渋谷に 恋文横丁と呼ばれる一角がありました。
東大駒場キャンパスから 歩いて 20 分足らず。寮仲間と よく行きましたね。
ケータイの時代に恋文とは いかにも時代がかっていますが これは50 年以上も昔の話。
戦後の焼け跡に中国から引揚げてきた人たちが住みはじめ 中華料理や雑多な物資を扱うバラックに混じって そこだけ密やかな感じでラブレターの代書屋が軒を並べていました。
朝鮮戦争で日本に配属された駐留軍のアメリカ兵は 異国の香りといっしょに 自由を運んできたのです。自由に憧れた女性は 開放的なアメリカ兵に憧れましたが 英語ができない。
思いを伝えるために自然発生したのが ラブレターの代書屋。
飲み屋や食堂の奥に恋文の代書屋が集まっていました。
食うや食わずの学生や文士の卵などが 彼女らのメッセージを英語で代書し 彼女らが受け取った手紙を 日本語に訳して伝えたのです。
1953 年 朝鮮戦争停戦。
彼らが母国に帰るときがやってきて 彼女らには辛い別れが待っていました。
いっしょに渡米して幸せを掴んだ女性は おそらく ほんのひと握り。
多くは日本で 混血児を抱えた未婚の母になったのです。
●渋谷「恋文横丁」
恋文横丁は丹羽文雄の「恋文」によって 有名になったのです。
1960 代後半から70 年代後半にかけて 渋谷は 東急本店 西武 パルコ1・2・3と大型店舗林立の時代を迎えました。
文化村通りから道玄坂へ100m 足らずで抜けられる小路は そのまま残っていましたが それらしき代書屋などあるはずは無く とは言え どこかに恋文横丁の匂いを留めていました。
●文化村通り側「109 」が切れたところにある「恋文横丁」跡
●現在はこの標識だけで入り口は閉ざされ 先は行き止まり
Comments
New!
elsa.さん
New!
alisa.さん