沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第5回インタビュー 下




江上:(笑)なんかそんな感じでしたね。鳩が豆鉄砲食らったような(笑)。稲嶺さんが要求7項目をつきつけたんで、びっくりして(笑)
 これまで検討すべき事業として先生のメモにあった10項目について逐次、説明を加えていただいてありがとうございました。それでは次の質問に移りますが、先生のAからJまでの10項目は、大田県政と橋本総理をつなぐ、言い換えれば、歩み寄らせるための大きな方策だったんだと思うんですけども、このときの調整では吉元さんたちがかつて主張していた、沖縄特別県制構想のような沖縄の自治の問題が入る余地は、ぜんぜんなかったんですか。

下河辺:その、自治っていうことの自治労との論争が、ちょっと失敗っていうか、うまくいかなかったんです。

江上:そうですか。そういう経緯があったんですか。

下河辺:というのは、失業率がこんなに高くなって、労働組合の役割が大きくなったって吉元が理解したら、組合の組織率が下がる一方なんですよ。それで、労働組合っていったいなんだって、根本論に移っちゃったんですね。で、日本からフォーラムへ来た学者たちは、古い労働組合論の人たちばっかりだったんで、答えが出なくなっちゃったんですね。私はもともと、沖縄で労働組合って古い組織では、労働問題に対応できないっていう立場だったから、なんとなく学者も吉元さんも困ってましたよ。だけど、いまやまさにそうなっちゃったんじゃないすか。

江上:ということは、そういった自治の問題っていうのは、労働組合との関係でうまく浮かび上ってこなかったわけですね。

下河辺:ちょっと、むしろ沈んでっちゃった。

江上:沈んでしまったんですね。労働組合の考え方がこういう沖縄のターニングポイントで、うまく主張とか政策を反映させるような状況にはなかったということですか。

下河辺:実際問題として、企業と戦う賃金の問題っていうことだとすると、そういう条件って沖縄にはなかったわけですね。

江上:はあ。

下河辺:企業がないんですから。

江上:小さな企業しかありませんからね。

下河辺:それでいて、一人当たり所得の低い過疎県であるにもかかわらず、人口増加が激しい唯一の都道府県の中のひとつだったわけですね。だから、実際、労働組合の連中は、どうしていいか、わかんなくなっちゃったんじゃないすか。

江上:沖縄には、先生がおっしゃるように大企業はありませんので、中小企業ばかりですので、そういう意味では自治体が職場としては一番大きいんですよね。組織としては、沖縄県庁が7000名くらい職員がおりますから、で、そういう意味で、沖縄労働組合の主力は自治労だったんですよね。

下河辺:自治労は強かったんですけども

江上:強かったんですよね。

下河辺:ただ、それが、県庁の中で、自治労から脱退する職員が、どんどん増えるんで、困っていたわけですね。

江上:その当時からですか。

下河辺:はい。

江上:自治労が職場の人たちにアピールする力を失ってきたんでしょうか。

下河辺:そうですね。なんか、労働者個人が自分の問題として考える時代になっていったわけですね。自治労に頼って、賃上げしようなんて思う職員が、いなくなっちゃったのね。

江上:ということは、かつてのように沖縄の自治とか、あるいは沖縄特別県制とかの構想を、当時の自治労としては、もうあまり支える人たちもいなかったんでしょうか。

下河辺:彼らはやりたかったんでしょうけども、組合員がみんな離れていっちゃちゃできようがないですよ。

江上:そうですね。自治の要求を阻むを要素や作用ががあったんですね。そういうのより、現実的な経済政策の方はやはり、良かったんでしょうかね。

下河辺:ま、経済政策って言っても、国に援助を頼むとか、米軍に期待するっていうような姿勢が、労働組合でも捨てられなかったからね。

江上:そうですね。

下河辺:だから、かってのように、独立運動なんていう青年がどんどんいなくなっちゃったんですね。


●2015年期限問題

江上:そうですね。それでは3番目の質問に移りますけども、2015年期限の問題がありましたね。先生はもうちょっとうまくやればよかったんじゃないかというを発言なさっていますけども、これはどういうことだったんでしょうか。

下河辺:いやあ、沖縄にすれば、15年っていう長さの中で、話し合いする約束だけしちゃいたかったんですね。だから、遅くとも15年後には、復帰するっていうことを思っていたわけです。で、私は、よくまあ15年も待つ気になったねえっていうことを言っていたんですね。だけど、早くもあと12年になりましたから、ばやぼやしていると期限が来んのかもしれませんね。

江上:あっという間に15年、20年経っちゃって(笑) 何も変わらないままでは困りますね。

下河辺:それでも、米軍のほうが、国際情勢の変化から、撤去する可能性はいままでより、はるかに高くなっていますね。

江上:でも、この2015年という期限は実際、計画をアメリカにぶつけるような形になって、アメリカからはとんでもないっていう話になっちゃったんですか。

下河辺:とんでもないっていうのは、時間は決められないって言ったけど、もっと早くちゃいけないのっていう質問さえ出たんですね。

江上:アメリカからですか。

下河辺:そうです。

江上:はあ、そうですか。

下河辺:アメリカは沖縄有事っていう問題はなくなったっていう認識で議論していますから、アメリカのタックスペイヤーが、沖縄に軍を派遣することを認めるかどうかさえ、わかんないっていうようなことを言ってましたね。

