”3都市同時開催”
1986年4月7日にレッスルマニア2を開催されましたが、第2回大会の特徴はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスによる3都市同時開催で現在唯一の興行方式です。そしてこの大会ではじめてペイ・パー・ビュー(PPV)放送=契約式有料放送が導入されました。3都市合わせて13試合行われました。
ニューヨークでは、”ミスターワンダフル”ポール・オンドーフVSザ・マグニフィセント・ドン・ムラコ、インターコンチネンタル王者”マッチョマン”ランディ・サベージVSジョージ”ジ・アニマル”スティールのインターコンチネンタル王座戦、ジェイク”ザ・スネーク”ロバーツVSジョージ・ウェルズ、メインは”ラウディ”ロディ・パイパーVSミスターTのボクシング・マッチ。
シカゴは、ザ・ファビラス・ムーラVSヴェルヴレット・マッケンタイアの女子選手権、ニコライ・ボルコフVSコーポラル・カーシュナーのフラッグマッチ、20人参加のバトルロイヤル、メインがタッグ王者グレッグ”ザ・ハマー”バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキVSブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)の世界タッグ王座戦。
そしてロサンゼルスはリッキー”ザ・ドラゴン”スティムボートVSハーキュリー・ヘルナンデス、アンクル・エルマーVSアドリアン・アドニス、ティト・サンタナ&ジャンクヤード・ドッグVSザ・ファンクス、そして3都市のメインとなるのがWWE世界王者ハルク・ホーガンVSキングコング・バンディの世界王座戦。
”ニューヨーク編”
まずはニューヨークから。場所はナッソーコロシアムで、ニューヨークでの進行役はビンス・マクマホンが務めています。前回は表立って出てこなかったビンスですが今回はニューヨークと全体の進行を仕切るホストとして登場です。最初の試合は”ミスターワンダフル”ポール・オンドーフVSザ・マグニフィセント・ドン・ムラコ。オンドーフは前年のレッスルマニアでパイパーと組んでホーガン&ミスターTとメインで対戦。今回はニューヨークでの最初の試合で登場となりました。一方のムラコはハワイ出身のレスラーで、分厚い体が特徴のパワーファイターです。しかし似たタイプのレスラーの試合は噛み合わせが良し悪しが極端な場合が多く、この試合はその悪い例が当てはまり両者リングアウトであっさり終了。かなり不満の残る内容となりました。2試合目はインターコンチネンタル王座戦。王者は”マッチョマン”ランディ・サベージで挑戦者はジョージ”ジ・アニマル”スティール。ホーガンと並ぶ80年代レッスルマニアの主役であるランディ・サベージ初のレッスルマニアでの試合です。本名ランディ・ポッフォ。プロレス以前は野球をやっていて、マイナーリーグで活動していましたが肩を壊して断念し、父アンジェロ・ポッフォの指導を受けてレスラーに転向しました。早くから才能を高く評価されてましたが、父アンジェロがどちらかというとアウトサイダー的な存在で実際テネシーで独立プロ(ICW)を設立しサベージも在籍していました。しかしICWは崩壊してジェリー”ザ・キング”ローラーがメンフィスでプロモーターを務めていたUSWAに移籍。1984年頃にエリザベス・ヒューレットと結婚し翌年WWEと契約。ここでようやくサベージの真価が発揮され始めました。1986年2月にインターコンチネンタル王座を獲得。順調にWWEで地位を上げています。さてスティールですが”アニマル”という名に相応しく体毛が濃い!!おまけに技らしい技はほとんどなし(苦笑)。腕や足に噛み付き、仕舞いにはコーナーを噛み千切ってしまうし。この人は確かブルーノ・サンマルチノの時代から活躍してるレスラーだったと思います。まあ結果はサベージがセカンドロープに足をかけての反則フォールという古典的な反則技で順当勝利。
