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「祝旗」の読みは「しゅっき」。初出用例は1911年「東京年中行事-五月暦」とされる。毎年の海軍記念日 (日本海海戦1905年5月27~28日にちなむ) に走る花電車を飾る旗を指してこの語が用いられた。旗行列は、毎年、陸軍記念日(同年3月10日の奉天会戦にちなむ)と両方で学童も動員して行われた。「いわいばた」と読むのは誤りだが、いずれにせよ死語である。使用される旗はことごとく日の丸の小旗だが、花電車だけは旭日旗も飾られる。大正 函館護国神社祭礼 花電車http://www.hakobura.jp/deep/images/13-t110826.jpg(・・・ところで、函館の街に最初に花電車が運行されたのは、1914(大正3)年8月14日から15日にかけて。函館護国神社大祭に合わせて運行されたと記録されています。・・・http://www.hakobura.jp/deep/2013/06/post-240.html )明治 凱旋祝いの花電車・花馬車・還幸奉迎花電車(錦絵)http://31.media.tumblr.com/47ec0721b62cb8871a729db05429131b/tumblr_mqg0zhwBVP1qbn3ato1_500.jpg (1904年 交通運輸 9月2日 遼陽一部占領を祝して東鉄の「装飾電車」が運転された。の花電車第1号。http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1904.html)(絵はがきによれば、旭日旗の使用は限定的である。http://www.ehagaki.org/post/kind-j-5-2.html )記念メダル 東京市日露戦争祝捷会http://kahuetaisyourouman.web.fc2.com/zatubutukan/toukyousigaisen.jpg 昭和前期東京女子師範学校 南京陥落奉祝 旗行列 写真集 (漢口陥落を含む)http://archives.cf.ocha.ac.jp/exhibition/a_ph_148-164/a_ph_163-0001.html大津市 近江神宮創建奉祝 旗行列 写真http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/shashin/data/ks_429.html 紀元2600年奉祝 旗行列 写真http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/hinomaru.jpg昭和中期國士舘大學(柴田徳次郎総長時代) 海軍記念日祝賀行事 旭日旗を先頭に分列行進http://pds2.exblog.jp/pds/1/200611/08/81/f0018981_191660.jpg 五月の節句にフラフ (フラッグの訛り) を掲げる地方がある。伝統的な幟(のぼり)を西洋式の旗の形に変えたものだ。これはお祝いの旗だが、「いわいばた」ではない。絵柄は伝統的な武者絵であり、一般的に日足紋や旭日旗ではない。
2013/08/16
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サッカー日韓戦に旭日旗を持ち込んでもよいか否か、という議論について、韓国側はかなり苦戦しているようだ。そもそも偏狭なナショナリズムに染まっている韓国のスポーツ団体や報道機関には、そのような問題提起をする素養には欠けているかもしれない。サーチナの論説を担当している「如月隼人」氏の韓国への忠告は秀逸であり、wikipediaの典拠としても援用され、さらに尾鰭も付いて拡散している。 サーチナ 社会ニュース2013/04/16如月隼人・記『韓国世論「旭日旗とナチス党旗を同一視」の大いなる誤解』http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0416&f=national_0416_026.shtml しかし、ここで如月氏がいうように、日の丸が国旗になったのは、当時から日本人が「めでたい」と感じて愛好していた意匠の一つだったことにある、とするのは、歴史と伝統文化への深い理解に基づく正確なものだろうか、大いに危惧している。 問題の部分を下記に引用する。・・・・ヒトラーが政権を掌握した後の1935年、ナチス党旗は正式にドイツ国旗になった。■特定思想には無縁だった日章旗と旭日旗 一方、旭日旗は日章旗(日の丸)が土台になったデザインだ。「日の丸」そのものは平安時代末期から使われ、縁起物として江戸時代には普及していた。日章旗の起源は、世界的にも珍しくはない「太陽信仰」であり、民衆も愛好したデザインだった。人々は要するに「めでたい」と感じたから「日の丸」を好んだわけであり、「思想的背景」がとくにあったわけではない。 日章旗は1859年、徳川幕府によって日本の国旗として採用された。明治政府も国旗として用いることにした。国旗というものはたいていの場合、国としての理念や歴史をデザイン化したものだ。革命や独立など、苦難に満ち、犠牲者の血で彩られた歴史を反映している場合も珍しくない。 日章旗の場合、素朴な太陽信仰を起源に持ち、多くの日本人が「そのデザインが好きだった」ということで、最終的に国旗にもなった。誤解を恐れず言えば、"きわめてのん気"にできあがった国旗であり、そのデザインの背景は「争いごと」と無縁だった。 