江上:なるほど、そういう意味ですね。

下河辺:これから、また緊張状態なんかが出れば、10万以上いるっていう意見が、アメリカから出る可能性があるかもしれませんが、いまだったら、15年もいないっていう気持ちの方が強いんじゃないすか。

江上:じゃあ、稲嶺さんが1988年の知事選で当選したときに出した15年期限論ですが、あれについても先生はだいたい同じような考えですか。

下河辺:いや、まさにそのことを言ってたわけです。


●橋本・大田の信頼関係破たんについて

江上:そうですね。別に15年じゃなくても、もっと早めで、たとえば、5年とか10年とかでもいいじゃないかということですね。
 それで、先生を始めとするいろんな方々の努力で、いったん大田県政と橋本総理が歩み寄りまして、それで政策協議会も設置され、いろんな経済振興策も動いていくということになりました。それでしばらくは良かったんですけども、結局、ご存知のように、せっかく築き上げた信頼関係が破たんしていくことになります。そういった破たんに向かっていく分岐点はどのへんだったんでしょうか。

下河辺:破たんしたんですかね。

江上:大田さんと橋本さんは結局、最後は再び対立しましたね。

下河辺:それは、ちょっと、私のメモで提携したっていう話と別の話ですね。

江上:それとは別の局面です、もちろん。

下河辺:だから、政治的には選挙なんかになれば、当然、敵と味方ですよ。

江上:総選挙までは良かったですよね。

下河辺:選挙後もいいですよ。

江上:そうなんですか。でも結局、両者の関係がおかしくなっていったのは、名護の住民投票などもあって大田さんが次第に海上基地建設に反対に傾いていってからです。

下河辺:それはよく、大田さんと話し合ったけども、名護の市長の選挙だけじゃなくて、いろんな県民投票っていうか、アンケート調査なんかでも、もう大田政権の時代じゃないことを大田さんがよく知ってんですね。で、私は
大田さんに大田政権続けるのなら、那覇のヤングを捕まえるっていうことを特別にしないと、選挙は負けだよって言ったら、大田さんは負けていいんじゃないかと、自分の沖縄戦以来の政治姿勢を変えないまま辞めていきたいって言いましたよ。だから、私はそれは立派なことで、大田さんは最後まで自分の政治姿勢を崩さなかったっていう歴史を残しましょうって言ったら、彼は喜んでたよ。

江上:それは沖縄県知事選挙の直前に大田知事と会われたときの話ですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときに、基地に「ノー」と言って、選挙で負けてもいいと大田知事が先生に話されたんですね。

下河辺:そう。

江上:大田さんは平和学の研究者として筋を通す形となりました。

下河辺:そう、筋を通したかったわけですよ。


●大田知事と岸本市長の移設先基地イメージのギャップ

江上:通したかったわけですね。橋本首相との関係で大田知事が海上基地を応諾しようとした時期もずいぶんあったようにみえましたけでね。

下河辺:いやいや、応諾っていうのは、また別の問題ですよ。それは、何ていいますかね。普天間の移転っていうことは、知事のテーマだし、移転してくれるのはありがたいことだし、そして、規模縮小案だったから、余計、知事はうれしかったんですね。ところが、名護の市長が併用論を出してから、小規模基地でなくなったんですね。1000メーターの滑走路を持つなんて話に戻っていったから、知事はそのころは、もう地元の話に任せていて自分の意見を言いませんでしたね。

江上:なるほど。海上ヘリポートから海上基地に変わっていって、大田さんが想定していたような規模の小さな移転先でなくなってしまった。それで、大田知事自身もだんだん身動きが取れなくなっていったっていうことでしょうか。

下河辺:身動きが取れないっていうか、むしろ名護の市長の言うとおりにしようと思ったわけですよ。米軍とはまた意見が違っちゃって、で、知事と米軍とは考え方が一致しての移転だったんすね。それが市長さんの意見で、ちょっと大規模化が進んじゃったっていう。

江上:岸本名護市長の考え方に従うと結局、大幅な縮小という形で移転したいという大田さんの本来の考えから離れていったんですね。

下河辺:そうです。

江上:普天間移設をめぐっては県民も意見が分かれました。

下河辺:そう、で、まあ、アンケート調査とか選挙のたんびに、どうもちょっと、厳しい意見ではなくなってきたわけですね。だんだん沖縄で、米軍の駐留を認める方向へ、世論は動いていちゃったから、そのときに世界情勢が転化して、米軍が出て行くっていうような情勢とまったから、ちょっと意見がすれ違っているんすね。そこへ小泉さんが出てきて、有事の沖縄なんていうことを古めかしく言ったから、米軍とも離れ、県民とも離れちゃって、いるのが現在じゃないですかね。

江上:日本政府と大田県政は結局、関係修復ができなかった。大田さんは知事選で「海上基地反対」を掲げて、学者知事としての筋を通した形になりました。下河辺先生のお話によると、大田さん自身がそれを望んだということでしたが、しかし橋本首相をはじめ日本政府としては、それは約束が違うじゃないかという思いだったでしょうね。

下河辺:約束っていうのは。

江上:ですから、沖縄側が望んだ普天間返還を橋本総理がアメリカ政府と一所懸命、掛け合って実現したわけですから、それで、それが条件付だったわけですけれども、名護移設に向けて大田知事が骨を折るのが筋じゃないかと橋本首相は考えられたんではないですか。