3試合目はジェイク”ザ・スネーク”ロバーツVSジョージ・ウェルズ。これまた80年代WWEの名脇役ロバーツのレッスルマニア初登場の試合です。ロバーツもサベージ同様父がプロレスラーでグリズリー・スミス。のちに複雑怪奇な前半生をカミングアウトして物議を醸し出しましたがDDTの開発者という紹介のほうがしっくりいきます。更に”ストーンコールド”スティーブ・オースチンのブレイクに一役買ったことでも有名です。相手のウェルズは、ぶっちゃけて言えば噛ませ犬ですね。それでもフライングヘッドシザースをみせるなど健闘しましたが、ロバーツのDDTであっさり勝利。そしてこのあと、トレードマークである大蛇の”ダミアン”でウェルズを巻きつけるという残虐行為を行いました。
そしてニューヨーク大会のメインといえる”ラウディ”ロディ・パイパーVSミスターTのボクシングマッチ。ルールはそのまんまボクシングで戦うというものです。ミスターTは映画「ロッキー3」でロッキーの相手役としての経験があります。パイパーも少年時代にボクシングをやっていた経験があります。まずは第一ラウンドですが、両者共に伊達に経験してるのか、ボクシングスタイルがさまになってます。実際パイパーの左ジャブなんかプロボクサーっぽいですし。一方ミスターTはラウンド後半やたらとクリンチが目立ちます。続く第二ラウンドはパイパーのペース。動きの止まったミスターTに連打を浴びせてダウンを奪います。もっともダウンしたときに足蹴にしてるとこが悪役パイパーらしいですが。結局パイパー優勢で第二ラウンド終了。第三ラウンドはミスターTが優勢で二度ダウンを奪います。そして第四ラウンドはボクシングというより殴り合いとなっています。結局このラウンドでパイパーがミスターTにボディスラムをして反則負け。なんとなく両者の面目を保つための結果といえますが。個人的にはパイパーを応援してました。というか観客もどちらかというとパイパー寄りだったかな。
”シカゴ編”
シカゴ大会の進行役はゴリラ・モンスーンと”ミーン”ジーン・オークランド。最初の試合はWWE女子王座戦。王者ファビラス・ムーラVSヴェルヴレット・マッケンタイア。この時代まだディーバという名称は存在してません。女子プロレスは19世紀には既に存在していたらしいですが見世物的なものでしかなかったようです。やがて1930年代にミルドレッド・バーグが登場します。バーグこそ女子プロレスの開祖ともいえる女子レスラーで全日本女子プロレス(全女)の看板タイトルWWWA世界王座を創設したのもバーグでした。ムーラはバーグより後の世代の女子レスラーで本名はリリアン・エリソン。アメリカ女子プロレスの大御所的存在といえる女子レスラーです。このときなんと62歳です(^^;)。1972年女子レスラーとして初めてMSGのリングに上がって試合をしました。さて試合はあっさりムーラが勝利。マッケンタイアがボディプレスを自爆してムーラがそのままカバー。レベル的に日本の女子プロはもちろん、今のディーバたちのほうがレベルは高いかな。2試合目はニコライ・ボルコフVSコーポラル・カーシュナーのフラッグマッチ。とは名ばかりの普通の試合でしたが。ボルコフは試合前に定番のソ連国歌を歌います。当然ブーイングですが。カーシュナーは映画”ランボー”ばりに迷彩服姿で登場。手には星条旗が。USAコールが飛びます。試合はとくにみるべきものはなくカーシュナーが勝ったというだけの試合です。余談ですが、カーシュナーは数年後レザーフェイスという名で日本のWingやFMWで活躍します。
シカゴ大会の注目のカード、20人参加バトルロイヤルですが、そのうちの6人はNFL、つまりアメリカンフットボールのプロ選手が参加しました。これはシカゴ・ベアーズが1986年にスーパーボールで優勝したのでそれに便乗して参加させたのでしょう。参加選手を紹介します。キング・トンガ。トンガと名乗ってますがピーター・メイビア、ワイルド・サモアンズらに代表されるサモア系レスラーの1人です。キラービー(”ジャンピング”ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)。ブランゼルはリック・フレアー、グレッグ・ガニアらと同期でデビューした1人でAWA時代はガニアと”ハイ・フライアーズ”というチームを結成してタッグ王座も獲得していました。