、ウラン濃縮を巡る米国との紆余曲折、経済制裁、原理主義者による抑圧的支配とつづいてきたらしい。ネットの情報では、近年、農業で無秩序に水が汲み上げられ、水不足が深刻になっているらしい。google mapでみると、確かに地図上の青い湖が衛星写真では見当たらない。原理主義者による支配でバザール商人による用水管理がなくなったのだろうか。 宗教指導者は、国を強国から守るため、核保有でその介入を阻止し、原理主義を貫こうとしてきたようだが、異教徒・異民族との抗争の末に遂にはユダヤ勢力に戦争を仕掛けられ、国家存立の危機になってしまった。そんな状況で国内行政が疎かになったのか、水源を枯らせて生活基盤を危うくしてしまっているようだ。 原理主義者の人口は二割、一般的ペルシャ人は四割、クルド人が四割の多民族国家と聞く。水はどの民族・宗教にとっても死活問題だろうに。
Apr 25, 2026
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Apr 22, 2026
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満開の梨の花の受粉作業の最中に枝の先に。別窓動画へ桃畑も満開
Apr 7, 2026
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