下河辺:いやあ、あまりそう思っていないんじゃないすか。

江上:そうですか。

下河辺:移転ということはいまだに消えてないわけでしょ。だから、移転するんじゃないすか。それで、不思議なことになったのは、大田知事が国会議員になっちゃったっていうことで、あんな当選したって、国会での発言権って小さいけれども、1回発言しましたよね。それは、米軍の沖縄から撤去するのはいつかっていうような質問に終始したんですね。そうすると、情勢しだいでやがてでしょっていうような答弁しか期待できませんよね。

江上:そうですね。まあ結局、国政では沖縄のために活躍する場は小さくなりますね。

下河辺:だから、私は彼は学者になって、戻ってりゃあいいのにと、思ったのね。で、学者としての発言の方が、みんなから注目されると思うんですね。だから、参議院議員からなんか言っても、当然のような話になるんで

江上:いろんな事情があったのかもしれませんね、参院に出ざるを得ないような。社民党に担がれたというのもあるのでしょうし。
下河辺:社民党とともに滅びちゃうんじゃないすか。

江上:でも今度の選挙で、社民党は2議席を沖縄で取りましたからね。

下河辺:そうね。


●吉元副知事、不再任の影響

江上:共産も1議席を取りましたから(笑)。この結果は日本全体の社民、共産退潮の流れとまったく逆ですから(笑)。これも不思議な現象です。
 話は変わりますが、吉元副知事が結局、再選されなかったということは、先生がいろいろ作業なさる上でマイナスとなることが大きかったんでしょうね。

下河辺:いや、辞めたからプラスになったから、どっちがいいかわかんない。

江上:プラスもあったんですか。

眞板:プラスはどういうのがあるんですか。

下河辺:いやあ、知事の考え方と違う場合なんかは、やりやすかったよね。吉元が担当してやっていると、反対するのが、ちょっと憚られた感じだ、でも、だんだんと吉元が県庁や大田県政から離れると、私にとっては頼みやすかったね。で、政府の方も吉元を信頼して、大田知事を信頼してたわけじゃないから、辞めても政府は吉元に相談したりしていたからね。

江上:稲嶺県政になってからも、吉元さんは政府とのパイプ役をやっていましたね。

下河辺:そう、やってましたよ。

江上:そうですよね。

眞板:あの、じゃあ、そうすると、前後しちゃうんですけど、先生のご認識では政府と大田さんというのは、大田県政がなくなるまで、そんな関係は悪くなかったという。

下河辺:悪くなかったですよ。

眞板:実は県内のマスコミの方に伺うとですね、だいたい、吉元さんが再任を否決される97年の秋口くらいからですね、その政府とのパイプが目詰まりしだして、関係が悪化していくというような分析をなさっているかたが、案外、多ございまして、で、最終的に政府から見放されちゃうと、沖縄はどうしても、こう財政依存していますんで、不利益をこうむるということで、地元の財界の方は、じゃあ大田の対抗馬を立てようということで、稲嶺さんを立てて、という解説を。

下河辺:それは、おかしい、そんな話じゃつながんないと思うの。自民党系の人で、知事を立てたいっていう仕事は、政治的に当然なわけよね。革新系の知事でいい、なんて思わないですよ。だけど、そのことと、吉元がどうだっていう話とは関係ないのね。吉元を使って、政府の窓口をして欲しいわけ、それは革新系も保守系も両方ともそうなんです。

江上:いっしょなんですね。

下河辺:そいで、彼がともかく東京へ来て、政府との折衝をして、補助金のことから何からみんな整理していたわけです。

江上:そうなんですか。

下河辺:大田さんっていうのは、結果だけを聞きに来たことはあっても、折衝する人じゃない。

江上:ということは、副知事を降りてからも吉元さんは政府とのパイプ役をやり続けていたんですね。そのことと知事選の動向とは関係ないわけですか。

下河辺:私と古川官房長官と吉元の関係は、ずっと続いていましたよね。

江上:そういうことですか。確かに、保守系の人たちや経済界の人にとっては、革新系の知事よりはやはり、自民党系の知事の方がいいですからね。

下河辺:そりゃそう。

江上:そっちのほうを担ぎ出そうとしますよね。特に海上基地反対というようになると、真っ向から政府と対立する形になりましたからね。それと吉元さんの再任否決はちょっと違うんですね。

下河辺:橋本さんたちにすると、ずるく構えて、自分たちでアメリカに言い辛いところは、大田知事なら言うだろうっていうような悪さもあったと思うね。

眞板:ただ、吉元さんが、副知事という立場からお離れになってしまうと、知事の公式的なメッセージを、公式的というか本音ですね、たとえば、海上ヘリポート基地に反対表明って言っても、選挙民向けにそうは言うけども、本音としてはこうですよ、みたいな、えーなって言いますかね、ネゴシエイションというか、を言う人間がいなくなっちゃうんじゃないですか。

下河辺:いなくて、いいじゃないの。知事が本当にどう思っているっていうことが、政府としては聞きたいわけで、戦略的な話を聞いてもしょうがないわけでしょ。だから、知事は本当は何を考えているのっていうことを吉元あたりからちゃんと聞きたいんじゃない。