旭日旗は、中央に配した「日の丸」が16条の光線を放つ意匠だ。1870年の太政官布告第355号で、「陸軍御国旗」として正式に定められた。1889年には海軍用として、陸軍の軍旗の「日の丸」部分の位置をやや旗竿に寄せるデザインの「軍艦旗」が制定された。 旭日の意匠は軍旗として採用されるはるか以前から、「めでたさ」を強調するために、民間で祝い事などに用いられていた。 ・・・・・(引用終わり 傍線、太字は引用者による) 日の丸のはじまりは平安時代か?同氏は平安末期に日の丸が成立したといっている。しかし、平安時代、白地に赤い日の丸紋を船印にしたのは朝敵のアテルイで、公家や平家はむしろ赤地に金丸の意匠を好んでいた。鎌倉末期の後醍醐天皇からは、一転、朝廷の旗となった。建武の新政が混乱の中で潰え、京都の天皇(北朝)に叛旗を翻した後醍醐帝は、都の奪還を図る身となって初めて白地に赤い日の丸(日章旗)を採用した。 日の丸は江戸時代から縁起物か?同氏は、江戸時代には日の丸(日章旗) が 「縁起物http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%89%A9/ 」 として普及したと流暢な日本語で弁じる。しかし、寺社で売られたり、お正月の門松 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%96%80%E6%9D%BE/ の類であったりした事実は無く、多少なりとも江戸時代に関心がある者から見れば、表現に不備がある。日の丸が正月に登場するのは、男の子向けの遊具である凧 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%AD%A3%E6%9C%88/%EF%BC%BB%E7%94%BB%E5%83%8F%EF%BC%BD/81306024004638/ 、または、女の子向けの羽子板に「初日の出」が描かれるものの場合である。 他方、床の間を飾る正月の掛軸には、霞を通して透けて見えるかのような穏やかな赤い太陽の図 (伊藤若冲 旭日鳳凰図 http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/images/2011/09/30/3122_2.jpg ) が好んで描かれることになった。初日の出は新年そのものであり、平和な一年を予兆するものとして、その情景を描いて期待と慶びを表現した。おせち料理として表面が薄紅色の板かまぼこ (朝日蒲鉾 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%B2%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%BC%E3%81%93&stype=0&dtype=0 ) が伝承されているが、半円形の太陽を象った「日の出」の意匠である。そして、これらは、近代の旭日旗の意匠とはしっかり区別されるべきと考える。中心の赤い円から旗の縁まで埋め尽くす十六条の赤い旭光、という特徴は、まったく斬新であり、江戸時代までの幟や掛軸などの意匠からは完全に独立しているからである。このような近代の意匠について、未だ存在しなかった江戸時代に遡って「めでたさ」と関係があるという根拠は見出せない。 日章旗に思想的背景は無いのか?アメリカから軍事的脅迫を受け、亡国の淵に立った難局で、攘夷派にとっては、泣く泣く開国したまさに緊迫する情勢の下であり、平和裏の国旗制定とは言い難い。 江戸時代には幕府の船 (軍船など) が白地朱の丸の旗を掲げていた事実があり、開国に当たり日本の船に掲げるべき国旗に選んだのもこの船印である。極めて実務的な選択であろう。 どこの国旗でも同じだが、忌避される意匠では採用されない。実際に国民投票で国旗を選んだわけではないのだから、「めでたい」から、「好き」だから採用されたに過ぎない、という想像には付き合えない。意匠の「めでたさ」を積極的な理由として日章旗が国旗に選ばれたとする根拠はどこにも無いだろう。 その上で、水戸光圀以来の「大日本史」編纂に連なる学派からの思想的な影響があったのではないかと問いたい。 旭日旗は流血革命の歴史を背負っていないか?戊辰戦争は一種の革命戦争である。旧幕府軍は宥恕を求めながら日章旗を掲げて抵抗した。王政復古を唱える官軍はこれを凌駕する旗を創作する必要があった。中心の赤い円から旗の縁まで埋め尽くす十六条の赤い旭光、という特徴は、まったく斬新であり、江戸時代までの意匠からは完全に独立している。実際に昭和の戦時下を生きた世代の間では、八紘一宇の掛け声に踊らされた苦い思い出とともに前時代の遺物として旭日旗は記憶されることも事実であり、わが国の歴史として欠くことができない貴重な記憶である。 旭日旗は堂々と掲げるべきか?日足紋の幟はほんものの合戦の旗印であり、本来は武器に準じて慎重に扱うべきものである。どこの国の軍旗であっても国際交流を目的とする(戦争を煽る目的ではない)国際競技の場に持ち込むことに正当な理由は見出せない。よほど親密な国同士でなければ許されない非礼だろう。今後の競技の開催にも支障がある。もちろん、スポーツと戦争を混同すべきではなく、自衛艦旗をここで変更するのは竹島不法占拠問題を抱える韓国を増長させるだろうから不適当だ。
2013/09/02
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