こういうの大好きで~す。もうシッチャカメッチャカですねん。
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最終的には巣鴨へ
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(おまけ)
「お歯黒」(おはぐろ)は明治時代以前の日本や中国南東部・東南アジアの主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法。
日本では古代から存在したとされ、民間には明治時代末期まで見られ、漆のような艶のある真っ黒が美しいとされたようです。
平安時代の末期には、第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行い、特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いたそうです。
戦国時代に入ると政略結婚に備えて8-10歳前後の戦国武将の息女へ成年の印として鉄漿付けを行なったそうです。
また、一部の戦国武将(主に平家系)は戦場に赴くにあたり首を打たれても見苦しくないように、ということから女性並みの化粧をし、お歯黒まで付けた、といいます。
これらの顔が能面の女面、少年面、青年面に写された訳です。
江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶、また、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性、未婚でも18-20歳以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着。
1870年、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出され、民間でも徐々に廃れ、大正時代にはほぼ完全に消滅。
[迷信]
●妖怪一反木綿は刀では切れないが一度でもお歯黒をした歯なら噛み切れる、という伝承があり、一反木綿が現れるとされる地域では男でもお歯黒をするという。
●明治時代に一部地域で「電線に処女の生き血を塗る」という噂が広まったことから、その地域の妙齢の女性の多くが生き血を取られないようにお歯黒・引眉・地味な着物・等の既婚女性と同様の容姿となった。
[お歯黒べったり]
これは、歯黒べったりとも言い、妖怪の一種。目も鼻も無い顔に、お歯黒を付けた大きな口だけがある。 人を驚かせるだけで、危害を加える事はないという。
江戸時代後期の「絵本百物語」に姿が描かれている。詞書には、「ある人が古い社の前を通った時、美しげな女が伏し拝んでいるので、戯れに声を掛けて過ぎようとしたところ、その女が振り向いた。顔を見ると目も鼻も無く、大きな口でけらけらと笑った。二度と見たくないほど恐ろしかった」という意味のことが記されている。
「絵本百物語」のお歯黒べったりは角隠しを着け、美しい着物を着た姿で描かれているので、結婚前に死んだ女性の亡霊とも言われるが、角隠しは、もともと浄土真宗信者の女性が寺参りに際して着用する物であったから、断定はできない。
江戸時代の、福島県の話として概略次のようなものがあります。これもお歯黒べったりの一種でしょう。
浜通り地方の平の町で大勢の人が集まって盆踊りをしていた夜の事、1人の若い女が人々の目を引いた。手ぬぐいをかぶっていたので顔はわからないが、姿は美しかった。夜が更けて踊りが終わると、興味を持った3人の若者が女の後を追いかけて、いい踊りだった、誰もあんなにきれいに踊れない、などとほめた。女が、ほめてもらったお礼がしたいと返すと調子に乗った男たちは、あんたの体でもいいぞ、と言う。女は恐れるふうもなく、1人ずつ草むらで相手をした。
別れ際に若者たちが、また会いたいから顔を見せてくれと頼むと女は手ぬぐいを取った。その顔にはお歯黒を付けた口だけがあった。むろん若者たちは肝をつぶして逃げ去った。話を聞いた町の者は、お歯黒をしていたのなら誰かの女房だ、と首をひねったと言う。
[おまけのおまけ]
篤姫はお歯黒をしていたのですよ。御台様は 朝は7時頃
お付きの者からの朝の
朝 起きただけで「お
四ッ時(10時)に将
お歯黒は「鉄漿(かね
「お歯黒」が化粧法だったという事は、当時は これに美しさを感じたのでしょう。
現代は「明眸皓歯」が美しいとされ、ハリウッド俳優の中には、美しさのため総入れ歯にしている人もいるのですよ。
未開の土地の民族には顔を傷だらけにして、傷跡が多いほど美人とされたり、中国では 纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからですね。「美 」 の受け止め方も一義的では有りませんね。
Comments
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alisa.さん
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曲まめ子さん
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elsa.さん