眞板:それは副知事を離れても、あまり差し支えはなかったということですか。

下河辺:差し支えっていうよりも、彼がよく勉強しているから、役に立っているよね。

江上:でも大田さんはその吉元副知事がいなくなったことで、かなり困ったでしょうね。各方面の交渉の大半を吉元さんに任せていましたからね。

下河辺:いや、それはもちろんそうでしょうね。


●海上基地のプラン

江上:やはり吉元副知事が否決されたあたりから、大田県政はいろんな面でギクシャクしてうまくいかなくなっていきますね。
 ところで海上基地についてですけども、先だっての話で60年代にアメリカ海兵隊にプランがありましたけども、その辺のプランと先生はずっとやっぱり関わってきたということですか。

下河辺:いやいや、そうじゃなくて、この60年代のプランっていうのは、どのことを言っているかによって違うんですよね。

江上:いろいろあったんですか。

下河辺:60年代のプランっていうのは、私たちの認識だと、アメリカの埋め立て業者のプランっていうことで、梶山官房長官のところへそれが送られてきて、官房長官が、普天間移転ということをアメリカが認めたから業者が出してきたんじゃないかっていう認識になったわけですね。

江上:はあ、そういうことですか。

下河辺:そして、どうなっちゃうか、反対が激烈になっちゃうんじゃないかって、言っていたら、意外と漁民が賛成しだしたから、そういう方向にちょっと向いたんですね。

眞板:というと、海上ヘリポートのような案がベクテルからあったという話がございましたよね。この埋め立ての業者のプランっていうのは、また違う業者?

下河辺:いや、その、そのことです。

眞板:あっ、そうですか。

江上:ベクテルですね。このベクテル以外にもあったんですか。

下河辺:いやいや、なかったんじゃないすか。

江上:でも、橋本首相が海上ヘリポート構想を打ち上げたその前あたりに、すでに日本の業者やアメリカの業者がいろんなプランを先生のところに持ってきたんですよね。

下河辺:そうですね。

江上:何社くらい持ってきたんですか。

下河辺:いやあ、そのアメリカのプランが中心で、梶山さんが議論してましたから、我々もそういう議論してましたけど。

江上:日本の業者もいましたですよね。海上の、なんといいましたかね。

眞板:ヘリポートみたいな、ぷかぷか浮いた、フローティングですね。

下河辺:フローティングのあれ。

江上:ありましたよね。そういうのが。

下河辺:あったんですけども、フローティングっていうことで、漁業を守ろうとしたわけですね。

江上:そうですよね。

下河辺:ところが、漁民が賛成しちゃったら、そんなお金かけないで、安上がりの埋め立ての方がいいっていうことにすぐなったんじゃないすか。


●海上ヘリ基地と日米建設摩擦の関係

江上:それで海上ヘリポートも消えていくんですよね。沖縄の海を傷つけないようにといろいろ苦心惨憺して海上ヘリポート案が出てきたんですが、地元の業者たちが地元に多くの金を落とすためには大規模にやったほうがいいとなっていくんですから、皮肉な話ですよね。
 ところであの海上基地については当時の日米構造協議とか日米建設摩擦とのからみがあったんでしょうか。

眞板:確か橋本内閣が課題としていたのは、日米構造協議があったと思うんですよ。で、その中に先生もお関わりになられていますけど、保険問題とか、あと通信の問題とか、あと建設の問題。建設摩擦。だいたい大きく3つくらいのテーマがあったと思いますが、その時期的なタイミングでこれは邪推かもしれないんですが、建設摩擦を回避するために、アメリカのゼネコンを日本の公共事業に参入させて、それのパイロットケースとして、普天間の跡地の建設をこうやらせようとしたんじゃないのかと、いうように思ったんですけども、そういうこう日米関係との関連性っていうのはどの程度あったのかなと思ったんですけど。

下河辺:いや、そういう議論はあったけども、結局、アメリカの建設業者が、日本へ来て建設事業やる気はなかったんです。

眞板:あ、そうなんですか。

下河辺:だって、何がメリットになるの? 入札価格でアメリカから持ってきて、勝てるわけがないじゃない。だから、彼らは日本の建設業者を使う発想しかできない、わけなんです。そうすると、使う分だけコストが高いじゃない。だから、現実的にはあまり日米構造協議でアメリカの建設業者を使え、なんて話は話だけで現実的じゃないわけ。むしろ、それよりは日米構造協議としては日本が公共事業をやることで、内需拡大をすると、日米の貿易にいろいろプラスが出てくるんじゃないかっていう、ことだけ議論したのね。

眞板:県内的に見ますと、国場組がベクテルとJVを組もうとして、ベクテル案を国場組は一所懸命、推していたというような話も地元では伝わってはいるんですよね。

下河辺:いや、だから、日本にやらせることで、自分でやるんじゃないってアメリカの企業が、もし、アメリカの業者に頼まれることがあったら、国場組に下請けさせようとしていたわけでしょ。

江上:そういうことですか。

下河辺:だけど、実らなかったんじゃないですか。

江上:昔から国場組アメリカの基地の仕事をやっていましたからね。

下河辺:そうです。


●大学院大学構想について

江上:あとは大まかな話をお伺いして、そろそろ総括の方へ移りたいと思いますけども、先生はこのメモでいろんな構想を出されて、その中でまだ実現していないのもありますし、まだこれから可能性があるのもありますけども、いまの大学院大学構想がもっとも実現に向っているような感じがしますが。

