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ヨーロッパ絵画には「テンペラ」という絵画技法が有ります。 古い方なら御承知の通り 昔「帝銀事件」が発生。帝銀椎名町支店で行員多数が薬物で殺傷されましたが 逮捕された犯人がテンペラ画家の平沢貞通でした。明確な証拠が無いまま 死刑判決を受け 結局刑務所で獄死。非常に不透明な事件でした。脇道に入り失礼しました。テンペラは水性と油性の成分が混合した乳濁液を媒剤とする絵画技法。テンペラは混ぜ合わせるという意味のラテン語Temperareを語源としています。乳化剤として鶏卵を用いる卵テンペラ、蜜蝋やカルナウバ鑞を鹸化した鑞テンペラ、カゼインを使うカゼインテンペラなどの処方が有ります。西洋の絵画で広く行われてきた卵テンペラには 油彩画のような黄化・暗変を示さないという特徴があり 経年による劣化が少なく 数百年前に制作された作品が 今日でも鮮明な色彩を保っています。代表的なテンペラ技法が卵テンペラということです。絵具が乾けばすぐに塗り重ねていくことができ 数日間乾燥すると水に溶けなくなります。板にボローニャ石膏で地塗りをしているものが古典的なテンペラ画技法ですが 近代になって油彩の仕上げに卵を混入させたものもテンペラ画と通称で呼ぶようになりました。これは卵黄にレシチンやアルブミンという乳化作用がある物質が含まれているため 水と油を混ぜてもマヨネーズのように分離しない事を応用したのです。●フラ・アンジェリコ 受胎告知イタリアルネサンス早期のジョットからフラ・アンジェリコ、ボッティチェリなどがテンペラによる作品を残しています。レオナルド・ダ・ヴィンチも「最後の晩餐」で使用しましたが 壁画には不向きな技法であり 耐久性を高めるための技術的試みも失敗して 作品の劣化を早める結果となったのです。●Leonardo da Vinci 最後の晩餐 キリストのテーブルの下の方に見える 白い壁は 厨房への出入り口を 漆喰で塞いだものです。最後の晩餐は ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたものなのです。ところで 油彩画の出現以来 テンペラ画は絵画技術の表舞台から退いていましたが 20世紀に入ると油彩との併用による混合技法を試みるパウル・クレーやカンディンスキーのような画家が現れました。また アンドリュー・ワイエスの描いた純然たるテンペラ技法の作品により テンペラは 絵画技術として 再び注目を集めるようになっています。●アンドリュー・ワイエス 1946年の冬 ほか
2013.09.05
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アンデルセンの書いた人魚姫童話が有ります。デンマークに、その人魚姫の像が佇んでいますが、悲しそうな風情に貰い泣きしそうになります。童話の概要は、次の通りです人魚の王の末の姫は誕生日に人間の王子を難破した船から救い出し、人魚姫は王子に恋をする。人魚姫は魔女を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時、「もし王子が他の娘と結婚すれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じるとも。王子と一緒に暮らせるようにな った人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子も人魚姫が命の恩人である事に気付かない。そして王子は浜を通りかかった娘が命の恩人と勘違いしてしまう。 やがて王子と娘との結婚が決まる。悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに魔女に貰った短剣を差し出し、王子の血で人魚の姿に戻れる事を教える。愛する王子を殺せない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。純粋に王子を愛しながらも、報われる事がなかった人魚姫の悲しい恋物語です。その悲しさが人魚姫像に表れていると感ずる私はセンチメンタルなのでしょね。それにしても、この王子は酷い。
2009.01.02
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ガブリエルは旧約聖書「ダニエル書」にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられている。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味である。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがある。ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば「ルカによる福音書」では祭司ザカリアスのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に「ヨハネの黙示録」にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。また、ロザリオの祈りの喜びの元儀の第一元儀はこの「お告げ」の出来事になっている。ダ・ヴィンチの「受胎告知」に描かれているのは、このガブリエルだという事を知らない人が多いね。
2009.02.25
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桃源郷とは、中国における理想郷。俗世間から離れ、山水の中で仙境に遊んだり素朴な農耕をしたりできる世界です。また転じて、仙人がいる・あるいはそこにいけば仙人同様になれる聖地ともされる。武陵桃源(ぶりょうとうげん)ともいいます。桃源郷のルーツは六朝時代の東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人・陶淵明(365年- 427年)の著した散文「桃花源記」です。その「あらすじ」は、晋の太元年間(376年 - 396年)、武陵(湖南省)に漁師の男がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡ったとき、どこまで行ったか分からないくらい上流で、突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。その香ばしさ、美しさ、花びらや花粉の舞い落ちる様に心を魅かれた男は、その源を探ろうとしてさらに桃の花の中を遡り、ついに水源に行き当たった。そこは山になっており、山腹に人が一人通り抜けられるだけの穴があったが、奥から光が見えたので男は穴の中に入っていった。 穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだった。そこは立ち並ぶ農家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。行き交う人々は外の世界の人と同じような衣服を着て、みな微笑みを絶やさず働いていた。男をみた村人たちは驚き話しかけてきた。男が自分は武陵から来た漁師だというとみなびっくりして、家に迎え入れてたいそうなご馳走を振舞った。村人たちは男にあれこれと「外の世界」の事を尋ねた。そして村人たちが言うには、彼らは秦の時代の戦乱を避け、家族や村ごと逃げた末、この山奥の誰も来ない地を探し当て、以来そこを開拓した一方、決して外に出ず、当時の風俗のまま一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言う。彼らは「今は誰の時代なのですか」と質問してきた。驚いたことに、ここの人たちは秦が滅んで漢ができたことすら知らなかったのだ。ましてやその後の三国時代の戦乱や晋のことも知らなかった。数日間にわたって村の家々を回り、ごちそうされながら外の世界のあれこれ知る限りを話し、感嘆された男だったが、いよいよ自分の家に帰ることにして暇を告げた。村人たちは「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」と言って男を見送った。穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻り、この話を役人に伝えた。役人は捜索隊を出し、目印に沿って川を遡らせたが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。その後多くの文人・学者らが行こうとしたが、誰もたどり着くことはできなかった。[長廊にある蘇式彩画「桃花源」]桃源郷をサンスクリット語読みしたものが中央アジアの理想郷伝説であるシャングリ・ラです。イギリスの の思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作に、「ユートピア(理想郷)」が有ります。ユートピアは現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことにあったのです。桃源郷はユートピア伝説の範疇に入りますが、カナン・アトランティス・シバの女王の国なども同様。山梨県の白根桃源郷は、これとは異質ですよ。[モアのユートピア]
2012.02.18
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