1995年暮れ、スティーブ・オースチンはWWEと契約しました。このときのキャラクターは”ザ・リングマスター”といってレスリングの達人というキャラクターで登場します。確かにオースチンはレスリングの上手いタイプのレスラーでキャラ的にはハズレてはいないもののオースチン自身はけして乗り気ではなかったようです。ちなみにコスチュームも黒のショートタイツではなく緑のショートタイツでした。WWEの衣装チームはシングレットを予定していましたがオースチンがイヤがったのでショートタイツとなりました。シングレットというのは簡単に説明するとカート・アングルが着てるものといえば分かるでしょうか。不安定な収入のECWより安定しているWWEを選択したオースチンはリングマスターとしてリングに上がりました。マネージャーには”ミリオンダラーマン”テッド・デビアスが付き、デビアスが自前で制作し保持していたミリオンダラー王座を持って登場しました。
最初の対戦相手はスコッティ・2・ホッティ(当時はスコット・テイラー)試合そのものはそつなくこなし、首脳陣の評価も高かったようです。そして1996年ロイヤルランブルでのランブルマッチに初参戦。レスリングセンスそのものは秀でていたもののリングマスターというキャラでは限界がありました。そこでビンスにキャラクターチェンジを考えるよう求めます。ビンスの返答は自分で考えてみよ、ということ。
ある日オースチンはドキュメンタリー番組をみているとき”アイスマン”なる殺人鬼に興味を持ちます。アイスマンにヒントを得たのかWWEにこの話を持ちかけます。しかしでてきたネーミングはどれも合わずオースチンは悩みました。そんなとき、奥さんだったジーニーがオースチンに紅茶を差し出します。「紅茶が冷え切っちゃう(ストーンコールド)前に飲みなさい」このときジーニーがオースチンに言います「そうだ、ストーンコールドっていうのはどう?」しばらく考えたのちオースチンはストーンコールドという名を気に入りました。そして、WWEからストーンコールドのキャラが採用されめでたく”ストーンコールド”スティーブ・オースチンが誕生しました。
そして初参加となったレッスルマニア12でストーンコールドとして登場します。ただまだリングマスターのイメージが残っていました。ストーンコールドというキャラクターが確立されるのは96年”キング・オブ・ザ・リング”での出来事からでした。
1996年6月23日PPV”キング・オブ・ザ・リング”にてキング・オブ・ザ・リングのトーナメントに参加したオースチンは順調に勝ち上がって決勝戦に進出しました。決勝での対戦相手は80年代のWWEのスーパースターの1人ジェイク”ザ・スネイク”ロバーツ。この頃自身のドラッグ中毒などの問題などをカミングアウトして話題を集めていたロバーツはキリスト教に関心を持っていました。これが”オースチン3:16”誕生の伏線となるとは誰もが想像できなかったでしょう。
そして決勝でロバーツに勝利したオースチンは勝利者インタビューにて…
「ヨハネ3章16節を語ろうがオースチン3章16節にはこう書いてあるぜ”てめえのケツをシバいてやった”とな!!これからはストーンコールドの時代だお前らの目の前にいるのは次のWWE世界王者だ!!そう、ストーンコールドかく語りきよ!」
ここでオースチン3:16とストーンコールド・セッド・ソウ(ストーンコールドかく語りき)が誕生しました。これは誰から練りに練って考え出したものではなくオースチンが咄嗟に思いついて吐き出した言葉でした。それが大きく反響を呼びオースチンの大ブレイクのきっかけとなっていきました。