下河辺:いやあ、もう年取ったから、関係ないけれども、いま、大学についての討論がようやく政府の中で始まったわけでしょ。

江上:はい。

下河辺:だから、大学の改革論っていうのは、どういう結論になるかっていうのと、沖縄の大学院大学構想と、非常に関係が深くなりましたね。

江上:そうですね。大学改革のいろんなプランとかアイディアがいま、いろいろと出ていますね。

下河辺:そうですよね。

江上:そうすると、沖縄の大学院大学構想もそういった大学改革の一環となる可能性があるということですか。

下河辺:一環になってきている。

江上:前例のない大学として。

下河辺:独立法人としての新しい沖縄の大学の構想を練る必要が出てきてんじゃんないすか。
江上:そうですね。国立大学はまもなく全部が消滅しますからね。

下河辺:そうですね。

江上:そういう意味では、大学改革という組織論の観点から見ても、この沖縄の大学院大学構想というのは面白いということですか。

下河辺:そうです。

江上:新しい大学のあり方が検討されている時期での構想ですからね。

下河辺:私は具体的な点では、終身雇用制なくそうと、で、5年契約っていうことが可能なような道を開けっていうのが、沖縄大学院に対するひとつの見方ですね。それで、大学の自治っていうことを本格的なものにするっていうことで、もうちょっと知恵が要るんじゃないかっていう。なんか、文部省の監督の下に、なんか自治って言っているような感じがあって、ひとつも自治じゃないって言ってんですけどね。

江上:(笑) いまの大学の独立行政法人化はそんな感じがします。文部科学省の監督がとれないままで大学の自主性を謳っても中途半端な感じがします。教員の任期制については、すでに取り組んでいる研究所や大学があります。

下河辺:あるんだけれども、なんか生活の保護とか、失業手当とか、社会保障の点ができないのね。

江上:なるほど。

下河辺:終身雇用を前提にして作ってあるからね。だから、時間制の簡単に言えば、パートタイムの人たちの厚生福利事業が、どうなるって問題と同じになっちゃったのね。なんかこのへんの喫茶店で働いている女の子と大学の先生が同じテーマになっちゃう。そのあたりは、なかなか解決しないかもしれないね。

江上:確かに難しい点があるでしょうね。でも5年くらいの契約にしたら、むしろ外国からは研究者が来やすいんではないでしょうか。

下河辺:いや、むしろそう望んでいるわけでしょ。

江上:そうですよね。

下河辺:だから、沖縄なんかでも、アメリカの先生たちが来たいっていう面はあんですよね。特に志願兵の中にいるんですね。医者でも哲学者でも、沖縄の大学で勉強したいっていう。だけど、なかなかちょっと日本の文部省が、大学論をそこまで弾力的に考えることが、いまんところはちょっとできないんじゃないですかね。

江上:そうですか。もうちょっと、日本の大学の先生たちをもう少し動けるようにしたほうがいいと思いますね。私は早稲田大学に移る前に、琉球大学に25年半いましたが、その間、できたら北海道とかあちこちの大学に行ってみたかったなあといまでも思います。

下河辺:いや、動けっていうと、現在の自分たちを守ってくれっていう動きにしか、なんないだよ。

江上:そうですか。

下河辺:国際化しようなんて先生、いないんじゃない?

江上:(笑)そうですか。そういう意味では、大学院大学に先生は期待をもっておられるんですか。

下河辺:いやあ、日本の大学を沖縄でなくてもいいから、そういう大学でき
ないかなあって思うね。そういうとき、国として作りやすいのは、新しく作るんなら、沖縄じゃないかなあっていう。

江上:沖縄の方が作りやすいですね。北海道も前に検討されたことがあったとおっしゃってましたけども。

下河辺:あるんですけども、北大が強くて、国立大学だから、拘束されてて、なかなかうまくいかなくて、

江上:そうですね。北海道で北大が強いですね。

下河辺:本当は北大の連中が自分たちの大学潰して、新しい大学作るくらい元気があるといいんだけども。

江上:まあ、大学という組織は保守的な傾向がありますから(笑)。

眞板:沖縄開発庁の事務次官経験者の方に、大学院大学構想について、ちょっと聞いてみたんですよ。そしたら、国が旗振り役で作るは結構だけれども、地元が欲しいって言ったわけじゃないんでしょと。で、そんなもの沖縄に作ったって、場所だけ貸しているだけで、地元はありがた迷惑なんじゃないのかねっいうようなお応えが返ってきましたよ。

下河辺:それは、沖縄頼んだことがないんじゃないすか。だから、文部省の役人にすれば、頼まれなきゃやんないすよ。だけど、頼まない方がいいね。新しい大学を作ることが、消えてっちゃうよ。頼んだら。


●沖縄問題に関わってきた感想

江上:それで、おおまかな感想でよろしいんですけども、先生は復帰前の1970年から今日まで34年間の長きにわたって沖縄に関わってこられました。沖縄の問題は、基地の問題と経済振興の問題がいつも出てきて今日まで変わらないのですが、まあ、そういった沖縄問題に長い間、関わってこられて、どんな感想をお持ちでしょうか。

下河辺:いやいや、要するに時代の変化が激しくて早いっていうことに、ひたすら驚いているね。だから、その時代、なんかの変化の大きさと速度っていうものに、対応した沖縄を論ずることをやらないと、現実的なテーマにならないね。だから、復帰のときから付き合った、私にすると、その国際的な状況の変化が、一番大きなテーマね。もう、戦争のためとか有事のためとか、そんなテーマがまったくなくなったっていうのは、当時からみると考えられないもんね。

