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ボヘミアン・ガラスも美しいですが 繊細さでは この 「ドレスデン人形」が勝ります。ヨーロッパにおける陶磁器の歴史は 18世紀初期 ザクセン選帝候アウグスト強王の命を受けた錬金術師ベッドガーによって 1708年ヨーロッパで初めて磁器の焼成に成功し 製造法を開発したことに始まると言われています。それと同時に ヨーロッパ各地でも磁器製造の研究が盛んに行われ始め 18世紀はヨーロッパの「磁器元年」と云っても過言ではありません。中でもチューリンゲン地方は 18世紀半ばから大いに栄えた一大磁器の産地となりました。そこは森の中に豊富な薪があり 焼成用粘土の下準備用の機械を動かすに充分な川の流れがあったのです。チューリンゲン磁器の中心地は ウォルクシュテット にあり 他の地域に類を見ない磁器製レース人形の開発が盛んに行われました。特殊な磁器粘土に浸した純綿のレースをビスク人形 (素焼きの人形) に飾り付け 1300度前後の高温で焼入れする技術は チューリンゲン地方独特のものとして発展。窯の中でレース素材は燃え尽き 不燃性の磁器部分だけが残り ふっくらとしたクリノリンスカートの婦人像が生まれます。これが いわゆる 「ドレスデン人形」と呼ばれているものです。磁器をレースのように繊細に加工しています。1895年 創立者アントン ミューラーは ウオルクシュテットに工房を開設し その優れたデザインゆえにシュワルツバーグ ルドルシュタット伯爵の手厚い庇護を受け 各々の作品には 王冠マークがバックスタンプとして焼き付けられていました。第二次世界大戦時 ウォルクシュテット 全域が破壊され ミューラー社も焦土に埋まったのです。ロシア軍がこの地方を支配した後 オスカー・サアとジョアサン・サアは 地下室に残された貴重なモールド (型) とともに国境を越え 西ドイツに渡り アイルランド ドロムコリハに移って 工房を再建。ここで 社名を ミュラーからアイリッシュドレスデンと改名し 工房では熟練した工芸家が落ち着いた雰囲気の中で伝統的なレース人形と同時に現代的な作品を制作しています。蛇足ですが 亡くなった父が ドイツに社用で研修に赴き 帰国時 昔のドレスデン人形を母への土産に買ってきた事を思い出します。 残念ながら壊れてしまったので 私が現地で買い求めました。
2016.01.03
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浮世絵師・葛飾北斎の美術館。ここは小布施で描かれた肉筆画、画稿、書簡などを元に開設した。北斎が小布施を初めて 訪れたのが80歳を越えていた。そして、晩年に4度小布施を来訪している。北斎は浮世絵師として有名だが、ここには浮世絵は無い。版を刷る浮世絵とは違い、掛け軸、屏風、肉筆画など、すべて他 に同じ物は一つとしてない一枚なのだ。巧みな筆さばき、色彩の美しさ、どれもが生き生きしている。屋台展示室には長野県宝に指定された2基の祭屋台が展示され、この祭屋台には北斎筆の「龍と鳳凰」、男波・女波と称される「怒濤」の二枚の天井絵がある。小布施は町としても風情豊かだ。秋には小布施名物「栗おこわ」が楽しめる。
2009.04.12
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広辞苑では中国語のpeng-tzuの訛りとありGoogleで探したサイトでは同じく中国語のbengziの訛りとなっています。peng-tzuはウェード式ローマ字、bengziは ピンイン式ローマ字で、同じ単語。発音をカナで書けば「ペンツ」です。旧漢字では「繃子」と書きます。「繃子」は 中国語の方言・俗語で「詐欺」という意味です。どう訛ったかですが「ペンツ」の「ペ」の声調が低いので 日本語訛りで発音すると アクセントが自然と「ツ」の上にきます。こうして「ぺ」を弱く「ツ」を強く発音すると、ペンツ > ペンツー > ペツン > ペテン無理やり説明すれば こんな具合しょう。理化学研究所の STAP が大騒ぎになっていますが 私的には あれはペテンと思います。STAP現象の存在が疑われている原因は 英科学誌「ネイチャー」に発表した STAP論文に不適切な点があったことに加え 論文の関係者を除けば 誰一人 その「再現」に成功していないのです。200回再現したという発言 第三者にも再現させたと言いながら名前も明かさないなど 呆れるばかりです。ちなみに 私が米国の生化学研究所所長時代 研究者は どんな研究でも200回の再現実験など馬鹿げた事は やりませんでしたね。
2014.04.11
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コロポックル(アイヌ語: コ?ポック? korpokkur)は アイヌの伝承に登場する小人である。アイヌ語で 一般的には「蕗の葉の下の人」という意味であると解される。 アイヌ語では [p] と [b] は同一の音素であり 区別しないため コロボックル (コ?ボック?) とも言われる。アイヌの小人伝説は広く北海道や南千島や樺太に流布しており 名称も このコロポックル・コロボックルのほかに トィチセウンクルやトィチセコッチャカムィやトンチ(これらはみな「竪穴に住む人」の意)などと呼ばれることもある。アイヌ人の小人伝説は北海道や南千島 樺太に広く流布しており 地域によって差もあるが 大体 次のようなものである。アイヌがこの土地に住み始める前から この土地にはコロポックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く 動きがすばやく 漁に巧みであった。また 屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。彼らは情け深くアイヌに友好的で 鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが 姿を見せることを極端に嫌っており それらのやりとりは 夜に窓などから こっそり差し入れる形態であった。あるときあるアイヌの若者がコロポックルの姿を見ようと贈り物を差し入れるを待ち伏せ その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ 美しい婦人のなりをしており その手の甲には刺青があったという(なお アイヌの夫人の刺青は これにならったものであるといわれている)。コロポックルは青年の無礼に激怒し 一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまい 以降アイヌの人々はコロポックルを見ることはなくなった。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は 彼らが かつて この土地にいた名残である。この伝説中地域によってたとえば「コロポックルは怠け者でアイヌが彼らに食べ物を与えていた」とか「コロポックルの手にあった刺青は捕らえたアイヌの人々が奪還を懼れて施したものであって元来からアイヌの風習である」という風な変化が見られる。十勝地方に残る伝説では コロポックルはアイヌに迫害されたために土地を去ったといわれ 去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来とされる。
2016.07.27
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