ブレアーは私の記憶ではよく新日本プロレスに来日していた中堅レスラーという印象が強いです。ハート・ファンデーション(”ヒットマン”ブレット・ハート&”アンビル”ジム・ナイドハート)。90年代のWWEの中心選手となるブレットのレッスルマニア初出場はこの年からでした。それから12年連続出場しますから大したものです。ジムはブレットにとっては義兄(ブレットと姉と結婚)にあたります。トニー・アトラス。ボディビルでミスターUSAに選ばれたほどでプロレス転向後シングルでも活躍しましたがロッキー・ジョンソンと組んで黒人として初めてWWE世界タッグ王座を獲得し、のちにWWE殿堂入りしました。ブルーノ・サンマルチノ、ペドロ・モラレスはホーガン時代以前のWWEの主役で唯一レッスルマニアに選手として参加しました。テッド・アシディは…知らん(苦笑)。ダニー・スパイピーはのちに全日本プロレスの常連外国人となって活躍しました。ヒルビリー・ジムは農夫系レスラーとして人気先行型のレスラーでした。アイアン・シーク、ビッグ・ジョン・スタッド、そしてアンドレ・ザ・ジャイアントはレッスルマニア1で語っているので割愛させていただきます。NFLサイドはジム・コルベット、アーニ・ホルムス、ハービー・マーチン、ラッス・フランシス、そしてウイリアム・ペリー。ペリーとコルベットがシカゴ・ベアーズの選手ですね。内容はというと、NFL勢は頑張ったけど、やっぱりレスラーのほうが強かったということです。ご当地のヒーローであるペリーはNFLの選手では最後まで残りましたがスタッドに投げられ失格。アンドレとファンデーションの3人が最後まで残りました。結局勝ったのはアンドレでした。アンドレはこういった試合には強いです。
さて、シカゴ大会のメインはグレッグ”ザ・ハマー”バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキVSブリティッシュ・ブルドッグスのWWE世界タッグ王座戦です。前年はインターコンチネンタル王者だったバレンタインでしたが今回はタッグ王者として参加。ビーフケーキが相棒ですが、試合の組み立ては当然バレンタインがやっています。ビーフケーキはバレンタインのおかげで王者になれたといっていいでしょう。ブリティッシュ・ブルドッグスはこれがレッスルマニア初参加。初代タイガーマスクの最大にして最高のライバルだったダイナマイト・キッドとイトコのデイビーボーイ・スミスによるタッグチーム。80年代のWWEの名チームでした。試合はキッドとバレンタインの試合巧者2人が中心になって組み立てていきました。見た印象としてもスミスとビーフケーキは、スミスはまだマシですが、ビーフケーキの不細工な戦いぶりはどうしようもないです。それでもキッドとバレンタインの2人のおかげで好試合となりました。結果はコーナーにあがったキッドめがけてスミスがバレンタインをぶつけてそのままフォール。ブルドッグスが王座を獲得しました。
”ロサンゼルス編”
ロス大会の進行役はジェシー”ザ・ボディ”ベンチェラとロード・アル・ヘイズ。1試合目はリッキー”ザ・ドラゴン”スティムボートVSハーキュリー・ヘルナンデス。この年から”ザ・ドラゴン”の名がついたスティムボートとWWEの脇役として活躍するヘルナンデス。ヘルナンデスはのちにハーキュリースと改名します。試合はスティムボートがコントロールし自己のペースで試合を盛り上げます。スティムボートの技巧とヘルナンデスのパワーがかみ合った好試合となり最後はスティムボートの勝利。ヘルナンデスは90年代に新日本プロレスでスコット・ノートンと”ジュラシック・パワーズ”というチームでホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー(佐々木健介)のヘルレイザースのライバルチームとして活躍しました。2試合目はアドリアン・アドニスVSアンクル・エルマー。アドニスの本名はキース・フランク。1979年ジェシー・ベンチェラと出会いタッグを結成(イースト・ウエスト・コネクション)。