江上:ということは、沖縄を取り巻く国際状況は非常に早く変化しているので、そういった変化に対応していきながら、沖縄の将来の方向性を見つけるべきであるという御意見でしょうか。

下河辺:見つけるべきっていうよりも、それしかないんじゃない。

江上:確かに、東南アジアや東アジアの諸国もかつては貧しいと言われていましたけども、ずいぶん発展しましたよね。

下河辺:いや、それでもまだ、貧しいっていうのは、たとえば、医療の点とか、なんか福祉行政の点とか、遅れている面がいっぱいあるわけでしょ。

江上:それはありますね。

眞板:経済振興に関連しますけれども、沖縄にとってのテーマっていうのは、常に自立型の経済へ進んでいくんだというようなことが、叫ばれておりましたが、先生のお考えとしたら、自立っていうのは、どういう状態になったら自立とか、経済的に見ると、これが自立型の経済であると、いうふうにお考えでしょうか。

下河辺:自立っていう言葉は、いろんな理解があるけれども、いま言っている自立っていうのは、成功してんじゃない。というのは、あれだけ、たくさんの若者が、入り込んで、めし食ってんだもんねえ。人口があんなに増えるなんていうことは、倒産以外ないって、我々は思っていたわけだから、それがいま人口が百、、、、

江上、眞板:135万くらいです。
下河辺:くらいでしょ。70万超えたら、大変だってなことを議論していた時代から見ると、物凄いよね。で、彼ら、本当にどうやって食ってんだろうね。

江上、眞板:(笑)

下河辺:結構、楽しそうだもんね。失業率が高いことで、まためし食っている面もあんじゃない。失業手当を当てにした生活も出てきていて、なんかさっきの労働組合なんか、がっかりするほど組合に頼ろう、なんていう青年じゃないんじゃない。で、戦争を知らないっていう、青年があれだけ集まっちゃったっていう、それは過疎県にしたら珍しいしねえ。沖縄戦争知っている人から見りゃあ、なんか、ぜんぜん、不可思議な青年が、いっぱい集まっちゃったわけでしょう。それでもその青年たちが、琉球の伝統を守ろうとしたりしてんのはいいね。そういう意味じゃ、本当に戦争のころから、復帰のころから、こんにちまでの沖縄との付き合いっていうのは、まったく変化したね。いまの心境としたら、私が沖縄に対応する必要はまったくなくなったって思うね。もう自力でなんとかなっていくから、私のような年寄りが、でしゃばって、口をきくようなことは、一切なくなったね。

眞板:じゃあ、その意味で、本土並みになったということなんですか。

下河辺:「並」って言葉はなんなのかね。並にはなんなくていいんじゃない。あの当時、核抜き本土並みって言ったのは、一人当たり所得を47都道府県の中で、何番目に持っていくかってな議論しかしてないわけでしょ。何番目でもいいんじゃないすかね。幸せなら。

江上:先生は別に本土並みを目指す必要はないと、常々、おっしゃっていますね。

下河辺:本土並みって意味がわかんないから、答えようがないよね。

江上:別に沖縄は沖縄独自のやり方で、やっていけばいいんじゃないかと。

下河辺:そう、だから、人によると、なんか一人当たり所得が、同じになる
かそれ以上になれば、沖縄、本土並みって言うんだっていうけれども、それは単なる算術上の問題でね。幸せかどうかっていう考え方とは違うよね。

眞板:ただ、やはり所得格差の部分はよく出てきますね。県内では。

下河辺:高すぎるって?

江上:(笑)。

眞板:全国平均から比べると、7割だとか、やれ7割きっちゃったとか、そういう話ばっかりですね。で、要は平均値になれば、そういう意味では、ああ県内的には本土並みっていうことなのかなとっていう気もするんですけど。

下河辺:そんな気するかねえ。

眞板:いやあ、よくわからないです。

下河辺:無理矢理して、公害で自然が壊れたり、人々の気持ちがすさんだり、っていうようなことになっちゃうとしたら、嫌なんじゃない。


●新全総の「沖縄開発の基本構想」

江上:ところで新全総の中に、沖縄が返還された後で、第4部に「沖縄開発の基本構想」が付け加えられます。ここの文章は先生が書かれたんですか。
下河辺:そうですよね。あのころ、私がやってたから、なんか復帰したとたんに追加したんですよね。

江上:そうですね。だから、新全総の改訂版にはこの沖縄の部分が入っていますね。

下河辺:そうです。

江上:そうですね。

下河辺:だけど、そのころは、70万っていう人口にこだわって書いたから、いま見ると実態とはずいぶん違っちゃいましたね。

江上:この「沖縄開発の基本構想」には、先生の沖縄に対する考え方が一番よく表われているなあと私は思うんですが。

下河辺:考え方をまとめたと思って、いまでもそれでいいと思うんですけどね。

江上:そうですよね。沖縄に対する先生の基本的な考え方がよく出ている感じがします。

下河辺:その人口についても、沖縄から人々が海外流出することが、いまでも重要だと思うんですね。だから、100何万っていうようなことの方が、不自然であって、もっと出たらいいと思うんですけども。ただ、人口増加が、本土からの流入人口が多いってなると、変な話ですよね。

