New Worid

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怪人への道

 1965年3月24日テキサス州ヒューストンにて”墓掘り人””デッドマン””アメリカン・バッドアス”など数々の異名を持つことになる1人の赤ちゃんが誕生しました。マーク・ウィリアム・キャラウェイ、のちのジ・アンダーテイカーです。少年時代のマーク少年はどちらかというとフットボールよりもバスケットボールが好きで大学でもバスケの選手として活躍していたほどです。大学ではスポーツ経営学と生態学を勉強していたようです。割とインテリ肌だったようですね。しかしマークが職業として選択したのはプロレスラーでした。
 テキサス州ダラスにて3人のレスラーのコーチを受けました。ドン・ジャーデン、バズ・ソイヤー、ダッチ・マンテルの3人がマークのコーチ役でした。特に影響をうけたのはジャーデンで、のちにテイカーの得意技の1つオールドスクールはジャーデンの得意ムーブから受け継いだものです。
 1987年3月マークはデビューしました。対戦相手はなんとブルーザー・ブロディ。このときマークのリングネームはマスクマンのテキサス・レッド。当然既に超一流のレスラーとデビューしたレスラーの対戦では結果は明らかです。
 「ブロディがわざわざオレを指名してくれたんだ。今となっては彼と試合ができたのは確かにラッキーだった。」―ジ・アンダーテイカー
 デビューして2ヵ月後に南アフリカ共和国に遠征しました。もっともマークにとってはいい思い出ではないようで。そのあとは各インディー団体で活動しました。
 1988年マークはテネシー州メンフィスで活動を始めます。ここはなんといってもジェリー”ザ・キング”ローラーのご当地でありハルク・ホーガンやランディ・サベージ、そして90年代で活躍したレスラーが若い頃力を磨いた土地でもあります。ここでのマークのリングネームは「マスター・オブ・ペイン」そして1989年4月1日キングを破ってUSWA世界王座を獲得しました。
 1990年2月からWCW入りしてそこで「マーク・キャラス」というリングネームで活動し3月に新日本プロレスに初来日しました。新日本でのリングネームは「パニッシャー・ダイス・モーガン」でIWGPタッグ王座に挑戦しました。
 そして同年10月マークはWWE入りしました。”ジ・アンダーテイカー”の誕生です。



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