その後新日本の常連外国人となりました。黒の革ジャンがトレードマークの硬派なレスラーで、個人的にファンでした。しかし、この頃のアドニスはピンクの衣装を着たオカマレスラーに変身していました。最初にその姿をみたときは思わず”どうしたんだ!!アドニス!?”と叫びそうになりました。硬派なアドニスを知っているだけにオカマスタイルに引いてしまいました。しかしテリー・ファンクの自伝によると自身は全く嫌がってた様子は無かった様で。この辺は謎ですね。エルマーはただの木偶の坊です。その昔ザ・コンビクトという囚人スタイルのマスクマンとして日本に来日していたそうです。試合はオカマになったとはいえアドニスの試合巧者ぶりは変わらず不細工なエルマーをコントロールして試合を組み立てていきます。これもアドニスの順当勝ち。エルマーしょっぱ過ぎ!!自分で殴ってこけるな!!(笑)
3試合目はティト・サンタナ&ジャンクヤード・ドッグVSザ・ファンクス(ホス&テリーファンク)ここで古くからのプロレスファンは?と思うでしょう。ホス!?ドリーの間違いでは!?実はドリーはWWE入りのときドリーからホスという名で活躍していました。離脱後はドリーに戻りましたが。これは”ジュニア”という名称を嫌っていたビンスの意向によるものです。但しホスというネーミングについてはドリーも同意していましたが。あのファンクスがWWEのリングで活躍していたというのも意外かも。といっても90年代後半ではテリーは何度か登場していますし、ドリーも96年のロイヤルランブルに参戦しています。基本的には日本で活躍したときと変わりません。冷静なドリーと激情的なテリー。違うのは日本ではベビーフェイスなのに対しWWEではヒールだったことです。かつて日本版ビデオで実況解説者がファンクスのヒールスタイルに違和感を感じるコメントをしてましたが地元アマリロや日本以外ではヒールでやっていましたから2人にとっては全く気にしてません。しかしさすがプロレス史上最高の兄弟チーム。見事に試合をコントロールしてます。サンタナはともかくドッグは不器用ですから。しかしドリーのエルボースマッシュとダブルエルボーをみてついニヤついてしまいました。ただスピニングトゥホールドが出なかったのは不満ですが。結果はマネジャーのジミー・ハートがメガホンをテリーに手渡しドッグに一撃してのフォール勝ち。WWEファンはブーイングしましたが私的にはファンクスに拍手です(^^)。ただテリーがヒザを痛めてしまったようで。関係あるかは不明ですがテリーはこの年でWWEを離脱します。ドリーはまだ在籍しますが代わりにパートナーとなったのがジェシー・バー(ジミー・ジャック・ファンク)。ザ・ロッカーズを2日で解雇に追い込んだあの男です。はっきり言って大したレスラーじゃなかったです。弟(アート・バー)のほうが100倍素晴らしいレスラーでした。まあこれ以上は脱線してしまいそうなのでこの話はここまでにします。
そしてロス大会、というよりレッスルマニア2のメインイベント、ハルク・ホーガンVSキングコング・バンディのWWE世界王座戦。これがレッスルマニア初のWWE世界王座戦となります。前回はミスターTとのタッグでしたから。試合方式はケージマッチ(金網マッチ)。今回のホーガンの相手であるバンディはこの時期でのホーガンの抗争相手でした。”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックの引退試合の相手を務め、AWA地区で活躍後WWE入り。前回はレッスルマニア史上最短記録の7秒で勝利しました。ホーガンのライバルは基本的にホーガンと同じ、それ以上の体格のレスラーとなっています。バンディはその条件に満たしていました。レッスルマニア前にホーガンはバンディに脇腹を痛めつけられテーピングをしての登場です。前評判ではホーガン不利か?と言われました。しかし終わってみたらホーガンの快勝でした。レッスルマニア全編通じてこれがもっともホーガンらしい試合だったのかも。前年では”アイ・オブ・ザ・タイガー”の曲で入場でしたが、今回は”リアル・アメリカン”で入場。これがホーガンの定番の1つとなりました。