江上:たしかに変な話です(笑) いやあ、ほんとに。この「沖縄開発の基本構想」には、沖縄の進路はこうあるべきだという先生の基本的な考え方がよく出ていると思うんですが、残念ながら、一次振計、二次振計、三次振計の結果は、必ずしもその通りにはならなかったですね。とくに先生が強調されたアジアとの国際交流の推進とか亜熱帯の特性の活用などは一次振計などではずいぶん優先順位が落ちてしまいました。

下河辺:そう。ただそれをやったのは、昭和47年ですから、だから、元の沖縄県の計画がずっと出てきたけども、それを基本にしてますということは、毎回言ってんですね。だけども、具体性のテーマってなると、あんまり具体的じゃないから、やっていないような感じになるわけですけどね。


●沖縄の日本復帰の是非

江上:いま沖縄は日本の中にあるわけですけども、沖縄は日本に復帰してやはりよかったんでしょうか。

下河辺:いや、良かったって、、、、

江上:難しい質問でしょうが。

下河辺:九州だって、独立したいっていう意見はいっぱいあるわけだし。

江上:そうですね。私も九州出身ですから、子供に頃、そういう話をよく聞きました(笑)。

下河辺:沖縄だって独立したいっていう意見があって当然であって、だけど、佐藤内閣が折衝して、戻ってきて、ノーベル賞までもらったっていう歴史は、やっぱり、記録されるんじゃないすかね。だけど、これからどうなるかっていうのは、誰にもわかんないんじゃないすか。ただ、ちょっと言えんのは、沖縄の若者に独立するエネルギーがないんじゃないかっていう、ふうには思いますね。

江上:そうですね。実際に独立する、独立しないは別として、独立するくらいの気概は必要ですよね。

下河辺:いやあ、それはあったほうがいいと思いますよ。

江上:あったほうがいいですよね。確かに先生の御指摘のように、いまの沖縄の若い人たちの中で独立したいと言う人はいませんね。

下河辺:だけど、大田さんじゃないけれども、戦争を知らないよそ者の沖縄ですからね。

江上:そうですね。

下河辺:そんな激しい意見になりっこないですよね。

江上:ならないですね。大田さんは過酷な沖縄戦を体験していますからね。

下河辺:あの人は、初めから終わりまで沖縄戦をベースに考える人ですからね。

江上:そうですよね。それだけの体験をしておられますからね。

下河辺:そうなんです。

江上:そういう体験をした沖縄の人びとは非常に少なくなりましたからね。それと同時に、やっぱり沖縄が豊かになったんでしょうね。

下河辺:それは豊かになってますよ。

江上:だから、ハングリー精神もないですよ(笑)。豊かなんですから。

下河辺:豊かっていう意味は、お金の上でフィジカルに豊かっていう意味では、まさに豊かですよね。そのことが幸せかどうかっていうと、琉球時代の方が幸せだったかもしれないよね。


●これからの沖縄の視点

江上:そうですね。先生も当初から考えておられたと思うんですけども、沖縄は東京ばかりに目を向けずに、もっとアジアのいろんな国々に目を向けて出かけるべきではないでしょうか。かつての大航海時代のように近隣アジアとのいろんな交流の中で進路を見つけられるような、そういうふうに時代が来ればなあと私も思います。先生もそういうことをお考えになりながら、蓬莱経済圏などを構想されたんじゃないかなあと考えます。そういう時代がこれから先、沖縄にやって来るでしょうか。

下河辺:来るっていうよりも、来させないといけないんじゃない。

江上:来させないと。

下河辺:だから、県民たちが東南アジアとの交流について、具体的な提案を
する時代に来てんじゃない。それは、米軍の医療のこともあるけれども、いろんな情報センターとしての役割っていうところも来たけども、それ以上に何か、共通のビジネスを作るっていうことができるといいって、思うのね。

江上:そういう意味では沖縄自らがこれから努力して必要もありますが、まだまだ沖縄には可能性があるということでしょうか。

下河辺:いやあ、とにかくそういう人が出てこなきゃ、だめなわけよね。だから、沖縄人、琉球人っていう人の中で、どういう人が出てくるかっていうことが、期待ですよね。

江上:沖縄を新しい世界に導いていき、沖縄の新しい時代を築くような人材を輩出して欲しいということですか。

下河辺:それは、小さな仕事でいいんですよね。大げさに世界を引っ張っていくなんていうことを期待しない方がいいと思うけど。特に漁業なんていうのは、これからどうなりますかね。糸満漁業がどうなる、なんていうことで、糸満の青年たちが、いろいろ考えるといいと思ったりするしね。

江上:そういう小さいところから育っていく人材が、、、

下河辺:そう。

江上:そういうことですね。

下河辺:砂糖なんかでも、沖縄の砂糖が、キューバの砂糖と違う何かを訴える必要があって、量的に戦おうと思うと、生産性が低くて、とても勝てませんけどね。だから、塩でも砂糖でも、このごろは少数の特色のある砂糖とか塩を売るようになってきましたよね。塩のほうが先に、いまそうなって。

江上:そうですね。そうなってますね。

下河辺:いますけどねえ。これから、いま、日本じゃあ、なんかエベレストのなんか西洋型の塩の種類をたくさん売ったりしているけども、琉球砂糖っていう、たくさんの種類の砂糖を作ったりしたら、面白いと思うけどね。

江上:私は常々、不思議に思っていたんですけども、サトウキビを栽培しているところはほとんどラム酒がありますよね。

下河辺:んっ?

