黒ミサ は、主に西洋の文学作品に描かれる、ローマ・カトリック教会に反発するサタン崇拝者の儀式。 サバト とも呼ぶ。神を冒涜することを旨とした儀式で、カトリック教会のミサと正反対のことを行う。中世ヨーロッパでは異教徒を批判する際に彼らは黒ミサの儀式を行い広めるとして攻撃した。
カトリックのミサでは、ワインをキリストの血に聖別して飲むが、黒ミサでは幼児の血を飲み干す。祭壇には逆十字が架けられ、暴力、淫行などといった行為が儀式の中で繰り返される。
サバト (Sabbath, Sabbat) とはヨーロッパで信じられていた魔女あるいは悪魔崇拝の集会。 魔宴 、 魔女の夜宴 ・ 夜会 ともいう。ヨーロッパでは土曜の夜に魔女が集会を行うと信じられ、中世から17世紀ごろまでサバトに参加した罪を告発されて裁判にかけられた無数の人々の記録が残っている。しかしそのような集会が本当に行われたという信頼に足る記録はなく、サバトについて書き記されたことの多くは故意に作り上げられた虚報か人々の想像の産物とも考えられている。
語源については不明であり諸説あるが、安息日である第七日を表すヘブライ語の シェバに由来 するという説が妥当とされている。サバトという言葉自体は後に普及した古フランス語の呼称であり、当初は シナゴーグ という呼称が一般的であった。
(サバトに集う悪魔と魔女たち)

[アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン]
1900年ごろからニーチェ哲学に心酔し、とりわけ超人思想に共鳴する。その後は神智学にも傾倒し、この二つから音楽思想や作曲に影響を受ける。1902年に作曲に専念するとしてモスクワ音楽院を辞職するが、すでに門人タチヤナ・ド・シュリョーツェルと愛人関係を結んでいた。1904年に家庭を捨ててタチヤナとともにスイスに出奔、西欧各地を転々とする。この頃からロマン派の影響を脱し個性的かつ神秘主義的な作風へと向かう。露歴でのクリスマス生まれだったことも、スクリャービンの神秘主義や、救世主きどりに拍車をかけた。1909年から1910年までブリュッセルに住み、デルヴィルらのベルギー象徴主義絵画に興味を寄せつつ、マダム・ブラヴァツキーの著作にいっそう親しんだ。これにより、自らの芸術を神智学思想を表現するためのものとして考えるようになり、後期の神秘和音を特徴とする作品を残す。それとともに前衛的作曲家として国際的に認められるようになった。
同時代のグラズノフの交響曲やラフマニノフの協奏曲が、それぞれの分野において19世紀ロシア音楽の金字塔を打ち立てているとすれば、ピアノ曲の分野で同様の業績を残したのがスクリャービンのピアノ・ソナタである。
第5番以降のソナタはとりわけ個性的で、普通では使用されないような和声や構成が大胆に使われている。6番以降の作品には調号が無く、調性が機能していないため、実質的に無調で作曲されている。7番「白ミサ」(Op.64、1912)と9番「 黒ミサ 」(Op.68、1913)は、作曲者晩年の神秘主義への傾倒を物語る作品として有名。
なお、」 ピアノ・ソナタ第7番「白ミサ」作品64 はアレクサンドル・スクリャービンが1911年に完成させた作品の1つ。フランス語の「白ミサ」( Messe Blanche )という副題は作者自身の案による。他の後期作品と同じく、きわめて半音階的で、無調で作曲されているが、喜ばしい法悦の境地を表現することが意図されており、さほど不協和に響かない。ソナタ形式を自由に変形して利用している。
[スクリャービン 「ピアノ・ソナタ 第9番 黒ミサ 作品68」 ]
1912年-1913年 作曲
ピアノの難曲としても有名。「黒ミサ」という有名な通称は、「第7番 白ミサ」と性格的に好対照をなしていることから、スクリャービンの友人アレクセイ・ポトガエツキーが命名した。
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プルダウンして聴いて下さい 。
キリスト教にまつわる「オドロオドロ」とした面が お判りと思う 。
Comments
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elsa.さん
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alisa.さん
曲まめ子さん