江上:ラム酒です。

下河辺:ああ、ラム酒。

江上:沖縄はラム酒がないんですよね。

下河辺:ああ

江上:これはなぜかなと(笑)

眞板:先生、復帰前に一軒あったんです。

江上:あ、ラム酒屋があったんですか。

眞板:はい。中城あたりに。潰れちゃったの。

江上:泡盛に勝てないの?

眞板:はい。主に米軍向けに売っていたみたいで、アメリカ兵は飲むんだけれども、どうも沖縄の人は飲まない。

江上:ラム酒を飲まない?

眞板:ええ。

江上:だって、奄美は黒糖酒がありますよ。

眞板:ありますからね。

江上:黒糖焼酎だから。

眞板:そういう意味では、沖縄って不思議なところなんですよ。自分のとこ
ろで作れる作物で、酒を造るんじゃないんですね。輸入物ですから。

江上:タイからね、いまでもタイのコメを輸入して泡盛造っていますからね。

眞板:酒文化論で考えると、すごく面白い。

江上:しかし、泡盛の酒の文化が長かったから、それに比べればアメリカ支配の時間って短いからね。

下河辺:でも、泡盛だって、国産じゃないでしょ。沖縄産じゃないんじゃないすか。本来。

江上:タイに泡盛のルーツがあります。

下河辺:どっからか、知らんけども、入ってきたんじゃないすか。

江上:そうそう、タイからですよ。いまでもタイの奥地に行くと、泡盛に似
た味の古い酒があります。もう一般には販売されておりませんけども。それは本当に昔の泡盛の味とよく似ています。

下河辺:そうですか。

江上:だから、泡盛は本来、輸入物だったんですね。輸入物だったのをその造り方をまねして、沖縄で造るようになったんですね。

下河辺:沖縄っていうのは、そういう国際的文化センターだったんですよね。

江上:いろんなものを海外から取り入れてミックスさせるんですね。

眞板:ただ、土着的なお祭りですと、やはり、お神酒みたいなのが出てくるんですよ。本土の方のお祭りと同じ、どぶろくみたいなのをみんなに振舞ったりして、

下河辺:島津藩と付き合ったあたりから、そういう影響を受けたんじゃないすかね。

眞板:かもしれないですね。

江上:どぶろくみたいなのがあるの?

眞板:ありますよ。

江上:ふうん。

眞板:あの大宜味の塩屋湾あたりで2年に1度やるんですが、うんじゃみ、あの海神祭っていうんですけど、蔵元の家がだいたい3軒くらいあって、それを持ち回りで。


●下河辺氏にとっての沖縄の未来

江上:そうですか。それは、先生がおっしゃるように島津藩あたりと接触したあたりからでしょうね。
 さて、最後の質問になりますけども、下河辺先生が長い間、沖縄と関わられてきましたが、下河辺先生にとって沖縄というのはどういう存在だったんでしょうか。

下河辺:どう言ったらいいでしょうね。まあ、佐藤内閣の復帰の問題あたりから付き合って、楠田實っていう新聞記者が盛んに追い回してきたりして、なかなか面白かったですけどね。しかし、さっき言ったように、世界やアジアの政治的な軍事的な情勢が激変したから、最初、考えたり言ったりしてたことと違った沖縄になりましたよね。そして、こんにちになって、やっと有事としての沖縄よりは平和の沖縄っていうテーマに戻ってきたから、この歴史が将来、どういう展開を示すかっていうことに、一番興味がありますね。だけど、私の命はここでおしまいだから、沖縄どうなるか、楽しみにして、ま、去っていくことになるでしょう。

江上:そういう意味では、先生は沖縄の未来については明るい見通しをお持ちなんでしょうか。

下河辺:ええ、とても明るいと。

江上:そうですか。

下河辺:ええ。その20世紀っていうのが異常でしたよね。世界大戦が繰り返されたりして、最後は冷戦っていう第三次大戦を経験して、それが終わって、21世紀、22世紀はどうなるかで、私は22世紀が非常に期待される世紀だと思うんですね。そのために、21世紀をみんなで頑張んなきゃならん、と。地球と人類との関係をひとつの方向を見つける一世紀であって欲しいって思うんですね。

江上:20世紀は戦争の世紀だったといわれますが、

下河辺:そう。

江上:先生のお言葉を借りると、21世紀は平和を創り出す世紀であって欲しいと。沖縄も本来、平和を愛する人々の島ですからね。

下河辺:人類が地球に住んだことや、地球が宇宙の中でどういう惑星であるかっていうことを思いながら生きていく世紀になるんじゃないすかね。

江上:そうですね。是非そうあって欲しいと思いますし、沖縄もその中で平和に貢献できるような役割を是非担っていってほしいですね。

下河辺:沖縄っていうのは、東京からの遠隔地じゃなくて、地球の一点ですもんねえ。

江上:そうですね。

下河辺:すべての地点が地球のワンポイントという形で存在を議論するようになるでしょう。人類と宇宙とか地球っていうのは、これから面白いテーマにどんどんなっていくんじゃないすかね。

江上:ありがとうございました。最後は含蓄のあるお話を聞かせていただきまして本当にありがとうございました。

下河辺:ご苦労さまでした。

(了)

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: